九州、他

2015/09/06

熊本城と小倉城/宮本武蔵所縁

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熊本城

宮本武蔵は、57歳の時(寛永17年)藩主細川忠利に招かれ、
熊本城内千葉城に屋敷を与えられ、晩年を過ごしたようです。

写真は熊本城と石垣です。
清正流とも呼ばれた見事な石垣ですね。




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小倉城

そして、
宮本武蔵の養子・宮本伊織は小倉藩の筆頭家老となっています。

掘り起こすと、いろいろと面白いですね。
写真は、その小倉城です。





(熊本市、北九州市 小倉) 6503、0804/1509


2015/08/14

長崎

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長崎被爆70年。
写真は原爆中心地の北側の丘にある平和祈念像。

像の高さ9.8m、台座3.8mの青銅製で、
昭和30年に完成したものです





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長崎の大浦天主堂(正しくは、日本二十六聖殉教者天主堂)で、
国宝に指定されております。

江戸時代末期
(元治元年)に建築されたものです。



(長崎市)  6503/1508

2013/01/01

謹賀新年 平成25年元旦

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明けましておめでとうございます。

旧年中はいろいろとお世話になりありがとうございました。
また、本年もよろしくお願い致します。

 

                         管理者 Hitosh

2010/03/24

筑前・木屋瀬宿~遠賀川/旧長崎街道

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木屋瀬宿東構口(入口)

高速道路、九州自動車道を潜ると
遠賀川(おんが)沿いにある筑前六宿の二番目の宿場、
木屋瀬(こやのせ)宿に入る

写真右手の家は、宿場の東側入口である東構口(ひがしかまえくち)傍の

家で、かつては醤油の醸造業を営んでいたという


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木屋瀬宿街並み

1枚目写真左側の家並みでも判るように
木屋瀬宿は矢止めと言われる家並みと成っている

家の並びが直線ではなく、鋸の歯の様に凸凹になっているのだ


また、街道からの路地(下写真)は総て袋小路となっている
宿場の治安警備のしやすさを考えた家並である





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問屋場跡


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船庄屋跡(梅本家)

遠賀川河岸で、「川ひらた」と呼ばれる年貢米を運ぶ権利を持つ川船を
管理していたのが船庄屋(梅本家)であった

江戸時代末期で24艘の川ひらたを保有していた
また、当主の梅本家は油屋(やましも)の屋号で、酒醸造業も営んでいた

明治に入って醤油醸造にも携わったが明治10年代で廃業したとのこと
なお、この建物は江戸末期の建築で、
木屋瀬宿を代表する町家の一つとなっている

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旧高崎家

高崎家は屋号を柏屋(かねたま)と云い
豪商であった本家柏屋(こちらは、かねしめ)の7代目
高崎四朗八義辰(寛政7年生、1795年)が分家して創立した家

文政8年(1825年)から町年寄りを勤めていた

当家の5代目は、放送作家伊馬春部(本名は高崎英雄)として
ラジオドラマ「向こう三軒両隣」や「屏風の女」等で活躍した人である

この建物は天保6年(1835年)建築と推定されている
家の内部が公開されていた

ここで生まれた方からのメールによると、
頼山陽や伊能忠敬がここに寄宿したとのことであった
また、高杉晋作を床下に匿ったということもあったようだ




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遠賀川

木屋瀬宿の西構口を抜けると遠賀川の土手に出る
旧長崎街道はこの川沿いの道であった

また、此処には「従是右赤間道、左飯塚道」の道標が立っていた
赤間道とはこの遠賀川を渡って唐津へ向かう街道である

次は、遠賀川上流の、旧長崎街道3番目の宿場・飯塚宿となる




詳細リンク:旧長崎街道4「筑前・木屋瀬宿~遠賀川」/街道写真紀行
(福岡県北九州市八幡西区木屋瀬)  0806/1003

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