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2011年6月

2011/06/30

一関城下・宮坂町~釣山/旧奥州街道329

60ichinoseki33s  八幡神社参道

旧奥州街道街道宮坂町の左側に八幡神社参道がある。
釣山の山麓で、階段を上ったところが八幡神社である。

釣山は、かつて一関城があったところで、今は釣山公園となっている。




60ichinoseki34s  八幡神社拝殿

一関八幡神社は、康平4年(1061年)源頼義が阿部貞任征伐のため
篠見山に出陣、合戦の勝利を祈願した八幡宮を勧請したのが始まりで、
寛文2年(1662年)に伊達兵部宗勝が現在地に遷座した。

祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)、坂上田村麻呂、坂上輝定である。




60ichinoseki38

釣山

八幡神社から釣山の坂道を登る。
写真の左上が、今は釣山公園となっているが、かつての一関城があった処である。

釣山は古代から軍事上の要塞であり、篠見山とも呼ばれていた。

古くは坂上田村麻呂が陣地をはり、安倍貞任の弟磐井五郎家任が砦を築き、
源頼義・義家親子もここに陣地を張った。



詳細リンク:旧奥州街道329「一関城下・宮坂町~釣山」/街道写真紀行
(岩手県一関市宮坂町、釣山) 1012/1106

映画「X-MEN、ファースト・ジェネレーション」

平成23年6月
横浜ムービル



タイトル キャスト コメント
X-MEN/ファースト・ジェネレーション

 2011年 米
    
 監督
 マシュー・
   ヴォーン

  ジェームズ・
    マカヴォイ
     

  マイケル・
    ファスベンダー

              
  ケヴィン・
    ベーコン

  ローズ・
    バーン

  裕福な家に生まれ、名門大学に通うチャールズ(ジェームズ・マカヴォイ)は強力なテレパシーを使うことができるミュータントだったが、自分と同じような能力を持つ者の存在に気付き始めていた。
  やがて強力な磁力を発生させ、金属を自在に操ることのできるエリック(マイケル・ファスベンダー)と出会う。彼らは親友となり、自分たちと同じような若者たちを探し始める。
  遺伝子の突然変異で、超人的パワーが覚醒したミュータントの苦悩と冒険を描いたSFアクション。X-MENの起原に的を絞り、ミュータント第一世代のドラマ。後半はだれるが、何とか見られる作品になっている




詳細リンク:「映画」/悠々人の日本写真紀行

2011/06/29

一関城下・台町~宮坂町/旧奥州街道328

60ichinoseki27

一関藩主田村家墓所

祥雲寺の裏手に山の上に一関藩主、田村家代々の墓所がある。

元和元年(1681年)、田村建顕(たちあき)は岩沼から一関に所替えを命じられ、
翌2年(1682年)一関に入部、西磐井11村、流れ15村、東山12村、
栗原郡2村の総石高3万石を所領し、城下町を建設した。

田村氏は、釣山下(現裁判所辺)に居館を置き、領内を統治。
以来、一関藩は明治維新まで約190年間続いた。




60ichinoseki28s

願成寺山門

祥雲寺の北側にある願成寺山門である。

曹洞宗白馬山願成寺は至徳2年(1385年)の創建。
開基は新山城主従四位少将兼上野守竹内興田盛輔卿と伝えられている。

重厚な山門を潜ると、正面に本堂がある。
境内には伊達騒動で知られる伊達兵部宗勝とその一族の墓がある。

その他、一関藩校教成館初代学頭の関養軒や、一関の豪商である菅原、磐根、熊文家等の墓がある。

さらに、力士秀ノ山雷五郎、一力長五郎、男山三五郎の
三力士墓碑墓石がある。

秀ノ山は、文化5年(1808年)本吉郡最知村生まれの力士で、
弘化2年(1845年)第9代横綱だ。
一力は、幕末の茨城出身の力士で前頭筆頭、
男山は栗原郡荻野村出身の力士で、函館で巡業中に死亡したとのことだ。




60ichinoseki32

宮坂町町並み

願成寺から、旧街道に復帰する。
宮坂町の町並みで、JR一ノ関駅が大分近くになってきた。

正面の山は、一関の北側にある経塚山(519m)、音羽山(539m)、
東稲山(596m)等の山並である。

この先の信号は新大町交差点である。
その手前の道を左折して、八幡神社から一関城址に向かう。





詳細リンク:旧奥州街道328「一関城下・台町~宮坂町」/街道写真紀行
(岩手県一関市台町、釣山、宮坂町) 1012/1106

2011/06/27

一関城下・台町祥雲寺/旧奥州街道327

60ichinoseki21

祥雲寺本堂

参道の長い階段を上りきると、正面に臨済宗妙心寺派大慈山祥雲寺の
本堂がある。
祥雲寺は一関藩3万石の藩主、田村家の菩提寺である。

田村宗良が宮城県岩沼の北長谷に建立した長谷山大慈寺が前身で、
その子の田村建顕が天和2年(1682年)、岩沼から一関に移封されたときに、
この寺も一緒に移した。

その時、建顕の祖母房姫(祥雲院、仙台藩2代伊達忠宗側室)を開基として、
建顕の祖父である伊達忠宗の法名大慈院から大慈山祥雲寺と改めた。




60ichinoseki24s  豊谷寺墓石搭

豊谷寺は江戸初期の一関領主の菩提所で今は廃寺となっている。
仙台藩主第4代綱村の後見役となり、一関地方3万石を領有した
伊達兵部の菩提所であった。

ところが、伊達騒動で兵部は土佐に配流されてから、寺は衰退してしまった。
後になって、豊谷寺跡にあった兵部一族や家臣の墓石が集められたものだ。


60ichinoseki25s  保性院殿廟

岩手県指定史跡の保性院殿廟だ。
中に伊達兵部の母、保性院の木造が安置されている。
本廟は寛文9年(1669年)伊達兵部により造営されたものである。

また一切経蔵は、文政11年(1828年)に建立されたものだ。
内陣中央に八角形の転輪経蔵が据えられており、引出箱には
一切経6171巻が収められている。
こちらは一関市文化財に指定されている。





詳細リンク:旧奥州街道327「一関城下・台町祥雲寺」/街道写真紀行
(岩手県一関市台町) 1012/1106

2011/06/26

一関城下・南町~台町/旧奥州街道326

60ichinoseki11s  一関城下入口

瑞川寺の前の旧街道を北上すると、目の前に一関市立南小学校が
見えてきた。
旧街道はその手前で枡形となり右、そして左に曲がっている。

この辺が、かつての一関城下の入口で、足軽屋敷町があり、
町切門があったところだ。

この先、旧奥州街道は旧国道4号線(現国道342号線)と重なり、北上する。




60ichinoseki14s  祥雲寺参道入口

吸川にかかる御手廻(おてまわり)橋を渡ると南町から台町とかわる。

写真は、街道左手にある一関藩主田村家の菩提寺、祥雲寺の
参道入口である。

この階段を上がったところが、かつての奥州街道であった。




60ichinoseki16s  奥の細道道標

参道の急な階段を上っていくと、山門の横に
「日本の道百選 奥の細道 台町」と書かれた道標がある。

かつては旧奥州街道で、この右手に迫(はさま)街道との追分があった。
迫街道は岩ヶ崎道とも松山道とも呼ばれ、奥州街道に次ぐ主要街道であった。

迫街道は、ここ台町と岩ヶ崎(栗駒町)、真坂(一迫)を経て岩出山で、
中山越出羽街道に合流する街道である。





詳細リンク:旧奥州街道326「一関城下・南町~台町」/街道写真紀行
(岩手県一関市南町、台町) 1012/1106



2011/06/25

演劇「六月大歌舞伎」

平成23年6月
新橋演舞場

演 目 役 者 観 劇 記

真山青果作
真山美保演出

頼朝の死
(よりとものし)

    二幕

源頼家
      染五郎

小周防
      幸太郎

尼御台所政子
      時 蔵

畠山重保
      愛之助

大江広元
      歌 昇

             

  源頼朝の三回己法要の日。嫡男の頼家は、落馬が原因と言われている父の死に疑問を抱き、煩悩の日々を送っていた。そして畠山重保が真相を知っているのではないかと問いただすが、その死に深く関わっていた重保は黙して語ろうとしないで、口を割ろうとした小周防を切ってしまう・・
  何度見ても、良くできた芝居である。登場人物の葛藤を巧みに描いた名作である。


梶原平三誉石切
(かじわらへいぞうほまれのいしきり)

鶴ヶ岡八幡社頭の場
     
    一幕

梶原景時
      吉右衛門

大庭景親
      段四郎


      芝 雀

六郎太夫
      歌 六

保野景久
      歌 昇
  鎌倉鶴ヶ岡八幡宮に参拝に来た平家方の武将大庭景親と弟の保野景久のもとへ、青貝師の六郎太夫と娘の梢が重宝の刀を売りにやってくる。
  大庭に刀の目利きを頼まれた梶原景時は、これは稀に見る名刀であると鑑定するが、これに納得できない保野の意見で、二人の人間を重ねて切る「二つ胴」で切れ味を試すことになる。
  智勇を兼ね備えた武将、梶原景時を演じる吉右衛門が颯爽としていた。

  

河竹黙阿弥作
連獅子
(れんじし)

  長唄囃子連中

右近
親獅子の精
      仁左衛門

左近
仔獅子の精
      千之助

浄土宗専念
      愛之助

法華僧日門
      錦之助
  清涼殿の麓にある石橋で、狂言師の右近と左近が、石橋の謂れや文殊菩薩の霊獣である獅子が仔獅子を千尋の谷に突き落とす様子を語り踊ってみせる。
  そして、狂言師が、親獅子と仔獅子の精となって現れ、獅子の豪放華麗な踊りを舞い始める。
  愛之助と錦之助の掛け合いが面白かった。また仁左衛門と、特に孫の千之助の演技が見事で可愛らしかった。


   




詳細リンク:「演劇」/悠々人の日本写真紀行

2011/06/24

一関・真柴中田~千刈田/旧奥州街道325

60ichinoseki07s  旧街道

新山川の橋を渡り、国道342号(旧国道4号線)から離れ、
JR東北本線の下を潜ると、線路に並行して旧奥州街道が
部分的に残されている(左側の道)。  




60ichinoseki06s  瑞川寺

その旧奥州街道を進み、真柴千苅田(せんがりた)地区に入ると、
左側に瑞川寺(ずいせんじ)がある。
ここから一関城に向かっては、寺が集められて寺町となっているところだ。

曹洞宗曹源山瑞川寺は、天和2年(1682年)、
田村藩重臣鈴木和泉守重信により、田村藩士代々の菩提を弔う為に
開基された寺だ。

巨大な常夜灯が、街道を見下ろすように建てられてあった。




60ichinoseki10s  衣関順庵顕彰碑

境内ある衣関順庵(きぬどめじゅんあん)先生顕彰碑。

藩医で蘭方医であった武部清庵(せいあん)の門人の一人で、
高弟だった父・衣関甫軒の著した「眼目明弁(がんもくめいべん)を刊行、
自らも文化14年(1817年)に「諸国妙薬集」を残している。

また境内には、新しい左知子の句碑があった。
「残菊に 日当たるを見て 家に入る」と読めた。

左知子は本名横山幸子で、大正14年生、一関高等女学校を卒業。
昭和54年に句集「女の絵」を出版。
説明碑によると、「人」岩手支部結成、一関俳句教室を開催し
指導に当たったようだ。





詳細リンク:旧奥州街道325「一関・真柴中田~千刈田」/街道写真紀行
(岩手県一関市真柴字中田、千刈田) 1012/1106

2011/06/23

一関・真柴祈祷~新山川/旧奥州街道324

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旧鬼死骸村

県道(旧国道4号線)を進むと、左側に「鬼死骸」と書かれたバス停がある。

坂上田村麻呂が、ここで鬼退治をして、その死骸を埋めたところと言う。
かつての磐井郡鬼死骸村のあったところだ。

そういえば、この辺の字名は要害とか祈祷とか、
古代の歴史を感じる字名が多いようだ。




60ichinoseki03s 東北新幹線

やがて、前方に東北新幹線の高架が見えてきた。

写真左手にはJR東北本線が走っており、旧国道と東北新幹線と、
さらにその右にある新山川が並んでいるところである。




60ichinoseki04s  豊吉の墓

街道左側に豊吉の墓がある。
元は170m北の旧一関藩の橋田原刑場跡にあったものだ。

天明5年(1785年)、菊池中也ら一関の医師16名が、
処刑された盗賊豊吉の死体を藩から譲り受け解剖し、
その霊を慰める為に建立したものだ。
一関市指定文化財となっている。  

街道は、この先で新山川に架かる橋を渡る。
一関城下が近くなってきた。

新山川は、岩手宮城県境を源流として、吸川に合流して、
北上川に流入している川である。





詳細リンク:旧奥州街道324「一関・真柴祈祷~新山川」/街道写真紀行
(岩手県一関市真柴字祈祷、牧田、的場、中田) 1012/1106

2011/06/21

一関・岩手県境~真柴祈祷/旧奥州街道323

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一関・真柴

宮城県と岩手県の境界を過ぎ、一関市真柴地区に入り、
街道右側を見た写真である。

旧街道は快適な尾根歩きとなっている。




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真柴・祈祷集落

やがて、街道は下り坂となる。
この辺は車の轍があり、作業車が入ってくるようだ

前方の視界が開け、一関真柴祈祷の集落が見えてきた。
左側は、㈱ミチノク一関営業所で、住所は一関市真芝字祈祷となっている。




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真柴・上要害

林道と合流し道なりに進むと、県道260号線(旧国道4号線)との
丁字路となる。

左手には㈱一関糧運真柴物流センターのあるところだ。

県道260号線の丁字路に出ると、正面の丘陵地は
上要害地区(写真)だ。
その手前を東北本線が走っている。
この左手には有壁トンネルのあるところである。

旧奥州街道はここで右にカーブし、現東北本線と重なるように
山沿いを通っていたが、今はその道は失われている。





詳細リンク:旧奥州街道323「一関・真柴祈祷沢~祈祷」/街道写真紀行
(岩手県一関市真柴祈祷沢、祈祷) 1012/1106

2011/06/20

岩手県境/旧奥州街道322

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岩手県境

金成有壁の肘曲り坂、大沢田坂を越えてきた。
この辺が、宮城県と岩手県の境界付近である。




59arikabe37s  県境標識

旧街道右側に、奥州街道と書かれた標識の左側に
「県行林」と書かれた標石があった。

この辺一帯は岩手県の県行造林(けんこうぞうりん)帯のようだ。
県行造林とは、県が土地所有者と分収契約を結び造林を行い、
その収益を土地所有者と分収することだ。

また、「岩手県行造林真芝事業区」、「水源涵養保安林」と
書かれた掲示板等が建っていた。

長かった宮城県を抜け、ここからは岩手県(陸奥陸中)の
旧奥州街道歩きとなる。




59arikabe38

一関真柴、旧街道

岩手県側の旧街道である。
木立が低くなり、街道が明るくなってきた。

岩手県一関市真柴地区である。
次は、旧奥州街道81番目の宿場で、
田村氏の城下町であった一関宿となる。





詳細リンク:旧奥州街道322「栗原・金成有壁~岩手県境」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成有壁下大沢田、岩手県一関市真柴祈祷沢) 1012/1106

2011/06/19

映画「木漏れ日の家で」

平成23年6月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
木漏れ日の家で

 2007年 
   ポーランド
 
 監督
 ドロタ・
 ケンジェジャフスカ
  ダヌタ・
     シャフラルスカ
     

  ケンシュトフ・
     グロビシュ

              
  パトルィツィヤ・
     シェフチク

  カミル・
     ビタウ

  ワルシャワ郊外の緑に囲まれた古い屋敷に住む91歳になる老女。ここで生まれ、成長し、夫と暮らし、一人息子を育ててきた思い出の一杯詰まった家であった。
  夫はとうに他界し、息子は結婚し家を出て行き、今は愛犬と静かに暮らしている。息子は孫娘を連れて、年に何回かは顔を見せに来るくらいだ。1日中殆ど家にいる老女の一つの楽しみは、時折双眼鏡で両隣の家を覗くことであった。
  そんなある日、息子が隣家と家を売る相談をしているのを目撃してしまう。やがて、彼女が下す人生最後の決断は・・・
  実際に91歳の女優ダヌク・シャフラルスカが演じる老女はすばらしく、また魅力的あった。鮮烈なまでに美しいモノクロームの映像とマッチし感動的な作品となっている。


詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2011/06/18

栗原・有壁上大沢田~下大沢田/旧奥州街道321

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旧奥州街道

旧街道は、肘曲り坂を上ると林間の平坦な道となった。
この先右側に奥州街道と書かれた標識があった。

道が正しいか心細くなっていたので、この標識は嬉しかった。




59arikabe33

旧奥州街道

やがて左側が開けてきた。
気持ちよいハイキングコースのようであった。

この辺の地下を東北新幹線の第二有壁トンネルが通っているところだ。
岩手県との県境はもうすぐのところである。




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下大沢田

旧街道左側の景色である。
広大な原野が広がっている感じであった。





詳細リンク:旧奥州街道321「栗原・有壁上大沢田~下大沢田」/街道写真紀行321
(宮城県栗原市金成有壁上大沢田、下大沢田) 1012/1106

2011/06/16

栗原・有壁伊勢堂~大沢田/旧奥州街道320

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伊勢堂林道分岐

有壁伊勢堂林道との分岐である。
道の右側に、「左 奥州街道」と書かれた未だ新しい標識があった。

右は有壁沢方面である。
正面右手には溜池があった。




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旧奥州街道入口

分岐より伊勢堂林道に入る。
幅員4m、延長1.488kmと書かれた標識があった。

伊勢堂林道を進むと、左側に旧奥州街道の分岐口がある。
道路標識と、旧奥州街道の案内板が建っていた。

ここから頂上にかけての坂道を肘曲がり坂という。
安永年間(1772~1781年)の「有壁村風土記御用書上」に
「肘曲り坂 長三拾間(約54m)」と載っており、江戸時代からの名称であった。




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旧奥州街道、肘曲り坂

林道から旧奥州街道に入る。
深い枯れ草に蔽われ、旧街道というよりは、すっかり山道であった。

この辺を「肘曲り坂」と呼んだようだ。





詳細リンク:旧奥州街道320「栗原・有壁伊勢堂~大沢田」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成有壁伊勢堂、大沢田) 1012/1106

2011/06/15

栗原・有壁本町~館下/旧奥州街道319

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有壁宿本陣

有壁宿本陣の御成門入口に「明治天皇有壁御小休所」と
刻まれた石柱が建っている。
明治9年と明治14年の奥羽巡幸の際に、ここで休憩されたとのこと。

石柱の右側の建物が、街道に面した2階建本陣長屋である。




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有壁宿本町

本町の町並みで、この辺が有壁宿の中心であったのであろう。
ゆったりした間口の広い家と立派な瓦葺家が続いている。

有壁宿を抜けると、再び丘陵越えとなる。

前方の丘陵の中間分で、長かった宮城県から岩手県に変わる。
陸奥陸前から陸中に変わるところだ




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有壁観世音菩薩、観音寺

有壁宿の出口にある観世音菩薩と額柄に書かれた鳥居と、
その右側は曹洞宗円通山観音寺だ。

観音寺の前身は、大同2年(807年)、坂上田村麻呂が三上大明神、
本地観音を建立し、別当有壁山円通寺として開基。
一時は坊舎24坊を数えたが、のち衰退した。

弘治3年(1557年)、この辺一体を支配した有壁城主菅原帯刀長尚が
曹洞宗円通山観音寺として再興したとのことだ。





詳細リンク:旧奥州街道319「金成・有壁本町~館下」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成有壁本町、館下、伊勢堂) 1012/1106

2011/06/13

栗原・有壁宿新町~本町/旧奥州街道318

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有壁宿絵図

JR有壁駅より旧街道に復帰する。
JR東北本線の踏切を越えたところに、有壁宿の絵図が掲示されていた。

左上から右下に伸びる道が、旧奥州街道の有壁宿である。
絵図中央左下がJR有壁駅で、その上が駅前通りである。




59arikabe17

萩野酒造

街道左側にある萩野酒造店。
赤いレンガ積みの煙突が特徴の酒蔵だ。
主要銘柄は古くからの「萩の鶴」と、新しい「日輪田」とのこと。

創業は天保年間(1830~1844年)という。
有壁本陣の佐藤家は萩野酒造の本家とのことだ。 




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有壁宿本陣

有壁宿のほぼ中央を横切っている有馬川を渡ると川沿い北側に
有壁宿の本陣跡がある。
延喜元年(1744年)に改築されたもので、国史跡に指定されている。

仙台藩以北の緒大名の参勤交代、幕府の巡検使等の休息や
宿泊に利用された。
明治になってからは、ロシアのコンシュル(領事)や、明治天皇の
東北巡幸時にも利用された。

御成門、平屋建ての本屋、2階建ての長屋、土蔵6棟、
馬屋1棟からなっている。
代々本陣を務めた佐藤家には、宿場検断文書や、本陣宿泊文書、
佐藤家内度文書等の他、関札74枚が保存されているという。


なお、有馬川は、岩手県との県境付近を源流として、北上川支流の
金流川に流入している河川だ





詳細リンク:旧奥州街道318「栗原・有壁宿新町~本町」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成有壁新町、本町) 1012/1106

2011/06/12

映画「アジャストメント」

平成23年6月
109シネマズ川崎

タイトル キャスト コメント
アジャストメント

 2011年 米
 
 監督
  ジョージ・
     ノルフィ
  マット・
      デイモン
     

  エミリー・
      ブラント

              
  アンソニー・
      マッキー

  ジョン・
      スラッテリー

        
    
  バレリーナと恋に落ちた政治家は、突如現れたアジャストメント・ビューロー(運命調整局)の男達に拉致されてしまう。彼らの目的は、将来愛し合う予定では無かった二人の運命を操作することであった・・・
  独創的な設定と展開で楽しめる作品にはなっていた。
  


詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2011/06/11

栗原・金成有壁~JR有壁駅/旧奥州街道317

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旧奥州街道

前方にJR東北本線の踏切が見えてきた。

この手前の道を右に曲がると熊口五輪塔(有壁五輪沢経塚)のあるところだ。
「歴史とロマンの町、金成町教育委員会」と書かれた案内標識が、
道角に設けられてあった。

熊口五輪塔は有壁熊口にある藤原秀衡 の家臣、照井太郎高直一族の
供養塔だ。

高直は、文治5年(1189年)、平泉平定の頼朝を迎えた時に討ち死している。
その妻子が落人としてここまで来て、夫の菩提を弔うために積石塚を作り、
その上に五輪塔を建てたのが始まりとのことだ。




59arikabe10s  東北本線踏切

街道を横断するように東北本線の踏切がある。
仙台を出て、久しぶりにJR東北本線との再会である。

旧奥州街道は、仙台からはここ有壁までは東北本線から離れており、
バス便しかなかった。(途中、東北新幹線と陸羽東線の古川駅があるのみ)

JR石越駅と一関駅間は、宮城(石越駅)、岩手(油島、花泉、清水原駅)、
宮城(有壁駅)、そして岩手(一関駅)と3回県境を越える全国でも珍しい
区間となっている。



59arikabe13s  JR有壁駅

有壁駅に行って見た。
平成2年に元の大きな木造の駅舎は取り壊され、今はコンパクトな
駅舎(無人駅)となっていた。

有壁駅は大正13年開業、東京より437.8kmである。
駅には、「時代散歩 第81番宿場 旧奥州街道 有壁宿」と書かれた
幟が2本たっていた。

この辺の標高は76mであった。

駅前通の左側の左側に、旅館(佐藤旅館)がある。
その右隣は「河北新報」と書かれた看板を掲げた新聞取扱店である。
この河北新報は、本社仙台にある東北地方のブロック紙で、
発行部数は48万部である。

「河北」の意味は、明治維新の際、薩長から「白河以北一山百文」と
蔑視されたことにより、東北の意地を見せるべく敢えてネーミングしたとのことだ。





詳細リンク:旧奥州街道317「栗原・金成有壁~JR有壁駅」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成有壁新町、上原前) 1012/1106

2011/06/10

栗原・金成~80有壁宿/旧奥州街道316

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旧奥州街道

東京発7:04の新幹線でくりこま高原駅まで来て、バスを乗り継いで
旧奥州街道に復帰する。

大分旧道は失われているところがあるが、街道筋の夜盗坂(よとうざか)、
十万坂を越える。

この辺の地下は、東北新幹線の第一有壁トンネルのあるところだ。

十万坂は説明板によると、源義家が衣川柵の阿部貞任を
攻略した前九年の駅の時、ここで10万張の弓矢を作り、衣川に
向かったことから、この地名となったとのことであった。

やがて、街道は下り坂となり前方が開けてくると、金成末野の集落が
見えてきた。
有壁宿に向かって、実に快適な下り坂となっている。




59arikabe08s  有壁宿幟

金成有壁に入ると、赤いトタン屋根の民家が見えてきた。
藁葺屋根の上をトタンで被った民家である。


赤いトタン屋根の民家の手前に「旧奥州街道、有壁宿」と書かれた、
未だ新しい幟がたっていた。

もうすぐで、旧奥州街道80番目の宿場・有壁宿である。
こんな幟を見ると、街道歩きの身には、ほっとすると同時に
嬉しくなる瞬間である。

59arikabe07

80有壁宿入口

古い、街道筋らしい家並みとなった。
この辺が有壁宿の入口なのであろう。

有壁宿は、元和5年(1619年)に奥州街道の宿駅の一つとして設けられた。
安永風土記によれば、家数74、町並みの長さは5町4間で、
本陣が設けられていた。

1町60間であるから、約550mの町並みであった。
この先にJR東北本線の踏切があるところである。





詳細リンク:旧奥州街道316「栗原・金成~80有壁宿」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成末野、有壁) 1012/1106

2011/06/08

栗原・金成庁舎~JRくりこま高原駅/旧奥州街道315

57sawabe18s  金成庁舎前バス停

栗原市金成総合支所内にあるバス停「栗原市金成庁舎前」である。
ここより高速道路経由の仙台行きバスが出ている。
東日本急行の高速バス「仙台ー栗原市金成庁舎前線」という。

午後は13:15、14:15、16:15、17:15、19:15のバスがあったが、
予定より早く、14:15のバスに乗ることができた。




57sawabe19

JRくりこま高原駅

金成庁舎前から高速バスに乗り、約15分で、くりこま高原駅西口に到着。

くりこま高原駅は、東京より416.2kmで、東北新幹線雄単独駅である。
平成2年に開業した新しい駅である。

当初建築中の時の駅名仮称は「栗原登米」であったが、
開業時は「くりこま高原」駅となった。
開業当時の地名は、栗原郡志波姫町であったが、平成17年の
市町村合併に伴い、栗原市の駅となっている。

東京駅までの新幹線の指定席を取ろうとしたが、満席とのことであった。

諦めて、東京行き「やまびこ」14:57発の自由席に乗る。
乗車時はガラガラであったが、途中よりほぼ満席となった。

東京に着いたのは、17:28であった




57sawabe21

くりこま高原駅前広場

新幹線の待ち時間を利用して、駅前を散歩してみる。
写真はくりこま高原駅西口のモニュメント広場である。

大きな水車には「民心豊楽」とあり、「東北新幹線開通記念の詩」碑、
「みあれ くりはら」の碑、「方位の標柱」等が設けられている。

また、法務大臣、運輸大臣、労働大臣等を務めた衆議院議員の
長谷川峻の胸像もあった。

「みあれ」は御阿礼(みあれ)のことであろうか。
御阿礼(御名)は、神または貴人の誕生、降臨すること。

「みあれ くりはら」の意味は、一寸気になり調べてみたが分らなかった。





詳細リンク:旧奥州街道315「栗原・金成庁舎~JRくりこま高原駅」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成沢辺、志波姫新熊谷) 1011/1106

2011/06/07

映画「アンノウン」

平成23年6月
新宿ピカデリー


タイトル キャスト コメント
アンノウン

 2011年 米・独
 
 監督
  ジャウム・
   コレット=セラ
  リーアム・
      ニーソン
     

  ダイアン・
      クルーガー

              
  ジャニュアリー・
      ジョーンズ

  エイダン・
      クイン

        
    
  米国の植物学者は学会出席のため、妻と共にベルリンを訪問するが、アタッシュケースを空港に忘れてきてきたことに気付き、空港へ引き返す。
  その時乗っていたタクシーが事故で川に転落、4日後に意識を取り戻し、宿泊先のホテルに向かうと、妻は彼の顔を覚えていず、その上、隣には自分の名を名乗る見ず知らずの男がいる。
  その男の持参するパスポートの写真はもちろん、妻との新婚旅行の写真まで、その男が写っている写真であった・・・
  実に面白い設定で、自分の正気を疑い始めるが、何者かに命を狙われたことにより、陰謀の存在を確信する・・・
  テンポの良い、サスペンス・アクションであった。




詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2011/06/05

栗原・金成宿~金成庁舎/旧奥州街道314

58kannari16

金成歴史資料館

金成歴史資料館、かつての金成小学校である。
明治41年に建てられたもので、和洋折衷の木造素木造り、銅板葺の建物だ。

宮城県文化財に指定されている。

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金成宿中町、町並み

旧街道に復帰する。
ここは、かつて金成宿出口の枡形であったのであろうか。
道がゆるいS字型になっている。

正面に小高い山並み(丘陵)が見えてきた。
地形図で見ると標高100mから150m程の丘陵地である。

次の宿場は、この丘陵を越えて反対側の有壁宿
である。

今回の街道歩きは、金成宿の出口付近で中断して、
今歩いてきた道を
金成沢辺にある栗原市金成総合支所まで
約2kmの道を歩いて戻った。




57sawabe23s  金成庁舎

金成総合支所(庁舎)である。

仙台行き高速バスの停留所はこの金成庁舎敷地内にある。
バスの待ち合わせの時、この庁舎の中のトイレを借用する。
市の職員の方の気持ち良い応対に感謝であった。





詳細リンク:旧奥州街道314「金成宿中町~金成庁舎」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成中町、金成沢辺) 1011/1106

2011/06/03

栗原・金成宿上町~中町/旧奥州街道313

58kannari15s  金成正教会

日本では珍しいロシア正教・金成ハリストス正教会で
昭和9年に建てられたもの。
函館ハリストス正教会の設計者である河村伊蔵の最後の作品であった。 

金成出身の酒井篤礼(とくれい)は、函館で医業を営んでいる時に、
友人の沢辺琢磨とともに、ロシアの宣教師より日本人として始めての
洗礼を受ける。

明治2年に金成に戻り、ハリスト正教の布教を開始するが
捕捉され2年間獄舎に入る。

その後、東京でニコライに師事し、再び金成に戻り、
仮会堂を建て布教活動を始める。

しかし人々の迫害を受け、明治12年に仮会堂は破壊されてしまう。
その後古い民家を買い取り教会を建設、信者の数も124名を数えるようになった。

酒井篤礼は、生涯を医業とハリスト正教の伝道に捧げ、明治14年、
46歳で盛岡で永眠している。



58kannari14s_2  けやき会館

金成郵便局の裏にある金成総合支所けやき会館で、昭和61年に開館した。
ミニコンサートのできる大ホールや、会議室、研修室などが備えられている。

ここは、かつて金成代官所があったところで、
入口に明治天皇御駐輦所跡碑が建っていた。




58kannari17_2

金成大ケヤキ

けやき会館の前にある大欅。
栗原市の天然記念物に指定されている巨木だ。





詳細リンク:旧奥州街道313「栗原・金成宿上町~中町」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成上町、中町) 1011/1106

2011/06/02

栗原・79金成宿/旧奥州街道312

58kannari07s  象頭山碑

金成中学校も前の金成石塔群がある。
南妙法蓮華経と刻まれた髭題目や雷神が祀ってあった。

さらに進むと、石の鳥居の先には象頭山と刻まれた大きな石碑があった。
築年代は読み取れなかったが、象頭山と言えば琴平山。
この地方でも四国の金比羅詣りが行なわれていたようだ。




58kannari08

79金成宿入口

夏川を渡ると、旧奥州街道79番目の金成宿となる。
金成は南から上町、中町、新町となり、本陣(菅原家)や代官所がおかれてあった。




58kannari10s  鈴木文治顕彰碑

右側の民家の軒先に立派な石碑があった。
「鈴木文治 ここに生きる」と刻まれた顕彰碑である。

碑文によると、明治18年、酒造業の長男として生まれ、地元金成小、
古川中学校、そして東京帝国大学を出て、日本労働総同盟の会長を務め、
後に衆議院議員となった人だ。

「近代日本巨人百人」の一人に選出されているという。 
 




詳細リンク:旧奥州街道312「栗原・79金成宿」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成上町) 1011/1106

映画「岳」

平成23年5月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
岳 -ガクー

 2010年 日本
 
 監督
  片山 修 
島崎三歩
    小栗 旬


椎名久美
    長澤 まさみ
              
野田正人
    佐々木 蔵之介

    梶 陽子
    市毛 良枝 


    
  長野県警山岳救助隊に配属されてきた新人・椎名久美は、遭難者を救うことができず自信を失っていた。そんな中、世界の巨峰を登り歩き、山岳救助隊ボランティアとしている三歩と出会い、指導の受ける・・・
  原作が石塚真一の人気コミック「岳、みんなの山」とのことで、見るのを躊躇していたが、なかなか良くできた映画である。映像が良く、小栗旬と長澤まさみが爽やかで、まわりを固めるベテランが映画を締めていた。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

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