旧奥州街道2

2010/01/13

須賀川・岩瀬の渡し/旧奥州街道69

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岩瀬の渡し坂

岩城街道を追分を越えると、須賀川宿北町に入る。
地名の如く、須賀川宿の最北端である。

今はその痕跡は無いが、かつては黒門と呼ばれる木戸があり、
その門を潜ると、急な下り坂となっていた。


傍の標識に「岩瀬の渡し坂」と書かれてあった。
今は車が通れるようになっているが、以前はもっと急な坂であったようだ。

この坂の下った所で、現釈迦堂川の土手に突き当たる



20sukagw48s  岩瀬の渡し歌碑

釈迦堂川の土手の下に歌碑があった。
字か掠れて読みにくかったが、
「陸奥の 岩瀬の渡し 水越へて みつまき山に 雲ぞかかれる」

と読めた。

万葉集に出てくる歌である。
みつまき山とは歌枕で有名な「岩瀬の森」とのことである。

岩瀬は元の石背の国で、須賀川には国府があり、
この近くを古代の東山道が通っていた。



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釈迦堂川、岩瀬の渡し跡

釈迦堂川である。此の辺が、古代の東山道の岩瀬の渡しがあったところだ。
江戸時代中期頃からは、木製の中宿橋が架けられていた。
しかし、2年に一度は増水で流され、その度に架け直されていたようだ。

写真右端の橋は現在の中宿橋である。

釈迦堂川は、岩瀬郡天栄村の鬼面山(きめんざん、1021m)を
起点とする川で、須賀川のこの北側で阿武隈川に合流している川だ。
合流付近は、夏になると度々水害を起こすところであったようだ。

現在の中宿橋の袂には常夜灯が設けられていた。
この橋を渡り、対岸の中宿に向かう。

次は旧奥州街道の間宿の滑川である。



詳細リンク:旧奥州街道69「須賀川宿・北町~岩瀬の渡し」/街道写真紀行
(福島県須賀川市北町、古屋敷) 0910/1001

2010/01/11

須賀川城跡~神炊館神社/旧奥州街道68

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須賀川城跡/二階堂神社

ホテルを朝の6:40に出発し、
先ず訪れたのが諏訪町にある須賀川城跡である。

須賀川城の本丸跡は、現在二階堂神社となっている。
須賀川城主の二階堂氏は、鎌倉幕府政所執事 二階堂氏の一族で、
南北町動乱の時、領地のあった須賀川に下向し、土着した名族である。

戦国時代になると、米沢の伊達氏、会津の芦名氏の強敵に囲まれており、
家名の存続が厳しい状況であったため、
二階堂盛義は一子盛隆を芦名の養子に出した。
しかし本人が天正9年(1581年)に死去し、嫡子がいなくなった。

その為、二階堂氏は、伊達政宗の伯母である盛義の妻、大乗院が
城主の座についていた。
そこへ、奥州の伊達政宗が攻め込み、
天正17年(1589年)、須賀川城を陥落させた。

負けた天乗院は、正宗の庇護を受けず、
岩城家に養子に行っている兄親隆を頼っている



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神炊館神社

神炊館(おたきや)神社、主祭神は建美依米命で、成務天皇の御代、
初代岩背国国造として当地に赴任した。

着任すると、社檀を築き、収穫された新穀を炊いて、天神地祇を捧げて、
政治の成功を祈願した。
この故事にちなんで、社檀様(しゃだんさま)と呼ばれたが、
その後社殿が築かれ、神炊館神社と名付けられた由。

室町時代に、須賀川城主であった二階堂為氏が、
信州諏訪神を合祀したことから、「お諏訪様」とも呼ばれていた。

江戸時代に朝廷より「諏訪大明神」として、正一位の位を授かり、
諏訪大明神が神号として用いられたが、明治11年に、
現在の社名である神炊館神社に戻っている。

須賀川の総鎮守で、松尾芭蕉も訪れている古社である。
なお、この辺の地名は今も諏訪町となっている。




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神炊館神社参道

神炊館神社参道にある商家である。

富士防災資材株式会社の看板が架かっていた。
消防設備、用品、保守点検を行っているようだ。

須賀川には、今でも古くからの建物が何軒か残されている




詳細リンク:旧奥州街道68「須賀川城跡~神炊館神社」/街道写真紀行
(福島県須賀川市諏訪町) 0910/1001

2010/01/08

須賀川・五老山~治部稲荷坂/旧奥州街道67

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翠ヶ丘公園、五老山

翠ヶ丘公園の五老山は、毎年11月に行われる、
須賀川名物の火祭り、「松明(たいまつ)あかし」の舞台となるところである。

天正年間(1573~1591年)、須賀川城は伊達政宗に攻められ落城した。
毎年11月に行われる、日本三大火祭りの一つである「松明あかし」は、
この時戦死した人々の霊を弔うために始められた祭りである。

「松明あかし」は、須賀川城跡に建つ二階堂神社で
奉受された御神火(松明)を、若者によって市内を一巡してから、
会場となるここへ運ばれる。

また、長さ10m、重さ3トンもある、大松明が担ぎ出され、
町を練り歩き、ここに運ばれてくる。

そして、運ばれてきた大松明約30本をここに立て、一斉に点火し、
松明太鼓が鳴り響くと言う豪壮な祭りである。




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治部稲荷坂

翠ヶ丘公園から、急な坂道・治部稲荷坂を登って、
須賀川宿の中心・本町へ戻る。
写真はその途中の坂である。

写真左端が坂名の由来となった治部稲荷神社である。

須賀川領主、二階堂氏の一族で、須賀川城代を務めた治部大輔を
祀った神社である。



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須賀川市街

須賀川市本町交差点の近くにある、サンルートホテル須賀川の部屋の
窓から東側の市街を撮影した写真である。

こんもりした木立のあるところが、翠ヶ丘公園で、
背後の山並みは阿武隈高地である。




詳細リンク:旧奥州街道「須賀川・五老山~治部稲荷坂」/街道写真紀行
(福島県須賀川市愛宕山外、東町、加治町) 0910/1001

2010/01/07

須賀川・愛宕山/旧奥州街道66

20sukagw28s  庚申坂(池上町坂)

十念寺、金徳寺の前を抜けると、急な下り坂となる。

古くは、須賀川町内から浜屋に行く古道で、
坂の中頃に庚申塔があったことから庚申坂と呼ばれていた。

また、この坂の上に鋳物屋があり、出来上がった鍋等を転がし
出来具合を確かめていたので、「鍋ころがし」とも呼ばれていたようだ。  



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須賀川(下の川)

池上町の旧坂を下ると、須賀川(通称下の川)の土手に出る。

須賀川は中世以来からの地名で、「川の洲のあるところ」の意とのことである。
その中心のこの須賀川は、阿武隈川と釈迦堂川の合流点南部の
台地を流れる川である。

この須賀川の両側には、約1kmにわたり196本の桜が植えられている。




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愛宕山(翠ヶ丘公園)

須賀川に架かる見晴橋を渡ると、
目の前に中世の須賀川城(二階堂氏)があった愛宕山がある。
今は広大な翠ヶ丘公園となっている。

翠ヶ丘公園の一画となっている旧武家屋敷跡には、
歴史民族資料館と市立博物館が出来ている。

公園内には、新池、琵琶池があり、
これが池上町の地名の由来となっているようだ。

なお、戦国時代に、須賀川城は今の須賀川市街(諏訪町)に移っている。
本丸跡が二階堂神社となっているところだ(後述)。

愛宕山の急な階段を登ると、不動堂の近辺に古い常夜灯や
石碑、石仏が並べてあった。
また、愛宕山の北麓の本丸跡には愛宕神社がある。

なお、愛宕神社が出来たのは江戸時代で、それ以前は、
愛宕山は岩瀬山と呼ばれていた。




詳細リンク:旧奥州街道66「須賀川宿・池上町~愛宕山」/街道写真紀行
(福島県池上町、愛宕山外)  0910/1001

2010/01/05

須賀川宿中町~池上町/旧奥州街道65

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中町あきない広場

本町交差点を抜けると、中町に入る。
左側に未だ新しい、中町あきない広場があり、
若者グループのライブ演奏が行われていた

このあきない広場は、中町郵便局跡に出来た建物である
須賀川市市民相互の交流、賑わいの創出、産業の振興を図るために
設置されたとのこと




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十念寺

開山は文禄元年(1592年)、浄土宗名越派の本山である
下野大沢(現益子町)の円通寺の末寺として、
良岌上人により開創された寺である

元禄2年(1689年)に、松尾芭蕉が須賀川に滞在した時に、
この寺を参拝している
それを記念して、安政2年(1855年)に、
須賀川の俳人市原多代女(たよじょ)により、
芭蕉の「風流の はじめや奥の 田植え唄」の句碑が建てられている

なお、市原多代女は、安永5年(1776年)に須賀川で生まれた
造り酒屋に嫁入りしたが、そこの主人が31歳で亡くなり、
後を継いだ多代女は苦労しながら家業を盛り立て、その傍ら俳句に打ち込み、
全国的に有名な女流俳人となった
90歳で亡くなるまで、4千以上の句を残している

境内には、東京オリンピックのマラソンで銅メダルとなった
円谷幸吉の墓がある
また、境内の推定樹齢500年のイチイは、福島県の緑の文化財に
指定されている

十念寺の境内にある市原多代女の句碑には、
辞世の句「終に行く 道はいづくぞ 花の雲」と刻まれてある。

松尾芭蕉の句碑と、この市原多代女の句碑は指定文化財となっている。




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金徳寺

十念寺に隣接した金徳寺(こんとくじ)
こちらは時宗の寺で、神奈川県の藤沢にある時宗の総本山
清浄光寺(通称遊行寺)の末寺である

本山の遊行寺は旧東海道五十三次を歩いた時に立ち寄った寺で、
懐かしかった

十念寺は、伊達正宗に滅ぼされた二階堂城の城主二階堂家、美千代姫の
菩提寺であった
また、歌舞伎の2代目尾上松禄の墓がある

境内に金徳寺の開山塔がある
当寺の開山上人(7代目遊行上人)である托阿上人直筆の名号開山塔である

名号(みょうごう)は、菩薩の名で、石塔には「南無阿弥陀仏」と
見事な書体で、大きく彫られてあった
建武4年(1377年)と説明板に書かれてある
室町幕府が成立した翌年のことである




詳細リンク:旧奥州街道65「須賀川宿中町~池上町」/街道写真紀行
(福島県須賀川市中町、池上町) 0910/1001

2010/01/04

須賀川宿本町~会津街道追分/旧奥州街道64

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軒の栗庭園

可伸庵の路地から、旧街道に復帰すると、その角に軒の栗公園がある。
元禄2年(1689年)6月9日(陰暦4月22日)、芭蕉と曾良が等窮宅に到着、
翌日夕、裏手の可伸庵を訪れた時に
「世の人の 見つけぬ花や 軒の栗」と詠んだ句より、軒の栗公園
と名付けられた小公園だ。

須賀川には、芭蕉を記念する小公園がいくつか造られている。
写真左中央のベンチの背後の石像は、相楽等窮の坐像である。


20sukagw19s  芭蕉と曾良立像

軒の栗公園の右側には、傘を持った松尾芭蕉と河合曾良の可愛らしい立像が建っていた。


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会津街道追分/本町交差点

軒の栗公園を出て、少し歩くと、会津街道追分に出る。
標識には、「左会津若松、南会津」、そして「右石川」と記されてある。
国道118号(石川街道)である。

この左角にも、小公園が作られてあった。
また、右角には「須賀川宿本町奉行所」と書かれた小屋が出来ていて、
中で休憩出来るようになっていた。

この追分を左折すると、正面にホテルサンルート須賀川がある。
今夜はここで、旧街道歩きを中断して、一旦草鞋を脱いだ。

会津街道を挟んで、反対側には須賀川市役所や芭蕉記念館の
あるところである。

未だ、辺りが明るいので、この後、ホテルに荷物を置いて宿場内を歩いてみた。




詳細リンク:旧奥州街道64「須賀川宿本町~加治町」/街道写真紀行
(福島県須賀川市本町、加治町) 0910/1001

2010/01/03

須賀川宿・本町/旧奥州街道63

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須賀川宿・本町

大町から本町に入る。かつての須賀川宿の中心部である。
盛岡市中央公民館蔵の「奥州道中増補行程記」によると、
この右側に須賀川宿本陣があり、左側に本陣を務めた藤井家があった。

その隣にあったのが、芭蕉が逗留したことで有名な、
相楽等窮(さがらとうきゅう)の家があったところである。



20sukagw14s 相楽等窮宅跡

今はNTT須加川となっているが、相楽等窮宅跡である。
この相楽家の裏に可伸(かしん)庵があった処である。
写真左端に簡単な説明板が設置されていた。

等窮は、須賀川宿を束ねていた相楽伊左衛門の俳号であり、
中世の白河領主・結城氏の子孫で、須賀川の代官の家柄であった。

芭蕉はここに、4月22日から8日間逗留している。
等窮に、「白河の関いかにこえつるにや」と問われ、
「風流の 初めやおくの 田植えうた」と詠んだところである。




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可伸庵

相楽等窮の裏手(西側)にある可伸(かしん)庵である。

隠棲の僧・可伸が庵を結んでいたところで、芭蕉がここに訪れ、
「世の人の 見付けぬ花や 軒の栗」 と詠んだところである。

なお、可伸は等窮の友人で、栗斎と号する俳人でもあった。




詳細リンク:旧奥州街道63「須賀川宿・大町~本町」/街道写真紀行
(福島県須賀川市本町) 0910/1001

2009/12/30

須賀川宿南口/旧奥州街道62

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須賀川宿、枡形跡

千日堂を抜けると、かつての枡形があった処である。
今はほぼ直線道路となっているが、良く見ると道はやや右にカーブし、
その先で左にカーブしている。
かつての枡形の痕跡が残っているようだ。

旧街道に掛かっている横断幕には
「TSUBURAYA MEMORIARU MARATHON」と書かれてあった。
東京オリンピックで銅メダルとなった円谷幸吉は須賀川の出身で、
毎年10月に、円谷幸吉メモリアルマラソンが開催されているという。




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37須賀川宿南口、黒門跡

枡形を抜けると、東北電力の敷地に須賀川宿南の黒門跡の標識があった。
ここが奥州街道37番目の宿場・須賀川の南の入口であった。
黒塗りの木戸があり、番小屋も置かれていた。
朝の七ツ時(朝4時)に開門され、四ツ時(夜10時)に閉門されたという。

須賀川最大の夏祭りである「きゅうり天王祭」は、
朝日稲荷に祀られている牛頭天王が、7月14、15日に
ここ黒門跡に仮殿を設けて出開帳される。

江戸時代は、お諏訪様の祭礼と隔年交代であったが、
今は毎年行われている。
近郷在住の善男善女がきゅうりを2本持ってきて参拝し、1本を頂いて帰る。
「きゅうり天王祭」は厄除けの神様と言われ、

古くから多くの人の信仰を集めていた。

なお、須賀川は日本一のきゅうりの生産地である。



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須賀川・町並み

街道右手の由緒ある建物は、明治牛乳良生舎販売所である。
ここの主人は須賀川商工会議所の会長をされているとのこと。


この辺は、街道に沿って、木造の家が多数残されているところである。

須賀川宿は現在の南町、本町、中町、道場町、北町と、
南北に長く続く宿場で、岩城(磐城)街道、棚倉街道、三春街道、会津街道の
追分があり、交通の要衝であった。

また、米問屋、塩問屋等があり、
近在の煙草を集荷する煙草商人等も大勢集まり、毎月3と8の付く日には
六斎市が開催され、宿場としてはもとより、市場町としても
大層の賑わいであったようだ。




詳細リンク:旧奥州街道62「37須賀川宿南口」/街道写真紀行
(福島県須賀川市南町、本町) 0910/0912

2009/12/29

須賀川・一里坦~千日堂/旧奥州街道61

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須賀川・一里坦

須賀川一里塚を抜けると、旧街道は国道118号線の中央分離帯に遮られ、
先に進むことが出来ない。
仕方無しに、左の国道4号線の一里坦信号まで迂回して、
国道118号線を横断する。
そして、旧奥州街道に戻ったのが上の写真である。

しかし、この旧奥州街道も写真右手のJR東北本線に遮られて、
先に進むことが出来ない。

ここには、須賀川駅管内の南側の最初の旧奥州街道の踏切があり、
「第一奥州踏切」と呼ばれていたが、今は廃止されているためである。




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濁り池(並木児童公園)

旧奥州街道に復帰して、暫く進むと、左側に須賀川濁り池跡がある。
江戸時代より続く溜め池であったが、現在は埋め立てられて、
並木児童公園となっている。

この公園の端に、3基の石碑が建っている。
一つは「須賀川濁り池」、そして「並木児童公園」、さらにもう一つは
古稀を記念した漢詩で、「人生七十古稀塞翁一条未覚」云々と彫られてあった。



20sukagw05s  千日堂

並木町を抜け、千日堂地区に入ると、右側の集会所の奥に、千日堂がある。
説明によると、正しくは千日堂子育延命地蔵尊というようだ。

人間の苦悩や悲哀を救ってくれる御仏が地蔵菩薩である。
この地蔵尊信仰は奈良時代に始まり、鎌倉時代に、
各地で地蔵菩薩の像を造り、安置されるようになった。

この千日堂の先で、旧街道は枡形となっていたが、
今は直線道路となっている。
旧奥州街道37番目の宿場・須賀川宿の入口である。




詳細リンク:旧奥州街道61「須賀川・一里坦~千日堂]/街道写真紀行
(福島県須賀川市一里坦、並木町、千日堂」 0910/0912

2009/12/25

鏡石~須賀川一里塚/旧奥州街道60

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鏡石・西光寺

鏡石本町を抜け、広大な行方野の一本道を進むと、鏡沼地区に入る。

写真は鏡沼集落にある西光寺である。
正しくは、真言宗智山派若宮山無量院西光寺という。
江戸時代の白河風土記によると、永禄年間(1558~1569年)、
須賀川の城主二階堂氏の属臣鏡沼藤内の菩提のために開山されたとある。

また、墓所には郷士の常松次郎右エ門夫妻と、
常松家十代の墓が残されている。

境内にある「たらよう」(写真中央右)は、
鏡石町の天然記念物に指定されている。
樹齢250年、樹高12mの常緑高木で、モチノキ、イヌツゲと同じ
モチノキ科に属している。

葉の裏に棒で文字を書くと字が黒く浮き出るため、
インドではヤシ科の多羅樹の葉に経文を書いたというが、
これになぞらえて「多羅葉(たらよう)」と名付けられたようだ。



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須賀川一里塚

19kagamiisi21s 左側一里塚 19kagamiisi22s 右側一里塚

鏡石町から須賀川市一里坦(いちりだん)に入ると、
旧街道の両側に一里塚が残されている。
日本橋から59番目の一里塚で、
往時は「江戸から須賀川六十里」といわれてきた。

街道の両側に残されているのは珍しく、昭和11年に国史跡に指定されている。
この辺は立派な松並木が続いていたが、第2次大戦中に伐採され、
今は数本を残すのみとなっている。




詳細リンク:旧奥州街道60「鏡石町鏡沼~須賀川一里塚」/街道写真紀行
(福島県鏡石町鏡沼、須賀川市一里坦)  0910/0912

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