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2014年8月

2014/08/27

青森市・原別~道造/旧奥州街道669

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青森市原別、旧街道

 

原別川を渡ると、旧街道沿いに立派な歩道ができており、
ところどころにベンチが置いてあるのには驚いた。

このベンチで、一休みさせていただく。
感謝である。




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マンホール蓋

 

マンホールの蓋には、「ねぶた」と「はねと」の彫刻がしてあった。
青森市の市街部に入ったようだ。

各地で、工夫を凝らした特徴のあるマンホールの蓋は、
旧街道歩きの楽しみの一つとなっている。




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青森市造道、旧街道

 

赤川に架かる沢田橋を渡ってすぐに、
県道259号線と別れ、右の細い道に入る。

なんとなく、旧街道の匂いがする松並木となっている。
この辺は造道(つくりみち)という。

古くからの地名で、かつての大字名である。





詳細リンク:旧奥州街道669「青森市・原別~造道」/街道写真紀行
(青森市 原別 八重田 造道)  1206/1408

2014/08/25

青森市・原別~矢作/旧奥州街道668

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野内川河口

野内川に架かる野内橋より、河口側を見た写真である。

浅瀬には鴎が遊んでいた。
ここは、白鳥の飛来地としても知られたところだ。

シーズン(春先)になると、この辺の両岸には、
名物のシロウオを獲るための簗(やな)がびっしりと並ぶとのこと。

野内川は、折紙山(921m)北東麓を源流とする川で、
ここで陸奥湾(青森湾)に流入している。




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野内川上流側

 

野内橋をより野内川の上流を見た写真である。

手前の橋は、青い森鉄道の鉄橋である。

背後の雪の被った山は、八甲田山だ。
正面が前嶽(1252m)で、
その右奥の小さく見えるピークは大岳(1584m)である。

左奥の小いさなピークは高田大岳(1552m)である。




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原別川河口側

 

野内川を渡ると、青森市原別となる。

しばらく進むと、この原別川に架かる原別橋を渡る。
写真は原別橋より河口側を見た写真である。





詳細リンク:旧奥州街道668「青森市・原別~矢作」/街道写真紀行
(青森市 野内 原別 矢作)  1206/1408

2014/08/21

青森市・102野内宿/旧奥州街道667

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102野内宿中心部

野内関所(番所)前を抜けると、
左側に「中野内」と書かれたバス停があった。

この辺が、旧奥州街道102番目の野内宿の中心であろうか。

幕末の野内村は、小さな商店や農漁民の家など、
戸数60~70軒であった。

問屋があり、往来切手を扱っていた。




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野内宿、名残の松

街道左側にある旧奥州街道名残の松。
左の建物は、野内郵便局である。




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青い森鉄道、野内駅

街道左側にある青い森鉄道の真新しい野内駅である。

平成23年に、青森県立青森工業高校の移転に合わせ、
ここに移転したものだ。
東京から728.5kmである。

それまでは、ここから1.6km離れた、
野内宿の入口付近の青森市野内字浦島にあった。

明治26年に開業した駅である。





詳細リンク:旧奥州街道667「青森市・102野内宿」/街道写真紀行
(青森市 野内・菊川)  1206/1408

2014/08/19

青森市久栗坂~野内関所/旧奥州街道666

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野内、青い森鉄道踏切

久栗坂の川上神社よりの峠道を越えると、下り坂となる。

やがて、正面に青い森鉄道の鉄橋が見えてきた。
この右側に、かつての野内駅があったところだ。

野内駅は、明治26年開業の歴史ある駅であったが、
平成23年に、ここより青森駅より1.6km先の
野内字菊川に移転してしまった。

青い森鉄道ガードの手前の橋が、貴船川に架かる橋だ。
この橋を渡ると、旧奥州街道102番目の宿場・野内宿に入る。




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貴船川上流 

橋の上より、貴船川上流を見た写真である。

大平山(563m)の西麓を源流として、
左支川と合流して陸奥湾に流入している河川だ。

正面の形と良い山は、観音山だ。
山を一巡するように、
津軽三十三観音を模した三十三体の観音像が
安置されているために観音山と呼ばれるようになった。

元は「向かい山」と呼ばれていたようだ。

この下流右岸にある貴船神社は、
義経北行伝説の残されている神社である。

六ヶ所村平沼をあとにして、
途中東北町石文に立ち寄った義経一行は、
目指す北海道への航海安全を祈願するために、
ここ野内にある貴船神社に参拝したと伝わっている。




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野内関所跡(野内番所跡)

青い森鉄道のガードを潜ると、左側に野内番所(野内関所)跡がある。

ここは、黒石津軽藩と弘前津軽藩との境界で、津軽三関の一つであった。
三関とは、日本海側の大間越(おおまごし)、
羽州街道の碇ヶ関(いかりがせき)、
そしてここ奥州街道の野内関である。

町奉行が配され、海側(右側)に弘前津軽藩、
そして山側(左側)には黒石津軽藩が番所を置いていた。

前述の貴船川沿いには、柵が巡らされ、厳重な構えであったようだ。





詳細リンク:旧奥州街道666「青森市・久栗坂~野内関所」/街道写真紀行
(青森市 久栗坂・浜田 野内・浦島) 1206/1408

2014/08/18

納涼新派公演/三越劇場

平成26年8月
三越劇場

演 目 役 者 観 劇 記
久保田万太郎作
大場正昭演出


      (ほたる)


       
船木とき・しげ
   波乃 久里子


船木栄吉
   市川 月乃助


おきみ
   瀬戸 摩純


よし子
   伊藤 みどり


鈴木重一
   永島 敏行


  浅草鳥越に二人の錺職人がいた。実直な栄吉に比べ、兄弟子の重一は、酒に明け暮れ、酔った挙句、女房ときの母親を刃物で傷つけてしまう。
  刑務所に入った重一の心を組んだ親方は、ときと離縁させ、栄吉と所帯をもたせる。
  大正の大震災の後、出所した重一は、親方の世話もあり苦労人のよし子と再婚する。
   重一は人が変わったように一筋に稼業に精を出したが、親方が亡くなると・・
  浅草鳥越神社の祭礼を背景に、涼やかな静が良い雰囲気で醸し出されている。

北條秀司作
成瀬芳一補綴・演出

江戸みやげ
狐狸狐狸ばなし
(こりこりばなし)


         
おきわ
    市川 春猿


重善
    永島 敏行


おそめ
    小川 絵莉


甚平
    立松 昭二


又市
    田口 守

伊之助
    市川 月乃助

  元歌舞伎の女形で、手拭い染屋の伊之助の女房おきわは、昼間から酒浸りで、生臭坊主の重善と不貞の仲。
  その重善に金満家の娘おそめとの縁談が持ち上がり、激怒したおきわは、重善の「一緒になりたいなら旦那を殺してこい」との言葉を真に受けてしまう。
  そして、おきわは毒を盛り、首尾よく旦那である伊之助を殺すが、弔いを済ませ逃げようとするおきわと重善の前に、死んだはずの伊之助が現れる・・・
  男の幽霊騒ぎと、騙し騙されの壮絶な化かし合い、まさに抱腹絶倒であった。春猿と月乃助の熱演に拍手。



詳細リンク:「演劇」/悠々人の日本写真紀行

2014/08/13

青森市久栗坂・川上神社

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旧街道、久栗坂浜田

観音寺より、旧街道に復帰する。

左側に、街道に沿って大きな交通安全碑と常夜灯が二つあった
地元の石材店である安田石材店の作業場である。

この先で、県道259号線に合流する。
右のこんもりした森は、川上神社である




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川上神社鳥居

 

旧街道に面して右手に川上神社の鳥居がある。
この急な階段を上ったところが川上神社の本殿である。

江戸時代の観音堂で、明治初年の神仏分離で、
高おかみ神(たかおかみのかみ)を勧請して村上神社となった。

慶長元年(1596年)、当村開発の折、田地から発見された観世音菩薩を、
津軽藩の中野宮一郎兵衛と村民が観音堂を建立し、
祀ったのがはじまりとのこと。




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川上神社、拝殿

急な階段を上ると、正面に川上神社拝殿がある。
祭神の高おかみの神は、水を司る水神のことだ。

「おかみ」は、雨かんむりに、口を3つ横に並べ、
その下に龍という字である。

「龍」を意味する古語のようだ。

川上神社本殿の右側に、山頂薬師堂iがある。
薬師如来を祀った小さなお堂である。
こちらは、病気平癒の仏である。

街道に復帰して、峠道を登っていくと、左側に石造の弥勒菩薩像がある。
久栗坂・浜田の集落や田圃を背にしたような感じで建立されている。

未だ新しいように見えたが、説明文は風化して読めなかった。





詳細リンク:旧奥州街道665「青森市久栗坂・川上神社」/街道写真紀行
(青森市 久栗坂・浜田)  1206/1408

2014/08/12

映画「るろうに剣心/京都大火編」

平成26年8月
横浜ムービル





タイトル キャスト コメント
るろうに剣心/
   京都大火編


  2014年 
      日本
         
    監督
      大友 啓史


  

  佐藤 健

    武井 咲

    伊勢谷 友介

    青木 崇高

    蒼井 優

    江口 洋介

    藤原 竜也


        

 かつて人斬り抜刀斎と呼ばれた伝説の人斬り、緋村剣心。
 今は、刀を置き平穏な生活を送っていたが、剣心から影の人斬り役を引き継いだ男が、京都で日本制圧を企み行動を起こした。
 明治政府が派遣した討伐隊は成すすべもなく敗退。最後の望みとして剣心に白羽の矢が立つ・・・・

 と、痛快な展開です。前半は伏線も上手く立て、見どころ満載でしたが、最後のアクションは、一寸白けてきます・・・・。原作は和月伸宏の人気コミック。




詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2014/08/10

青森市久栗坂・観音寺/旧奥州街道664

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久栗坂・観音寺通り

今まで歩いてきた県道259線より、右の細い道に入る。
観音寺通りというようだ。




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観音寺山門

右側にある矢倉山観音寺。
浄土宗の寺だ。

観音寺境内の石塔群の説明は無いが、
これらの石が旧地名・笊石村の由来となっている
笊石(ざるいし)であろうか。

観音寺の山門付近に、笊を立てたような石があることから、
笊石村となったと資料にあった。




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不動尊参道

観音寺境内より大正4年に建立された不動尊と刻まれた石塔の横を上る。
この先、左側は山の斜面を利用した墓地となっている。

 

観音寺の背後の山の頂上付近一帯にある津軽三十三観音は、
順番にお参りすれば、
津軽地方にある三十三の観音様を回ったと同じ
功徳が得られるとされている。




詳細リンク:旧奥州街道664「青森市久栗坂・観音寺」/街道写真紀行
(青森市久栗坂 浜田)  1206/1408

2014/08/08

青森市久栗坂・浜田/旧奥州街道663

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久栗坂・根井川河口

根井川に架かる、根井橋橋を渡ると、
青森市久栗坂字山辺から字浜田地区に変わる。

根井橋より、根井川河口を見た写真である。
正面は陸奥湾(青森湾)で、護岸が綺麗に整備されていた。





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根井川、上流側

根井橋より、根井川上流を見た写真である。
正面の鉄橋は、青い森鉄道のものだ。

右側の山は片越山(295m)、そして左側は小松山(245m)で、
根井川はこの二つの山の間を縫って、
さらに奥の大平山(563m)の北東麓を源流とする川である。

根井川の河川敷が綺麗であるので、ちょっと調べてみたら、
「根井川をきれいにする会」が草刈りや河川の清掃、
花壇の整備等の活動を昭和61年から継続して行っているとのことだ。

感謝でありがたく、頭が下がる思いである。




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久栗坂・浜田集落

根井川に架かる根井橋を渡ると左側に、
笊石(さるいし)漁師新田村発祥の地と書かれた標識が建っている。

古くは、この辺は久栗坂というより、笊石と呼ばれていた。
この先にある寺(観音寺)の山門近くに、
笊を立てたような石が据えられていたことから、
笊石と呼ばれていたようだ。

なお、根井川周辺(現在の久栗坂の東部)は、根井村と呼ばれていた。

 

写真は久栗坂浜田集落の中心部である。

街道左側には、久栗坂(くぐりざか)郵便局があり、
この写真右側には久栗坂漁港のあるところだ。





詳細リンク:旧奥州街道663「青森市久栗坂・浜田」/街道写真紀行
(青森市久栗坂 浜田)  1206/1408

2014/08/06

青森市久栗坂・山辺/旧奥州街道662

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久栗坂、鼻繰崎

浅虫の善知鳥崎(うとうまい)から久栗坂の集落に入る。

右側の海岸線が開け、鼻繰崎が見えてきた。
鼻繰崎は「はなぐりさき」と読むそうだ。
この辺の地名が久栗坂(くぐりさか)であるから、似たような読みの岬だ。

ただ、鼻繰とは、牛の鼻輪(わっぱ)のことを言うようであるから、
地形的に、そんな感じに見えないこともないと思えた。

鼻繰崎の手前側の付け根部分は、久栗坂漁港となっている。




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久栗坂、善知鳥崎方面

 

久栗坂の山辺集落に入ると、
右側に「蛇塚漁師新田発祥の地」と書かれた標柱が建っていた。

根井、久栗坂、五本安、深新田等と、
ここ蛇塚の村が合併して旧久栗坂村が出来たとのことだ。

その蛇塚村の漁師が開発した新田ということであろうか。

海岸線に出てみると、綺麗に整備されていた。

写真は、今歩いてきた善知鳥崎方面を振り返ったものだ。
正面の小島は、何度も登場する湯の島である。




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久栗坂・山辺集落

旧街道に復帰する。
久栗坂の山辺集落である。

左側の店、やまよし石材店の住所は、久栗坂山辺となっている。

山辺は、明治9年創立の久栗坂小学校がある古くからの集落だ。
この先で、根井川を渡ると、久栗坂浜田地区となるところである。





詳細リンク:旧奥州街道662「青森市久栗坂・山辺」/街道写真紀行
(青森市久栗坂 山辺 浜田)  1206/1408

2014/08/04

青森市浅虫・善知鳥崎/旧奥州街道661

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旧街道、善知鳥坂行き止まり

峠の頂上付近の電波塔の前を進むと、道が藪で覆われ消失している。
地理院の地形図には、この先も徒歩道が続いている。

道を間違えたかと思って、持参のGPSナビで確認したが間違いない。
行けるはずと思い、少し進んでみたが、とうとう歩けなくなった。

あと少しで坂を下り、久栗坂に着くはずであるが、諦める。
ここから小一時間かけ、登ってきた山道を戻るのは悔しいが仕方ない。

 

善知鳥坂を、そのまま下って戻るのは少し癪であるので、
諦め悪く、より山側(東側)の道を登ってみた。

地下を青い森鉄道の浅虫トンネルがあるところだ。

山頂付近にバンガロー風の小さな家が建っていたが、
その先にもバイパスとなるような道は無かった。




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善知鳥崎

善知鳥坂を下り、陸奥湾の海岸線まで戻り、国道4号線に合流する。
そして、少し進むと、正面に善知鳥崎(うとうまい)のトンネルが見えてきた。

今はトンネルができているが(明治24年開通)、それ以前は、
写真右側の波打ち際の道で、
善知鳥崎の崖には梯(かけはし)が掛けられてあった。

なお、善知鳥坂経由の山越えルートは、
この写真の左側の山の上となっている。

 

善知鳥崎の先端には遊歩道が設けられてあった。
今でこそ崖を削り、歩きやすい小路となっているが、
かつては6尺ほどの板が渡してあり、その板を通る道となっていた。

アイヌ語で、ウトウは突起を意味するとのこと。
越後の親不知・子不知と並び称された難所であった。




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青森市久栗坂

善知鳥崎の難所を超えると、
青森市浅虫から、久栗坂(くぐりざか)となる。

国道4号線は左であるが、旧道は前方の分岐を右の海岸側を進む。
県道259号線で久栗坂方面である。





詳細リンク:奥州街道661「青森市浅虫・善知鳥崎」/街道写真紀行
(青森市 浅虫 久栗坂)  1206/1408

映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」

平成26年8月
新宿ピカデリー




タイトル キャスト コメント


オール・ユー・ニード・イズ・キル


 2014年 
         日本
         
 監督
  ダグ・ライマン


 


  トム・
   クルーズ

  エミリー・
    ブラント

  ビル・
    バクストン

  ブレンダン・
    グリーソン

  羽田 昌義

       


   
近未来の地球。侵略者の激しい攻撃に、人類の軍事力では太刀打ちできなくなっていた。
   そんな中、一人の兵士が戦闘と死をループしながら幾度も戦闘するうちに、技術を身につけていく・・・
  面白い設定で、最後まで一気に見せてくれます。


詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

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