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2012年6月

2012/06/30

盛岡城・二ノ丸~櫻山神社/旧奥州街道446

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盛岡城本丸跡より榊山曲輪方面

本丸跡より西側、榊山曲輪跡方面を臨む。
本丸は、二ノ丸、榊山曲輪、淡路丸、腰曲輪で囲まれていた。




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本丸より二ノ丸へ

本丸跡より朱塗りの廊下橋を渡り、二ノ丸に向かう。

本丸と二ノ丸の間は空堀となっており、当時は屋根付きの渡り廊下があり、
「御廊下橋」と呼ばれていた。

二ノ丸跡には、金田一京助揮毫の石川啄木歌碑がある。
  「不来方(こずかた)の お城の草に
   寝ころびて 空に吸われし 十五の心」
と刻まれてあった。

石川啄木は岩手県日戸村(現盛岡市玉山区日戸)の
常光寺の住職の長男として、明治17年に生まれ、
地元の盛岡中学(現盛岡一高)で学んでいる。




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櫻山神社、烏帽子石

二ノ丸から三ノ丸跡にある櫻山神社に入る

もと八幡社のあったところで、その傍らに三角状の岩があった。

この場所の高さが二ノ丸とほぼ同じ高さであったので、
低くする為に、三角岩の周囲が削られた。

すると、岩の根は深く、
烏帽子に似た高さ2丈(6.7m)もある岩石が出現した。

この場所が、城内の祖神の神域であったことから、宝大石とされ、
南部藩盛岡のお守り岩として崇敬されてきた。

写真右端にあるのがその烏帽子岩である。

なお、櫻山神社の創建は寛延2年(1749年)で、当時の藩主南部利視が、
初代南部信直の功績を讃え社殿を建立したのが始まりてある。

当初は、盛岡城の淡路丸にあったので「淡路大明神」と称していたが、
文化9年(1812年)、付近にあった桜の木に因んで
櫻山神社と改称されている。

明治維新になって盛岡城が廃城となると、一時他の場所へ移転したが、
太平洋戦争後に、現在地に遷座されたとのことである。





詳細リンク:旧奥州街道446「盛岡城・二ノ丸~櫻山神社」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市内丸) 1111/1206

2012/06/29

映画「幸せへのキセキ」

平成24年6月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント

幸せへのキセキ

 
 2011年 
     米国
 
 監督
  キャメロン・
     クロウ


  マット・
    デイモン

  スカーレット・
    ヨハンソン

  トーマス・
   ヘイデン・チャーチ

  パトリック・
     フュジット   

 
  

  半年前に妻を失い、悲しみの渦中にいる14歳の息子と7歳の娘と共に、閉鎖中の動物園付きの家に引っ越す。そこで、動物園再開を決意するが、資金難が発生するなどの悪戦苦闘の日々が続く・・・・・
  母親の死から立ち直り、感動の「キセキ」を起こすまでを微笑ましく描いている。子役の2人が良かった。
  しかし、この邦題は何とか成らないのであろうか。予告編を見ていたから鑑賞したが、題名だけでは見る気もしない映画となってしまう。なお、原題は「WE BOUGHT A ZOO」である。




詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2012/06/27

盛岡城・本丸跡/旧奥州街道445

77morioka39s  盛岡城彦御蔵

盛岡城内で唯一現存する建造物で、江戸時代後期に造られた蔵だ。

土蔵造りの木造2階建てで、外壁は漆喰塗り仕上げ、
屋根は野地板の上に土塗りし、その上に木造屋根組をもたせた
二重構造となっており、さらにその上には瓦を葺いている。




77morioka41

盛岡城腰曲輪跡、宮野提灯句碑

吹上坂から本丸跡に上る。
腰曲輪のあったところで、この写真の左が本丸跡である。

写真中央の石碑が、宮野小提灯句碑で、

「月待つや 独り古城の 松のもと」

と刻まれてあった。
宮野小提灯は明治28年、盛岡市仙北町に生まれた地元の俳人だ。




77morioka42s  南部利祥記念碑台座

本丸跡にある巨大な南部利祥銅像の台座である。
明治期の南部氏の当主で、日露戦争で24歳で亡くなった。

この台座の上には騎馬姿の銅像があったが、
太平洋戦争の時に供出され、今は台座のみが残されている





詳細リンク:旧奥州街道445「盛岡城・本丸跡」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市肴町、下ノ橋、内丸) 1111/1206








2012/06/22

盛岡城下・馬町~盛岡城/旧奥州街道444

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肴町旧家

惣門通より肴町(さかなちょう)に入る。
肴町は江戸時代から続く歴史ある町だ。

鮮魚や乾物を扱う魚商人や荒物商人が住む町であった。
今でも往時を偲ばせる旧商家が散見されるところである。

現在の中心部は、365mの全蓋アーケード「ホットライン肴町」となり、
約80の店舗が立ち並んでいる(後述予定)。

街道左側に馬頭観世音と
馬町(うままち)会館がある。
この辺一帯は、旧馬町であった。
藩命により、馬の売買は当町のみで行なわれていた。

盛岡藩主第7代の南部利幹が宝永7年(1710年)に、
盛岡で始めて馬を売買する場所を決めた。
それが最近まであった馬町の始まりである。

藩内の馬の売買は、すべてここで行なわれたから大いに賑わったという。
馬町には大きな家が何軒もあり、
一軒の家だけで80人もの馬喰を泊めていた

大正元年、馬町に会った馬検場が新馬町(現松尾町)に移され、
その役目を終えた。




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毘沙門橋より中津川上流l(北側)

旧馬町を抜けると、目の前に毘沙門橋がある。
中津川に架かる橋で、盛岡城跡につながっている。

もともとは、中津川に架かる三大橋(上の橋、中の橋、下の橋)が
洪水で流され、その破片を集めて造られたものであった。

現在の橋は昭和36年に造られた人道橋である。
橋名は、この辺が毘沙門淵と呼ばれていたことからのようだ。

毘沙門橋より中津川の北側を見た写真である。
左側が盛岡城跡で、前方の橋が中ノ橋だ。

中津川は盛岡の中心を流れる川で、今でも鮭の遡上が見られる清流である。





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盛岡城址東側石垣

毘沙門橋を渡ると、目前に盛岡城の大きな石垣の前に出る。
南部氏の江戸時代の居城跡である。

白い花崗岩で組まれた石垣は、
土塁の多い東北地方の城郭の中では異彩を放っている。

戦国時代、三戸城を居城にして、北奥で勢威を伸長した南部氏は、
26代南部信綱の時、小田原に参陣し、秀吉から7郡の所領を安堵された。

翌年、対立関係にあった一族の九戸政実との九戸合戦の後、
和賀、稗貫(ひえぬき)郡を加えた信直は、
領内のほぼ中央に位置するこの地に新城である盛岡城を築城した。

この地は、中津川と北上川の合流するところで、
不来方(こずかた)と呼ばれていた。

城名も、当初は不来方城と称していたが、文字が忌み嫌われ、
「盛える丘」の意味で、盛岡となった。





詳細リンク:旧奥州街道「盛岡城下・肴町~盛岡城」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市肴町、下ノ橋、内丸) 1111/1206


2012/06/20

盛岡城下・鉈屋町~惣門通/旧奥州街道443

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鉈屋町町町並み

鉈屋町を惣門に向かう。

写真右は、街道右手にある町家サロン「ピッピ」である。
築120年の町家を改築した喫茶店だ。

「盛岡まち並み塾」という鉈屋町を中心とした「盛岡町屋」の保存を
目的とした団体のメンバーとのこと。

地元の平成の名水100選に選ばれている名水「青龍水」を使用した
抹茶やコーヒーを提供しているという。

この「青龍水」は、鉈屋町3-6にある江戸時代より使われてきた井戸である。




77morioka29s  盛岡城警備惣門遺跡

盛岡城警備惣門跡と書かれた石柱が建てられてあった。

この辺は惣門通りと呼ばれている。
盛岡城下の南の関門である。

惣門の「惣」は「総」の俗字である。
惣は、郷村単位の自治組織で、室町時代は惣中、惣村とも呼ばれていた。

旧中山道の近江・高宮町の布惣は、有名で今でも建物が保存されている。




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木津屋本店

惣門通りにある木津屋本店。
木津屋は、山城国木津村から移住し、
寛永15年(1638年)創業の老舗である。

この建物は、木津屋池野藤兵衛住宅として、隣接する土蔵と共に、
岩手県の有形文化財に指定されている。

天保5年(1834年)に建てられたもので、今でも事務所として利用されている。





詳細リンク:旧奥州街道443「盛岡城下・鉈屋町~惣門通」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市南大通、鉈屋町) 1111/1206





2012/06/17

盛岡城下・南大通/旧奥州街道442

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盛岡城下、南大通

北上川の明治橋を渡り、盛岡城下の入口である南大通に入る。

古い家並みや、鉤型に曲げられた道筋など、
今でも城下町らしい雰囲気を漂わせている。




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浄土宗円光寺

街道右側にある円光寺。

寛文年間(1661~72年)に創建された浄土宗の寺院である。
写真の本堂は、元禄年間(1688~1703年)に再建されたもの。

本堂手前の夫婦カツラは推定樹齢300年で、
盛岡市指定天然記念物に指定されている。

この寺の右側(南側)に隣接した蔵が盛岡藩の米蔵・御蔵である。
市の指定有形文化財となっている。

円光寺境内には米内光政の墓碑がある。
盛岡出身の内閣総理大臣である。

また、元禄年間、キリシタンとしえ捕らえられ、打ち首となったた
材木商・岩井与一郎の首塚もある。

娘、お蓮が闇に紛れて父の首を盗み出し、円光寺の住職に
父の供養を頼み、その後自首したとのこと。

南部家30代であった行信は、罪は罪としながらも父子の心に打たれ、
お蓮を側室として迎えいれたとのこと。




77morioka26

鉈屋町町並み

鉈屋(なたや)町に入る。
如何にも城下町らしい町名である。

右の店は「こうじ屋細重酒店」だ。
もとは麹屋であったが、今は酒店で、
店の中にはカウンターがあり、お酒を飲めるようになっている。

所謂コップ酒で、盛岡ではこれを「もっきり屋」というそうだ。
気軽にコップ酒を楽しむ店の意味である。

なお、「もっきり」は「盛り切り」が訛ったようだ。

左側の店は「酒亭萩」の看板が架かっている店である。





詳細リンク:旧奥州街道442「盛岡城下・南大通」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市南大通、鉈屋町) 1111/1205

2012/06/14

盛岡市・仙北~北上川・明治橋/旧奥州街道441

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北上川・明治橋

ここは盛岡城下の入口に位置し、対岸は北上川舟運の起点で、
新山河岸のあった処である。

江戸時代当初は舟渡しであったが、延宝8年(1680年)頃には、
この明治橋の下流側(写真右側)に新山舟橋が架けられた。

舟橋は、両岸に巨大な親柱と、中島に大黒柱を立て、20艘ほどの小船を
鉄鎖で係留し、その上に長さ2間半から3間の敷板を並べて、
人馬が往来できるようにしたものだ。

増水時には敷板を撤収し、舟を両岸に引き揚げて、川止とした。

明治7年に、この辺に木製の旧明治橋が架けられた。
写真は現在の明治橋である。




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北上川上流側・岩手山

現在の明治橋より上流を見た写真である。

岩手県最高峰の岩手山(2038m)が目前にどっしりと見えるところである。
日本百名山に選ばれている山だ。

岩手山の別名は巌鷲山(がんじゅさん)である。
本来は「いわわしやま」であったが、「岩手」の音読みが「がんしゅ」であるから、
転訛して「がんじゅ」となったと言われている。

岩手山山麓の雪解けの形が飛来する鷲の形に見えるため、
これが山名の由来となったようだ。




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北上川下流

明治橋より下流側を見た写真である。
前方に見える形の良い山は位置からして、黒森山(837m)であろうか。

北上川は盛岡城下で、雫石川、中津川、簗川と合流し、
この辺りから川幅が広くなり、大河の様相を呈してくる。

江戸時代は上流にダムが無かったから、もっと水量は豊富であった。





詳細リンク:旧奥州街道441「盛岡市・仙北~北上川・明治橋」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市仙北) 1111/1204

映画「メン・イン・ブラック3」

平成24年6月
横浜ムービル


タイトル キャスト コメント
メン・イン・ブラック3
 
 2012年 
     米国
 
 監督
  バリー・
   ソネンフェルド

  ウィルス・
    スミス

  トミー・リー・
    ジョーンズ

  ジョシュ・
    ブローリン

  エマ・
    トンプソン

 
  

  地球で暮らすエイリアンの監視を任務とする男達の活躍を描いたシリーズ第3作目。
  秘密組織MIB所属のエージェントの相棒が40年以上も前に死亡していたと聞き、その謎を調べる為に40年前にタイムスリップする。
  相変わらずテンポがよく、奇想天外な展開で、余計な事を考えずに楽しめる映画となっている。





詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2012/06/12

盛岡市・南仙北~仙北/旧奥州街道440

77morioka12s  小鷹処刑場供養塔

左側に盛岡藩の小鷹の御仕置場(処刑場)跡があり殺生場とも呼ばれていた。

写真は、天保7年(1837年)、法華寺観明院日誠上人が、
刑場で断罪に処せられた亡霊の供養鎮魂のため、
刑場跡に建立したお題目が刻まれた供養塔である。




77morioka14

仙北町駅口交差点

仙北町駅口交差点である。
この信号を左折すると、約150mで
JR東北本線の仙北町(せんぼくちょう)駅がある。

仙北町駅は大正4年開業、東京より533.5kmの駅である。

仙北町駅は隣接する次の盛岡駅とは1.8kmしか離れていない。
当時鉄道院総裁であった原敬が生家の最寄り駅として
作らせたからだと言われている。

また駅名の仙北町は、秋田県仙北郡にあった仙北町(せんぼくまち)からの
移住者が多いことに由来する。

盛岡の城下町の中心部から北上川を挟んで独立している仙北町は、
奥州街道や山形街道の出入口として、
北上川の舟運(しゅううん)による物資の集散地として、
栄えて来た町であった。

特に米屋や造り酒屋、藁物屋(草鞋、縄等)が多かったようだ。




77morioka16

長松寺

仙北町にある長松寺。

元浄土宗の長昌寺であったが、寛永年間(1624~1644年)宗旨を
曹洞宗に改め、寛政9年(1797年)に現在の
萬峰山(まんぽうざん)長松寺(ちょうしょうじ)と改称されたようだ。

盛岡三十三観音の十二番として千手観世音が安置されている。

また、境内の鎮守堂には秋葉三尺大権現が祀ってあった。

寛政年間(1789~1800)に仙北町を火災から守るために
長松寺の立鶴和尚が火防鎮守で知られた遠州秋葉神社の
秋葉三尺大権現の分体を勧請したものである。





詳細リンク:旧奥州街道440「盛岡市・南仙北~仙北」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市南仙北、仙北) 1111/1204

2012/06/09

映画「わが母の記」

平成24年6月
横浜ムービル


タイトル キャスト コメント
わが母の記
 
 2012年 
     日本
 
 監督
    原田 真人

  役所 宏司

  樹木 希林

  宮崎 あおい

  ミウラ

  三國 連太郎

 
  

  小説家・井上靖が自身の家族との絆をもとに書かれた自伝的小説「わが母の記」を映画化。
  昭和39年、実母の手で育てられなかったため、長男であるが母とは距離を置いていた小説家。
  しかし、父が亡くなったのを機に、認知症となっていく母と否応無しに向き合うことになる。
  母親役の樹木希林と娘役を演じた宮崎あおいが好演していたが、脚本にもう一ひねり欲しかった。





詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2012/06/02

盛岡市・津志田~南仙北/旧奥州街道439

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大国神社と八坂神社

盛岡市三本柳から津市田に入ると、
街道左側に大黒神社(だいこくじんじゃ、写真右側)と
境内社となっている八坂神社(左側)がある。

大黒神社は文化7年(1810年)、盛岡藩主36代利敬が、
津市田地区の総鎮守として創建したものだ。

当時は、この辺は津軽町と称し遊郭が繁盛していたところだ。

両社の中には遊女や楼主が納めた所願成就祈願の絵馬や、
奥州俳諧四天王の一人と言われた小野素郷(そきょう)の
「俳諧之発句」などが奉納されている。

この内絵馬12枚、俳諧献額3面が盛岡市の有形文化財の指定を受けている。

大黒神社境内にある整然と石塔が並べられてあった。

出羽三山の月山、湯殿山、羽黒山、姫神嶽、岩鷲山、早池峰山と
刻まれてあった。

ここで岩鷲山は岩手山の別称である。
姫神嶽は姫神山(1124m)のことだ。
いずれも山岳信仰の地である




77morioka10

川久保交差点

川久保交差点で、国道4号線と別れ、
旧街道筋は左側の県道16号線(盛岡環状線)である。

この辺に川久保一里塚があった。
その痕跡を捜したが判らなかった。





77morioka11s  感恩寺

国道4号線から別れ、暫く進むと右手に、日蓮正宗の
慧日山(えにちさん)感恩寺がある。

相馬大作事件で獄門となった下斗米秀之進(相馬大作)の遺児で、
出家した日淳上人が父の菩提を弔う為に開基した寺である。

相馬大作事件とは、大作が門弟の関良助と共に、津軽藩主暗殺を企み、
失敗し出奔した事件である。





詳細リンク:旧奥州街道439「盛岡市・津志田~南仙北」/街道写真紀行
(岩手県盛岡市三本柳、津市田、南仙北) 1111/1204

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