旧奥州街道9(岩手)

2013/06/06

二戸市金田一~釜沢/旧奥州街道551

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釜沢方面分岐

旧街道はここで、右の釜沢方面となる。
長かった二戸市の金田一地区から釜沢地区に入る。

釜沢地区は、岩手県の北端で、青森県三戸町と接している地域だ。
中世には、釜沢城のあった処である。

九戸政実の戦い(1591年)の時、城主であった小笠原淡路守重清は、
当時三戸城主であった南部信直に、九戸城落城後に攻められ落城となった。




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別当屋敷之墓標

左側に古い石塔と共に、
「別当屋敷之墓」と刻まれた未だ新しい墓標が建っていた。

別当氏というと、祖先は律令制の宮司の長官であったのだろうか。

前方の山並みは、岩手県と青森県境で、蓑ヶ坂峠のあるところだ。
長かった、岩手県から青森県に変るところである。




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名久井岳遠望

右前方に、独特な山容の名久井岳(615m)が見えてきた。

名久井岳は、青森県南部町と岩手県三戸町に跨る山で、
外観は単峰のように見えるが、いくつかの山塊が集まった起伏山地で、
岩手県を南北に連なる北上山地の北方にある名久井山地に属している。

山頂から半径2kmとその周辺は青森県立自然公園に指定されている。
古くから、霊峰山として信仰の対象となっていた山である。





詳細リンク:旧奥州街道551「二戸市・金田一川口~釜沢上野平」/街道写真紀行
(二戸市金田一字川口 釜沢上野平 道ノ上) 1205/1306

2013/06/03

二戸市金田一・小野~川口/旧奥州街道550

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金田一川口、旧街道

金田一の小野と川口の間の峠を越えると、両側が開けてきた。
左右に、りんご畑が広がっているところだ。

二戸のりんごは、岩手県の先駆者で、
特にここ金田一地区は早くからりんご栽培が盛んな地区であった。

金田一温泉(金田一湯田地区)には、観光りんご園もあり、
毎年11月上旬には、収穫祭が賑やかに行なわれるとか。




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りんご畑

りんごの花が五分咲きであった。

金田一地区のりんごは、「ふじ」、「王林」がメインとか。
地元の農協では、特産品として「りんごジュース」も販売しているようだ。




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川口合流点

りんご畑の中の道を進んでいくと、正面に川口の集落が見えてきた。
ここで丁字路となり、旧奥州街道は左折となる。

雨滴がカメラのレンズに付き、見苦しい写真となってしまった。





詳細リンク:旧奥州街道550「二戸市金田一・小野~川口」/街道写真紀行
(二戸市金田一字小野 川口) 1205/1306

2013/06/01

二戸市金田一・小野~野々上/旧奥州街道549

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金田一小野、旧道分岐

姉滝から旧街道に戻り、少し先で今度は
写真右側の草で蔽われた山道となる。

この分岐は、判り難く、うっかりすると見落とすところである。
事前に調べてあったので、迷わずに行けたが、自信はなかった。

しかし、この道の右側に二戸市で建てた、
「奥州街道」と書かれた小さな道標を発見した時は
嬉しかった(写真右手)。




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金田一野々上、旧街道

坂を上ると、樹間の山道となり、道筋を確認しながらの歩行となった。

地図によると、この道の左側は金田一字小野ではなく、
野々上字出張(ののうえ あざ でばり)地区となるところだ

道がわかりにくく、何度も地図とコンパスで確認しながら進んだが、
途中で木の幹に青いリボンが巻かれており、ほっとした。

地元のボランティアの方が付けたのであろうか、
わかりにくい樹間の道では助かる目印である。




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金田一小野、旧街道

前方が開け、明るい道となった。

ここからはゆるい下り坂となっているところだ。
次の目標は、金田一字川口の集落である。





詳細リンク:旧奥州街道549「二戸市金田一~野々上」/街道写真紀行
(二戸市金田一字小野) 1205/1306

2013/05/29

二戸市金田一・小野~姉滝/旧奥州街道548

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無名沢、カモシカ

金田一・小野の坂を上ると、沢の側に出る。
無名沢と云い、姉滝の上流側の沢である。

ここで、驚いたことに、沢の反対側で、カモシカがこちらを見ていた。
カモシカは好奇心が強く、人間を見にくるというが本当だ。

カメラを向け撮影すると、
驚きもせず、沢沿い上流方向(左側)にゆっくりと立去った。




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姉滝神社

沢の右側にある姉滝神社だ。
以前は姉滝大明神と呼ばれていた。

祭神は蛇で、雨乞い神社とのことである




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姉滝

姉滝神社の背後から、姉滝を見下ろした写真である。
結構な落差で、15mあるという。

旧奥州街道沿いの滝としては最大のものだ。
冬は、このまま氷結し、見事な氷瀑が見られるとのことだ。





詳細リンク:旧奥州街道548「二戸市金田一・小野~姉滝」/街道写真紀行
(二戸市金田一字小野) 1205/1305

2013/05/23

二戸市金田一・水梨~小野/旧奥州街道547

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水梨、旧街道鳥居

共同墓地の横を通り、さらに坂を上ると、今にも朽ちそうな鳥居があった。
      
この先の道根山神社のものであろう。



90kindaic32s  道根神社

旧道の急な旧坂を登っていくと、石段がありその上に神社があった。
額柄に「道根山神社」と書かれてあった。

金田一にも、60歳になると山に捨てる風習があった。
      
家の人が、山に行って見ると捨てられた老人が死なないで、
目には沢山の蟻が付いており、目が見えなくなっていた。
      
家に連れて帰ったら、
「私は死んだ身だ」と言って水だけを飲み断食し、死んでいった。
      
それを伝え聞いた近所の人が、
山の一部を切り開き、竹を四方に立て、
縄を張り小さなお堂を作った。
      
そして、自分が神となり村民を貧困から救ってやりたいと、
その中で断食して死んでいった。
      
後に、その息子が、神になった父の願いどおり、
父を埋葬したところに、三間四方のお堂を建て、
「道根山神社」として祭ったということだ。



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願海庵

道根神社の背後の車道を挟んで、反対側にある願海庵(がんかいあん)。
      
寺の由来書によると、永暦元年(1160)、
叡山の僧が打ち続く兵乱の京洛を嫌って遁れ、
金田一村に来て、庵を結んだのが始まりとか。
      
京都知恩院の直来寺で、奥州随一の別格の寺とのことだ。

願海庵の横道が、旧奥州街道だ。
道の右側に二戸市が立てた「奥州街道」と書かれた道標があり、嬉しかった。

街道はこの先、下り道となり、金田一小野の集落に向かう。



         

詳細リンク:旧奥州街道547「二戸市金田一・水梨~小野」/街道写真紀行
(二戸市金田一字水梨、小野) 1205/1305

2013/05/21

二戸市金田一~水梨峠/旧奥州街道546

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倒木、水梨峠旧街道


さらに峠道を登っていくと、倒木が旧道を完全に塞いでいた。

どう通過するか一瞬迷ったが、小枝を手で折って、
リュックを先に通してから、倒木の下を潜って、何とか通過する。

さらに進むと、また、倒木があった。
右側は崖であるので、倒木を乗り越えて通過する。

足元も、木の枝や枯れ草で歩きにくいところであった。

なお、後で確認したところ、これらの倒木は大雪によるもので、
今は除去されているとのことだ。




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旧街道、水梨峠

倒木地帯を過ぎると、崖のそばの道となる。
今にも崩落しそうな道であった。




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馬淵川、東北新幹線

旧道右側の崖下を恐る恐る覗いた写真だ。

馬淵川に架かる東北新幹線の鉄橋と、
その左側は新幹線の金田一トンネルの入口である。

そして、その下を走る道路は国道4号線だ。





詳細リンく:旧奥州街道546「二戸市金田一~水梨」/街道写真紀行
(二戸市金田一字水梨) 1205/1305

2013/05/19

二戸市金田一・IGR踏切~水梨峠/旧奥州街道545

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金田一・IGR踏切


旧街道は、ここで新幹線の高架の下を潜り、
IGRいわて銀河鉄道の踏切を渡る。

ここからは、山道の峠越えである。




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水梨・峠道

IGRいわて銀河鉄道の踏切を渡り、崖の上の細い道を行く。
右下にはIGRいわて銀河鉄道が走っているところだ。

道の左側に、二戸市で建てた「奥州街道」と書かれた道標があり、
心強かった。




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水梨・小野峠道

やがて、右側は開けてきた。

馬淵川が見下ろせ、その先には対岸の段ノ越集落が見えてきた。





詳細リンク:旧奥州街道545「二戸市金田一・IGR踏切~水梨」/街道写真紀行
(二戸市金田一字水梨) 1205/1305

2013/05/17

二戸市・IGR金田一温泉駅/旧奥州街道544

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金田一温泉駅前


金田一宿を抜けたところにあるIGRいわて銀河鉄道の線路を渡る。

写真は、IGRいわて銀河鉄道の金田一温泉駅前である。
駅舎は次の交差点を左折したところだ。

駅名となっている金田一温泉は、
写真右(東)側の馬淵川の畔にある。

以前は湯田温泉と呼ばれていた。
地名は今でも、金田一字湯田となっている。

開湯は寛永3年(1626年)で、湯田の文字通り、
田圃から湯が沸いたことによる。
南部藩の指定湯治場となり、「侍の湯」とも呼ばれていたようだ。

この温泉をモデルにした三浦哲郎の
「ユタとふしぎな仲間たち」、「白夜を旅する人々」、「盆土産」等がある。

なお、言語学者の金田一京助氏は、盛岡の出である。




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IGR金田一温泉駅

街道左側にあるIGRいわて銀河鉄道の金田一温泉駅。
東京より613.7kmだ。

明治42年の開業当時は金田一駅であった。

昭和62年に、現在の金田一温泉駅と改称されている。
いわて銀河鉄道の岩手県北端の駅で、
次の目時駅からは青い森鉄道となる。

金田一温泉駅は、水梨地区(金田一字水梨)である。

この水梨(みずなし)は、地名としてはここだけであるが、
姓名としては岩手県二戸市金田一から青森県の三戸町にかけて、
多い姓となっている。

水無、水梨子となっているところもあるようだ。




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旧街道分岐

金田一温泉駅前の少し先で、旧奥州街道は、
自販機のある店の角の細い道となる。

正面の高架は東北新幹線である。

旧街道に入ると、細い道となる。
この先で、IGRいわて銀河鉄道の線路を渡り、新幹線の高架下を潜っていく。






詳細リンク:旧奥州街道544「二戸市金田一・下平~金田一温泉駅」/街道写真紀行
(二戸市金田一 下平 駒焼場 水梨) 1205/1305

2013/05/14

二戸市・金田一宿・野月~IGR踏切/旧奥州街道543

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延命地蔵尊

街道左側にある延命地蔵尊。

説明板に書かれた由緒によると、
今から約260年前の天文年間に大坂で造られ
八戸から大八車で一戸まで運ばれる途中の金田一で動かなくなり、
イタコに口寄せさせたところ、
「金田一の人達から拝んでもらいたい」と言ったので、
この地に奉られたと伝わっている。

明治24年、東北本線工事の時、線路用地にかかり、
このお堂に安置された。

延命地蔵は、短命・夭折から赤子を護るとされ、
今でも地元の信仰を集めている。




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金田一石塔群

延命地蔵尊の境内に集められた石塔群。

右より、「大乗妙曲一字一石」、「十和田山」、「百萬遍供養」、「山神」、
「二十三夜塔」、「庚申」等々、金田一宿の多彩な民間信仰が
偲ばれる石塔群だ。




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金田一IGR踏切

金田一宿の大釜に入ると、旧街道はいわて銀河鉄道と重なり消滅する。

ここで、IGRいわて銀河鉄道の踏切を渡り、線路の右側となる。






詳細リンク:旧奥州街道543「二戸市金田一・野月~IGR踏切」/街道写真紀行
(二戸市金田一 野月 大釜 駒焼場) 1205/1305




2013/05/10

二戸市・堀野~金田一宿/旧奥州街道542

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堀野から金田一(きんたいち)までの旧道は途中で失われているので、
迂回して、馬淵川に架かる長瀬橋を渡り金田一集落に入る。

金田一集落は、旧奥州街道94番目の宿場のあったところだ。
遺跡、遺構は残されていないが、この辺あたりから宿場であったようだ。

金田一宿は、岩手県最北の宿場である。
地名の由来は諸説あるが、南部氏の祖光行の第4子が四戸氏を名乗り、
そこから金田一氏が出た説と、アイヌ語源説もあるようだ。




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金田一宿・仲町

金田一宿の仲町の家並みである。
地名からして、この辺が金田一宿の中心部であったのであろう。




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金田一宿・野月

金田一宿の仲町から野月地区に入る。
この先の横断歩道のある道を左折した所に、
金田一中学校のあるところだ。 

金田一中学は船越山(324.7m)の東山麓にる。

地名としての四戸は残されていないが、
船越山東麓に四戸城(金田一城)があったようだ。

築城時期等の仔細は不明であるが、城主は鎌倉初期、
陸奥国糠部郡の地頭職として下向した南部光行の
四男宗朝を祖とする四戸氏と伝えられている。

四戸城は、天正19年(1591年)の九戸政実の乱後に廃城となった。



詳細リンク:旧奥州街道542「二戸市・堀野~金田一宿」/街道写真紀行
(二戸市金田一 上田面 荒田 八ッ長 野月) 1205/1305

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