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2014年2月

2014/02/28

東北町・家ノ下タ~日本中央の碑/旧奥州街道620

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東北町家ノ下タ、旧街道

七戸町と東北町の境界にある森を抜けると、正面が開けてくる。

上北自動車学校があり、街道はここで右にカーブしている。
地名は東北町字家ノ下タ(いえのした)となっている。




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日本中央の碑、保存館

旧街道右側にある日本中央の碑歴史公園の中央にある保存館。

中に「日本中央」と刻まれた高さ1.5m、幅70cmの
石碑が保存されている。

昭和24年に川村種吉が発見してから、
長らく簡素な祠だけで雨曝しとなっていたのを、
平成7年に発見地近くである、この保存館の保管された。

ここの地名は東北町字家ノ下タ(いえのした)である。



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日本中央の碑

保存館に入ると正面に日本中央の碑があった。
係り員に了解を得て撮影したものだ。

中央に大きく、「日本中央」と刻まれてあった。

それにしても不思議な石だ。

「壷の碑(いしぶみ)」は、
坂上田村麻呂が弓筈で石に文字を記したと
伝えられる伝説の古碑である。

長い間に、碑の所在は分からなくなり、
石文(いしぶみ)地区(東北町字石文)の
どこかに埋まっているとの伝承が残されてきた。

明治9年の明治天皇巡幸の時、
前述の千曳神社境内を掘るなどして
壷の碑を探したが発見されなかった。

昭和24年、石文地区湿地帯の雑木林の中でこの碑が見つかり、
これが「伝、壷の碑」ではないかと大騒ぎになった。

壷の碑は、古来多くの文人たちも関心を寄せ、
一時多賀城碑が壷の碑に比定されたことも有ったが、
古歌を見ると、多賀(宮城県)ではなく、
東北地方北部にあった可能性が高い。

藤原清輔朝臣の
  「石ぶみや つがろ(津軽)のをちにありときく えぞ世の中を思いはなれる」

西行の
  「みちのくは 奥ゆかしくもおもほゆる 壷の石ぶみ外の浜風」等々。

しかし、この碑の最大の謎は、
やはり大きく刻まれた文字「日本中央」である。

日本という国号が使われていない時代に、
日本(本州)の最北端にあたる当地である。

さらに、この碑を刻んだという坂上田村麻呂はこの地まで遠征していない。
(後任の征夷大将軍・文屋錦麻呂はここまで足を運んでいる)

田村麻呂は、
この先にある北海道や千島列島までを日本の領土とみなして、
ここが中央としたとの説もあるが、どうも疑わしい。

尤もらしいのは、日本は「ひのもと」と読み、
平安初期の文献によると東北地方一体を指す言葉として
使われていたようだ。

従って、日本の中央は、
蝦夷征討軍が敵地の中央部分にあたる場所としたことが
妥当な解釈であろうか。





詳細リンク:旧奥州街道620「東北町・家ノ下タ~日本中央の碑
(東北町 家ノ下タ) 1206/1402



2014/02/25

七戸町・尾山頭~東北町/旧奥州街道619

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尾山頭集落

旧街道が通行不能であったので、
千曳神社の鳥居のところまで引き返し、尾山頭の集落に入る。

千曳神社参道入口と書かれた木製の案内標識が建っていた。




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旧街道分岐、尾山頭

やがて、旧街道との分岐路となる。
旧奥州街道は、左側の狭い道である。




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東北町境

木立を抜けると、正面が開けてくる。
今までの七戸町から東北町と変る所である。

字名は、東北町「家ノ下タ」と表記されている。
調べてみると、これで「いえのした」と読むようだ。

東北町はもとの甲地(かつち)村で、
昭和38年に町制施行し、東北町と改称した。

さらに、平成17年には上北町と合併し、改めて現在の東北町が発足している。




詳細リンク:旧奥州街道619「七戸町・尾山頭~東北町」/街道写真紀行
(七戸町 尾山頭 東北町 家ノ下タ) 1206/1402

2014/02/23

映画「ウルフ・オブ・ウォールストリート」

平成26年2月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
ウルフ・
オブ・
ウォールストリート
 

 2013年 
      アメリカ


 監督
  マーティン・
   スコセッシ
 レオナルド・
   ディカプリオ

 ジョナ・
   ヒル

 マーゴット・
   ロビー

 マシュー・
   マコノヒー
  
  
  
学歴や人脈もないまま、22歳でウォール街の投資銀行で働き出し、巧みな話術で人の心を瞬間に掴み、斬新なアイデアを次々と出して業績を上げ、猛烈なスピードで成り上がって行った男。
  26歳で証券会社を設立し、約49億円の年収を得るまでになり、ウォール街のウルフと呼ばれるようになるが・・・
  いやぁ、是は結構面白いです。実在の株式ブローカー、ジョーダン・ベルフォートの回想録を映画化したもの。



詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2014/02/21

七戸町・尾山頭~千曳神社参道/旧奥州街道618

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旧奥州街道、尾山頭

千曳神社の追分を過ぎると、快適な峠越えとなる。

峠を下って行くと、左正面に尾山頭の集落が見えてきた。
この右手に千曳神社のあるところである。




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千曳神社参道

尾山頭の集落入口に、千曳神社の参道入口がある。
この先に千曳神社のあるところだ。

千曳神社は創建1200年、青森県最古の神社である。
大同2年(807年)坂上田村麻呂の創建とのことだ。

江戸時代は、幕府巡検使の参拝地であった。




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旧道/尾山頭

千曳神社の鳥居の前を進むと、右側に旧奥州街道がある。

手元の地形図では、このまま進めるはずであったが、
実際は途中で道が消滅して、
仕方なしに千曳神社の鳥居のところまで戻る羽目となった。




詳細リンク:旧奥州街道618「七戸町・尾山頭~千曳神社参道」/街道写真紀行
(七戸町 尾山頭) 1206/1402

2014/02/18

七戸町・柳平~尾山頭/旧奥州街道617

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柳平一里塚跡

柳平の十字路を渡ると
右側に柳平(やなぎたいら)一里塚跡と書かれた説明板がある。

この右手奥に、一里塚があったが、
昭和54年の水田造成の際に消滅したとのこと。

日本橋より176番目の一里塚であった




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千曳神社追分

快適な道を進むと、千曳神社追分となる。
古い石造の追分石があり、旧街道は左の道だ。

千曳神社は創建1200年、青森県最古の神社である。
大同2年(807年)坂上田村麻呂の創建とのことだ。

古くから「日本中央」と刻まれた「つぼの石文」があるとの伝説があり、
ここを訪ねた和歌や紀行文が残されている。

江戸時代は、幕府巡検使の参拝地であった。




98sichinohe32s 千曳神社追分石

追分にある千曳神社追分道標で、
中央に千曳神社、右 千曳、左 野辺地と刻まれている。

背面には弘化乙巳六月十五日と刻まれてあった。
年表で調べてみると、1845年であった。





詳細リンク:旧奥州街道617「七戸町・柳平~尾山頭」/街道写真紀行
(七戸町 柳平 尾山頭) 1206/1402

2014/02/17

二月花形歌舞伎/歌舞伎座

平成26年2月
歌舞伎座

演 目 役 者 観 劇 記
鶴屋南北作
通し狂言

心謎解色糸
(こころのなぞとけたいろいと)


序幕
 深川八幡の場
 二軒茶屋松本の場
 雪の笹薮の場

二幕目
 本町糸屋横手の場
 同 奥座敷の場
 元の糸屋横手の場

三幕目
 大通寺墓所の場

四幕目
 深川安野屋の場
 同 州崎弁天橋袂の場

大詰
 小石川
  本庄網五郎宅の場
 同 伝通院
  門前の場



   
お祭左七/
半時九郎兵衛
    染五郎
 

本庄綱五郎
    松 禄


芸者小糸
    菊之助

 
糸屋の娘
九郎兵衛女房
    七之助


鳶頭風神喜三兵衛
    男女蔵


松本女房お蔦
    高麗蔵


安野屋十兵衛 
    歌 六

  左七と小糸、綱五郎とお房、九郎兵衛とお時という3組の男女が織りなす奇妙な縁で繋がれた恋愛模様。赤城家の家宝である「小倉の色紙」を巡って展開していく。
  先ずは、江戸の華である鳶職の左七と深川芸者小糸との馴れ初めから始まり、家宝の「小倉の色紙」が盗まれて起こる悲劇に巻き込まれていく。
  2組目は、色紙紛失の罪をかぶる綱五郎と糸屋の娘。
  そして、もう一組は、赤城家に仕えていた九郎兵衛とお時。二人は駆け落ちをして、身を持ち崩してからは悪事を働き生計を立てている・・・
  文化7年(1810年)に初演された4世鶴屋南北の世話物で、41年ぶりの上演とか。歌舞伎座では初めての上演。
  3組の男女のそれぞれの運命と葛藤が趣向を凝らし、見応えのある舞台となっている。 

2014/02/13

七戸町・上川原~上平/旧奥州街道616

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坪十字路

坪川を渡ると、坪集落に入る。
この坪の十字路で、旧奥州街道は左の細い道に入る。

日本橋より684.4kmの道路標識のあるところだ。
右側には七戸町 坪」と書かれた木製の道標が建てられてあった。

現在の地名表示は上川原となっている。




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旧街道、坪集落

坪の十字路で左折すると、如何にも旧街道らしい雰囲気の道となっている。




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柳平十字路

坪集落を抜けると、広々とした田園風景となる。
見事な一本道の快適な道であった。

柳平の道を進むと、前方に広域農道との十字路が見えてきた。

この十字路を越えると、右側に柳平の一里塚があったところである。





詳細リンク:旧奥州街道616「七戸町・上川原~上平」/街道写真紀行
(七戸町 上川原 上平) 1206/1402

2014/02/11

七戸町・道ノ上~坪川/旧奥州街道615

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七戸町黄金、旧街道

国道4号線の左側にある旧街道らしい道である。

実は、この辺は開拓が進み、
新たな区画整理で旧街道がわかりにくいところである。




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七戸町・黄金

道の傍らにある木造道標。

七戸町黄金と書かれてあった。
この辺の現在の地名は金沢平となっている。

旧称なのであろうか。
近くの国道4号線に「黄金」と書かれたバス停があった。




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坪川上流

国道4号線に合流して、暫く歩くと、前方に坪川に架かる坪橋が見えてきた。

坪川は、八甲田山東北麓を源流とする川で、この下流で高瀬川と合流し、
小川原湖に流入している。

坪川に架かる坪橋より、上流(左側)を見た写真である。





詳細リンク:旧奥州街道615「七戸町・道ノ上~坪川」/日本写真紀行
(七戸町 道ノ上 金沢平) 1206/1402

2014/02/10

映画「大脱出」

平成26年2月
新宿ピカデリー



タイトル キャスト コメント
大脱出 
 2013年 
      アメリカ


 監督
 ミカエル・
  ハフストローム
 
 シルヴェスター・
   スタローン

 アーノルド・
 シュワルツェネッガー

 ジム・
   カヴィーゼル

  
  陸から離れた海上に存在する、通称墓場と呼ばれるタンカー監獄に、世界でもトップクラスのセキュリティーコンサルタントが身に覚えの無い罪で投獄される。
  そして、この巨大監獄からの脱出を決意した彼は、綿密な計画を練り行動に移す・・・  
  凝った設定とアクションが、最後まで楽しませてくれる。



詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2014/02/08

七戸町・中野~道ノ上/旧奥州街道614

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道ノ上一里塚跡

左側に、道ノ上一里塚跡がある。
明治の中頃まであったが、道ノ上に軍馬補充部が出来た時に消滅した。

日本橋から175番目の一里塚であった。




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天間林温泉

右側の路次奥に天間林温泉がある。
住所は七戸町森ヶ沢だ。

入浴料300円で、6:00~22:00まで営業している。




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天間林地蔵尊

天間林土地改良区と書かれた手前に、可愛らしいお地蔵さんがある。
旧奥州街道を歩いていて、久しぶりの地蔵尊であった。





詳細リンク:旧奥州街道614「十和田市・中野~道ノ上」/街道写真紀行
(七戸町 中野 森ヶ沢 道ノ上) 1206/1402

2014/02/03

七戸町・原久保~中野/旧奥州街道613

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原久保、国道4号線

七戸の松並木を過ぎると、街道は急な下り坂となる。
東京より679.6km地点だ。

前方の交差点が中野三叉路である。
標識には直進 青森、野辺地(国道4号線)、
右 東北(県道173号線)と書かれてあった。

右方向の上北郡東北町は、小川原湖に接する町で、
近世以来の甲地村が
昭和38年の町制施行の時に東北町と改称されたものだ。




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中野三叉路

中野川に架かる中野橋を渡ると、中野三叉路となる。
東京より680.1kmのところだ。

旧奥州街道は、ここで右側が奥州街道下道(しもどう)、
そして左側が上道(かみどう)となり、どちらも旧奥州街道である。

下道は、松前藩の参勤交代や、幕府巡検使が利用し、
上道は地元の人や商人が主に利用したようだ。

ここで、途中に「日本中央碑」のある上道を選択した。
此方の方が賑やかで、距離も若干近いようだ。




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中野、旧奥州街道

中野三叉路を左折し、すぐこの旧街道に入る。
如何にも、旧街道らしい道であった。





詳細リンク:旧奥州街道613「七戸町・原久保~中野」/街道写真紀行
(七戸町 原久保 橋ノ上 道ノ下 家前 中野) 1206/1402

映画「小さいおうち」

平成26年2月
横浜ムービル



タイトル キャスト コメント
小さいおうち 
 2013年 
      日本


 監督
  山田 洋次

  
  松 たか子

  黒木 華

  片岡 孝太郎

  吉岡 秀隆

  倍賞 千恵子

  笹野 高史

  米倉 斉加年

  
  
  東京の郊外の赤い三角屋根の小さいがモダンな家で女中として働いていた女性の自叙伝。
  そこに綴られた恋愛模様とその裏に秘められた意外な真実・・・
  昭和11年、田舎から出てきた女性の半生を、時代背景を上手く折込みながら淡々と描いている。





詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

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