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2013年1月

2013/01/30

一戸町ヨノ坂~小繋集落/旧奥州街道502

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小繋・ヨノ坂

当初は、塚平一里塚から尾根道を辿り、小繋集落に出ようとしたが
途中で道が消失しているので、小繋十字路まで戻り、
沢沿いのこのヨノ坂を下ることにする。
      
ヨノ坂の入口には、一戸町教育委員会が設置した新しい案内板があった。
一戸の火行から小繋を結ぶ坂道で、近世以降の旧奥州街道である。
      
ヨノ坂は、奥州街道でもかなりの難所として知られていた。
野々坂、飯の坂とも呼ばれていたようだ。

小繋十字路から北斜面の急坂となり、雪が残っていた。
      
この先、凍結して滑るのではないかと心配したが、
坂の頂上付近であるこの辺だけが雪に蔽われていた




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小繋、旧街道

ヨノ坂を下っていくと、程なく道の雪は無くなりほっとした。
      
街道脇には、暖房用であろうか薪が堆く積んであった。




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小繋集落入口


正面に小繋の集落が見えてきた。
      
この集落の入口付近に小繋番所があった。
盛岡城下より北の奥州街道の最初の番所である。




            

詳細リンク:旧奥州街道502「一戸町・ヨノ坂~小繋集落」/街道写真紀行
(一戸町小繋、新舘林) 1111/1301


2013/01/27

映画「東京家族」

平成25年1月
横浜ムービル



                                                             
タイトル キャスト コメント
      東京家族
       
      2012年 
            日本
      
       監督
        山田 洋次

      
      
        橋爪 功
      
        吉行 和子
      
        西村 雅彦
      
        夏川 結衣
      
        蒼井 優
        
        妻夫木 聡氏
      
        小林 稔侍
      
      

    瀬戸内海の島で生活している夫婦が、東京にいる子供たちに会いに来る。個人病院を開く長男、美容院を営む長女は、仕事が忙しく、、次男は未だ独身で舞台美術の仕事をしていて、面倒を見られず、折角来た両親をホテルに宿泊させる。
    自分の子供達と久々に対面した老夫婦の姿を通して、家族の在り方や現実をそれとなく描いている。
    小津安二郎の「東京物語」をモチーフにリメークしたもの。家族のゆるやかな崩壊をとらえた前作は、やはり見事であった。
      

      




詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2013/01/25

一戸町・中山~小繋/旧奥州街道501

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小繋・十字路

火行集落のはずれにある神社で、
年配の男性が境内の落ち葉を掃いていた。

道に不安になり、いろいろと話を伺う。

この十字路で、右は開拓農道と書いてあった。
ここの地名は一戸町中山から小繋(こつなぎ)と変わる。

左に行くと、IGR小繋(こつなぎ)駅方面である。

そして、直進し急坂(よの坂)を下るのが近世の奥州街道で、
それ以前の奥州街道は、ここで左折して尾根伝いを北上していた。

東北自然歩道新奥の細道は、この十字路で左折し、
塚平一里塚の前を通り、
IGRの小繋駅方面へと案内されている。



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塚平一里塚

小繋の十字路を左折して480mの所にある塚平(つかだいら)一里塚である。
近世以前の奥州街道はここを通っていた。

一里塚の造られた年月は不明であるが、
前後にある一里塚からの距離はほぼ4kmと
江戸時代に築かれた一里塚と同じ間隔とのことであった。

なお、ここの地名は、一戸町小繋字東田子となっており、
この辺の下に東北新幹線の岩手一戸トンネルがあるところである。




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旧街道

塚平一里塚の先の尾根を右に入った道である。
これが、近世以前の奥州街道である。

行ける所まで歩いてみようと思ったが、
予想通り途中で薮が深くなり道筋が分からなくなり、
諦めて、もと来た道を戻った。




            

詳細リンク:旧奥州街道501「一戸町・中山~小繋」/街道写真紀行
(一戸町中山、小繋) 1111/1212

2013/01/22

一戸町・旧中山~火行/旧奥州街道500

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火行・野菜畑

火行集落手前の右側に広がる広大な畑だ。

山の斜面を上手く利用した、大規模な野菜畑である。

雪が大分積もっていた。
今にも雪が降りそうなどんよりとした空模様であった。




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火行集落

火行集落の入口付近である。

旧奥州街道の91番目の宿場・沼宮内宿と
次の92番目の宿場・一戸宿の距離が、9里(36km)と遠かったので、
ここ火行に伝馬所が設けられていた。

資料によると、火行村の当時の戸数は6軒であった。
現在は、国土地理院の地図によると、約20戸位である。

この火行とは、この辺りが大変な難所であったため、
行者に火を与えたことから火行と呼ばれるようになったとか。




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火行伝馬所跡

街道右側に、火行伝馬所跡がある。

東北自然歩道の案内板には、
江戸時代の伝馬所の役割が解り易く記されてあった。




            

詳細リンク:旧奥州街道500「一戸町・旧中山~火行」/街道写真紀行
(一戸町中山、旧中山、火行) 1111/1212


2013/01/20

映画「渾身」

平成25年1月
横浜ブルク13



                                                             
タイトル キャスト コメント
      渾身
      KON-SHIN
       
      2012年 
            日本
      
       監督
        錦織 良成

      
      
         伊藤 歩
      
        青柳 翔
      
        笹野 高史
      
        中村 嘉津雄
      
        財前 直見
      
        宮崎 美子
      
      

        前妻の友人である隠岐島で育った女性と再婚した小さな娘のいる男は、島で20年に一度行なわれる古典相撲大会で、最高位の正三役大関に選ばれ、出場することになる。
        隠岐島の古典相撲を再現した迫力の取り組みと、家族の葛藤が上手く描かれている。
      

      



詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2013/01/18

一戸町・旧中山集落/旧奥州街道499

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青面金剛塔

旧中山集落に入ってすぐ左の丘の上に旧中山青面金剛塔がある。

一戸教育委員会建立の説明板によると、
中山集落(現・旧中山区)の南の入口に建つこの塔は、
安永4年(1775)と記銘された、一戸町でもっとも古い青面金剛塔だ。

この塔は、庚申塔として建てられたもので、顔は憤怒の相、中央の手は合掌し、
の手は弓と矢を構え、下の手は蛇を捕らえ、虎の皮の袴をまとい、
上部に「日」「月」、左右に2羽の「鶏」、足下に3匹の「猿」が
刻まれた青面金剛としては典型的な姿をしている。

一戸町に残る庚申塔の殆どは、集落の入口や分岐点など
道沿いに立てられており
旅人や、村の安全を守る道祖神と
同じ役割を担わされていたようだ。




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旧中山集落

かつての中山(現・旧中山)集落だ。
国土地理院の地形図を見ると、40、50軒ほどの家があるようだ。

写真は、旧中山集落の北側の出口付近である。
藁葺き屋根に赤いトタン板をかぶせた旧家があった。




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旧中山、高原野菜畑

旧中山集落を抜けると、左右に広大な畑が広がり、
高原野菜を栽培しているようであった。




            

詳細リンク:旧奥州街道499「一戸町・旧中山集落」/街道写真紀行
(一戸町中山、旧中山) 1111/1212

2013/01/16

一戸町・中山一里塚~旧中山/旧奥州街道498

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中山一里塚

街道から左折した道沿いに、旧中山一里塚が残されている。

盛岡から11番目の一里塚で、この西塚だけが残されている(国指定史跡)。
直径11.4m、高さは3.5m。

東塚は昭和50年代まであったが、崩されて畑になった。




85ichinohe40s  蒼前神社

街道を進むと、左側に蒼前(そうぜん)神社がある。
この朱の鳥居は、旧中山部落一同奉納と書かれてあった。

階段を登ると、小さな社があり、その前に石造の小さな馬が祀ってあった。
馬の神様なのであろう。

南部地方には、馬を守護神とする「蒼前さま信仰」があり、
各地に蒼前神社がある。

関白藤原是実(これざね)は無実の罪で奥州に流され、死亡。
嫡男の是行(これゆき)が、ここ糠部(ぬかべ)郡の馬渕(まべち)川べりの
斗嘉村(現三戸郡名川町斗賀)に住み着き、名を藤原宗善と改めた。

如何なる荒馬も宗善の厩に入ると悪癖が直り、名馬となったとか。
この「ご宗善さま」が後世信仰の対象となり、
宗善堂や、蒼善神社、蒼前神社などとなったようだ。




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旧中山集落入口

蒼前神社を過ぎると、旧中山の集落に入る。
道路が凍っていた・・・

集落の南口にあたるここには、道路標識が二つ建っていた。

左は東北自然歩道新奥の細道の標識で環境庁、岩手県が建てたものだ。

右は一戸町が立てた標識で、「ここは奥州街道中山、
直進 火行伝馬所跡、左折 青面金剛像塔」と記されてあった(後述)。

旧街道はこの右の道を下ることになる。





詳細リンク:旧奥州街道498「一戸町・中山一里塚~旧中山」/街道写真紀行
(一戸町中山家向、中山) 1111/1212

2013/01/14

一戸町・中山~平糠字釜石/旧奥州街道497

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中山・東屋

尾根道左側の見晴らしの良い位置に、東屋が出来ていた。
      
その前にある、一戸町が立てた道標には
「奥州街道、右 中山一里塚、左 明治天皇巡幸碑」と書かれてあった。
      
屋根を四方に葺きおろし、壁が無く柱だけの小屋で、まさに東屋だ。
奥州街道での東屋は珍しく、ここで休憩させていただいた(感謝)。




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時雨岳・西岳

街道左側は、気持ちの良い展望である。
七時雨山・西岳(1018m)が霞んで見えた。

写真右の農家は、広大な畑に囲まれて、
大規模に経営しているようであった。



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釜石地区集落


街道右側を見た写真である。
この斜面には、釜石地区集落のあるところだ。
      
説明板には、「湖と高原景観に調和した新しい農村」とあった。
湖は平糠川の大志田ダムで出来た菜魚湖のことだ(前述)。
      
この大志田ダムで水没した13戸の農家が、集落形式に関する協定を結び、
平成10年に集団で移転して出来た新しい集落だ。
      
広大な畑の先には宇別牧場があるところである。



      

詳細リンク:旧奥州街道497「一戸町・中山~平糠字釜石」/街道写真紀行
(一戸町中山、平糠字釜石) 1111/1212

2013/01/12

一戸町・中山~奥州街道最高地点/奥州街道496

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中山・十文字

旧道を歩いてくると、村道との十字路となる。
右の標柱には、「左 中山一里塚、右 明治天皇巡幸碑」と書かれてあった。 
      
左下は摺糠方面で、旧街道のバイパスとなっている車道だ。
右上は平糠川の下流切掛方面である。
      
旧街道は、正面の道である。


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七時雨岳・西岳


十字路に、「新奥の細道、旧奥州街道のみち」の案内板が設置されている。
環境庁・岩手県が設置したものだ。
      
「新奥の細道(東北自然歩道)、旧奥州街道のみち」は、
岩手町御堂を起点として、終点は一戸町の小繋まで
13.5kmの自然歩道が整備されているとのことだ。
      
小繋までは、この道を辿れば良いわけで、
旧街道歩きとしては、道を探す手間も無く助かる区間である。

左側の広い牧草地帯の先に、七時雨山の西岳(1018m)が顔を出していた。




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旧奥州街道最高地点


ここが旧奥州街道の最高地点で、一戸町の標識が建っていた。
このまま直進すると、中山一里塚、火行伝馬所跡のあるところだ。
      
旧中山道や東海道とは違い、標高は低く、最高標高は484mである。
これでも、北の果てのイメージが強く、実際の標高より高く感じた。





詳細リンク:旧奥州街道496「一戸町・中山~奥州街道最高地点」/街道写真紀行
(一戸町中山) 1111/1212

2013/01/10

一戸町・摺糠~中山/旧奥州街道495

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旧街道、摺

 

摺糠から旧街道に入る。
この辺は、旧街道が残されているところだ。

 

さらに緩い坂を登っていくと、峠が見えてきた。




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旧奥州街道、道案内標識

 

峠のピークには、奥州街道では無く、
東北自然歩道の案内標識が設置されていた。

 

こちらは、環境庁・岩手県が設置したもので、
「左、旧中山一里塚1.4km、
右、摺糠1.2km、新奥の細道」と書かれてあった。




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七時雨岳・西岳

 

今度は左側が開け、牧草地帯の先に
七時雨山・西岳(1018m)の如何にも火山らしい裾野が見えてきた。




            

詳細リンク:旧奥州街道495「一戸町・摺糠~中山」/街道写真紀行
(一戸町摺糠、中山) 1111/1212

2013/01/08

一戸町・摺糠~平糠川/旧奥州街道494

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摺糠集落

盛岡駅前のホテルを6:30に出発。
      
いわて銀河鉄道盛岡始発6:44の電車に乗り、
奥中山高原駅に到着したのは7:30であった。
      
駅前に、タクシーが停まっていたので、
昨日中断した摺糠十字路までの2.2kmを利用する。
      
昨日歩いた道を、また歩くつもりでいたが、
このタクシーは時間的にも助かった。
      
写真は、摺糠十字路から北側を見た写真である。
今日は、前方の山地を縦断して、小鳥谷(こずや)まで歩く予定だ。
      
なお、ここの現在の標高は手元の標高計で410mであった。
      
写真前方の平糠川に架かる橋を渡る。
      
この平糠川は、七時雨山・西岳(1018m)の東麓を源流とする川で、
大志田ダム湖である菜魚湖(ななこ)に流入し、
その後は小鳥谷で馬淵川に流入している。
      
菜魚湖は、冬場のワカサギ釣りで知られたところだ。

平糠川を渡り、小さな社のある丁字路を右折する。
丁字路には東北自然歩道の標識があり、
明治天皇記念碑0.9kmと書かれてあった。
      
一戸町は、各ポイント毎に、親切な案内標識が整備されていて助かる。




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摺糠、旧道分岐


摺糠の丁字路を右折して、200mほど歩いた地点である

ここから左の道が旧街道で、右の道は菜魚湖、平糠(ひらぬか)方面である。
      
ここでも道標があり、安心して歩くことが出きるところだ。




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旧奥州街道


旧奥州街道がそのまま残されているところだ。
久しぶりの未舗装道路であるが、農業用車の轍が出来ていた。

            



詳細リンク:旧奥州街道494「一戸町摺糠~平糠川」/街道写真紀行
(一戸町中山高屋敷、摺糠) 1111/1212

2013/01/06

一戸町・摺糠~奥中山高原駅/旧奥州街道493

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摺糠集落

坂を下ってくると、前方に摺糠(すりぬか)の集落が見えてきた。

摺糠の集落の中に県道30号線(葛巻日影線)との十字路がある。
      
旧街道は正面真っ直ぐで、十字路を左に曲がり、2.2km歩くと、
IGRいわて銀河鉄道の奥中山高原駅がある。
      
今回はここで、旧奥州街道歩きを中断して、奥中山高原駅に向かった。

摺糠の十字路の角に、未だ新しい道路標識があった。
      
「ここは摺糠、西2.2km奥中山高原駅、南h1.6km御堂・馬羽松一里塚」
と書かれてあった。


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奥中山、七時雨山・西岳

摺糠十字路を左折して、奥中山高原駅に向かう。
正面には、七時雨山・西岳(1018m)が大きく見えてきた。
      
七時雨山山麓には、八幡平市営放牧場や、
一戸町営牧場、筍平牧場、銀河牧場などが展開している。
      
西岳の東面(写真中央の右斜面)は奥中山高原と言い、
スキー用のリフトが出来ている。
      
前方の集落は、奥中山である。


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IGR奥中山高原駅

IGRいわて銀河鉄道の奥中山高原駅に着いた。
      
奥中山高原駅は明治24年に「中山駅」として開業した。
      
正4年に「奥中山駅」と改称され、
さらに、平成14年にJR東日本からIGRいわて銀河鉄道の駅になった時に、
現在の「奥中山高原駅」と改称された。
      
東京より579.7kmの駅である。
毎回思うが、良くここまで歩いてきたものだと、独り悦に入る。
      
今回は、ここから電車に乗り、盛岡まで戻った。
盛岡駅前の、盛岡ニューシティホテルに宿泊である。
      
食事は駅ビルの磯料理店(磯よし)でとる。
冷えた身体に熱燗は格別であった。




詳細リンク:旧奥州街道493「一戸町・摺糠~IGR奥中山高原駅」/街道写真紀行
(一戸町中山、摺糠、奥中山) 1111/1212

2013/01/04

一戸町・馬羽松/旧奥州街道492

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馬羽松峠

旧街道正面に七時雨山(1060m)・西岳(1018m)が見えてきた。

ここからは緩い下り道となる。


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馬羽松、街道右側


旧街道右側の展望だ。
雄大な北上山を背景に、広々とした牧草地帯となっている。


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馬羽松、左側


旧街道左側の写真である。
畑がどこまでも遠く、広がっていた。
      
写真中央の牧舎の特徴的な3本のタワー・サイロが目に付く。
細かく切った牧草などを詰め空気を抜くものだ。
      
岩手県北部は、古代から馬の名産地として知られている。
今でも、牧畜の盛んなところだ。
      
糠部郡(ぬかのぶぐん)は、
現在の岩手県北部から青森県東部に及ぶ広大な地域で、
中世を通じて名馬の産地として知られていたところだ。
      
郡域は、ここ一戸から九戸までの、9つの「戸(へ)」と、
東西南北の4つの「門(かど)」からなり、馬牧が置かれていた。
      
前述したが、南北朝時代の「源平盛衰記」によると、
宇治川の戦いの先陣争いで有名な佐々木高綱と梶原景季所用の馬は
それぞれ、七戸立て(へだて)と三戸立てとし、
熊谷直実の名馬権太栗毛は一戸立て、
替え馬の西楼は三戸立てであった。
      
「戸立(へだて)」とは、一戸から九戸産の糠部駿馬を指すもので、
当時の武士は競ってこれを求めたとある。



            

詳細リンク:旧奥州街道492「一戸町・馬羽松」/街道写真紀行
(一戸町馬羽松)
1111/1212

2013/01/02

岩手町・御堂~一戸町境/旧奥州街道491

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馬羽松一里塚

緩い坂を登ると、頂上付近に一里塚が残されている。

右側(東側)が馬羽松(まはまつ)一里塚で、
判りにくいが左側が御堂一里塚だ。
      
盛岡から北に10番目の一里塚で、右側は直径11.2m、
高さ2.3mで、左側は直径12.2m、高さ1.75mとのことだ。
      
左側の住所が岩手町御堂で、
右側が一戸町中山字上家向(いえむかい)となり、
町の境界となっているところだ。

街道左側の御堂一里塚は、住所が岩手町御堂となっている。
ほぼ原形を保たれているというが、
頂上部は人の手が加えられているようだ。




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七時雨山・西


馬羽松の一里塚を抜けると、左側が大きく開け、
目の前に七時雨山(1060m)・西岳(1018m)が見えてきた。
      
七時雨山は、火山列となっており、田代山、毛無森、西岳と共に
外輪山を形成し、中心部はカルデラ(田代代高原)となっている。




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旧街道、馬羽松集落


交差点を過ぎると、目の前が開け、気持ちの良い田園風景である。
前方に見える集落は馬羽松の集落だ。
      
鼻歌
まじりで、この道を下っていく。

            



詳細リンク:旧奥州街道491「岩手町御堂~一戸町境」/街道写真紀行
(岩手町御堂、一戸町馬羽松) 1111/1212



師岡熊野神社/横浜

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師岡熊野神社

昨年に続いて、元旦の初詣は、家の近くにある師岡熊野神社。

神社から綱島街道、そして東横線の大倉山駅の方まで
長い行列が出来ていた。




2013/01/01

謹賀新年 平成25年元旦

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明けましておめでとうございます。

旧年中はいろいろとお世話になりありがとうございました。
また、本年もよろしくお願い致します。

 

                         管理者 Hitosh

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