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2011年4月

2011/04/30

栗原・築館~大崎・JR古川駅/旧奥州街道296

56kurihara55s  築館・照越バス停

照越川を渡ると、ミヤコーバスの「照越」バス停がある。
ミヤコーバスは、宮城交通㈱が100%出資する持株会社で、
宮城県全域でバス事業を行なっている。


今回は、未だ時間は早いが、本数の少ないバスに乗る為、
ここで旧街道歩きを中断した。
バス停の前が酒屋(関村酒店)であるので、ビールを呑みながらバスを待った。
15:07発のバスで、古川駅に着いたのが15:56であった。

なお、照越川は、栗原市築館・若柳と登米市に跨る伊豆沼に
流入している川である。
伊豆沼は隣の内沼と共にラムサール条約に登録されている、
水鳥の生息地だ。




56kurihara56

JR古川駅

古川駅は大正2年陸羽東線の陸前古川駅として開業した。
昭和57年に東北新幹線開通の時に、古川駅と変わった。




56kurihara57s  ササニシキ顕彰碑

上の写真は駅前広場にある「ササニシキ顕彰碑」だ。
ササニシキの稲を高く掲げた少年と母親像である。 

背後に、「ササニシキ・ひとめぼれ誕生の地ふるかわ」、
「仙台牛のふるさと ふるかわ」、そして「大正デモクラシーの旗手・
吉野作造生誕の地」と書かれた説明版があった。

ササニシキは、昭和38年に古川農業試験場で「ハツニシキ」と
「ササシグレ」を掛け合わせて誕生した米とのことである。

駅前のホテルセントラルパークに宿泊。古川に連泊となった。
昨日に続いて、今日も旧街道が判り難く、
遠回りを余儀なくされた街道歩きであった。





詳細リンク:旧奥州街道296「栗原・築館~大崎・JR古川駅」/街道写真紀行
(宮城県栗原市築館照越松長根、大崎市古川台町) 1011/1104


2011/04/27

栗原・築館新八つ沢~照越/旧奥州街道295

56kurihara48s  東北自動車道築館IC入口

正面に東北自動車道の築館IC入口がある。
この右手に、旧街道の出口があるはずだと調べてみた。


56kurihara49

旧街道出口

築館IC入口の右側に、国道4号線と旧街道の交点があった。

旧奥州街道の標識は見あたらなかったが、地図より推察すると、
この道が蟹沢御野立から通じる旧道のようだ。

機会があれば、挑戦してみたいと思った。





56kurihara51

旧街道/照越八ツ沢

国道4号線の築館IC入口手前から、旧街道は左に分岐する。
ミヤーコーバスの八ツ沢停留所の下に、旧奥州街道と書かれた標識があった。

当初の計画では、ここからバスに乗り、古川駅に戻るつもりであったが、
バスの時間があるので、次のバス停まで歩くことにした。

築館ICに通じる自動車専用道路の下を潜る。
写真のこの辺は、照越(てるこし)八ツ沢地区である。

車の殆ど通らない快適な道となっている。

小さな照越川を渡ると丁字路になる。
左に行くと、3.2kmで上高森遺跡と書かれた標識があった。
あの旧石器発掘捏造事件の舞台となったところだ。




詳細リンク:旧奥州街道295「栗原・築館新八ツ沢~照越」/街道写真紀行
(宮城県栗原市築館新八ツ沢、照越八ツ沢、照越松長根) 1011/1104

2011/04/25

栗原・築館蟹沢~新八ツ沢/旧奥州街道294

56kurihara43

旧街道分岐

舗装道路を暫く直進すると、右側に「築館育苗センター出入口」と
書かれた看板の下に、「旧奥州街道」と書かれた案内標識がある。

手元の資料や、ホームページで調べた範囲では、この先で道が
失われているとのことであったので、訝しく思いながら少し入ってみる。

途中までは車の轍もある道であったが、その先は深い藪に蔽われ、
道がなかなか判別できない。

地形図とコンパスを頼りに進むば、何とか行けるのかもしれないが、
津軽三厩を目指す身であるので、ここは中断して
舗装道路まで引き返した。




56kurihara45

蟹沢東郷集落

旧道であれば、略真っ直ぐ北上の道であるが、
舗装道路は西南に向かって行く。
この先で国道4号線に合流して、そこで右折し北進することになる。

三角形の2辺を通る、倍以上遠回りの道である。

蟹沢東郷の集落の左(
南)側に大きな溜池があった。
この辺一体は湧水が多く、溜池が点在しているところである。




56kurihara47s  国道4号線

舗装された道をしばらく西進すると、国道4号線となる。
バス停「蟹沢」のあるところだ。

国道に入り北進すると、左側に「東京日本橋より410km、
一関まで31km」の標識があった。
岩手県が近くなってきた感じである。





詳細リンク:旧奥州街道294「栗原・築館蟹沢~新八ツ沢」/街道写真紀行
(宮城県栗原市築館蟹沢御野立、蟹沢東郷、新八ツ沢) 1011/1104

2011/04/24

余話について

新カテゴリーとして「余話」を設けました。
従来から書き留めておいたものを纏めたのものです。
写真紀行の息抜きに見ていただけると嬉しいです。

現在まとめてありますのは

ツール
クルマ ドライブとファースト・マイカーについて
MTB サイクリングとマウンテンバイクへの思い入れ
ランドナー サイクリング、ツーリング車、ランドナーとMTBとの比較
カメラ 35mm版カメラ、6×6版カメラ、6×7版カメラ、デジカメ
ギター クラシックギター、膝の上に抱えたアコースティックの響き
グッズ 写真紀行で使用する携帯用小物グッズ、写真付き
参考文献 歴史、地形、地図、風土記、事典等

ターゲット
道の話 みち(道、路、途)は、道を意味する「ち」に接頭語「み」がついて出来た言葉。こんな切り口から入っていきます
山 道 登山道、沢、高原、山野、そして野道も
獣 道 けものみち、響きは悪いが歩いてみたい道
街 道 全国の街道の歴史と地形と現在の姿
海 道 海道と言うと、東海道。東海道と言うと、何だろう 
切り通し 関東の切り通しは、鎌倉の七切り通しを思い出
水 道 ふなみち、海や湖で陸地によって狭まれた部分

健 康
はじめに 成書にない切り口での健康に関する話
除  痛 痛みの原理、神経ブロック、TENS、マッサージ
運動量 生活習慣病、運動量計、酸素消費
ストレス 適度なストレスは重要な生命維持作用
恐怖症 過食症、拒食症、そして帰宅恐怖症、治療方法
加速度脈波 加速度、血液循環の状態、脈波計、運動
マイナスイオン 滝口や河岸、海岸、森林での爽快感とマイナスイオン
アロマセラピー 香りの種類と効果、心の癒し、森林浴
血中酸素飽和 血中酸素飽和度、パルスオキシメーター、酸欠
体  温 水銀式体温計、電子体温計、鼓膜温計と体温
血  圧 リバロッシ法、コロトコフ音、オシロメトリック法
遷延治癒骨折 難治性骨折、偽関節、仮骨形成、圧電効果
救急医療 山での安全、救急車、応急処置、救急救命士
バイオフィードバック 自律神経訓練、イメージトレーニング、GSR

以上です。
これからも折に触れて追加していきたいと思っております。





詳細リンク:「余話」/日本写真紀行

映画「トォルー・グリット」

平成23年4月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
トォルー・
   グリット


 2010年 米
 
 監督
   ジョエル・
    コーエン
   イーサン・
    コーエン

 
ルースター・コグバーン
    ジェフ・
      ブリッジス


ラビーフ
    マット・
      デイモン

チェイニー
    ジョシュ・
      ブローリン
              

少女マティ
    ヘイリー・
     スタインフェルド

    
  父親を殺された14歳の少女マティは、真の勇気(TRUE GRIT)を持つという老保安官のコグバーンに犯人の追跡を依頼。テキサス・レンジャーのラピーフも加わり、仇のチェイニーを追う。
  ジョン・ウエィン主演の「勇気ある追跡」のリメイク映画であるが、コーエン兄弟のテイストが良く、楽しめる西部劇となっている





詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2011/04/23

栗原・築館蟹沢・御野立/旧奥州街道293

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旧街道/築館蟹沢

前方に舗装された車道が見えてきた。
ここで、車道に合流である。

栗原市瀬峰から旧築館(つきだて)町蟹沢に入る。
左側は蟹沢御野立(おのだて)地区で、優雅な地名となっている。

野立とは高貴な人が、野外で乗り物をとめて休憩することである。
見晴らしが良く、思わず休憩したくなるところだ。

築館は、大崎平野の旧町で、元栗原郡築館町である。
平成17年に合併して栗原市となっている。

舗装された道路との合流点右側に、旧奥州街道と書かれた標識があった。




56kurihara41

築館八沢

舗装された道に入ると、右側が開け、見晴らしの良いところとなった。
地図によると、この辺は築館八沢狼ノ巣(おいのす)地区のようだ。

右手奥には、八沢放牧場のあるところである。




56kurihara42s  明治天皇行幸記念碑

ここで、東北行幸の時に、明治天皇も休憩され、
野馬追いをご覧になったという。





詳細リンク:旧奥州街道293「栗原・築館蟹沢・御野立」/街道写真紀行
(宮城県栗原市築館蟹沢御野立、八沢) 1011/1104

2011/04/21

チューリップまつり/横浜公園

1104d

1104e

横浜公園

横浜公園の「チューリップまつり」が例年行なわれている。
今年も、16万本のチューリップが開花したいう。

例年より少し遅れたが、それでも季節は確実に変化を繰り返している。

(横浜市中区) 1104/1104

2011/04/20

栗原・瀬峰・力石/旧奥州街道292

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力石・山神碑

街道左側に大きな溜池があった。
この池の畔に史跡力石と山神と刻まれた石塔があるところだ。

街道右手には、「三迫百姓一揆旧蹟」の碑があった。
慶応2年(1856年)、高清水城主石母田氏が、約5000人の
百姓一揆勢を、ここで鎮撫した記念碑である。

写真は旧奥州街道力石と大きく刻まれた石碑である。
その右にあるのが力石で、右端は山神碑である。

力石には、源義家に纏わる伝承がある。
後三年の役の時、源義家の家臣鎌倉権五郎が、大石二つを
谷底に投げ込んで、味方を鼓舞したという。




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旧街道/瀬峰

力石を過ぎ、一車線の舗装された車道を横断すると、旧街道が残されている。

草深い道で、雨上がりであったので、ズボンの裾を濡らしての
街道歩きとなった。

緩い坂を上っていくと、草がますます深くなり、歩くのがしんどかった。
また、どこが旧道かわかりにくく、地形図と磁石がたよりの
手探りの街道歩きであった。

江戸時代は人の往来があったから、もっと歩きやすい道であったであろう。




56kurihara38

旧街道

緩い坂を上ると、左側が開けた。
そして、田圃が続いており、実に長閑な田園風景となった。

旧街道は、農業用の車が通るのか轍ができていた。
奥州街道76番目の宿場・築館宿を目指して、この道をひたすら北進する。





詳細リンク:旧奥州街道292「栗原・瀬峰・力石」/街道写真紀行
(宮城県栗原市瀬峰小深沢) 1011/1104

2011/04/19

栗原・瀬峰小深沢/旧奥州街道291

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旧奥州街道

車道から左に入り、坂を上ったところである。
旧奥州街道が、そのまま史跡として残されているところだ。




56kurihara30s  旧奥州街道道標

街道右側に石の道標が建てられてあった。

「旧奥州街道、左力石、右八重壁」と刻まれてあった。
力石はこの先にあり、八重壁は高清水にある字名である。

旧奥州街道は、手元の地図(地形図他)に記載が無いので、
正確にはわからないが、旧高清水町と旧瀬峰町の境界付近を
通っているようだ。 




56kurihara31

旧奥州街道

林の中に残された旧街道は、快適な散策コースとなっているが、
殆ど人が通らないようで、落ち葉に深く埋まっていた。

所々に旧奥州街道と刻まれた石柱があるのはありがたかった。
この道路は、地形図に載っていないので、磁石で確認しながらの
街道歩きであった。




詳細リンク:旧奥州街道291「栗原・瀬峰小深沢」/街道写真紀行
(宮城県栗原市高清水八重壁、瀬峰小深沢) 1011/1104

2011/04/18

栗原・高清水~瀬峰/旧奥州街道290

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八重壁川下流

坂を下ったところにある八重壁川に架かる前田橋だ。

八重壁川は築館蟹沢を源流とする川で、この先で蕪栗沼を経て
旧迫川となり、旧北上川に流入している。




56kurihara28

高清水、瀬峰町境

八重壁川からは、街道は上り坂となる。
その頂上付近が旧高清水町と旧瀬峰町の境界である。

瀬峰町は仙北平野に位置する旧町で、元の栗原郡藤里村、
昭和26年に瀬峰町となっている。

そして、平成の大合併で栗原市瀬峰となった。




56kurihara27s  旧奥州街道

瀬峰町境の手前左に、旧奥州街道がそのままの形で残されている。

写真左側の道で、草に蔽われた坂道で、
奥州街道と書かれた案内標識が無ければ見落とすぐらいであった。  





詳細リンク:旧奥州街道290「栗原・高清水~瀬峰」/街道写真紀行
(宮城県栗原市高清水八重壁、瀬峰小深沢) 1011/1104

2011/04/17

四月大歌舞伎

平成23年4月
新橋演舞場

     演 目      役 者       観 劇 記
河口松太郎作
大場正昭演出
お江戸みやげ
(おえどみやげ)

    三場
お辻
      三津五郎

おゆう
      翫 雀

阪東栄紫
      錦之助

文字辰
      扇 雀

お紺
      孝太郎

      

  梅の綻ぶ湯島天神。結城紬の行商人で、倹約好きのお辻と、おおらかなおゆうは、江戸土産に境内の宮地芝居を見物する。
  そこで、人気役者の阪東栄紫に心奪われたお辻は、役者の恋人お紺が、妾奉公に出されようとしているのを知り、酒の勢いもあり、始めて惚れた役者のため、行商で得た手持ちの金全部を、気前良く投げ出して二人を助けてしまう。
  心温まる人情物語で、おゆうとお辻の掛け合いが決まっていた。

源平布引滝
一條大蔵譚語
(いちじょうおおくらものがたり)

   檜垣
   奥殿
   

   二幕

 
一條大蔵長成
      菊五郎

吉岡鬼次郎
      團十郎

常磐御前
      時 蔵

お京
      菊之介

      

  平家全盛の世、源義朝の妻であった常磐御前を妻に迎えた一條大蔵卿は、曲舞にうつつを抜かし阿呆と噂されている。
  源氏の忠臣吉岡鬼太郎と妻のお京は、大蔵卿の本心を探ろうと館に潜り込みが、阿呆のように楊弓に興じているので、耐えかねた鬼太郎が意見すると・・・
  菊五郎(大蔵卿)の阿呆と正気の演じ分けが見事で、見応えのある時代物となっている。

恋飛脚大和往来
玩辞楼12曲の内

封印切
(ふういんぎり)

   一幕
亀屋忠兵衛
      藤十郎

丹波屋八右衛門
      三津五郎

傾城梅川
      扇 雀

槌屋治右衛門
      我 當

井筒屋おえん
      秀太郎

  飛脚問屋の忠兵衛は、大坂新町の傾城梅川と深く言い交わす仲で、身請けの手付金を払ったものの、後金ができずにいるところへ、恋敵で飛脚仲間の八右衛門が身請けすると言い出す。
  忠兵衛の悪口雑言を繰り返す八右衛門に腹をたてた忠兵衛は、死を覚悟して懐に入れていた公金の封印を切り、梅川を身請けし、大和国へと落ち延びていく・・・
  さすがに上方和事の代表作だけのことはある芝居であった。藤十郎と三津五郎のやりとりは真に迫っていた。


詳細リンク:「演劇」/日本写真紀行

2011/04/15

プロ野球開幕戦(横浜vs中日)/横浜スタジアム

1104a

横浜球場

東日本大地震の影響で予定より3週間遅れで、
4月12日にセ・パ同時開催となった。

芝生を張り替えた横浜スタジアムでの開幕試合は、対中日戦となった。


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バックスクリーン

今年の横浜は珍しく、第1戦では、5:4で昨年1位の中日にサヨナラ勝ち、
第2戦は7:8と惜しくも負けたが、第3戦は7:1の快勝であった。

開幕戦の勝利は8年ぶりで、開幕戦の勝ち越しはなんと11年振りである。
ここ3年、ダントツ最下位が指定席であった横浜ベイスターズが、
今年は順位に絡みそうなスタートとなった。

昨年の身売り話から、心機一転しての出直しである。






1104c

ヒーロー・インタビュー

第3戦のお立ち台に立ったのは、7回1失点の高崎投手と、
ホームランと2安打のハーパーであった。
共に今年の活躍が期待される選手である。

また、初日のヒーローは、4打数4安打の吉村と、
サヨナラ安打を打った内藤であった。



栗原・高清水善光寺~影の沢/旧奥州街道289

56kurihara19

高清水宿俯瞰

愛宕山公園から背後の高清水宿を振り返った写真である。




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善光寺橋/南沢川

愛宕山から旧街道に復帰し北上する。
高清水宿からの街道は下り道となっている。

南沢川に架かる善光寺橋から上流側(西側)を見た写真である。
南沢川は、前述の小山田川の支流となっている。




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旧街道/高清水

国道4号線と合流する。
右手に伊藤ハムディリー東北工場(高清水来光沢)のあるところだ。

国道に合流して少し歩くと、雨が降ってきた。
今日は、晴天と思っていたが、そうではなかった。
リュックから、雨よけのリュックカバーと折りたたみ傘を取り出す。

国道4号線に合流して、約500mで、再び旧街道は国道から分かれる。
道路左側(上写真)に、奥州街道の真新しい標識が建っているのが嬉しかった。





詳細リンク:旧奥州街道289「栗原・高清水善光寺~影の沢」/街道写真紀行
(宮城県栗原市高清水善光寺、来光沢、影の沢) 1011/1104

2011/04/11

栗原・高清水宿中町~愛宕山/旧奥州街道288

56kurihara13s   高清水宿中町旧家

街道右側の門構えの立派な旧家がある。
門には、まるさん醤油醸造元と書かれてあった。



56kurihara14s  福現寺

左側にある福現寺は仙台藩重臣の石母田家の菩提寺である。
宝暦7年(1757年)、主家の移封に従って高清水に移り、
現在に至っている。

それ以前は、亘理家の菩提寺で安楽寺と呼ばれていた。
亘理家4代の墓標が今も残されている。

また、香の前の埋葬地でもある。
香の前は秀吉の側室であったが、伊達政宗の家臣茂庭綱元が
貰い受けたとのことだ。

本名はお種であったが、香道を嗜んでいたので香の前と
呼ばれるようになった。




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愛宕山公園

高清水宿の出口付近である。
左正面は、奥州善光寺、愛宕山公園である。

善光寺は、保安年間(1120~24年)に藤原基衡が、父清衡の菩提を
弔う為に信濃の善光寺を模して建立した寺だ。
日本三善光寺の一つと書かれてあった。

愛宕山公園は、もと善光寺の庭園のあった処で、今は桜の名所となっている。




詳細リンク:旧奥州街道「栗原・高清水中町~愛宕山」/街道写真紀行
(宮城県栗原市高清水中町、新町、善光寺) 1011/1104

2011/04/10

栗原・75高清水宿/旧奥州街道287

56kurihara10s  高清水下町・神社

透川を渡ると、旧奥州街道75番目の宿場・高清水宿下町となる。

高清水宿は、南から下町、本町、中町、新町となっており、
本町に肝入屋敷や札場が、中町には本陣泪屋、新町に検断屋敷が
あったというが、その痕跡はわからなかった。

下町の入口左側に石塔と未舗装の参道がある。
石塔は享保20年(1735年)建立の「南無阿弥陀仏」と
刻まれた六字名号板碑であった。

写真は、参道奥にある赤い鳥居で、その奥に小さな祠が建てられてあった。
額束(がくつか)の長い、特異な形の鳥居であった。





56kurihara11

白馬山龍泉寺跡

祠の右側に「史蹟 白馬山龍泉寺跡」と刻まれた標石と墓標が並べてあった。
ここに寺があり、その跡に神社が建てられたようだ。

この龍泉寺の北側にある牟良佐喜(むらさき)神社は、
京都の紫野から分座したという古社である。
この神社の裏側には小山下清水があり、小公園となっている。





56kurihara12

75高清水宿町並み

左側に高清水中町のバス停がある。
この辺が、高清水宿の中心であった。

正面の火の見櫓の傍に、「史跡明治天皇御休憩所 中町」と
書かれた標識があり、江戸時代はここに本陣があった。

その先の信号は中町交差点である。
信号を右に曲がると高清水中学校があり、もと高清水城のあったところだ。

戦国大名の大崎氏の城であったが、秀吉の奥州仕置きによって
大崎氏が改易されると、木村氏が新領主となり、その後亘理氏、
石母田氏が城主となっている。





詳細リンク:旧奥州街道287「栗原・75高清水宿下町~中町」/街道写真紀行
(宮城県栗原市高清水下町、本町、中町) 1011/1104

2011/04/08

栗原・高清水中の茎~台町/旧奥州街道286

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高清水・中の茎

栗原市高清水の中の茎(なかのくき)地区に入る。
国道4号線にほぼ並行にあった旧街道は、ここで国道から別れ、
県道1号線に合流する。

県道1号線は、大崎市古川と登米市迫町佐沼を結ぶ道路だ。


この右側には洒落た看板の堀越樹苗園があるところである。




56kurihara04

中の茎溜池

台町の丁字路交差点手前に、溜池がある。

高清水の地名は、古くから高台の地に多くの清水が
湧いていたことに由来する。
かつては、高清水七清水と呼ばれる7つ清水があり、その中の枝葉清水は
名水百選にも選ばれている。

前方の道路標識には直進は迫(はさま)、右は鹿島台(県道19号線)と
書かれてあった。




56kurihara05

高清水台町

高清水の台町集落である。この辺で標高は30mであった。

高清水は、丘陵地であるが水に恵まれた地域で、
古くから発展した町であった。

この先の透川(すかしがわ)を渡ると、高清水台町から下町地区と変わる。
この透川は、小山田川に流入し、旧迫川から旧北上川に合流している
綺麗な川であった。





詳細リンク:旧奥州街道286「栗原・高清水中の茎~台町」/街道写真紀行
(宮城県栗原市高清水中の茎、台町) 1011/1104

2011/04/07

大崎・古川小野~栗原市/旧奥州街道285

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栗駒山

左前方に冠雪した山が見えてきた。
方角は335度である。
調べてみたら栗駒山(標高1627m)であった。

東方地方のほぼ中央にある山で、宮城、岩手、秋田の
3県にまたがる火山である。
西側に馬の雪形が現れることが山名の由来だ。

別名、須川岳、酢川岳、大日岳、駒ケ岳等とも呼ばれている。
平成20年の宮城内陸地震で、大規模な地滑りが起きたことが
思い出される山である。




55furukawa41

中蝦沢溜池

旧街道は再び国道4号線に合流する。
国道4号線に合流して左側に大きな灌漑用溜池があった。




56kurihara01

栗原市境

ここで大崎市から栗原市となる市境である。

栗原市は栗駒山の南東斜面迫川流域を占める市だ。

平成17年に築館、若柳、栗駒、高清水、一迫、瀬峰、鶯沢、金成、
志波姫の9町と花山村が合併してできた新しい市である。

なお、右の石造物は千葉造園設計㈱の古川営業所である。





詳細リンク:旧奥州街道285「大崎・古川小野~栗原市」/街道写真紀行
(宮城県大崎市古川小野字中蝦沢、一ノ坪、栗原市高清水) 1011/1104

2011/04/05

大崎・古川小野・中蝦沢/旧奥州街道284

55furukawa35

旧奥州街道/古川小野

羽黒山公園から国道4号線を横断して、反対側(右側、東側)に出ると、
古川小野の白山集落となる。

その白山集落を抜けると、静かな街道歩きとなる。




55furukawa37s  400.5km道路標識

大崎市古川小野の中蝦沢で、旧街道は
再び国道4号線に吸収される。

少し歩くと左側に、東京より400.5kmの標識があった。

国道4号線は日本一長い国道で、東京の日本橋から終点の
青森市長島2丁目まで、実に全長は739kmである。

ここまでで400.5kmであるから、国道4号線の54.2%を
踏破したことになる。

なお、旧奥州街道の終点は津軽三厩で、全長約810kmであるから、
今回の徒歩の旅は、未だ半分まで行っていないことになる。

まだまだ先は長いので、それこそ一歩一歩である。




55furukawa38

旧街道/古川小野

東京より400.5kmの道路標識を過ぎると、旧国道は
一部左側に残されている。

この辺は、国道4号線を挟んで右に左にと、
旧街道が残されているところである。





詳細リンク:旧奥州街道284「大崎・古川小野字白山~中蝦沢」/街道写真紀行
(宮城県大崎市古川小野字白山、馬籠、中蝦沢) 1011/1104

2011/04/04

映画「ツーリスト」

平成23年4月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
ツーリスト

 2010年 米・仏
 
 監督
   フロリアン・
   ヘンケル・ 
   フォン・
   ドナースマルク

 
エリーズ
    アンジェリーナ・
      ジョリー


フランク
    ジョニー・
      デップ

ジョン・アチソン警部
    ポール・
      ベタニー
           

ジョーンズ主任警部
    ティモシー・
      ダルトン

    
  傷心を癒す為にイタリアを訪れたアメリカ人旅行者フランクは、ベニスに向かう列車の中で上流階級の美女エリーズに声を掛けられ、共に過ごすが、それは仕掛けれた罠で、警察から追われ、マフィアからも追われる羽目になる。
  舞台であるベニスやパリの見応えのある映像の中、軽快に物語は展開している。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2011/04/02

大崎・古川小野~羽黒山公園/旧奥州街道283

55furukawa30

国道4号線合流

田尻川を渡ると、古川荒谷から古川小野地区に変わり、
旧街道は国道4号線と合流する。




55furukawa31s  羽黒山公園入口

国道に合流して、すぐ左にある丘陵地が羽黒山公園となっている。

春の桜と、秋の彼岸花の名所だ。
特に彼岸花は、南面一体に群生し、10~15万本もあるとのこと。




55furukawa32s  羽黒山記念碑

写真は「恵水不尽」碑と、左側の「忠魂碑」である。
その他、園内には旧古川市の水道記念碑もあった。  

「恵水不尽」碑によると、元禄年間(1688~1704年)、伊達藩の
新田開発政策として、小野地区の千枝の湖(大崎湖とも)を干拓し、
約百ヘクタールの水田が造成された。

従来の用水溜池と化女沼を改修し用水源として、開拓された新田に
用水路を築いた。
その功績と、長年に風雪により、用水路としての機能が低下していたので、
大改修を行なった時の記念碑である。

左側の「忠魂碑」の揮毫(きごう)は、陸軍大将鈴木荘六である。
見事な筆跡であった。
氏は元治2年(1865)生まれの軍人で、退役後は帝国陸軍の
在郷軍人会会長を務めていた。

公園内には文政11年(1829年)の湯殿山や、愛宕山と刻まれた石塔、
板碑が多数集められてあった。

ここには羽黒神社があったが、今は同じ古川小野地区にある村社
表刀(うえと)神社に合祀されている。





詳細リンク:旧奥州街道283「大崎・古川小野~羽黒山公園」/街道写真紀行
(宮城県大崎市古川小野字羽黒) 1011/1104

2011/04/01

大崎・74荒谷宿/旧奥州街道282

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72荒谷宿町並み

旧街道は国道を横断して反対側へ移ると、
旧奥州街道74番目の宿場・荒谷宿となる。

荒谷宿は戸数50弱で、旅籠も商人宿が1軒だけの小さな宿場で、
この辺が荒谷宿の中心部であった。

左側に荒谷郵便局があり、庄屋のあったところらしい。

手前の店は石堂商店(酒店)で、右側に平野会館(会館、仕出し)、
秋山内科と続くところで、今も古川荒谷地区の中心部となっている。




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斗瑩稲荷神社参道入口

荒谷宿の出口付近の斗瑩(とけい)稲荷神社参道入口である。
「剣聖千葉周作おいたちの地 斗瑩神社参道入口」と大きく書かれてあった。

地元では「とっけさま」と呼ばれている神社で、
境内に千葉周作の屋敷跡がある。
幕末の江戸の剣客として知られた周作が、幼少時代を過ごしたところだ。

斗瑩神社の社伝によれば、文治3年(1187年)、
源義経が奥州平泉へ下向の際、吉野の山に良く似たここ斗瑩山に立ち寄り、
静御前遺愛の鼓の調べに聞き入っていると、どこからともなく白狐が現れ、
鼓は自分の亡き母の皮で作ったもので、
是非返して欲しいと泪ながらに訴えた。

そして、斗瑩山の岩穴に入り込んだので、
義経は弁慶に命じて
祭壇を築かせ、鼓を捧げ一行の武運長久を祈願したという。

歌舞伎「義経千本桜」の有名なくだりである。


55furukawa29s  田尻川

荒谷宿の北端を流れている田尻川。
写真上流右手には伝説のある化女沼(けじょぬま)のあるところだ。

伝説はいくつかあるが、もっともらしいのは、
沼の畔に住む長者の美しい娘が、沼の水を鏡にして化粧をしたので
化粧沼となり、転訛して化女沼という説であろう。




詳細リンク:旧奥州街道282「大崎・74荒谷宿」/街道写真紀行
(宮城県大崎市古川荒谷新田、本町、箕ノ子) 1011/1104

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