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2013年6月

2013/06/28

三戸町梅内・鮫ノ口~竹林/旧奥州街道557

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旧街道、廃道部分

国道4号線から旧街道は右側の細い道に入る。

今は廃道となっている旧道を出口付近から分け入ってみたが、
途中で完全に通れなくなっていた。

仕方なしにここでUターンする。




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梅内、旧奥州街道

三戸梅内の旧奥州街道は、りんご畑の中の長閑な道筋となっている。
この辺で標高は127mであった。

山に囲まれた三戸郡(三戸町、南部町)のりんごは、
生産量日本一である青森県の中でも、最も昼と夜との気温差が大きく、
りんごの栽培に適している地域とのことだ。

この青森南部産のりんご(サンりんご)は、寒暖差が大きい為、
果汁が凝縮された味で「濃厚りんご」と呼ばれている。

ただ、地形的に栽培面積が少なく、
青森県全体の生産量の10%以下とのことで、
北東北以外ではわずかしか流通していない貴重なりんごとのことだ。

蛇足であるが、「サン」がつくりんごは、有袋では無く、
無袋で栽培されたりんごのことだ。
見栄えは悪いが、味か良いりんごとなる。

また、「ふじ」は、日本で最も多く生産される品種で、
育成地である青森県藤崎(ふじさき)町に因み命名されたとのことであった。




91sannohe30sa  リンゴの花 


りんごの花が咲いていた。
未だ、三分咲きであったが、綺麗な蕾と花冠であった。

なお、りんごの花言葉は「選ばれた恋」とのことだ。





詳細リンク:旧奥州街道557「三戸町梅内・鮫ノ口~竹林」/街道写真紀行
(三戸町梅内 鮫ノ口 竹林) 1205/1306

2013/06/24

青森県三戸町梅内・沼尻~鮫ノ口/旧奥州街道556

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梅内、国道4号線合流点

駕籠立場から快適な旧街道を下って行くと、ここで国道4号線に合流する。
地名は三戸町梅内(うめない)字沼尻である。




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三戸町梅内、国道4号線

国道4号線に入ると、左側に東京より624.9kmと書かれた標識があった。

さらにその先には、青森県で建てた東北自然歩道の案内標識があった。

左、駕籠立場1.9km、右、関根の松3.6kmと書かれてある。

関根の松は、三戸町川守田にある老松で、
青森県指定天然記念物になっている。

三戸は藩政時代、名馬の産地として知られたところであるが、
その南部駒の育成に携わっていた一戸氏の屋敷にあった松とのことだ。

昭和58年に、「日本名松百選」に選ばれている。

さらに国道を進むと、旧街道はここで右の細い道となる(上写真)。

この写真の右手には、
手元の地図によると「三戸温泉」のあるところだが、その形跡はなかった。
今は廃業しているのであろうか。




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三戸梅内旧道

国道4号線より、右の細い道に入る。

ここにも、「左、関根の松」と書かれた東北自然歩道の標識があった。
その左には「土石流危険渓谷/青森県」と書かれてあった。

なお、旧街道はこの標識の背後の山に分け入るわけだが、
今は通行不可となっており。
この舗装道路を左に迂回することになる。





詳細リンク:旧奥州街道556「三戸町梅内・沼尻~鮫ノ口}/街道写真紀行
(三戸町梅内 沼尻 鮫ノ口) 1205/1306

2013/06/23

映画「オブリビオン」

平成25年
横浜ムービル


タイトル キャスト コメント
オブリビオン
 
 2013年 
     米国

 監督
 ジョセフ・
   コシンスキー

  トム・
    クルーズ

  モーガン・
    フリーマン

  オルガ・
    キュリレンコ

  アンドレア・
    ライズブロー


  エイリアンの侵略を食い止めたものの、その戦いによって地球が半壊してから60年。生き残った者達が他の惑星へと移住した後、地球に残って、上空からの偵察を命じられた男女。
  一見どこかで観たような設定であるが、映像やストーリーも違い、内容も実に良く練られたテンポの良い作品となっている。パトロール用飛行体もなかなかの傑作であった。






詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行


2013/06/20

青森県三戸町・目時~梅内/旧奥州街道555

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駕籠立場、吉田松陰記念碑

馬淵川を見下ろす駕籠立場にある吉田松陰の記念碑(右端)だ。
吉田松陰は、嘉永4年(1951年)12月より嘉永5年4月まで、
盟友宮部鼎蔵と東北遊歴の旅に出る。

長州藩を脱藩しての旅立ちであった。
その時の、「東北遊日記」の一節が刻まれてあった。


「浅水坂を越えて浅水駅に出て、初めて麦芽の寸許なるを見る。

~中略~

野辺地、七戸から三戸に至る。
戸数は五戸に比して更に多し。
土人云わく、「地着の士百名、同心40名」と。

駅傍に古城跡あり。
2百年前、盛岡候ここに都せりと云う。

蓑坂を過ぎ、金田市(一)、福岡を経、末の松山を越えて一戸に宿す。

          嘉永5年(1852年)3月9日」


南部発祥800年を記念して建てられた碑である。

なお、吉田松陰はこの時、江戸の長州藩上屋敷から水戸、
銚子を訪れた後に、一旦水戸戻っている。

そのあと、白川、会津、新潟、佐渡、久保田、弘前、竜飛岬、三戸、
石巻、仙台、会津、足利と巡り翌年4月5日に江戸に戻っている。

吉田松陰のこの足跡を辿ってみるのも面白そうである




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旧奥州街道、駕籠立場下り道

駕籠立場からの旧街道は、快適な下り道となっている。
車の轍があるので、駕籠立場までは三戸側からだと、
車でも入れるのであろう。




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駕籠立場一里塚

旧街道を暫く進むと、両側に一里塚が残されてあった。

駕籠立場一里塚で、両側とも、現在の街道から6mも高いところにある。
長年にわたり、街道の勾配を緩くするために削られたためである。

駕籠立場一里塚からの快適な旧街道を下っていく。
五月の爽やかな風が感じられるところだ。

地名は、三戸町の目時から梅内(うめない)と変っている。





詳細リンク:旧奥州街道555「三戸町・目時~梅内」/街道写真紀行
(三戸町目時、梅内) 1205/1306

2013/06/18

三戸町・目時~駕籠立場/旧奥州街道554

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三戸・駕籠立場見晴台より

蓑ヶ坂の頂上だ。
道が悪く、やっと辿り着いたという感じであった。

江戸時代、街道を通る旅人、駕籠、馬などが
足をとめ休息するところを立場と称したが、
ここは特に「カゴタテバ(駕籠立場)」と呼ばれていた。

険しい坂道として有名な蓑ヶ坂を登りつめると、
眼科に大きく舌状にカーブする馬淵川の光景が
パノラマのように展開する。
旅人は必ず一息入れたい場所で、吉兵衛茶屋が一軒あった。

昔、蓑ヶ坂に大蛇が蓑に化けて出て、旅人を悩ましていたが、
玉山兵庫がこれを退治したという伝説もある由。

写真は、駕籠立場の見晴台から東側(上流側)馬淵川を見たものだ。
馬淵川が大きく蛇行しているところで、下の集落は二戸市舌崎地区である。




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駕籠立場より馬淵川と名久井岳

同じく駕籠立場見晴台から左側(馬淵川下流側)を見た写真である。

馬淵川が大きく右にカーブしているところで、
この辺の地名が「舌の先=舌崎」となっているのが
手に取るように分かるところだ。

背後の山は、霊峰・名久井岳(615m)である。




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駕籠立場明治天皇記念碑

駕籠立場見晴台の下に、明治天皇記念碑が2基、建立されている。
明治9年と14年の東北巡幸の際、ここで休憩されたとのことだ。

三戸町教育委員会が建てた、駕籠立場についての詳しい説明板があった。





詳細リンク:旧奥州街道554「三戸町・目時~駕籠立場」/街道写真紀行
(三戸町目時) 1205/1306

2013/06/15

青森県三戸町・蓑ヶ坂/旧奥州街道553

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蓑ヶ坂、旧街道


ガレ場を抜けると、草に蔽われたゆるい登り道となるが、
道筋が判りにくく、一歩一歩探すように上ると、
左側に奥州街道と書かれた標識があった。




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蓑ヶ坂、倒木地帯

草地を過ぎると、今度は倒木の多い登り道となった。
この冬の大雪で倒木となったようだ。

右側に「駕籠立場 あと500m」の標識があり、ほっとした。
道筋は間違わずにここまで来たようだ。




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蓑ヶ坂、旧街道

倒木地帯を抜けると、幾分明るくなった。
この辺は、登山道のように道筋も判りやすく、歩きやすかった。

登山道のような旧街道を進むと、道が階段状になった坂道となる。
かなりの急登であったが、歩きやすい道であった。





詳細リンク:旧奥州街道553「三戸町・蓑ヶ坂」/街道写真紀行
(三戸町目時) 1205/1306

2013/06/14

演劇「花の生涯」/新橋演舞場

平成25年6月
新橋演舞場

演 目 役 者 観 劇 記
舟橋聖一原作
斎藤雅文脚本
金子良次演出

花の生涯

   
井伊直弼
     里見浩太郎

長野主膳
     舟木一夫

村山たか
      葉山葉子

      長谷川
        かずき

     原口剛

     坂西良太

     林啓二

     西川美也子

     

  井伊直弼が未だ部屋住みであった頃、国学者・長野主膳に出会い、師弟関係を結ぶ。
  主膳は、兄の死を受けて彦根藩主となった直弼に招聘され、藩校・弘道館国学方に取り立てられ、藩政改革に協力する。
  直弼の信認も厚く、大老となった後も、将軍後継者問題の解決、日米修好通商条約締結、開国近代化、安政の大獄等に関与する。
  井伊直弼が桜田門外で暗殺されるまでの主膳との交流や遊芸の師匠村山たかとの関りを折込み、幕末の一大ロマンとして良く纏められている。





詳細リンク:「演劇」/悠々人の日本写真紀行

2013/06/11

二戸市釜沢~青森県・三戸町目時/旧奥州街道552

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旧奥州街道、釜沢集落

正面に、釜沢の集落が見えてきた。
背後の丘陵地が、岩手県と青森県の境界である蓑ヶ坂峠のあるところである。

左手の寺舘山(250m)には、中世の釜沢城があったところだ。
本館(ほんたて)と寺館(てらたて)からなり、
古くは樺沢城と呼ばれていたようだ。

九戸の乱の後、城主の小笠原淡路守重清は、
当時三戸城主であった南部信直に攻められ落城となった。




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蓑ヶ坂入口

釜沢の集落を抜けると、舗装道は左に曲る。
旧奥州街道は、正面の未舗装の薮道だ。

右手に「奥州街道・蓑ヶ坂入口」と書かれた案内板があった。

蓑ヶ坂は、奥州街道の難所で、
明治9年と明治14年の明治天皇行幸の時は、
天皇は馬車から降り、馬に乗ってこの峠を越えたようだ。

蓑ヶ坂の謂れは、この峠に差し掛かると、
風雨が起こり、そこにはうまい具合に、蓑と笠が置かれてあった。
この蓑と笠は、大百足が化けたもので、
これを身につけると沼に引き込まれてしまうとの伝説が残されている。

さらに進むと、正面に「落石注意」と書かれた注意書きがあった。

標識は無かったが、地図によると、
この辺から青森県の三戸町となるようだ。

岩手県は北海道に次いで、
日本で第2番目の面積を持つ自治体で、南北160kmもある。
これで、この岩手県を徒歩で、ほぼ縦断したことになる。
長い道程であった。




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旧奥州街道、蓑ヶ坂ガレ場

左側の崖が崩れ、ガレ場となっている。
落石に気をつけながら、雨の中、蓑ヶ坂を登っていく。

生憎、大百足が化けたという蓑と笠は置いてなかった・・・・




詳細リンク:旧奥州街道552「二戸市釜沢~三戸町目時」/街道写真紀行
(二戸市釜沢道ノ下、三戸町目時) 1205/1306

2013/06/09

映画「藁の楯」

平成25年6月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
藁の楯
 
 2013年 
     日本

 監督
 三浦 崇史

  大沢 たかお

  松嶋 菜々子

  岸谷 五郎

  藤原 竜也

  山崎 勉

  余 貴美子


  少女を殺害した凶悪犯を殺害すれば10億円の謝礼を出すという新聞広告が出され、身の危険を感じた犯人は、自ら出頭。その犯人を命懸けで移送することになった警視庁警備部SP。
  面白い設定と、予想できない展開は、最後までスリル満点であった。どうしょうも無い犯人を命懸けで護ることの意義を問いながらの展開は、脚本が見事であった。



詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2013/06/06

二戸市金田一~釜沢/旧奥州街道551

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釜沢方面分岐

旧街道はここで、右の釜沢方面となる。
長かった二戸市の金田一地区から釜沢地区に入る。

釜沢地区は、岩手県の北端で、青森県三戸町と接している地域だ。
中世には、釜沢城のあった処である。

九戸政実の戦い(1591年)の時、城主であった小笠原淡路守重清は、
当時三戸城主であった南部信直に、九戸城落城後に攻められ落城となった。




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別当屋敷之墓標

左側に古い石塔と共に、
「別当屋敷之墓」と刻まれた未だ新しい墓標が建っていた。

別当氏というと、祖先は律令制の宮司の長官であったのだろうか。

前方の山並みは、岩手県と青森県境で、蓑ヶ坂峠のあるところだ。
長かった、岩手県から青森県に変るところである。




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名久井岳遠望

右前方に、独特な山容の名久井岳(615m)が見えてきた。

名久井岳は、青森県南部町と岩手県三戸町に跨る山で、
外観は単峰のように見えるが、いくつかの山塊が集まった起伏山地で、
岩手県を南北に連なる北上山地の北方にある名久井山地に属している。

山頂から半径2kmとその周辺は青森県立自然公園に指定されている。
古くから、霊峰山として信仰の対象となっていた山である。





詳細リンク:旧奥州街道551「二戸市・金田一川口~釜沢上野平」/街道写真紀行
(二戸市金田一字川口 釜沢上野平 道ノ上) 1205/1306

2013/06/03

二戸市金田一・小野~川口/旧奥州街道550

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金田一川口、旧街道

金田一の小野と川口の間の峠を越えると、両側が開けてきた。
左右に、りんご畑が広がっているところだ。

二戸のりんごは、岩手県の先駆者で、
特にここ金田一地区は早くからりんご栽培が盛んな地区であった。

金田一温泉(金田一湯田地区)には、観光りんご園もあり、
毎年11月上旬には、収穫祭が賑やかに行なわれるとか。




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りんご畑

りんごの花が五分咲きであった。

金田一地区のりんごは、「ふじ」、「王林」がメインとか。
地元の農協では、特産品として「りんごジュース」も販売しているようだ。




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川口合流点

りんご畑の中の道を進んでいくと、正面に川口の集落が見えてきた。
ここで丁字路となり、旧奥州街道は左折となる。

雨滴がカメラのレンズに付き、見苦しい写真となってしまった。





詳細リンク:旧奥州街道550「二戸市金田一・小野~川口」/街道写真紀行
(二戸市金田一字小野 川口) 1205/1306

2013/06/01

二戸市金田一・小野~野々上/旧奥州街道549

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金田一小野、旧道分岐

姉滝から旧街道に戻り、少し先で今度は
写真右側の草で蔽われた山道となる。

この分岐は、判り難く、うっかりすると見落とすところである。
事前に調べてあったので、迷わずに行けたが、自信はなかった。

しかし、この道の右側に二戸市で建てた、
「奥州街道」と書かれた小さな道標を発見した時は
嬉しかった(写真右手)。




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金田一野々上、旧街道

坂を上ると、樹間の山道となり、道筋を確認しながらの歩行となった。

地図によると、この道の左側は金田一字小野ではなく、
野々上字出張(ののうえ あざ でばり)地区となるところだ

道がわかりにくく、何度も地図とコンパスで確認しながら進んだが、
途中で木の幹に青いリボンが巻かれており、ほっとした。

地元のボランティアの方が付けたのであろうか、
わかりにくい樹間の道では助かる目印である。




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金田一小野、旧街道

前方が開け、明るい道となった。

ここからはゆるい下り坂となっているところだ。
次の目標は、金田一字川口の集落である。





詳細リンク:旧奥州街道549「二戸市金田一~野々上」/街道写真紀行
(二戸市金田一字小野) 1205/1306

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