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2014年1月

2014/01/30

七戸町・七戸十和田駅~原久保/旧奥州街道612

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奥州街道の碑

東京発6:28の東北新幹線はやて11号に乗り、
七戸十和田駅に着いたのは9:50であった。

駅で、歩き旅の準備をして、前回中断した旧街道に復帰する。
奥州街道、七戸の松並木が続くところである。

松並木を歩くと、右側に奥州街道と刻まれた立派な
石碑と詳しい奥州街道案内図がある。
青森県歴史の道整備促進協議会が建てたものだ。

背後は、青森県営農大学校である。
明治45年創設の青森県立種馬育成所が前身である。

過程は、畑作園芸(野菜、花き)、果樹(りんご、一般果樹)、
畜産(酪農、肉牛、養豚)と別れ、全寮制の学校である。




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七戸松並木

奥州街道七戸松並木は、
1.6kmに亘り松並木が保存され、歴史的景観を留めていることから
国土交通省により歴史国道として選定されている。

左側に、東京より678.6kmと書かれた道路標識があった。




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諏訪牧場

右側に諏訪牧場入口の案内板がある。
道標(右端)には、諏訪、七戸町と書かれてあった。

諏訪牧場は、サラブレッド系競走馬の名門牧場として知られているようだ。
松並木の間から、放牧されている馬の一部が見えた。

ここの地名は七戸町原久保である。

この辺は古くからの馬産地で、
源平合戦の宇治川の先陣争いで有名な名馬「いけずき」は
七戸産と伝えられている。

盛岡藩も、古代の牧を復活、拡張して馬産に力を入れてきたとのことだ。

また、七戸は絵馬の里としても知られ、
七戸の小田子にある小田子不動堂には、
室町時代から江戸時代にかけて奉納された多くの絵馬が残されており、
国指定の重要有形文化財に指定されている。





詳細リンク:旧奥州街道612「七戸町・七戸十和田駅~原久保」/街道意写真紀行
(七戸町 荒熊内  野崎狐久保 原久保) 1206/1401

2014/01/28

七戸町・道の駅~JR七戸十和田駅/旧奥州街道611

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七戸町文化村/道の駅しちのへ

七戸町荒熊内にある道の駅「しちのへ」である。
愛称が「七戸文化村」で、平成5年に道の駅に登録されている。

この裏手には七戸町立鷹山宇一記念館が出来ている。
七戸町出身の洋画家鷹山宇一(明治41年生~平成11年没)の

画業を顕彰し、平成6年にオープンしたものだ。



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牧場施設

左側に、牧場の施設があった。
位置からして、
恐らく、農林水産省家畜改良センター奥州牧場の関連施設であろう。

この辺は、今でも牧場の多いところで、広大な奥州牧場の他、
南部牧場、盛田牧場、諏訪牧場等のあるところである。




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JR七戸十和田駅

正面に、真新しいJR東北新幹線の七戸十和田駅が見えてきた。

平成22年12月に開業したばかりの駅である。
東京から668km、大きな駅舎は、
「八甲田を望む大地の息吹と歴史を感じさせる駅」を
デザインイメージとしているとか。

駅舎は3つのブロックに別れ、中央のボックスは八甲田連峰を表現し、
左側は町の未来、そして右側は奥州街道の松並木を表しているとのこと。

当初は「七戸駅」であったが、開業時は、
十和田湖への玄関口となることから「七戸十和田駅」と変更された。

また、計画当初は、南部縦貫鉄道との接続構想もあったが、
新幹線の盛岡駅以北への延伸決定の延期なので開業が遅れたため、
待ちきれずに南部縦貫鉄道が路線廃止となり、
接続構想も消滅した経緯がある。


今回は時間も早いが、終日雨であったこともあり、
3泊4日の旧街道歩きをここで中断した。

14:43発のはやて30号に乗り、東京に着いたのは18:02であった。





詳細リンク:旧奥州街道611「七戸町・道の駅~JR七戸十和田駅」/街道写真紀行
(七戸町 荒熊内) 1205/1401

2014/01/27

映画「ゼロ・グラビティ」

平成26年1月
新宿ピカデリー




タイトル キャスト コメント
ゼロ・グラビティ 
 2013年 
    アメリカ


 監督
  アルフォンソ・
    キュアロン

  サンドラ・
    ブロック

  ジョージ・
    クルーニー

  エド・
    ハリス

  
  
  
  地表から600km離れた宇宙で、ミッションを遂行していたメディカルエンジニアとベテランの宇宙飛行士は、突然スペースシャトルが大破するという想定外の事故が発生。
  二人は一本のロープに繋がれたまま、漆黒の無重力空間に放り出される。
  極限状況下に置かれた二人と、リアルな宇宙空間や事故描写が3Dで、見事に描かれている。



詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2014/01/26

七戸町・倉越~荒熊内/旧奥州街道610

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倉越、旧街道

七戸宿の枡形を抜けると、七戸町倉越地区となり、
旧街道は一本道となる。




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蛇坂、湧水

街道左側の小川である。

この先に湧水があるようだ。
地形図で見ると、この湧水は小さな川となって、野崎の溜池に流入している。




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道の駅「しちのへ」入口

道の駅しちのへ、七戸文化村入口である。

新幹線の「七戸十和田駅」もここで、左折である。





詳細リンク:旧奥州街道610「七戸町・倉越~荒熊内」/街道写真紀行
(七戸町 倉越 上町野 蛇坂 荒熊内) 1205/1401

2014/01/22

七戸町・七戸城跡~七戸宿出口/旧奥州街道609

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七戸城跡より七戸宿俯瞰

七戸城跡は、東西400m、南北350mと広大で、
柏葉公園として綺麗に整備されている。

公園内には、東屋も出来ており、雨宿りを兼ねて利用させていただいた。

七戸城跡より七戸宿を俯瞰した写真である。
生憎の雨で市街が霞んでいたのは残念であった。




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親孝行踊りの由来碑

七戸城跡/柏葉公園の駐車場にある親孝行踊りの由来碑である。
平成18年に建てられた、未だ新しい碑であった。

親孝行踊りは、南部藩36代利敬(1784~1820年)が作られた
領民教化のための数え歌に舞を振り付けたものである。

毎年、神明宮の例大祭に奉納されているもので、
舞子は藩の命により、城下の良家の子女が選ばれていた。

この親孝行踊りは、昭和初期に再興され、
七戸町無形文化財に指定されている。




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七戸宿出口付近

七戸城跡を下り、七戸宿に復帰する。

この辺が枡形となっており、七戸宿の出口付近であったようだ。

旧街道は、この先の十字路で今度は左折である。





詳細リンク:旧奥州街道609「七戸町・七戸城跡~七戸宿出口」/街道写真紀行
(七戸町 森ノ上 七戸) 1205/1401

2014/01/21

寿 初春大歌舞伎/歌舞伎座

平成26年1月
歌舞伎座

演 目 役 者 観 劇 記
並木五瓶作
山口広一補綴

天満宮
  菜種御供

(てんまんぐうなたねごくう)

時平の七笑


 一幕

   
藤原時平
    我 當
 

菅原道真
    歌 六


判官代輝国
    新之介

 
頭の定岡
    松 江


  身に覚えの無い謀反の嫌疑をかけられた右大臣菅原道真に、大宰府への流罪の宣命が下される。  左大臣藤原時平は道真を弁護するが、勅命には逆らえず、道真は引き立てられていく。
  実は、これは道真を陥れるために時平が仕組んで罠であった。
  時平は天下を狙う大願成就と、独り舞台に残り、本心を顕し高笑い・・・・

梶原平三
  誉石切

(かじわらへいぞうほまれいしきり)

鶴ヶ丘八幡頭の場


 一幕

   
梶原平三景時
    幸四郎


六郎太夫
    東 蔵



    高麗蔵

 
俣野五郎景久
    錦之助


  梶原景時や、大庭景親、股野景久兄弟ら平家方の武将が鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮に参詣するとこに、青貝師六郎太夫と娘の梢が刀を売りに来る。
  景時は目利きをして、名刀と鑑定するが、股野の意見で二人の人間を重ねて切る「二つ胴」で切れ味を試すことになる。
  と、大変な設定であるが、景時が情と智を兼ね備えた捌き役を演じる。高麗蔵と錦之助が熱演であった。

秀山十種の内

松浦の太鼓
(まつうらのたいこ)


 二幕三場

   
松浦鎮信
    吉右衛門
 

大高源吾
    梅 玉


室井基覚
    歌 六

 
お縫
    米 吉


  吉良邸の隣家である松浦
信の屋敷で句会が催されており、赤穂浪士が討入りしないことに業を煮やしていた。
  そこへ、隣の吉良邸から討入りを知らせる山鹿流陣太鼓が鳴り響いてくる。
  赤穂浪士の吉良邸討入りの前日から当日を描いた、忠臣蔵の外伝物の傑作の一つ。

鴛鴦襖恋睦言
(おしのふすまこいのむつごと)

おしどり

  常磐津連中
  長唄囃子連中

   
遊女喜瀬川
    魁 春
 

河津三郎
    染五郎


股野五郎
    橋之助


  河津三郎に相撲で負け、約束どおり遊女喜瀬川を河津に譲ったが、執念深い股野は、雌雄の執念が深いとされる鴛鴦の雄の生き血を河津に飲ませ、その心を乱した上で殺そうと企む。
  雄鳥を殺された鴛鴦の雌鳥の精が現れ、やがて雄の精も現れ、恨み重なる股野を散々に悩ませると、どこともなく去っていく。
  長唄の「相撲」と常磐津の「鴛鴦」からなる舞踊劇。

詳細リンク:「演劇」/悠々人の日本写真紀行

2014/01/20

映画「REDリターンズ」

平成26年1月
新宿ピカデリー



タイトル キャスト コメント
REDリターンズ
 
 2013年 
    アメリカ


 監督
  ディーン・
    バリソット

  
  ブルース・
   ウィリス

  ジョン・
   マルコヴィッチ

  メアリー=ルイーズ・
   バーカー            
  
  イ・
   ビョンホン

  アンソニー・
   ホプキンス

  
  
  恋人と静かに暮らしていた元CIAの諜報部員は、かつての仲間が関わった小型核爆弾を巡る冷戦時代の極秘計画が原因となったトラブルが巻き込まれる。
  引退した元スパイたちの活躍を描いた「RED」の続編。老いてますます盛んなアクションに拍手。


詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2014/01/16

七戸町・七戸城跡/旧奥州街道608

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七戸城跡/柏葉公園

七戸町役場の左側(南側)から、七戸城跡に入る。

七戸城は、東西400m×南北350mほど、
内部は堀で区画された主郭・二の郭・北館・西館・角館・下館・宝泉館の
7郭を並列連郭式に並べた単純な構造になっている。

南北朝時代の南部政長の築城と伝えられているが、
考古学的な調査の結果から14世紀後半の南部政光により
築城されたと推測されている。

下って、天正19年(1591年)、城主七戸家国は、
九戸政実の乱で加担して滅び、
翌天正20年廃城となったが、津軽に対する備えから、
五戸町浅水城主南部直勝に名跡を継がせ、
その子七戸隼人直時を七戸2000石の城主とした。

寛文4年(1664年)、
七戸城に封じられていた27代南部利直の5男重信が、
南部本家29代を継ぐことになり、ここは藩の直轄地となった。、
そして、城内に代官所が置かれ、幕末まで続いている。

七戸城跡は、昭和16年に国の史跡に指定され、
現在は柏葉公演として整備されている。




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七戸神明宮

七戸城跡本丸跡にある七戸神明宮。

応永3年(1396年)、南部政光が勧請したのが始まりと伝えられている。
当初は新町にあったが、宝暦6年(1756年)に南町、
文化8年(1811年)には、七戸城の東側(現七戸役場付近)に移され、
明治14年に現在地の本丸跡に遷座されている。

創建以来南部氏に崇敬され、七戸町の総鎮守となっている。




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七戸城跡案内板

七戸城跡にある七戸城跡全体図、説明板だ。

絵地図入りで城跡が詳しく紹介されてあった。
かなり規模の大きい城であったようだ。





詳細リンク:旧奥州街道608「七戸町・七戸城跡」/街道写真紀行
(七戸町 七戸 森ノ上 貝の口) 1205/1401

2014/01/13

映画「永遠の0」

平成26年1月
横浜ムービル



タイトル キャスト コメント
永遠の0

 2013年 
    日本


 監督
   山崎 貴
  
  岡田 准一

  三浦 春馬

  井上 真央

  山本 学

  風吹 ジュン

  平 幹二郎

  夏八木 勲

  
  
  祖母の葬儀の席で会ったことのない祖父が、終戦間際の特攻隊員として出撃した零戦パイロットだったことを知り、かつての戦友を訪ね歩く。
  天才的な腕を持ちながら海軍一の臆病者と呼ばれていたことを知り、驚くが調べていくと・・・・
  愛と生と死を、奥深い展開で描いている。



詳細リンク:「映画」/悠々人に日本写真紀行

2014/01/09

七戸町・七戸中央~森ノ上/旧奥州街道607

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造り酒屋・駒泉

軒下に、鉢巻を付けた杉玉を吊り下げた
造り酒屋・株式会社盛田庄兵衛の店舗だ。

大きく蔵元・駒泉(こまいずみ)と書かれた暖簾がかかっていた。

この蔵元は、七戸歴史建物継承蔵元と指定されている。
宝永6年(1776年)創業の老舗である。

㈱盛田庄兵衛の壁には
「ほんとうに うまい酒を 飲みたい 
ほんとうに うまい酒を 拵えたい 蔵元 駒泉」
と大きく書かれてあった。




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黒石追分

七戸宿中心街を進むと、左右にある 
青森銀行七戸支店と七戸郵便局の先が交差点となっている。
この郵便局は明治5年に開設とのことだ。

左に行くと、七戸城跡があり、道路標識には黒石方面と書かれてあった。




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七戸町役場

青森銀行の角を左折すると、正面に七戸町役場があり、
その背後の小さな山が、かつの七戸城のあったところだ。

今は、城跡公園として整備されている。

黒石方面(国道394号線)はここで左折となる。

黒石は十和田八幡平国立公園の北西の玄関口に位置し、
江戸時代は弘前藩の支藩として黒石陣屋が置かれたところだ。





リンク:旧奥州街道607「七戸町・七戸中央~森ノ上」/街道意写真紀行
(七戸町 七戸 森ノ上) 1205/1401

2014/01/04

七戸町・98七戸宿/旧奥州街道606

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七戸橋/高瀬川

南部縦貫鉄道廃線跡から旧奥州街道に復帰する。

正面の高瀬川(七戸川)に架かる七戸橋を渡ると、
旧奥州街道98番目の宿場であった七戸宿に入る。

この橋は江戸時代は板橋であった。

高瀬川(七戸川)は、汽水湖である小川原湖に流入している川だ。

なお、手元の地図では高瀬川と書いてあるが、
高瀬川の名称は、小川原湖から河口までの7kmほどの範囲のみに
限定されることが多いようだ。




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98七戸宿

七戸宿の町並みである。
地名は七戸町字七戸となっている。

この左側の丘の上には七戸城があった。




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七戸宿旧家

街道左側に旧家が並んでいた。

左の旧家は、もと山勇商店で、醤油・味噌の醸造元であったが、
現在は廃業となり、この建物は今でもイベント等で使用されている。

右側の旧家は、軒先に杉玉の掛かった
清酒駒泉(こまいずみ)で知られた㈱盛田庄兵衛だ。

七戸歴史建物継承酒蔵として指定されている。

元文年間(1736ー1740年)に、
近江商人であった初代平次兵衛が、七戸で商いを始め、
安永6年(1776年)に高瀬川の伏流水を利用して
酒造りを開始した由緒ある蔵元のようだ。

なお、現在の蔵元・盛田庄兵衛氏は11代目とのことである。





詳細リンク:旧奥州街道606「七戸町・98七戸宿」/街道写真紀行
(七戸町七戸) 1205/1401

2014/01/03

皇居、新年参賀

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皇居、伏見櫓

平成26年1月2日、皇居の新年一般参賀に初めて訪れる。

桜田門から石橋を渡り、皇居正門、二重橋、
そして伏見櫓の横より宮殿前広場に入る。




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宮殿「長和(ちょうわ)殿」のベランダ

天皇皇后両陛下,皇太子同妃両殿下,秋篠宮同妃両殿下,
眞子内親王殿下 のお出ましである。

陛下はマイクを通じ「本年が国民ひとりひとりにとり、
安らかな、穏やかなものであることを願っています」と挨拶された。

今日の参賀者は、計8万1千人で、
平成に入って2番目の多さとのことであった。

(東京都千代田区千代田1-1) 1401/1401

2014/01/01

謹賀新年

Photo_2

昨年は、いろいろとお世話になりありがとうございました。

本年も、よろしくお願い致します。

                    管理人 Hitosh 

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