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2012年2月

2012/02/29

紫波町・桜町~志賀理和気神社/旧奥州街道426

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志賀理和気神社参道

志賀理和気(しかりわけ)神社の鳥居である。

延暦21年(802年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷の首長アテルイを
滅ぼし、その翌年に志波城を築いたときに、香取・鹿島の大神を勧請し、
陸奥開拓の守護神として建てられた古社である。

延喜式の式内社で日本最北にある式内社である。




75siwa13s  南面の桜

大きな赤い鳥居を潜り、参道を進むと左側に「南面(なんめん)の桜」と
呼ばれる岩手県で最古の桜がある。

樹齢は500年以上と推定され、伝説が残され縁結びの桜とも呼ばれている。  

元弘2年(1332年)、後醍醐天皇執権尊良親王(たかよししんのう)に
同行した藤原頼之は、河東の領主河村少将の娘、桃香と
相思相愛の仲となった。

2人は社頭に桜を植えて、やがて来るであろう爛漫の春を密かに夢見た。
ところが、頼之は急に都に上ることになり、2人は再会を誓って別れる。

歳月が流れ、植えた桜はものの見事に咲いたが、
不思議にも花は南面に向かって咲いていた。

これを見て桃花は、募る思いを歌にして頼之に送った。

「南面(みなおも)の  桜の花は  咲きにけり  都の麻呂(ひと)に  かくとつげばや」

歌を受け取った頼之は心打たれ、桃香を都に呼び寄せたとのことである。
この伝説から南面の桜と呼ばれるようになった。





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志賀理和気神社拝殿

志賀理和気神社の拝殿である。
祭神は経津主之命(ふつぬしのみこと)である。

神社名の「しかりわけ」は、「シカリ」というアイヌ語からきているようだ。

シカリは「大きな、曲流する」と言う意味で、
この神社が北上川に近接していることからとの説である。

また、マタギ言葉でマタギ集団の統率者の「シカリ」からとの説もあるようだ。





詳細リンク:旧奥州街道426「紫波町・桜町~志賀理和気神社」/街道写真紀行
(岩手県紫波町・桜町本町) 1110/1202

2012/02/23

紫波町・日詰駅口~北日詰/旧奥州街道425

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日詰、東北新幹線高架

正面に東北新幹線の高架が見えてきた。

東北新幹線のガードを潜ると、すぐにJR日詰駅入口となる。
日詰駅は明治23年開業で、東京から516.8kmの駅である。




75siwa07s  大日堂

左側にある日詰大日堂である。
堂の正面入口に大日堂と阿吽山と書かれた額があった。

国道4号線を挟んで右側に阿吽山覚王寺があるので関連ありそうである。

大日堂境内には多数と石塔・石仏が集められてある。

金華山、鳥海山、古峰神社、南昌寺等の他、馬頭観世音、
庚申塔と多彩であった。

大きな石塔には「台橋巌動先生之碑」と刻まれてあった。
調べたが分らなかった。
ただ、紫波町には岩動(イスルギ)という名前の家があるようだ。
何か関係ありそうである。




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桜町分岐

大日堂の前を通ると、国道は左に逸れ、旧街道は右側の道となる。
古代の道路を踏襲した、幅広い一本道が続くところだ。

この先に、日本最北の延喜式内社、南部一ノ宮の
志賀理和気神社のあるところである。

左の建物は三八五引越しセンターである。
三八五は「みやご」と読むようだ。





詳細リンク:旧奥州街道425「紫波町・日詰駅口~北日詰」/街道写真紀行
(岩手県紫波町・北日詰) 1110/1202

2012/02/22

映画「麒麟の翼/新参者」

平成24年2月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
麒麟の翼/
劇場版・新参者

 
 2011年 日本
 
 監督
  土井裕泰


   阿部 寛

   新垣 結衣

   中井 貴一
 
   山崎 努

   溝端 淳平

 
   

  腹部を刺された状態で、8分間も歩き続け、東京日本橋の麒麟の翼の像の下で息絶えた男性。側に隠れていた容疑者が警官に咎められ逃走、車にはねられ意識不明の重体になる。
  テンポの良い展開で、面白く纏められた映画だ。日本の道路の中心である日本橋の翼の麒麟をうまく扱い、七福神巡りまで絡ませている。



詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2012/02/21

紫波町・南日詰~五郎沼/旧奥州街道424

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山吹橋

紫波町(しわちょう)犬淵から南日詰に入り、山吹川に架かる山吹橋を渡る。
山吹川は小さな川であるが、意味深な川名だ。

どうやら、砂金にまつわる川名のようである。

紫波町は有数の砂金生産地であった。
この地域を支配していた樋詰俊衡が、頼朝に侵略された時に

樋爪館を焼き払い、砂金をこの川に投げ捨てた。

その時、川が山吹色に輝いたと言う伝説が残されているようだ。




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五郎沼

山吹橋を渡ると、左側に大きな沼・五郎沼がある。
桜の名所、白鳥飛来地として知られた沼だ。

奥州藤原氏初代清衡の孫・樋爪太郎俊衡、五郎季衡兄弟の館が近くにあり、
五郎が小さいとき、よく沼で泳いでいたことから五郎沼と
呼ばれるようになったとか。

写真右手の白い建物は、東北TKR㈱だ。
カーナビやカーオーディオ、デジカメ等の組立やPCB(プリント基板)の
実装を行なっている会社である。




75siwa04s  樋爪館跡入口

沼の西側の遊歩道である。
この先に蓮園と樋爪館跡のあるところだ。

「世界遺産登録おめでとう、平泉を岩手から世界へ、岩手県紫波町」と
書かれた真新しい幟が沼畔で、風に靡いていた。

ここも奥州藤原氏所縁の地である。





詳細リンク:旧奥州街道424「紫波町・南日詰~五郎沼」/街道写真紀行
(岩手県紫波町・南日詰) 1110/1202

2012/02/17

花巻市石鳥谷~紫波町犬淵/旧奥州街道423

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石鳥谷・好地村、紫波町・犬淵村の境塚

菊池数馬墓碑のある緑地の左前方に境塚が残されている。
江戸時代の好地村と犬淵村の境界で、また稗貫郡と紫波郡の
郡界でもあった。

境界に沿って、北上川から現在のJR東北本線の間に
9基の塚が築かれてあった。

現存するのはここを含めて3基のみである。
周囲が10~13m、高さが0.5~1mとのことだ。




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紫波町境

街道に復帰すると、目の前が現在の花巻市石戸鳥町と
紫波郡紫波町(しわちょう)の境である。

ここから、紫波町・犬淵に入る。
この先で、国道4号線に合流している道である。

なお、紫波町は、昭和30年に日詰町と水分、石舘、志和、赤石、彦部、
佐比内、赤沢、長岡の8村が合併して出来た町である。




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滝名川

北上川支流の滝名川に架かる滝名川橋より下流を見た写真である。

正面の山並は北上山地だ。
最高峰の早池峰山(1914m)は鶏阿頭山(1445m)等の
前衛山の背後となっている。

滝名川は須賀倉山(941m)の南麓を源流とする川で、
途中大規模な灌漑用山王海ダムが築かれている。

このダムで出来た湖は「平安の湖」と呼ばれている。
また、このダムから志和稲荷神社の滝名川渓流は、
山桜、紅葉の名所となっている。





詳細リンク:旧奥州街道423「花巻市・石鳥谷町~紫波町・犬淵」/街道写真紀行
(岩手県花巻市・石鳥谷町好地、紫波町・犬淵) 1110/1202

2012/02/16

花巻市・石鳥谷宿上町~上口/旧奥州街道422

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県道102号交差点

前方に県道102号線(石鳥谷大迫線)の交差点が見えてきた。
ここを右折すると、北上川に架かる大正橋のあるところだ。

左の家は、関床糧穀㈱で精米業のようだ。

この交差点を渡ると、石鳥谷宿の中町から、宿場の出口となる上町に変わる。




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名残の松

石鳥谷宿を抜けると、名残の松の散見する道となる。

花巻宿から、ずっと一本道が続いているが古代の官道跡のようである。

前方の長坂の長根(現数馬長根)と呼ばれる峠が、
かつての好地村(現花巻市)と大渕村(現紫波町)の境界である。




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長坂の長根(数馬長根)

峠の少し手前左側が小緑地となっており、菊池数馬の墓のあるところである。

菊池数馬の父正宗は、小田原の北条氏に仕えていたが
小田原城落城で殉じ、息子数馬は豊臣秀吉の助命により、
石鳥谷まで落ち延びて此の地に住むようになった。

菊池家は、藤原道隆の後胤である則隆が延久2年(1070年)に、
肥後国菊池郡に下向した時、地名に因んで菊池氏と称したのが始まりである。
菊池氏は、南朝方勤皇の名家として知られていたようだ。

菊池数馬は新田の開拓や道路、橋の新設、改良に力を尽くし、
隣村犬淵村との境界争いにも活躍、境界の平安を守ったから、
住民にも慕われていた。

万治2年(1659年)に75歳で亡くなる前に、自分が境界の鬼となって
好地村を守るので、境界のここに埋めるように遺言した。

それから、此の地長坂の長根は数馬長根と呼ばれ、
石鳥谷開発の恩人として崇敬されてきた。





詳細リンク:旧奥州街道422「花巻市・石鳥谷上町~上口」/街道写真紀行
(岩手県花巻市・石鳥谷町好地、上町、上口) 1110/1202

2012/02/10

花巻市・石鳥谷宿中町/旧奥州街道421

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薬師堂川

薬師堂川を渡ると、石鳥谷宿の中町に入る。
この辺が、旧石鳥谷宿の中心であったのだろう。

薬師堂川の下流側には水門があり、その先は北上川だ。
薬師堂川は、黒森山(415m)の東麓、石鳥谷温泉の東側を
源流とする川である。




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北上川、上流側

北上川の上流側である。

正面の橋は大正橋だ。
県道102号線(石鳥谷大迫線)である。

地図ソフト「カシミール3D」で確認すると、左の形の良い山は
姫神山(1124m)のようだ。
右手は早池峰山(1817m)に連なる北上山地の兜明神岳(1005m)らしい。

こらからの街道歩きは、右に姫神山、左に岩手山を従えての歩行となる。

北上川の河口へも行ったことがあるが、まさに東北最大の川で
全国でも4番目に入る。
旧奥州街道は、この北上川沿いを北上して、源流(岩手町)まで
辿ることになる。

今回はここで川を眺めながら休憩した。

思えば学生時代、友人のギターで始めて爪弾いた曲が「北上夜曲」であった。
水沢農学校に通う菊池規と八戸中学校の生徒であった安藤睦夫が
水沢(現奥州市)で作った歌である。

  ♪ 匂い優しい白百合の
    濡れているよなあの瞳
    想い出すのは 想い出すのは
    北上河原の月の夜 ・ ・ ・ ・

余談であるが、この時のギターの音色に惹かれ、クラシックギターに
嵌りこんでしまった。
その思い出の曲でもある。




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菊の司酒造㈱七福神工場

北上川の堤防でのんびりした後、再び街道に復帰する。
写真は左側にある菊の司酒造の七福神工場である。

菊の司酒造は安永年間(1772~1778年)創業の老舗で、
銘柄は「菊の司」と「七福神」である。

なお、焼酎の銘が「だだすこだん」とのことであった。





詳細リンク:旧奥州街道421「花巻市・石鳥谷宿中町」/街道写真紀行
(岩手県花巻市・石鳥谷町好地、中町) 1110/1202

2012/02/07

花巻市・87石鳥谷宿下町/旧奥州街道420

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石鳥谷・好地一里塚

街道左側の三又美容院の手前に好地(こうち)一里塚跡碑がある。
丁度、宮沢賢治の肥料相談所跡の街道を挟んで斜め前だ。

説明板によると、江戸より133番目(523.7km)の一里塚で、
頂上には欅が植えてあった。

今は、一里塚の痕跡は全く無いが、昭和26年頃までは
この場所にあったようだ。




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87石鳥谷宿下町

好地一里塚を過ぎると、石鳥谷(いしどりや)宿下町となる。
前方の信号はJR石鳥谷駅口の交差点だ。

石鳥谷宿は、仙台側から下町、中町、上町と分かれている。
他の街道では、江戸や京都方面が上町となるが、
ここは南部藩、盛岡方面が「上」となっている。

花巻から次の日詰(ひづめ)郡山までの宿駅が無く、
間隔が開きすぎていたので、ほぼ中間のここ石鳥谷に宿場が設けられた。
殆ど、人家の無い場所であった。

当初は西側の段丘の上に集落が造られたが、延宝6年(1678年)に
ここに伝馬所が造られ、伝馬20頭、人足20人が常備された。

同時に市が、10日、20日、30日に開かれ、酒蔵も2軒できた。




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JR石鳥谷駅前通

JR石鳥谷駅前通である。

前方に見えるのが、石鳥谷駅だ。
その背後の大きな建物は石鳥谷小学校である。

石鳥谷駅は明治26年開業で、東京駅から511.4kmの距離である。





詳細リンク:旧奥州街道420「花巻市・87石鳥谷宿下町」/街道写真紀行
(岩手県花巻市・石鳥谷町好地) 1110/1201

2012/02/06

映画「J・エドガー」

平成24年2月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
J・エドガー
 
 2011年 米国
 
 監督
  クリント・
   イーストウッド

   
   レオナルド・
     ディカプリオ

   ナオミ・
     ワッツ

   アーミー・
     ハマー

   ジュディ・
     デンチ


    

  1924年、初代FBI長官に任命されたジョン・エドガー・フーバーは、歴代の大統領に仕え、数々の戦争を潜り抜け、半世紀にわたって法の番人としてアメリカをコントロールしてきた、その実話に基づいた映画。
  母親からの溺愛、側近との関係など、フーバーの功績の裏に隠された私生活も折り込んだ映画と成っている。ディカプリオの熱演が凄かった。


詳細リンク「映画」/悠々人の日本写真紀行

2012/02/04

花巻市・石鳥谷町八幡~好地/旧奥州街道419

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花巻市石鳥谷総合支所

葛丸(くずまる)川に架かる葛丸橋を渡り、暫く歩くと
左側に花巻市石鳥谷総合支所がある。

この背後のJR東北本線を挟んで、反対側には歴史民族資料館と
南部杜氏伝承館のあるところだ。

石鳥谷は南部杜氏の里として知られたところである。
南部杜氏は越後杜氏、丹波杜氏と並び、日本三大杜氏の筆頭に数えられる。

洗練された酒造りの技を受け継ぐ職人の故郷として、
藩政時代より330年余の歴史を担い続けており、
今でも南部杜氏は日本各地の酒蔵で活躍しているとのことだ。




74isitory17s  石鳥谷街路灯

石鳥谷の街灯は凝っている。
上写真は南部杜氏の里をイメージしたものだが、
他にも石鳥谷の名物・名産を模った絵柄の街路灯が建てられてあった。

石鳥谷は、岩手県のほぼ中心部に位置し、
稗貫(ひえぬき)郡にあった町である。
平成18年、花巻市、大迫町、東和町と合併し、今は花巻市となっている。

石鳥谷の特産品は、リンゴ、リンドウ、そして酒とのことだ。


74isitory21s  石鳥谷肥料相談所跡

石鳥谷町八幡から好地(こうち)に入る。
この辺が奥州街道87番目の宿場・石鳥谷宿の入口付近であった。

写真は石鳥谷肥料相談所跡だ。
昭和3年に、ここで宮沢賢治による肥料相談所が開設された。
この肥料相談所と周りの情景を、宮沢賢治は「三月」と題した詩で残している。

肥料相談所と街道を挟んで反対側に、今は痕跡は無いが
好地一里塚があった。

賢治の詩「三月」から引用すると

  「一里塚 一里塚 塚の下からこどもがひとりおりてくる
   つゞいて ひとりまたかけおりる 町はひっそり 
   火の見櫓が白いペンキで 泣き出しそうなそらに立ち
   風がにはかに吹いてきて 店のガラスをがたがた鳴らす」


詳細リンク:旧奥州街道419「花巻市・石鳥谷八幡~好地」/街道写真紀行
(岩手県花巻市・石鳥谷町八幡、好地) 1110/1201

2012/02/02

花巻市・石鳥谷町八幡~葛丸川/旧奥州街道418

74isitory10s  八幡村記念碑

八幡小学校の先に八幡村役場農協事務所跡の真新しい碑がある。

「光陰は百代の過客なり」と題して、藩政時代の八幡村から現在までの
歴史が刻まれている。

明治22年に近隣の村が合併して八幡村となり、

昭和3年には1町3村が合併して石鳥谷町となり、
平成の大合併(平成18年)で花巻市、石鳥谷町、大迫町、東和町が
合併し現在の花巻市となる。




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八幡集落

旧八幡村の集落である。

味噌、米麹と看板のある三又商店、
酒屋の高長(たかちょう)商店のあるところだ。

右側には店構えの立派な菓子処長田(おさだ)屋があり、
菓子の製造販売を行なっているようだ。




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葛丸川上流

葛丸(くずまる)川に架かる葛丸橋を渡る。

葛丸橋から上流を見た写真だ。
前方の鉄橋はJR東北本線である。

葛丸川は奥羽山脈の青ノ木森(831m)東麓を源流とする川で、
北上川の支流となっている。

宮沢賢治の童話「楢の木大学士の野宿」の舞台となったところだ。

滝、奇岩が多く、冬には葛丸川渓谷lでは「たろし滝」と言われる氷柱が
見られ、毎年の2/11には氷柱の太さを測り、
その年の米の作柄を占う伝統行事が今も続いている。

氷柱の高さは13m、太さは最高で8m(昭和53年)あったという。

「たろし」とは、つららを意味し、古語の垂氷(たるひ)が転訛したもので、
氷柱の形が滝に似ていることから「たろし滝」と呼び名がついたようだ。





詳細リンク:旧奥州街道418「花巻市・石鳥谷町八幡~葛丸川」/街道写真紀行
(岩手県花巻市・石鳥谷町八幡) 1110/1201



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