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2011年10月

2011/10/28

金ケ崎町・三ヶ尻十三本塚~後生平/旧奥州街道385

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三ヶ尻小学校

三ヶ尻十三本塚を進むと、右へ分岐する道ある。

金ケ崎町立三ヶ尻小学校は明治6年創立の伝統ある学校だ。
創立当初は民家を借用して、学童数は22人であった。

この校舎は平成18年に建てられたものだが、それ以前の建物は
十字型方形校舎のユニークなものであったようだ。




67rokuhara20s  高橋太吉翁頌徳碑

三ヶ尻谷起地区は、北上川の側で畑や原野のままであった。

高橋太吉(明治6年生まれ)は、この地を水田に変えるべく、
昭和3年に組合を作り耕地整理に着手し、昭和9年に75ヘクタールの水田を
完成させた人だ。

現在の三ヶ尻谷起地区は金ケ崎町を代表する米どころとなっている。

高橋太吉頌徳碑の右側には、当時の赤錆びた電気揚水機が設置されていた。
この揚水機で北上川の水を新田に注ぎ込んだとのこと。
昭和3年から昭和45年まで使用されていたものだ。




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下渋川橋

三ヶ尻の十三本塚から後生平に入る。
緑の多い気持ちよいところだ。

前方の橋は下渋川橋で、この写真の右手には後生平堤があり、
大きな溜池のあるところである。





詳細リンク:旧奥州街道385「金ケ崎町・三ヶ尻十三本塚~後生平」/街道意写真紀行
(岩手県金ケ崎町・三ケ尻十三本塚、下渋川、後生平) 1110/1110

2011/10/25

映画「一命」

平成23年10月
横浜ムービル



タイトル キャスト コメント
一命

 2011年 日
    
 監督
  三浦 崇史

  市川 海老蔵    
  
  瑛太

  満島 ひかり

  竹中 直人

  役所 広司

  中村 梅雀

  笹野 高史

  
      

  元芸州・福島家家臣の浪人は傘貼りをしながら、娘と友人の息子を育てる。
  やがて、娘と友人の息子は結婚する。子供が生まれるが、貧しさ故に娘が病気になり、金に困った婿は、井伊家の門前で狂言切腹を図る。
  映画「切腹」と同じ、滝口康彦の「異聞浪人紀」をもとした映画だ。ただひたすら暗い映画であるが、さすが海老蔵の立ち居振る舞いは堂に入っている。
  瑛太も見事な演技であったが、役所広治と海老蔵の絡みも良かった。






詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2011/10/22

金ケ崎町・三ヶ尻谷地中~十三本塚/旧奥州街道384

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三ヶ尻谷地中

旧街道の左側の農道を少し入ったところの写真である。
金ヶ崎町三ヶ尻谷地中(みかじりやちなか)地区だ。

広々とした、気持ち良い景色となっている。




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千田正記念館

街道左側に千田正記念館がある。
千田正は明治23年生まれで、元岩手県知事を4期勤めた人である。

千田正遺族の好意で土地、建物が金ケ崎町に寄付され、
町が整備したた建物だ。

記念館は、旧宅と木蔵、そして正光館と呼ばれる岩手県知事公舎の
応接室からなっている。
生家と木蔵は昭和5年、正光館は昭和2年に建てられたものだ。

旧宅には、少年時台から知事時代までの資料や遺品が展示されている。




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三ヶ尻集落

千田記念館から街道に復帰する。
街道の両側にリンゴ畑が目に付くところで、大きな実をつけていた。

三ヶ尻谷地中から十三本塚地区に入る。

十三本塚は行倒れや、切られた人を祀ったと言われ、
この地の字名にもなっている。

十三の塚のうち五つの塚は今でもあるというが、判らなかった。





詳細リンク:旧奥州街道384「金ケ崎町・三ヶ尻谷地中~十三本塚」/街道写真紀行
(岩手県金ケ崎町三ケ尻清水端、谷地中、十三本塚) 1110/1110

2011/10/20

金ケ崎町・三ヶ尻/旧奥州街道383

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三ヶ尻川口田

金ケ崎町根岸から宿根川を渡り、三ヶ尻地区に入ると右側が大きく開ける。
刈取り前の稲穂の波が、黄金色に輝き、気持ちの良いところだ。

東日本大震災があったが、この地区は今年も豊作のようだ。

道路の左側に、未だ新しい「奥州街道」と書かれた白い標識があり嬉しくなる。
旧街道歩きにとって、街道に関わる標識は実にありがたい。

地元の自治体の方に感謝である。




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川口田一里塚

右側(東側)にのみ残されている旧奥州街道の一里塚だ。
大きな杉の上部は綺麗に切られ、朽ちないように保護されている。

説明によると、この杉は樹齢400年とのことだ。
塚と杉の木の組み合わせで、現在も残されている珍しい例とのことで、
金ケ崎町の指定史跡となっている。

なお、仙台領では目印の木は杉であったが、南部領では榎か槻であった。
左端のバス停は、北都交通田園バス「加藤商店前」と書かれてあった。




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三ヶ尻清水端

街道沿いのコスモスが満開であった。
旧街道歩きは、これからが季節的にも快適な時季である。

右前方は、かつて丸子館のあったところである。
北上川西岸の金ケ崎段丘の東端に位置し、標高57m、
沖積地からの比高約10mで、ここに丸子館が立てられていた。

丸子館の規模は東西約200m、南北約150mで、
内部は堀で方形状に区画されていたようだ。

上の写真の右側の林となっているところに「丸子館入口」の標識が建っていた。

室町時代葛西氏一族の江刺氏の分家絵さ氏七郎清義が館主となり、
三ヶ尻と名乗った。
三ヶ尻氏は天正18年(1088年)の秀吉の奥州平定まで約150年間も続いた。





詳細リンク:旧奥州街道383「金ケ崎町・三ヶ尻」/街道写真紀行
(岩手県金ケ崎町三ケ尻六本松、川口田、清水端) 1110/1110


2011/10/18

JR金ケ崎駅~宿内川/旧奥州街道382

67rokuhara01s  JR金ケ崎駅

東京発7:16の新幹線に乗り、一ノ関で在来線に乗換え、
金ケ崎駅に着いたのは10:56であった。

3/11(2011年)の東日本大震災で中断していた旧奥州街道徒歩の旅の
再開である。

駅前通りを東進し、矢来交差点に出る。ここから旧奥州街道に復帰である。
前回の街道歩きで、この先も少し歩いていたので、
一部ダブっての街道歩きとなった。




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宿内川橋、旧街道

県道270号線から右に別れ暫く進み、緩い坂を下ると、
正面に宿内川に架かる、宿内川橋が見えてきた。

この川を渡ると、金ケ崎町西根から三ケ尻地区となる。




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宿内川上流

宿内川の上流側である。

宿内川は、写真正面(金ケ崎町西方)に見える駒ヶ岳(1130m)と
鉢森山(602m)の山間を源流とし、千貫石溜池に流れ込んだ後、
この先三ヶ尻で北上川に合流している川である。

この宿内川と北上川の合流点に、金ケ崎城があった。
写真前方の白い建物は、地図によると雇用促進住宅金ケ崎宿舎である。





詳細リンク:旧奥州街道382「JR金ケ崎駅~宿内川」/街道写真紀行
(岩手県金ケ崎町西根、三ケ尻) 1110/1110

2011/10/16

映画「猿の惑星/創世記(ジェネシス)」

平成23年10月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
猿の惑星:
創世記(ジェネシス)

 2011年 米
    
 監督
  ルバート・
    ワイアット

  ジェームズ・
      フランコ
     
  フリーダ・
      ピント

  ジョン・
      リスゴー

  デヴィッド・
      オイェロウォ

   
   

  現代のサンフランシスコで、一匹の猿がアルハイイマー症の新薬実験で、突然変異的な進化をする。
  その子供が遺伝子を受け継ぎ、高い知能を持つ猿となるが、人類に裏切られ、自分の仲間である猿を率い、自由のために人類との戦いに向けて立ち上がる。
  人類の傲慢さが、猿の知能を発達させてしまう要因となり、人類にとって最大の危機を巻き起こしていくという展開だ。
  旧作「猿の惑星」シリーズの創世記編となっている。猿の表情が実に見事で生き生きしており、CGもここまで到達したかという感じであった。

詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2011/10/14

倉敷川/岡山

02kurasiki33  倉敷川

白壁通りを進むと、倉敷川(運河)の高砂橋の袂に着く。

倉敷は、この倉敷川を利用して備中の米を積み出す河岸として栄えてきた。
当時の白壁に黒い貼り瓦の米蔵、重々しい格子を並べた商家等が
今も残されている地域で、倉敷の美観地区の中心となっており、
伝統的建造物群保存地区に指定されているところだ。




02kurasiki34  倉敷川西岸

左の店倉は陶慶堂本店で、右の建物は江戸時代の米蔵を
改装した日本郷土玩具館となっている。


玩具館には、昔懐かしい郷土玩具、人形、雛人形、凧、子供の遊具等、
約4万点の玩具を収蔵、常時7千点ほどが展示されている。




02kurasiki38  中橋

ここで、倉敷川はほぼ直角に左(北西)に曲がっており、中橋が架かっている。

写真の建物は、江戸時代に建てられた白壁・黒貼り瓦の米蔵を使用した
考古館である。
吉備地方で発掘された石器・骨角器、土器、鉄器などが展示されている。




02kurasiki44  大橋家住宅

倉敷中央通りの交差点を渡り、阿智本通りに面して左側に
武家屋敷のような長屋門を構える豪壮な屋敷がある。

水田と塩田の開発で財をなし、幕府より苗字帯刀を許された大橋家が、
寛政8年(1796年)に建てた物で、重要文化財に指定されている。

今回は、ここから倉敷中央通りを通り、駅に戻った。  




詳細リンク:岡山「倉敷川」/悠々人の日本写真紀行
0802/1110 (岡山県倉敷市本町、中央、阿知)

2011/10/11

倉敷代官所跡/岡山

02kurasiki24  倉敷代官所跡碑

本通りより路地に入り、少し南へ進むと左側に倉敷アイビースクエアがある。
その西門を潜るとすぐ目に付くのが、倉敷代官所跡碑である。

倉敷は徳川幕府の直轄領(天領)として発展してきた町で、
その中心であるここに幕府の代官所があった。

倉敷が商人の町として発展したのは、幕府の年貢米の集散地としてであった。また倉敷代官所は、商人たちの自治を認め優遇したことで、人口も増加し、
領地は名目5万石であったが、実質は10万石以上であった。




02kurasiki26  倉敷アイビースクエア

明治22年に、この倉敷代官所跡地に倉敷紡績㈱の工場が建てられた。
昭和43年に、その赤レンガ造の工場や外壁を活かし、観光施設として
倉敷アイビースクエアの名でオープンした。

倉敷紡績㈱の関連会社㈱倉敷アイビースクエアが経営管理している。
なお、これらの建物は、経済産業省より「近代化産業遺産」に認定されている。

倉敷アイビースクエアのシンボルでもある赤レンガの蔦は、
紡績工場であった当時、2代目社長の大原孫三郎の
「自然と調和しながら健康的な労働環境を」という信念の基に
植えられたものだ。

夏は赤レンガに覆い茂り、暑さから守り、冬は落葉して赤レンガに外気を当て、
内部の温度調節を蔦が見事に果たしている。




02kurasiki27  アイビースクエアひろば

この広場を囲むようにホテル、レストラン、多目的ホール、倉紡記念館、
児島虎次郎記念館などの各種施設が配されている。

アーチが象徴的な広い東正面玄関は主に宿泊客が利用し、
タクシーや観光バスもこちらに乗入れる。

西側入口はかつて従業員が出入りした通用門で、現在は美観地区側からの
徒歩による観光客が多く利用しており、周辺も賑やかである。




02kurasiki30  古物店

東正面玄関を出て、白壁通りを西に向かう。
その途中左側にある古物屋だ。

屋根の上に、沢山のの犬の像が整然と並べられてあった。
かつての日本ビクター㈱の登録商標で、蓄音機から聞こえる亡き飼い主に
耳を傾ける犬(ニッパー)のようだ。





詳細リンク:岡山「倉敷代官所跡」/悠々人の日本写真紀行
(岡山県倉敷市本町) 0802/1110 

2011/10/06

倉敷・本町/岡山

02kurasiki19  倉敷本町通り

鶴形山の阿智神社の参道を下り、本町通りに入る。

白い壁、黒い貼り瓦の古い町家の家並みが続くところで、
倉敷美観地区に指定されているところだ。

江戸時代から鍛冶屋、呉服屋、酒屋、畳屋、提灯屋等々、
職人の町として栄えていたところである。
倉敷に現存する最古の町家、井上家もこの本町通り沿いにある。

写真の高田屋は、古い町家を利用した焼き鳥屋だ。
営業時間であれば、暖簾を潜りたくなる佇まいであった。




02kurasiki20  吉井旅館

本町通にある老舗の割烹旅館・吉井旅館である。

幕末に坂本竜馬が立ち寄り利用した部屋・楓の間が残されているという。

江戸時代、天領として栄えていた江戸時代後期に、民家として
建築されたものを旅館にしたとのことである。




02kurasiki21  あちの郷

本町通を代官所跡(現アイビー・スクエア)に向かう路地の右側に
「あちの郷」がある。

これは新しくできた商業空間(グルメタウン)で、平成2年に、
倉敷市都市建築優秀賞を受賞している一画だ。

美観地区に相応しい、街づくりの一貫となっている。





詳細リンク:岡山「倉敷・本町」/悠々人の日本写真紀行
(岡山県倉敷市本町) 0802/1110
   

2011/10/05

映画「神様のカルテ」

平成23年10月
横浜ムービル


タイトル キャスト コメント
神様のカルテ

 2011年 日
    
 監督
  深川 栄洋

    櫻井 翔
     
    宮崎 葵

    要   潤

    池脇 千鶴

    加賀 まりこ

    柄本 明

   
   

  長野松本市の病院で医師不足の中、若い医師が前向きな老練の医師や、患者、看護士、職員とともに、地方医療に現実に向き合いながら、患者との交流を通して成長していく様をほのぼのと描いている。
  脇役がしっかりしているために何とか見られる映画とは成っている。





詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2011/10/01

倉敷・鶴形山/岡山

02kurasiki5  倉敷駅南ロータリー

久しぶりに写真仲間と、倉敷に立ち寄る。
写真は南口前ロータリーで、大きな花時計がある。

この正面の倉敷大通りは倉敷美観地区へ通じている街のメインストリートで、
春のハートランド倉敷や、夏の天領まつりのメイン会場となるところだ。
    



02kurasiki8  鶴形山登り口

美観地区の背景となっている鶴形山は、標高わずか35mの小高い丘である。

鶴形山は古代、亀島、鶴形島と呼ばれ、この辺一体は吉備の穴海と
呼ばれる海域であった。




02kurasiki13  阿智神社

鶴形山の頂上にある阿智神社。
室町時代末期、旧倉敷村の鎮守として創建された

江戸時代までは妙見宮であったが、明治2年の神仏分離で
阿智神社と改称された。

古代、現在地に住み着いた阿知使主(あちのおみ、3世紀~4世紀頃)の
一族が神々の天降られる斎庭として造られた、日本最古の蓬莱様式の
古代庭園が元になったと伝えられている。  

周囲が海であった頃のここ鶴形島周辺は、海上交通の要衝であったため、
海上交通の守護神である宗像三姫神が祀られたようだ。

境内には鶴亀様式と呼ばれる古代庭園があり、
多数の磐座(いわくら、自然崇拝の岩)や、水琴窟がある。
また建造物としては、本殿、拝殿の他、能舞台、芭蕉堂、絵馬殿等がある。

写真奥には、「阿知の藤」と名付けられた、推定樹齢300~500年の
アケボノフジがあるる。
同種のフジとしては日本一の巨樹とのこと。

幹廻り1.5m、根元2.2mで、岡山県の天然記念物に指定されている。




02kurasiki17  阿智神社より倉敷美観地区

阿智神社の表参道の石段である。
石段は上、中、下段に分かれており、上段は33段で、「厄除坂」と呼ばれ、
下段は88段で「米寿坂」と呼ばれている。

石段の途中から、麓の美観地区、本町方面を俯瞰した写真である。

美観地区は、倉敷市の美観地区景観条例に基づき定められたエリアで、
本町全域、中央一丁目北部、東町、阿知二丁目、鶴形二丁目の
各一部が含まれている。

倉敷は江戸幕府の天領で、備中南部の物資の集散地として
発展してきた町だ。
当時の町並みが残されているところである。





詳細リンク:岡山「倉敷・鶴形山」/悠々人に日本写真紀行
岡山県倉敷市阿知、鶴形 0804/1109

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