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2011年5月

2011/05/31

栗原・金成沢辺~金成小迫/旧奥州街道311

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栗駒山/金成沢辺

栗原市金成総合支所の駐車場脇に「輝く沃野」と刻まれた石碑がある。

碑文によると、この辺の低湿地帯の土地改良を行った記念碑で、
昭和39年に建立されたものだ。

金成は、江戸時代には江戸深川で、三銘柄米の一つして賞されていた
「迫米(はさままい)」の産地であった。

左側が開けてきた。
広大な田圃の先には冠雪した栗駒山(1627m)が聳えていた。




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金成小迫

金成沢辺から金成小迫(おばさま)に入ると、
右側に「「和牛の里 金成」の大きな看板があった。

栗原市では、独自の認定基準をクリアした生産品「栗原ブランド」を
展開している。
和牛では、「くりこま漢方和牛」(赤味重視牛肉)、
「若柳牛」(霜降り重視牛肉)がリストアップされている。

和牛の他には、自然著、パプリカ、せんひめっこ(トマト)、イチゴ、他が
リストに載っていた。

右手の工場は、ジオマテック㈱金成第一工場である。
ジオマテック社は、横浜に本社のある最先端の薄膜加工技術を
駆使したハイテク企業で、タッチパネル用薄膜や透明電極等で
知られた会社である。




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金成荒崎交差点

国道4号線と旧道が交差する金成荒崎交差点に架かる歩道橋より
前方(北側)を撮影したものだ。

前方に見える町並みは、旧奥州街道79番目の宿場・金成宿のあったところだ。
左手に金成中学校がある。





詳細リンク:旧奥州街道311「栗原・金成沢辺~金成小迫」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成沢辺、金成小迫) 1011/1105

2011/05/29

栗原・金成沢辺宿~沢辺駅跡/旧奥州街道310

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沢辺八幡神社

沢辺宿の出口付近の右側、三迫川沿いにある沢辺八幡神社。
沢辺宿の産土神である。




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旧くりはら田園鉄道、沢辺駅跡

沢辺宿を出て左折すると、目の前に鉄道の踏切の標識が
撤去されずに残されてあった。
かつてのくりはら田園鉄道の踏切跡である。

その踏切跡より右側(東側)を見た写真である。未だ線路が残されてあった。
ここに、くりはら田園鉄道の駅があったが、平成19年に路線の廃止に伴い
廃駅となった。

くりはら田園鉄道は、東北本線石越駅と細倉マインパークを結ぶ
全長25.7kmの線であった。
前身は、大正10年に細倉鉱山の製品輸送にあたる鉄道として完成した
栗原鉄道である。
その後、栗原鉄道、栗原電鉄、宮城中央交通、栗原電鉄と変わり、
平成7年に第3セクターのくりはら田園鉄道となっていた。




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栗原市金成支所(金成庁舎)

左側に真新しい、立派な栗原市役所金成支所がある。
もとの金成町役場である。

くりはら田園鉄道は廃止になってからは、この支所より東日本急行の
東北自動車経由仙台駅行バスが、ほぼ一時間に1本のわりで出ている。

今回はここから、このバスで東北新幹線のくりこま高原駅まで
利用する予定である。
未だ時間があるので、バスの時間を確認して、次の宿場である金成宿に向かう。





詳細リンク:旧奥州街道310「栗原・金成沢辺宿~沢辺駅跡」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成沢辺町) 1011/1105

2011/05/28

栗原・金成~78沢辺宿/旧奥州街道309

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三迫川下流

国道を4号線を横断すると、三迫川に架かる旧達田橋を渡る。

写真は旧達田橋より下流を見たものだ。
川の左岸沿いが沢辺宿となっている(写真左側)。

栗駒山(1627m)の三つの峡谷を源流とする川で、迫川の3支流である
一迫川、二迫川と続き、この川が最後の三迫川である。

この「はさま」は、山と山の間の意味の峡(はざま)からとの説の他に、
奈良時代から平安時代初期の長い間、この川が大和朝廷と蝦夷勢力との
挟間、境界線であったことから名付けられたとの説もあるようだ。





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三迫川河川敷、臥牛城跡

三迫川の河川敷が、小公園となっている。
ここで、休憩させていただく。

正面の小高い丘はかつての臥牛館(沢辺城)跡で、
今は臥牛館(がぎゅうだて)公園となっている。

正治年間(1199~1201年)、葛西氏家臣の二階堂刑部常信によって
築かれたという。
天正18年(1590年)の奥州仕置により、葛西氏が改易となり、
その後は伊達氏の家臣小野寺氏3代がここに居館を構えたとのことだ。

本丸跡は、今は八幡神社となっている。




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78沢辺宿町並み

三迫川に架かる達田橋を渡り、
右折すると旧奥州街道78番目の宿場・沢辺宿となる。

三迫川左岸(東西)に細長く延びた典型的な宿場町である。





詳細リンク:旧奥州街道309「栗原・金成~78沢辺宿」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成沢辺) 1011/1105

2011/05/27

五月大歌舞伎

平成23年5月
新橋演舞場

      演 目       役 者         観 劇 記
奈川亀輔作
今井豊茂補綴

敵討
天下茶屋聚

(かたきうちてんがちゃやむら)

    五幕八場


 浮田館
 四天王寺
 東寺貸座敷
 福島天神の森
 天下茶屋聚
安達元右衛門
東間三郎右衛門
      幸四郎

早瀬玄番頭
      段四郎

早瀬伊織
      梅 玉

早瀬源次郎
      錦之助

人形屋幸右衛門
      吉右衛門

       魁 春
      歌 昇
      歌 六

      

  西国の大名浮田家の中心早瀬玄番頭は、お家横領を企む家老や東間三郎の計略を察知し、家老を切腹に追い込むが、東間に闇討ちされてしまう。
  早瀬玄番の子、伊織と源次郎兄弟は、父の敵討ちのため、行方をくらました東間を追って大坂天王寺までやってくる。
  そこで、仇の東間の策略で酒を強いられて禁酒の誓いを破った家来の安達元右衛門を勘当する。
  流浪の末、東寺近くの貸座敷で暮らすようになった兄弟のもとへ、東間方に寝返った元右衛門が按摩に化けてやって来て、伊織の足を切り逃げてしまう。
  その後、伊織兄弟は福島天神の森で貧窮の日々を過ごしているところに、元右衛門と雇い主の東間が来て、歩けない伊織をなぶり殺しにしてしまう。
  さらに弟源次郎も襲われ・・と展開していく。大作である。
  江戸時代に大坂の天下茶屋で実際に起こった敵討ちを題材にした敵討ち狂言の傑作である。
  今回は悪党ながら愛嬌のある安達元右衛門と、悪の首領である東間三郎右衛門の二役を、幸四郎が演じ分けた。この二役を一人の俳優が演じるのは、天保年間(1532~1844年)以来とのことだ。

詳細リンク:「演劇」/日本写真紀行

2011/05/24

栗原・金成姉歯~沢辺/旧奥州街道308

57sawabe02s  三界萬霊供養塔

金成姉歯の門屋敷前に建っている三界萬霊供養塔である。

文化15年(1818)の33回忌に供養のため、姉歯馬場屋敷の
菅原三郎兵衛が建立したものだ。
深く刻まれた文字のため、今でもはっきりと読むことができる。

江戸時代後期の享保、天明、天保は近世の三大飢饉といわれ、
特に天明6年(1786年)の餓死者は沢辺だけで55人であった。
同7年23人、同8年61人、同9年19人、10年10人となっている。

この数字は全慶寺の過去帳に記載されたものだけとのことだ。


なお、姉歯地区名は、ここより東2700mのところにある「姉歯の松」に
由来する。
伊勢物語記に「あがあねのはか松」とあるようだ。
都への途中、ここで姉が亡くなり埋葬して松を植えたとの伝承である。




57sawabe04s  金成女神

金成姉歯の集落を抜けると、旧街道は国道4号線と合流する。

国道4号線を北上していると、右側に「金成女神」と書かれた派手な
看板があった。パチンコ屋のようだ。

金成(かんなり)とは、何んとも嬉しくなるような地名だ。
金成は金売吉次の郷里で、どうやら奥州藤原氏の黄金伝説に
因む地名のようだ。   




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金成沢辺

国道左側に残されている旧街道。
わずか500m程であるが、街道歩きにとっては嬉しい区間だ。

もうすぐで、旧奥州街道78番目の宿場・沢辺宿である。





詳細リンク:旧奥州街道308「栗原・金成姉歯~沢辺」/街道写真紀行
(宮城県栗原市金成姉歯、金成沢辺) 1011/1105

2011/05/23

映画「ブラック・スワン」

平成23年5月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
ブラック・
    スワン

 2010年 米
 
 監督
  ダーレン・
   アロノフスキー 
ニナ・セイヤーズ
    ナタリー・
      ポートマン


トーマス・ルロイ
    ヴァンサン・
      カッセル

リリー
    ミラ・
      クニス
              

エリカ・セイヤーズ
     バーバラ・
       ハーシー


    
  ニューヨーク・シティ・バレエ団に所属するバレリーナ、ニナは踊りは完璧で優等生のような女性。芸術監督のトーマスは、花形のバレリーナを降板させ、新しい振り付けで「白鳥の湖」公演を行なうことに決定する。そして、ニナが次のプリマ・バレリーナに抜擢される。
  しかし、気品溢れる白鳥は問題ないが、狡猾で官能的な黒鳥を演じることが出来ず、競争相手のリリーや、元花形のバレリーナ・ベス、過保護な母親エリカとの葛藤、そして白鳥は踊れても黒鳥を踊れない自分自身に苦しめられる・・・
  追い込められたニナの現実と妄想に苦しめられ、追い込まれていくさまを大胆に描いている。




詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2011/05/22

栗原・築館富下~金成姉歯/旧奥州街道307

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熊川左岸、根岸花街道

熊川に架かる根岸下橋を渡り、熊川の左岸を下る。
街道脇に、「根岸花街道/根岸分館」と表示してあった。




56miyano47s  富城跡、常源寺跡

根岸花街道と表示された、道を進むと左側に、
「曹洞宗源昌山 常現寺跡」、「来光宝山 照明寺元墓苑」と
刻まれた石柱があった。

そして、細い木製の標柱には、殆ど消えかかった文字が書かれており、
先入観もあったが「富城跡」と読めた。

富佐馬佑が城主であった富城(天神城とも)跡である。
築城年代は不明であるが、遺構より規模はかなり大きかったようだ。

参道の坂を上ってみると、右側は墓地となっており、
左側には「三界万霊供養塔」や庚申塔、湯殿山等と刻まれた古石塔が
集められてあった。

蛇足であるが、三界とは、凡夫が生まれかわり、死にかわりする
この世界(欲界、色界、無色界)のことで、万霊とはありとあらゆる精霊の
ことである。




57sawabe01s  金成姉歯

やがて街道は国道4号線を横断して、国道の右側(東側)に入り、
築館から金成(かんなり)姉歯(あねは)地区に入る。

金成町は、栗原郡金成、沢辺、萩野、津久毛村が合併して
昭和30年にできた町で、平成17年の大合併で築館町他と合併して
栗原市となっている。




 
詳細リンク:旧奥州街道307「栗原・築館富下~金成姉歯」/街道写真紀行
(宮城県栗原市築館富下、金成姉歯)  1011/1105

2011/05/19

栗原・築館富荒瀬沖~熊川/旧奥州街道306

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富荒瀬沖

芋埣(いもぞね)川、そして二迫(にのはさま)川を越えると、
広大な田圃が広がっている。
かつては、低湿地帯であったところが、今は改良され穀倉地帯となっている。

旧街道左手には栗駒山(1627m)が望め、実に気持ちの良いところだ。




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熊川上流

広々とした田圃の中の道を北上すると、迫川の支流の熊川に出る。

旧街道筋の道と橋は失われているので、少し遠回りであるが、
熊川に架かる根岸下橋を渡る。

写真は根岸下橋から上流を見たものである。




56miyano40s_2  義経像

熊川に架かる根岸下橋の親柱には、見事な造りのブロンズの
牛若丸像が設置されていた。
如何にも義経所縁の旧街道筋らしい。

そういえば、栗原市金成は金売吉次の郷里で、牛若丸(義経)を
藤原秀衡に預けたところだ。





詳細リンク:旧奥州街道306「栗原・築館富荒瀬沖~熊川」/街道写真紀行
(宮城県栗原市築館富荒瀬沖、根岸) 1011/1105

2011/05/18

栗原・築館富~二迫川/旧奥州街道305

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築館富入合

築館城生野から築館の旧富野村に入る。
自然堤防の上となり、起伏の多い道となっている。

この辺の字名は富入合となっているので、かつての富野村の
入合地であったのであろう。




56miyano31s  芋埣川人道橋

芋埣(いもぞね)川に架かる人道橋を渡る。
この「そね」は、低く長く続いた峰の意味であろうか、
それとも石混じりの痩せ地のことであろうか。

芋埣は字名ともなっているので、どうも後者のようだ。




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二迫川上流側

芋埣川を渡り200mほど歩くと、次は二迫川に架かる人道橋を渡る。
この辺の住所は築館富境となっている。かつての村境であったようだ。

写真は二迫川の上流側である。自然のままの川と言う感じだ。 

二迫川は、この少し下流で、一迫川と三迫川が合流して迫川となり、
旧北上川に合流している。





詳細リンク:旧奥州街道305「栗原・築館富入合~二迫川」/街道写真紀行
宮城県栗原市築館富入合、富境) 1011/1105

  
  

2011/05/16

栗原・築館城生野・伊治城跡/旧奥州街道304

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伊治城跡

照明寺を出ると、築館城生野(じょうの)の集落となる。

道路を挟んで左側の字名が要害で、右側は大堀となっている。
道が右にカーブしているところの右側が、伊治(これはる)城跡だ。
広大な伊治城の外郭の北辺に当たるところである。

この辺の字名は「大堀」であるが、伊治城の大溝からきているのであろうか。

また、伊治(これはる)が転訛して栗原(くりはら)郡となり、
現在の栗原市となっている。




56miyano27s  伊治城外郭北辺土塁跡

「伊治城外郭北辺土塁跡及び大溝跡」と書かれた標柱が建っていた。

伊治城の外郭は土塁と大溝(おおみぞ)によって区画されていた。

現在でも、この場所より東側に約150mにわたって当時の面影を
留めているところだ。

背後の建物は「築館町出土文化財管理センター」で、出土した遺物の他、
松森明心氏によって採集された考古資料「松森コレクション」が収蔵、
展示されている。

コレクションの大部分が大正初期に伊治城跡から出土したものである。




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城生野北田沖

右側は真新しい富野小学校だ。字名は城生野北田沖となっている。

富野小学校のところから砂利道となっている。
左前方に栗駒山の臨む快適な道だ。

正面の土手は、芋埣川と二迫川の合流点である。





詳細リンク:旧奥州街道304「栗原・築館城生野~伊治城跡」/街道写真紀行
(宮城県栗原市築館城生野) 1011/1105

2011/05/15

横浜・ヤクルト戦/横浜スタジアム

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横浜スタジアム

5月14(土)、横浜ベイスターズ対東京ヤクルとを観戦した。
5連勝して3位になったと思ったら、2連敗しての再び最下位となった横浜。

今日は首位をキープしている、絶好調のヤクルト相手である。

試合は、横浜・高崎と、ヤクルト・石川の好投手戦となったが、
5回に、ヤクルトのホワイトセルの犠牲フライで1点を取られ、
終盤8回には、昨日に続き、またしてもバレンティンのホームランで
ダメをおされた。

横浜は好機に、あと一本が出ずの惜敗であった。

結果、ヤクルト石川が通算100勝達成(拍手)、そしてバレンティンが
ホームラン争いの断トツトップの13号と、今日も相手チームの引き立て役と
なってしまった。

横浜の高崎が8回2失点(自責点1)と好投したので、次に期待したい。
有料入場者数は17502人であった。

2011/05/13

栗原・築館城生野~照明寺/旧奥州街道303

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栗駒山

快適な街道を歩いていると、右前方に城生野(じょうの)の集落が見えてきた。
この辺の住所は、築館城生野要害となっている。

広大な伊治(これはる、いじ)城柵の西部に当たるところであった。
地勢が一迫川と二迫川に挟まれた丘陵地の上で、敵を防ぎ、
味方を守るに便利な地であったようだ。

左前方には冠雪した栗駒山(1627m)が見えるところだ。
栗駒山は、宮城県と岩手、秋田の三県に跨る山である。

この旧街道歩きも宮城県では、次の宿場である沢辺宿、金成(かんなり)宿、
そして宮城県北端の有壁宿の3宿を残すのみとなった。




56miyano22s  照明禅寺

城生野集落の入口の右側に「大仏殿参道入口」と書かれた標識があった。
民家の先に地名(字名)大仏の由来となった大仏殿があったという。
今は小さな祠があり、小公園になっている。 

街道左側に来光宝山照明禅寺がある。
住所は、栗原市築館城生野要害だ。

ここで、地元の老婦人に話し掛けられる。
旧奥州街道を歩いていると言うと、大仰に驚かれた。
照明寺の境内には、かつて学校があり、通っていたとのことであった。

照明寺境内に「伊治城跡とその出土品」と題記された説明板が
建てられてあった。

伊治城柵は神護景雲元年(767年)、陸奥経営の最北前進基地として
造営されたものだ。

蝦夷は大和朝廷の支配強化・拡大に対して反発を強め、
宝亀11年(780年)には、伊治郡大領の
伊治公砦麻呂(これはりのきみあざまろ)が反乱を起こした。

砦麻呂は、陸奥按察使(むつあぜち)紀広純(きのひろずみ)と
大楯を殺害し、伊治城を焼き払い、さらに鎮守府である多賀城も
襲撃して焼き払ったという。
乱の後、砦麻呂の行方は不明とのことだ。

伊治城はその後再建され、征夷大将軍坂上田村麻呂の
北進の際の有力な拠点になったという。




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照明寺参道

照明寺参道には、沢山の古石塔が集められてあった。

庚申塔や六地蔵の他、己巳、甲子講供養、湯殿山等々、刻まれてあった。
建立年月は、風化して読めなかったが、殆どが江戸時代のものであろう。

また、参道入口のところには馬頭観世音が集められてあった。
此方は、明治、大正、昭和初期に建てられたものであった。
如何にも街道筋らしいところである。





詳細リンク:旧奥州街道303「栗原・築館城生野~照明禅寺」/街道写真紀行
(宮城県栗原市築館城生野) 1011/1105

2011/05/11

栗原・築館下宮野~城生野/旧奥州街道302

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築館下宮野町下、分岐

国道4号線に合流して少し進むと、旧奥州街道は左に入る。
下宮野町下地区である。


56miyano15s  浦の沢遺跡

国道から分かれてすぐの丘陵地手前に「浦の沢遺跡」と書かれた標柱があった。
ここから、古墳時代から奈良・平安時代の土師器(はじき)や
須恵器(すえき)が出土したという。

土師器は弥生式土器の流れをくむ素焼きで、須恵器は陶質土器のことである。  




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城生田丘陵地

国道4号線に再度合流してすぐ、旧街道は左の細い道に入る。
左側が開けて丘陵が続き、じつに爽やかな感じのところだ。

地名は、築館下宮野町から城生野(じょうの)地区に変わる。

不思議な地名で調べてみると、この辺に古代の
城柵伊治城(いじじょう、これはるじょう)があったことによるようだ。





詳細リンク:旧奥州街道302「栗原・築館下宮野~城生田」/街道写真紀行
(宮城県栗原市築館下宮野町、城生野) 1011/1105

2011/05/10

栗原・77宮野宿/旧奥州街道301

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77宮野宿

急な階段を上ると、皇大神社の拝殿がある。
大正11年、村内の秋山八幡神社、上町秋葉神社、本木一宮神社、
留場運南神社を合祀して今の神社となったとのこと。


皇大神社の階段より、宮野宿を俯瞰した写真である。

文政年間(1818-30年)の家数は約100軒と記録にあるが、
過疎化のせいか、今も余り変わらないような感じであった。




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宮野幼稚園、代官所跡

栗原市立宮野幼稚園のあるここは、かつての宮野代官所跡であった。

幼稚園の住所が、栗原市築館字下宮野館となっている。
如何にも、もと館があったところらしい地名だ。




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宮野宿町並み

この辺が、宮野宿の中心部である。
左手の小高い山には、藤原秀衡が築城した山城・宮野城(臥牛城)があった。

その後、宮野氏が代々居城していたが、秀吉の奥州仕置きで
廃城となっている。

この先の左側に、かつての検断屋敷(現及川家)があり、
入り口には「中世大崎古文書」と書かれた白い標識がある。

標識の説明によると、従三位中納言朝臣の寄進状(紺紙金泥)や、
大崎義隆書状などの古文書が所蔵されているとのことだ。  





詳細リンク:旧奥州街道301「栗原・築館・77宮野宿」/街道写真紀行
(宮城県栗原市築館下宮野) 1011/1105

2011/05/09

映画「八日目の蝉」

平成23年5月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
八日目の蝉

 2011年 日
 
 監督
  成島 出

 
秋山恵理菜=薫
    井上 真央


誘拐犯、野々宮希和子
    永作 博美

安藤千草
    小池 栄子
              

母、秋山恵津子
     森口 瑤子

父、秋山丈博
     田中 哲司    
  妊娠するが、相手が結婚しているため出産を諦めた女は、ちょうど同じ頃に男の妻が生んだ乳児を発作的に誘拐。実の母以上に愛情をこめて育てていくが、4年で逮捕されてしまう。
  両親の元に引取られた少女は、実の親に馴染めず、わだかまりを感じながら成長し大学生となる。そして、誘拐犯と同じように、家庭を持つ男の子供を妊娠してしまう。
  と、難しい主題を丁寧に纏めており好感の持てる映画となっている。ロケ地の小豆島の風景が良く、また永作博美の好演が光っていた。


詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2011/05/06

栗原・築館留場~宮野宿入口/旧奥州街道300

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築館留場、旧街道と国道4号線合流点

一迫川の留場橋を渡り、すぐ左折し旧道に入る。
写真左側の建物は築館警察署で、その前の細い道が旧奥州街道だ。
ここで、右の国道4号線に合流する。

この先のY字路(宮野交差点)で国道4号線は右に、、

旧奥州街道は左側の県道42号線(築館栗駒公園線)に入る。

県道県道42号線に入ると、「栗駒山へ40km」の標識と、
電光掲示板には「積雪のため通行止め」と表示されていた。




56miyano04s  下宮野町交差点

県道42号線を進み、最初の信号(下宮野町)を右に曲がると、
旧奥州街道77番目の宿場、宮野宿となる。

この信号は、何の標識も無いので見落としやすいところだが、
宮野宿はここで右折である。




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宮野宿入口

宮野宿の入口付近である。
左の赤い鳥居は皇大神社である。

宮野宿は、下宮野宿とも呼ばれていた。
文政年間(1818-30年)の家数は約100軒で、宮野代官所が設けられていた。

赤い鳥居を潜ると、急な階段ができていた。皇大神社の参道だ。

上古時代、第三代安寧天皇の第一皇子がこの地に降臨し、
村里を開き宮殿を造った。
郷名を迫として、第五代孝照天皇の丙申年(838年)に皇大神社を
勧請したと伝承されている。

まさに古社である。階段を上り、参拝する。  





詳細リンク:旧奥州街道300「栗原・築館留場~宮野宿入口」/街道写真紀行
(宮城県栗原市築館留場、宮野中央、下宮野) 1011/1105

2011/05/05

栗原・築館宿~一迫川/旧奥州街道299

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築館宿町並み

築館薬師4丁目に入る。

街道右側にすずはる旅館があるところだ。
その右は金徳屋でお茶の卸、販売をやっている店である。

旧宿場を思い出させる、間口が同じ家並みの続くところである。

築館には、古くからの旅館が何軒かあり、ビジネスホテルもある。
鉄道の駅が無い町で、旅館がこれほどあるところは珍しい。


今回はバスで古川まで戻って宿泊したが、
ここ築館に泊まれば良かったと少し後悔する。




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築館合同庁舎前

築館宿を出ると、左側に宮城県の築館合同庁舎がある。

この右側(北側)に、一迫(いちはさま)川に向かう旧奥州街道が
あったようだが、今は細い路地はあるが、途中で道は消失している。




56miyano01

一迫川

路地から、国道4号線に出る。
目の前の橋が一迫川に架かる留場橋である。

写真は、留場橋より一迫川の上流側を見たのもので、
この辺が、かつての渡川地点であったようだ。

一迫川は、二迫川、三迫川と合流して名を迫川と変え、
旧北上川に流入している。





詳細リンク:旧奥州街道299「栗原・築館宿~一迫川」/街道写真紀行
(宮城県栗原市築館薬師、藤木) 1011/1105

2011/05/04

栗原・76築館宿/旧奥州街道298

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築館薬師堂(薬師瑠璃殿)

築館薬師山双林寺境内にある薬師堂である。
杉薬師とも呼ばれ、文化3年(1806年)に建立された瑠璃光殿(薬師瑠璃殿)だ。
本尊の木造薬師如来坐像は最澄の作と言われ、
国の重要文化財に指定されている。

なお、天平宝字4年(760年)創建の天台宗延暦寺の末寺、医導山興福寺が
前身で、天正19年(1591年)再興され、曹洞宗の医王山双林寺となっている。

縁日には、江戸時代から続いている瓦市(たがいち)が開かれている。




56kurihara64

76築館宿

薬師山から北にある、旧奥州街道76番目の宿場・築館宿を俯瞰した写真である。

築館は、栗原郡の中心の旧町だ。
町名の由来は、室町時代に豪族大場氏が館を築いたことによる。

文化年間(1804~1818年)の家数は200軒ほどであった。
江戸期は代官所が置かれ、本陣は築館郵便局のところにあったという。




56kurihara66s  築館宿旧家

薬師山から下り、築館市街に入る。
この辺がかつて宿場の中心であったのであろうか、
何軒かの旧家が目に付いた。

築館は宿場の他、一迫川(いちはざまがわ)流域の農産物の
集散地としても賑わったところである。





詳細リンク:旧奥州街道298「栗原・築館薬師台~76築館宿」/街道写真紀行
(宮城県栗原市築館薬師台、薬師) 1011/1105

2011/05/03

映画「ザ・ライト/エクソシストの真実」

平成23年5月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
ザ・ライト
ーエクソシストの真実ー


 2011年 米
 
 監督
  ミカエル・
   ハフストローム

 
ルーカス神父
    アンソニー・
      ホプキンス


マイケル・コヴァック
    コリン・
      オドナヒュー

アンジェリーナ
    アリシー・
      ブラガ
              

ザビエル神父
    キアラン・
      ハインズ

    
  アメリカ人神学生マイケルは、恩師の勧めでバチカンのエクソシスト養成講座を受け始める。
  やがて彼は、異端だが一流のエクソシストと称されるルーカス神父の悪魔祓いを手伝うことになる。  悪魔の存在を疑う彼であったが、そんな思いを打ち砕く出来事に次々と遭遇する・・・・
  実話をもとに、今なお行なわれている悪魔祓いと、バチカンにおける正式な職業であるエクソシストの全貌に迫る話題作である。アンソニー・ホプキンスの演技が迫真的であった。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2011/05/02

栗原・築館照越~薬師台/旧奥州街道297

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築館照越

JR古川駅7:05発の栗原中央病行のバスに乗る。
昨日、街道歩きを中断した築館・照越のバス停に着いたのが7:49であった。

旧街道歩きの再開である。
写真は築館照越の集落である。

この先で、東北自動車道の高架の下を通り、北上し国道4号線に入る。

往時の旧街道は、道路の付け替えや、田畑化、宅地化で
大分道が失われているところである。


56kurihara58

国道4号線、栗原市役所

国道4号線と、左手の建物は栗原市役所である。

旧奥州街道は、現在の国道4号線を一旦横断して、
国道右側(東側)にある築館中学校の左側より、
この写真の右から左へと横断して、左側の栗原市役所の敷地を通り、
築館宿に入っていたようだ。

しかし、今はその道は完全に失われている。


56kurihara62s  薬師堂・姥杉

栗原市役所の南側の道を西に進み、坂を上ると
薬師山と呼ばれる小高い丘(標高62m)の麓に出る。

双林寺、薬師堂のあるところで、付近一帯は薬師公園となっている。
約200本の桜が植えられ、桜の名所となっている。 

薬師堂の参道左側の石仏群の中にある、
見ざる、聞かざる、言わざるの三猿石像は、寛文12年(1672年)に
建立されたとのことである。

写真は薬師堂の姥杉で、宮城県指定の天然記念物である。
樹齢推定1200年、目通り周囲10mの巨木だ。





詳細リンク:旧奥州街道297「栗原・築館照越~薬師台」/街道写真紀行
(宮城県栗原市築館照越松長根、赤坂、高田、薬師、薬師台) 1011/1105

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