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2013年8月

2013/08/31

五戸町浅水・水梨清水~北向分岐/旧奥州街道576

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浅水、水梨清水

快適な高山越の坂道を下って行くと、右側に水梨清水がある。
写真は振り返って後ろを見たものだ。

高山からここまでの坂道は水無坂と呼ばれていた。

ここまで、湧水が無いことから水無坂と呼ばれていたのだろうか。
とすると、この水梨清水は、まさに旅人にとって

オアシスのような存在であったようだ。

軽自動車で来た地元の方が、持参のペットボトルに清水を汲んでいった。
今でも貴重な湧水のようである。




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旧奥州街道、北向分岐

ここで、道が追分となっている。

標識には、左 北向、手前方向 奥州街道と書かれてあった。
北向(きたむき)は五戸町の浅水字北向で、
この坂を下った浅水川沿いの字名だ。

旧奥州街道は、この分岐の右側の道である。




93gonohe26s  旧奥州街道、並木の松

北向追分を右に進むと、かつての松並木があったところである。
今でも、快適な山間の道となっている。

左側に一際大きな松ノ木があった。
旧街道の名残の松で、「並木の松」と命名されている。




詳細リンク:旧奥州街道596「五戸町浅水・水梨清水~北向分岐」/街道写真紀行
(五戸町 浅水)   1205/1308

2013/08/30

映画「少年H」

平成25年8月
横浜ムービル



タイトル キャスト コメント
少年H
 
 2012年 
     日本


 監督
   降旗 康夫
  水谷 豊

  伊藤 蘭

  吉岡 竜輝

  国村 隼

  岸部 一徳


  昭和初期神戸。洋服仕立て職人の父とキリスト教徒の母に間に生まれた少年。胸にイニシャルの「H」が入ったセーターを着ていたことからエッチと渾名がついていた。
  好奇心旺盛で曲がったことが嫌いな少年が戦前から戦後までの神戸を舞台に家族と共に生きていく姿を描く。
  戦前、戦中、戦後の時代に翻弄されながらも、逞しく生きていく家族が良く描かれている。





詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2013/08/27

よこはま竹の声音楽祭2013/港北公会堂

平成25年8月25日
横浜港北公会堂




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港北公会堂(横浜)での変った演奏会に行って来る。

題して、「よこはま竹の声音楽祭2013」。
楽器はすべて竹製の楽器だ。


竹の楽器は、

トガトン、バリンビン、サッガイプ、スリッタム、
トルン、竹マリンバ・・・・


演奏は、よこはま竹の声音楽団、うつくしまバンブーオーケストラ、
東京楽竹団、そしてトルン演奏者の小栗由美子氏、
ジャズ・フラメンコの森川琢也氏他の面々。


実は、横浜は竹の名産地で、
筍は江戸、東京に大量に出荷されていた。

そう云えば旧鎌倉街道を歩いていると、
今でも、道沿いに竹林が続くところが多かった。

そんな竹を見直そうと、
よこはま竹の声音楽団が結成され、二人の孫も参加している。

その招待であったが、竹の奏でる様々な音色やリズム、
旋律はなかなか楽しかった。





(横浜市港北区) 1308/1308


2013/08/26

五戸町・高山越~浅水稲荷神社/旧奥州街道575

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高山越から八甲田山

高山から浅水への尾根道(高山越)で左側(西側)に、
雪を被った八甲田山が綺麗に見えた。

八甲田山は文字通り、
頂の多い火山群(正しくは、北八甲田火山群と南八甲田火山群)で
写真右から雛岳(1240m)、
三角形の形の良い山が高田大岳(1552m)、硫黄岳(1360m)、
横岳(1339m)、駒ヶ峯(1416m)、乗鞍岳(1450m)と続く。

そして左のピークが十和田湖の手前にある戸来岳の
大駒ヶ岳(1159m)、その左が十和利山(991m)となり、
眺望が実に素晴らしいところである。




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浅水・旧街道

相内の追分を過ぎ、旧奥州街道を下って行くと、
右側に休憩用の東屋が設けられてあった。

ここで、ありがたく休憩させていただく。

東屋と街道を挟んで反対側に道標があり、
浅水まで3.0kmと書かれてあった。




93gonohe20s   浅水稲荷大明神

道標の先、右側にある稲荷神社。
赤い鳥居の額束には麗々しく「正一位稲荷大明神」と書かれてあった。

蛇足であるが、建久5年(1195年)、
稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社勧請の神体には
「正一位」の神階を書き加えることが許された。

その為、勧請を受けた全国の稲荷神社は正一位を名乗り、
「正一位」は稲荷神社の異称のようになっている。





詳細リンク:旧奥州街道575「五戸町・高山越~稲荷大明神」/街道写真紀行
(五戸町 手倉橋 浅水) 1205/1308

2013/08/23

五戸町・高山~安達ヶ原/旧奥州街道574

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高山越、旧奥州街道

駕籠立場のあった高山を下り、旧奥州街道に復帰する。

ここから浅水までは、快適なハイキングコースとなっている。
左側に、文化庁指定、歴史の道百選と書かれてあった。
浅水まで4.3kmの下り道である。

なお、歴史の道百選に選ばれているのは、
「奥州街道―蓑ケ坂・長坂・高山越」で、具体的には、
蓑ケ坂(三戸町)~小向~浅水~五戸(南部町・五戸町)の間である。




93gonohe14s  安達ヶ原鬼婆伝説碑

街道左側に、安達ヶ原鬼婆伝説と書かれた標識があった。


安達ヶ原の鬼婆伝説・・・

神亀丙寅の年(726年)、紀州の僧・東光坊祐慶が、
安達ヶ原を旅している途中に日が暮れ、岩屋に宿を求めた。

岩屋には、一人の老婆が住んでおり、
祐慶を親切そうに招き入れた老婆は、これから薪を拾いに行くと言い、
奥の部屋は決してのぞくなと言い置いて、岩屋から出て行った。

祐慶は好奇心から奥の部屋を覗くと、
そこには人間の白骨死体が山のように積み上げられていた。

祐慶は、安達ヶ原で旅人を殺して血肉を貪り食う
鬼婆の噂を思い出し、岩屋から逃げ出した。

祐慶の逃走に気付いた老婆は、鬼婆の姿になり、
猛烈な速さで追いかけてきた。

すぐ後まで迫る鬼婆、絶体絶命の祐慶は
荷物の中から如意輪観世音菩薩を取り出して、必死に経を唱えた。

すると、菩薩像が空へ舞い上がり、
光明を放ちつつ破魔の白真弓に金剛の矢をつがえて討ち、
鬼婆をしとめた。
後に、この観音像は「白真弓観音」と呼ばれるようになった。

後段の件は諸説あるようだ。




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安達ヶ原

安達ヶ原鬼婆伝説と書かれた標識の反対側の写真である。

手元の地形図や地図では確認できなかったが、
この辺が安達ヶ原と呼ばれていたところなのであろう。

げに、恐ろしや・・・






詳細リンク:旧奥州街道574「五戸町・高山~安達ヶ原」/街道写真紀行
(五戸町 手倉橋 浅水) 1205/1308

2013/08/21

五戸町・高山(駕籠立場跡)/旧奥州街道573

93gonohe06s   高山・駕籠立場入口

手倉橋の尾根道を進むと、右側に駕籠立場の標識がある。


駕籠立場のある高山は標高277.2mで、
街道筋ではピークとなっている。




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高山・駕籠立場

旧街道より右側の高山に登る。
かつての駕籠立場のあったところだ。

高山の頂上には、見晴台とその右手には
明治天皇御駐蹕所(ちゅうひつしょ)之碑があった。

説明板には、東北御巡幸記として、
明治天皇の東北巡幸の折に随行した新聞記者、
岸田吟香の一文が記され、
最後に「千里を一望に極めたる絶景なり」と記されてあった。

眺望の良さは、古来より多くの人に絶賛されていたようだ。

また、この近くには、青森県の三大伝説の一つである
「安達の婆(鬼婆)」の伝説の地がある。




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高山展望台より

絶景を期待して、見晴台に上ってみる。

写真は、八戸方面を見た写真であるが、
手前の木立が邪魔して見晴らしは良くない。

八甲田山や、岩手山、名久井岳等も見えるというが、
手前の木々に邪魔されてみることが出来なかった。

往時は、さぞ見晴らしが良かったのであろう。
山桜と八重桜が未だ咲いていたのは救いであった。

見晴台の上にある、眺望図には、
ここより見えるはずの山々が記されてあった。

西北 八甲田山、東北 八戸湾、東南 名久井岳、折爪岳、
そして南西 岩手山」等が描かれてあった。





詳細リンク:旧奥州街道573「五戸町・手倉橋~高山(駕籠立場)」/街道写真紀行
(五戸町 手倉橋) 1205/1308

2013/08/18

南部町・沖田面~五戸町・手倉橋/旧奥州街道572

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五戸町手倉橋、旧奥州街道

南部町沖田面(おきたおもて)宮沢の峠道を登っていくと、
五戸町の手倉橋となる。

そろそろ、峠道の頂上付近だ。
この辺の標高は、210mであった。

左側に「峰の薬師入口」と書かれた標識があった。
薬師堂があるのであろうが、地図では確認出来なかった。

ただ、五戸町手倉橋(てくらばし)の字名に薬師沢があるので、
関連ありそうである。




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旧街道、尾根道

快適な尾根道となっている。
左側が開けて、見通しが良くなってきた。

尾根道の左側に、
「振興公社足達沢造林地、植栽面積2.81ha、
財団法人青い森振興公社」と書かれた標識があった。

安達沢は五戸町浅水の字名である。




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八甲田山遠望

左側の木立の間から、雪を被った八甲田山(1584m)が見えてきた。

これからの旧奥州街道は、この八甲田山の右側(東側)を通り、
陸奥湾の野辺地に向かう。

尾根道を歩くと、左側に「十和田山碑」と書かれた標柱あった。
この辺に十和田信仰の遥拝所でもあったのであろうか。

なお、十和田湖中山半島にある十和田神社は、
鎌倉時代以前から修験宗徒(山伏)の修行場として知られ、
江戸時代には恐山と共に南部藩の二大霊場であった。





詳細リンク:旧奥州街道「南部町沖田面~五戸町手倉橋」/街道写真紀行
(南部町 沖田面、五戸町 手倉橋) 1205/1308

2013/08/15

南部町沖田面・宮沢~峠道/旧奥州街道571

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宮沢庚申塔

門前水道貯水所の右側を通過すると、Y字路にでる。
右側が砂利道で、うっかりすると右の道に誘導されそうであるが、
旧奥州街道は左側の細い道だ。

分岐の所に、「庚申塔 左奥州街道」と書かれた古い道標がある。

ここには、庚申塔があったようであるが、判らなかった。
正面のコンクリート造りの門柱?が、やけに目立っていた。




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宮沢峠道(長坂)

Y字路を左に進むと、山間の道となり、倒木の下を潜っていく。
これからは、ゆるい峠道の登り道(長坂と言うようだ)となっている。

この辺の標高は101mであった。

更に上ると、道はすっかり野草に蔽われていた。
ただ、道筋はわかりやすく、歩きやすい道であった。




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宮沢峠道

さらに上ると、枯葉に蔽われた道となっている。
ここは、峠道が踏まれて切り通しのようになっている。

この先右側に「奥州街道」と書かれた標識があり、
少し道に不安になっていた頃であったのでほっとした。

ここからも五戸町にある高山(277m)まで登りの山道が続くところである。





詳細リンク:旧奥州街道571「南部町沖田面・宮沢~峠」/街道写真紀行
(南部町 沖田面宮沢) 1205/1308

2013/08/12

8月納涼歌舞伎/歌舞伎座

平成25年8月
歌舞伎座

演 目 役 者 観 劇 記
河竹黙阿弥作
梅雨小袖昔八丈
(つゆこそでむかしはちじょう)

  髪結新三 

  3幕

   
髪結新三
     三津五郎

弥太五郎源七
     橋之助

手代忠七
      扇 雀

家主長兵衛
      弥十郎

下剃勝奴
      勘九郎

白子屋娘お熊
      児太郎

白子屋後家お常
      萬次郎

  小悪党の髪結新三は、白子屋のひとり娘お熊と手代の忠七が恋仲であることを知り、忠七を騙してお熊をかどわかしてしまう。
  娘を取り戻そうと、白子屋に頼まれた侠客の弥太五郎源七は、新三のもとに行くが、啖呵を切られ追い返されてしまう。
  続いて訪れたのが、老獪な家主の長兵衛には、さしもの新三も敵わず、お熊を取り返されてしまう。 
  江戸の市井に生きる人々の息吹を感じさせる世話物の傑作。長兵衛役の弥十郎の台詞は、見応えがあった。

色彩間苅豆

(いろもようちょっとかりまめ)

  かさね


  清元道中
かさね
      福 助

与右衛門
      橋之助
 
 腰元のかさねと浪人の与右衛門は一目を忍ぶ仲。二人は木下川堤までやってきて、流れてきた髑髏に刺さった鎌を引き抜くと、美しいかさねの顔が、恐ろしい形相へと変化する。
  これは、与右衛門が以前に行なった悪事の因果。与右衛門は、悪の本性を顕し、鎌でかさねを殺してしまう。
  古くから伝わる「累(かさね)伝説」から生まれた歌舞伎舞踊劇。




詳細リンク:「歌舞伎」/悠々人の日本写真紀行

2013/08/11

南部町・小向小田沢~沖田面宮沢/旧奥州街道570

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小向小田沢の棚田

県道233号線(浅水南部線)を進むと、
左側北沢沿いに棚田があり、丁度田植えの準備をしていた。

この辺では、リンゴ畑は多かったが、田圃は珍しかった。




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旧街道分岐

更に県道233号線を進むと、ここで旧街道は右の砂利道となる。




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沖田面、旧奥州街道

県道より右に入った所に、
奥州街道の案内標識があり一安心した。






詳細リンク:旧奥州街道570「南部町・小向小田沢~沖田面宮沢」/街道写真紀行
(南部町・小向小田沢、沖田面宮沢) 1205/1308

2013/08/07

南部町小向~沖田面/旧奥州街道569

92nanbu29as  聖寿寺跡城戸跡

南部町小向の正寿寺の集落を抜けると、

右側に「伝木戸口跡/正寿寺環境保全隊」と書かれた標識があった。

ここが、聖寿寺館の北の木戸があったところのようだ。
更に進むと、右側に「城戸跡」と記された標識があった(上写真)。

この辺から聖寿寺館跡のある台地から、下り坂となるところである。
古代・中世では、柵や城郭の出入り口は、木戸では無く、
柵戸または城戸と呼ばれていたので、この城戸の方が相応しいようだ。




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北沢2号橋

聖寿寺館跡のある台地から下ってゆくと、正面に真新しい橋がある。
北沢に架かる橋で、「北沢2号橋」と書かれてあった。

この橋を渡ると、県道233号線(浅水南部線)に合流するところである。




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県道233号線

北沢に架かる橋を渡ると、県道233号線(浅水南部線)と合流する。
北沢の右岸を歩く形となっている。

県道233号線は、かつての国道4号線(陸羽街道、奥州街道)であった。
現国道4号線は、三戸より東側を大きく迂回している。





詳細リンク:旧奥州街道569「南部町小向~沖田面」/街道写真紀行
(南部町・小向 正寿寺 下平、沖田面 姥懐) 1205/1308

2013/08/05

南部町小向・三光寺~下平/旧奥州街道568

92nanbu25s  三光寺本堂

南部氏菩提寺である臨済宗福寿山三光寺の本堂。

境内には、南部26代信直夫妻の墓所、南部27代利直の霊屋、
前述の利直の4男利康の霊屋、南部2代実光の墓所等が残されている。




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正寿寺、丁字路

三光寺より旧街道に復帰する。

すぐに丁字路と成り、旧街道は左折である。
右に行くと県道233号線(浅水南部線)と合流する。

正面の果樹園は誠果園で、看板にりんご直売所と書いてあった。

誠果園は、南部町の「達者村ホームステイ連絡協議会」の
民泊できる農家の一つとなっているようだ。




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正寿寺、旧奥州街道

正寿寺の集落を抜けると、山間の道となる。
この辺の道の右側は、南部町小向の下平地区となっている。





詳細リンク:旧奥州街道「南部町小向・三光寺~下平」/街道写真紀行
(南部町小向 正寿寺 下平) 1205/1308

2013/08/04

映画「終戦のエンペラー」

平成25年8月
横浜ブルグ13



タイトル キャスト コメント
終戦の
  エンペラー
 
 2012年 
     アメリカ

 監督
   ピーター・
     ウェーバー

  マシュー・
    フォックス

  トミー・リー・
    ジョーンズ

  コリン・モイ

  初音 映莉子

  西田 敏行

  中村 雅俊

  夏八木 勲

  片岡 孝太郎

  桃井 かおり


  1945年8月30日、連合国最高司令官総司令部(GHQ)の司令官としてダグラス・マッカーサー元帥が日本に上陸。日本文化に精通している部下に、10日間で太平洋戦争の真の責任者を探し出すという極秘任務を下す・・・。
  太平洋戦争にまつわる事実を暴き出していく過程は見事。日本人でもほぼ違和感無く観られる映画となっている。原作は岡本嗣郎のノンフィクション「陛下をお救いなさいまし 河井道とバナー・フェラーズ」






詳細リンク:「映画」/悠々人に日本写真紀行

2013/08/02

青森県南部町小向・村中~正寿寺/旧奥州街道567

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南部町・小向正寿寺、旧奥州街道

若宮八幡宮より旧奥州街道に復帰する。
この左側が、かつての南部氏の聖寿寺館のあったところだ。
南部氏宗家の、室町時代から戦国時代にかけての本拠地であった。

この道は聖寿寺館の東側の空堀跡とのことであった。

なお、聖寿寺館跡の地名は「正寿寺」で、少し紛らわしい。




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正寿寺丁字路

丁字ゆるい坂を上ると、ここで丁字路になっている。
正面ミラー下には、「重要文化座 南部利康霊屋」と書かれてあった。

その右の説明板には、南部利康(1608~1631年)は、
南部氏27代利直の4男で、幼少の頃から政務をとらされたが、
24歳の若さで亡くなった。

父の利直がこれを悼み、翌年(1632年)に、
三戸郷中1年分の収納高をあててこの霊屋を建立。

桃山様式の華麗な建造物で方2間、単層入母屋造り、
杮葺の建物だ(撮影禁止)。

旧街道はここで右に曲がり、すぐ左と枡形になっているところである。




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三光寺山門

聖寿寺館跡の北側に建つ、福寿山三光寺山門。
往時は、南部氏の菩提寺として聖寿寺、東禅寺、三光庵があったが、
南部氏が盛岡に移った時点で、三光庵が菩提寺として残った。

境内には、南部26代信直夫妻の墓所、
南部27代利直の霊屋、前述の利直の4男利康の霊屋、
南部2代実光の墓所等が残されている。





詳細リンク:旧奥州街道567「南部町小向・村中~正寿寺」/街道意写真紀行
(南部町小向 村中 正寿寺) 1205/1307

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