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2014年3月

2014/03/31

野辺地港~馬門通/旧奥州街道629

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野辺地港、浜町の常夜燈

浜町の常夜燈は、文政10年(1827年)、
野辺地の廻船問屋野村治三郎によって建てられた。
関西の商人橘屋吉五郎の協力を得て、海路運ばれてきたものだ。

常夜燈には、毎年3月から10月まで、夜毎灯が灯され、
公開の安全を守る燈明台として、

野辺地湊に行き交う船を見守ってきた。

江戸時代に物資輸送の大動脈であった大坂と
蝦夷地を結ぶ日本海航路。

野辺地湊はこの航路への盛岡藩の窓口であり、
領内の海産物、大豆、銅などを積み出す船や、塩、木綿、
日用品などを積み入港する船で賑わった。

湊には、湊役所、遠見番所、銅蔵、大豆蔵、台場(砲台)などの施設や、
廻船問屋の船荷蔵があり、船は沖合いに停泊し、
はしけ船によって船荷を運んでいた。




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野辺地漁港

野辺地漁港で、背後は下北半島だ。

野辺地漁港は藩政期から南部藩の重要な交易港となっていたが、
昭和和7年に漁業組合によって整備され、
さらに、昭和44年に公共事業として整備が行なわれている。

主な陸揚魚種は、ほたてがい、うに、まなまこ、
とげくりがにとのことであった。

なお、この周辺一帯は、地方港湾「野辺地港」に指定されている。




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野辺地橋

野辺地港の浜町常夜燈公園より、街道に復帰する。

正面の橋が、野辺地川に架かる野辺地橋である。
江戸時代も板橋が架かっていた。

道路標識には、
「直進 馬門、右 野辺地港、 左 青森」と記されてある。

この辺の地名は馬門道(まかどみち)と云い、
旧奥州街道100番目の宿場である馬門(まかど)宿へ続く道である。





詳細リンク:旧奥州街道629「野辺地町・野辺地港~馬門通」街道写真紀行
(野辺地町 野辺地 馬門道) 1206/1403

2014/03/26

野辺地町・八幡宮~野辺地港/旧奥州街道628

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野辺地八幡宮

野辺地宿の出口にある野辺地八幡宮に参拝。

この本殿は、成徳4年(1714年)に再建されたものだ。
建築様式を損なうことなく建立当初の姿をそのまま留めており、
江戸時代中期の神社建築のありさまを示す文化財建造物として、
青森県重宝に指定されている。

なお、野辺地八幡宮は、慶長3年(1598年)の創建と伝えられている。

野辺地八幡宮境内にある金毘羅宮は、

仙台屋安田兵衛を始めとする野辺地宿の廻船問屋達により、
海上安全を祈願して文政5年(1822年)に勧請されたものだ。

本殿の大工棟梁は盛岡の畠山清八で、
建立当初の姿をそのまま残しているとの事。

青森県重宝に指定されている。




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大湊線踏切

八幡宮より街道に復帰すると、程なくこのJR東日本大湊線の踏切を渡る。

大湊線は、野辺地駅と下北半島のむつ市大湊駅を結び、
延長58.4kmで、
大正10年に全線開業している。




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野辺地港、常夜燈公園

大湊線の踏切を渡り、街道右側にある野辺地港に向かう。
正面に野辺地港にある、常夜燈公園が見えてきた。

盛岡藩の日本海航路への窓口として賑わった野辺地湊へ、
夜間入港する船への目印として、
旧暦の3月10日から10月10日までの間、
毎晩火が灯されていた。

この常夜燈は、野辺地の廻船問屋の野村治三郎、
関西の船主橘屋吉五郎が中心となって建立したとの事。

その常夜燈を中心に常夜燈公園として整備されているところだ。





詳細リンク:旧奥州街道628「野辺地町・八幡宮~野辺地港」/街道写真紀行
(野辺地町 野辺地 浜掛) 1206/1403

2014/03/22

野辺地町・99野辺地宿/旧奥州街道627

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野辺地宿入口

野辺地川の橋を渡ると、旧奥州街道野辺地宿に入る。

橋を渡ったこの辺が、 野辺地宿の入口であったようだ。

野辺地宿は、盛岡藩最北の湊町でもあり、
また津軽藩に対する防衛の役割を担う重要な町でもあった。




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野辺地宿、本町

野辺地町本町(現野辺地町字野辺地)で、
この辺が野辺地宿の中心部であった。

正面の野辺地郵便局の先の交差点辺りに高札場があった。

野辺地は、藩営の尾去沢銅山から産出される銅の積出港で、
ここから西廻り航路で大坂の銅座へ運ばれた。

また、領内の大豆、鰯〆粕や、
俵物の呼ばれる下北半島の特産品(乾しアワビ、イリコ等)の
積出港でもあり、街道の左右には大きな商家が軒を並べていたが、
今はその面影は全く感じられなかった。

この左手に中央公民館、図書館、歴市民族資料館があり、
盛岡藩の野辺地代官所のあったところだ。




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野辺地八幡宮

正面に野辺地八幡宮があり、街道はここで右折となっている。

野辺地宿の出口付近で、道路が枡形となっているところだ。
この辺りに、防御のための同心組丁があった。

野辺地八幡宮は、慶長3年(1598年)の創建と伝えられている。

左には野辺地警察署があり、
ここの住居表示は野辺地町字新町裏なっている。

新住居表示で新町が消えたが、
ここの新町裏が字名としてそのまま残されているのは面白い。





詳細リンク:旧奥州街道627「野辺地町・99野辺地宿」/街道写真紀行
(野辺地町 野辺地 新町裏) 1206/1403

2014/03/20

野辺地町・野辺地駅~野辺地川/旧奥州街道626

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青い森鉄道・野辺地駅

旧奥州街道の野辺地駅入口で、街道歩きを中断して駅に向かう。

野辺地駅は、青い森鉄道とJR東日本の大湊線の共同使用駅である。

開業は明治24年で、東京より694.6kmだ。
毎度のことながら、良くもここまで歩いてきたものだ一人感激している。

野辺地駅は、元はJR東日本の駅であったが、
平成22年東北新幹線が新青森まで延伸されたことで、
経営分離して青い森鉄道となった。

従来からの大湊線(野辺地~陸奥横浜~大湊)は、
そのままJR東日本であるため、
他のJR線と接続の無い孤立した路線となってしまった。




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野辺地駅前常夜灯

野辺地駅前にある、町のシンボルとなっている野辺地港の
常夜灯のレプリカである。

背後の建物は、野辺地町立の観光物産PRセンターだ。

野辺地駅に隣接したインフォメーションターミナルで、
野辺地町をはじめ、上北・下北地域、青森県全域の
観光情報が集められている。

正面玄関を入ったホールには、
各地の観光パンフレットや名産品が並べられている。


物産販売コーナーでは、野辺地町のお土産を
手に入れることができるほか、軽食や休憩コーナーもあった。

今回は、予め予約してあった駅前の旅館コマイに投宿する。

丁度、七戸工業大学付属高校生の一行が、
試合のため宿泊していて、賑やかな夜であった。




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野辺地川

翌朝7;00に旅館を出発。

旧街道に復帰すると、すぐ野辺地川の橋を渡る。
この橋を渡った所が、旧奥州街道99番目の宿l場・野辺地宿である。





詳細リンク:旧奥州街道626「野辺地町・野辺地駅~野辺地川」/街道写真紀行
(野辺地町 鳴沢 上小中野) 1206/1403

2014/03/19

映画「ラッシュ/プライドと友情」

平成26年3月
横浜ムービル



タイトル キャスト コメント
ラッシュ/
プライドと友情


 2013年 
      アメリカ


 監督
  ロン・
   ハワ-ド


 クリス・
   ヘムズワース

 ダニエル・
   ビュール

 オリヴィア・
   ワイル

 アレクサンダラ・
   マリア・ララ

  
  性格もレーススタイルも違うF1レーサー、ニキ・ラウダとジェームス・ハントが激しい首位争いを演じていた1976年。
  ランキング1位であったラウダはドイツ大会で大事故にあうが、6週間で奇跡的に復帰し、日本の冨士スピードウェイでのシリーズ最後のレースに臨む。
  脚本が良く、臨場感溢れるレースシーンも含め、車(F1)好きにはたまらない映画となっている。


詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2014/03/17

野辺地町・松ノ木平~鳴沢/旧奥州街道625

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はまなすライン

国道4号線より分かれて、はまなすライン(国道279号線)に入る。
恐山72km、むつ59km、横浜32kmと標識があった。

ここは車道であるので、歩道は左の細い道となっている。




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青い森鉄道、野辺地駅方面

立体交差となっている国道279号線の跨線橋から、
青い森鉄道の野辺地駅方面を俯瞰した写真である。

旧奥州街道99番目の宿場野辺地宿のあったところだ。
その先には、陸奥湾(野辺地湾)が見えてきた。

旧奥州街道歩いていて、始めての海である。
野辺地から終点の三厩までは海沿いの快適な道となる。




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野辺地町市街入口

青い森鉄道の跨線橋を渡ると、正面に野辺地市街が見えてきた。

野辺地町は、アイヌ語の「ノンベチ」(ヌブンベッとも)に由来している。
野なかを流れる清い川の意味とか。

江戸時代は南部藩の外港のあったところである。





詳細リンク:旧奥州街道625「野辺地町・松ノ木平~鳴沢」/街道写真紀行
(野辺地町 下松ノ木平 鳴沢 餅粟川原) 1206/1403

2014/03/14

東北町・家ノ前~野辺地町境/旧奥州街道624

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野辺地町一ノ渡、旧奥州街道

国道4号線より分かれて、左側の旧奥州街道に入る。

標識は無いが、この辺から、
東北町・家ノ前から野辺地町・一ノ渡に変わるところである。




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国道4号線、野辺地町境

国道4号線の野辺地町境で、ここから先が野辺地町である。

実は、旧街道はここよりかなり手前で、既に野辺地町に入っていたが、
国道に出ると、再び東北町湯田平となっており、
町境が入り組んでいるところである。

前方の分岐は、松ノ木交差点である。




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松ノ木交差点


松ノ木交差点で、右がむつ、野辺地駅方面で、
左が国道4号線の青森、平内方面である。

右の道を進み、旧奥州街道99番目の宿場である野辺地に向かう。





詳細リンク:旧奥州街道624「東北町・家ノ前~野辺地町境」/街道写真紀行
(東北町 家ノ前 湯田平 野辺地町 一ノ渡 松ノ木平) 1206/1403

2014/03/12

東北町・石坂~清水目川/旧奥州街道623

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石坂交差点、国道4号線合流点

青森県道8号線を進むjと、ここ石坂交差点で国道4号線に合流する。
右が野辺地方面である。




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清水目川、橋

石坂の坂を下って行くと、清水目川に架かる橋を渡る。
この先で東北町から野辺地町に変わるところだ。

清水目川は、野辺地川の支流で、この少し右側で合流している。
野辺地川は、旧奥州街道99番目の宿場の中心部を流れている川で、
陸奥湾に流入している。

かつての野辺城の天然の外濠ともなっていた川だ。
この川の源流は奥州山脈で、上流には清水目ダムがある。




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家の前、旧街道分岐

清水目川を渡ると、旧街道が残されている。

この左側の狭い道が、旧奥州街道である。





詳細リンク:旧奥州街道623「東北町・石坂~清水目川」/街道写真紀行
(東北町 石坂 家ノ前) 1206/1403

2014/03/10

東北町・千曳~石坂/旧奥州街道622

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千曳、旧街道

東北町字千曳(ちびき)に入る。

右側にあるのは、千曳墓地だ。
千曳墓地管理組合の看板があり、
「きれいな墓地にしましょう」と書かれてあった。

地名の千曳とは、古事記に出てくる「千引石(ちびきのいわ)」で、
動かすのに千人で引かなければならないような重い石のことだ。

前述の千曳神社は、その千引石を祀った神社とのこと。




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石坂、旧街道

ここから、砂利道となる。
如何にも旧街道らしい峠道となっている。




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石坂、明治天皇巡幸記念碑

峠を上りきると左側に、明治天皇親巡蹟がある。

説明によると、明治9年7月の総勢148人よる東北巡幸の際、
当時の甲地村(現東北町)石坂で休憩された。
その巡幸を記念して昭和6年に建立されたものだ。





詳細リンク:旧奥州街道622「東北町・千曳~石坂」/街道写真紀行
(東北町 千曳 家ノ下タ 石坂) 1206/1403

2014/03/07

東北町・家ノ下タ~向平/旧奥州街道621

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大町桂月歌碑

日本中央の碑歴史公園内にある、大町桂月の歌碑

「よしや今 石文なくも つほの里 ますらたけをの 忍ばるる哉
大正14年5月25日 桂月」と刻まれてある。

左側には、

「七戸に下りたるは、円収師の教をうけたきことなればなり。
今一つ壷の石碑の跡を探りたればなり。
七戸より青森さして、一里半ばかり北すれば、ここなりと言ひ伝ふ」

と記されてあった。

桂月は、大正13年12月末から蔦温泉で越冬した後、
この地にやってきたが、
この時は未だ石文は発見されていなかった。




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西行、顕昭歌碑

同じく、歴史公園内にある歌碑で、西行と顕昭の詠んだ歌が刻まれてある。

「みちのくの 奥ゆかしきそ おもほゆる
 壷の石ぶみ 外の浜風
 ~西行(夫木和歌抄)」

「思ひこそ 千島の奥を 隔てねど
 えぞかよはさぬ つぼのいしぶみ
 ~顕昭(夫木和歌抄)」

夫木(ふぼく)和歌抄とは、鎌倉後期、延喜3年(1310年)ごろにできた
藤原長清撰の私選和歌集のことである。




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向平、旧奥州街道

日本中央の碑歴史公園より、旧奥州街道に復帰する。
東北町字向平の旧奥州街道だ。


この先で、所々に旧道が残されている、車の殆ど通らない快適な道となっている。




詳細リンク:旧奥州街道621「東北町・家ノ下タ~向平」/街道写真紀行
(東北町 家ノ下タ 向平) 1206/1403

2014/03/04

映画「大統領の執事の涙」

平成26年3月
新宿ピカデリー


タイトル キャスト コメント
大統領の執事の涙

 2013年 
      アメリカ


 監督
  リー・
   ダニエルズ
 
 
 フォレスト・
   ウィテカー

 オブラ・
   ウィンフリー

 ジョン・
   キューザック

 ジェーン・
   フォンダ

  
  綿花畑で働く奴隷の息子に生まれた黒人。ホテルのボーイになって働き、ホワイトハウスの執事へと抜擢される。
  7人の大統領に仕えた男の波乱に満ちた物語・・・。実在したホワイトハウスの黒人執事の人生をモデルにした映画。
  キューバ危機、ケネディ暗殺、ベトナム戦争といった国家的大局を目の当たりにしながら、白人の従者である父を恥じ公民権運動に走る息子との衝突等、濃密なストーリー展開は見応えがある。満員であった。



詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

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