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2012年3月

2012/03/23

紫波町・二日町山子~大橋/旧奥州街道431

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城山/郡山城跡

国道4号線から右の城山公園方面に右折したところに
「大元帥陛下御幸新道」と書かれた道標がある。

大元帥は軍人の最高位の階級で、全軍を統率する大将に与えられる
称号である。

大日本帝国憲法で天皇が統帥権を持ち、
陸海軍の最高指揮官である大元帥となった。

昭和3年の陸軍特別大演習の時に整備された道のようだ。    

正面に城山(標高180.6m)が見えてきた。
かつての郡山城(高水寺城)のあったところだ。

高水寺城(こうすいじじょう)は、天正16年(1588年)に南部信直に
攻略されるまで、室町幕府管領家の一族である斯波氏の居城であった。

高水寺城の名は、「吾妻鏡」に出てくる古刹・高水寺の一角を
居館としたことによる。

建武2年(1335年)、足利尊氏が、南朝方の北畠顕家や
八戸南部氏を牽制するために、斯波家永を下向させたと伝えられている。

天正16年(1588年)、南部信直が斯波氏を滅ぼし、城名を
「郡山城」と改め、中野康実を城代とした。

九戸合戦後から盛岡城築城の間、南部信直の子利直の居城として
使われたこともあるが、寛文7年(1667年)盛岡城の完成と同時に
廃城となっている。




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二日町集落

旧街道は城山の西側を北上する。

前方に見えてきた山は岩手山(2038m)である。
盛岡が近くなってきた。




75siwa39s  二日町旧家

街道右側にある旧家。
この辺に「日詰長岡通代官所役屋(御仮屋)があったという





詳細リンク:旧奥州街道431「紫波町・二日町山子~大橋」/街道写真紀行
(岩手県紫波町・二日町向山、山子、大橋) 1110/1203

2012/03/19

大倉山公園梅林/横浜

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横浜の東急東横線大倉山駅(綱島街道)の大倉山公園梅林である。

今年は例年より寒さが厳しく、一月も遅れてやっと今日が満開であった

 

3月大歌舞伎/新橋演舞場

平成24年3月
新橋演舞場


演 目 役 者 観 劇 記
真山青果咲く
真山美保演出

江戸絵両国八景
荒川の佐吉
 (あらかわのさきち)

 序幕
  江戸両国橋付近
  出茶屋

  岡もとの前の場より

 大詰
  長命寺前の堤の
  場まで

  4幕
荒川の佐吉
    染五郎

丸総女房お新
    福 助

隅田の清五郎
    高麗蔵

成川郷右衛門
    梅 玉

大工辰五郎
    亀 鶴

相模屋政五郎
    幸四郎

  腕の良い大工からやくざの世界に憧れて身を転じた佐吉は、親分の仁兵衛のもとで三下奴の身となる。その仁兵衛は、浪人の成川に腕を切り落とされ縄張りを奪われてしまう。
  落ちぶれた仁兵衛は、姉娘のお新が産んだ盲目の子供を佐吉に託したまま、いかさま賭博をして殺されてしまう。
  残された佐吉は、友達の大工辰五郎の助けを借りて献身的にその子供を育てていると、恩のある相模屋が子供の母親お新を連れてやってくる。
  子供を返して欲しい母親と育て親のせめぎ合いが、何度見ても感動的である。
  
祇園祭礼信仰記

仮名手本
  忠臣蔵

(かなてほんちゅうしんぐら)

  九段目
   山科閑居

   1幕
戸無瀬
    藤十郎

大屋由良之助
    菊五郎

小浪
    福 助

加古川本蔵
    幸四郎

大星力弥
    染五郎

お石
    時 蔵
  雪が降りしきる山科の大星由良之助宅。そこへ加古川本蔵の妻の戸無瀬が、娘小浪を許嫁である由良之助の息子の力弥に嫁がせるために訪ねてくる。
  しかし、由良之助の妻お石は、今は浪人中との理由で輿入れを拒否する。絶望した戸無瀬と娘は自害しょうとする。そこに現れた虚無僧姿の加古川本蔵は、わが身を捨てて娘の婚礼を懇願する。
  由良之輔は本蔵の心根に感じ入り、仇討ちの志を明かす。
  名作「仮名手本忠臣蔵」より忠義のために犠牲になる親子、夫婦の情愛を描いた名場面である。

  




詳細リンク:「歌舞伎」/悠々人の日本写真紀行

2012/03/16

紫波町・日詰郡山宿出口~向山/旧奥州街道430

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国道4号線合流点

宿場特有の枡形を抜けると旧鍛冶町に入る。
かつての日詰郡山宿の出口である。

日詰郡山宿を抜けると、旧街道は国道4号線に重なる。
この合流点の左側にあるのが、勝願寺である。




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勝源寺

勝源寺は慶長16年(1611年)に開基した曹洞宗の寺院。

本堂裏にある、カシワは「逆さカシワ」と呼ばれ、
国の天然記念物に指定されている。

高さ20mで、直立ではなく、地面際で4本に枝分かれし、
太い幹が地面を這うようにして生えている。

推定樹齢300年とのことだ。




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城山公園方面分岐

ここで国道4号線と別れ、旧街道は右側の道となる。
標識には、「右 城山公園」と書かれてある。

かつての郡山城(旧高水寺城)のあったところである。





詳細リンク:旧奥州街道430「紫波町・日詰郡山宿出口~向山」/街道写真紀行
(岩手県紫波町・日詰郡山駅、石田、朝日田、二日町向山) 1110/1203

2012/03/13

紫波町・日詰郡山宿仲町~習町/旧奥州街道429

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紫波町ふれあい公園、明治天皇聖跡碑

街道左側にある明治天皇聖跡碑。
今は、ふれあい公園と呼ばれている。

この場所はもと美濃屋(幾久屋)金子屋という大商人が衣類や小間物の他、
味噌や醤油を造って販売していたところで、南側には井筒屋小野家の
大きな店があり、酒造りをしていたところだ。

明治天皇は、明治9年と14年の行幸のさい、ここにあった幾久屋が
昼食の場となっている。

なお、日詰郡山宿の本陣は井筒屋と桜屋が担っていたとのこと。




75siwa28s  来迎寺

旧仲町を抜けると、来迎寺の前で左折となる。
枡形(鍵型)となっているところで、かつては市が開かれ、
高札場のあったところである。

枡形の北側の細い路地の先は、寺小路と呼ばれていたところだ。    

マリア観音で知られた来迎寺(浄土宗)は、日詰商店街の
北側の突き当たりに位置し、創建は江戸時代初期とのことだ。

背後にある郡山城(高水寺城)の南側の押さえの役目も担っていたようだ。

阿弥陀如来、観音菩薩、勢至観音の本尊と浄土観経曼荼羅が寺宝とのこと。




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習町駐車場

来迎寺の前の枡形を左に曲がると、右側に旧習町(ならいまち)駐車場がある。
この駐車場は「車置き場」の名付けられている。

紫波町名誉市民となっている野村胡堂の「銭形平次捕物控」に因み、
江戸の風情を現したとか。

なお、ここはもと紫波郵便局のあった処である。

習町は日詰の町の発祥の地で、今から600年以上も昔から、
約300年間斯波氏がこの地を支配しており、
この辺りに城下町を作ったのが始まりとのことだ。

その後、日詰の町は習町を中心に南の方に伸びていった。

駐車場入口には「銭形平次のふるさと紫波町」と書かれた
大きな木札の下には銭形平次の手形があった。

調べてみると、平次を演じた北大路欣也のものだ。
その側には「銭形平次ふるさとへ帰る」と刻まれてあった。     





詳細リンク:旧奥州街道429「紫波町・日詰郡山宿仲町~習町」/街道写真紀行
(岩手県紫波町・日詰郡山駅) 1110/1202

2012/03/11

映画「はやぶさ/遙かなる帰還」

平成24年3月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
はやぶさ/遙かなる帰還
 
 2012年 
     日本
 
 監督
  瀧本 智行

   
    渡邊 謙

    江口 洋介

    夏川 結衣

    山崎 努

    小澤 征悦

    吉岡 秀隆

 
   

  2010年6月、約7年の期間と総距離60憶キロに及ぶ壮大なプロジェクトを終えて宇宙より帰還した小惑星探査機「はやぶさ」の偉業を映画化したもの。
  2003年鹿児島内之浦宇宙空間観測所で、「はやぶさ」を搭載したM-Vロケットが打ち上げられる。それを見守っていたプロジェクトマネージャーの山口教授(渡邊謙)と、開発に関った技術者たち、協力工場の人たちや新聞記者をからめ、映画として感動的に上手くまとめられてあった。

詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2012/03/10

紫波町・88日詰郡山宿/旧奥州街道428

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日詰郡山宿、平井邸

奥州街道88番目の宿場・日詰郡山宿に入るとすぐ左側に立派な建物がある。

木造2階建ての店舗併用屋敷で、豪商・平六商店(造り酒屋、現在の
菊の司酒造)の12代平井六右衛門が大正13年に建てたものだ。

平井家は、江戸初期から藩の御蔵宿(おくらやど)として志和4村の米を
預かり、江戸へ送るなどの倉庫業、運送業、そして宿屋を営んでいた。
6代目ころから酒造も始めている。

紫波町は岩手県では比較的古くから開けた地域で、坂上田村麻呂の
東征では蝦夷との抗争が繰り広げられ、前九年の役でも戦場と
なったところである。

中世の紫波町一帯は、斯波氏が納め、高清水城を拠点としていた。
斯波氏の支配は天正16年(1586年)に南部氏に滅ばされるまで続いていた。

南部氏は高清水城を郡山城と改名し、
寛文7年(1667年)に廃城となるまで続いた。

廃城後は、南部藩の代官所や御蔵が置かれ、奥州街道の宿場や
北上川の舟運の河岸として、商業中心の町として発展してきた。




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街の駅、「なんバザ・ホール」

白梅館(劇場)で賑わった旧新田地区である。

もりしん(盛岡信用金庫)は、かつての井筒屋彦兵衛店(薬、小間物屋)の
跡に建っている。

その向い(右側)には近江商人系の江戸時代から続いた
呉服店村谷屋や近江屋等が軒を並べていたところだ。

新田は、町の周辺に水田を持つ半農半商の商人が多かったことから
ついた町名とのことだ。
また新田には郡山駅(駅舎)があり、今も郡山宿という地名となっている。

写真は、日詰商店街の空き店舗を利用した多目的ホール。

日詰商店会の主婦たちが、地元の野菜や、惣菜、食料品、日用品等を
定期的に展示販売もしている。

平井家の分家、平岩長吉が明治43年にここの酒造店を開き、
「白梅」という名の酒を造っていたところだ。

娘婿の直衛(なおえ、金田一京助の弟)が、大正14年に白梅館という
芝居小屋をここに造った。

白梅館は昭和30年頃まで、存続し日詰だけではなく紫波郡の文化の
拠点として活用されていた。




75siwa25s 銭形平次会館

銭型平次会館と木札の架かった紫波町役場第3庁舎である。

銭形平次で知られた野村胡堂は、明治15年に紫波町で生まれ、
盛岡中学を出た後、東京帝国大学に進んでいる。

シルバー人材センターや、㈱よんりん舎ゆいっとサロン、
すこやか号バス待合所等ともなっている。

よんりん舎は、「しわ(4つの輪)が重なり合う」と言う意味とのことだ
。 



 

詳細リンク:旧奥州街道428「紫波町・88日詰郡山宿」/街道写真紀行
(岩手県紫波町・日詰郡山駅) 1110/1202

2012/03/04

紫波町・桜町~日詰郡山宿入口/旧奥州街道427

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志賀理和気神社霊石、赤石

天正年間(1573~1592年)、郡下66郷の領主であった斯波孫三郎詮直が、
北上川で遊覧のおり、川底に赤石の大石を見て、紫色の水波に漂う
その美しさに感有って一首を詠じたのが

  「けふより 紫波と名づけん この川の 石にうつ波 紫に似て」

この地方はこれまで子波、斯波、斯和と地名が変わっていたが、
以来「紫波」と改まり、当和気神社も通称赤石大明神、赤石神社、赤石さんと
呼ばれるようになった。

赤い鳥居の奥には詮直によって引き揚げられた赤石が、
霊石として当社に奉安され、霊石として崇拝されてきた。




75siwa18s  庚申神社

志賀理和気神社を出て、旧街道に復帰する。
紫波運動公園の入口付近に庚申神社があった。

左にある大きな庚申塔2基と、真新しい狛犬が印象的であった。




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日詰郡山宿口

正面に県道25線(紫波川井線)との交差点だ。

右に行くと、運動公園の北側を通り、北上川の紫波橋を渡る。
かつての日詰河岸があったところだ。

この交差点を渡ると、旧奥州街道88番目の宿場・日詰郡山宿の
あったところに入る。





詳細リンク:旧奥州街道427「紫波町・桜町本町川原~日詰郡山宿口」/街道写真紀行
(岩手県紫波町・桜町本町川原、大坪、下川原、日詰郡山駅) 1110/1202

2012/03/02

映画「ドラゴン・タトォーの女」

平成24年2月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
ドラゴン・タトォーの女
 
 2009年 
   スェーデン
   デンマーク
   ドイツ
 
 監督
  ニールス・
   アルデン・
   オブレヴ

  

   ミカエル・
    ニクヴィスト

   ノオミ・
    ラパス

   スヴェン=
    ベルティル・
    タウベ

   イングヴァル・
    ヒルドヴァル


 
   

  大物実業家の違法行為を暴露し、名誉毀損で有罪になったジャーアナリスのもとに、大富豪から40年前に失踪した自分の血縁に当たる少女の調査依頼が来る。
  天才女性ハッカーと協力して、未解決事件の真相に迫る。
  綿密に練られた脚本で、2時間半を飽くことなく見せてくれた。女性ハッカーに抜擢された新人のノオミ・ラパスの凄まじい演技には圧倒された。


詳細利リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

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