中部

2015/08/17

宝剣岳千畳敷/長野県

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宝剣岳の千畳敷カールは、何度行っても見応えがある



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千畳敷は氷河で作られた、典型的なカール



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氷河の末端(カール底、圏谷底)と、
氷河で作られたモーレン(堆石)が、
手に取るようにわかる。

モーレンの上の建物は、ロープウェイの駅舎(標高2610m)





(長野県木曽山脈) 9508/1508









2010/09/14

関ヶ原/岐阜

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関ヶ原、日の出

関ヶ原古戦場を北上すると、やっと日が昇ってきた
右端の山が丸山で、関ヶ原合戦開始の狼煙を上げたところである

左手前方が決戦場となったところだ




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陣場野公園、家康最後の陣跡

家康が、最初に本陣を構えた桃配山から、ここに前進し
最後の陣を構えたところである

桃配山では戦況が良く見えなかったのと
また、戦況が好転しないため、士気を鼓舞するために
激戦地のここまで陣を進めたとのこと

下側の写真は、戦いの後、東軍の諸将をここに集め
西軍の首実検を行ったところである



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関ヶ原決戦場、笹尾山

すぐ背後(写真中央左)が石田三成が陣を構えた笹尾山である

家康の最後の本陣とわずか1.5kmの所である

三成の首を取ろうと絶え間なく攻める東軍と、
必死に応戦する西軍との最後の激戦地であった




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西首塚

旧中山道を少し進んだ右手に西首塚がある

ここも、関ヶ原合戦で死んだ武将の首を埋めたところである

西首塚を抜けると、次は不破の関を越え
美濃路最後の宿場・今須宿である



詳細リンク:中山道六十九次48「58関ヶ原宿~陣場野」/街道写真紀行
(岐阜県関ヶ原町) 0704/1009

2010/02/16

JR長野駅

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JR長野駅善光寺口

JR長野駅前である。以前の長野駅は仏閣駅舎で人気があったが、
長野新幹線の開通と同時に、
現在の県内最大規模といわれる近代的なデザインの
橋上駅に変身してしまった。



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長野駅前


100232b  如是姫像

長野駅前にある如是姫立像である。

天竺の毘舎離国に月蓋という、不信心の長者がおり、
一人娘の如是姫が流行の悪疫に罹ったとき、
どんな治療をしても直らなかった。

釈迦におすがりすると、西に向かい南無阿弥陀仏を唱えるように諭され、
長者は一心に御名を唱えると、阿弥陀さまと弟子の観世音と、
大勢至の三像が西の門の上に現れ、
その光が如是姫の枕元に届くと病気は回復した。

この像は、如是姫が病気の回復を感謝し
善光寺如来に香花を捧げ礼賛している姿とか。




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長野駅東西自由通路

長野駅の善光寺口と東口(新幹線側)を結ぶ自由通路である。




(長野県長野市) 1002/1002

2010/02/14

善光寺参道/長野

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参詣の後、善光寺参道をJR長野駅まで、雪の中を歩いてみた。

この辺は善光寺の門前町で、かつ旧北国街道の善光寺宿の中心部であった。
江戸時代には、旅籠が30軒も軒を連ねていたという。
北国街道随一の宿場で、今も重厚な家並みが続いている。

長野駅までの距離は約2kmの緩い坂であったが、
雪の中を歩くのは、ちょっとしんどかった。


(長野県長野市) 1002/1002

2010/02/13

善光寺/長野

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善光寺仁王門

長野駅よりバスに乗り、「大門前」で下車する。
生憎の雪であったが、流石善光寺で参拝者が多かった。

この仁王門は宝暦2年(1752年)に建立されたが、
善光寺大地震等で2度消失して、現在のものは大正7年に再建されたものだ。



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参道



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山門(三門)

寛延3年(1750年)に建立された二層入母屋造りの門。
屋根はサワラの板を用いた栩葺(とちぶき)である。



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善光寺本堂

善光寺縁起によると、本尊の一光三尊阿弥陀如来像は、
欽明天皇13年(552年)、仏教伝来の折、百済より伝来された
日本最古の仏像とのこと。

その後、仏教の受容を巡って崇仏・廃仏論争の最中、
物部氏により難波の堀江へ捨てられてしまった。
後に、信濃国司の従者として、都に上った本田善光が持ち帰り、
初めは長野県飯田市に、その後皇極天皇元年(642年)、
現在の地に移転し、堂宇を建立した由。
本田善行の名を取って、「善光寺」と名付けられたとある。

なお、現在の建物は宝永4年(1707年)に建て直されたもので、
国宝に指定されている。




(長野県長野市元善町) 1002/1002
参考リンク:中部「善光寺」/日本写真紀行

 

2010/02/11

野尻湖/長野

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昨日の豪雪が嘘のように止み、綺麗な青空が顔を出した。

この野尻湖は、斑尾山(まだらおさん、1382m)と
黒姫山(2053m)に挟まれた、標高654mの高原にあり、
長野県の天然湖としては、諏訪湖に次いで、2番目の大きさで、
水深は38mもある。

古くは信濃尻湖(しなのじりこ)と呼ばれていたが、
転訛して野尻湖となったようだ。

綺麗な新雪の中での撮影は、気持ちよかった。
なお、野尻湖畔の野尻(1枚目写真)は、
かつては、旧北国街道の信州最北端の宿場であった。



(長野県上水内郡信濃町)  1002/1002
参考リンク:中部「戸隠高原・野尻湖」/日本写真紀行

2010/02/10

小布施/長野

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新潟では、26年ぶりの大雪であった。
そんな中、7年ぶりに小布施に行った。

小布施は、千曲川東岸の松川扇状地上にある町で、
町名は古代の豪族布施氏によるとの説だ。
江戸時代は善光寺平の河東(かとう)地方を貫く谷街道と、
上州に通じる毛無(けなし)道の追分で、六斎市が立ち、
商業が栄えたところである。

古来、栗の産地で、小布施栗と呼ばれ幕府にも献上されていた。
小林一茶が「拾われぬ 栗のみごとよ 大きさよ」と読んだところだ。
銘菓栗羊羹や栗かのこが有名である。

今回は、この後、湯田中温泉の旅館に泊まった。
神戸や横浜、川崎、八王子、高遠、長野の写真仲間7人が集っての、
恒例の撮宴会が行われた。



(長野県小布施町) 1002/1002
参考リンク:長野「小布施」/日本写真紀行

2009/11/08

涸露柿の里/甲州・塩山

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涸露柿の里

農家の軒下に柿が吊るしてある

枯露(ころ)柿とは渋柿の皮を剥き半乾きにして
樽の中で葉と交互に重ねて寝かせ、さらに乾燥させたもの

表面に白い粉が生じた、甘い干し柿である
転柿、白柿とも言う


(山梨県塩山市小屋敷) 0411/0911

2009/10/22

JR塩尻駅前/長野

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塩尻駅前


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城尻駅

JR中央本線の塩尻駅である
塩尻は、太平洋側と日本海側からの塩の運搬路の
終着地の意味の他に、地形からとの説もある

短歌の町の石碑が駅前に設置されていた(写真上)

市北部の広丘に「広丘短歌公園」がある
塩尻出身の太田水穂や島木赤彦等の歌碑と
ゆかりの歌人の遺品などを展示する「塩尻短歌館」が
建てられている



詳細リンク:中部「信州2」/紀行写真集
(長野県塩尻市) 0610/0910

2009/06/10

敦賀駅前/福井

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敦賀駅

東海道新幹線の米原でJR北陸本線に乗換え、
特急しらさぎ号で約30分でJR敦賀駅に着く

敦賀駅は明治15年に開業している
敦賀は古くから栄えた町で、
今でも日本海側屈指の交通(鉄道、船、道路)の要衝となっている

古代から北陸地方の貢納物は敦賀に集められ、京都に運ばれたが、
中世になると港が中継交易で栄えるようになった

また、畿内から大陸との門戸でもあり、平安期には、しばしば渡来した
渤海使節を接待する国の施設・松原客館や宋の商人の宿泊する施設等も
設けられていたようだ

江戸時代の寛文4年(1664年)には入港船は2000艘を越え
敦賀の人口も15,000人を数えていた

敦賀は塩津街道、丹後街道の起点でもあった
又、明治になってからは日本と大陸を結ぶ国際港としても栄えた町である



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ツヌガアラシト像

駅前広場にある都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)像である
日本書紀に登場する意富加羅国の王子で、ここに漂着したという

崇神天皇に会おうとして、最初は穴門(あなと、長門)に着き
出雲経由で此処まで来たが、天皇は亡くなっていたので
次の垂仁天皇に3年仕え帰国した

帰国の際に崇神天皇の御間城(みまき)の名を国名にするように
命じられ、赤絹を与えられた
そして帰国後、国号を弥摩那(みまな)に代えたと記されている

地名の敦賀は、都怒我阿羅斯等の都怒我(ツヌガ)が
角鹿(ツヌガ)となり、敦賀(ツルガ)と転訛したようだ



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駅前商店街

駅前の商店街である。朝、早いせいか店のシャッターは閉まり、閑散としていた

アーケード街のところどころに松本零士の宇宙戦艦ヤマトと
銀河鉄道999のモニュメントがあるのには驚いた

此処だけでは無く、本町商店街から曙町にある越後国一宮の
気比神社まで、道の両側に宇宙戦艦ヤマトと銀河鉄道999の名場面より
ピックアップされたモニュメントが、全部で28基も設置されている

作者の松本零士は、敦賀とは縁が無いが、敦賀は古くからの港町で
また鉄道の町であったので、1999年の敦賀開港100年の記念として
敦賀の象徴に指定されたとのことであった



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佐渡酒造像

写真は宇宙戦艦ヤマトの佐渡酒造である
一升瓶片手に酩酊状態であるが、医師としての腕は
超一流とプレートに記載されてあった



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星野鉄朗とメーテル像

駅前広場にある銀河鉄道999のモニュメントである

今回は、この後、小浜線で美浜、小浜、舞鶴へと向かった
小浜線は、三方五湖や若狭湾沿いを走る
見晴らしの良い快適な路線であった




詳細リンク:福井「敦賀」/日本写真紀行
(福井県敦賀市) 0712/0906

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