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2013年7月

2013/07/26

南部町小向・馬場~古町/旧奥州街道566

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南部町小向・馬場集落

小向の馬場集落である。

馬場地区は、馬淵川と猿辺川に挟まれた天然の要害で、
中世南部氏の馬場館があったところだ。

この先にある、南部氏が本拠を構えた聖寿寺館跡より
古い館跡とのことで、今でもこの台地の南側(写真手前側)に
堀と土塁跡が見られるとのことだが、
確認できなかった。




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南部町小向・古町丁字路

さらに北上すると、南部町小向古町の丁字路となる。
旧街道はここで右折となる。

正面の東北自然歩道の案内標識には、
右方向は霊屋(おたまや)0.7km、
手前方向は唐馬の碑14kmと書かれてあった。

この道を左に進むと、古町温泉のあるところである。
古町温泉は、南部町小向字古町にある、
「自然薬湯」(含硫化水素単純泉)として知られた鉱泉で、
昭和10年に開業された温泉宿があり、今でも宿泊できる。

写真中央左部にある黒い板碑は、
最初古い道標かと思ったが、風化して読めなかった。
板碑の文字列の最上部は、梵字のようであった。

後で調べたら、天明4年(1784年)に建てられた、
天明飢饉の念仏供養塔とのことだ。




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南部町小向・古町集落

丁字路を右折する。古町の集落である。

「古町」は、文字通り古い町のことで、かつては「本三戸」と呼ばれ、
南部氏の本拠のあったところだ。

街道左側に、「おんこ街道、南部町地域づくり認定事業」と
書かれた案内標識があった。

おんこ街道、?と思ったが、
イチイ(一位)のことを、北東北では「おんこ」と呼んでいる。

この先の、「正寿寺おんこ」は、
樹齢1000年、高さ15m、周囲4.35mもあり、
南部町の天然記念物に指定されているとのことだ。

前方の猿辺川に架かる小向橋を渡り、
そのまま直進すると八戸(八戸街道)で、
旧奥州街道は、橋を渡りすぐ左の道となる。

この分岐点に「右 八戸道、左 五戸道」と書かれた
追分石があったが、今は南部町立中央公民館に移されている。





詳細リンク:旧奥州街道566「南部町小向・馬場~古町」/街道写真紀行
(南部町小向 古町 馬場坂 村中) 1205/1307

2013/07/24

映画「ワイルド・スピード、EURO MISSION」

平成25年7月
新宿ピカデリー

タイトル キャスト コメント
ワイルド・
  スピード/
EURO MISSION
 
 2013年 
     アメリカ

 監督
   ジャスティン・
         リン
  ヴィン・
    ディーゼル

  ポール・
    ウォーカー

  ドウェイン・
    ジョンソン

  ミシェル・
    ロドリゲス

  ジョーダナ・
    ビリュースター

  リオデジャネイロの犯罪王から100億円をまんまと奪い取った男は、世界中で犯罪を行なう巨大組織を追うFBI特別捜査官から捜査の協力を依頼される。
  男は、再びチームを結成し、巨大組織壊滅に乗り出す・・・・。
  痛快アクション作品。後半のテンポが良いので、思わず引き込まれてしまう。

2013/07/19

三戸町・川守田~南部町・小向/旧奥州街道565

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馬淵橋と名久井岳

国道4号線の下を潜って北進すると、南部町の小向地区となる。
右側が開け馬淵川と、名久井岳が良く見えるところだ。

南部町は近世奥州街道の宿駅ではないが、
中世は南部氏の本拠であったところだ。

建久3年(1192年)、
甲斐源氏の流れを汲む南部氏初代の南部光行が
ここに館を築いたという。




92nanbu14a  南部町馬場の郷

街道左側に、待合処、馬場の郷と書かれた案内標識がある。
ここに待合茶屋があったのであろうか。

案内標識には、ここ馬場の左側は三戸町、
右の集落は古町と書かれてあった。




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馬淵川、小向門前集落

右側の視界が開けた。
馬淵川の下流方向で、前方の集落は南部町小向の門前集落である。

旧街道は、ここで馬淵川から別れ北進となる。
今まで川沿いを歩いてきた馬淵川は、ここで右(東)に大きくカーブし、
八戸市の河口に向かっている。






詳細リンク:旧奥州街道565「南部町・川守田~南部町・小向」/街道意写真紀行
(三戸町 川守田、南部町小向 馬場) 1205/1307

2013/07/17

映画「真夏の方程式」

平成25年7月
横浜ムービル


タイトル キャスト コメント
真夏の方程式 
 2013年 
     日本

 監督
   西谷 弘

  福山 雅治

  吉高 由里子

  北村 一輝

  杏

  永島 敏行

  風吹 ジュン

  前田 吟


  綺麗な海に面した瑠璃ヶ浦(ロケは伊豆半島)で計画されている海底鉱物資源開発。その説明会に招待された物理学者湯川が宿泊した旅館で、同宿の客が変死体で発見される。
  図らずも事件に直面した湯川は、旅館の主人夫婦や、環境保護活動に奔走する旅館の娘らの思わぬ関りを知る。
  旅館に夏休みで滞在していた主人夫婦の甥の少年を絡めて、見所の多い映画となっていた。






詳細リンク:「映画」 /悠々人の日本写真紀行

2013/07/15

南部町・大向~三戸町・川守田/旧奥州街道564

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三戸駅前通

青い森鉄道の三戸駅前通である。

右の建物が、昨夜宿泊した清水屋旅館だ。
旧街道は前方の山裾を左から右に通っている。

朝食を6:30にいただき、朝7:00に旅館を出立。
終日雨模様の昨日と違い、今日は朝から良い天気であった。




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馬暦神社

馬淵川に架かる住谷橋を渡り、
再び南部町から三戸町の川守田に戻り、旧奥州街道に復帰する。

写真は、街道左側にある馬暦(ばれき)神社。

祭神は保食神(うけもちのかみ)だ。
保食神は、日本書紀の神産みの段に登場し、
一般に女神とされている。
食物神で、頭から牛馬が生まれたということから、
牛や馬の神ともされている。

東日本に多い駒形神社の祭神は、馬之神として、
この保食神が多いようだ。

由緒によると、享保10年(1725年)、
8代将軍吉宗がオランダ人の献上した春砂(はるしゃ)と名付けられた
名馬ペルシャ馬が、南部藩に下付された。

藩は、これを名久井岳麓の住谷野の牧に放牧し、
種馬として馬匹(ばひつ)の改良を図ったが、9歳で死んでしまった。

これを悼み、三葉の松を植え墓印としたが、
その松の枝が皆西に向かって伸びたので、
馬が母国を慕っているのだと云い、人々は馬の神として崇めるようになった。

そこで、元野馬別当の石井玉葉が、
寛保3年(1743年)に馬頭観世音を建てたのが馬暦神社の起源となった。

この碑は、外国馬に関しては日本産馬史上、最古のものである。

なお、名久井岳西側山麓に広がる住谷野の牧は、
古くから野馬生息地として知られ、南部藩時代に九牧の一つ云われていた。




92nanbu11s  唐馬の碑

右側が唐馬の碑で、奉新造馬頭観世音と刻まれてある。
寛保3年(1743年)に建てられたもので、
唐馬(からうま)の碑と呼ばれている。

唐馬とは、外国産馬のことのようだ。

左側の立派な碑は、紅梅号之碑と刻まれてあった。
軍馬であったのだろうか。





詳細リンク:旧奥州街道564「南部町・大向~三戸町・川守田」/街道写真紀行
(南部町 大向 、三戸町 川守田) 1205/1307

2013/07/13

南部町・大向~三戸駅/旧奥州街道563

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三戸駅前通

馬淵川に架かる住谷橋を渡ると南部町大向(おおむかい)地区に入る。

旧国道の奥州街道(陸羽街道)で、
現在は県道258号線(三戸南部線)となっている。

県道を進むと丁字路があり、右へ曲がると青い森鉄道三戸駅があるところだ。

この丁字路を右折し、三戸駅前通を駅に向かう(写真)。

左手に旅館が2軒あり、手前が大田屋旅館で、
その先が清水屋旅館である。
今夜は、この清水屋旅館に宿泊を予約してある。

明治創業の老舗で、現主人は4代目とのこと。
広い宴会場もあり、この日は大宴会が予定されているとかで、
そのお零れ?で、豪勢な夕飯であった。




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青い森鉄道、三戸駅

名久井岳(615m)を背にした、青い森鉄道の三戸駅だ。

三戸駅は三戸町ではなく、
南部町大向(おおむかい)字泉山道(いずみやまみち)にある。
駅名は三戸郡からきているようだ。

開業は明治24年で、東京から622.8kmの駅である。
開業当時は三ノ戸駅であったが、明治40年に三戸駅と改称された。

平成14年、JR東日本から分離され青い森鉄道の駅となっている。
青い森鉄道は、青森市に本社を置く、第三セクター方式の鉄道事業者だ。

東北新幹線開業に伴い、
JR東日本から経営分離された東北本線盛岡ー青森間のうち、
青森県内の部分(目時~青森)を運営している。




92nanbu06s  村井家住宅


三戸駅前通りある村井家住宅主屋。
国登録の有形文化財となっている。

大正12年竣工した、木造2階建てモルタル仕上げで、
正面妻壁の3連アーチ窓が特徴。

2階窓側の書斎が洋間である他は総て和風座敷の、
大正モダニズム時代の和洋折衷住宅である。





詳細リンク:旧奥州街道563「南部町・大向~三戸駅}/街道写真紀行
(南部町 大向 勘吉 泉山道) 1205/1307

2013/07/11

三戸町・川守田~南部町・大向/旧奥州街道562

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三戸町、アップルドーム

三戸町川守田の元木平に入ると、
街道左側にAPPLE DOMEと書かれた真新しい立派な建物がある。

三戸町のスポーツ文化福祉複合施設だ。
この2階には、「ふるさと館」と「ほのぼの館」が併設されている。

前者は、三戸町の歴史や文化、産業等を紹介している。

そして後者「ほのぼの館」は、
日経新聞に連載されていた4コマ漫画「バクさん」や、
絵本「11ぴきのねこ」シリーズで知られた
漫画家・絵本作家の馬場のぼるの記念館だ。

氏は昭和2年に、ここ三戸町川守田元木平で生まれた人である。


今回は、ここで旧奥州街道歩きを中断して、
この先の丁字路を右折し、青い森鉄道の三戸駅に向かう。

今夜は、駅前の旅館に宿泊予定である。




91sannohe56s  住谷橋/馬淵川 

三戸駅に向かう途中の馬淵川に架かる住谷橋(すみやばし)である。
ここから三戸町から南部町に変るところだ。

この道は、元の国道4号線で、
今は県道258号線(三戸南部線)となっている。

住谷橋は、昭和になってからも、昭和15年、22年、31年と
3度も増水で流されている。

現在の橋は昭和32年に完成したもので、
永久橋を意図した下路式の鉄製アーチ橋となっている。


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名久井岳と馬淵川

住谷橋より馬淵川上流を見た写真である。

名久井岳(615m)が目の前に大きく見えるところだ。
右前方の青い橋は、青い森鉄道の鉄橋である。





詳細リンク:旧奥州街道562「三戸町・川守田~南部町・大向」/街道写真紀行
(三戸町 川守田町、 南部町 大向) 1205/1307

2013/07/08

青森県・三戸宿・六日町~川守田/旧奥州街道561

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三戸宿六日町家並み

熊原川に架かる黄金橋を渡ると、三戸宿の六日町に入る。

三戸宿は、二日町、八日町、そしてここの六日町と代わる。

月の内、2、6、8の付く日に
順番に市が開かれたことになり、賑やかな宿場であったようだ。




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法泉寺山門

宿場の旧街道左側にある臨済宗法泉寺。
この寺は、南部家の菩提寺の一つだ。

南部氏27代利直の長男であったが、庶腹であったため、
当時の支城であった福岡城の城主となった南部経直の墓が残されている。

また、この山門は、三戸城搦手門を移築したもので、
三戸町文化財に指定されている。

旧庫裏の建物は、三戸城の御台所の一部を移築したものであった。




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川守田、旧町家

三戸宿の川守田(かわもりた)町にある旧町家だ。

三戸宿は街道に沿った細長い町で
古くから三戸郡の中心の町として栄えて来た。





詳細リンク:旧奥州街道561「三戸宿・六日町~川守田」/街道写真紀行
(三戸町 六日町、川守田町) 1205/1307

2013/07/07

映画「エンド・オブ・ホワイトハウス」

平成25年7月
新宿ピカデリー




タイトル キャスト コメント
エンド・オブ・ホワイトハウス
 
 2013年 
     アメリカ

 監督
 アントワーン・
   フークア

  ジェラルド・
    バトラー

  アーロン・
    エッカート

  モーガン・
    フリーマン

  アンジェラ・
    バセット

  ロバート・
    フォスター


  シークレット・サービスとして大統領護衛にあたるも、大統領夫人の命を護ることができず、ホワイトハウス周辺を担当する警備員となっていた。
  そんな中、独立記念日を迎えたホワイトハウスをアジア人のテロリスト・グループが占拠し、大統領を人質に取る。彼らの要求は、日本海海域から米軍の撤収と核爆弾作動コード開示が要求であった。
  特殊部隊による救出作戦が失敗に終わるのを目のあたりにした警備員は、一人でホワイトハウスに潜入して行く・・・・
  現在の朝鮮半島の南北問題を巧みに織り込み、良く練れた脚本で、最後まで面白くできている。





詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2013/07/06

三戸宿・八日町~二日町/旧奥州街道560

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三戸宿・八日町十字路

三戸宿の八日町を進むと、十字路となる。
ここで、宿場(旧街道)は枡形となっており左折である。

直進は三戸城(現城山公園)、名久井岳方面だ。

この十字路を左折すると、三戸宿の八日町から二日町となる。




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熊原川と三戸城跡

三戸宿の二日町を抜けると、熊原川の畔に出る。

右の小高い丘(正しくは、熊原川と馬淵川の
浸食によって形成された河岸段丘)は、
三戸城のあったところだ。

西から北側にかけて城を囲むように馬淵川支流の熊原川が流れ、
城の東側を馬淵川が流れ、二つの川は城の北東部で合流している。

三戸城は馬淵川とこの熊原川に囲まれた堅固な山城であった。

熊原川は青森県と岩手県、秋田県の県境の
四角岳(1003m)北麓を源流とする川だ。




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黄金橋、熊原川

二日町から熊原川に架かる黄金橋を渡ると、三戸宿六日町に入る。

黄金橋は、擬宝珠で飾られた由緒ある橋だ。

南部藩12代の南部政行が詠進した和歌が天皇の御心に叶い、
恩賞として従四位下に叙され、「松風の硯」を賜り、
朱の弓百張行列に加えることを許された。

そして、京都加茂川の橋を模した橋を城下に掛けることも許されたため、
ここに擬宝珠で飾った都会風の橋を掛けた。

これが黄金橋の謂れとのことだ。



詳細リンク:旧奥州街道560「三戸宿・八日~二日町」/街道写真紀行
(三戸町 八日町 二日町) 1205/1307

2013/07/04

青森県三戸宿・三戸大神宮~八日町/旧奥州街道559

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三戸大神宮

三戸宿の右側にある三戸大神宮。
この辺の地名は、三戸町同心町字諏訪内である。

社殿によると、元亀元年(1570年)伊勢神宮より天照皇大神の分霊を、
著木山山頂に勧請したのが創祀とされる。

南部藩の祈願所として定められ、年とともに参拝者が増加したため、
寛永6年(1629年)に藩士藤枝宮内が
自分の屋敷(毘沙門館)内であるここに社殿を移した。

明和元年(1764年)、南部藩普請奉行奥山左衛門が藩命により、
壮麗な新社殿と神楽堂を造営した。

三戸大神宮は、以前は神明社と呼ばれ、
地元の人は今でも「神明さま」と呼んでいるようだ。




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三戸市神社

三戸大神宮境内にある市神社。

三戸宿二日町の検断を行なっていた、
川村惣太郎が町民の減税と市日の開設を命をかけて直訴し、
これが許されたことを称え、死後町民有志が境内に建立したものだ。

商売の神様(市の守護神)として、今でも信仰が厚い神社とのことだ。




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三戸宿八日町

三戸大神宮より旧街道に復帰する。
この辺は、三戸宿八日町である。

三戸の宿駅は、ここ八日町と、この先の二日町に置かれ、
1ヶ月交代で継立を務めた。

八日町の旧街道右側にはビジネス旅館三戸、
そして左側には穂積旅館があり、今でも営業しているようだ。

前述したが、前方の小高い山には三戸城があったところである。





詳細リンク:旧奥州街道559「三戸宿・三戸大神宮~八日町」/街道写真紀行
(三戸町 同心町 八日町) 1205/1307

2013/07/03

映画「奇跡のリンゴ」

平成25年6月
横浜ムービル


タイトル キャスト コメント
奇跡のリンゴ
 
 2013年 
     日本

 監督
 中村 義洋

  阿部 サダヲ

  菅野 美穂

  池内 博之

  笹野 高史

  山崎 努

  原田 美枝子


  1975年、弘前でリンゴ栽培していたが、年に10数回にわたり散布する農薬が原因で妻が皮膚に異常をきたし寝込むこともあった。
  そこで、不可能とされていたリンゴの無農薬栽培に挑む。しかし、失敗の連続で、車やリンゴ畑も半分手離し、村人からも村八分的なバッシングを受け、電気も電話も止められてしまう・・・・
  家族にも支えられ苦節11年、最後のリンゴの花が満開のシーンは感動的であった。ただ、不自然な演出があり興ざめの部分が散見されたのは少し残念。





詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2013/07/02

三戸町・三戸宿入口~同心町/旧奥州街道558

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三戸宿入口

前方に、三戸宿入口の丁字路が見えてきた。
枡形になっており、右折すると三戸宿となるところだ。

手前の十字路左に東北自然歩道の案内板があり
「右 関根ノ松、左 駕籠立場 4.0km」と書かれてあった。




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三戸宿・同心町

三戸宿入口の枡形を右折した所だ。
旧奥州街道95番目の宿場・三戸宿同心町の家並みである。

如何にも城下町らしい町名となっている。

前方の小高い山部は三戸城のあったところで、
今は城山公園となっている。

三戸城は、三戸南部氏の本拠だった本三戸城(三戸郡南部町)が
16世紀前半頃消失した後、この場所に新たな本拠地とした築かれた城だ。

九戸戦争の後、三戸城主・南部信直は本拠を福岡(二戸市)に移した。

三戸城は、南部氏が盛岡に本拠を移した後、
寛永10年(1633年)廃城となっている。




91sannohe36s  玉岑寺

街道左側にある金光山玉岑寺(ぎょくしんじ)。

この先の街道右側にある市神社の
祭神となっている川村惣太郎の墓があるこことで知られている寺だ。

正徳年間(1711~15年)、伝馬の費用は町民の負担で、
その賦課に耐えかねて逃亡するものもあった。

当時、三戸宿二日町の検断であった惣太郎は
藩主に直訴して捕えられたが、
その後、願は受け入れられ、町民は蘇生の思いをした。

町民は惣太郎を追慕し、
文政元年(1818年)に、ここに彼の墓を建立したとのこと。





詳細リンク:旧奥州街道558「三戸町・梅内~95三戸宿」/街道写真紀行
(三戸町梅内 梨ノ木平 同心町 八日町) 1205/1306

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