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2011年3月

2011/03/30

大崎・古川休塚~狐塚/旧奥州街道281

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古川休塚追分

休塚の追分である。
真っ直ぐの道は県道15号(古川登米線)線で、旧奥州街道は左の狭い道だ。

写真中央の角に安政4年(1857年)に建てられた「聖骨傳真居士」と
刻まれた石碑がある。
裏はブロック塀が邪魔して見えなかったが「東田尻、西古川、北荒谷」と
刻まれているという。

道標を兼ねた碑のようだ。
なお、前方の高架は東北新幹線である。




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旧街道、古川休塚

追分を左にはいると、旧街道を思わせる道となる。

写真左手の路地を入ったところにある小さな社の境内に
「延慶の碑」と呼ばれる板碑がある。

延慶2年(1309年)に建てられた供養碑のようだ。
大崎市の指定有形文化財となっている。




55furukawa22s  古川狐塚天満宮

古川休塚から狐塚地区に入ると、左側に天満宮がある。

赤い鳥居は昭和53年の宮城県沖地震の時に倒壊したのが
再建されたとのことだ。
この時のマグニチュードは7.4であった。



詳細リンク:旧奥州街道281「大崎・古川休塚~狐塚」/街道写真紀行
(宮城県大崎市古川休塚、狐塚) 1011/1103

2011/03/29

大崎・江合川/旧奥州街道280

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江合川上流

江合川に架かる江合橋から上流を見た写真である。

寛文6年(1668年)、始めて橋が掛けられたのは、現在の江合橋の
少し上流側とのことであったので、丁度この辺に橋が
架けられていたのであろう。

江合川は、かつては玉造川と呼ばれていた。
荒雄岳(984m)を源流とする川で、鳴子ダムを経て大崎平野を横断し、
石巻市で旧北上川に合流している1級河川である。

鳴瀬川と共に、大崎平野を形成する主要河川となっている。




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渡り鳥

江合川の上空を多数の渡り鳥が南に向かって飛んでいった。
越冬のため、北国から飛んできたようだ。




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古川休塚集落

江合川を渡ると、旧街道は県道1号線から左に別れ、
古川休塚地区の三ッ江集落に入る。

旧街道は、この先で今度は直角に右(東)に曲がり、
県道1号線の休塚南田交差点を横断する。

休塚南田交差点を渡り直進すると、東北新幹線の高架に遮られる。
またもや、新幹線に旧道は寸断されているようだ。

新幹線の高架の手前で左折して、新幹線の傍の道を北上する。





詳細リンク:旧奥州街道280「大崎・古川江合~休塚」/街道写真紀行
(宮城県大崎市古川江合本町、休塚) 1011/1103

2011/03/27

大崎・古川北町~江合本町/旧奥州街道279

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古川北町交差点

旧街道は古川宿の十日町交差点を左折となる。
交差点を曲がって、400mほど進むと北町交差点となる。

国道108号線との交差点で、右は石巻市で、左は鳴子と標識にあった。
国道108号線は石巻別街道、羽後街道、矢島街道とも呼ばれている。

このまま、真っ直ぐ行くと盛岡方面である。




55furukawa08s 三峰神社

街道に沿って右側に小さな社があった。
額束には三峰神社と書かれてあった。

秩父の三峰神社は、鎌倉期の東国武士の篤い信仰を集めていた神社である。
何か所縁があるのであろうか。

㈱村田工務所の敷地にあり、同社の説明によると、
稲荷大明神とのことだ。同社の先祖は宮大工であった由。

写真左端のモニュメントは同社のもので、無事故、無災害を祈念した
「安全の塔」とのことである。




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江合八幡神社

街道左側に江合八幡神社の赤い鳥居があった。
この参道を通り、拝殿に向かってみる。

写真は参道奥に鎮座する江合八幡神社拝殿である。

八幡太郎義家が陸奥の阿部貞任を征討した、前九年の役の時に、
勧請したと伝えられている神社だ。

神社の境内には、湯殿山や、雷公天神、三宝大荒神、庚申塔等と
刻まれた石塔が集められてあった。





詳細リンク:旧奥州街道279「大崎・古川北町~江合本町」/街道写真紀行
(宮城県大崎市古川十日町、北町、江合本町) 1011/1103

2011/03/26

大崎・73古川宿/旧奥州街道278

55furukawa06s  大崎市役所

朝5時半に起床する。
ホテルの朝食が早朝の6:30からであったので街道歩きには助かる。
大勢の宿泊客が朝一番で食事を取っていた。

ホテルを出ると、昨夜の大雨が嘘のように見事に晴れ上がっていた。

古川宿三日町から旧街道に復帰する。
写真は、三日町から七日町に入るところにある大崎市役所である。

この写真の奥にある古川第一小学校は、
旧古川城跡に建てられた小学校である。

古川城は、中世、大崎氏の家臣の古川氏や木村氏が居城としていた。
その後は伊達氏の家臣鈴木元信がこの城を預かったが、
没後は伊達氏直轄の城になっている。

なお、市役所と古川第一小学校の間を流れている細い川が

歌枕にもなっている緒絶川だ。

古川市街を南北に流れていた江合川の流路が、
7世紀頃に東西に変わり、残された川が「玉の緒が絶えた川」として、
「緒絶川」と呼ばれるようになったとのこと。




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古川宿七日町町並み

古川宿の三日町から直角に右折し、七日町に入る。
奥州街道73番目の宿場・古川宿は、三日町、七日町、
そして十日町よりなっている。

ここ七日町が宿場の中心で、本陣や、御仮屋(御旅所)、
外人屋などもあったようだ。
写真右側の商店街は、旧宿場らしく一様に間口が狭く、
奥行のある家並みとなっている。

古川宿は、大崎平野の中心に位置し、古代には
多賀城の前線軍事拠点である玉造軍団が置かれてあった。

中世には大崎氏の拠点であった。
大崎氏は室町時代、足利尊氏によって奥州総奉行に
任じられた斯波家兼に始まる。

家兼は大崎地方6郡を領して、大崎氏を名乗り、
感応2年(1351年)に名生城を築城。
以後240年にわたり、この地を治めていた名家であった。

近世の古川宿は、旧古川城下町を整備し宿場としたものだ。
文化年間(1804~18年)の家数は約100軒であった。




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十日町交差点から古川駅方面

十日町の交差点で、旧街道は左折となる。

写真は、十日町交差点より、東側を見たもので、
この先にJRの古川駅がある。

昨夜の大雨の後が路面に残り、朝日に反射していた。





詳細リンク:旧奥州街道298「大崎・73古川宿」/街道写真紀行
(宮城県大崎市古川三日町、七日町、十日町) 1011/1103

2011/03/25

大崎・三本木~古川/旧奥州街道277

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北町・旧家

三本木宿北町の旧家。㈱新澤酒蔵店である。
明治6年創業で、約9割が純米酒の蔵元だ。
銘柄は古くからの「愛宕の松」と、2002年より発売された「伯楽星」である。




54sanbongi34s  白鳥神社

街道左側にある白鳥神社。三本木宿北町の鎮守だ。
延暦年間(782~806年)の東征の際に勧請されたという古社で、
祭神は日本武尊であるる。

日本武尊の白鳥伝説に基づく白鳥神社は、宮城県では特に多く、
手元の資料でも9社を数えている。

旧街道に復帰する。

少し進むと国道4号線に合流、大崎市三本木から古川に変わる。
旧奥州街道73番目の宿場である古川宿のあったところである。




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古川市街

初冬の日暮れは早い。
午後の5時を過ぎると、あたりは暗くなり、おまけに雨が降ってきて、
散々の道程となった。

古川のホテル(プラザホテル古川)に着いたのは午後の6時半であった。

今回は朝から雨に降られ、おまけに途中の大衡村の丘陵地では
大規模な造成工事で、旧奥州街道の道筋が無くなり、道を探す時間と、
遠回りを余儀なくされたため、予定より大幅に時間が掛かってしまった。

ホテルで風呂に入り、夕食を済ませると、疲れと酔いも手伝い
そのままの早い就寝であった。

写真は、翌朝ホテルの窓より古川の市街を撮影したものである。





詳細リンク:旧奥州街道277「大崎・三本木~古川」/街道写真紀行
(宮城県大崎市三本木北町、古川) 1011/1103

2011/03/23

大崎・三本木宿北町/旧奥州街道276

54sanbongi28s  三本木宿南町出口

三本木宿の南町の出口である。
街道はここで左折して、鳴瀬川に架かる三本木橋を渡ると、
次は三本木宿の北町となる。


正面の小高い丘は、大崎氏の家臣渋谷相模守の居城跡である。

かつての桑折城であるが、今は館山公園として整備され、
300本の桜が植えられている。
頂上からは、鳴瀬川、奥州の山々、そして北側には広大な大崎平野が
一望できる。




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三本木宿北町

三本木橋を渡ると、三本木宿の北町に入る。
この北町に本陣があった。

三本木宿は江戸時代は仙台藩に属し、宿場町、鳴瀬川舟運の
集散地として栄え、当時で214軒の家があったという。

あたりは薄暗くなり、家々には明かりが灯ってきた。




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北町旧家

街道左側に見事な門構えの旧家があった。
「暮らしのファッション衣料ささくに」と看板が架かっている。

三本木にはこのような旧家が何軒か残されていた。




詳細リンク:旧奥州街道276「大崎・三本木宿北町」/街道写真紀行
(宮城県大崎市三本木北町) 1011/1103

2011/03/22

大崎・72三本木宿南町/旧奥州街道275

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鳴瀬川下流側

鳴瀬川の土手に上がってみた。
広大な河川敷で、前方(下流側)には国道4号線の三本木大橋が見えた。

鳴瀬川は山形県との境界にある舟形山(1500m)を源流とし、
東松島市で石巻湾に流入する一級河川である。

街道に戻り少し進むと、鳴瀬川の土手の傍に古道標があり、
「節婦の墓 此より二十丁余 坂本村天性寺中にあ里」と読めた。

調べてみると、ここから左方向(西方向)の天性寺(三本木坂本字館山)に
「節婦辰女之墓」があった。

貞女の鏡と言われた鈴木辰女の霊廟が残されている。
辰女は正徳4年(1714年)、夫の無実を晴らすために、
自分の命と引き換えに免罪を願って自害し、時の藩主伊達吉村は深く感銘し
碑を建立し手厚く葬ったという。




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72三本木宿・南町

鳴瀬川沿いに進み、国道4号線の下を潜ると、
旧奥州街道72番目の宿場三本木宿南町に入る。

三本木は、中世大崎氏の家臣の居城桑折城の城下町として発展した。
大崎氏が奥州仕置きで改易されると、渋谷氏も連座して、
この桑折城は廃城となった。

江戸時代になると、奥州街道の宿場町として整備され、
さらに鳴瀬川舟運の河岸としても重要な位置を占めるようなった。

特に、この川沿いの南町は鳴瀬川舟運の拠点として発展し、
藩米を保管する御蔵場が立ち並んでいた。
本陣は鳴瀬川の北側の北町にあった。


なお、三本木の地名は、この鳴瀬河岸に三本の榎があったことからと言う。




54sanbongi26s  八坂神社

街道右側に、「清水湊不動尊入口」と刻まれた大きな道標があった。
鳴瀬河岸は清水湊と呼ばれていたのであろうか

さらに進むと、三本木宿南町の右側に八坂神社がある。
三本木どんと祭(裸詣り)は無病息災・商売繁盛を祈願して、
毎年冬に行なわれている行事である。





詳細リンク:旧奥州街道275「大崎・72三本木宿南町」/街道写真紀行
(宮城県大崎市三本木南町) 1011/1103

2011/03/21

大崎・三本木大豆坂/旧奥州街道274

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三本木・大豆坂交差点

東北自動車道の跨道橋(御殿森橋)を渡ると、
街道沿いに立派な「明治天皇鑾輿(らんよ)航渡聖跡碑」がある。

明治14年の東北巡幸を記念したもので、この時はこの先の鳴瀬川を
船で渡ったようだ。

急な坂を下り、県道56号線に合流し、さらに下ると
正面に国道4号線との交差点・大豆坂交差点が見えてきた(上写真)。

ここまでくると、旧奥州街道72番目の宿場・三本木宿はもうすぐである。

この交差点を左に少し行き、東北自動車道の下を潜って左側に
蟻ヶ袋・山畑横穴群がある。
6~7世紀に丘陵斜面に作られた横穴墓群で、20数基が確認されている。

うち3基は、赤色顔料を用いた円文や同心円文が描かれている
装飾横穴である。
昭和48年に国指定史蹟となっている。




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大豆坂地蔵尊

明和2年(1765年)、火あぶりで処刑された人を弔うため、
仙台の広瀬川から採った高さ4mの巨石を彫って造ったという。
現在は、延命子育て地蔵として地域住民の信仰を集めている。

この背後にある建物は、三本木亜炭記念館と道の駅三本木である。
仙台藩では、現在の大崎市三本木の大松沢丘陵などで亜炭を採掘していた。

大正8年の仙台鉄道開通等により、仙台へ大量供給されるようになった。
館内の中央には重さ10tの亜炭塊を展示し、関連資料等が展示されている。




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鳴瀬川堤防

大豆坂の地蔵尊の前を通ると前方に鳴瀬川の堤防が見えてきた。
鳴瀬川は、三本木宿を二分している川で、川の手前が三本木宿南町、
川を渡って反対側が北町と呼ばれていた。

街道はここで右に曲がり、土手沿いに進む。





詳細リンク:旧奥州街道274「大崎・三本木白坂~大豆坂」/街道写真紀行
(宮城県大崎市三本木大豆坂) 1011/1103

 

2011/03/20

映画「戦火の中へ」

平成23年3月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
戦火の中へ

 2010年 韓
 
 監督
   イ・ジェハン

 
学徒兵オ・ジャンボム
    チェ・スンヒョン


学徒兵ク・ガプチョ
    クォン・サンウ

パク・ムラン北朝鮮大佐
    チャ・スンウォン
           

カン・ソクテ大尉
    キム・スンウ

ファラン
    パク・ジニ 
   
    
  1950年韓国。北朝鮮の猛攻で首都ソウルも陥落。追い詰められた韓国軍は、全兵力を洛東江に集結させようとしていた。
  そんな中、軍司令部の置かれた学校を託された71人の学徒兵は劣勢の中、戦いに挑んでいく。
  朝鮮戦争で、戦って散っていった韓国軍学徒兵たちの姿をリアルに描いた快作。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2011/03/19

大崎三本木伊賀~蟻ヶ袋/旧奥州街道273

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旧街道より船形山

東北自動車道の跨道橋を渡り、反対側(左側、西側)にでる。
尾根道で、右下の切り通し部分を東北自動車道が走っている。

雨雲のなかから、西側にさっと日が射した。
明日は晴れそうだ。

旧街道の左手は、まさに原野でその先に、町営の牧場がある。
その先に泉ヶ岳(1172m)や船形山(御所山、1500m)が見えた。

舟形山は反対側の山形県では御所山と呼んでいる。
頂上には御所神社があり、水上弁才天が祀られている。

泉ヶ岳は船形山山系の中で、最後に形成された錐状火山である。




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伊賀一里塚跡

左側に伊賀一里塚跡が残されている。
駒場徳市と三本木北町(善並田)の中間の一里塚である。

この先で、再び跨道橋を渡って、東北自動車道に右側に出る。
地名は三本木伊賀から三本木蟻ヶ袋となる。

三本木蟻ヶ袋字山畑の横穴古墳は、装飾古墳の本州北限と言われている。
又、蟻ヶ袋に中世の館(城)があったというが、詳細はわからなかった。

地名の「袋」は、この辺が袋状の地形になっていることからであろうか。





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東北自動車道

東北自動車道の跨道橋より、古川方面を見た写真である。
左側に三本木パーキングエリアが見えた。

前方には広大な沖積平野が広がっている。

かつては河内(かわうち)と呼ばれる沼沢地であった。

天正19年(1591年)、伊達氏が米沢より転封となり、
岩出山に居城を移した後、大規模な新田開発が行なわれ、
広大な水田地帯となったところだ。




詳細リンク:旧奥州街道273「大崎・三本木伊賀~蟻ヶ袋」/街道写真紀行
(宮城県大崎市三本木伊賀、三本木蟻ヶ袋) 1011/1103

2011/03/16

大崎市・三本木伊賀/旧奥州街道272

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大崎市三本木伊賀

東北自動車道の高架の下を潜り、最初の道を県道16号線と別れ
左に曲がったところだ。

大衡村駒場地区から大崎市三本木伊賀地区となる。

大崎市は、平成18年に古川町と志田郡松山、三本木、鹿島台の3町、
玉造郡岩出山、鳴子の2町、遠田郡田尻町が合併して大崎市となった。

地名の由来は、戦国大名大崎氏による。

奥州探題の斯波氏は、下総国大崎荘をも領していたので
大崎氏とも称していた。
そのため、支配下の志田、遠田、賀美(加美)、玉造、栗原の5郡は
大崎地方と呼ばれるようになった。

この道の左側が東北自動車となっている。
旧街道はこの自動車道に沿うように進むことになる。




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三本木伊賀集落

三本木伊賀字高野地区の集落である。
街道右側に萱葺き屋根の家が残されていた。

さらに進むと、正面に東北自動車道を渡る跨橋が見えてきた。
街道は、ここで跨橋を渡り、東北自動車道の反対側(左側、西側)となる。




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東北自動車道

東北自動車道の跨橋より、北側(古川方面)を見た写真である。

東北自動車道は切り通しとなっており、
三本木までの旧街道は殆ど失われているようだ。






詳細リンク:旧奥州街道272「大崎・三本木伊賀」/街道写真紀行
(宮城県大崎市三本木伊賀) 1011/1103

2011/03/15

大衡村・駒場2/旧奥州街道271

53oohira35s  鉱害復旧記念碑

須岐神社の境内にある鉱害復旧工事竣工記念碑。
碑文によると、戦中戦後の燃料不足時代、宮城県の重要産業であった
亜炭採掘が駒場祺田地区で行なわれていた。

その鉱内水が水路や農地を汚染をし、稲の生育を阻害していたのを、
浄化して復旧したことを記念した石碑で、昭和53年に建立されたものだ。



53oohira36s  旧街道

須岐神社を出ると、旧奥州街道が残されているところを進む。
この先で、県道16号線に再度合流する。

県道に合流して、駒場簡易郵便局の前を左に曲がったところに
明治天皇御休所址碑がある。
駒場村和泉幾之助宅の離家にて休憩されたとのこと。

和泉氏は自家醸造の清酒1樽を献上した。
これに対し、金15円の下賜金があった由。

また、駒場簡易郵便局の駐車場に大きな石碑があったが、
風化しており碑文は読めなかった。




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駒場橋より下流側

鶴田川支流である駒場川に架かる駒場橋より、下流側を見た写真である。
旧街道は、この写真の左手から右にカーブし、正面右に進む。

この先の東北自動車道の高架を潜ったところで、
旧街道は県道16号線と別れ、
左折である。



詳細リンク:旧奥州街道271「大衡村駒場・下宮前~坂下」/街道写真紀行
(宮城県大衡村駒場字下宮前、下田畑、坂下) 1011/1103

2011/03/14

大衡村・駒場/旧奥州街道270

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大衡村駒場・戸口

旧奥州街道と合流してからは、急な坂道を下る道となった。
大衡の丘陵地から平地に出る感じで、まさに戸口と言う地名に
相応しいところである。

この坂を下ったところの標高は52mであった。
前方に見えるは、駒場字寺田の集落である。

この駒場の地名は、文治5年(1189年)、源頼朝の奥州征伐の時、
この里で駒を休め、兵糧をとったことからとのことだ。





53oohira30s  駒場・雲泉寺

県道16号線に合流して、すぐ左側に雲泉うんせん)寺がある。
正しくは、曹洞宗神生山雲泉(しんしょうざんうんせん)寺で、
天正元年(1575年)に開山、古川にある富光寺の末寺とのことだ。


ここで、突風と激しい雨が降ってきて、あわてて防雨支度をした。
写真の白い影2点は、レンズに付いてしまった雨粒である。




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駒場・須岐神社

寺田の集落を抜けると左側に須岐(すき)神社がある。
江戸時代までは赤崎明神と呼ばれていた。

延喜式神名帳に記載されている黒川郡四社の一つで、祭神は
素盞鳴尊(すさのをのみこと)である。


初め西方の宮高森上にあったものを、建久2年(1109年)、
地頭の児玉弥太郎がここに遷座した。

社殿は宝暦10年(1760年)、拝殿は大正13年に再建されたものだ。

この拝殿の中には江戸時代からの多数の絵馬が奉納され、
その中の約40枚が今も掲げられている。





詳細リンク:旧奥州街道270「大衡村・駒場」/街道写真紀行
(宮城県大衡村駒場字戸口、寺田、下宮前) 1011/1103

2011/03/12

東北地方太平洋沖大地震

被災内容が明らかになるにつれ、被害の甚大さに心痛しております。
被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。
一日も早く復旧されますようお祈りいたします。

                             管理人 Hitosh

2011/03/11

宮津・天橋立/京都

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天橋立遠景

タンゴ鉄道の踏切を渡るリフト乗場がある
上からの眺望の素晴らしいところである

天橋立、そして背後の丹後半島が目前に迫って見えるところだ

実は、古代では、ここから山道を下って天の橋立袂の渡船場に行った

海岸線は山地が海に入り込んでいて
飛び石伝いや波を被る道であったので
山越えの道を通るのが一般的であった

その為、ここの台地で天橋立を見下ろしながら休憩をしたようだ

我々も、ここで絶景を堪能した
日本三景に相応しい眺めであった





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一宮・籠神社

延喜式内社の丹後国一宮である籠(この)神社である

ここから西へ少し行くと国分寺跡がある

今でも敷地内には金堂、門、塔の礎石が残され
京都府立の丹後郷土資料館が設置されている

文字通り、古代の丹後国の中心であった処だ





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天橋立

天橋立の中が公園として整備されている

天橋立神社の他、磯清水、岩見重太郎仇討ちの場跡や
与謝野寛、晶子夫妻の歌碑等があった

なお、この天橋立は
日本の渚百選、日本の道百選、日本の名松百選、日本の白砂青松百選
ついでにもう一つ、美しい日本の歴史的風土百選にも選ばれていると言う

まさに日本の名所である





詳細リンク:旧丹後街道ぶらり徒歩の旅14「天橋立・文殊~府中・籠神社

/街道写真紀行    (京都府宮津市) 0712/0801/1103

2011/03/10

大衡村・松の平~駒場/旧奥州街道269

53oohira22s 大衡村・松の平丁字路

第二仙台北部中核工業団地を抜けると、丁字路に出る。
村道で左は国道4号線、右は鹿島台と表示されている。

やっと手元の地図に載っている道路に合流したところだ

村道に入り暫く歩くと、左側に吉井待のバス停があった。
このバス停で、現在地がはっきりしたところである。

今までの道への不安がここで完全に払拭された。




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旧奥州街道合流点/大衡村駒場字戸口

大衡村大衡から駒場(旧駒場村)に変わるところに、
旧奥州街道との合流点がある。

本来なら右から合流する旧道を歩いてくるはずであったが、
えらい遠回りをしてきたものだ。

現状の旧街道がどうなっているのかと思い、旧道に入ってみた。




53oohira25s 旧奥州街道

「散策路、奥州街道跡」の標識があるのにもかかわらず、
この先が通行止めとなっていた。

旧奥州街道が続いているようでもあったが、ロープで
入れないようになっていた




詳細リンク:旧奥州街道269「大衡村・吉井待~駒場」/街道写真紀行
(宮城県大衡村松の平、大衡字吉井、駒場字戸口) 1011/1103

2011/03/09

大衡村・中央平/旧奥州街道268

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大衡村大衡

中央平の丘陵から、
今まで歩いてきた大衡村大衡字松本地区の俯瞰写真である。

左手奥が、吉岡宿方面だ。





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大衡一里塚跡/中央平公園

新しくできた造成地内の道路を道なりに進むと、
右側に大衡村中央平公園がある。

坂を上ると平坦な見晴らしの良いところとなっている。

この辺から次の松の平にかけての広大な造成地(210.9ha)は、
第二仙台北部中核工業団地と呼ばれ、宮城県宮城土地開発公社が
手がけているものだ。

案内板によると、この辺に大衡一里塚があったという。
だが地図で確認すると、旧奥州街道沿いであるから、この位置よりは
かなり東側となるようだ(写真右前方)。

奥州街道代替路を進むと、左側に馬頭観世音が4体あった。
左より弘化4年(1847年)、天保3年(1832年)、文化6年(1809年)、
安政3年(1856年)に建てられたものだ。

いずれも、旧奥州街道沿いにあったものを移動したものである。




53oohira20

奥州街道代替整備路

旧街道代替路は、気持ち良いコースとなっている。
この先で、県道57号線(大衡落合線)に合流し、昭和万葉の森の北側に出る。

昭和万葉の森は昭和天皇在位60年を記念して整備された森林公園で、
園内には大衡村美術館や、万葉集の歌碑が48基も建てられ、
昭和天皇手植えの松もあるとのことだ。

万葉公園の南側を通り、総合運動公園の角を左折(北方向)すると、
急坂となり、その先が丁字路となる。

以前からある村道で、国道4号線の大衡村一本木交差点と、
次の目的地である戸口、駒場を結ぶ道路である。





詳細リンク:旧王奥州街道268「大衡村・中央平~松の平」/街道写真紀行
(宮城県大衡村中央平、松の平) 1011/1103

2011/03/08

大衡村・昌源寺坂~中央平/旧奥州街道267

53oohira11

昌源寺坂

昌源寺の横を抜けると、舗装路から砂利道に変わる。

この道を右に曲がったところに、案内板が建っていた。
旧奥州街道は途中で大規模な造成工事で失われており、通行できないようだ。

案内板によると、青い点線で描かれた旧街道の左側に
代替整備路が造られている。





53oohira13

旧街道

案内板の横を抜けると、かつての街道を思わせる道となっている。
殆ど人が通らないせいか、踏み跡もない道であった。

そして、この先造成地の入口は通行できないように柵ができていた。
この道も反対側からは通行止めとなっている道であった。




53oohira15s  代替整備路

道路の柵の脇を抜け造成地に入ると、北に細く伸びる道がある。
手元の地図であると、この道がかつての旧奥州街道のようであるが、
途中で失われているという。

仕方がないので、先ほどの案内図に描かれた代替整備路を進むことにする。

この道も柵ができていて、車は通行できないようになっている。
人も車も通らない新しい道(村道奥田工業団地西線)を北西に進む。

手元の地図(ゼンリン、昭文社、国土交通省地形図、他)には
未だ載っていない新しい道路の連続で、この先の通過点である
旧奥州街道戸口を目標にコンパスだけが頼りの
心許無い街道歩きとなってしまった。

詳細リンク:旧奥州街道267「大衡村・昌源寺坂~中央平」/街道写真紀行
(宮城県大衡村中央平) 1011/1103



2011/03/07

大衡村・大衡/旧奥州街道266

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大衡村・大衡

国道四号線を横断すると、広い田圃の中の一本道となる。
かつての奥州街道は、この道の右側(東側)80m位のところにあったが、
今は田圃(次写真)となっているのでこの道を進むことになる

正面の広大な丘陵地帯が、地名の由来となった大衡村の中心部である。
この辺の標高が20mで、丘陵地は70m前後の丘陵となっている。

道路の右側が大衡村大衡字石神沢、左側が大衡字大柳地区となっている。




53oohira07

田圃、大衡・石神沢

街道右側の田圃で、この田圃の前方の畦道辺りに旧奥州街道があったようだ。

大衡村の耕地の70%が水田である。
広々とした気持ちの良いところであった。




53oohira09

大衡・松本

街道は吉田川支流の善川に架かる松本橋を渡る。
この川名は、もとは「悪川」と呼ばれていたが、今は「善川」と
180度変わっている。

善川を渡り、少し歩くと丁字路となる。
その丁字路を右折し、すぐ左折すると、かつての奥州街道(上写真)となる。

旧奥州街道は、それこそ丘陵まで一本道であったが、
今は道が付け替えられクランク状となっている。

この辺の地名は大衡字松本地区で、大衡の丘陵地帯の直ぐ傍である。
この先左側に昌源寺があり、ここから丘陵地帯への坂道は
昌源寺坂と呼ばれていた。

旧奥州街道は、この先は写真前方の丘陵地帯を歩くことになる。





詳細リンク:旧奥州街道266「大衡村大衡・石神沢~松本」/街道写真紀行
(宮城県大衡村大衡字石神沢、松本) 1011/1103

2011/03/06

映画「太平洋の奇跡/フォックスと呼ばれた男」

平成23年3月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
太平洋の奇跡/フォックスと呼ばれた男

 2011年 日
 
 監督
   平山 秀幸

 
大場栄大尉
    竹野内 豊

ハーマン・ルイス大尉
    ショーン・
      マッゴーワン
           

看護師・青野千恵子
    井上 真央

    光石 研

    ベンガル

    トリート・
     ウィリアム

    ダニエル・
     ボールドウィン

    
  太平洋戦争激戦地サイパン島で、米軍よりフォックスと呼ばれていた軍人がいた。
  僅か47人になりながらも、仲間の兵士達と共に16ヶ月の間、敵に立ち向かい、又多くの民間人を守ってきた大場大尉である。
  実話に基づいた映画であるが、好感の持てる戦争映画となっている。脚本が良く練れており、戦闘場面も含め、映像の迫力も良かった。
  原作:ドン・ジョーンズ、脚本:西岡琢也、グレゴリー・マルケット、チェリン・グラック



詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2011/03/05

大衡村・大衡/旧奥州街道265

53oohira01s 大衡・溜池

吉岡宿の出口枡形を抜けるとすぐ左側に溜池がある。
そして地域名は大和町から大衡(おおひら)村に変わる。



53oohira02

旧街道・大衡村

やっと雨が止み、さっと日がさしてきた。そして正面には虹が掛かった。
今回は新幹線(福島)の中からも、完全な形をした虹を見たが、
ここ大衡村でも西方向に虹が現れた。

大衡村は宮城県では唯一の村である。

昭和32年に宮城県知事より大和町、富谷村との合併勧告を拒否している。
そして昭和35年には総理大臣による合併通知をも拒否した。

大衡村は人口5334人(平成22年)の村で、
奥羽山脈の東麓の丘陵に位置する村だ。

地名は平坦な台地が広がり、かつては大平と称していたことによる。

現在の耕地の70%は水田となっている。
仙台に近いため、大規模な工業団地、住宅団地が造成されている。



53oohira05

大衡・大柳交差点

ここで、国道四号線を横断して、田圃の中を
大衡村大衡字松本方面(北東)へ向かう。

正面の信号は国道4号線の大衡村・大柳信号である。





詳細リンク:旧奥州街道265「大和町吉岡~大衡村大衡」/街道写真紀行
(宮城県大和町吉岡、大衡村大衡) 1011/1103

2011/03/03

大和町・吉岡宿下町~出羽海道追分/旧奥州街道264

52yosioka14

吉岡宿下町町並み

街道を左に直角に曲がったところである。
吉岡宿に入って5度目の角を曲がったことになる。

写真左側の立派な店蔵は早坂酒造店である。

古い木の表札には「酒類醸造所」と書かれてあった。
地酒「松華」を造っている。




52yosioka16

出羽海道追分

吉岡宿出口である。
ここが出羽海道との追分となっていた。

旧奥州街道はここで右の道となる。
次は奥州街道72番目の宿場三本木だ。




52yosioka17s  出羽海道追分道標

交差点の反対側に出羽海道との古い追分道標があった。

説明板によると、ここから中新田、岩出山、中山を経て
新庄藩の境田に通じる道とのことだ。

岩出山は、松尾芭蕉が一関から出羽に向かう途中に泊まった宿場である。  





詳細リンク:旧奥州街道264「大和町・吉岡宿下町~出羽海道追分」/街道写真紀行
(宮城県大和町吉岡字下町)  1011/1103





2011/03/02

写真紀行用携帯小物グッズ

今回は、写真紀行の時に携帯している小物グッズの一部を紹介します。


詳細は、「
日本写真紀行」-「余話」ー「ツール」の中の「グッズ」で
写真付きでまとめてありますので、興味のある方はご覧下さい。




Goods02_2  磁石付きマップメジャー

曲がりくねった地図上の実際の道路の距離を
測定する。

キーホルダー式で裏側に磁針も
付いているので携帯に便利

SAKURAI




Goods01_2  オリエンテーリング用オイル式コンパス

スケール、度数、可動式矢印付き
登山、街道歩きの必需品

スエーデン SILVA




Goods11_2  アナログ式高度計

アネロイド式高度計、補正がしやすく見やすい、

SPALDING




Goods05_2  超小型双眼鏡

6倍の超小型双眼鏡、防滴式ポケットタイプ

双眼鏡は目的により使い分けているが、
この超小型タイプを一番利用している

ミクロン6、NIKON



今回は4点のみピックアップしてみました。
その他、25点を纏めてありますので、興味ある方は
こちら写真紀行用「グッズ」をご覧下さい。




詳細リンク:日本写真紀行

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