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2013年9月

2013/09/27

五戸町・倉石石沢~古街道長根/旧奥州街道585

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倉石石沢槍沢追分、名残の松

旧街道の坂道を下って行くと、左側に一際目立つ松ノ木があった。
左側からの道と合流する形になっている。

松ノ木の根元に石造の古い道標と、木製の案内標識が設けられてあった。
木製の道標には奥州街道、そして左は槍沢(うつぎさわ)と書かれてあった。




93gonohe70s 倉石石沢、石造追分石

石造の道標には、「右 槍澤」と刻まれてあった。

左側面には「御大典記念」と刻まれてある。
天皇の即位を記念して造られた石碑のようだ。




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丁字路、ひよどり坂へ

旧街道は、ここで町道に合流する。
左は「しだれ桜の里 うつきさわ(槍沢)」と書かれてあった。

この枝垂れ桜は、五戸町倉石石沢字槍沢にある樹齢百余年、
高さ10mで、ドームのような大きな枝振りが特徴とのことであった。

旧奥州街道は、右側の道で、下り道となる。
この先の坂はひよどり坂と言うようだ。





詳細リンク:旧奥州街道585「五戸町・倉石石沢~古街道長根」/街道写真紀行
(五戸町 倉石石沢 塚無岱 治郎左ェ門長根 古街道長根) 1205/1309

2013/09/24

五戸町・惣林橋~倉石石沢/旧奥州街道584

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五戸町惣林橋

旧街道の右側も、大きく開けてきた。
りんご畑と野菜畑となっているようだ。




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明治天皇行幸記念碑

街道右側に明治天皇行幸記念碑が建っていた。

明治9年7月明治天皇東北巡幸の際、ここで休憩された。
その時、八戸村は通らないとのことで、
旧八戸藩士大沢多門や野崎和治らが中心となって作られた、
八戸の風景や活気ある八戸港の大パノラマを、
ここでご覧になったとのことだ。

なお、東北巡幸一行は、総員213人、馬61頭であった。





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旧街道峠道

ここからは、旧奥州街道96番目の宿場・五戸宿に向かって、
再び下り道となるところだ。

坂道を下って行くと、左側に旧奥州街道と書かれた標識があった。

ここで左折すると、
倉石石沢(くらいしいしざわ)の槍沢(うつぎさわ)方面である。
この槍沢は読めなかった。






詳細リンク:旧奥州街道584「五戸町惣林橋~倉石石沢」/街道写真紀行
(五戸町 惣林橋 倉石石沢) 1205/1309

2013/09/23

映画「許されざる者」

平成25年9月
横浜ムービル



タイトル キャスト コメント
許されざる者 
 
 2013年 
     日本

 監督
  李 相日

  渡辺 謙

  柄本 明

  佐藤 浩市

  柳楽 優弥

  忽那 汐里

  小池 栄子


  1880年、江戸幕府崩壊後の北海道。幕末の京都で幕府の命を受けて志士たちを惨殺して回った刺客は、今は子供達と人里離れた極寒の土地でひっそりと暮らしていた。 経済的に困窮しているところに、かつての仲間が訪れ、賞金稼ぎに誘う。
  クリント・イーストウッド監督の「許されざる者」のリメークであるが、時代と場所を上手く変え、最後まで緊張感を維持した、見応えのある映画となっている。





旧作映画 制作年度別一覧

詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2013/09/20

五戸町・扇田~惣林橋/旧奥州街道583

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五戸町鳥内坂一里塚跡

鳥内(とりない)坂を下って行く。

道の両側に一里塚が残されているとのことだが、
生憎、深い薮に蔽われてわからなかった。

写真左端に標柱には、ここが鳥内坂の一里塚と記されてあった。




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五戸町惣林橋

更に進むと、左側が大きく開けてきた。

地形図によると、この辺一体は広大な畑地となっている。
放牧場のような広さであった。





詳細リンク:旧奥州街道583「五戸町・扇田~惣林橋」/街道写真紀行
(五戸町 扇田 惣林橋) 1205/1309

2013/09/17

五戸町扇田~鳥内坂/旧奥州街道582

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扇田分岐

ここで旧奥州街道は右側の細い登り坂の道となる。

二股のところに、「奥州街道」と書かれた道標があるのはありがたかった。




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鳥内坂、峠頂上

鳥内坂の頂上付近だ。
写真は左側(浅水方面)を見た写真である。

森林の伐採が終わったばかりと見え、切り株が遠くまで点在していた。




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鳥内坂、下り道

坂道の左側に、「鳥内坂(とりないさか)」と書かれた道標があった

街道は緩い下り坂となっている。
快適な街道歩きの出来るところだ。

ただ、熊がでるとのことで、熊除けの錫を鳴らしての街道歩きであった。





詳細リンク:旧奥州街道582「五戸町・扇田~鳥内坂」/街道写真紀行
(五戸町・浅水、扇田字鳥内沢) 1205/1309

映画「ホアイトハウス・ダウン」

平成25年9月
横浜ムービル



タイトル キャスト コメント
ホワイトハウス・ダウン
 
 2013年 
     アメリカ

 監督
  ローランド・       エメリッヒ

  チャニング・
    テイタム

  ジェイミー・
    フォックス

  マギー・
    ギレンホール

  ジェイソン・
    クラーク


  大統領を警護するlシークレットサービスを目指すも不合格となり、、幼い娘を悲しませたくないと、ホワイトハウス見学のツアーに娘と一緒に参加した議会警察官。
  そこへ謎の武装集団が乗り込み、ホワイトハウスを制圧してしまう。
  似た様な映画が多くあるが、これは良く練られた面白い映画となっている。





詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2013/09/13

五戸町・浅水~扇田/旧奥州街道581

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十海塚方面

十峰庵の東屋を過ぎると、
街道右側に「十海塚入口」と書かれた標柱がある。

この丁字路を右に行くと、十海塚がある。
十海塚は、常海和尚の墓地とのことだ。

写真はその十海塚入口より、十海塚方面を俯瞰したものだ。

十海塚の墓地に訪れてみたいと思い、

すこし坂道を下ってみたが、
どの辺にあるのか分からず、途中で引き返した。




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鞍越坂

十海塚入口より街道を先に進むと、再び山間の道となる。
この辺の坂は、鞍越坂というようだ。

写真は坂道の頂上付近で、この先の右側(写真中央)に、
鞍越坂と書かれた標柱があった。

ここからは下り坂となるところだ。
地名も五戸町浅水から五戸町扇田地区となる。




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鳥内清水

坂道を下ると前方が開けてきた。
写真中の白い案内板には「鳥内(とりない)清水」と書かれてあった。

案内板の背後には湧水があり、小さな溜め池となっている。
この清水を利用した小さな田圃が広がっていた。





詳細リンク:旧奥州街道581「五戸町・浅水~扇田」/街道写真紀行
(五戸町・浅水字十海塚、扇田字鳥内沢) 1205/1309

2013/09/10

五戸町浅水・下平~十海塚/旧奥州街道580

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旧奥州街道、浅水

浅水下平から小さな峠道を越えると、
浅水字十海塚(じゅうかいづか)地区に入る。

この十海塚は、気になり調べてみた。

大永7年(1527年)に常海和尚が、この地に常海寺という寺を建てる。
その常海が重海、十海と転訛してそのまま地名となったようだ。




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十峰庵、浅水十海塚

峠道を登ると、視界が開けた。
右側に十峰庵と命名された、東屋があった。

この東屋の前には、
「奥州街道をたずねて」と題した大きな説明板が設置されていた。

この道は、平安時代から都への献馬、貢物及びこの地方の産物の
輸送等の主要道路であった。

鎌倉時代には奥筋と呼ばれ、路次の主要地に宿駅を設けている。
幕府はこの道を軍用道路として利用するために、建長年間に、
時の執権北条時頼は路次の地頭に命じて、
道筋の路巾を広げ、路面の補修整備をさせた。

以後この道路は、開発の進展と共に、
武士や商人、旅人等人馬の往来が繁くなっていた。

江戸時代初期に、白河から三厩までの区間を奥州街道と呼び、
幕府勘定奉行の管理下に置き、

そのところの領主に維持補修をさせていた。

慶長9年(1604年)、日本橋を起点とした一里ごとに塚を築造させ、
榎木を植えさせている。

五戸町では、佐野坂、鳥内板に今も一里塚は残されている。




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五戸町立南小学校

十峰庵より右側を見下ろしたところにある、
未だ新しい五戸町立の南小学校だ。

2012年度で、児童数37人とのことで、
通学区域は、大字の浅水、扇田、手倉橋となっている。

ここの住所は、五戸町浅水字十海塚である。





詳細リンク:旧奥州街道580「五戸町浅水・下平~十海塚」/街道写真紀行
(五戸町浅水 下平 十海塚) 1205/1309

2013/09/09

映画「風立ちぬ」

平成25年9月
横浜ムービル



タイトル キャスト コメント
風立ちぬ
 
 2013年 
     日本


 監督
   宮崎 駿

  声
  鹿野 秀明

  瀧本 美織

  西島 秀俊

  西村 雅彦

  竹下 景子

  大竹 しのぶ


  大正から昭和にかけての日本。イタリア人の飛行機製作者ジャンニ・カブローニを尊敬し、いつか美しい飛行機を作り上げたいと野心を抱いていた青年。
  ゼロ戦の設計者堀越二郎と、作家の掘達雄をモデルにしたアニメ。





詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2013/09/08

五戸町浅水・寶福寺~浅水城跡/旧奥州街道579

93gonohe37s  寶福寺

浅水集落の左側にある寶福寺。
大永3年(1523年)、南部藩22代南部政康の三男長義が
寺領35石を安堵し、南部家の菩提寺とする。
      
現在の本堂は安政6年(1859年)に再建されたもの。
江戸時代末期の寺院として、平成7年に青森県重宝に指定されている。       


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浅水城跡

築城時期は不明であるが、永正年間(1504~21年)、
本三戸城主南部政康は、五戸方面を統治するために、
三男の長義を浅水に配置した。
      
この頃に浅水城は築かれたと推測されている。
江戸時代の寛永8年(1631年)に廃城(館)となった。
      
現在は八幡宮の境内となっているが、
昔の面影がわずかに残されているとか。



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旧奥州街道、地蔵坂

浅水集落の枡形を左折すると、浅水字上平(かみたいら)地区となり、
地蔵坂と呼ばれる坂道を上る。
      
ここから旧奥州街道96番目の五戸宿までは快適な峠道となる。
      



詳細リンク:旧奥州街道「五戸町浅水・寶福寺~上平」/街道写真紀行
(五戸町浅水 浅水 上平) 1205/1308

2013/09/05

五戸町浅水集落/旧奥州街道578

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五戸町、浅水集落入口

旧奥州街道は、ここで丁字路となり、右折し浅水の集落に入る。

丁字路の角に、奥州街道案内図と道標がある。
道標には「史跡奥州街道 左高山展望台」と書かれてあった。

写真前方の小高い山に、かつての浅水城のあったところだ。

浅水城は浅水川の左端の丘陵地帯先端に位置しており、
現在の八幡神社も城の郭であったようだ。

築城時期は不明であるが、永正年間(1504~21年)、
本三戸城主南部政康は、五戸方面を統治するために、
三男の長義を浅水に配置した。

この頃に浅水城は築かれたと推測されている。
江戸時代の寛永8年(1631年)に廃城(館)となった。




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奥州街道案内板

丁字路の角にある奥州街道案内板。
これは詳しく書かれてあり、参考になった(謝)。




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五戸町、浅水集落

丁字路を右折すると、県道233号(浅水南部線)となり、
かつての国道(奥州街道)である。

この先で、現在の国道4号線に合流している道だ。



詳細リンク:旧奥州街道578「五戸町浅水・前川原~浅水集落」/街道写真紀行
(五戸町浅水 前川原 浅水) 1205/1309

2013/09/03

五戸町浅水・佐野~浅水川/旧奥州街道577

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佐野集落


快適な高山越の坂道を下って行くと、右側が開けてきた。
沢に沿って、細長く水田が見えてきた。

やがて、前方に浅水の佐野集落が見えてきた。

南部町の宮沢からずっと高山越の山道で、
五戸町浅水字佐野でやっと民家が見えてきた。

久しぶりの人家で、ほっとしたが、人の気配は感じられなかった。
右端の民家の生垣は、大きく立派なものであった。




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浅水、佐野坂


佐野の集落を抜けると、急な下り道となっている。
坂の途中に、「佐野坂」と書かれた道標があった。

先方に見える集落は浅水である。
浅水の集落は、一時、奥州街道の宿場として栄えたこともある集落だ。




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新橋、浅水川

佐野坂を下り、浅水川に架かる新橋を渡る。

この浅水川は大正12年に改名されたもので、
それ以前は野沢川であった。

さらに、その前は四戸川と呼ばれ、
この先の浅水字浅水地区は四戸と呼ばれていたようだ。

とすれば、これで一戸から九戸まで総て揃うことになる。





詳細リンク:旧奥州街道577「五戸町浅水・佐野~浅水川」/街道写真紀行
(五戸町 浅水 佐野 向川原) 1205/1309

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