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2013年4月

2013/04/29

映画「舟を編む」

平成25年4月
横浜ブルク13


タイトル キャスト コメント
舟を編む
 
 2013年 
     日本

 監督
   石井 裕也

  松田 龍平

  宮崎あおい

  オダギリジョー

  池脇 千鶴

  八千草 薫

  加藤 剛也


  出版社の営業部で変人扱いされていた男が、言葉に対する並外れた感性を見込まれ辞書編集部に配属される。そこで、15年をかけて、20数万語収録の新辞書作りに挑み、無事完成させる。
  辞書作りの地味な日々の積み重ねを縦糸に、個々の人物描写も要領よく纏まっている。




詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2013/04/26

二戸市福岡宿・城ノ内~白鳥川/旧奥州街道538

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白鳥川、岩谷橋

九戸城より街道に復帰する。

道が左にカーブすると、白鳥川に架かる岩谷橋を渡る。
この左側が馬淵川となっている。

九戸城は、馬淵川とこの白鳥川、
そして白鳥川の支流である猫渕川に囲まれた高台にあるので、
この3川が天然の外濠の役割をしている堅固な城であった。




88kunohej39s  白鳥川上流側
 
岩谷橋より上流側を見た写真だ。

写真右側が九戸城のある高台である。
白鳥川は、二戸市白鳥の小峠(476m)を源流とする川で、
馬淵川の支流となっている。

今はこの岩谷橋を渡るが、旧街道は、橋の手前で急な馬助坂を下って、
この白鳥川を渡っていた。

その馬助坂の途中の崖にあるのが、橋名となっている岩谷観音堂である。




88kunohej40s  福岡、馬助追分石

岩谷橋を渡ると、右側に福岡、馬助追分石が残されている。

「右 もりおか 左 白とり」と刻まれてあった。

白鳥は、白鳥川上流にある旧村である。





詳細リンク:旧奥州街道538「二戸市福岡宿・城ノ内~白鳥川」/街道意写真紀行
(二戸市福岡、城ノ内、城ノ外) 1111/1304

2013/04/24

二戸市福岡・九戸城跡/旧奥州街道537

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九戸城跡

九戸城への坂を登っていくと、正面に本丸跡が見えてきた。

九戸城は白鳥城とも呼ばれ、
西は馬淵川、北は馬淵川支流の白鳥川、猫渕川に囲まれた
広大な高台の上に作られた、堅固な城であった。

城主九戸氏は、南部家の始祖南部光行の5男行連(ゆきつら)に始まり、
九戸熊野館(現九戸村)に居館を構えていたが、
明応年間(1492~1501年)、7代の光政の時に九戸城を築き
拠点をここに移した。

1590年、秀吉の奥州仕置きで、
小田原不参加の諸氏の領主権が否定された。
これに対し、小田原に不参加であった当時の城主九戸政実は挙兵した。

この城に篭城する九戸方約5000人に対し、
秀吉方の蒲生氏郷、浅野長政ら総勢6万人の奥羽再仕置軍は、
九戸城を包囲したが落城しなかった。

再仕置軍は、九戸氏の菩提寺長興寺住持を介して、
妻子らの助命などを条件に降伏を勧告し、開城させた。

しかしこの約定は守られず、政実以下の諸将は処刑され、
篭城者は婦女子に至るまで尽く殺害された。

これが、九戸政実の乱(九戸合戦)である。

再仕置きの結果、秀吉側についていた宗家三戸南部氏(信直)が
九戸城を福岡城と改名して居城としたが、
その子の利直の時の元和元年(1615年)に、
不来方(こずかた)の盛岡城に移り、
寛永13年(1636年)に廃城となった。




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九戸城大手門跡、二の丸

九戸城の本丸へは、ここで左折する。

絵地図によると、この辺に大手門があり、写真正面は二の丸跡のようだ。




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九戸城本丸跡

正面が本丸跡である。

なお、廃城の時は福岡城であったが、今は九戸城と呼ばせている。

説明によると、九戸氏が築城し、また居城期間も圧倒的に長かったので、
九戸氏を懐かしみ、呼名を九戸城としたとのことだ。

なお、ここの地名は福岡で、宿場名も福岡宿である。




詳細リンク:旧奥州街道537「二戸市福岡宿~九戸城」/街道写真紀行
(二戸市福岡、五日町、松ノ丸、城ノ外、城ノ内) 1111/1304

2013/04/22

二戸市福岡宿・五日町~松ノ丸/旧奥州街道536

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田中舘愛橘所縁の家

左側に田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)ゆかりの家がある。

氏は、東京の雑司が谷に住んでいたが、
東京大空襲で、生まれ故郷である福岡に疎開して、
向かいの小保内家に身を寄せていた。

この家は、昭和23年に福岡町(現二戸市)の有志が
田中館のために寄贈したものだ

東京に居を構えてからも、この家に避暑に訪れ、
地域の人々と交流していた。
平成14年、この家は土地とともに遺族から二戸市に寄贈された。

なお、田中舘は、安政3年(1856年)、南部藩兵法指南の家に生まれ、
明治15年東京帝国大学理学部を卒業、

グラスゴー大学、ベルリン大学に留学。

帰国後は東京帝国大学の教授となり、日本物理学の創始者で、
日本式ローマ字の創始者とのことだ。

現在この家は、「高齢者語らいの家」としても利用されている。

また、氏の功績を記念して、
二戸市石切所にある二戸シビックセンターには
「田中舘愛橘記念科学館」が出来ている。


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呑香稲荷神社

街道右側の九戸城松ノ丸跡にある、呑香(とんこう)稲荷神社。
「呑香」は「東光」の字を充てることもあり、
アイヌ語で「かがやける丘」の意味とのことだ。
      
社伝によると、延暦20年(801年)、又は承和年間(834~848年)の頃、
出羽国の大物忌神社を勧請したのが始まりで、
天和2年(1682)にここに遷座したと伝えられている。


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福岡宿家並

呑香稲荷神社を出て、旧街道を進むと、
右側に成田山と書かれた安養寺がある。
境内に、成田山護国殿がある。
      
左前方は二戸郵便局で、住所は二戸市福岡五日町となっている。
明治8年に福岡郵便局として開設されたものだ。

安養寺の北の角に「九戸城跡」と書かれた案内標識があった。
この道を九戸城に向かう。      


詳細リンク:旧奥州街道536「二戸市福岡宿・五日町~松ノ丸」/街道写真紀行
(二戸市福岡、五日町、松ノ丸) 1111/1303

2013/04/19

二戸市福岡・福岡宿入口/奥州街道535

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93福岡宿入口

急な坂、久府坂をくだると、丁字路となる。
ここを右折すると、旧奥州街道93番目の宿場福岡宿となる。

前方の建物の裏(北西側)は馬淵川となる。
福岡宿は、馬淵川の右岸に発達した町である。

なお、昨夜泊まった二戸パークホテルは、
この道を左折して280mのところにある。




88kunohej23s  古道標

丁字路の角にある道標と案内標識。

右の古い石造の道標には「末の松山浪打峠 従是二十丁」と刻まれてある。
中央の標識には「久府坂と街道分起点」とある。

説明によると、天正19年(1591年)の九戸の乱の後、
九戸城は蒲生氏郷が修築し、
三戸の南部信直の居城として払い下げられた。

これを契機に、地名「宮野」を「福岡」に改め、
信直は家臣団を引き連れて移ってきた。

その家臣団は前述の在府小路に住んだとのことだ。

左側の石造りの道標には「左 一戸道、右 浄法寺」と刻まれてあった。
浄法寺は、鹿角街道(
県道6号)沿いにある旧町で、
漆の生産量日本一で知られたところだ。

現在の地名は二戸市浄法寺となっている。




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福岡宿並み

丁字路を右折すると福岡五日町である。
家並みの背後を馬淵川が流れているところで、商人の町であった。
写真左は、食料品を扱っている奥清商店のようだ。

なお、道路を挟んで反対側(写真右側)は
九戸城跡のあるところである。





詳細リンク:
旧奥州街道535「二戸市福岡・八幡平~福岡宿入口」/街道差写真紀行
二戸市福岡、 在府小路 八幡平 橋場 五日町)1111/1304

2013/04/16

二戸市・石切所村松~福岡在府小路/旧奥州街道534

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村松八幡宮

村松消防小屋の裏手にある村松八幡宮の参道である。

もとは九戸政実の守護神、別の場所にあったが、
参詣に不便とのことで、天保10年(1839年)に現在地に遷宮した。

八幡宮は清和源氏の氏神とされ、
広く武人の守護神となり、全国に勧請されている神社である。

社殿は、明和年間(1764~1772年)に
南部利雄により建造されたものであったが、
昭和37年に立て直されたものだ。




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石切所・馬作目

村松の集落を抜けると、石切所(いしきりどころ)字馬作目(うまさくめ)となる。

街道は、ここでS字型にカーブしている。
かつての村境にある枡形であろうか、
このカーブを越えると、旧石切所村から福岡地区となる。

福岡は元の二戸郡福岡町。
九戸城下町で、奥州街道93番目の宿場・福岡宿のあったところだ。

昭和30年に石切所、爾薩体(にさつたい)、御返地(ごへんち)、
斗米(とまい)の4村と合併、
昭和57年に金田一村と合併し二戸市となった。




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福岡・在府小路

福岡地区に入ると、急坂となる。
久府(くふ)坂と言うようだ。

右側の道は九戸城方面で、福岡松ノ丸地区となる。

九戸城の西側腰曲輪の松ノ丸跡である。
この辺に、九戸城の大手門があったとのことだ。

松ノ丸には、現在、大作神社、九戸政実神社、
呑香(どんこう)稲荷神社が鎮座している。

旧街道は、左の急坂(久府坂)をこのまま下る。
前方の集落が福岡宿である。

また、写真右側の地名は福岡字在府小路で、
九戸城の家臣達が住んでいたところだ





詳細リンク:旧奥州街道534「二戸市・石切所村松~福岡在府小路」/街道写真紀行
(二戸市石切所 村松 馬作目、 福岡 在府小路 八幡平 ) 1111/1304

2013/04/13

二戸市石切所・鐺倉~村松/旧奥州街道533

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石切所鐺倉、旧街道

県道から別れ、左側の旧街道に入る。
ゆるい上り坂となっている。

前方に村松の集落が見えてきた。





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村松集落、旧家

旧家村松集落の右側にある、旧民家。
軒下に釣り下がっている干し柿が印象的であった。




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村松集落

村松集落の中心部に入る。
正面に見える、鐘の下った櫓は地元の消防小屋とのことであった。

この左の道を入ったところに、村松八幡宮のあるところである。





詳細リンク:旧奥州街道533「二戸市石切所・鐺倉~村松」/街道写真紀行
(二戸市石切所 鐺倉 村松) 1111/1303




2013/04/11

横浜スタジアム/DeNA対広島戦

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横浜公園

横浜スタジアムのある、横浜公園のチューリップが満開であった。

この背後にあるのが、横浜スタジアムだ。
多くのファンが列を作って並んでいた。


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横浜スタジアム


今日(4/9)は、横浜DeNAベイスターズ対広島の、開幕第一戦である。
ピッチャーは、中日より移籍したソト、相手は大竹だ。

昨年は、広島にすっかりカモにされていて、今年こそはと思ったが
1回にいきなり4点、3回には梶谷のボーンヘッドもあり、
さらに5点を取られ、勝負が決まってしまった。

移籍のブランコの豪快の一発は見事であったが、
終わってみれば2対9の大敗である。

今年は補強され、少し期待されたが、
未だ、本拠地では一勝もしていない状態だ。

救いは、ソトの後を投げた、
新人の三嶋や、大原慎、佐藤、加賀が
それなりの役目を果たし、ゼロに押さえたことだ。

今年こそは、断トツの最下位ではなく、
順位争いに参加して欲しいものである。



横浜市中区 1304/1304





2013/04/08

二戸市石切所・浪打~桜清水/奥州街道532

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末の松山トンネル

浪打峠から快適な旧街道を下っていくと、ここで市道に合流する。

この左側手前が、市道の末の松山トンネルの出口に当たるところである。
このトンネルは浪打峠の下を通り、延長629mで1987年に完成したものだ。

市道との合流点の右側に東北自然歩道の案内標識がある。
  「新奥の細道、 左 九戸城 2.8km、右 末の松山 0.7km」
と記されてあった。




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石切所・桜清水

快適な道を下って行くと、左側に湧水・桜清水、
そして右側に桜清水地蔵尊がある。
地蔵尊の前にあるベンチで休憩させていただく(謝)。

桜清水は古くからの清水で、
古書にも「三伏の間旅客渇き凌ぐ也」と記されているとか。

三伏(さんぷく)は、暑さの最も厳しい時期の意味。

但し、泉の側にある二戸市松村町内会の注意書きには、
「水質調査の結果、一度沸かしてから飲むように」と書かれてあった。

右側は桜清水地蔵尊で、説明板によると、
天保4年(1833年)、
日向国臼杵郡岩戸村(現宮崎県臼杵郡高千穂町)の新作と言う人が、
旅行者の安全を祈願して建立したものだ。




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石切所字鐺倉・旧道分岐

ここで、旧奥州街道は左の狭い道となる。

轍があるので、車も通れるのであろう。
この先は、二戸市石切所字村松となる。

なお、地名の鐺倉は「なべくら」と読む。
「鐺」を「なべ」と読ませているが、普通は「こじり、とう」である。

この字の意味は、原義はくさりで、
刀の鞘の末端の金具であるこじり、壁を塗るこてである。

地形からきているのか当て字か、わからなかった。





詳細リンク:旧奥州街道532「二戸市石切所・浪打~桜市水」/街道写真紀行
(二戸市 石切所浪打 桜清水 鐺倉 村松) 1111/1304

2013/04/06

一戸町・浪打峠~二戸市・石切所/旧奥州街道531

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浪打峠

頂上の東屋で一服した後、浪打交叉層の露出した岩の間を抜け、
奥州街道93番目の宿場・福岡宿に向かう。

浪打峠を越えると、一戸町一戸から二戸市石切所に入る。
この先は、如何にも旧街道らしい快適な下り道となる。




88kunohej01s  追分案内標識 

浪打峠の頂上から100m程歩くと、丁字路があり、
その左側に案内道標があった。

手前側が浪打峠 0.1km、直進が九戸城跡 3.5kmと書かれてあった。
そして、ここで左折すると「東北自然歩道、鳥越観音」とある。

鳥越観音は一戸町鳥越にあり、平安時代初期に開かれ、
奥の院は鳥越山の切り立った崖の岩屋に作られている。

岩手県の有形民族文化財に指定されている。




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名水・山下水

浪打峠を下って行くと、街道左側に名水・山下水がある。

明治9年に明治天皇が東北巡幸の際、
浪打峠で行なわれた野立てにこの山下水が用いられたことから、
この山下水は御膳水とも呼ばれるようになった。

その時に、水桶に添えて差し出された歌が
「足曳きの 山下水を くみあげて わが大君に お茶をたてまつる」

現在、この水は水質検査の結果、
一度沸かしてから飲むようにと注意書きされてあった。





詳細リンク:旧奥州街道531「一戸町浪打峠~二戸市石切所」/街道写真紀行
(一戸町 一戸大越田 、二戸市 石切所浪打) 1111/1304

映画「プラチナデータ」

平成25年4月
横浜ムービル




タイトル キャスト コメント
プラチナデータ
 
 2012年 
     日

 監督
   大友 啓史

  二宮 和也

  豊川 悦司

  鈴木 保奈美

  杏

  中村 育二


  政府が極秘に収集した国民の遺伝子情報プラチナデータを元に犯罪捜査が行なわれ、検挙率は100%となり、冤罪は皆無となった近未来の日本。
  警視庁の科学捜査機関に所属する科学者が、DNA捜査システム関係者の連続殺人事件を担当するが、同システムがその科学者を容疑者として割り出す・・・
  科学者から逃亡者へと転落する主人公と彼を追うベテラン刑事。良い設定で、最後まで緊張感を持って見られる。






詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2013/04/04

一戸町一戸・浪打峠/旧奥州街道530

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浪打峠

浪打峠の頂上である。
少し開けたところに石碑や東小屋が出来ていた。

正面の岩肌が、国の天然記念物に指定されている「浪打峠の交叉層」だ。





87ichnohe85s  浪打峠交叉層記念碑

右の石塔は、「浪打峠の交叉層、国指定天然記念物碑」と刻まれてあった。

左の大きな石塔には「北白川宮能久親王御休息地碑」と刻まれてある。
北白川宮能親王(きたしらかわののみや よしひさしんのう)は
幕末明治の皇族で、伏見宮邦家親王の第9王子、近衛師団長であった人だ。




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浪打峠交叉層

この辺りの地質は、
約2300万年前から180年前までの新生代第三紀の
門の沢(かどのさわ)層と、その上に重なる末の松山層からなり、
二枚貝、巻貝、腕足類などの海生動物化石を多く含んでいる。

交叉層(クロスラミナ)は浅い海底で、
潮流などの流れで砂が移動した結果、作られたもの。

ここでは、末の松山層下部の粗粒砂岩層の中に顕著な交叉がみられ、
美しい縞模様を持ち、かつて浅い海底で堆積した地層であることを示している。





詳細リンク:旧奥州街道「一戸町一戸・浪打峠」/街道写真紀行
(一戸町 一戸大越田 大道沢) 1111/1304

2013/04/02

一戸町一戸・大越田~浪打峠一里塚/旧奥州街道529

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旧奥州街道、浪打峠

一戸大越田から浪打峠の坂を登る。
      
轍があるから、車でも行けるようであるが、
クルマや人にも出会わなかった。

さらに坂登ると、大分山気が増してきた。
      
この辺から、歌枕で知られた「末の松山」とでも言うのであろうが、
もとより歌枕の地は明確ではない。
いわば、歌の世界の地名であるから。
      
また、末の松山は、ここ浪打峠との説の他に、
多賀城市八幡との説もあり確かでない。
      
興ざめではあるが、百人一首にも選ばれている一句
      
     「契りきな かたみに袖を しぼりつつ
   
    末の松山 波越さじとは    清原元輔」

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浪打峠一里塚

浪打峠の頂上付近に一里塚が左右1対残されている。
盛岡から北へ15番目の一里塚だ。
      
街道が拡幅のために、周りより掘り下げられている為、
両側の一里塚が見上げる位置となっていた。



87ichnohe82s  一里塚東塚

街道右側にある一里塚・東塚で、直径12m、高さ2.8mだ。
こちらの所有者は越水幸尚と記されてあった。
住所は一戸字大道沢となっている。      




詳細リンク:
旧奥州街道529「一戸町一戸・大越田~浪打峠一里塚」/街道写真紀行
(一戸町 一戸大越田 大道沢) 1111/1303

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