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2011年11月

2011/11/25

北上市・相去町小糠沢~相去/旧奥州街道391

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相去、東北新幹線高架

正面に東北新幹線の高架が見えてきた。
この高架を潜ると、旧伊達藩最北端の町・相去(あいさり)となる。

地名は相去町相去だ。

次の道を右折すると江刺方面である。
もとの江刺市(現奥州市江刺区)で、平安時代末期に平泉に勢力を張った
奥州藤原氏発祥の地である。





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相去白山神社

東北新幹線高架の手前左にある相去白山神社だ。

宝永8年(1711年)伊達藩命により、仙台伊達藩と盛岡南部藩の
境界である相去に創建され、相去の鎮守として崇敬されてきた神社である。

もとは相去を見下ろす高前檀にあったが、明治23年に東北本線の
開通に伴い現在地に遷座された。

白山神社の例大祭の行事、鬼剣舞(おにけんばい)が知られている。
一人が白面を付け、他の人は赤、青、黒の面をつけて豪壮に舞うとのことだ。




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相去町並

東北新幹線の高架を潜ると、右手に「丁切」と書かれたバス停がある。
この辺が相去町の入口であったようだ。

写真は相去町の中心部である。
仙台藩の奥州街道最北端に位置し、足軽町であった。

街道左側に、相去番所跡碑があった。
説明によると、北境の備えとして、街道を挟んで両側に
軽臣(足軽)102名が配置されていたとのこと。

番所内には、捕手道具の他に、鉄砲10丁、弓10張、槍10本が
備えられており、武頭1名(ぶがしら、250石、百日交代で仙台より出張)と、
組頭2名、床頭1名、足軽4名が常勤していたようだ。





詳細リンク:旧奥州街道391「北上市・相去町小糠沢~相去」/街道写真紀行
(岩手県北上市相去町 小糠沢、相去、鬼柳町町分) 1110/1111




2011/11/24

映画「マネー・ボール」

平成23年11月
横浜ム-ビル

タイトル キャスト コメント
マネー・ボール

 2011年 米
    
 監督
  ベネット・
    ミラー

  ブラッド・ビット

  ジョナ・ヒル

  フィリップ・
   シーモア・ホフマン

  ロビン・ライト

 
  
      

  元プロ野球選手は、アスレチックのゼネラル・マネージャに就任。チームはワールド・チャンピオンになるには程遠い状態で、優秀な選手は雇えない貧乏球団であった。
  データ分析に長けたイエール大卒の人物と出会い、これをきっかけにして、マネー・ボール理論を作り上げ実践、貧乏球団を常勝球団に生まれ変わらせていくことに成功。
  実在の男の半生を描いたもので、今の日本のプロ野球のありかたをも考えさせる映画となっている。




詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2011/11/20

北上市・相去町丙午~館下/旧奥州街道390

68aisari13s  奥州街道標識

岩の目公園の横の坂を下ると丁字路となる。
その角に不思議な標識があった。
右と左の両方とも奥州街道となっている。

右側は、今通ってきた道で、江戸時代の旧街道筋である。
しかし、この道は北上浄化センター前で道が消滅し通行止めとなっている。

左側は、北上川方面である。
後で地形図を確認したが、北上川沿いを通る迂回路があるようだ。
しかし、これはあくまでも迂回路で「奥州街道」ではない。




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県道相去飯豊線

丁字路を左折して進むと、県道254号線(相去飯豊線)に合流する。
旧奥州街道は、この道の右側にあったようだが、今は殆どが失われている。

県道より右に入り、旧街道沿いと思われるところに雲南権現社がある。
その先、300mのところには羽黒神社(牛頭天王社)があるところだ。  

街道右側に古道標と頌徳碑がある。
碑文によると、ここ本郷地区は相去町発祥の地で起元は1千余年前とのこと。
明治時代は上谷18戸、下谷22戸の部落であった。

毎年大関沢川の氾濫等で困窮していた本郷地区の耕地整理を
門脇準治翁が提唱し、当時の大地主と協力して明治39年に着工した。

その結果凸凹の土地は現在のような美田となった。
工事は丙午の年に施行されたので、のちにこの地区の字名を
丙午(へいご)と改めたとのこと。




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東北本線北上川鉄橋

広々とした相去町丙午の田圃である。
一部稲の刈り取りが始まっていた。

遠くに見える鉄橋は東北新幹線の北上川に架かる鉄橋である。





詳細リンク:旧奥州街道390「北上市相去町丙午~館下]/街道写真紀行
(岩手県北上市相去町 丙午(へいご)、本郷、館下(たてした)) 1110/1111

2011/11/18

吉例顔見世大歌舞伎/新橋演舞場

七世尾上梅幸 十七回忌追善
二世尾上松禄 二十三回忌追善

平成23年11月 新橋演舞場



演 目 役 者 観 劇 記

近松門左衛門作
傾城反魂香
 (けいぜいはんごんこう)

  土佐将監閉居の場
  一幕

浮世又平
      三津五郎

女房おとく
      時 蔵
       
戸佐将監
      彦三郎             
将監北の方
      秀 調

  絵師土佐将監の弟子又平は、師の閑居を妻おとくと訪れ、土佐の名字を名乗るのを許して欲しいと、言葉が不自由な又平に代わって、おとくが願い出る。
  しかし、他の弟子のような功績のない又平は許可が得られない。絶望した夫婦は死を決意し、今生の名残に、又平は手水鉢に自画像を心魂込めて描くと、その絵は、石を貫き、手水鉢の裏側に抜けるという奇跡が起きる。
  それを見た将監は、土佐又平光起と名乗ることを許す。
  命を懸けて起こした奇跡と、夫婦愛が見事に描かれた、近松門左衛門の名作である。三津五郎と時蔵の熱演が見応えがあった。


道行初音旅
(みちゆきはつねのたび)

  吉野山
  一幕

  竹本連中
  清元連中

佐藤忠信実は源九郎狐
      松 禄

静御前
      菊之助

逸見藤太
      團 蔵
  桜が満開の吉野山。兄の源頼朝との不和により都を離れた義経の愛称静御前は、家来の佐藤忠信とともに、義経のもとへ急いでいるが、いつの間にか忠信の姿を見失ってしまう。
  しかし、静が義経から預かった初音の鼓を打つと、何処からともなく忠信が現れる。実は、静を守護していた忠信は、鼓の皮となった親狐を慕う子狐であった。
  三大義太夫狂言の一つ、「義経千本桜」の名場面だ。狐の化身忠信を演じた、松禄の狐を思わせる仕草に拍手喝采であった。


河内黙阿弥作
新皿屋舗雨暈
魚屋宗五郎
(さかなやそうごろう)

  二幕
魚屋宋五郎
      菊五郎

女房おはま
      時 蔵

小奴三吉
      松 禄 
       
父太兵衛
      團 蔵

召使おなぎ
      菊之助

磯部主計之助
      三津五郎

浦戸十左衛門
      左團次
  魚屋宋五郎の家では、宗五郎の妹が奉公先の旗本磯辺主計之助によって不義の咎で手討ちにされたと知り、皆が悲しみに暮れている所に、妹の明輩おなぎが弔問に訪れ、濡れ衣であったことを知る。
  禁酒中の宗五郎は、妹の無残な死に耐えかねて酒を飲んで泥酔し、磯部邸に乗込み大暴れをして妹をなぶり殺しにされた悔しい胸の内を訴える・・・
  と、胸をすくような展開でどうなるかと思いきや、見事な大団円となる展開には、何度見ても感心する黙阿弥の名作である。
  すっかり、菊五郎の十八番となった芝居であるが、その酩酊振りはますます磨きがかかっているようだ。





詳細リンク:「演劇」/悠々人の日本写真紀行

2011/11/14

北上市・相去町往還西~岩の目/旧奥州街道389

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相去町往還西

北上浄化センター正面から北上すると、如何にも旧街道らしい道筋となる。

この辺の、地名は相去町(あいさりちょう)往還西(おうかんにし)となっている。
往還は街道の意味であり、この辺が街道筋であったことからの地名であろう。

また、相去は南部藩と伊達藩で境界を決める際に、北と南から同時に進み、
出会ったところを境界としようと決めたことによるそうだ。

この先に南部藩伊達藩の境界塚がある。

街道左手に、焼石岳(1548m)、天竺山(1318m)、経塚山(1373m)、
駒ヶ岳(1130m)等が見えるところである。

この辺は、西の奥州山系と東の北上山系の丘陵に挟まれたところと
なっている。




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岩の目公園

やがて、街道は下り坂となる。
この右手に小公園(岩の目公園)があるところだ。

ここは千田力之助の屋敷があった処で、この屋敷で明治天皇が
明治9年の東北巡幸、明治14年の北海道巡幸の際に休憩された。

記録によると、その時、千田家へは金拾五円の御下賜があったとのこと。

岩の目公園の中ほどに明治天皇行在所碑が建っている。

見晴らしの良いところで、この右の崖下から湧き出る清水を明治天皇に
御膳水として差し上げ、以来この清水は御膳水と呼ばれるようになった。




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桜の老木

坂を下ると前方が開け、刈り入れ前の稲穂の波となっている。

その田圃を背に、一際大きな桜の老木がある。
木の根元には、古い巳己供養塔と庚申塔が立てかけてあった。





詳細リンク:旧奥州街道389「北上市・相去町往還西~岩の目」/街道写真紀行
(岩手県北上市相去町往還西、岩の目、丙午) 1110/1111

2011/11/07

北上市・相去町和田~往還西/旧奥州街道388

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県道254号線(旧国道4号線)

北上市に入り国道4号線から、斜め右の県道254線(相去飯豊線)に入る。

県道254号線は北上市相去町和田尻を基点として、北上市藤沢を結ぶ道で、旧国道4号線である。

やがて、右手にJR東北本線が見えてきた。
旧奥州街道はこの東北本線の反対側(東側)である。

東北本線を横断する場所を探していたら、畦道の先に
人が渡れる踏切が見えたので、その踏切(正作踏切)を渡る。

人が通れる巾しかない小さな踏切だ。




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北上浄化センター遠望

踏切を渡ると、田圃となっている。
左前方の建物が北上浄化センターである。

この建物の敷地内を、奥州街道が通っていた。

北上浄化センターは、昭和62年に処理能力2800立方m/日の
施設として、供用を開始した。

当初は北上市の下水道の汚水処理だけであったが、
平成2年には処理能力を増やし、花巻市も供用している施設である。




68aisari05s 浄化センター正面

北上浄化センターの正門だ。
この中を街道が通っていたので、少し遡上してみようかと思ったが、
正面の門に大きく部外者立入り禁止と書かれてあったので諦める。

多くの旧街道歩きの人たちが、通り抜けようとするのであろう。
通行禁止なら、せめて迂回路でも作っていただければと思うのだか、
そうもいかないようだ。





詳細リンク:旧奥州街道388「北上市・相去町和田~往還西」/街道写真紀行
(岩手県北上市相去町笹長根、和田、往還西) 1110/1111

2011/11/06

映画「カウボーイ&エイリアン」

平成23年11月
横浜ムービル



タイトル キャスト コメント
カウボーイ&エイリアン

 2011年 米
    
 監督
  ジョン・
    ファブロー

  ダニエル・
     クレイグ

  ハリソン・
     フォード

  オリヴィア・
     ワイルド

  サム・
     ロックウェル

  アダム・
     ビーチ
 

  
      

  19世紀アリゾナ、過去の記憶をなくした男が砂漠の町に迷い込み、町を支配する大佐と呼ばれる男達と協力して突然襲ってきたエイリアンと戦う。
  スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮をとる痛快娯楽巨編だ。敵対する人達が一致協力し、勇敢に最終決戦に挑む設定は見事である。




詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2011/11/04

金ケ崎町・JR六原駅~北上市境/旧奥州街道387

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三ヶ尻西浦

旧奥州街道歩きを諦めて、畦道を通り国道4号線へ迂回する。

正面にJR東北本線の花沢踏切が見えてきた。
JR六原駅の南側となっている。


この踏切を渡り、六原駅前に出てから国道4号線に向かう。




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JR六原駅

花沢踏切から北側(下り側)を見た写真である。
目の前がJR六原(ろくはら)駅のプラットホームであった。

ホームの端に、「危険ですから改札口をお通りください」と書かれてあった。

JR六原駅は、東京駅より481.1kmの距離にある。
大正11年に三ヶ尻信号所として開設されたのが、昭和12年に
六原駅として開業した。

昭和40年には、六原駅から白河バルプ工業(現三菱製紙、
北上ハイテクペーパー)の北上工場への専用引込み線が竣工している。




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赤鳥居前、北上市境

六原駅より国道4号線に入り、北上すると、まもなく赤鳥井前交差点となる。
ここから先が、金ケ崎町から北上市相去町となるところだ。

この立派な赤鳥居は不思議だ。
肝心の神社が近くになく、地図にも載っていないのである。

気になり調べてみると、ここから西へ4.9kmも先の
二ツ森稲荷神社(金ケ崎町六原二ツ森)の鳥居であった。

延宝2年(1574年)伊達氏が勧請した神社である。





詳細リンク:旧奥州街道387「金ケ崎町・JR六原駅~北上市境」/街道写真紀行
(岩手県金ケ崎町三ケ尻西浦、丹蔵堰、六原、北上市相去町) 1110/1111

2011/11/03

金ケ崎町・三ヶ尻瘤木丁/旧奥州街道386

67rokuhara23s  国道4号線迂回路

下渋川橋を渡り暫く歩くと、左側に鋭角に左折すると国道4号線、
直進は行き止まりの標識がある。

手元の地図では、未だ先に行けそうなので、標識を無視し直進する。

直進すると、また「この先300m行き止まり」と書かれた標識があるが
無視してさらに進む。




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藤神社

三ヶ尻瘤木丁(こぶきちょう)地区に入ると右側に赤い鳥居の奥に
小さな社があった。
藤神社と書かれてあった。

説明によると、かつてはここに馳倉社、乳冨久社、愛宕社があったとのこと。

境内左手には、山神、雷神、古峰山、金華山等の夥しい石塔が
集められてあった。




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奥州街道瘤木町絵図

かつての奥州街道瘤木丁の現在の案内図と、古い絵地図が描かれてあった。
地元の瘤木丁自治会が設立したものだ。

この地図によると、旧奥州街道はこの先の北上浄化センターの手前で
寸断され、先に進めないようだ。

今回はここで旧街道歩きを諦めて、絵地図に描かれた細い道を辿って、
JR六原駅に出て、国道4号線を迂回することにする。





詳細リンク:旧奥州街道386「金ケ崎町・三ヶ尻嶋田~瘤木丁」/街道写真紀行
(岩手県金ケ崎町三ケ尻嶋田、瘤木丁) 1110/1111


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