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2011年1月

2011/01/30

仙台・北根/旧奥州街道250

48sendai22s  仙台文学館、台原森林公園

北根地区に入ると右側に大きな森がある。
台原森林公園で、その入口の一つとなっている仙台文学館入口である。
文学館には仙台所縁の作家や作品等が紹介されている。

台原森林公園は、七北田丘陵の北側斜面にあり、七北田川の
支流が造ったV字谷と、その周辺の自然林(国有林)を利用した公園で、
昭和48年に開園している。




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北根三丁目交差点(五叉路)

北根三丁目の交差点で、上下が旧国道4号線(現県道22号線)、
その右の細い道が旧奥州街道である。

右の立派な並木道は台原公園入口から仙台市営地下鉄の黒松駅方面である。





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旧奥州街道/北根

北根の旧奥州街道である。
左側に七北田川支流の仙台川が流れており、その左側は旧国道4線である。

仙台川は、青葉区鷺ヶ森と水の森の境界を源流とする川で、
低い丘陵の谷間を流れ、この先の泉区八乙女中央で七北田川に
流入している。

街道左側の叢の中に北根の水準点があった。
4個の石に囲まれた水準点で、ここで標高は24.8mである。



詳細リンク:旧奥州街道250「仙台・北根~仙台川」/街道写真紀行
(宮城県仙台市青葉区北根) 1005/1101

2011/01/29

北仙台/旧奥州街道249

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鹿島神社

旧街道沿い左側に鹿島神社がある。

弘安2年(1279年)伊達4代政依が福島県伊達郡に勧請し、
慶長12年(1607年)政宗が仙台築城の時、当地に遷座したもの。





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JR仙山線踏切

鹿島神社の前を過ぎるとJR仙山線の踏切を渡る。
この踏切の右側にはJR北仙台駅が見えるところだ。

北仙台駅は、JR仙山線と仙台市地下鉄の駅で、開業は昭和4年である。

なお、仙山線は仙台と山形県山形市の羽前千歳駅を結ぶ
全長58kmのJR幹線で、日本初の交流電化が行なわれた路線である。

仙山線の踏切を渡ると左側に日蓮正宗日浄寺がある。
寛永20年(1643年)に第17世法主日精上人により開山された寺だ。

日浄寺の住所は青葉区堤町で、当地産物の堤焼きの檀家が
多いとのことである。

堤焼は、仙台藩4代藩主綱村のころに、北の守りを兼ねて足軽達を住まわせ、
ここで取れる良質の粘土で甕や食器などを作らせたのが始まりである。





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青笹不動尊

県道22号線に合流して、少し歩くと左側に青笹不動尊がある。

旧奥州街道の69番目の宿場・七北田(ななきた)宿のある旧七北田村までは、
七北田街道、北根街道とも呼ばれていた。

この七北田村には、仙台藩七北田刑場があり、元禄3年(1690年)から
幕末まで、一般庶民層の磔刑(はりつけ)、火刑(ひあぶり)、
斬罪(うちくび)等の刑罰が執行されたところで、処刑された人は
実に7000人にのぼるとのこと。

囚人は仙台城下引き回しの後、この街道を刑場に引かれていった。
当時、この付近に青い笹が生い茂り、その中の泉で囚人は
末期の水を呑まされたという。

その泉の畔に置かれていた石碑を祀ったのが青笹不動尊の始まりとのこと。

現在の不動明王像は、天保9年(1838年)に造られたもの。
昭和53年(1978)道路拡張のため現在地より約100m北側にあったが、
ここに移転されたようだ。


また、文政9年(1826年)の庚申塔、嘉永4年(1851年)の馬頭観世音、
安政3年(1856年)の山神もここに移されてあった。





詳細リンク:旧奥州街道249「仙台・北仙台」/街道写真紀行
(宮城県仙台市青葉区北山、堤町) 1005/1101

2011/01/28

仙台・北山丘陵/旧奥州街道248

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青葉神社

青葉神社は、仙台市中心部の北の北山丘陵上にある神社で、
明治7年に創建された。
祭神は伊達政宗、神名は武振彦命(たけふるひこのみこと)である。

北山丘陵は、北山五山と呼ばれる寺が並んでいるところだ。
その一つの伊達家の菩提寺である東昌寺の敷地の西側2/3を
割譲して、この青葉神社が造られている。

青葉神社境内に、天然記念物である三春滝桜と説明のある枝垂桜がある。
三春滝桜の枝挿しをしたものであろう。




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青葉神社前通り

青葉神社の前を右折した旧奥州街道で、この街道の左側の丘陵にある
北山五山(覚範(かくはん)寺、東昌寺、光明寺、満勝寺、資福(しふく)寺)の
門前町であった。

街道はこの先で、今度は左折となっている。




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東昌寺

北山丘陵の上にある伊達家4代目政依の菩提寺・東昌寺である。

伊達家の初代から3代までは、明確な菩提寺は無く、
4代目の伊達政依が桑折に菩提寺を開基したのが始まりとのこと。
同時に政依は先祖の寺として初代夫妻の2寺、3代目夫妻の2寺の
計5寺を開基した。
この五寺は伊達五山と呼ばれていた。

室町時代には、東昌寺は「安國寺」となり、陸奥随一の寺となり、
300人の修行僧がいたという記録が残されている。

伊達家の居城が変わるたびに寺も移動し、慶長5年(1600年)の
仙台城築城の際、城から見て丑寅の方角であるここ北山丘陵地に、
鬼門除けの寺として造られた。


東昌寺に隣接して光明時がある。
伊達五山の一つで、伊達家の初代朝宗(ともむね)の夫人を祀った寺だ。
ここに支倉六右衛門常長の墓と、常長を案内した宣教師ルイス・ソテロの
碑が建っている。





詳細リンク:旧奥州街道夷「仙台・青葉神社~光明寺」/街道写真紀行
(宮城県仙台市青葉区青葉町、北山) 1005/1101

2011/01/27

映画「アンストッパブル」

平成23年1月
109シネマズ川崎

タイトル キャスト コメント
アンストッパブル

 2010年 米
 
 監督 トニー・
     スコット

 
機関士フランク
    デンゼル・
     ワシントン

新米車掌ウィル
    クリス・パイン
     


    ロザリオ・
      ドーソン
    イサン・
      サブリー

  実際に起きた列車暴走事故を基に映画化された作品。小さなミスから制御不能になり、危険な薬物を大量に積んだまま無人で暴走し始めた貨物列車を、二人の鉄道マンが止めようと活躍する。
  初めから最後までスピーディーな展開で、それこそ手に汗握る映画となっている。織り込まれたエピソードもなかなか練れていた。




詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2011/01/26

仙台・青葉神社通り/旧奥州街道247

48sendai07s  玄光庵

旧奥州街道は国分通りから青葉神社通りに変わり、
通町に入ると左側に曹洞宗喜福山玄光庵がある。

仙台城築城以前から青葉山にあったが、慶長5年(1600年)の
築城の際に、ここに移転した。

玄光庵本堂内の寿老人像は仙台七福神の一つである。
庵の入口には大きな金剛力士像(仁王)が2体並んで建てられている。



48sendai08s  熊野神社

玄光庵に隣接した熊野神社である。
かつての宮城県荒巻村の総鎮守だ。

土御門天皇の時代(1199~1209)、勅宣により当地に奉祀され、
当時は熊野三所大神宮と呼ばれていた。

現在の社殿は享保7年(1722)の建立とのこと。




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青葉神社通り

やがて正面に青間神社が見えてきた。

青葉神社通は旧奥州街道の内、北四番丁(国道48号線交差点)を
南端として、青葉神社を北端とする道路の通称名である。

この左側に通町公園のあるところだ.
写真左端の店、「熊本ラーメン、おっぺしゃん」とある。
気になり調べてみると熊本方言で、不細工な人、ブスの意味だそうだ。

その先にある旧家は、もと検断屋敷で仙台市指定文化財となっている。


旧奥州街道は青葉神社の前で右折している。
そしてその先で左折となり、奥州街道69番目の宿場・七北田宿へと
向かっている。

この辺が、仙台宿の出口付近であった。




詳細リンク:旧奥州街道247「仙台・青葉神社通り」/街道写真紀行
(宮城県仙台市青葉区通町、青葉町)  1005/1101

2011/01/24

仙台・芭蕉の辻~木町通/旧奥州街道246

48sendai01s  仙台・芭蕉の辻碑

ホテルを朝7時に発ち、旧奥州街道の芭蕉の辻にくる。
旧奥州街道の後半である松前道(盛岡までは南部道、盛岡道とも)を
津軽の三厩目指して、街道徒歩の旅の再開である。

芭蕉の辻にある道標には「北 津軽三厩迄 四十五次百七里二十二丁」と
刻まれてあった。約423kmの道程である。

旧奥州街道(現国分町通)を北上するとすぐ左の宮城県歯科医師会館前に
「歯の塚」と刻まれた石碑がある。

歯の供養塔で、昭和26年に建てられたものだ。
今でも6月4日には歯科医師会の手により歯の塚供養が
行なわれているとのことだ




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定禅寺通

旧奥州街道(国分町通)と定禅寺通(じょうぜんじどおり)の交差点で、
撮影したものだ。

栄禅寺通りは、杜の都・仙台を代表する並木道の一つで、
同市で行なわれる都市イベントの会場となることが多い道路である。

慶長6年(1601年)、仙台城の鬼門封じのために定禅寺が開基され、
その参道として整備されたのが定禅寺通りの始まりである。

江戸時代は幅12mであったが、第二次大戦後に現在の46mに
拡幅され、遊歩道も設けられた

ケヤキ並木は天井の高い緑のアーケードのような状態で、
冬季の「SENDAI光のページェント」の際は光のトンネルとなるところで、
日本の道100選にも選ばれている。




48sendai05s  仙台駄菓子元祖・熊谷屋

木町通に入ると街道左側に元祖仙台駄菓子と書かれた熊谷屋があり、
元禄8年(1696年)創業の老舗だ。

仙台駄菓子は、その種類が豊富なことで知られている。
あめ類、ねじり類、しほがま類、ゆべし類他で50~80種類もあるという。   

一つの地域でこれだけ多彩な駄菓子を作り続けているのは
仙台だけとのことである。





詳細リンク:旧奥州街道246「仙台・芭蕉の辻~木町通」/街道写真紀行
(宮城県仙台市青葉区) 1005/1101

2011/01/22

JR松島駅~仙台駅/旧奥州街道245

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浜街道・仙石線ガード

瑞巌寺参詣のあと、松島湾に並行している国道45号線を北上する。

国道45号線は仙台市から太平洋沿岸を経て、
青森市へ至る全長510.7kmの国道で、国道6号線の陸前浜街道に対し、
こちらは浜街道と言われている。

仙台、陸奥国府多賀城、松島、三陸海岸等を経由するため、
私も車を走らせたことがあるが、東北の観光ルートともなっている。

写真の前方はJR仙石線の高架で、右側は高城川である。
上流の品井沼干拓と鳴瀬川、吉田川の洪水予防のために、
松島丘陵にトンネルを開削して造られた人工河川で、
元禄11年(1698年)に最初の潜穴排水路が完成している。




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JR松島駅

JR仙石線のガードを潜り、その先を左に向かうとJR東北本線の
松島駅に着く。

明治23年に初代松島駅が設置されたのは、ここでは無く、
山沿いの「山線」と呼ばれたところであった。

昭和31年に現在のここ「海線」に新松島駅が設置され、
昭和37年に駅名がもとの松島駅に戻されている。

なお、初代松島駅の駅舎は、松島町健康館として今でも利用されている。

今回はここで、旧奥州街道徒歩の旅のオプションとして回った多賀城、
松島を終え、JR東北本線で仙台駅に戻った。





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仙台駅

JR仙台駅は、東北地方中心都市仙台の代表駅で、
東北地方最大のターミナル駅だ。
開業は明治20年で、東京からの距離は351.8kmである。

旧奥州街道終点の三厩までの鉄道の距離は773.4kmであるので、
約45%を踏破したことになる。

今回は、仙台駅前のホテルサンルート仙台に宿泊する。
明日よりは、再び旧奥州街道の仙台・芭蕉の辻に戻り、
徒歩の旅の再開である。

次は、いよいよ旧奥州街道後半の松前道である。





詳細リンク:旧奥州街道245「JR松島駅~JR仙台駅」/街道意写真紀行
(宮城県仙台市青葉区) 1005/1101

2011/01/21

映画「ソーシャル・ネットワーク」

平成23年1月
109シネマズ川崎

タイトル キャスト コメント
ソーシャル・
 ネットワーク


 2010年 米
 
 監督 デヴィッド・      
     フィンチャー

 
マーク・ザッカーバーグ
    ジェシー・
     アイゼンバーグ

エドゥアルド・サヴェリン
    アンドリュー・
     ガーフィールド


ショーン
    ジャスティン・
    ティンバーレイク
 

    アミー・
     ハーマー
      
    マックス・
     ミングラ

  世界最大のソーシャルネットワーク「Facebook」誕生をもとにフィクションを交えて描いた映画。
  2003年ハーバード大学のマーク・ザッカーバーグは親友のエドォアルド・サヴェリンと共に、学内で友人を増やすためのサイトを立ち上げると、瞬く間に学生達の間に広がり、社会現象を巻き起こすほどに巨大に成長して巨万の富を築くが、金や女、裏切りの渦に巻き込まれていく・・・
  台詞が機関銃のように飛び交いながら、最後まで緊張感を持ち展開して行く脚本が見事であった。主役のジェシー・アイゼンバーグが難しい役を魅力的に演じていた

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2011/01/17

松島・瑞巌寺/旧奥州街道244

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瑞巌寺・法身窟

法身窟(ほっしんくつ)は、瑞巌寺拝観受付を通り、左側にある格子の嵌った
洞窟で、鎌倉時代半ばに法身禅師と執権北条時頼が出会った処と
伝えられている。

窟内には、時頼の法名碑・当山中興雲居国師行状碑、
三陸海嘯(かいしょう)供養碑等が所狭しと治められてある。

海嘯は広辞苑によると、満潮が河川を遡る際に、前面が垂直の壁となって、
激しく波立ちながら進行する現象とある。
リアス式海岸(三陸)で大潮か津波で大きな被害が出た時の供養塔であろう。

手前の大きな石に刻まれた観音像は、右が楊柳観音、左が鎮海観音と
呼ばれている。
楊柳観音は文政6年(1823年)、鎮海観音は寛政12年(1800年)に
建立されたものだ。

写真中央右側の青銅製六地蔵塔は、貞享5年(1688年)に
建立されたもので、竿中央部に嵌め込まれた円盤をまわすことによって、
地蔵菩薩が六道を輪廻し、未成佛霊を救済するといわれ、
後生車、地蔵車とも呼ばれている。




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瑞巌寺・庫裏

慶長14年(1609年)銘の棟札を持つ国宝の庫裏(くり)である。
切妻屋根に煙出(けむりだし)を置き、妻飾り白壁と木組みの対照が
見事な建物だ。
この庫裏には食堂(じきどう)があり、延暦元年(1326年)の
雲版(うんばん、国重要文化財)がかけられていた。

庫裏の奥の建物は大書院(おおじょいん)で、この左側に本堂があるが、
平成の大修理と言うことで非公開となっていた。

その代わり、大書院と写真右奥の伊達政宗の
正室陽徳院(愛姫)御霊屋(寶華殿)が特別公開されていた。




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石窟群、鰻塚

瑞巌寺石窟群の前に、大正12年に建てられた未だ新しい鰻塚があった。
当時の松島は天然鰻が多量に獲れたことから、
ここに鰻供養のための鰻塚が建立されたとのこと。

石碑の裏側には寄付金を出した北海道から東京までの蒲焼店や
卸問屋の名前が126人も刻まれているという。






詳細リンク:旧奥州街道244「松島・天麟院~瑞巌寺」/街道写真紀行
(宮城県松島町松島) 1005/1101

2011/01/15

松島・瑞巌寺参道~円通院/旧奥州街道243

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瑞巌寺門前町

松島五大堂から海岸を離れ、松島丘陵に向かう。
瑞巌寺前の門前町を抜けると、瑞巌寺境内に入る。

松島・瑞巌寺(国宝)は、天長5年(828年)慈覚大師の創建と伝えられ、
奥州随一の禅寺で、伊達政宗の菩提寺である。




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瑞巌寺参道

瑞巌寺参道は杉林の中を通っている。

この道に並行して約200mに亘って石窟群のあるところだ。

石窟には苔むした五輪塔や塔婆などや無数の墓標などが
安置されたり、壁面に彫り付けてある


石窟群の前に鉄道殉職者忠魂碑がある。
旧国鉄時代からの殉職者1600名余が祀られている。

碑の両側には、蒸気機関車の動輪が置いてあり、
「みたまやすらかに 仙台鉄道管理局」と刻まれた碑があった。



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円通院

瑞巌寺の左手には円通院があり、こちらは伊達政宗の嫡孫の光宗の
霊廟で、正保4年(1647年)瑞巌寺第百世洞水和尚により
開山されたものだ。






詳細リンク:旧奥州街道243「松島・瑞巌寺参道~円通院」/街道写真紀行
(宮城県松島町松島) 1005/1101

2011/01/14

壽・初春大歌舞伎

平成23年1月
新橋演舞場


     演 目      役 者      観 劇 記
寿式三番叟
(ことぶきしきさんばそう)

長唄囃子連中

      梅 玉

三番叟
      三津五郎

千歳
      魁 春

附千歳
      鷹之資

      

  厳粛に掃き清められた舞台に、翁、千歳、附千歳、三番叟が迫り上がってくる。
  千歳が滝の水に託して長寿を祝う喜びの舞を見せると、翁は国土安穏を祈願して厳かに舞い、最後に三番叟が鈴を手に五穀豊穣を祈ってめでたく舞い治める正月に相応しい舞踊であった。

源平布引滝
実盛物語
(さねもりものがたり)

一幕

 
斉藤実盛
      團十郎

九郎助
      市 蔵

小よし
      右之助

小万
      魁 春

葵御前
      福 助

瀬尾十郎
      段四郎

      

  琵琶湖の畔に暮らす九郎助と小よしの夫婦は、源氏再興の念願叶わず命を落とした木曽義賢の妻で懐妊中の葵御前を匿っている。  そこへ平家方の斉藤実盛と瀬尾十郎が、葵御前の産む子の検分にやってくる。
  九郎助夫婦は、漁の折に拾ってきた白旗を握った女の片腕を、葵御前の産んだ赤子といい、差し出す。瀬尾をこれを訝しがるが、密かに源氏に心を寄せ、この女の腕に心当たりのある実盛は、瀬尾を巧みに言いくるめ、瀬尾が立去った後、事情を語り始める。
  木曽義仲誕生秘話で、何度見ても感動的な舞台である。團十郎、段四郎の絡みは見応えがあり、九郎助を演じた市蔵の熱演が光った。

四世鶴屋南北作
浮世柄比
   翼稲妻

(うきよづかひよくのいなづま)

二幕

浅草鳥越山三浪宅の場
吉原仲之町場
「伊達競曲輪鞘當」

長唄連中
名古屋山三
      三津五郎

葛城太夫、下女お国、茶屋女房お梅
      福 助

浮世又平
      弥十郎

不破伴左衛門
      橋之助

  佐々木家の家臣名古屋山三は、不義密通の咎で追放され、下女のお国と貧乏長屋住まいであった。
  そこへ、不義密通の相手であり今は吉原の花魁となっている葛城がやってきる。山三の父の仇と思われる不破伴左衛門と失われた重宝の刀の行方を探り、その様子を伝えに来たのであった。
  山三は桜の咲き誇る吉原仲ノ町に行き、そこで不破伴左衛門と切りあいになる。止めに入るのが茶屋女房お梅である。
  福助の変化に富んだ3役が楽しめる舞台であった。

詳細リンク:「演劇」/日本写真紀行

2011/01/12

松島・五大堂/旧奥州街道242

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松島・五大堂

松島のシンボルと言われている五大堂で、国の重要文化財に指定されている。
海岸から三つ目の島の上にあり、橋を渡って行ける様になっている。

五大堂は、大同2年(807年)坂上田村麻呂が東征のとき
毘沙門堂を建立したのが始まりである。

その後天長5年(828年)に慈覚大師円仁が
延福寺(現在の瑞厳寺)開基の際、「大聖不動明王」を中心に
「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の
五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになった。

五大堂への橋の袂に、日本三景碑が建っている。
御馴染みの陸奥松島、丹後天橋立、安芸宮島である。

宮島、宮津にも同じような三景碑があったことを思い出した。

碑の裏を見ると、平成6年に建立されたもので、
「日本三景観光連絡協議会創立二十周年記念」と刻まれ、
当時の松島町長、宮津市長、宮島町長の名前が刻まれてあった。



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五大堂、透かし橋

海岸から二つ目と三つ目の橋が、透かし橋となっており、
橋から下の海面が見えるようになっている。

五大堂への参詣には、身も心も乱れのないように脚下を良く照顧して、
気を引き締めさせるための配慮とのこと。




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五大堂

現在の五大堂は、慶長9年(1604年)に伊達政宗が再建したもので、
東北では最古の桃山建築である。

単層宝形造の屋根が特徴で、堂四面の蟇股(かえるまた)には
その方位に対して十二支の彫刻が配されている。

内部には、一木彫平安朝初期の作風をとどめる五代明王像が
安置されており、33年に1度開帳されるとのことである。





詳細リンク:旧奥州街道242「松島・五大堂」/街道写真紀行
(宮城県松島町松島) 1005/1101

2011/01/11

松島海岸駅~松島湾/旧奥州街道241

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JR松島海岸駅

仙台よりJR仙石線で松島海岸駅までくる。
松島にはいつも車で来ていたので、電車で来るのは始めてであった。

仙石線は仙台のあおば通駅から仙台駅経由で、
石巻駅を結ぶ全長52kmの路線だ。

この仙石線の松島海岸駅は、昭和2年に開業した駅である。
住所が「松島町松島字浪打浜」となっており、
松島湾を目の前に臨む海岸線の駅となっている。




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松島港

松島海岸駅から公園広場を横断して松島港に出る。
この辺は、ヨットハーバーや観光桟橋のあるところだ。

遠く、松島の島影が見えるところである。
松島は松島湾外に大小260余りの諸島のことを言っており、
日本三景の一つに数えられている。

仙台平野を南北に分ける松島丘陵の東端が沈水して出来た沈降地形で、
溺れ谷に海水が入り込み、山頂が島として残っている状態である。

なお、松島湾の水深は10m以内で、福浦島、経ヶ島、引通島、
双子島等、総ての島に名前が付けられているのには驚いた。




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松島湾

松島湾はここ北側の狭義の松島湾と南側の塩竈湾に分かれている。

塩竈湾は、古くは陸奥国府多賀城の外港で、江戸時代は仙台城下町の
外港として発展してきた。

現在の塩竈港は、近海マグロを主とする漁港となっている。





詳細リンク:旧奥州街道241「松島海岸駅~松島湾」/街道写真紀行
(宮城県松島町松島) 1005/1101

2011/01/10

多賀城・浮島/旧奥州街道240

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多賀城あやめ園

多賀城作貫遺跡から坂を下ると正面に、多賀城碑のある小丘が見えてきた。
ここから左側一帯が、多賀城あやめ園となっている。

奈良時代初期から東北地方の中心地として陸奥国の国府、
鎮守が置かれていた多賀城の外郭東南部のここに、
アヤメ、ハナショブなど250種200万本が植えられている。

アヤメ類は、古代からこの辺に自生する多年草で、古くは「多賀城古種」と
言われる品種があったとのこと。




46tagajo27s  浮島神社

多賀城あやめ園を横断し、国府多賀城駅に向かう途中左手に
浮島神社がある。

奥塩老翁神と奥塩老女神の2神を祀った神社だ。
創建は不明であるが、多賀城ができたころからあったらしい。 

またこの地は、平安時代に歌枕として詠まれた「浮島」の地である。
陸に浮かぶ島のように見えたことから浮島と言われ、
この辺の現在の地名も浮島となっている。

新古今集で浮島に因む歌として

  「塩釜の前に 浮きたる浮島の うきて思ひの ある世なりけり」

他が残されている。

曽良日記によれば、元禄2年(1684年)に芭蕉も
塩竈に向かう途中、この地を訪れているようだ。

46tagajo28s 忠雄歌碑

浮島神社より、JR国府多賀城駅に戻る。
写真は駅前にある扇畑忠雄の歌碑で
  「多賀城に 立ちて落日に 向かひけむ 家持をおもふ まぼろしの如 忠雄」

と刻まれてあった。

忠雄は元東北大の教授で、昭和17年に赴任して以来、長年にわたり
東北の花壇をリードしてきた歌人であった。




詳細リンク:旧奥州街道240「多賀城作貫~浮島」/街道写真紀行
(宮城県多賀城市浮島) 1005/1101

2011/01/09

多賀城・作貫地区/旧奥州街道239

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多賀城築地、多賀城神社

多賀城政庁の裏(北側)には一部であるが築地が復元されている。

右手の社は、多賀城神社である。
後村上天皇と南朝の忠臣、北畑親房、北畠顕家、伊達行朝、結城宗広等を
祀った神社で、昭和27年に創建されたものだ。

戦前に計画されていたが戦争の悪化で実現できず、
戦後になってやっと建立された神社とのことである。




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作貫地区遺跡

外郭東門へ行く途中の右側にある作貫(さっかん)遺跡である。

多賀城政庁の東側にあり、役所があった処で、母屋を中心にコの字型に
配置され、堀や土塁で囲まれていた。
規模からも陸奥国府の主要な役所であったようだ。

中世期は豪族の居館となり、江戸時代は塩釜神社の神官の屋敷として
使われていた。




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作貫役所跡・主屋

作貫地区役所の主屋跡で、廂(ひさし)付きの建物であったとのことである。



詳細リンク:旧奥州街道239「多賀城神社~作貫」/街道写真紀行
(宮城県多賀城市市川) 1005/1101

2011/01/08

多賀城政庁跡/旧奥州街道238

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多賀城政庁南門跡

多賀城政庁の正門である南門跡だ。
往時の礎石が発掘されている。

多賀城政庁は約100m四方の築地(ついじ)で囲まれ、
中央やや北側に正殿、その手前両側に東西脇殿が配置され、
建物で囲まれた空間は広場となっていた。

築地は、厚さ3m、高さ4mで、土を衝き固めて、
その上に屋根をかけた塀である。




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多賀城政庁跡

多賀城政庁跡である。手前は石敷き広場となっている。

多賀城には時期により異なるが、都から赴任してきた按察使(あぜちし)、
国司、鎮守府高官など20名前後の役人の他、書生、下級武士、工人、
兵士等がおり、全体で1200人位の規模であったようだ。




46tagajo15s 多賀城政庁正殿復元図

正殿復元図のパネルが掲示されていた。

正殿は政庁での中心的な建物で、礎石式の四面庇(ひさし)付きの
建物であった。、
ここで、重要な決済や儀式が行なわれていたと考えられている。

政庁正殿の裏側(北側)に後村上天皇御坐之碑(左側石碑)と
明治天皇記念碑が並んで建っている。

後村上天皇は、建武元年(1334年)多賀城で義良親王となり、
延元4年(1339年)3月吉野に戻り皇太子なり、
同年8月に父後醍醐天皇の譲位を受けて践祚(せんそ)した。

なお、践祚とは皇嗣(こうし)が天皇の位を継承することである。




詳細リンク:旧奥州街道238「多賀城政庁跡」/街道写真紀行
(宮城県多賀城市市川) 1005/1101

2011/01/07

多賀城碑~南北大路/旧奥州街道237

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多賀城碑覆屋

多賀城外郭南門跡を抜けると、右手に国の重要文化財に指定されている
多賀城碑覆屋(写真右端)が見えてくる。

多賀城碑は、多胡碑(群馬県多野郡吉井町)、
那須国造碑(大田原市湯津上)と共に、日本三古碑の一つに数えられている。

江戸時代初期に土中から発見されてと伝えられ、
歌枕の「壷碑(つぼのいしぶみ)」とされたことから、
多くの文人の注目を浴び、松尾芭蕉も元禄2年(1689年)に訪れ、
「泪も落ちるばかり」に感動したと、「おくのほそ道」に記している。




46tagajo07s  多賀城碑

多賀城碑覆屋の格子の中の碑である。
碑面には多賀城の位置から始まり、神亀元年(724年)に大野朝臣東人が
多賀城をおき、天平宝治6年(762年)に藤原恵美朝臣が修造したことが
刻まれている。

碑文の中に「京去千五里」とあるのが目に留まった。
奈良時代の一里は約535mであるので、802.5kmとなる。
蛇足であるが、この京は京都ではなく平城京(奈良)のことだ。



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多賀城南北大路

多賀城の南北大路の階段である。
多賀城の中枢部である政庁から外郭南門へまっすぐ通じる道路で、
多賀城の中で最も重要な道であった。

そして、政庁の南側斜面は、自然石を並べた階段が設けられ、
道路には排水用の暗渠も設置されていた。

階段横にある説明パネルには、発掘当時の写真と、南北大路と政庁を
示す絵図が載っていた。

説明によると奈良時代の大路の幅は12mであったが、
平安時代に大路に相応しく23mに拡幅されている。





詳細リンク:旧奥州街道237「多賀城碑~南北大路」/街道写真紀行
(宮城県多賀城市市川) 1005/1101

2011/01/06

JR国府多賀城駅~多賀城館前遺跡/旧奥州街道236

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JR国府多賀城駅

JR仙台駅から東北本線で国府多賀城駅に来る。
多賀城駅は地元多賀城市の請願により、平成13年9月に
開業したばかりの駅だ。

この駅の背後南口には、多賀城廃寺址と
平成11年開業した東北歴史博物館があるところだ。
旧石器時代から近現代までの東北地方全体の歴史を時代別に区分して
展示している。

その南口と北口を結ぶ自由通路は「悠久ロマン回廊」と名付けられている。

なお多賀城市は、明治22年の町村制施行に伴い、多賀城村が誕生、
昭和26年に町となり、昭和46年に市となっている。




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多賀城館前遺跡

写真は国府多賀城駅から国特別史跡に指定されている
多賀城館前遺跡を俯瞰したものだ。

神亀元年(724年)、多賀城は陸奥国の国府として整備され、
蝦夷(えみし)征討政策にあたった鎮守府が設けられた。

宝亀11年(780年)の伊治公砦麻呂(これはるのきみあざまろ)の
反乱で焼失したが、延暦21年(802年)に再建された。

延暦21年(802年)、鎮守府が坂上田村麻呂によって岩手県胆沢城に
移された後も国府の役割を果たし、北の要衝として、源頼義、義家父子の
治めるところとなっている。

南北朝時代には、多賀城に陸奥将軍府が置かれたが、多賀城の陥落後、
将軍府の中心的武将伊達行朝の所領である伊達郡の霊山に移転した。


多賀城館前遺跡は、昭和54年の発掘調査で発見されたもので、
平安時代初期(9世紀前半)の建物6棟跡である。

その内の中心建物は4面に廂(ひさし)が付く格式の高いもので、
大きさは多賀城政庁正殿に匹敵するものであった。

多賀城に赴任した国司宅、または多賀城に関連する役所と考えられている。

館前遺跡は多賀城政庁との距離は600m、多賀城廃寺とは500mの
距離にあり、ほぼ中間に位置している。

台地上に位置する本遺跡から多賀城跡の南東隅までは
200mほどの距離となっている。



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多賀城南門跡辺

館前遺跡から多賀城に向かうと、小高い丘となる。
この辺が多賀城の南門につながる外郭築地塀があったところだ。
多賀城の外郭築地塀は約900m四方と広大であった。

多賀城の外郭築地塀には南、東、西の門跡が確認されており、
創建時は簡素な門であったが、奈良時代中頃以降は
格式の高い八脚門に変わっている。





詳細リンク:旧奥州街道「JR国府多賀城駅~多賀城館前遺跡」/街道写真紀行
(宮城県多賀城市浮島、市川) 1005/1101

2011/01/05

仙台城本丸跡/旧奥州街道235

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仙台城・本丸跡

本丸詰門(つめのもん)址から階段を登っていくと本丸跡に着く。
広く、見晴らしの良いところである。
本丸だけで東西243m、南北265mという広さだ。

仙台城本丸は慶長5年(1600年)に「縄張り始め」が行なわれ、
政宗は普請に着手してから3ヶ月後に、
本丸の壁土もつけない状態から入城している。

1603年になり略完成したが、大広間が完成したのは1610年で、
11年に及ぶ大工事であった。

本丸には計4基の三重櫓と、一基の二重櫓、多門櫓が聳えていたが、
天守閣はなかった

右端は伊達政宗の馬上像である。

政宗は永禄10年(1567年)、16代輝宗と山形城主最上義守の娘
義姫との間に生まれ、幼名を梵天丸と言った。
幼い時に疱瘡を患い片目を失っている。

11歳で元服し藤次郎政宗と称し、13歳で三春城主田村清顕の娘愛姫と
婚姻、15歳で初陣、17歳で家督を相続している。

関ヶ原の戦いの後は、仙台に居城を移し、仙台城下町、北上川改修、
江戸廻米など領国支配に力を注ぎ、現在の仙台の基礎を作った武将である。


蛇足であるが、調査によると政宗の身長159cm、
血液はB型と判明しているとのこと。





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仙台城下

本丸跡より現在の仙台市街を見下ろした写真である。

城も町も出来る前に、政宗が始めて青葉山に立ち眼下の原野を
眺望したときの心境を詠んだとされる歌が残されている。

「入りそめて 国ゆたかなる みぎりとや 千代とかぎらじ せんだいのまつ」


なお、本丸の地は仙台七崎の一つ青葉ヶ崎で
仙台城の雅称を青葉城と呼ぶのはこのためである。





45sendai50s  宮城護国神社

本丸の中心部にある護国神社。

日清戦争後の明治31年に組織された昭忠会を母体として、
明治37年に現在地に招魂社を建立し、
大日本帝国陸軍第二師団管下(宮城、福島、新潟県と山形県の一部))の
戦死者を祀ったのが始まりで、昭和14年に宮城県護国神社と
改称されている。




詳細リンク:旧奥州街道235「仙台城本丸」/街道写真紀行
(宮城県仙台市青葉区青葉山) 1005/1101

2011/01/04

仙台城本丸登城路/旧奥州街道234

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仙台城、本丸登城路

大手門から左折して、中門址を過ぎたところの登城路で、
快適な遊歩道となっているところである。



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本丸・石垣

登城路を上りきると、左側に本丸の石垣が大きく迫ってきた。
この上に本丸があった。




45sendai45s  本丸詰門跡

本丸の北側に設けられた本丸詰門跡である。
2階建瓦葺で、棟には鯱瓦が敷かれ、門の内外は枡形となっていた。
また、門の両脇には三重櫓が設けられてあった。

写真の鳥居は、本丸跡に造られた護国神社のものである。





詳細リン:旧奥州街道234「仙台城大手門~本丸詰門跡」/街道写真紀行
(宮城県仙台市青葉区青葉山) 1005/1012

2011/01/03

広瀬川~仙台城大手門/旧奥州街道233

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広瀬川/大橋下

芭蕉の辻より、大町を通り仙台城に向かう。
途中、広瀬川の大橋を渡るが、その前に川岸に降りてみた。
写真はその大橋の真下から下流側を撮影したものだ。

元和10年(1624年)、ポルトガル宣教師カルハリオ神父他8名が、
大橋下にあった水牢で、厳寒の最中の水責めにあって殉教したところである。

岩手県水沢市の山奥にいた約60人のキリシタンが、

雪の中を仙台ま連行され、生きて辿り着いたのが9人であった。
改宗を迫られたが、全員がここで殉教した。



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仙台城大手門址、脇櫓(隅櫓とも)

大手門址で、右の建物は再建された脇櫓(隅櫓)である。
標識には仙台城跡入口と書いてある。

仙台城が築かれた青葉山(144m)は、北は広瀬川、
南と東は深さ50m~70mの断崖で、西は深い山林となった尾根筋で
堀切により人馬の通行が困難であった。

築城当時は、天然の要害を利用した全国でも最大規模の山城であった。
中世に奥州合戦時の鎌倉方武将千葉氏の一族である国分氏の
千代城があったが、慶長6年(1601年)に伊達政宗が千代城の大改修を
行い、名を仙台と改めた。





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支倉常長立像

大手門址の傍に支倉常長立像が建立されている。
この像の背後は、二ノ丸の一部を利用した青葉山公園となっている。

伊達政宗は仙台藩とスペインとの通商や宣教師の派遣を求めて、
支倉常長を慶長18年(1613年)奥州に遣わした。

太平洋、メキシコ、大西洋経由で元和元年(1615年)にマドリードに到着し、
スペイン国王フィリップ3世に謁見、当地でキリスト今日の洗礼を受けている。
その後、ローマで教皇パウロ5世に謁見して、ローマ市民権や貴族の
称号を与えられた。

しかし目的であった交易と宣教師の派遣は返事が得られないまま、
元和6年(1620年)に帰国している。
幕府のキリシタン弾圧政策のなか、帰国して2年後の元和8年(1622年)に
失意の内に52歳の生涯を閉じいる。



詳細リンク:旧奥州街道233「仙台・広瀬川~仙台城大手門」/街道写真紀行
(宮城県仙台市青葉区大手町、青葉山) 1005/1101

2011/01/02

謹賀新年

1101nega

明けましてありがとうございます。

旧年中は、いろいろとご支援いただきありがとうございました。
励みになっております。

街道歩きは現在、旧奥州街道と甲州道中を並行して歩いております。
旧奥州街道の内、仙台道までは無事完了しましたが、終点の津軽三厩までは
まだまだ先が長いです。
今年も、どこまで行けるかわかりませんが、のんびりと歩いていきたいと思っております。

今後とも、ご支援よろしくお願い致します。



なお、旧山陽道長府宿の詳細は
此方をご覧下さい。

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