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2010年12月

2010/12/31

仙台・芭蕉の辻(札の辻)/旧奥州街道232

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青葉通り交差点

青葉通りとの交差点で、写真は交差点より左側の青葉通りを見た写真である。
この道を、真っ直ぐ進むと青葉城があり、反対側(手前方向l)は仙台駅である。

ケヤキ並木が見事で、杜の都・仙台の象徴となっている道であるが、
この道は第二次大戦後の都市計画で出来た新しい道である。




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芭蕉の辻(札の辻)

青葉通りの交差点を過ぎると、旧奥州街道(現国分町通り)と
大町(おおまち)通りの交差点となり、かつては芭蕉の辻と呼ばれたところで、
この道を行くと青葉城大手門のあるところであった。

そして、右側は新伝馬町、名懸丁と続いて、その先は旧陸奥国・多賀城、
仙台の外港である塩竃港、松島、東回り航路の石巻港へと続いていた。

この芭蕉の辻は、江戸時代の仙台城下の中心であった十字路で、
宮城県の道路元標(里程元標)が設置されている。

仙台の城下町は大手門から大手筋(大町の街路)とこれに直交する
奥州街道を基準に町割りが行なわれ、大町と国分町の両町が城下の
経済の中心であった。

辻には制札場(高札場)があり、当時は「札の辻」と呼ばれていた。
仙台藩の威信を示す為、この四つ角総てに城郭風の高楼を備えた
同じ形状の建物が造られ、建物の一階部分は普通の商家の
造りとなっていて、地元の豪商に貸与されていた。

その後、芭蕉の辻と呼ばれるようになったが、これは松尾芭蕉との
関係では無かった。
伊達政宗の間諜として働き、恩賞として、この辻の四隅の建物を授かった
芭蕉と言う虚無僧が住んでいたからとのことのようだ。

写真の道標元標(里程元標)には、
「南 江戸日本橋迄 六十九次九十三里、奥州街道」、
「北 津軽三厩迄 四十五次百七里二十二丁」と刻まれてあった。

換算すると、日本橋まで約366km、次の目標である三厩までの距離は
423kmである。
よくここまで無事に歩いてきたものだと、一人感心すると同時に、
最終目的地である三厩までは、未だ半分も来ていない現実に気を引き締めた。

右側は芭蕉の辻と刻まれた、未だ新しい石碑であった。
奥州街道の内、仙台道と言われた旧街道の終点で、
この先の奥州街道は松前道とも呼ばれていた。




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国分町町並み

大町の芭蕉の辻を過ぎると、
国分町(こくぶんちょう、かつてはこくぶんまち)に
入る。

国分町は奥州街道沿いの町人町として、大町と共に商業の中心地であった。

現在は国分町の南側はオフィス街で、この先の北側は東北地方最大の
歓楽街となっている。

仙台牛タンや炉端焼き、レゲエパンチ等は、ここ国分町が発祥之地とか。
レゲエパンチはピーチリキュールをウーロン茶で割った飲みやすいソフトドリンクのようだ。

今回はこの街道沿いのホテル・リッチフィールド仙台に宿泊し、
牛タンで仙台道完全踏破のささやかな祝杯をあげた。


(旧奥州街道の内・仙台道踏破完了)




詳細リンク:旧奥州街道232「仙台城下・一番町~芭蕉の辻」/街道写真紀行
(宮城県仙台市青葉区一番町、大町、国分町) 1005/1012

2010/12/30

仙台城下・北目町~一番町/旧奥州街道231

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北目町交差点

北目町にある二十三夜堂の前の旧街道を進むと、北目町交差点に出る。
この交差点から右の道(北目通り)を行くと、約700mで仙台駅である。

当初、今夜の宿泊は仙台駅前のホテルをと思ったが、
調べたら旧奥州街道沿いに何軒もホテルがあるので
街道沿いのホテルに泊まることにした。

さて、旧街道はこの交差点を直進で、左は五橋通りである。




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柳町・大日如来堂

北目交差点から静かな道を直進すると、柳町大日如来堂の前で
丁字路になっており、旧街道はこの前を左折となっている。

大きな城下町らしく、城下に入ってから、ここで実に9回目の曲がり角である。
もっとも旧東海道の
岡崎城下は二十七曲がりであったから、
それには及ばないが、地図を見ながら道を探すのには苦労した。

ここ旧柳町は、伊達家が米沢領時代からの御譜代町で、
慶長6年(1602年)伊達政宗が仙台城下の町割りに使用した縄を
ここに集めて燃やし、その跡に城下鎮護のため堂を建てて、
大日如来を安置したと伝えられている。

以来、柳町のお大日さんとして、羊、申年生まれの守り本尊として
親しまれてきた如来堂である。

境内には、狛犬の変わりに左に申、そして右には羊が設けられていた。




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国分通り/一番町

大日道の前を左折して直進し、大通り(五橋通り)を横断する。
五橋通りを横断して、最初の丁字路を右折すると国分町通りで、
写真のこの道が旧街道であった。
現在の国道4号線と晩翠通りの中間の道である。

この信号を渡った左角にホテルベルエアのあるところである。
写真の左の旗は創価学会かと思ったが、青、白、赤でフランスの
国旗であった。

国分町通りに入ると、旧仙台道(奥州街道の別称))の終点である
「芭蕉の辻」はすぐ近くである。



詳細リンク:旧奥州街道231「仙台城下・北目町~一番町」/街道写真紀行
(宮城県仙台市青葉区北目町、一番町) 1005/1012

2010/12/29

映画「ハリー・ポッターと死の秘宝Part1」

平成22年12月
横浜ムービル


タイトル キャスト コメント

ハリー・ポッターと死の秘宝Part1

 2010年 英・米
 
 監督 デヴィッド
    
   イェ-ン

 

ハリー・ポッター
    ダニエル・
      ラドクリフ

ロン・ウィーズリー
    ルバート・
      グリント


ハーマイオニー
    エマ・ワトソン
 

    ヘレナ・ボナム
      =カーター
    ロビー・
      コルトレーン

  シリーズ第7回目、最終章前・後編2部作の前編。
  17歳に成長し、魔法魔術学校の最終学年である7年生になったハリーは、親友のロンとハーマイオニーと共に、宿敵ヴォルデモート卿の魂が宿った分霊箱探しの旅に出るが、なかなか見つからず、旅の途中で仲間割れが起きてしまう。
  と、延々と続く起伏の乏しい展開は、プロセスを楽しむにしても一寸忍耐を強いられた。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2010/12/27

仙台城下・荒町~北目町/旧奥州街道230

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荒町交差点

荒町の交差点である。
左右の道は国道4号線で、旧奥州街道はこのまま直進である。
この辺まで来ると仙台の中心部に近く、高層マンションが目立って
多くなってきた。

なお、荒町は藩政時代、仙台城下にあった6つの「御譜代町(ごふだいまち)」
の一つで、伝統ある地域であった。

他の郷譜代町は、大町、肴町、南町、立町、柳町で、伊達家が
米沢から岩出山、仙台と移転する際に共に移転してきた由緒ある町で、
それぞれ商品(荒町は麺)の専売権と御日市(おひいち)と呼ばれる
定期市の開催が認められていた。




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青葉区・五橋町並み

喧騒な荒町交差点を過ぎると、若林区から青葉区の五橋(いつつばし)に入る。
そして、森重旅館の前を右折すると静かな町並みとなった。

路傍に石の標識があり、「田町清水小路」、「田町通り」と刻まれてあった。

写真前方の書店は塩川書店で、この道の左側は東北大学片平キャンパスの
あるところだ。
片平キャンパスというと、現在東北大学にある5つのキャンパスの中では
尤も古くからあるところで、東北帝国大学時代の建物が多く残されている
ところである。

帝大時代に私の父が学んだところで、私にとっても懐かしいところである。




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北目・二十三夜堂

北目町に入ると街道右側に二十三夜堂がある。
正しくは天台宗北目山賢聖院(けんじょういん)といい、
延久元年(1069年)の創建で、午年の守り本尊・得大勢至菩薩を祀る寺だ。

二十三夜堂とは、月が勢至菩薩の化現(けげん)であり、
陰暦23日の夜に人々が集まって、勤行(ごんぎょう)、飲食をしながら
月の出を待つ講(二十三夜講)が行なわれていたことによる。

江戸時代はここに高札場が置かれてあり、境内では富くじなども
行なわれていたようだ。



詳細リンク:旧奥州街道230「仙台城下・荒町~北目町」/街道写真紀行
(宮城県仙台市若林区荒町、青葉区五橋、北目町) 1005/1012

2010/12/26

仙台城下・三宝荒神社~荒町/旧奥州街道229

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南鍛冶町・三宝荒神社

旧奥州街道は南材木町を北進して、
この三宝荒神社の大イチョウの前を左折し荒町に向かう。

三宝荒神社は、鍛冶職人衆の住む南鍛冶町の火伏せの神として建立され、
火伏せの樹木としてイチョウが植えられ、現存のイチョウは樹齢320年、
樹高21mもあり、街道筋から良く見え、目印となっている。

荒神とは、インドで行われた悪神を祀り守護神とする風習が仏教とともに
伝来し、日本で独自に発展したものだ。
不浄や災難を除去する神とされることから、火と竈(かまど)の神として
信仰され、かまど神として祭られることが多いようだ。

境内には、耳権現さまや、天保13年(1843年)と刻まれた山神、
湯殿山等多数の石塔が祀ってあった。また、筆塚もあった。

三宝荒神社の境内にある耳権現さまの堂宇の中は、
720年前元寇の役に出陣した勇士の慰霊を供養したと思われる
正応3年(1291年)と刻名のある自然石で出来た卒塔婆だ。

古くは、荒町の仙性院という修験道場境内に安置されていたものを、
後になってここに堂宇を建て遷座されたものだ。
 

説明文によれば、耳患いで苦慮していた旅の修験者の夢枕に
権現様が現れ、言われたままに仙性院という修行場にあった卒塔婆に
祈ったところ見事に完治したので、そのご利益に感涙し、
この事実を人に教え、耳患いに悩む多くの人々を助けたとのこと。




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南鍛冶町、町並み

三宝大荒神社の前を直角に左折すると、
若林区南鍛冶町から荒町に向かう道となる。
荒町は、江戸時代から仙台城下ではひときわ賑やかな町であった。

なお、若林区の区名は、伊達政宗が寛永4年(1627年)に造営した
若林城(現宮城刑務所)に由来している。





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泰心院

街道右側にある泰心院は、永禄10年(1567年)に伊達14世種宗夫人の
菩提を弔うために、伊達晴宗が堂宇を建立したのが始まりで、
その後、政宗が岩出山、仙台に移動するとともに、この寺も移されてきた。

現在の泰心院の山門(上写真)は、文化14年(1817年)に造られた
仙台藩藩校「養賢堂(ようけんどう)」の正門を移築したもので、
仙台市指定有形文化財に指定されている。

さらに街道を進むと、右側に毘沙門堂がある。
この辺一帯は寺社が多く集められているところだ。

毘沙門堂は寛永20年(1643年)の創建で、唐門は様式手法から
江戸時代中期のものと推定されている。

江戸時代は、この境内は相撲の興行場所であった。



詳細リンク:旧奥州街道229「仙台城下・三宝明神社~荒町」/街道胃写真紀行
(宮城県仙台市若林区南鍛冶町、荒町) 1005/1012




2010/12/25

仙台城下・七郷堀~南鍛冶町/旧奥州街道228

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七郷堀

七郷堀を渡る。
七郷堀は藩政時代に掘削されたもので、広瀬川の愛宕橋から
農業用水を引いて、七郷地区の水田地帯に送る堀である。

七郷とは、荒井、荒浜、蒲町、六丁目、伊在(いざい)、
長喜城(ちょうきじょう)、霞目(かすみのめ)のことをさしている。

途中、南染師町では染物を洗う作業が最近まで見られた。





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南材木町枡形

南材木町の枡形の手前、左手の店は武田染工場である。

南材木町から南染師町界隈には、越後屋染物店、桜井染工場、
永勘染工場他の染物屋が今でも営業している。

広瀬川を渡り、河原町の入口木戸・丁切根から4回も角を曲がってきたが、
ここでまた枡形(クランク形)になっている。

如何にも城下町らしい周到さで枡形が出来ている箇所である。



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南鍛冶町、大イチョウ

南材木町の枡形を抜けると、穀町(こくまち)に入る。

ここの石の標柱には「穀町、畳屋丁」と刻まれてあった。
城下町らしい町名が続くところである。

穀町を過ぎて南鍛冶町に入ると、
正面に三宝大荒神の大イチョウが見えてくる。

このイチョウの大木は樹齢が約320年、樹高が21mに達し、
市の保存樹木に指定されている。




詳細リンク:旧奥州街道228「仙台城下・七郷掘~南鍛冶町」/街道写真紀行
(宮城県仙台市若林区南材木町、殻町、南鍛冶町) 1005/1012

2010/12/24

映画「最後の忠臣蔵」

平成22年12月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
最後の忠臣蔵

 2010年 日
 
 監督 杉田 成道

 
瀬尾孫左衛門
    役所 宏司

寺坂吉右衛門
    佐藤 浩市

可音
    桜庭 ななみ
 

ゆう
    安田 成美


    風吹 ジュン
    田中 邦衛
    片岡 仁左衛門                 笈田 ヨシ
    
  赤穂浪士の吉良邸討入りで、46人が切腹するが、二人の男が生き残った。一人は討入りを後世に伝えるために逃された寺坂吉右衛門、そして、討入り前日に逃亡した瀬尾孫左衛門。その二人が16年ぶりに再会する。
  瀬尾は何故、討入りから逃げたのか、寺坂は元同志の瀬尾が抱えてきた秘密を知る。
  瀬尾は、大石内蔵助の隠し子可音(かね)を、主命により匿っていたのだ。
  人形浄瑠璃「曽根崎心中」を織り込み、それぞれの葛藤を上手く描きながらの展開は見事で、最後の盛り上がりは感涙ものであった。秀作。


詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2010/12/23

仙台城下・河原町~南材木町/旧奥州街道227

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河原町町並み

仙台城下の入口に当たる河原町には、古い店蔵が何軒か残されており、
仙台市景観審議会から「景観重要建造物」として指定されている。

上写真の仙南堂薬店の店蔵は大正元年に建てられたもので、
平成16年に景観重要建造物に指定された建物だ。

薬品卸として2002年までここで営業していたようだ。





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南材木町町並み

河原町から南材木町に入る。
河原町と同じく、古い店倉が何軒か残されている。

写真は天明元年(1781年)に建てられた旧丸木商店(薬種業)の店蔵で、
仙台最古の建物とのこと。
市の景観重要建造物に指定されている。





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南材木町旧家、針生家(旧針惣旅館)

河原町入口には丁切根(ちょうぎんね)と呼ばれる木戸があったが、
その木戸番を務めたのが、地主であった針生(はりう)家で、
針惣(はりそう)旅館を営んでいた。





詳細リンク:旧奥州街道227「仙台城下・河原町~南材木町」/街道写真紀行
(宮城県仙台市若林区河原町、南材木町) 1005/1012

2010/12/22

仙台・広瀬川~68仙台城下入口/旧奥州街道226

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広瀬橋/広瀬川

長町宿を抜け広瀬川に架かる広瀬橋を渡ると、いよいよ仙台城下である。

広瀬橋は、江戸時代は長町橋(永町橋とも)といい、
奥州街道の仙台城下入口にあたり重要な橋であった。

広瀬橋の長町側袂に、江戸時代、広瀬橋(長町橋)は
大水でしばしば流されたので、長町の伝馬業者が、壊れて流された橋の
供養塔を建てた。

また橋を建てるときの人柱になった娘の伝説があり、
橋姫明神社という祠が建てられている。

明治42年に日本で初めてと言う鉄筋コンクリート製の橋(広瀬橋)が完成し、
頻繁な破損と架け替えの歴史は終わり、以前の長町橋の柱を据えた楚石が

残されてあった。




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広瀬川上流

広瀬橋より上流を見た写真である。
大きく蛇行したこの川の左側(右岸)に仙台城があり、
右側が仙台城下町となっている。

広瀬川は、仙台市青葉区作並の山形県境の関山峠付近を源流とし、
愛子(あやし)盆地を経て仙台市街を流れ、太白区四郎丸地区で名取川に
流入している。

江戸時代は、上流より順番に作並川、熊ヶ根川、野川、愛子川、郷六川、
仙台川、長町川、若林川と呼ばれていた川である。





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68仙台城下入口/河原町丁切根跡

広瀬橋を渡ると、若林区河原町となる。
旧奥州街道68番目の宿場でもある仙台城下の入口で、
木戸のあったところである。

仙台では、武家屋敷町を「丁(ちょう)」と呼び、足軽・町人の住む町を
「町(まち)」と区別していた。
町は全部で24あり(町方二十四町)、街道に沿ってひと続きに配置され、
その24町と門前町のはずれには「丁切り柵」と呼ばれる関門が
設けられていた。

この内、城下への出入り口となる八幡町、原町、堤町と、ここ河原町の
柵には木戸が設けられ、「丁切根(ちょうぎんね)」と呼ばれていた。




詳細リンク:旧奥州街道226「仙台・広瀬川~68仙台城下入口」/街道写真紀行
(宮城県仙台市太白区長町、若林区河原町) 1005/1012

2010/12/21

仙台・67長町宿/旧奥州街道225

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旧街道、長町

太子堂駅のところで、東北本線と新幹線のガード(写真右端)を潜り、
反対側(西側)に出る。
この道筋が、旧奥州街道であったところだ。

住所は太子堂から長町に変わる。


写真のこの辺が、仙台城下町と広瀬川を隔てて隣接する
旧奥州街道67番目の宿場・長町のあったところだが、その痕跡はなかった。

今は、江戸時代以来の街道沿いの商店街として賑わい、
仙台副都心と呼ばれている。





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JR長町駅

長町の旧街道を進むと右手にJR長町駅となる。
明治27、旧仙台二の丸に本部を置いた陸軍第二師団が、
日清戦争の際に軍用停車場として臨時に設置した駅がその始まりである。

開戦の翌月から昼夜兼行の突貫工事で造られ、
26条のリールを備えたものであったが、ホームはなかった。
第二師団の出征を見送ってから駅設備が作られ、
明治29年に民間駅として開業した。

その後は広大な貨車操作場(長町操作場)となり、昭和35年には
北日本最大の駅であった。

現在は、貨車操作駅としての役目も終え、その跡地(駅東側)は
大規模な再開発工事(あすと長町)が進められている。





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十八夜観音堂

長町宿の出口付近にある、仙台三十三観音の第32番札所となっている
十八夜観音堂だ。

正しくは常蔵院観音堂で康平2年(1059年)の開基とのこと。
もとあった場所である伊達家の墓所大年寺の整備に伴い、
元禄10年(1697年)にここに移転された。

堂内には1m程の勢至観音立像が祀られ、
承和2年(835年)慈覚大師の作と伝えられている。

旧暦の18日の夜には月待ち講が開かれていた。





詳細リンク:旧奥州街道225「67長町宿」/街道写真紀行
(宮城県仙台市太白区長町) 1005/1012

2010/12/19

仙台・名取川~太子堂駅/旧奥州街道224

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名取川下流

中田宿を抜けると、名取川に架かる名取橋を渡る。
上の写真は下流側を見た写真だ。
前方に見える橋は、国道4号線の仙台バイパスに架かる名取大橋である。  

名取川は仙台市太白区西部にある奥羽山脈神岳(かむろだけ、1356m)を
源流とする川で、この先で広瀬川と合流し仙台湾に流入している。

河口付近で貞山運河とつながっている。
河口の閖上(ゆりあげ)漁港は、中世以来の歴史を持つ港町である。



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旧笊川上流流

名取川を渡ると、次は旧笊川(ざるかわ)に架かる南部橋を渡る。
写真前方を横切っている高架は東北新幹線で、その手前が東北本線だ。

笊川は、仙台市太白区の地名のもととなった太白山(320m)の北麓を
源流とする川である。
丘陵部の水に依存する笊川は、降雨の有無による水量の変動が大きく、
降れば降っただけ流れ、すぐに涸れてしまうので、
川名が「ざるがわ」となった。
古くは座留川と書かれていたようだ。

現在の新笊川は、この上流で名取川に合流している。
また、この笊川下流部は元は低湿地帯で、
弥生時代から水田が開かれていたところである(富沢遺跡)。





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諏訪町旧家

旧笊川を渡ると、諏訪町に入る。
諏訪町の右側(東側)の地名は郡山で、
かつての仙台郡郡山官が(かんが)があったところだ。

写真は、街道沿いにある大きな屋敷門の旧家である。


前方にJR東北本線太子堂駅の標識が見えてきた。
ここで左折し、JR東北本線の反対側へ向かう。
この辺は大規模な工事が行われ、旧道の道筋は完全に失われている。

太子堂駅は、平成19年に開業したばかりの新しい駅だ。
今は無いが、付近にあった祠・太子堂が地名になっており、
そのまま駅名となっている。




詳細リンク:旧奥州街道224「仙台・名取川~JR太子堂駅口」/街道写真紀行
(宮城県仙台市太白区諏訪町、太子堂) 1005/1012

2010/12/18

十二月大歌舞伎

平成22年12月
日生劇場

演 目 役 者 観 劇 記
管専助
若竹笛躬作

通狂言
摂州合邦辻
(せっしゅうがっぽうがつじ)
四幕
玉手御前
      菊之助

羽曳野
      時 蔵

合邦道心
      菊五郎

おとく
      東 蔵

奴入平
      松 禄

俊徳丸
      梅 枝

次郎丸
      亀三郎

      

  河内国の大名、高安左衛門は、亡き正妻が生んだ俊徳丸を跡継ぎと定める。年長であるが、母が側室のために世継ぎになれなかった次郎丸は、俊徳丸を亡き者にして家督を奪おうと画策する。
  そんな中、左衛門の後妻となった玉手御前は、住吉大社参詣のおりに、俊徳丸に毒酒を飲ませ、恋慕の心を打ち明けるが、毒がまわり、俊徳丸の容貌が酷く崩れてくる・・・
  玉手御前の菊之助が道ならぬ恋に身悶えする女形の大役である玉手御前を、実に妖艶に演じていた。

萩原雪夫作
平岡定海監修

平城京遷都1300年記念
春を呼ぶ二月堂お水取り
達陀
(だったん)

四場

 
僧集慶
      松 禄

青衣の女人
      時 蔵

      亀 寿
      右 近
      亀三郎
      松 也
      

  鎌倉時代、大仏で名高い南都東大寺の二月堂では、修二会(しゅにえ)の法会が行われていた。その堂内で法会を取り仕切る僧の集慶、高らかに東大寺所縁の故人達の名を記した過去帳を読み上げていると、青衣の女人が忽然と現れてくる。かつて情を交わした若狭であった。
  彼女と過ごした過去を思い出すが、その煩悩を払い除け、松明の炎が燃え盛る二月堂で、達陀の行法に打ち込む。
   東大寺に伝わる伝説を巧みに取り入れ、幻想的な雰囲気と艶やかな情感を出しながら、集慶と大勢の練行衆との迫力ある群舞へと展開する構成は見事であった。

詳細リンク:「歌舞伎」/日本写真紀行

2010/12/17

南仙台駅~中田宿出口/旧奥州街道223

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JR南仙台駅口

中田宿に入って少し歩くと南仙台駅入口の交差点となる。
中田宿の略中心部である駅名が、南仙台とは訝って調べてみると、
大正13年の開業当時は、「陸前中田」駅となっていた。

旧名取郡中田村から、昭和16年に仙台市に編入され、
昭和38年に南仙台駅と改称されている。

南仙台駅は東京より344kmで、仙台市では最南端の駅だ。



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中田宿旧家

街道沿いに残されている旧家だ。
かつての宿場町の面影が残されているところである。



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中田宿出口

中田宿の出口付近である。

前方に、名取川に架かる名取橋が見えてきた。
かつては、この名取川の増水で川留めが多く、中田宿は重要な宿場であった。

次の宿場は、奥州街道69番目の宿場・長町宿となる。




詳細リンク:旧奥州街道223「仙台・南仙台駅~中田宿出口」/街道写真紀行
(宮城県仙台市太白区中田) 1005/1012

 

2010/12/16

仙台市・66中田宿/旧奥州街道222

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名取・天神塚古墳

名取市の北端のある天神塚古墳で、南北30m、東西26m、
高さ2.8mの方墳で、古墳の周りには幅8mの周溝が造られていた。

出土品等より4世紀代の古墳と推定されている。



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仙台・名取市境

名取市上余田と仙台市太白区(たいはくく)の境界である。
太白区は仙台市を構成する5区のうちの一つで、
合併前の旧仙台市の南西部と旧名取郡秋保町からなる。

区名の太白は、区内にある太白山(320m)からきている。
円錐型の美しい山で伝説も多く、かつては近海を航行する船の
目印ともなっていた。

仙台市の標識(写真左端)を見ると、東京・日本橋から歩き始めて、
やっと、仙台市まで到達したという感じであった。

旧奥州街道を順番に歩いていて、最初の目標が幕府管轄の奥州道中の
終点白河宿で、次が仙台街道の終点仙台宿であるから、
もう一息で第2段階の完了である。





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66中田宿入口

仙台市に入って、最初の宿場中田宿の入口付近である。

増田宿から仙台宿まで、今は町並みがつながっており、
境界がわかりにくくなっている。

かつては宿場の南北に木戸があり、検断屋敷も置かれてあったが、
今は、その痕跡は消えている。

街道沿いに、名取の里と刻まれた道標があった。
この辺が境界であったのであろうか。


詳細リンク:旧奥州街道222「名取・天神塚古墳~仙台・66中田宿」/街道写真紀行
(宮城県名取市上余田、仙台市太白区中田) 1005/1012

2010/12/13

JR名取駅入口~上余田/旧奥州街道221

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JR名取駅前通り

増田神社を後にして、少し歩くと名取駅前交差点となる。
ここから300m先にJR東北本線の名取駅がある。

名取駅は、明治21年の開業当時は、宿場名をとって増田駅となっていた。
しかし、昭和33年の市制施行により、昭和38年に名取駅と改称されている。

東京より341.4kmで、次の駅は南仙台となっている。




42masuda36s  古道標

現在の田高(たこう)交差点で、かつての村田道追分である。
左秋保、村田(県道118号線)、右が仙台バイパスと書かれてあった。

秋保は温泉で有名なところだ。一度宿泊したことがあり懐かしいところである。

村田町は、仙台と山形を結ぶ街道の分起点として、
古くから賑わっていた町だ。
伊達藩が栽培した紅花や藍を仙南地方で買い集め、
江戸や上方は運ぶ商取引で栄え、今でも蔵の町並みが残されている。

田高交差点の角に、古い道標が残されてあった。
正面に「村田道」、左面に「距高館村二十九丁」と刻まれてあった。
1丁は約109mであるので、3.2kmとなる。

なお、高館は高館城に由来する。
安元元年(1175年)、藤原秀衡が築いた館であった。



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名取・上余田

名取市増田を抜けると上余田(かみようでん)に入る。
名取市北端の地域で、次は仙台市となる。
左の道標には「東京より343km、名取市上余田」と書かれてあった。

東京より343km、大分遠くまで歩いてきたものである。
旧奥州街道の第2の目標地仙台はもう一息のところだ。

なお、余田は「ようでん」と読ませているが、
余田(よでん)とは荘園制で土地台帳に載せられていない田の意味である。
一般に地利が低く地子は納めるが、公事は免除されていた土地であった。




詳細リンク:旧奥州街道221「名取・JR名取駅~上余田」/街道写真紀行
(宮城県名取市増田、上余田) 1005/1012

2010/12/12

名取・増田宿~増田神社/旧奥州街道220

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増田宿・旧家

街道左側にある旧家庄司氏宅で、門より中を見ると、庭に石碑が建っていた。

碑には、「明治天皇増田御膳水」と書かれてあり、当時の井戸が残されてある。
明治9年と14年の東北巡幸の際にこの井戸の水を献じたとのこと。



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増田公民館、衣笠の松

名取郡の北方検断を務めた菊池家屋敷跡で、今は増田公民館となっている。
菊池家は本陣でもあり、また益田宿の肝入も兼ねていた。

手前の松は屋敷にあった樹齢数百年の大傘の松(アカマツ)で、
益田市指定天然記念物になっている。

明治9年、明治天皇東北巡幸の折、ここが行在所となり、
随行した木戸孝充が詠んだ歌

「大君の 立寄りましし 陰なれば 衣笠の松とこそ いうなかりけり」

から、衣笠の松と命名したとのこと。




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増田神社

増田神社は、文安年間(1444~1448年)、南朝方の菊池武光の
一族である菊池豊後が奥州に下向した際、
故郷の大和国城上郡笠山の社より分霊して名取市手倉田に
祀ったのが始まりである。

その後、永世年間(1504~1520年)にこの地に奉遷した。

もとは笠山大荒神と称していたが、明治になり笠山神社となり、
さらに明治42年の町村合併で、各町村に所在した神社を合祀して、
現在の増田神社となった。





詳細リンク:旧奥州街道220「名取・増田宿~増田神社」/街道写真紀行
(宮城県名取市飯野坂、増田) 1005/1012


2010/12/11

映画「武士の家計簿」

平成22年12月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
武士の家計簿

 2010年 日
 
 監督 森田芳光

 
猪山直之
    境 雅人

妻駒
    仲間 由紀恵

父信之
    中村 雅俊
 

母常
    松坂 慶子


    草笛 光子
    西村 雅彦

  江戸時代後期、御算用者として代々加賀藩の財政に携わってきた猪山家8代目の直之は、藩の財政状況が厳しい上に、家計の方も年収の倍の借金を抱える状態であった。
  藩の財政を切り盛りしながら、家財道具を処分し、倹約生活を実行、家の借金返済に向け家族一丸となって実行していく様をなまなましく描いている。
  「節約と思えば苦しいが、工夫と思えば楽しい」の駒の台詞は決まっていた。
  磯田道史「武士の家計簿『加賀藩御用算用者」の幕末維新」が原作。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2010/12/09

名取・65増田宿/旧奥州街道219

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増田川

東北本線の奥州踏切を越えると、目の前に未だ新しい
アクセス鉄道仙台空港線(平成19年開業)のガードがある。

JR名取駅から分岐してSAT仙台空港駅に至る全長7kmの空港連絡鉄道だ。
もっとも、すべての列車はJR仙台駅と直通運転となっている。

下の川は増田川で、左の鉄橋はJR東北本線のものだ。

増田川に架かる増田橋を渡ると、奥州街道65番目の宿場・増田宿だ。

増田川は、名取市五社山(296m)北西部を源流として、名取市を横断し、
この先で広浦に合流している川である。





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65増田宿町並み

街道はここで緩やかに左にカーブしている。かつての枡形の痕跡であろうか。

この辺からが旧奥州街道の増田宿であった処であるが、
今は町並みがつながっていて、境界はわからなくなっている。





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旧家土蔵

街道左側にある鶴見屋の2階建の土蔵倉庫は、明治10頃に建てられたものだ。

鶴見屋は江戸時代中頃の創業とのこと。
現在は、食品やガソリン、灯油等の販売を行なっているようだ。





詳細リンク:旧奥州街道219「名取・65増田宿」/街道写真紀行
(宮城県名取市飯野坂、増田) 1005/1012

2010/12/07

名取・薬師堂古墳/旧奥州街道218

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館腰遊歩道親水公園

明神山古墳の傍を抜けると、館山遊歩道の親水公園がある。
住所は名取市植松から飯野坂と変わる。

飯野坂は愛島丘陵北東部にあり、飯野坂古墳群のあるところだ。
ここには、前方後方墳5基と方墳2基が一群となって分布している。

名取市全体では、古墳時代前期から末期までの100基以上の古墳が
確認されている。




42masuda19s  明観寺

親水公園の先、右側(東側)に浄土真宗の無量山明観寺がある。
江戸時代は、この明観寺付近に館腰一里塚があったようだが、
その痕跡は無かった。

この明観寺と旧街道を挟んで反対側(西側)に薬師堂がある。



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薬師堂古墳

薬師堂で古墳があったところだ。

薬師堂古墳の西側には全長40~50m規模の前方後方墳5基(宮山古墳、
観音塚古墳、山居古墳、山居北古墳、薬師堂古墳)と、
全長約14m希望の方墳2基(観音塚1,2号墳)が連なっている。

その中で、一番東側にあるこの薬師堂古墳が全長66m、最大高さ30mの
前方後方墳で、飯野坂古墳群最大の規模となっている。





詳細リンク:旧奥州街道218「名取・飯野坂~薬師堂古墳」/街道写真紀行
(宮城県名取市飯野坂) 1005/1012

2010/12/06

名取・弘誓寺~明神山古墳/旧奥州街道217

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弘誓寺仁王門

弘誓寺(ぐぜいじ)仁王門である。
弘誓寺は、弘法大師により、承和年間(834~848年)に開基されたという古刹だ。

真言宗智山派で本尊は不動明王とのこと。





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植松家並

弘誓寺境内から、東側の植松の町を見下ろした写真である。
この先約5.5kmのところが、太平洋二の倉海岸である。




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館腰遊歩道

弘誓寺の前の小さな川に沿って館腰遊歩道ができている。
県営灌排事業の一環として農業用水の改良と合わせて、
平成4年に完成した遊歩道である。

丁度、旧奥州街道のすぐ傍を並行して、館腰神社、弘誓寺の前を通り、
国指定の重要史跡である明神山古墳のすぐ傍を通り
薬師堂の先で旧街道に合流している快適な道であった。

この左側が、明神山古墳である。
東北地方最大規模の前方後円墳で、長さ168m、後円分の径が96m、
前方部の幅は96mもある大きなものだ。

出土品や立地、築造方法から、4世紀後半から5世紀前半と推定されている。
雷神山古墳という名称は、頂上部に雷神を祀った祠があったことから
名付けられたという。




詳細リンク:旧奥州街道217「名取・弘誓寺~明神山古墳」/街道写真紀行
(宮城県名取市植松) 1005/1012

2010/12/05

名取市植松/旧奥州街道216

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名取・植松町並

名取市植松の町並みである。
右側の館腰郵便局の手前を右折すると、JR東北本線の館越駅のあるところだ。

館腰は明治22年に、植松、本郷、堀内、飯野坂村が合併して、
植松にある館腰神社に因んで館腰村と名付けられたかつての村名でもある。




42masuda09s  JR館腰駅

取市南部の利便性のために開業した新しい駅で、
開業当初は「館腰」に副駅名「仙台空港口」が付いていた。

しかし、平成19年に仙台空港鉄道の開業により、空港へのアクセスバスは
廃止となり、駅名も「館腰」のみとなった。




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館腰神社、弘誓寺入口

街道左側にある館腰神社と弘誓寺(ぐぜいじ)の入口に、
名取市が立てた新しい「奥州路」の案内標識があった。

また、写真右手奥の松ノ木は、説明板によると弘法大使手植えの松で、
「植松」の地名の由来となったとある。

館腰神社由来によると、嵯峨天皇の弘人2年(811年)、空海が
当地に弘誓寺を建立する時に、京都伏見より分霊し奉斎したとある。
明治7年には県社となっている


詳細リンク:旧奥州街道216「名取市植松~館腰神社」/街道写真紀行
(宮城県名取市植松) 1005/1012

2010/12/03

名取市本郷/旧奥州街道215

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名取市本郷

奥州街道64番目の宿場岩沼宿の旧北町を過ぎ、
志賀沢川を渡ると岩沼市から名取市本郷に変わる。

名取市は次の宿場・増田宿のあるところだ。

昭和30年に名取郡の増田町、閖上町、下増田村、館腰村、愛島村、
高舘村の2町4村が合併し、郡名の名取をとって名取町となった。
昭和33年に市制施行で名取市になっている。

名取郡は、古代の政治的中心地であった。
かつては丹取(にとり)の里と呼ばれていた。
東山道の名取駅(駅馬5疋)があったところである。

街道の両側が開け、実に気持ちの良いところだ。
なお、この仙台平野(名取平野)は、東北では一番大きい平野である





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蔵王連峰

左側遠くに、雪を被った蔵王連峰(1841m)が見えた。
写真は望遠レンズで撮ったものだ。

蔵王連峰の雄姿も、旧奥州街道ではここが見納めであろうと思うと
感慨深かった。





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古道標

旧街道を進むと、川内沢川の橋にかかる手前左に、
古石碑(句碑と道標)があった。前方は植松の集落のあるところだ。

左側の大きい石柱の正面には大きく「道祖神路(どうそじんろ)」と
刻まれてあった。
北面には、道祖神社や中将実方の由来、石碑建立の趣旨が説明され、
道祖神社、名取川、仙台城下への里程が刻まれてある。

また、南面には「笠島は いづこ皐月の ぬかり道 はせを」と刻まれてあった。
芭蕉の句碑と道標兼用の石柱である。

笠島塚、又は芭蕉塚と言われ、安政3年(1856年)に
仙台城下河原町の小西利兵衛によって建立されたものだ。

その右側の小さな道標には「笠嶋道」と刻まれてあった。
こちらは建立年はわからなかった。




詳細リンク:旧奥州街道215「名取市本郷~植松」/街道写真紀行
(宮城県名取市本郷、植松) 1005/1012

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