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2012年7月

2012/07/28

盛岡・西松園~上田小鳥沢/旧奥州街道455

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上田・峠

松園観音からさらに坂道を登ると、峠の頂上となる。

峠道は疲れるが、いつも楽しい。

坂道を登るのは、もともと嫌いではないし、
峠の先はどうなっているか、興味津々となるからである。

この辺の坂は、座頭転がしとも呼ばれていたようだ。




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岩手県立盛岡博物館

峠を下ると、左側に岩手県立盛岡博物館が出来ていた。

岩手県制百年を記念して、昭和55年にオープンした博物館である。

地質時代から現代に至るまでの、
地質、考古、歴史、民族、生物などの資料が展示されている。




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北上川、四十四田ダム湖

坂を下って行くと左側が開け、目の前に北上川が
堰き止められてできた四十四田(しじゅうしだ)ダム湖(南部片冨士湖)が
広がって見える。

景色の良いところであった。

四十四田ダムは、北上川本流に建設された唯一のダムで、
昭和43年(1968年)に完成している。





詳細リンク:旧奥州街道455「盛岡・西松園~上田小鳥沢」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市西松園、上田松屋敷、小鳥沢) 1111/1207

2012/07/25

盛岡・東黒石野~西松園/旧奥州街道454

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東黒石野分岐

岩脇町の富士見台緑地よりは下り坂となる。
そして、片側2車線の広い市道から、ここで旧街道は左の細い道に分かれる。




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四十四田公園

松屋敷の十文字を真っ直ぐ北上し急坂を登る。 

左手の標識には、左、小鹿公園1.3kmと書いてある。
小鹿公園は、元の牧場跡で、今は草地が広がる公園となっている。

そして、右の道を進むと2.1kmで小野松一里塚と書いてある。
旧街道はこの右の道を進む。

写真前方は四十四田公園で、
湖面に岩手山の姿を映す南部片冨士湖(四十四田ダム)を
眺めることができるようだ。




77morioka89s 松園観音

坂の頂上付近にある、壱願観音堂(松園観音)。
お堂の中や、外壁面には無数の手彫りの観音像が祀ってあった。
万体仏、約1万体あるようだ。

写真右側手前には、私財を投じ、壱萬体の木彫仏像の制作と安置、
禅堂を建立した小田天牢師(哲男)の顕彰碑が建立されてあった。





詳細リンク:旧奥州街道454「盛岡・東黒石野~西松園」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市東黒石野、上田松屋敷、西松園) 1111/1207

2012/07/23

東京ドームシティ/文教区

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東京ドームシティ

今は、東京ドームシティアトラクションズという。
前身は、1955年にオープンしたかつての「後楽園ゆうえんち」である。

現在の名称「東京ドームシティアトラクションズ」には、
2003年に変更されている。


アトラクションも以前とは大分変り、

乗り方も分らないくらいであった(・_・、)

今回は、大阪から来た孫達とここで遊び、
食事は青いビルの「後楽園飯店」でとった。

この店は1962年創業と歴史のある中華料理店である。





(東京都文京区後楽1丁目) 1207/1207

2012/07/21

盛岡・緑が丘~岩脇町/旧奥州街道453

77morioka80s 岩手師範寮歌碑

高松から緑が丘に入ると、左側盛岡三高の前に、岩手師範寮歌碑がある。

岩出師範学校は、明治9年設立の盛岡師範学校を起源とし、
昭和18年にここに智設立された。
その後、岩手大学学芸学部(現教育学部)に吸収さている。 

岩手師範学校の跡地にある岩手師範寮歌碑には、
  
   いわて北麓巌鷲霊峰の    
   舎窓に仰ぐその雄姿
   千頃ここに孕まれて 
   杜陵の曠野に培わる
   強き黙示の健児あり
   強き黙示の健児あり
   学びの寮舎甍は高し

と格調高い歌詞が刻まれてあった。

ここで街道歩きを中断して、この近くにあり、
若い時に何度か泊まったことのある親戚の家を尋ねてみた。

しかし、世話になった親戚の夫妻は疾うに亡くなり、
独りいた娘さんは嫁いでいる。


その家がどうなっているか、小一時間ほど付近を捜してみたが、
当時の面影は無く、結局分らなかった。





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上田一里塚

街道に復帰すると、
左側に上田一里塚(旧米内村大字上田、現盛岡市緑が丘)がある。

往時の面影を留めた一里塚跡で、岩手県の指定聖跡に指定されている。

右側(東側)の一里塚は道路拡張で消失しているが、
左側は、旧盛岡ドミニカン修道院の敷地内にあったため、
ほぼ円形の原形をとどめたままで残されてあった。

移転した修道院の跡地は、今はアネックス・カワトクとなっている。

右前方は、旧奥州街道松並木と表示のある松並木だ。
保存樹林に指定されている。




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黒石野地区、黒石通り

緑が丘から黒石野地区に入る。

片側2車線の立派な市道で、通称は「黒石通り」と呼ばれている。
正式名称は「本町通二丁目小鳥沢2号線」というようだ。

前方の白い標識には「黒石野長安殿」と書かれてある。
岩手互助センターのメモリアルホール、黒石野長安殿だ。

旧街道はこの道の左側にあり、旧勾配の細い道であったが、
今は消失し、新興住宅地となっている。

坂を上ると、頂上付近(写真前方)に富士見台緑地(盛岡市岩脇町)がある。
富士山が見えるのかと思ったら、岩手山(南部片冨士、2038m)のことだ。

岩手山は、別名巌鷲山の他、姿が静岡県側から見た富士山に似ており、
その片側が削げているように見えることから
「南部片富士」とも呼ばれるている。

また、樹間よりは、滔滔と流れる北上川が俯瞰できた。





詳細リンク:旧奥州街道453「盛岡・緑が丘~岩脇町」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市緑が丘、黒石野、岩脇町) 1111/1207




2012/07/20

東京ヤクルトー横浜DeNA戦/横浜スタジアム

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ヤクルトー横浜DeNA戦

前半戦の最終カード、ヤクルトーDeNA戦三連戦が、
横浜スタジアムで行なわれた。

試合は珍しく、DeNAの三連勝であった。

   7/16 7:5  勝投手   大原慎
   7/17 6:2  勝投手   三浦
   7/18 4:0  勝投手   小林太 

写真は第二戦(7/17)のものだ。
この日は初回から中村、ラミネスの連続ホームランが飛び出し、
投げては三浦の完投と、安心して見ていられる試合であった。


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ヒーローインタビュー

ヒーローインタビューは、ホームラン2本の中村と、完投勝利の三浦である。
共に38歳の、まさに熟年パーワーであった。

オールスター戦前の最後の試合を3連勝で終えたDeNA、
少しは勢いをつけて、せめて最下位争いを演じて欲しいものである。





(1207/1207  横浜スタジアム)

2012/07/17

盛岡市高松1~4丁目/旧奥州街道452

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高松ノ池全景

高松の池の辺を散歩する。
早朝のランニングやウォーキングをしている人とすれ違う。

周辺一帯は、市立高松公園として桜の他に、
ボタン園、アヤメ園、バラ園などが整備されている。




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高松神社

街道に復帰し暫く歩くと、右側に高松神社がある。

寛永年間(1624~1644年)に、
盛岡城下寺町の三郎兵衛三太夫の発願により創建された神社とのことだ。

祭神は猿田彦神、境内社として、稲荷神社、笠間稲荷神社、
高松天満宮がある。

猿田彦は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨する際に
先頭に立って道案内した神だ。

中世になり、庚申の日にこの神を祀り、
また同祖神とも結び付けられた神である。

高松神社境内に鎮魂碑がある。
右側には「黙示乃健児は還らず」と刻まれてあった。

左側には、太平洋戦争で戦陣に散った岩手師範学校の
学友百余名の鎮魂の碑と刻まれてあった。

同校同窓会有志が建立したものだ。




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高松4丁目交差点

高松4丁目の交差点で、バイパスとの合流点である。
旧街道は、このまま右の道を北上する。

名残の松が、旅情をそそられるところだ。





詳細リンク:旧奥州街道452「盛岡・高松1~4丁目」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市高松) 1111/1207

2012/07/14

盛岡・上田~高松/旧奥州街道451

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JR山田線・上田踏切

正面にJR山田線の上田踏切が見えてきた。
山田線は盛岡駅と宮古駅を経由して釜石までを結ぶ路線である。

学生時代には、この線を使って宮古まで行ったことがあるが、
今は盛岡ー宮古を結ぶ列車は、一日4往復と本数が少ない。

利用者の多くは、ほぼ1時間に1本ある、
盛岡駅前と宮古駅前を結ぶ、直通のバスを利用しているようだ。

この踏切の右側には上盛岡駅がある。
大正12年に開業した駅で、盛岡駅までは2.8kmである。

JR山田線の上田踏切を渡ると上田地区に入る。

藩政時代は、岩手郡上田村と言い、
「上田通り」31村の内に組み込まれ、
上田通り代官所の所管下にあった。

街道の左側には岩手大学がある。

ここの工学部を卒業した、かつての部下を思い出した。
ちゃかっりと、学生時代に花嫁を決めていて、
入社してすぐに結婚している。

盛岡は石川啄木や宮沢賢治ではないが、
若人にとって住みやすい街のようだ。




77morioka71  正覚寺

正しくは浄土宗十功山正覚寺(じっこうさんしょうがくじ)。
南部藩足軽たちの檀家であった。

浅田次郎の小説「壬生義士伝」で、
下級武士であった主人公・吉村貴一郎が、
のちの妻となる、しづと初めて出会った場所である。




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高松ノ池

NHK前交差点を渡ると街道右側にある高松ノ池。

慶長3年(1598年)、盛岡築城の時、治水のために、
この辺一帯の沢に上堤、中堤、下堤の三段の堤防が設けられ、
当時は上田堤と呼ばれていた。

その中で最も大きかった中堤が、現在の高松ノ池となっている。
満水時面積は10.5ヘクタールである。

上田堤付近は南部公の鷹狩りの場で、
見事な松林があったため高松の池と呼ばれるようになったとのことだ。

現在は盛岡市立公園として整備されている。
ソメイヨシノや枝垂れ桜が約1000本植えられており、
日本の桜の名所100選に選ばれている。

また、白鳥の飛来地としても知られ、
冬のピーク時には600羽を越える白鳥が飛来するとのこと。

なお、左の建物は盛岡女子高校である。





詳細リンク:旧奥州街道451「盛岡・上田~高松」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市上田、高松) 1111/1206

2012/07/12

七月大歌舞伎「ヤマトタケル」/新橋演舞場

平成24年7月
新橋演舞場

演 目 役 者 観 劇 記
梅原猛作
市川猿翁脚本演出

スーパー歌舞伎

三代猿之助48番内
ヤマトタケル


  三幕
 
小碓命
大碓命
ヤマトタケル
    猿之助


    中 車

熊襲兄タケル
山神
    弥十郎

タケヒコ
    右 近

ワカタケル
    團 子

兄橘姫
みやず姫
     笑 也

弟橘姫
     春 猿


  謀反を企む双子の兄・大碓命と口論の末、誤まって兄を殺害した小碓命は、父帝の怒りを買い、単身で熊襲征伐に行かされる事になる。
  熊襲を訪れた小碓命は踊り女に変装し、熊襲の首領タケル兄弟を討伐。熊襲弟タケルは、小碓命に、ヤマトタケルの名を与える。
  見事熊襲征伐を果たし、大和に帰ったヤマトタケルは、父帝の許しが得られず、今度は蝦夷征伐を命ぜられる。
  と、古事記を題材に、ヤマトタケルの半生を、哲学者梅原猛が書き下ろし、市川猿翁(3代目猿之助改め)が脚本を書いた豪華絢爛たる舞台で、まさにスーパー歌舞伎に相応しい構成である。
  舞台で4代目市川猿之助(亀治郎改め)、市川中車(香川照之)襲名披露口上があった。また、團子は初々しい初舞台であった。




詳細リンク:「演劇」/悠々人の日本写真紀行

2012/07/10

盛岡城下・上の橋~本町通り/旧奥州街道450

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中津川上流/上の橋より

中の橋から中津川上流を見た写真である。
中津川は北上山地を源流とする川で、
盛岡市内を縦貫し北上川に合流している一級河川である。

夏はアユが踊り、秋にはサケが遡上・産卵、
そして冬は白鳥が一冬を過ごす清流である。




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四ッ屋教会

中津川に架かる上の橋を渡ると本町通に入る。

京都から移住した豪商達が住み着いたという元京町があったという。
この道路の左側は県庁や岩手医科大学のあるところで、
かつての盛岡藩の重臣屋敷のあった処である。

本町通を西に進んでくると、正面に四ッ屋教会がある(写真中央左)。

四ッ屋教会は、明治11年にパリ外国宣教会の司祭が、
東京築地教会から派遣され、鍛冶町に仮聖堂を建てたのが始まりで、
明治13年に現在地に移転している。

この四ッ屋は、かつて盛岡城下の北の出口、四ッ屋惣門のあった処である。

四ッ屋教会のところで、旧街道は右折し北に向かい、
本町通2丁目の交差点で左折し、再び西に向かうことになる。

盛岡城下の北の枡形のあった処である。




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77morioka68s  大智田中地蔵尊

本町通2丁目の枡形を抜けるとすぐ左側に大智田中地蔵尊がある。

この地蔵尊は4代盛岡藩主南部重信夫人於俊の方の菩提を弔う為に、
嫡子であった5代行信が元禄7年(1694年)に、
荼毘跡(東禅寺門前)に建立したもの。

於俊の戒名「大智院殿心月妙院大師」から大智を、
火葬地の地名から田中をとって「大智田中地蔵尊」と名付けられた。

大正元年に現在地に遷座された。
以来、田中の地蔵さん、四ッ屋の地蔵さんと呼ばれている。

地蔵尊は花崗岩の巨石を丸彫りにした像高は1.58mと
大きなもので、盛岡市の有形文化財に指定されている。





詳細リンク:旧奥州街道450「盛岡城下・上の橋~本町通り」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市本町通) 1111/1206

2012/07/08

盛岡城下・紺屋町~上の橋/旧奥州街道449

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菊の司酒造

街道左側にある菊の司酒造。

創業は元和年間(1615~1623年)、
伊勢松阪から陸中郡山(紫波町日詰)に移った初代平井六右エ門が、
旅籠(石鳥谷宿)を開業したのが始まり。

安永年間(1772~1778年に6代目六右エ門が酒造業を始め、
現在まで続いている造り酒屋だ。

明治初年に盛岡に支店「土手酒屋」を開設。
昭和2年に酒造工場を現在地(紺屋町)に移転。
昭和43年に「菊の司酒造」と社名を改めたとのこと。

銘柄は「菊の司」と「七福神」である。





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上ノ橋町町並み

街道右側にある、明治5年創業の老舗餅屋・丸竹餅店。
日本元祖のあべ川餅が自慢とか。

その他、くるみ餅、ごま餅、あずき餅等の他、
のし餅、紅白餅、丸餅、お供えや赤飯まで扱っている。

店内(丸竹茶屋)で食事が出来るようになっている。




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上の橋/中津川

街道を進むと、中津川に架かる上の橋袂に出る。
上の橋は、盛岡城の築城と共に架けられたかけられた橋である。

木製の欄干を復元して、往時の雰囲気を残している。

欄干に取り付けられている青銅製の擬宝珠は、
上の橋が最初に架けられた慶長14年(1609年)当時の現物で、
この内18個が国指定の重要美術品に指定されている。

蛇足であるが、映画「壬生義士伝」で、
吉村喜一郎が幼い娘ミツと別れを告げた橋である・・・





詳細リンク:旧奥州街道449「盛岡城下・紺屋町~上の橋」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市紺屋町、上ノ橋町) 1111/1206


2012/07/06

盛岡城下・中ノ橋通~紺屋町/旧奥州街道448

77morioka54s  啄木・賢治青春館

ホテルを朝の6:00に出発して、昨日中断した旧街道に復帰する。

写真は明治43年建立の元第九十銀行本店本館で、
平成14年に「もりおか啄木・賢治青春館」としてオープン。

年齢差10歳の石川啄木と宮沢賢治は、明治から大正にかけ、
それぞれ盛岡中学で学んでいる。
その二人の青春を育んだ盛岡の街と二人について紹介・展示している。

なお、この建物は国の重要文化財に指定されている。 

青春館の正面(写真右端)にある柳は「銀座の柳二世」とのこと。

平成14年、東京銀座の朝日新聞社跡にある啄木の歌碑の前にあった
柳の二世で、銀座の商店会から盛岡市長に寄贈されたものだ。
合わせて銀座の煉瓦も寄贈されている。

啄木は明治42年から没する明治45年までの3年間、
当時銀座にあった朝日新聞社の校正係として勤務していたことによる。

啄木は

   「春の雪 銀座の裏の 三階の煉瓦達に やはらかに降る」

と詩を残している。




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紺屋町町並み

紺屋町に入る。
中津川東岸のこの辺は盛岡の中心で豪商が多かった。

写真は今も残る、老舗の雑貨屋・茣蓙九(ござく)である。
文化13年(1816年)創業の商家で、盛岡を代表する町屋建築だ。

この建物は、江戸時代後期、明治中期、同末期に次々と
建てられたもので、盛岡市の保存建造物に指定されている。




77morioka57s  消防番屋

大正2年に建てられた木造洋風の消防番屋(現盛岡市消防団題分団番屋)で、
望楼がユニークである。





詳細リンク:旧奥州街道448「盛岡城下・中ノ橋通~紺屋町」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市中ノ橋通、紺屋町) 1111/1206

2012/07/05

映画「一枚のめぐり逢い」

平成24年7月
横浜ムービル


タイトル キャスト コメント
一枚のめぐり逢い
 
 2012年 
     米
 
 監督
  スコット・
    ヒックス
  ザック・エフロン

  テイラー・
    シリンダ

  ブライス・
    ダナー

  ライリー・トーマス・
    スチュワート


  アメリカ海軍軍曹は、イラクで3度目の職務を無事に終え、戦場で拾得した見知らぬ女性の写真を持ち、帰国する。
  戦場で、この写真を拾得してから何度かの命拾いをした軍曹は、、運命的なものを感じ、帰還後その女性を捜す旅に出る。
  やがて、彼女の所在を知った彼は女性の家まで会いに行く・・・
  脚本に無理が無く、テンポの良い心温まる映画となっている。



詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2012/07/03

盛岡城下・中ノ橋~肴町/旧奥州街道447

77morioka49

中ノ橋、岩手銀行

盛岡城址から中津川に架かる中ノ橋を渡る。

正面にあるレンガ造りのビルは岩手銀行中ノ橋支店で、
国の指定重要文化財となっている。

この建物は、明治44年に盛岡銀行の本店として建てられたもので、
設計は東京駅の設計者でもある辰野金吾と岩手県出身の
工学博士葛西万司氏である。

使用したレンガは約91万個とのことだ。
平成6年に国の重要文化財に指定されている。

中ノ橋は、南部利直が盛岡城築城の際に、城下町建設の一歩として、
城下中心部を流れる中津川に、上ノ橋(慶長14年)、中ノ橋(慶長16年)、
そして下ノ橋(慶長17年)と架けられた橋の一つである。

中津川は北上川と雫石川の合流点に注ぐ川で、水勢、水量の変化が大きく、
何度も洪水にあい、落橋、流失を繰り返してきたとのことだ。




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中津川下流

中津川に架かる中ノ橋より下流を見た写真である。

中津川は北上山地御大堂山や、岩神山、阿部舘山等の沢を
源流とする川で、この先で北上川、雫石川に合流している。

今日はここで、街道歩きを中断して、
写真左端(中津川左岸)にあるホテルブライトイン盛岡に投宿する。




77morioka51

肴町アーケード街

ホテルに荷物を置き、暗くなった町にでる。

すぐ近くにある盛岡市のメイン繁華街で、
江戸時代より続いている肴町(さかなちょう)商店街の
アーケード「ホットライン肴町」である。

365mの全蓋式アーケードで、約80の店舗が立ち並んでいる。
昭和58年に完成し、中小企業庁の「がんばる商店街77選」に選ばれている。

適当な食事処が見つからず、脇道のかに料理専門店「かにてつ」に入る。
ここで飲んだ熱燗が、疲れた身体に心地良かった。





詳細リンク:旧奥州街道447「盛岡城下・中ノ橋~肴町」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市内丸、中ノ橋通、肴町) 1111/1206





2012/07/02

映画「ミッドナイト・イン・パリ」

平成24年6月
109シネマズ川崎



タイトル キャスト コメント

ミッドナイト・
  イン・パリ

 
 2011年 
     西、米
 
 監督
  ウディ・アレン


  キャシー・
    ベイツ

  エイドリアン・
    ブロディ

  カーラ・
    ブルーニ

  マリオン・
    コティヤール

  レイチェル・
    マクアダムス

 
  

  婚約者と共に、彼女の両親の出張に便乗して、パリを訪れた売れっ子脚本家は、作家の夢を捨てられずにいた。
  ある夜、憧れの作家ヘミングウェイや、画家のピカソらが暮らした1920年代黄金期のパリに、タイムスリップし、自分が心酔していた過去のアーティストたちと交流することが叶う。
  なんとも、ファンタジックな世界を丁寧に描き、最後まで楽しめる映画となっている。着想と脚本が良かった。 B、




詳細リンク:「映画]/悠々人の日本写真紀行

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