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2013年3月

2013/03/31

一戸町一戸・小井田川~八戸道大越田橋/旧奥州街道528

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小井田川、上流側

小井田川に架かる橋より、上流側を見た写真である。

小井田川は馬淵川支流で、一戸町楢山の小倉岳を源流とする川だ。
この上流の河岸段丘の上に、縄文時代の集落遺跡、小井田遺跡がある。




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旧街道分岐

小井田川に架かる橋を渡ると、道が分岐している。
右側の道が、旧奥州街道である。

案内標識には「奥州街道 末の松山のみち、
美しい日本の歩きたくなるみち500選」と書いてあった。




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八戸道、一戸インターチエンジ 

八戸自動車道の上に掛かっている跨道橋、大越田橋を渡る。
八戸道は、山の斜面を削った切通しとなっている。

八戸道の跨道橋、大越田橋から、
右側(東側)八戸方面を見下ろした写真である。

一戸インターチェンジとなっているところで、左側が一戸への出口だ。

一戸インターチェンジの住所は、
一戸町楢山平船(たいらふね)向となっている。





詳細リンク:旧奥州街道528「一戸町一戸・小井田川~八戸道」/街道写真紀行
(一戸町 一戸越田橋 楢山平船向) 1111/1303

2013/03/29

一戸町一戸・小井田~越田橋/旧奥州街道527

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国道4号線


一戸高校の右(東)側を通り、そのまま街道を進むと、
国道4号線に行く手を遮られる。

旧街道は、この先で国道4号線の下を潜り、
さらにその先にある高速道路の八戸自動車道(通称八戸道)の下を潜る。

八戸道は、東北道安代JCTと八戸を結ぶ高速道だ。

道路左側に、「末の松山(浪打峠の交叉層」と書かれた案内標識があり、
少し道に不安があったので安心した。




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小井田川


小井田川に架かる橋を渡る。

小井田川は馬淵川支流で、一戸町楢山の小倉岳を源流とする川だ。
この左側で馬淵川に合流している。

小井田川上流の河岸段丘の上に、
縄文時代の集落遺跡、小井田遺跡がある。

旧街道はこの橋を渡り、前方右側の砂利道となる。




87ichnohe72s 小井田川の案内板

橋の欄干に小井田川の案内板があった。

「いつかと わが松山に今はこそ こゆなる波よ ぬう袖かな よみ人しらす」
と読めた。

この先の浪打ち峠付近は、歌枕「末の松山」で
知られたところである(末の松山は多賀城市八幡との説もある)。





詳細リンク:旧奥州街道527「一戸町一戸・小井田~越田橋」/街道写真紀行
(一戸町 一戸蒔前 小井田 越田橋) 1111/1303

2013/03/27

一戸町一戸・本町~蒔前/旧奥州街道526

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一戸宿本町

一戸宿の中心部である一戸本町の県道274号線から右折すると、
旧街道の宿場らしい堀が残されている道となった。




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実相寺


街道右手にある実相寺(じっそうじ)で、
左側の白い建物は一戸町立一戸保育所である。

入口の右側には「南無阿弥陀仏」と刻まれた古い6字名号塔が建っている。

入口左側の左の石塔は文政10年(1827年)の庚申塔だ。
同右側の石塔には、「不許五辛酥□入門」と刻まれてあった。

□は、門構えに又の字であるが読めなかった。
「閔(びん、みん)」とすると、病気になった者となる。

五辛(ごしん)は、辛味や臭気の強い5種の野菜で、
大乗仏教では、大蒜(にんにく)、韮、葱、ラッキョウ、野蒜をさす。
酥(そ)は、牛や羊の乳を濃く煮詰めた飲料のこと。

これらを食したものは入門スベカラズとのことのようだ

実相寺は、もともとは武家の菩提寺であったようだ。
一戸城の北側を護る様に、この実相寺と広全寺が並ぶように建っている。

広全寺は、小説「忍ぶ川」の作家三浦哲郎の家の菩提寺とのことで、
氏の葬儀がこの寺で行なわれた。
馬淵川の岩瀬橋の袂には、氏の文学碑が建てられている。

写真左部の公孫樹は、雄株でありながら、小枝の一部に雌花が付き、
毎年葡萄房のような実を結ぶ珍しい公孫樹ということで、
国の天然記念物に指定されている。

樹齢約290年、樹高25m、目通り周囲3.3mの公孫樹である。




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一戸宿出口


実相寺の前の道を通り北へ向かう。
写真は、一戸宿の出口付近の登り坂で、ゆるい枡形となっているところだ

一戸宿を抜けると、左側に一戸高校があり、
旧街道は、その右側を通っている。

一戸高校の住所は、一戸町一戸字本町から一戸字蒔前となる。





詳細リンク:旧奥州街道526「一戸町一戸・本町~蒔前」/街道写真紀行
(一戸町 一戸本町 大沢 蒔前) 1111/1303

2013/03/25

一戸町・92一戸宿/旧奥州街道525

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一戸宿、馬淵川上流側

橋より、上流側(南側)を見た写真である。

川の左側が一戸本町で、旧奥州街道92番目の宿場一戸宿のあったところだ。
右側は一戸向町で、旧街道はこの辺で川を渡っていた。

左前方は、一戸城のあったところで、現在は一戸公園となっている。




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92一戸宿中心部

かつての一戸宿の中心部である。

馬淵川の右手(東側)に宿場町が展開している。
江戸時代は、南部藩の一戸代官所が設置され、
宿場として検断制が布かれていたようだ。

一の付く日には三斎市が開かれ、
塩、塩肴、粟、大豆などの雑穀や、日常必需品が商われていた。

この辺一帯は今でも、大型の伝統的な様式の建造物が点在している。




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一戸宿、本町町並み

一戸本町を北上して、ここで県道274号線(二戸一戸線)から別れ、
旧街道は右の枡形に入る。

右に曲がると、
国指定天然記念物の実相寺(じっそうじ)の公孫樹のあるところだ。





詳細リンク:旧奥州街道525「一戸町・92一戸宿」/街道写真紀行
(一戸町 一戸向町 本町 ) 1111/1303

2013/03/24

映画「フライト」

平成25年3月
109シネマズ川崎




タイトル キャスト コメント
フライト
 
2012年 
     米

 監督
 ロバート・
   ゼメキス

  デンゼル・
    ワシントン

  ドン・
    チードル

  ケリー・
    ライリー

  エレン・
    ブロック


  ベテランの機長は、いつものようにフロリダ州オーランド発アトランタ行きの旅客機に搭乗。酷い乱急流を難なく乗り越え、副操縦士に任せ仮眠を取っていると、突然機体が急降下し制御不能となる。
  墜落寸前で何とか不時着に成功するが、機長の血液中から検出されたアルコールにより英雄から一転、糾弾されることになる。
  アル中である主人公の機長の苦悩、善悪で割り切れない人間の業の深さを描いた深遠な人間ドラマとなっている。





詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2013/03/23

鶴見川の桜/横浜

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ランドナーで鶴見川をサイクリング。

今年の冬が寒かったせいか、一気に桜が咲き、
ここ鶴見川の土手の桜も満開であった。




横浜市港北区、1303/1303

2013/03/22

一戸町一戸・向町~馬淵川/旧奥州街道524

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一戸丁字路


八坂神社の横の急な坂道を下ると、正面が丁字路となっている。

旧街道は、ここで右折となる。
丁字路には、旧奥州街道の案内標識があり、道に迷わないようになっていた




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一戸向町、旧街道

丁字路を右折すると、馬淵川の河岸段丘の上となる。

この先で、旧街道は枡形となり、旧城下町らしく、
くねくねした道となっている。




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馬淵川


枡形を抜けると、馬淵川の畔に出る。

旧奥州街道は直進との案内標識があるが、それは昔のことで、
今は橋も、渡しも無い。

仕方がないので、ここで左折して下流側の橋を渡る。

川の対岸は旧一戸村の本町で、
奥州街道92番目の宿場である一戸宿の中心部であった。

写真左手の石塔群の右側は、「安政2年 十和田大権現」、
左側の黒っぽい石塔は「庚申、秋葉山大権現、十五夜」と
刻まれてあった。





詳細リンク:旧奥州街道524「一戸町一戸・向町~馬淵川」/街道写真紀行
(一戸町 一戸向町 ) 1111/1303

2013/03/20

一戸町・高善寺野田~一戸向町/旧奥州街道523

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旧奥州街道案内板


八坂神社の一の鳥居を潜り、
上り坂となっている旧奥州街道を進む。

街道沿いに旧奥州街道の案内板があった。
予想外のところに詳しい案内板で、嬉しかった。

一戸町野田地域活性会が設置したものだ。
この説明板によると、赤い鎖線の部分が旧奥州街道である。




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八坂神社と旧奥州街道

旧奥州街道左側にある八坂神社。
旧高善寺村の出口付近にある神社だ。

元亀2年(1571年)疫病流行の時、
牛頭(ごず)天王を信仰している他の村では、
この疫病にかからないということで、牛頭天王の御堂を立てた。

後、伊勢参拝の時、山城国八坂神社の牛頭天王より受けた
ご神体を祀ったのが始まりで、今の八坂神社となった由。

なお、牛頭天王は、釈迦の生誕地の祇園精舎の守護神とされている。




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旧奥州街道


八坂神社から旧坂を下って行くと、
旧高善村から旧一戸村(現一戸町一戸)に変る。

旧一戸町は、明治32年に高善寺(こうぜんじ)村と一戸村が
合併して誕生した町だ。

一戸町の役場は旧高善寺村(現一戸町高善寺字大川鉢)に設置されている。
位置は、IGRいわて銀河鉄道の線路の左側(西側)にある。

今は鉄道が出来ていて、旧道は判然とはしないが、
旧奥州街道は旧高善寺村の中心部を通っていたらしい。





詳細リンク:旧奥州街道523「一戸町・高善寺野田~一戸向町」/街道写真紀行
(一戸町 高善寺野田 一戸向町 ) 1111/1303







2013/03/18

一戸町・IGR一戸駅~高善寺野田/旧奥州街道522

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IGR一戸駅

旧街道左側にある一戸駅駅舎。

一戸駅は、明治26年に開業した駅で、東京駅より599.8kmにある。
平成25年で開業120周年となり、
戸駅待合室と一戸町コミュニティセンターで、
2月15~17にかけて記念イベントが催されたようだ。

東京より約600km、毎度のことながら良くここまで歩いてきたものだと、
一人感激に浸る。

朝より降り続いている雨は、未だ止まなかった。




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八坂神社入口

駅前通りに合流し少し進むと、左側に八坂神社の鳥居がある。
そこで、旧街道は左折となる。

写真正面の小高い山が、かつての一戸城のあった処である。
戦国期の平山城で、馬淵川の右岸の台地の上で、
南北に連続して北館、八幡館、神明館、常念館の
4つの郭で構成されていたようだ。

南部氏の有力な分家である一戸南部氏の居城で、南部義実によって、
室町期の建長年間(1249~56年)に築城されたとのこと。

天正19年(1591年)九戸政実の乱で、篭城して九戸側の夜襲に耐え、
乱の後は石井信助が城代となったが、翌20年(1592年)廃城となった。

現在は一戸公園として整備されている。

また、馬淵川を挟んで、手前写真右側には
野田城(野田館とも)があった。
野田城は、一戸城が出来るまで、一戸南部氏の居城であった。





87ichnohe46s  八坂神社鳥居、旧奥州街道

旧街道左側に八坂神社の鳥居がある。
旧街道は、ここで駅前通から左折し鳥居を潜って行く。

鳥居の左下に旧奥州街道の標識がある。
町の中は、曲がりくねっている上、道が変化していて、
旧街道がわかりにくいので、ありがたい標識である。





詳細リンク:旧奥州街道522「一戸町・西法寺稲荷~高善寺野田」/街道写真紀行
(一戸町西法寺稲荷、高善寺野田) 1111/1303



2013/03/16

一戸町西法寺・関屋~IGR一戸駅/旧奥州街道521

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県道274号線合流点

白坂を下り、IGRいわて銀河鉄道のガードを潜ると、
旧街道は県道274号線(二戸一戸線)と合流する。

合流点には、「奥州街道」と書かれた大きな標識があった。

ここからは、暫くは県道274号線を歩くことになる。

この県道は、二戸(金田一)と一戸(女鹿口)の結んでいる道で、
一戸、二戸の中心部を通り、旧奥州街道とも大分重なっている。




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馬淵川下流側

県道274号線に隣接して右側は馬淵川(まべちがわ)となっている。

馬淵川は、葛巻町東部の北上高地袖山を源流とする川で、
青森県八戸市河原で太平洋に流入している一級河川である。

旧街道は、暫くはこの川沿いを歩くことになる。




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IGRいわて銀河鉄道一戸駅

正面にIGRいわて銀河鉄道の一戸駅が見えてきた。

一戸駅は、明治26年に開業した駅で、東京駅より599.8kmにある。
東京より約600km、
毎度のことながら良くここまで歩いてきたものだと、一人感動している。

朝より降り続けている雨は未だ止まなかった。





詳細リンク:旧奥州街道521「一戸町西法寺・関屋~IGR一戸駅」/街道写真紀行
(一戸町西法寺 関屋 稲荷) 1111/1303


2013/03/14

一戸町西法寺・白子坂~舘越/旧奥州街道520

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白子坂

老ヶ舘(おいがたて)跡から一気に、白子(しらこ)坂を下る。

老ヶ舘から北側の坂道は、「山土尽く白灰なり」と、
寛政11年(1799年)、幕府奥詰医師渋江長伯が、
蝦夷探索に赴く旅路に記した「東遊奇勝」の中でも記されている。

道の両側に露出した白土の様子から、
白子坂と呼ばれるようになったようだ。

白子坂を下って行くと、前方が開けてきた。

前方の開けたところは、御所野と呼ばれているところで、
御所野遺跡(一戸町岩楯字御所野)があるところだ。

馬淵川右岸の河岸段丘にある縄文時代の大規模な集落跡で、
国の史跡に指定され、公園として整備されている。




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百姓一揆結集の地/舘腰

白子坂の途中が開け、見晴らしの良い高台となっている。
説明板によると、ここが百姓一揆結集の地とのことだ。

天保7年(1836年)、連年の凶作と、重税、高利貸しの悪徳商法などで
農民の生活は困窮を極めていた。

この窮状を打開しようと女鹿(めが)の大工、佐吉が近郷の同志と相談し、
福岡の代官が一戸に来た時、
税の軽減と高利貸の排除について訴えることにした。

しかし、血気に逸った農民は、時を待ちきれず、町内に雪崩れ込み、
商人に乱暴したり、商店を壊したり、果ては御番所にまで乱入して
狼藉を働くなど暴徒化してしまった。

その結果、農民の多くは役人に取り押さえられ、訴えは失敗に終わった。
1年後、佐吉は首謀者として関屋川原で打ち首となり、
他の主だった人たちは遠隔地に追放されたとのことだ。

写真手前の旧奥州街道の道標には、
「直進 関屋大日堂 0.6km、 諏訪一里塚 1.3km」
と記されてあった。




87ichnohe35s  IGRいわて銀河鉄道

百姓一揆結集の碑のある高台から、
左に迂回するようにして坂を下ると、
正面にIGRいわて銀河鉄道の高架が見えてきた。

旧街道は、この高架下を潜る。





詳細リンク:旧奥州街道520「一戸町西法寺・白子坂~舘越」/街道写真紀行
(一戸町西法寺 白子坂 館腰) 1111/1303 

2013/03/13

三月花形歌舞伎/新橋演舞場

平成25年3月
新橋演舞場

演 目 役 者 観 劇 記
妹背山婦女庭訓
(いもせやまおんなていきん)

 三笠山御殿

 一幕

   
お三輪
      菊之助

漁師鱶七
実は金輪五郎今国
      松 禄

烏帽子折求女
実は藤原淡海
       亀三郎

蘇我入鹿
       彦三郎

入鹿妹橘姫
       右 近

  三笠山にある御殿の主、蘇我入鹿のもとへ、藤原鎌足の使者としてやってきた漁師鱶七を入鹿は人質としてしまう。
  そこへ、酒屋の娘お三輪が、恋い慕う求女(もとめ)の後を追って御殿に迷い込んでくる。お三輪は意地悪な官女達に散々嬲られた挙句、求女は橘姫と祝言を済ませたと聞いて嫉妬の余り形相が一変し・・
  重厚な時代物狂言「妹背山婦女庭訓」より、変化に富んだ物語の展開を、菊之助の好演で、魅力的な舞台となっている。官女たちの苛めぶりも堂に入っていた。

長谷川伸作
村上元三演出
大場正昭演出 
暗闇の丑松
(くらやみのうしまつ)

 三幕
暗闇の丑松
      松 禄

丑松女房お米
      梅 枝

四郎兵衛
      團 蔵

お熊
      萬次郎

四郎兵衛女房お今
      高麗蔵


  料理人丑松には、お米という恋女房がいたが、強欲なお米の母お熊は、二人を離別させ、お米を金になる妾奉公に出そうとしていた。
  それを知った丑松は、お熊と見張りの浪人を殺害し、お米を兄貴分の四郎兵衛に預け、江戸を離れる。
  一年後、、丑松はお米を引取ろうと江戸に戻るが、お米は四郎兵衛に騙され、苦界に売り飛ばされていた・・・
  何度見てみても良い芝居だ。今回は松禄が丑松初役と言う事で、正に熱演であった。



詳細リンク:「演劇」/悠々人の日本写真紀行

2013/03/12

一戸町西法寺・荷坂~老ヶ舘/旧奥州街道519

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旧街道分岐、荷坂

女鹿川に架かる女鹿橋を渡ると、地名は小鳥谷から西法寺に変わる。
女鹿橋を渡り、少し進むと右側に、旧奥州街道が残されている。

一戸町の建てた標識には「ここは荷坂(にさか)、
直進 老ヶ舘、天保7年百姓一揆集結地」と書かれてあった。

この標識が無ければ、通り過ぎてしまうような道筋であった。

なお、地名となっている西法寺の毘沙門堂(寛文3年建立)は
岩手県の有形文化財に指定されている。




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峠道、老ヶ舘

荷坂を登る。
落ち葉がぎっしりであった。

前方に、峠が見えてきた。
標識によると、ここは老ヶ舘(おいがたて)と呼ばれているようだ。




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老ヶ舘への道

街道右側に、さらに山を登る道が続いている。
老ヶ舘入口と標識が建っていた。

老ヶ舘入口階段を上り、急な山道を暫く歩くと、
道が、すっかり落葉と薮で蔽われてきた。

歩く人は、いないようであったので、この先でUターンする。
後に調べてみると、この先、山頂付近が老ヶ舘跡で、
小さな祠が祀ってあるようだ。

老ヶ舘の地名は、中世以前の舘があった処であろうが、
調べてみたが良くわからなかった。

天正19年(1991年)奥州仕置で、
秀吉の連合軍により滅ぼされたとの説もあるようだ。





詳細臨機:旧奥州街道519「一戸町西法寺・荷坂~老ヶ舘」/街道写真紀行
(一戸町西法寺) 1111/1303

2013/03/11

映画「ジャンゴ/繫がれざる者」

平成25年3月
109シネマズ川崎



タイトル キャスト コメント
ジャンゴ/繫がれざる者
 
2012年 
     米

 監督
 クエンティン・
  タランティーノ

  ジェイミー・
    フォックス

  クリストフ・
    ヴァレツ

  レオナルド・
    ディカプリオ

  ケリー・
    ワシントン


  1858年南北戦争前のアメリカ南部。奴隷ジャンゴは、賞金稼ぎの白人によって自由の身となる。そして二人は協力して、次々とお尋ね者を取り押さえていくが、奴隷市場で離れ離れとなった妻の居る所が判明し奪回に向かう。
  緊迫感溢れる人間関係と、ストーリーの展開は見事。レオナルド・ディカプリオの悪役ぶり、賞金稼ぎの白人男役のクリストフ・ヴァルツ(今年度アカデミー賞の助演男優賞受賞)の演技も素晴らしかった。





詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2013/03/10

一戸町小鳥谷・女鹿口~女鹿川/旧奥州街道518

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日影坂/女鹿口

子性堂の峠から日影坂を下ると、
正面に女鹿口(めがくち)集落が見えてきた。

この地名・女鹿口は最初読めなかったが、
羽越本線に女鹿駅(めが、遊佐町)があることを思い出した。

この辺で標高は160mである。




87ichnohe22s  女鹿口、雷電神社

街道左側にある雷電神社。
関東を中心に全国に点在する神社で、雷除けの神とされている。

境内に小野寺三太郎碑が建っていた。
明治43年に就任した、旧小鳥谷(こずや)村の村長だ。

旧小鳥谷村は、明治22年に小鳥谷村、宇別村、小繋村、中山村、
平糠村の5ヶ村がが合併してできた村である。

昭和32年に一戸町と合併し、一戸町となった。




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女鹿川丁字路

さらに坂を下ると、女鹿川の手前にある丁字路である。

右はIGRいわて銀河鉄道の踏切を渡り国道4号線方面で、
左側が旧街道だ。

ここにも一戸町が建立した奥州街道の案内標識があった(謝)。





詳細リンク:旧奥州街道518「一戸町小鳥谷・女鹿口~女鹿川」/街道写真紀行
(一戸町小鳥谷、小性堂、女鹿口) 1111/1303

2013/03/07

一戸町小鳥谷・小性堂~女鹿口/旧奥州街道517

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旧街道、峠道

坂を登って行くと、一戸町が建てた、
「女鹿口(めがぐち)へ至る」の道標があった。

この辺の下には、いわて銀河鉄道のトンネルがあるところである。




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明治天皇巡幸碑

坂の途中左側にl、明治天皇御野立之碑がある。
明治9年7月9日と、明治14年8月28日と刻まれてあった。

明治天皇は、明治9年と14年の二度、東北・北海道を巡幸している。
その時、ここで休憩されたようだ。

第一回目は230人、二回目は350人の随行者がいたという。

同じ敷地内に、奥州街道案内図と駕籠立場跡と刻まれた碑がある。




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旧街道 峠道頂上

坂道の頂上付近である。

このj峠を越えると、女鹿口(めがぐち)まで下り坂となる。
この坂を日影坂と呼ぶようだ。

左側に道標があり、「右 老ヶ舘、左 明治天皇巡幸碑」と刻まれてあった。





詳細リンク:旧奥州街道517「一戸町小鳥谷・小性堂~女鹿口」/街道写真紀行
(一戸町小鳥谷、小性堂、女鹿口) 1111/1303

2013/03/05

一戸町小鳥谷・小性堂/旧奥州街道516

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小鳥谷小性堂集落


さらに、坂を登ると正面に小鳥谷字小性堂(こしょうどう)の集落に入る。
国土地理院の地形図によると17戸くらいの集落のようだ。

なお、地形図や昭文社等では「小姓堂」となっているが、
地元の道標では「小性堂」となっている。




87ichnohe10s  小性堂神社

小性堂集落外れの崖下にある小さな神社。



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旧奥州街道

小性堂の集落を抜けると分岐があり、
手元の地図によると右側の未舗装道路が旧街道のようだ。

朝からの雨が止まず、ぬかるみの続く坂道を登る。

旧街道を登っていくと、農家の畑となり先に行けなくなった。
旧街道はこの先にあるはずだが、通行不能であった。

仕方なく、元来た道を下り、ここの舗装道路まで戻る。





詳細リンク:旧奥州街道516「一戸町小鳥谷・小性堂」/街道写真紀行
(一戸町小鳥谷、小性堂) 1111/1303

2013/03/04

映画「草原の椅子」

平成25年3月
横浜ムービル



タイトル キャスト コメント
草原の椅子
 
2013年 
     日本

 監督
  成島 出

  佐藤 浩市

  西村 雅彦

  吉瀬 美智子

  小池 栄子

  井川 比佐志


  50歳を過ぎた取引先の社長、骨董店の女性オーナーとバツイチサラリーマンの3人は、身勝手な父親や母親から虐待を受け、心に傷を負ってしまった幼い少年と共に、世界最後の桃源郷と呼ばれるパキスタンのフンザへ向かう。
   どうしょうもない身勝手な子供の親と、人の好いサラリーマンとその娘の対比や、ラストのパキスタン・フンザの砂漠、ウルタル山等7000m級の山々が見応えがあった。






詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2013/03/02

一戸町・小鳥谷野中/旧奥州街道515

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野中一里塚

旧街道を北上すると、左側に野中一里塚があった。

盛岡より北に13番目の一里塚跡である。
塚は道路拡幅の時に、取り壊されてしまった。

野中一里塚跡にある馬頭観世音は、馬の彫刻がリアルであった。




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野中大光神神社

県道15号線(一戸葛巻線)との丁字路で左に曲がり、
小鳥谷バイパスを渡り、左側の細い道に入る。

細い道に入り少し進むと、
左側に小鳥谷野中の出口付近に小さな神社がある。
赤い鳥居の額束には、「大光神」と書いてあった。

形は小さかったが、反増した笠木に、
稚児柱付きの本格的な両部鳥居である。




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平糠川

神社の前を通ると、平糠川の土手にでる。
旧奥州街道は、この川沿いを北に進むことになる。





詳細リンク:旧奥州街道515「一戸町・小鳥谷野中」/街道写真紀行
(一戸町小鳥谷、野里、野口) 1111/1303

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