旧奥州街道4

2010/08/27

国見・貝田~宮城県境/旧奥州街道167

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貝田・最禅寺

貝田宿出口にある枡形の最初の角を左に曲がったところに、
貝田番所跡がある。
かつては、口留番所と呼ばれていた。

仙台藩と境を接していた為、旅人の通行を厳しく取り締まっていた。
なお、出入口を押さえるという意味で、口留番所と称していたようだ。

枡形の2番目の角に、曹洞宗最禅寺(上写真)がある。

この手前を旧街道は右折して、奥州街道56番目の宿場で、
仙台藩最初の宿場・越河(こすごう)宿へ向かっていた。

最禅寺の参道には多数の庚申塔が集められてあった。




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国道4号線/貝田

最禅寺の前の道より、国道4号線に合流する。

東京より292.8kmとの道路標識である。
これは国道の距離であるので、実際の旧街道とは異なっている。

今、集計してみると、実際の歩行距離は329.1kmであった。
約12%、旧街道の方が長くなっている。

因みに東北本線の営業距離は、東京駅と貝田駅間で294.9kmとなっている。
鉄道と国道は、ほぼ同じ距離であった。


この切通しの左上の木陰の中の白い建物がJR貝田駅(写真左端)である。

JR貝田駅は東北本線で福島県最北の駅だ。
当初は貝田信号場として、大正11年に開設したこともあり、
国道4号線からの接続道路も狭いし、駅前広場のようなものもない。

貝田駅として開業したのは昭和27年である。



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福島県、宮城県境

JR貝田駅の前を過ぎると、福島県と宮城県の県境となる。
前方に見える高架は東北自動車道だ。

ここから、福島県国見町から宮城県白石市に変わる。




詳細リンク:旧奥州街道167「国見・貝田~宮城県境」/街道写真紀行
(福島県国見町貝田) 1003/1008

2010/08/25

貝田宿~出口枡形/旧奥州街道166

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貝田宿古絵図

貝田宿の中心部にある大きな説明板に、
元禄年間(1687~1703年)の貝田宿の絵図が描かれてあった。

左側が入口厚樫山方面で、右が出口方面である。
街道に沿って家並みが続いている様子が描かれている。
典型的な細長い宿場町となっている。

道路中央に書かれてある文字は、御制札場と読める。
中央部で街を縦断している川が風呂沢川(姥上沢)で、

橋の名前が風呂沢橋となっている。

貝田宿説明板の横に、俳聖松尾芭蕉行脚記念木柱が立っていた。

「奥の細道」より
「遙かなる行末をかかへて、かかる病おぼつかなしといへど、
羈旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路に死なん、
これ天の命なりと、気力聊かとり直し、路縦横に踏んで
伊達の大木戸を越す」と記されてあった。



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貝田宿・出口枡形

旧街道はここで左折となる。真っ直ぐ行くと国道4号線に合流である。
この辺が貝田宿の出口で、枡形となっている。

道標には「左貝田番所跡、正面本通県境」と記されてあった。
また、中央の標柱には「おくのほそ道自然歩道終点」と書かれてある。

この「おくのほそ道自然歩道」は白坂明神からここ国見町貝田までで、
福島県県民室編「福島版おくのほそ道自然歩道」として
昭和46年に出版(1500円)されている。



33kaida27s  岡田盛正翁碑

枡形を左折すると、民家の脇に岡田盛正翁記念碑があった。
術流観流、明治28年門弟中建立と読めた。

この岡田盛正は和算家で、近くの水雲神社(国見町貝田)に
算額(3問)を明治31年に奉納している人だ。

この算額とは、和算家が自分の発見した数学の問題や
解法を書いて神社に奉納した絵馬のことだ。

江戸時代中期の寛文年間(1661~73年)の頃より始まった風習で、
現在全国に約800余面の算額が現存している。

数学の問題が解けたことを神仏に感謝し奉納したようだ。




詳細リンク:旧奥州街道166「国見・貝田宿~出口枡形」/街道写真紀行
(福島県国見町貝田) 1003/1008

2010/08/24

55貝田宿/旧奥州街道165

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国見・貝田

国道4号線の下を潜り反対側に出る。
貝田宿への道は、この果樹園と畑の中の坂道であったが、今は失われている。

遠く、阿武隈高地が望める景色の良いところだ。
右端の山が霊山である。




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貝田宿入口、三ツ石

国道4号線から別れ、細い坂道を登ってくると、
写真右側の「奥州街道 貝田宿入口」と書かれた表示板に歓迎される。

この辺は枡形になっていたところで、かつては右下から街道が続き、
ここで右折となったようだ。

写真右端の標識のあるところには貝田宿入口にある三ッ石がある。

同じような石が行儀良く三つ並んでおり、昔からの目印であった。

ここに国土地理院の水準点があり、標高は151.8mである。

貝田宿は緩い坂道の途中にある宿場である



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貝田宿町並み

この辺が貝田宿の中心部であったようだ。
貝田宿の大きな説明版があった。

古地図によると、この辺に検断屋敷、制札場(せいさつば)が置かれ、
この左手に問屋場を兼ねていた名主伊左衛門の居宅があった。

石垣によって区切られた屋敷割りは江戸時代からのもので、
町中を流れる風呂沢川(姥上沢)を挟んで、道幅4間(7.3m)、
長さ4丁(435m)の街道沿いに、60戸前後の家並みが続いていた。




詳細リンク:旧奥州街道165「国見・高城~55貝田宿」/街道写真紀行
(福島県国見町高城、貝田) 1003/1008

2010/08/23

国見・大木戸~高城/旧奥州街道164

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旧街道/大木戸

大木戸小学校を過ぎると、正面に山が迫ってきた。
この先の山裾が貝田宿のあるところである。

この辺は山と阿武隈川に挟まれた狭隘の地域で、現在でも東北道、
JR東北本線、国道四号線、旧奥州街道等が厚樫山山麓を並行して
走っているところだ。

街道の天然の大木戸と言う感じで、「大木戸」の字名が付いたのであろうか。
ここは、まだ伊達藩ではないが「伊達の大木戸」とも呼ばれていた。

松尾芭蕉が「奥の細道」で、「路縦横に踏んで伊達の大木戸を越す」と
記録している。




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阿武隈高地遠望

旧街道から右側を見た写真だ。
視界が気持ちよく開けている。

背後の山は阿武隈高地で、中央が霊山(825m)である。




33kaida17  国道4号線交差点

正面に国道4号線との交差点が見えてきた。
旧街道はここから国道4号線の反対の山側の道となる。

旧道は国道4号線の下を潜り、反対側に出る。
いよいよ福島県最北端で、奥州街道45番目の宿場貝田宿となる。




詳細リンク:旧奥州街道164「国見・大木戸~高城」/街道写真紀行
(福島県国見町大木戸、高城) 1003/1008

2010/08/21

国見・森山~大木戸/旧奥州街道163

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旧街道・峠/国見町森山

県北中学の横を通り、しばらく進むと、正面に峠が見えてきた。
厚樫山(阿津賀志山、289m)に連なる尾根越えとなる。

ここが奥州合戦の古戦場で、往時は阿津賀志山の中腹から、
ここを通り阿武隈川(古代の流路)まで延長3.3~4kmの防塁が
出来ていたという。

源頼朝が率いる鎌倉軍に対して、奥州軍(藤原氏側)が、
この地を陸奥の防御ラインとして、大防塁を構築し2万余騎が布陣したという。




33kaida06s   阿津賀志山防塁跡

防塁のあった位置には、「阿津賀志山防塁横断地点」と
書かれた標識が出ていた。

阿津賀志山は、文治5年(1189年)の奥州合戦の帰趨を決定付けた
最大の決戦場であった。

峠の頂上に一等水準点がある。4個の石に囲まれた丸みを帯びた角柱である。
水準測量に用いる際に標高の基準となる点で、
国土地理院が基本測量点として設置管理している。

旧国道や主要街道沿いに約2km(半里)毎に埋没されている。
ここで、標高78.7mである。

この水準点を探すのも、旧街道歩きの楽しみの一つとなっている。




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峠より阿武隈高地

国見大字森山から大木戸に入る。
街道より右側(南南東)側を見た写真で、阿武隈高地が見渡せるところだ。

山座特定のため、角度を測って「カシミール3D」で確認すると、
一番右端が霊山(825m)であった。

手前の果樹園は、作業していた人に確認すると柿の木だそうだ。
気候と土壌が合い、柿の栽培に適しているとのこと。
秋の生柿と、冬季のあんぽ柿(干し柿)は国見町の特産品となっている。

峠を下ると、右側に大木戸小学校がある。

この小学校の手前の道を右に入ると、岩淵遺跡(町史蹟)のあるところだ。
高城の中山原にある縄文時代中期(4500年前頃)の竪穴式住居跡があり、
当時の竪穴式住居が復元されている。

大木戸は、明治9年に西窪村が大木戸村と改称されている。
その後、明治22年には大木戸、高城、貝田、光明寺村が合併して
大木戸村となった。
そして昭和29年に合併して国見町となっている。

又、大木戸は奥州軍の本陣(貝田)のあったところである。




詳細リンク:旧奥州街道163「国見・森山~大木戸」/街道写真紀行
(福島県国見町森山、大木戸) 1003/1008

2010/08/18

国見・藤田~森山/旧奥州街道162

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旧街道/藤田・町尻

藤田宿を出ると、街道はやや下りとなる。

左端の山が 鎌倉軍と藤原氏が戦った奥州合戦の古戦場である
厚樫山(あつかしやま、289m)だ。

文治5年(1189年)の奥州合戦の際は、この山一帯が戦場であったようだ。
その時造られた二重堀(阿津賀志山防塁)が、
山中から山麓にかけて現存している。

現在は、山頂まで車道が出来、山頂には展望台が設けられているという。




32fujita26s  滝川

滝川を渡ると、国見町大字藤田から大字森山地区に入る。
正面の橋は国道4号線だ。

滝川は福島県と宮城県境の馬頭山(678m)南東麓を源流とする川で、

阿武隈川に流入している。

この先で旧街道は国道4号線に一時合流する。
左手に、頂上に弁慶の硯石のある硯石山があるところだ。

弁慶が頂上にあるこの石で墨を摺り、
義経に同行しようと駆けつけてくる武士の名を記したと伝えられている。



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国道4号線分岐/国見・森山

国道四号線に合流し少し歩くと、旧街道は右側の細い道となる。
この写真右手に国見町立県北中学校のあるところだ。
住所は国見町大字森山字西上野である。

国見町の北側が、宮城県の白石市となる。
県北中学校は、文字通り福島県の北端の中学校である。

昭和25年に当時の各町立小坂中、藤田中、森江野中が合併して
県北中として開設されたのが始まりである。
昭和36年には、大木戸中、大枝中国見分校を統合して
国見町唯一の中学校となっている




詳細リンク:旧奥州街道162「国見・藤田~森山」/街道写真紀行
(福島県国見町藤田、石母田、森山) 1003/1008

2010/08/17

国見・藤田宿北/旧奥州街道161

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藤田宿土蔵

藤田宿の北地区(大字藤田字北)に入ると、
街道左手に往時を思わせる土蔵がある。

入口には「ご自由にお入り下さい、村上医院」と張り紙がしてあった。
村上医院は、内科、消化器科、循環器科、外科、皮膚科を
標榜している医院だ。




32fujita18s  奥山家洋和館

その先左側に一見変わった建物がある。
この地方では数少ない和洋両方の接客空間を備えた奥山家住宅で、
国登録有形文化財となっている。

大正10年に建築されたものだ。
西洋館は八角の塔屋を持ち、外壁はタイル貼り、
土台は高い積石となっている。



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藤田宿出口枡形

藤田宿の出口付近の枡形である。ここで右折し、すぐ左折となっている。

正面の神社は鹿島神社である。
鎮守府将軍大野東人が蝦夷征伐で陸奥に来て、
養老~神亀(717~728年)に掛けて藤田柵を築き、丑寅の方向に
鹿島神社を鎮座したのが始まりとか。
その地が、今の古鹿島である。


永禄年間(1558~69年)社殿が焼失し、元亀年間(1570~72年)に、
地頭藤田兵庫により再建された。

そして、享保9年(1724年)に古鹿島の地からここに遷座されたとの事。

神社境内に、国見町のあつかし俳句会のメンバーが
昭和62年に建立した句碑である。

上段に会員の俳句3句、下段に建碑の趣意と3句が刻まれてあった。
昔から奥州街道を行き来する多くの人がを足を留め、
また歌や句を残した厚樫山(289m)の伝統を
今も継いでいこうという趣意のようだ。

  その中から一句
  「山麓に 芭蕉の碑あり 夏木立」





詳細リンク:旧奥州街道161「国見・藤田字北~鹿島神社」/街道写真紀行
(福島県国見町藤田字北) 1003/1008

2010/08/15

国見・藤田宿観月台/旧奥州街道160

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観月台公園

街道左側を少し入ったところにある桜の名所・観月台公園。
もと農業用灌漑池のあったところで、今は公園として綺麗に整備されている。

正面の建物は平成6年にオープンしたばかりの 観月台文化センターだ。
シンボルタワーの高さは28mで、展望室が出来ている。

図書館や入浴施設、コンサートホールまで備えた立派な施設である。
また、公園内には体育館や、県指定文化財である旧佐藤家住宅も
移設されている。

観月台文化センターの北側には、北古館、南古館等の字名が残されている。
かつての藤田城のあったところだ。

奥州合戦の時、源頼朝が本営としたところで、
以後伊達氏の一族藤田氏の居城であった。
南北朝に、北朝軍に攻められ落城している。

9月には国見町義経まつりが行われている。
この公園で出陣式を行い、鼓笛隊・武者行列が藤田商店街をまわるという。



32fujita13s  JR藤田駅

観月台公園近くのJR東北本線藤田駅。明治33年に開業している。
東京駅より289.3kmの距離だ。



32fujita14s  大千寺

街道に戻ると、すぐ左側に大千寺がある。
正しくは、浄土宗感動山西根院大千寺で、開山は天正3年(1575年)である。

秋葉大権現立像、不動明王立像、六地藏尊が
国見町指定文化財となっている




詳細リンク:旧奥州街道160「国見・藤田字観月台~南」/街道写真紀行
(福島県国見町藤田、山崎) 1003/1008

2010/08/12

国見・54藤田宿/旧奥州街道159

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国見町入口

前方に交差点が見えてきた。
旧街道と、県道46号線(白石国見線、七ヶ宿街道)との交差点である。

国見町に入るとすぐ左側に堰下古墳がある。
直径約20m、高さ3mの円墳で、古墳の表面には石が敷き詰められている。
出土した埋葬品より古墳時代中期の5世紀後半と推定されている。




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藤田宿枡形

県道46号線を渡ると、街道は一番右の道である。
藤田宿入口の枡形で、この先で今度は左に曲がっている。

左の道はJR藤田駅方面である




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54藤田宿町並み

枡形を抜けると、奥州街道の54番目の宿場・藤田宿である。
藤田宿は代官のいる桑折宿と違い、旅人や付近の人にとって
気楽な宿場であったらしい。

そのためか、付近の人や半田銀山の人が旅籠や湯屋に入り浸りと
賑やかであったようだ。
嘉永5年(1852年)で、旅籠は14軒もあった。

なお、この藤田宿は、今は伊達郡国見町(くにみまち)藤田となっている。
昭和29年に、藤田町と森江野、大木戸、大枝、小坂の4村が合併して
国見町となってからだ。

町名の由来は藤田宿の北東にある厚樫山(あつかしやま、289m)が
国見山とも呼ばれていたことによる。

この厚樫山は以前は阿津賀志山と書き、源頼朝が平泉の藤原氏を
攻めた時の古戦場である。
阿津賀志山の戦いは奥州合戦最大の激戦地であったようだ。

その時築かれた二重掘と呼ばれる防塁壁が今でも残されている。
この合戦で手柄を立て、伊達郡を賜ったのが中村朝宗で、
常陸国より移住し、伊達氏と称した。
初代の伊達氏である。





詳細リンク:旧奥州街道159「国見・泉田~54藤田宿」/街道写真紀行
(福島県国見町泉田、藤田) 1003/1008

2010/08/11

桑折追分/旧奥州街道158

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桑折追分

東北本線福島駅発7:03の電車に乗り、桑折駅に着いたのが、
7:16であった。
そして、桑折駅から前日に中断した旧奥州街道に復帰する。

今日は藤田宿、貝田宿、宮城県の越河宿、斎川宿を経て、
白石宿まで踏破予定である。

今回で長かった福島県を終り、いよいよ宮城県に入る。
さぁ、元気を出して出発である・・・・

桑折駅口を出ると、程なく奥州街道と羽州街道(左側)の追分である。

江戸と出羽国を行き来するには、この羽州街道を通り、
桑折追分で奥州街道に合流するコースが普通であった。
ここを通る参勤交代の大名は十数藩にも及んだ。

羽州街道は桑折から山形、新庄、横手、六郷、久保田(秋田)、
能代、大館、弘前、そして青森に至る街道である。

この内、桑折から上山(山形県)までを七ヶ宿街道とも呼んでいた。


桑折追分は綺麗に整備され、真新しい休憩所も出来ていた。
そして道路拡張で散在した庚申塔や地中に埋まっていた
古道標等の石柱や、柳の句碑もここに集められてあった。

柳の句碑(左端)は、約230年前に俳句の師匠であった
ト而翁の急逝を悼み、その徳を慕って桑折社中の友が
ここ追分に建てたものである。

ト而翁の句は、安永8年(1780年)夏五月
   「夕暮な 恋の通婦 柳哉」と読めた。


ト而翁は酒好きでもあったようだ。

当時の桑折宿は、参勤交代や芭蕉の奥の細道行脚以降文人の往来が多く、
中央からの文芸の情報が得られやすく、俳諧への関心も高まっていた。

特に、佐藤馬耳の仙台藩主吉村公との歌会や、芭蕉追善句会の
歌仙を巻くなどの活躍で俳諧が盛んとなり、
近郷への発信地ともなっていたようだ。




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半田山

桑折宿を出ると街道左手には半田銀山で知られた半田山(863n)の
雄姿がよく見える。

半田山山麓にある半田沼は、伝説の沼としても知られている。
源義経が平泉の藤原秀衡を頼り、この沼を通った時、
金銀を背にした牛が暴れて沼に落ち、以来この沼の主になったという。
その牛は人を襲うので、沼に近づかないようにと伝承されていたようだ。

もっともこの半田沼は旧半田沼のことで、
半田山の明治の陥没地すべりで埋まってしまった。

今の半田沼はこの地すべりで出来た新しい沼である。
付近一帯は半田山自然公園として整備されている。



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旧街道/桑折北半田

桑折宿・南半田を抜け、北半田に入る。

北半田を過ぎると桑折町から国見町に変わる。
かつての奥州街道54番目の宿場・藤田宿があったところである。




詳細リンク:旧奥州街道158「桑折・追分~北半田」/街道写真紀行
(福島県桑折町南半田、北半田) 1003/1008





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