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2012年1月

2012/01/30

花巻市・石鳥谷町西中島/旧奥州街道417

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耳取川上流

滝沢川に続いて耳取川を渡る。

こちらは、石鳥谷温泉の西側にある黒森山(415m)南麓を
源流とする川で石鳥谷町で北上川に合流している。

気になる川名であり、調べてみたが判らなかった。




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石鳥谷バイパス東口

前方に石鳥谷(いしどりや)バイパス東口の交差点が見えてきた。
旧街道はここで、左に入る。

この交差点名は「石鳥谷BP東口」と書いてあり、
BPの意味が最初解らなかった(・_・、)




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山並み

左前方が開け、見事な山並みが見えてきた。

カシミール(地形図ソフト)で確認すると、写真中央が
東根山(あづまねさん、928m)で、
右側の少し低く見える形の良い山が岩手山(2038m)である。

東根山は、通称コタツ山とも呼ばれているようだ。
地元の手ごろな登山コースとなっている。

岩手県の最高峰である岩手山が見えてくると、
盛岡が近くなってきた感じである。





詳細リンク:旧奥州街道417「花巻市・石鳥谷滝沢川~西中島」/街道写真紀行
(岩手県花巻市・石鳥谷町小森林、西中島) 1110/1201

2012/01/27

壽・初春大歌舞伎/新橋演舞場

平成24年
新橋演舞場


演 目 役 者 観 劇 記

相生獅子
 (あいおいじし)

  長唄囃子連中

    魁 春


    芝 雀

  大名家の座敷。二人の姫が四季折々の様子や恋に迷う女心を艶やかに舞い、紅と白の獅子頭を持ち踊りながら蝶を追い姿を消す。
  やがて二人の姫は獅子の精となって現れ、百獣の王である獅子の舞(狂い)を見せる。
  勇壮な獅子を題材にした、新年の幕開けに相応しい上品な女方の獅子の舞であった。

祇園祭礼信仰記

金閣寺
(きんかくじ)

  1幕
此下東吉
実は真柴久吉
    梅 玉

雪姫
    菊之助

松永大膳
    三津五郎

十河軍平
実は佐藤正清
    錦之助

松永鬼藤太
    松江
  謀反を企む松永大膳は、将軍足利義輝を殺害し、その母慶寿院を金閣寺の2階に幽閉する。
  さらに大膳は、絵師狩野之助直信の妻である雪姫を我が物にしようとするが、夫を裏切ることが出来ないので殺して欲しいと願い出ると、怒った大膳は雪姫を桜の幹に縛りつけ、夫直信の処刑を命じる・・・
  金閣寺を舞台に満開の桜の中で繰り広げられる豪華絢爛な義太夫狂言の傑作である。
  三津五郎の悪役ぶりもなかなかである。雪姫を演じた菊之助も良かった。
  
河竹黙阿弥作
盲長屋梅加賀鳶

加賀鳶
(かがとび)

  本郷木戸勢揃いより
  赤門捕物まで

  4幕6場
天神町梅吉
竹垣道玄
    菊五郎

女按摩お兼
    時 蔵

日陰町松蔵
    吉右衛門

雷五郎次
    佐團次

春木町巳之助
    三津五郎
  本郷通りの町木戸。大名火消しの加賀鳶と、旗本配下の定火消しとの間で大喧嘩が起こり、松蔵を始めとする加賀鳶が勢揃いする。そんな血気盛んな若い鳶たちを親分の梅吉が止め、何とか此の場を納める。
  一方、菊坂の盲屋敷し住む竹垣道玄は、実直な按摩を装っているが実は人殺しも厭わない悪党で、情婦の女按摩お兼とくんで、質店伊勢屋へ強請(ゆすり)に行くと、そこへ松蔵が現れる。
  江戸の人々を生き生きと描いた河竹黙阿弥の世話物の名作である。
  菊五郎と吉右衛門のやりとりが傑作であった。



詳細リンク:「演劇」/悠々人の日本写真紀行

2012/01/26

花巻市・石鳥谷町江曽~小森林/旧奥州街道416

73hanamaki83s  江曽一里塚碑

「史跡江曽一里塚」の標識の右側には
「明治天皇江曽御小休所」と刻まれた石碑が建っていた。

明治9年と明治14年の巡幸の際、八幡村大字江曽字塚根の
大原與五右ェ門の家にて小休憩された旨刻まれてあった。

昭和11年11月に建立された石碑である。




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小森林館跡

さらに進むと、左側に小森林(こもりばやし)館跡がある。

中世に稗貫(ひえぬき)郡を統治した稗貫氏の家臣・小森林氏の
館跡と伝えられている。

館跡の規模は南北共に約400mで、現在確認できる稗抜氏家臣の中では
最大の面積を有していることから、小森林氏の勢力が
強大なものであったことが伺われる。

天正18年(1590年)、稗貫氏は小田原の役に参陣しなかったため、
所領を没収されて滅亡。
この時に主家とともに滅亡したと思われる。

翌年から、稗貫地方は南部氏の統治となった。




74isitory02  逆ひば

小森林館跡の北隅にあるのが逆(さかさ)ヒバである。

説明によると、今から1200年ほど前に弘法大師が諸国巡行の際、
この地を訪れ湧き水で喉を潤そうとして休憩した。
逆ヒバは、その時、地面に挿した杖が根付いたものとのこと。

逆ヒバはヒバ類のクロベという木で、幹が太くなってもその根元の方が
細いため逆ヒバという名前がついたとのことだ。

逆ヒバの西側に館の鎮守である小森(子守)観世音があるとのことで、
捜して見たが見つからなかった。

逆ヒバの裏側に、何点かの石仏があり、一つは梵字の下に
「南無大師遍照金剛(へんじょうこんごう)」と刻まれたもがあった。

四国八十八ヶ所を巡礼するお遍路さんの白衣の後ろに
書いてあるものと同じである。

南無とは帰依する、お任せするという意味で、大師遍照金剛とは
弘法大師・空海のことである。





詳細リンク:旧奥州街道416「花巻市・石鳥谷江曽~小森林」/街道写真紀行
(岩手県花巻市・石鳥谷町江曽、小森林) 1110/1201


2012/01/23

花巻市二枚橋町~石鳥谷町/旧奥州街道415

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花巻空港駅前通り

昨夜は、北上駅前のホテルに宿泊。

朝食の無料サービスがあるが、7:00からであるので、
例の如く事前にコンビニで用意した朝食を取り、

6:15にホテルをチェックアウトする。

北上駅発6:36の盛岡駅に乗り、花巻空港駅に着いたのは6:45であった。
写真は駅前の大通りで、正面(東側)から日が昇ってきたところである。

今日も天気は良さそうである。




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北上山地、早池峰山

花巻空港口の交差点を左折すると花巻市石鳥谷(いしどりや)町に入る。
石鳥谷は、旧奥州街道の87番目の宿場・石鳥谷宿のあったところだ。

街道から北上山地と最高峰の早池峰山(1917m)が右手に見える。
ここからは、当分早池峰山を供にしての街道歩きとなる。


街道沿いに、石鳥谷町江曽地区の区画整理記念碑がある。

碑文によると、この地は平安中期紀元1469年の計画移民の居住地であった。
聚落としては、紀元1912年建長3年に大和国高市郡より藤原源太夫弘長が、

ここ江曽館に居住し開発したと伝えられている。

なお、聚落とは人の集まり棲む村落のことだ。

それ以前は先住民により原始的な耕作が営まれ、
「イソンコタン」と呼ばれていた。
これは豊饒な土地と言う意味であった。
イソンコタンのイソが転訛して江曽となったようだ。




73hanamaki82s 江曽一里塚

街道右側に一里塚が当時のままの姿で残されてあり、
岩手県指定文化財(史跡)に指定されている。

手入れが行き届き、気持ち良い保存状態であった。





詳細リンク:旧奥州街道415「花巻市・二枚橋町~石鳥谷町」/街道写真紀行
(岩手県花巻市二枚橋町大通り、石鳥谷町江曽) 1110/1201

2012/01/19

花巻市・二枚橋大通り~JR花巻空港駅/旧奥州街道414

73hanamaki73s  チューリップの幻想

花巻空港駅口の交差点を左折し、駅に向かう途中の道路沿いに、
宮沢賢治所縁のオブジェが何点か設けられてあった。


上写真は「チューリップの幻想」と題したものだ。
賢治の童話「チューリップの幻想」より「チューリップが偉そうに咲くと、
明るい春がくる」と刻まれてあった。

宮沢賢治は明治29年に稗貫郡里川口村(現花巻市)の質店の
長男として生まれ、旧制盛岡中学校、そして盛岡高等農林学校
(現岩手大学農学部)を卒業している。

詩人、童話作家、教師、農業指導家、そして地質学者でもあった。

作品中に登場する架空の理想郷に、岩手県をモチーフとした
「イーハトヴ」がある。

また、小さいときに暗記した「アメニモマケズ」は今でも覚えている。

   雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 
   丈夫ナカラダヲモチ

   欲ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル
   
   ~ サウイフモノニ ワタシハナリタイ




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JR花巻空港駅

JR花巻空港駅に着いた。
駅舎の背後のJAの建物の壁面には宮沢賢治像が描かれてあった。

この花巻空港駅は昭和7年に開業した「二枚橋駅」が、
花巻空港が出来た時に改称されたものだ。

東京から505.7kmの駅である。




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花巻空港駅前広場、空

花幕空港駅前正面にある「空」と題するオブジェ。

「少年が抱く空への夢や、見知らぬ土地への旅への期待を胸に
おおらかに空を舞う子供の姿」と説明してあった。

この後、東北本線で北上駅まで戻り、駅前の東横イン北上駅口ホテルに
投宿する。
昨日に続いて、北上での連泊となった。





詳細リンク:旧奥州街道「花巻市・二枚橋大通り~JR花巻空港駅」/街道写真紀行
(岩手県花巻市二枚橋大通り、二枚橋) 1110/1201

2012/01/16

花巻市・二枚橋町~二枚橋大通り/旧奥州街道413

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花巻空港駅口交差点/北上山地

花巻空港駅口交差点である。

左へ行くと、花巻空港駅のあるところだ。
右は大迫町方面で、県道214号線(羽黒堂二枚橋線)。
羽黒堂は花巻市大迫町にある。

花巻空港駅交差点から、右前方に早池峰山が顔を出した。
早池峰山は北上山地の最高峰で、標高は1917mである。

山頂と麓の岳集落には早池峰神社があり、
古くから山岳信仰が盛んな場所であった。

を手に勇壮に踊る早池峰神楽が今でも伝承されている。

早池峰山頂は宮古市と遠野市、花巻市の三つの市の境界と
なっているところである。




73hanamaki69s  追分の碑

花巻空港口交差点の手前左に少し入ったところに
新旧二つの追分碑が並べて建っていた。

右側が享保9年(1724年)に建てられた追分碑で、
「右はやつ祢みち、左ハもりおかみち」と刻まれている。
ここが早池峰山への分かれ道であった。  

左側の明治23年に建てられた追分碑は、「土佛観世音道」と刻まれてある。
土佛観世音は石鳥谷大興寺にあり、古くから土仏観世音信仰が盛んであった。

この碑は盛岡へ向かう奥州街道から、大興寺に向かう道の分かれ道に
あった道しるべである。

共に花巻市の有形文化財に指定されている。




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花巻空港駅前通り

今回は、花巻空港駅口交差点で街道歩きを中断して、花巻空港駅に向かう。

近くに、宿泊できる場所が無いので、
花巻空港駅から今夜の宿泊地・北上駅まで東北本線で戻るためである。





詳細リンク::奥州街道413「花巻市・二枚橋町~二枚橋大通り」/街道写真紀行
(岩手県花巻市二枚橋町南、二枚橋大通り) 1110/1201


2012/01/10

花巻空港~二枚橋/旧奥州街道412

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旧花巻空港ターミナル/花巻市交流会館

街道右側に花巻市交流会館が見えてきた。

建物の様子が気になり調べてみると、やはりこの建物は
旧花巻空港ターミナルビルであった。

平成21年に新旅客ターミナルビルが、滑走路の東側に出来たので、
古いこちらのビルには花巻観光協会、市観光課、国際交流が
移転して来ている。

木立の間より花巻空港の滑走路が見えた。

花巻空港は昭和39年に建設された、岩手県で唯一の空港である。
時刻表をみたら、札幌と大阪(伊丹)行のみで東京へ行く便は無かった。




73hanamaki64s  花巻文化村入口

右側に花巻文化村がある。
宮沢賢治の思想「農民芸術概論綱要」を軸として、
その実践を目的とした場所とのこと。

具体的には、子供達の自由な発想と創造力を高める為の「自由教室」、
誰でも受講できる版画、陶芸、木工、押花、そば打ち、
その他「創作教室」を開催しているようだ。




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二枚橋溜池、新堤

左側に広大な溜池が広がっている。
新堤と呼ばれているようだ。

写真左前方に二枚橋の集落があり、JR花巻空港駅があるところだ。
もとは「二枚橋駅」で、昭和63年に「花巻空港駅」と改称されている。





詳細リンク:旧奥州街道412「花巻・花巻空港~二枚橋」/街道写真紀行
(岩手県花巻市西宮野目、葛、二枚橋) 1110/1201

2012/01/08

花巻市・瀬川~宮野目/旧奥州街道411

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瀬川橋

国道4号線を北進すると、瀬川に架かる瀬川橋を渡る。

正面に見える高架は釜石自動車道で、
右前方が岩手県唯一の空の玄関・花巻空港だ。

その後方に北上山地の最高峰早池峰山(1917m)が見えるはずであるが、
生憎雲の中であった。

瀬川は、花巻温泉の西側にある六郎山(511m)東麓を源流とする川で、
花巻市内で北上川に流入している綺麗な川である。




73hanamaki59s  宮野目

国道4号線左側に、東京より501kmの標識があった。
標識を見ると、毎度のことながら良くここまで歩いてきたものだと
一人感心してしまう。

しかし、終点の津軽・三厩までは810kmであるから、
未だ62%しか歩いていないことになる。




73hanamaki60s  宮野目石仏群

左側に石仏群があった。
珍しく馬頭観世音があった。
岩手県に入って、恐らく始めての馬頭観世音であろう。

旧街道筋にあれほどあった馬頭観世音が宮城、そして岩手に入ると
殆どなくなっている。
それだけ、五街道に比べて、馬で運ぶ荷物の量が
減っているということであろうか。

さらに進むと、花巻空港前の国道4号線左側に立派な地蔵尊があった。
こちらは、未だ新しい
空陸交通安全照見地蔵尊だ。

出羽三山零場、羽黒山の分霊を奉載し、交通安全を祈願、
また事故で物故された霊の冥福を記念して奉ると説明板に書かれてあった。






詳細リンク:旧奥州街道411「花巻市・瀬川~宮野目」/街道写真紀行
(岩手県花巻市本館、東宮野目、西宮野目) 1110/1201

2012/01/06

花巻宿・四日町~枇杷沢川/旧奥州街道410

73hanamaki52s  四日町町屋

四日町の進むと、丁字路となる。
ここで右折して、すぐ左折となる所謂枡形となっているところだ。

この丁字路では、かつては直進する道があり、奥州街道の
江戸時代以前の古街道であったが、今は家が建っており進むことができない。

四日町の枡形を抜けると、左側に旧家があった。
造りから商家であったのであろう。




73hanamaki54s  四日町交差点

枡形を抜け、北進すると、左に四日町3丁目と書かれたバス停がある。

街道は、この先の丁字路を今度は右折(東進)となる。
城下町特有の曲がりくねった道である。

右折して、しばらく東進すると、今度は国道4号線との丁字路となる。
ここで左折して、国道4号線を北上することになる。

国道4号線の手前のこの辺(上写真)が、花巻宿の出口付近で、
木戸があったところである。




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枇杷沢川橋

国道4号線に入り北進すると、枇杷沢(びわさわ)川に架かる橋を渡る。

前方の歩道橋とその先に青く塗装されたJR釜石線の鉄橋がある。
花巻駅と釜石駅を結ぶ鉄道で、愛称は「銀河ドリームライン釜石線」という。

これは、釜石線の前身である岩手軽便鉄道が、宮沢賢治の
「銀河鉄道の夜」のモデルと言われていることによる。

枇杷沢川は、北上川支流の瀬川に流入している川で、
上流には水辺公園が整備されている。





詳細リンク:旧奥州街道410「花巻宿四日町~枇杷沢川」/街道写真紀行
(岩手県花巻市四日町、東宮野目) 1110/1112

2012/01/03

花巻宿・一日市町~四日町/旧奥州街道409

73hanamaki45s  本丸橋/後川

花巻城二の丸跡を抜け、花巻宿に向かう。
正面の細い道が街道筋である。

この写真の右側に花巻城の北側を流れる北上川支流の後川の
本丸橋がある。 

江戸時代は、二の丸に八通り(和賀・稗貫2郡の北上川筋にある8地区、
総石高約8万石)の年貢米を収納する土蔵があった。

ここに集められた年貢米は後川、北上川から川舟で江戸に向けて
運搬されたという。


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花巻宿・一日市町

奥州街道86番目の宿場・花巻宿の中心部である。
ここに、御仮屋(本陣)や旅籠、制札場があり、盛岡藩はもとより、
八戸藩、松前藩主一行の宿泊地となった。

花巻城下の町人町の中心で、城代の北松斎が四日町、
川口町(旧八日市)と、この一日市(ひといちまち)町の
所謂花巻三町を開き、定期市が開かれた。

裏町には、大工町、鍛治町などの職人町を作られた。

花巻三町は、現在の花巻市の中心街となっており、
北松斎は花巻開町の祖であった。
花巻まつりは、町民がその北松斎を敬慕して山車を作り、
町内を練り歩いたのが始まりである。




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四日市町、明治天皇御聖蹟碑

一日市町から四日町に変わるところで枡形となっている。
四日町に入ると、左側に小広場がある。

右手の木の標柱には、「花巻城下町発祥の地、四日町、一日市町」と
書かれてあった。

写真左奥の石碑は、明治天皇御聖跡碑である。

説明によると、 明治天皇は花巻には明治9年と14年の2度訪れている。
1度目は一日市町の渡邊家に、そして2度目はここ四日町の伊藤家に
宿泊されている。
到着は午後の3時で、出発(御発輦)は朝の7時と8時であったようだ。





詳細リンク:旧奥州街道409「花巻宿一日市町~四日町」/街道写真紀行
(岩手県花巻市一日市町、四日町) 1110/1112

2012/01/01

師岡熊野神社/横浜

明けましておめでとうございます

旧年中は、何かとご支援いただきありがとうございました。
また、本年もよろしくお願いいたします。

  
                                管理人 Hitosh

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熊野神社参道

今年は何十年ぶりかで、自宅で正月を迎えた。
元旦の今日、近所の師岡熊野神社に参拝する。

駅から8分の距離にある神社であるが、行列が駅の方まで続いていた。



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熊野神社拝殿

師岡熊野神社は奈良時代より続く、関東随一大霊験所、祈願所として、
1280余年の歴史のある神社である。

社紋の「三つ足烏」は、サッカー日本代表選手のユニフォームの胸にも
三つ足烏をデザインして、エンブレムとして付けられている。

日本サッカー協会公認のエンブレムとマスコットを用いた「サッカー御守」が
社務所で頒布されている。





(横浜市港北区)  1201/1201

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