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2015年12月

2015/12/31

松前町・福山城(松前城)/福山街道3

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福山城郭

松前城下通りから、
沖之口坂を上ったところに福山城郭(平山城)がある。

福山城は、松前湾に近い海岸段丘の上に、
慶長11年(1606年)松前崇広が築いた福山舘が前身だ。

幕末、蝦夷地の近海に緒外国の船が出没し始めたため、
幕府の命を受け、13代藩主松前崇広が
北辺警備のための本格的城郭を築き、安政元年(1854年)に、
福山館を利用拡大させた福山城(松前城とも呼ぶ)を完成させた。

本丸、二ノ丸、三の丸、6つの櫓、16の城門、
7つの砲台と25門の大砲を備えた堅固な城で、
長崎県五島市の石田城と並び、
日本に於ける最後期の日本式城郭であった。




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福山城、本丸

福山城の天守閣が見えた。

昭和24年、松前町役場の火事による飛び火で
天守閣と本丸御門東塀は焼失。

現在の天守閣は、
昭和35年に鉄筋コンクリート造りで再建されたもので、
松前城資料館となっている。

屋根の上の鯱は、高さ1.35mで金箔を貼りつけたものである。




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福山城搦手二ノ門

福山城搦手二ノ門。
東側から城内に通じる搦手にあった門の一つ。

明治元年、蝦夷地に独立政権樹立を目指す
旧幕府の榎元武揚を首領とする軍勢は、
官軍の拠点となった函館・五稜郭を制圧した後、
新選組の土方歳三が700名程を率いて、福山城を攻撃した。

その際、大手門は堅固であったので、
防御力の弱い搦手方から攻め、落城させた。





詳細リンク:福山街道4「松前町・福山城(松前城)」/街道写真紀行
(松前町 松城)   1210/1512


2015/12/30

映画「海難1890年」

平成27年12月
109シネマズ二子玉川




タイトル キャスト コメント
海難1890

2015年 
     日 本・トルコ

監督
     田中 光敏




   内野 聖陽

   ケナン・オジエ

  忽那 汐里

   アリジャン・ユジェソイ

  小澤 征悦

   竹中 直人

   笹野 高史



 1890年、和歌山県串本町沖で、オスマン帝国(現トルコ)の親善使節を乗せた軍艦が座礁して大破。
 海に投げ出された乗組員500名以上が命を落とすなか、地元住民が懸命な救援活動に乗りだす。
 1985年、イラン・イラク戦争中、日本政府は危機的状況を理由に在イラン日本人の救出を断念。その時、トルコ政府は日本人救出のための飛行機を出すことにする。
 日本とトルコの長年にわたる友好関係をテーマにした映画。脚本も演出も良く、感動的に描かれている。



詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2015/12/25

松前町・城下通り/福山街道2

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松前町、松城丁字路

松前の松城(まつしろ)丁字路。
左側に松前郵便局があるところだ。
背後の丘陵が福山(松前)城跡である。

松前は、北海道唯一の城下町だ。
もと福山町で、昭和15年に現在の松前町と改称されている。

慶長11年(1606年)、松前氏が日本最北端の福山城を築き、
蝦夷地を支配したのが始まりである。

松前は海岸沿いの地域が城下町で、丘陵の上が福山城、
武家屋敷は、さらのその先(北側)となっている





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松前町城下通り

松前町の城下通りは、
如何にも城下町らしい雰囲気を出した町並である。

この信号・松前町松城交差点を左に曲がると、
松前公園(旧福山公園)となる。





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松前公園、白神岬

沖之口坂を上ると、右側が開けてきた。
前方松前湾の先には、白神岬がくっきりと見えた。

松前湾は、この白神岬と弁天島間の湾をいう。
別称は福山湾となっている。





詳細リンク:福山街道2「松前町・城下通り」/街道写真紀行
(松前町 松城)   1210/1512

2015/12/23

北海道・木古内~松前/福山街道1

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JR木古内駅

本州・津軽半島のJR蟹田駅16:22発スーパー白鳥25号に乗り、
津軽海峡線で北海道の木古内(きこない)に着いたのは17:13であった。

蟹田・木古内間は、殆どが青函トンネルであったので、、
あっという間であった。

木古内駅に着いた時には、
初冬の日は短く、辺りは早、薄暗かった。

駅舎に書かれた「北の大地の始発駅」、
「寒中みそぎ」文字が印象的であった。

寒中みそぎは、
天保2年より続いている厳寒の海に御神体を抱いて入り、
豊漁豊作を寿ぐ祈るとのこと。

平成26年は1/13,14,15に行われるとのことだ。

JR木古内駅から津軽海峡の方に向かって7-8分で、
予め予約してあったホテル古澤に到着。

北海道最初の宿となった。
食事は、宿併設の和風レストラン吉澤であった。





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松前湾、白神岬

翌朝、木古内駅発7:38の朝一番の函館バスに乗り、
松前町の松城バス停に着いたのは9:30であった。

松城バス停から見た松前湾である。

正面に見えるのは白神岬で、右側に薄く見えるのが、津軽半島である。
白神岬と、龍飛崎の距離は19.5kmであるが、今日は少し霞んでいた。




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松前藩、沖口役場跡(沖口広場)

松前港の沖口役所跡である。

現在は、沖口広場として整備されている。
写真左に、松前湾の海面が見えるところだ。

ここの地名は、北海道松前郡松前町松城である。

松前藩がここに沖口役所を置き、
船の出入りの取り締まりを行った。

松前奉行所跡は、現在松前町役場となっているところだ。

松前沖口広場の一角に「沖口役所」碑(写真右端)がある。
その右側には、「菅江真澄上陸の地」と書かれた標識があった。

菅江真澄は、江戸時代の三河生まれの旅行家だ。
信越、東北、蝦夷地を訪れ、各地で民族習慣や、風土、宗教、
そして自らの詩歌、スケッチ画を残している。

蝦夷地には寛政元年、福山(松前)から函館まで
海岸線を歩いた記録を残している。
蝦夷地の様子や風俗、言語などを
「昆布苅(ヒロメカリ)」として上下2巻に纏めている。

なお、平凡社より「菅江真澄遊覧記」として東洋文庫に収録されている。





詳細リンク:福山街道1「北海道・木古内~松前)/街道写真紀行
(北海道・木古内~松前)   1210/1512

2015/12/21

映画「杉原千畝」

平成27年12月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
杉原千畝

2015年 
        日 本

監督
 チェリン・グラック




 唐沢 寿明

  小雪

  ポリス・シッツ

 アグニェシュカ・
  グロホフスカ

 ミハウ・ジュラフスキ

 小日向 文世



 1935年世界大戦下、満州国外交部勤務の杉原千畝は、高い語学力と情報網を武器に、ソ連との北満鉄譲渡交渉を成立させた。
    しかし警戒され、ソ連から入国を拒否され、念願の在モスクワ大使館の赴任を断念する。
   リトアニア、カウナスの日本領事館への領事代理として勤務を命じられる。
   日本政府に背く形で多くのユダヤ難民にビザを発給し、彼らの命を救った諜報外交官の半生を感動的に描いている。



詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2015/12/18

外ヶ浜町・三厩~蟹田/旧奥州街道751(最終回)

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JR津軽線、三厩駅

龍飛崎にある青函トンネル記念館前から、
外ヶ浜町営バスでJR津軽線の三厩駅まで戻った。

約35分と意外に早かった。

写真はJR津軽線の蟹田行き気動車(キハ40)だ。

津軽線は、津軽半島の東部を縦貫する路線で、
青森駅までは、55.8kmである。

この気動車は、三厩・蟹田間を、約40分で走っている。




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津軽半島、津軽線車窓より

JR津軽線の気動車に乗り、蟹田に向かう。

左側に尖岳(529m)、袴腰岳、木無岳(686)、
横岳(574m)の山々が望め、快適であった。

旧奥州街道は、この山並の向こう側(東側)である。




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JR津軽線、蟹田駅

JR蟹田駅で下車し、
津軽海峡線の特急「スーパー白鳥25号」に乗り換える。

蟹田と、関門トンネルを通り北海道の木古内までは、
普通列車が走っていないので、
特急券無しで乗れる特別区間となっている。



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いよいよ、長かった本州を離れ、北海道入りである。

三厩から本来は船であるが、今は船便が無いので、
関門トンネルを通り、木古内まで津軽海峡線で行き、
そこから函館バスで旧奥州街道(松前街道)の終点松前に向かう。

                                  
 ~ 旧奥州街道 完 ~





詳細リンク:旧奥州街道751「外ヶ浜町・三厩~蟹田」/街道写真紀行
(外ヶ浜町 三厩 蟹田)  1210/1512

2015/12/17

外ヶ浜町三厩・青函トンネル記念館/旧奥州街道750

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青函トンネル記念館

青函トンネル記念館入口だ。
「歓迎、世界一体験ゾーン」と書かれてあった。

地下140mの世界を体験できる「体験坑道」へは、
日本一短い私鉄「青函トンネル竜飛斜坑線もぐら号」に乗って
斜度14度の斜坑まで案内してくれる体験ツアーある。

入館料は400円、体験坑道は1000円となっている。

青函トンネル記念館傍には、
天皇陛下皇后陛下行幸啓記念碑がある。





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津軽海峡断面モデル

青函トンネル記念館の中に入ると、大きな津軽海峡断面モデルがある。

         
本道と側道の位置関係が判るように立体的になっている。
青函トンネル断面模型で、上部の青い部分が津軽海峡である。
中央の横に伸びているのが青函トンネルだ。
左が本州側で、トンネルが傾斜しているのがわかる。

この1階展示ホールに、先進ボーリング技術や地盤注入技術、
吹き付けコンクリート技術などの多くの技術と工事方法が
詳しく説明されていた。

2階には青函トンネルの歴史と構造、実際に使用された機器などが
展示され、トンネルシアターでは映画も上映されていた。





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青函トンネル記念館バス停

青函トンネル記念館バス停である。

オレンジに塗られた車両は、実際に使用された人員輸送用の水平人車、
斜坑人車、アジテーターカー(コンクリート運搬機)などが
野ざらしで展示されていた。

          --------------------------------

この後、このバス停から外ヶ浜町営バスで、JR三厩駅に戻った。

三厩駅からはJR津軽線で蟹田に戻り、
津軽海峡線で北海道の木古内に向かった。





詳細リンク:旧奥州街道750「外ヶ浜町三厩・青函トンネル記念館」/街道写真紀行
(外ヶ浜町三厩 龍浜) 1210/1512

2015/12/16

外ヶ浜町・道の駅みんまや/旧奥州街道749

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津軽海峡

津軽海峡冬景色歌謡碑のある崖の上から,
津軽海峡を見下ろした写真だ。

津軽海峡を挟んで北海道の松前半島と、
津軽半島先端の帯島、龍飛漁港が良く見えるところである。

なお、龍飛崎(たっぴさき、たっぴざき、国土地理院表記)は、
竜飛崎、竜飛岬、龍飛岬とも表記される。

名前は、アイヌ語のタム・パ(刃の上端の意味)の転訛説が尤もらしい。




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道の駅みんまや入口

道の駅みんまや入口の案内標識は小さく、見落とすほどであった。

右側のゲートには、
青函トンネル記念館の文字が大きく書かれてあった。

直進すると
龍泊ライン(国道339号線、小泊街道)の五所川原、中泊方面で、
左折すると、青森、外ヶ浜方面である。




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道の駅みんまや

坂道を上ったところに、
道の駅みんまや「龍飛岬」、
青函トンネル記念館の広大な駐車場がある。

ここは、もと青函トンネル本州方面基地龍飛のあったところだ。

訪問したのは10月であったが、利用者は殆どいなかった。

冬季は、毎年11月上旬から4月下旬までは冬季閉鎖区間内にあるため、
すべて休館となり利用できない施設である。

道の駅みんまやは、レストラン、特産品直売所、青函トンネル記念館、
竜飛ウィンドパーク展示館より構成されている。

竜飛ウインドパークは、龍飛崎の海風を利用した風力発電や
人類が古くから関わってきた風の世界の紹介をしている。

右手前の輪は、青函トンネルの工事に用いられたトンネル掘進機である。





詳細リンク:旧奥州街道749「外ヶ浜町三厩・道の駅みんまや」/街道写真紀行
(外ヶ浜町三厩 龍浜 )  1210/1512

2015/12/14

映画「黄金のアデーレ/名画の帰還」

平成27年12月
横浜ムービル




タイトル キャスト コメント


黄金のアデーレ/名画の帰還


2015年 
 アメリカ・イギリス

監督
 サイモン・
   カーティス




 ヘレン・ミレン

 ライアン・レイノルズ

 ダニエル・プリュール

 ケイテイ・ホームズ



 アメリカ在住の82歳の女性は、ダスタフ・クリムトが描いた伯母の肖像画「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」で、第二次大戦中にナチスに奪われた名画がオーストリアにあることを知る。
 新米弁護士の助けを借り、オーストリア政府に絵画の返還を求めて訴訟を起こす。
 実話をベースにした映画で、法廷闘争、戦争に運命を翻弄された実在の女性と家族を見事に描いている。いい脚本ですね。



詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2015/12/12

外ヶ浜町三厩・龍飛崎/旧奥州街道748

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龍飛崎、津軽海峡

階段国道から、階段村道(今は町道)を上ると、龍飛崎の先端にでる。
見晴らしの良いところで、
正面は津軽海峡を挟んで、北海道の松前半島が良く見える。

ここと、北海道の白神岬とは、津軽海峡を挟んで19.5kmの距離である。
好漁場である龍飛崎沖の津軽海峡では漁船が操業していた。

右手の鉄骨のあるところは、
海上自衛隊竜飛警備所で、レーダー塔の監視機器が設置されている。

かつての大日本帝国海軍の望楼のあったところである。
ここは、日本海と太平洋を結ぶ国際海峡として重要な海の要衝でもあった。

今では、この海峡の下を青函トンネルが出来ているところである。





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津軽海峡 渡島小島、大島

松前半島から少し左側(西側)を見ると、渡島小島(おしまこじま)と、
渡島大島(おしまおおしま、右側)が見える。

共に無人島で、北海道松前郡松前町に属する島だ。

渡島小島の近くで操業する漁船が多いため、
漁船の避難所・休憩所としての小島漁港が設置されている。

渡島大島は、面積9.73k㎡で、日本施政下で最大の無人島である。
こちらも、近海で操業する漁船のための避難所を建築中で、
完成予定は2016年とのことだ。





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津軽海峡冬景色、歌謡碑

竜飛灯台より階段村道を下りたところに、龍飛崎歌謡碑がある。
ここからは、津軽海峡が一望できるところだ。

写真は津軽海峡冬景色歌謡碑である。

石川さゆりのヒット曲「津軽海峡冬景色」の歌詞が刻まれている歌謡碑で、
中央の赤いボタンを押すと

  「ごらんあれが 竜飛岬 北のはずれと 見知らぬ人が 指をさす・・・
   ああ 津軽海峡 冬景色」

と二番の歌詞が流れてくる。

なお、写真左上部は龍飛崎灯台である。





詳細リンク:旧奥州街道748「外ヶ浜町三厩・龍飛崎」/街道写真紀行
(外ヶ浜町三厩 龍浜 )  1210/1512

2015/12/08

十二月大歌舞伎/歌舞伎座

平成27年12月
歌舞伎座

演 目 役 者 観 劇 記
近松半二作
本朝廿四孝
(ほんちょうにじゅうしこう)

十種香


  一幕
 七之助

   松 也

   児太郎

   亀 寿

   右 近


         


   越後の大名長尾謙信の息女八重垣姫は、許嫁の武田勝頼が切腹したと聞かされ館の一間で弔っている。
   ところが、それは計略で、勝頼は花作りに姿を変え、謙信が預かる武田家の重宝の甲を取り返すために、長尾家に奉公していた。
   勝頼と瓜二つの花作りを見て、一目で恋に落ちた八重垣姫・・・
 姫の一途な恋心を描いた一幕。八重垣姫を演じた七之助の演技が見応えがあった。

木下順二作
坂東玉三郎演出
赤い陣羽織

(あかいじんばおり)

一幕


           
      中 車

     亀 寿

     児太郎

     吉 弥

     門之助

 


   ある村に、派手な赤い陣羽織を着たお代官が、百姓の女房に横恋慕。
   口実を作り、百姓を捕え、その隙に女房を我がものにしようとする失敗してしまう。
   やっとの思いで、逃げ出した百姓は家に戻ると、そこに代官が来ていた赤い陣羽織が脱ぎ捨てられてあった。
   姿形が代官にそっくりであった百姓は、女房が手籠めにされたと勘違いし、仕返しのため、その陣羽織を着て代官屋敷の乗り込んでいく。
   これは、傑作。何度見ても面白い舞台であった。

重戀雪関扉
(つもるこいゆきのせきのと)

常磐津連中
竹本連中

一幕


           
  松 緑

  七之助

  松 也

  玉三郎


    先帝崩御の後、都に近いお逢坂山の関にある庵で暮らす良峯少将宗貞のもとに訪れたのは宗貞を慕う小野小町姫。
    庭には小町桜と呼ばれる桜の大木が満開であった。小町が都へ戻り、夜が更けると、小町桜の精が傾城の姿となって現れる・・・ 
    常磐津と竹本の掛け合いで見せる女の本性をみせる妖艶な舞踊劇。

詳細リンク:「演劇」悠々人の日本写真紀行

2015/12/03

外ヶ浜町三厩・龍飛崎灯台/旧奥州街道747

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階段国道頂上

階段国道を頂上出口である。
北海道の松前半島が見えるところである。

国道339号の標識がわざとらしかった・・・





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竜飛崎より東方面

階段国道を上り詰め、龍飛崎灯台に向かうと、
今度は「階段村道」の標識がある階段を上る。

その「階段村道」の途中より振り返って撮影した写真である。
左遠くに下北半島、右は高野崎である。

そして、中央手前の崖の上にあるのが
津軽海峡冬景色歌謡碑である。





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龍飛崎灯台

階段国道ではなく、階段村道を登ったところにある龍飛崎灯台。

対岸の北海道白神岬灯台と共に、
津軽海峡の西側玄関口に位置する灯台で、昭和7年設置された。

明るさ47万カンデラ、群閃回数は、20秒ごとに2閃光、
海水面から119mの位置にある灯台である。





詳細リンク:旧奥州街道747「外ヶ浜町三厩・龍飛崎灯台」/街道写真紀行
(外ヶ浜町三厩 龍浜 )   1210/1512

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