旧奥州街道6(宮城)

2011/06/20

岩手県境/旧奥州街道322

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岩手県境

金成有壁の肘曲り坂、大沢田坂を越えてきた。
この辺が、宮城県と岩手県の境界付近である。




59arikabe37s  県境標識

旧街道右側に、奥州街道と書かれた標識の左側に
「県行林」と書かれた標石があった。

この辺一帯は岩手県の県行造林(けんこうぞうりん)帯のようだ。
県行造林とは、県が土地所有者と分収契約を結び造林を行い、
その収益を土地所有者と分収することだ。

また、「岩手県行造林真芝事業区」、「水源涵養保安林」と
書かれた掲示板等が建っていた。

長かった宮城県を抜け、ここからは岩手県(陸奥陸中)の
旧奥州街道歩きとなる。




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一関真柴、旧街道

岩手県側の旧街道である。
木立が低くなり、街道が明るくなってきた。

岩手県一関市真柴地区である。
次は、旧奥州街道81番目の宿場で、
田村氏の城下町であった一関宿となる。





詳細リンク:旧奥州街道322「栗原・金成有壁~岩手県境」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成有壁下大沢田、岩手県一関市真柴祈祷沢) 1012/1106

2011/06/18

栗原・有壁上大沢田~下大沢田/旧奥州街道321

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旧奥州街道

旧街道は、肘曲り坂を上ると林間の平坦な道となった。
この先右側に奥州街道と書かれた標識があった。

道が正しいか心細くなっていたので、この標識は嬉しかった。




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旧奥州街道

やがて左側が開けてきた。
気持ちよいハイキングコースのようであった。

この辺の地下を東北新幹線の第二有壁トンネルが通っているところだ。
岩手県との県境はもうすぐのところである。




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下大沢田

旧街道左側の景色である。
広大な原野が広がっている感じであった。





詳細リンク:旧奥州街道321「栗原・有壁上大沢田~下大沢田」/街道写真紀行321
(宮城県栗原市金成有壁上大沢田、下大沢田) 1012/1106

2011/06/16

栗原・有壁伊勢堂~大沢田/旧奥州街道320

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伊勢堂林道分岐

有壁伊勢堂林道との分岐である。
道の右側に、「左 奥州街道」と書かれた未だ新しい標識があった。

右は有壁沢方面である。
正面右手には溜池があった。




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旧奥州街道入口

分岐より伊勢堂林道に入る。
幅員4m、延長1.488kmと書かれた標識があった。

伊勢堂林道を進むと、左側に旧奥州街道の分岐口がある。
道路標識と、旧奥州街道の案内板が建っていた。

ここから頂上にかけての坂道を肘曲がり坂という。
安永年間(1772~1781年)の「有壁村風土記御用書上」に
「肘曲り坂 長三拾間(約54m)」と載っており、江戸時代からの名称であった。




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旧奥州街道、肘曲り坂

林道から旧奥州街道に入る。
深い枯れ草に蔽われ、旧街道というよりは、すっかり山道であった。

この辺を「肘曲り坂」と呼んだようだ。





詳細リンク:旧奥州街道320「栗原・有壁伊勢堂~大沢田」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成有壁伊勢堂、大沢田) 1012/1106

2011/06/15

栗原・有壁本町~館下/旧奥州街道319

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有壁宿本陣

有壁宿本陣の御成門入口に「明治天皇有壁御小休所」と
刻まれた石柱が建っている。
明治9年と明治14年の奥羽巡幸の際に、ここで休憩されたとのこと。

石柱の右側の建物が、街道に面した2階建本陣長屋である。




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有壁宿本町

本町の町並みで、この辺が有壁宿の中心であったのであろう。
ゆったりした間口の広い家と立派な瓦葺家が続いている。

有壁宿を抜けると、再び丘陵越えとなる。

前方の丘陵の中間分で、長かった宮城県から岩手県に変わる。
陸奥陸前から陸中に変わるところだ




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有壁観世音菩薩、観音寺

有壁宿の出口にある観世音菩薩と額柄に書かれた鳥居と、
その右側は曹洞宗円通山観音寺だ。

観音寺の前身は、大同2年(807年)、坂上田村麻呂が三上大明神、
本地観音を建立し、別当有壁山円通寺として開基。
一時は坊舎24坊を数えたが、のち衰退した。

弘治3年(1557年)、この辺一体を支配した有壁城主菅原帯刀長尚が
曹洞宗円通山観音寺として再興したとのことだ。





詳細リンク:旧奥州街道319「金成・有壁本町~館下」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成有壁本町、館下、伊勢堂) 1012/1106

2011/06/13

栗原・有壁宿新町~本町/旧奥州街道318

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有壁宿絵図

JR有壁駅より旧街道に復帰する。
JR東北本線の踏切を越えたところに、有壁宿の絵図が掲示されていた。

左上から右下に伸びる道が、旧奥州街道の有壁宿である。
絵図中央左下がJR有壁駅で、その上が駅前通りである。




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萩野酒造

街道左側にある萩野酒造店。
赤いレンガ積みの煙突が特徴の酒蔵だ。
主要銘柄は古くからの「萩の鶴」と、新しい「日輪田」とのこと。

創業は天保年間(1830~1844年)という。
有壁本陣の佐藤家は萩野酒造の本家とのことだ。 




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有壁宿本陣

有壁宿のほぼ中央を横切っている有馬川を渡ると川沿い北側に
有壁宿の本陣跡がある。
延喜元年(1744年)に改築されたもので、国史跡に指定されている。

仙台藩以北の緒大名の参勤交代、幕府の巡検使等の休息や
宿泊に利用された。
明治になってからは、ロシアのコンシュル(領事)や、明治天皇の
東北巡幸時にも利用された。

御成門、平屋建ての本屋、2階建ての長屋、土蔵6棟、
馬屋1棟からなっている。
代々本陣を務めた佐藤家には、宿場検断文書や、本陣宿泊文書、
佐藤家内度文書等の他、関札74枚が保存されているという。


なお、有馬川は、岩手県との県境付近を源流として、北上川支流の
金流川に流入している河川だ





詳細リンク:旧奥州街道318「栗原・有壁宿新町~本町」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成有壁新町、本町) 1012/1106

2011/06/11

栗原・金成有壁~JR有壁駅/旧奥州街道317

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旧奥州街道

前方にJR東北本線の踏切が見えてきた。

この手前の道を右に曲がると熊口五輪塔(有壁五輪沢経塚)のあるところだ。
「歴史とロマンの町、金成町教育委員会」と書かれた案内標識が、
道角に設けられてあった。

熊口五輪塔は有壁熊口にある藤原秀衡 の家臣、照井太郎高直一族の
供養塔だ。

高直は、文治5年(1189年)、平泉平定の頼朝を迎えた時に討ち死している。
その妻子が落人としてここまで来て、夫の菩提を弔うために積石塚を作り、
その上に五輪塔を建てたのが始まりとのことだ。




59arikabe10s  東北本線踏切

街道を横断するように東北本線の踏切がある。
仙台を出て、久しぶりにJR東北本線との再会である。

旧奥州街道は、仙台からはここ有壁までは東北本線から離れており、
バス便しかなかった。(途中、東北新幹線と陸羽東線の古川駅があるのみ)

JR石越駅と一関駅間は、宮城(石越駅)、岩手(油島、花泉、清水原駅)、
宮城(有壁駅)、そして岩手(一関駅)と3回県境を越える全国でも珍しい
区間となっている。



59arikabe13s  JR有壁駅

有壁駅に行って見た。
平成2年に元の大きな木造の駅舎は取り壊され、今はコンパクトな
駅舎(無人駅)となっていた。

有壁駅は大正13年開業、東京より437.8kmである。
駅には、「時代散歩 第81番宿場 旧奥州街道 有壁宿」と書かれた
幟が2本たっていた。

この辺の標高は76mであった。

駅前通の左側の左側に、旅館(佐藤旅館)がある。
その右隣は「河北新報」と書かれた看板を掲げた新聞取扱店である。
この河北新報は、本社仙台にある東北地方のブロック紙で、
発行部数は48万部である。

「河北」の意味は、明治維新の際、薩長から「白河以北一山百文」と
蔑視されたことにより、東北の意地を見せるべく敢えてネーミングしたとのことだ。





詳細リンク:旧奥州街道317「栗原・金成有壁~JR有壁駅」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成有壁新町、上原前) 1012/1106

2011/06/10

栗原・金成~80有壁宿/旧奥州街道316

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旧奥州街道

東京発7:04の新幹線でくりこま高原駅まで来て、バスを乗り継いで
旧奥州街道に復帰する。

大分旧道は失われているところがあるが、街道筋の夜盗坂(よとうざか)、
十万坂を越える。

この辺の地下は、東北新幹線の第一有壁トンネルのあるところだ。

十万坂は説明板によると、源義家が衣川柵の阿部貞任を
攻略した前九年の駅の時、ここで10万張の弓矢を作り、衣川に
向かったことから、この地名となったとのことであった。

やがて、街道は下り坂となり前方が開けてくると、金成末野の集落が
見えてきた。
有壁宿に向かって、実に快適な下り坂となっている。




59arikabe08s  有壁宿幟

金成有壁に入ると、赤いトタン屋根の民家が見えてきた。
藁葺屋根の上をトタンで被った民家である。


赤いトタン屋根の民家の手前に「旧奥州街道、有壁宿」と書かれた、
未だ新しい幟がたっていた。

もうすぐで、旧奥州街道80番目の宿場・有壁宿である。
こんな幟を見ると、街道歩きの身には、ほっとすると同時に
嬉しくなる瞬間である。

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80有壁宿入口

古い、街道筋らしい家並みとなった。
この辺が有壁宿の入口なのであろう。

有壁宿は、元和5年(1619年)に奥州街道の宿駅の一つとして設けられた。
安永風土記によれば、家数74、町並みの長さは5町4間で、
本陣が設けられていた。

1町60間であるから、約550mの町並みであった。
この先にJR東北本線の踏切があるところである。





詳細リンク:旧奥州街道316「栗原・金成~80有壁宿」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成末野、有壁) 1012/1106

2011/06/08

栗原・金成庁舎~JRくりこま高原駅/旧奥州街道315

57sawabe18s  金成庁舎前バス停

栗原市金成総合支所内にあるバス停「栗原市金成庁舎前」である。
ここより高速道路経由の仙台行きバスが出ている。
東日本急行の高速バス「仙台ー栗原市金成庁舎前線」という。

午後は13:15、14:15、16:15、17:15、19:15のバスがあったが、
予定より早く、14:15のバスに乗ることができた。




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JRくりこま高原駅

金成庁舎前から高速バスに乗り、約15分で、くりこま高原駅西口に到着。

くりこま高原駅は、東京より416.2kmで、東北新幹線雄単独駅である。
平成2年に開業した新しい駅である。

当初建築中の時の駅名仮称は「栗原登米」であったが、
開業時は「くりこま高原」駅となった。
開業当時の地名は、栗原郡志波姫町であったが、平成17年の
市町村合併に伴い、栗原市の駅となっている。

東京駅までの新幹線の指定席を取ろうとしたが、満席とのことであった。

諦めて、東京行き「やまびこ」14:57発の自由席に乗る。
乗車時はガラガラであったが、途中よりほぼ満席となった。

東京に着いたのは、17:28であった




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くりこま高原駅前広場

新幹線の待ち時間を利用して、駅前を散歩してみる。
写真はくりこま高原駅西口のモニュメント広場である。

大きな水車には「民心豊楽」とあり、「東北新幹線開通記念の詩」碑、
「みあれ くりはら」の碑、「方位の標柱」等が設けられている。

また、法務大臣、運輸大臣、労働大臣等を務めた衆議院議員の
長谷川峻の胸像もあった。

「みあれ」は御阿礼(みあれ)のことであろうか。
御阿礼(御名)は、神または貴人の誕生、降臨すること。

「みあれ くりはら」の意味は、一寸気になり調べてみたが分らなかった。





詳細リンク:旧奥州街道315「栗原・金成庁舎~JRくりこま高原駅」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成沢辺、志波姫新熊谷) 1011/1106

2011/06/05

栗原・金成宿~金成庁舎/旧奥州街道314

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金成歴史資料館

金成歴史資料館、かつての金成小学校である。
明治41年に建てられたもので、和洋折衷の木造素木造り、銅板葺の建物だ。

宮城県文化財に指定されている。

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金成宿中町、町並み

旧街道に復帰する。
ここは、かつて金成宿出口の枡形であったのであろうか。
道がゆるいS字型になっている。

正面に小高い山並み(丘陵)が見えてきた。
地形図で見ると標高100mから150m程の丘陵地である。

次の宿場は、この丘陵を越えて反対側の有壁宿
である。

今回の街道歩きは、金成宿の出口付近で中断して、
今歩いてきた道を
金成沢辺にある栗原市金成総合支所まで
約2kmの道を歩いて戻った。




57sawabe23s  金成庁舎

金成総合支所(庁舎)である。

仙台行き高速バスの停留所はこの金成庁舎敷地内にある。
バスの待ち合わせの時、この庁舎の中のトイレを借用する。
市の職員の方の気持ち良い応対に感謝であった。





詳細リンク:旧奥州街道314「金成宿中町~金成庁舎」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成中町、金成沢辺) 1011/1106

2011/06/03

栗原・金成宿上町~中町/旧奥州街道313

58kannari15s  金成正教会

日本では珍しいロシア正教・金成ハリストス正教会で
昭和9年に建てられたもの。
函館ハリストス正教会の設計者である河村伊蔵の最後の作品であった。 

金成出身の酒井篤礼(とくれい)は、函館で医業を営んでいる時に、
友人の沢辺琢磨とともに、ロシアの宣教師より日本人として始めての
洗礼を受ける。

明治2年に金成に戻り、ハリスト正教の布教を開始するが
捕捉され2年間獄舎に入る。

その後、東京でニコライに師事し、再び金成に戻り、
仮会堂を建て布教活動を始める。

しかし人々の迫害を受け、明治12年に仮会堂は破壊されてしまう。
その後古い民家を買い取り教会を建設、信者の数も124名を数えるようになった。

酒井篤礼は、生涯を医業とハリスト正教の伝道に捧げ、明治14年、
46歳で盛岡で永眠している。



58kannari14s_2  けやき会館

金成郵便局の裏にある金成総合支所けやき会館で、昭和61年に開館した。
ミニコンサートのできる大ホールや、会議室、研修室などが備えられている。

ここは、かつて金成代官所があったところで、
入口に明治天皇御駐輦所跡碑が建っていた。




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金成大ケヤキ

けやき会館の前にある大欅。
栗原市の天然記念物に指定されている巨木だ。





詳細リンク:旧奥州街道313「栗原・金成宿上町~中町」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成上町、中町) 1011/1106

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