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2010年11月

2010/11/29

岩沼宿・旧北町/旧奥州街道214

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JR岩沼駅

東京発7:04の東北新幹線(やまびこ43号)で福島まで来て、
東北本線に乗り変え、岩沼駅に着いたのは9:55であった。

前回中断した、岩沼宿から街道に復帰する。
2泊3日の徒歩の旅のスタートである。




41iwanuma35s  丸沼堀

街道に復帰して丸沼堀を渡る。
丸沼と長沼に囲まれて武隈館(要害、現JR岩沼駅))があったが、
今のその痕跡もなく、また両池は埋め立てられている。

しかし、この水路は残されており、この先で前述の五間堀川に合流している。




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岩沼宿中央(旧北町)、旧家

丸沼堀を渡ると、左側に相傳商店がある。

初代傳兵衛が文政4年(1821年)に創業した酒造店で、
名取川の伏流水を汲み上げて利用している。

銘酒「名取駒」で知られた蔵元だ。
また副産物である酒粕を利用した奈良漬も評判で、
農林大臣賞も受賞している。

旧北町にも旧家が何軒か残されており、見所の多い町並みとなっている。

なお、この北町にも検断屋敷があり、佐藤家が務めていた。
岩沼には、南、中、そして北町にそれぞれ検断が置かれていた。




詳細リンク:旧奥州街道214「JR岩沼駅~岩沼宿中央(旧北町)」/街道写真紀行
(宮城県岩沼市館下、中央) 1005/1011

2010/11/28

JR岩沼駅/旧奥州街道213

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岩沼宿中央町並み

岩沼市中央一丁目から二丁目に入る。
かつての岩沼宿中町である。



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岩沼駅入口

次の丁字路を左折すると、JR岩沼駅である。
右手にあるのが岩沼市商工会だ。

明治16年に有志で岩沼商法会を結成したのが始まりとのこと。
昭和46年の岩沼市制施行により岩沼市商工会となった。




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JR岩沼駅

旧街道の岩沼駅入口から400m入ったところにJR岩沼駅がある。
開業は明治20年で、東京より東北本線経由で334.2kmである。

また常磐線の終点駅だ。
実際は、常磐線の列車は総て東北本線の仙台駅まで乗り入れている。
因みに東京・日暮里よりここ岩沼駅までの常磐線は343.2kmで、
東北本線経由の方が距離が短い。

なお、岩沼駅の住所は「岩沼市館下」で、痕跡は無いが
ここに武隈館(要害)があったという。


今回はここで、街道歩きを中断し、東北本線の上り15:23発の電車で
福島まで行き、新幹線に乗換え帰京する。

東京に着いたのは18:44であった。





詳細リンク:旧奥州街道213「岩沼中央~JR岩沼駅」/街道写真紀行
(宮城県岩沼市中央、館下) 1004/1011



2010/11/27

岩沼宿中央(旧南町)/旧奥州街道212

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岩沼宿旧家

竹駒神社を出て、岩沼宿内の旧街道を北上する。
現在の住所表示は中央1丁目となっているが、かつての南町である。

多くの旧家が、かつての面影を留めたまま残されている。





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南町検断屋敷/本陣

街道左側にかつての南町検断屋敷、岩沼宿本陣があった。

南町検断屋敷は北町、中町と同様に藩の費用で設置されたもので、
治安、交通運搬、鉄砲鑑札等を担っていた。
また肝入り(名主、庄屋)と共に、「高人数御改帳」の役目も担っていた。

上の写真は当時の検断屋敷の突上二階櫓門である。



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小野酒造店

銘酒武隈」と看板のある旧家。
小野酒造店だ。享保元年(1716年)初代惣助以来、麹製造業であったが、
6代目惣助が文久元年(1861年)に酒造業に転じ、現在まで続いている。

当初の酒の銘柄は「巴」、「旭」とあり、当時の岩沼館主古内家の御酒屋を
務めていたので、同家の家紋「左巴」より銘柄名を「巴」としたとのこと。
現在は、岩沼の古称、武隈の里の「武隈」を銘柄としている。

岩沼は旧家がそのまま残されているところが多く、
写欲をそそられる町であった。





詳細リンク:旧奥州街道212「岩沼宿・中央(旧南町)」/街道写真紀行
(宮城県岩沼市中央) 1004/1011

2010/11/26

岩沼宿・竹駒神社/旧奥州街道211

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竹駒神社楼門

岩沼宿の枡形を抜けると、すぐ左手にあるのが日本三大稲荷の一社、
竹駒神社(旧称武隈明神)だ。

由緒によると、承和9年(842年)、小倉百人一首にも名を連ねている
小野篁(たかむら)卿が陸奥国司として赴任した際、伏見稲荷を勧請して
創建したと伝えられている。

写真は入口にある立派な楼門(随身門)で、
文化9年(1812年)に建立された、総欅材使用している。
江戸後期の秀作とされている。





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竹駒神社社殿

竹駒神社社殿で、拝殿、幣殿、本殿が一体となっている。

前の社殿は、仙台藩5代藩主伊達吉村によって造営されたが、
平成2年に放火によって焼失し、現在の社殿は平成5年に再建されたものだ。

祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ、稲荷神)、保食(うけもち)神、
稚産霊(わくむすび)神である。





41iwanuma17s  馬事博物館、馬検場址

竹駒神社の境内に馬事博物館が出来ている。
竹駒神社の初午大祭(旧暦の2月の初午から7日間行われる)に引続き
100日間、ここで馬市が開かれたとのこと。
幕府や南部藩からも馬役人がきて取引が行われた。

後に伊達藩により、100日は50日に変更された。
また岩沼は大正の初期には軍馬三大購買地の一つとして名を馳せていた。

博物館には、それら馬市関係の蒐集品や参考品が保管展示されている。
馬事博物館の前に馬検場址碑が建立されている。


 


詳細リンク:旧奥州街道211「岩沼宿・竹駒神社~馬検場跡」/街道写真紀行
(宮城県岩沼市稲荷町) 1004/1011

2010/11/25

吉例顔見世大歌舞伎

平成22年11月
新橋演舞場

演 目 役 者 観 劇 記
河竹黙阿弥作
宇野信夫補綴

通狂言
天衣紛
  上野初花
(くもにまごう うえののはつはな)

河内山と直侍

序幕 湯島天神境内
    上州屋店先
二幕 大口楼廻し部屋
    同 三千蔵部屋
    吉原田圃根岸通
三幕 松江邸広間
    同 書院の間
    同 玄関先
四幕 入谷村蕎麦屋
    大口屋寮
    浄瑠璃
     「忍逢春雪解」
大詰 池之端河内山妾宅

   5幕11場

 
河内山宗俊
      幸四郎

片岡直次朗
      菊五郎

遊女三千蔵
      時 蔵

金子一之条
      段四郎

松江出雲守
      錦之助

腰元浪路
      梅 枝

      錦之助
      田之助
      秀太郎
      

  河内山宗俊は、金の無心のため、質店の上州屋に訪れ、そこの娘が腰元として奉公にでている先の主人・松江出雲守から妾になれと迫られていることを知る。
  川内山は礼金と引き換えに娘を連れ戻すことを約束する。
  そして、上野寛永寺の使僧に化け、出雲守の屋敷に乗込み、無事に娘を引取ることに成功するが、帰りがけに家臣に素性を暴露されて、と展開していく。
  講談「天保六花撰」をもとに作られた作品で、江戸城のお数寄屋坊主河内山宗俊と、その悪事の片棒を担ぐ御家人くずれの片岡直次朗を中心に、直次朗と相思相愛の遊女三千蔵、剣客の金子市之丞など、御馴染み江戸の小悪党と交差する人間模様を、生き生きと描いた作品。
   大団円の潔さが、まさにこの作品の真骨張であった。

詳細リンク:「歌舞伎」/日本写真紀行

2010/11/23

64岩沼宿/旧奥州街道210

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岩沼宿町並み

本町の枡形を抜けると、奥州街道64番目の宿場・岩沼宿の中心部に入る。
江戸時代、岩沼宿は北町、中町、南町、新町の4町よりなる宿場であった。

岩沼は水陸交通の要衝で、仙台藩領内でも大きな宿場として栄えていた。
近世初頭からの馬市でも賑わった町である。





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竹駒神社参道

左側に竹駒神社参道。
竹駒神社は日本最大稲荷の一つで、陸奥国府を鎮護するため創建された古社だ。
農業、養蚕、馬産、職人の神として信仰されてきた。

また、歌枕「武隈(たけくま)の松(二木(ふたき)の松)」の地でもある。
岩沼の古名が武隈の里であった。




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芭蕉句碑

竹隈神社境内にある芭蕉句碑と謙阿句碑。

芭蕉は、元禄2年(1689年)、曽良と共にみちのくの旅に出て
「おくのほそ道」を著した。
その中に「武隈の松」を訪れた章がある。
さらに「曽良随行日記」に竹駒明神が登場してくる。

その時の句  
「佐くらより 松盤(ば)二木を 三月越し」
が写真左側の句碑(二木塚)に刻まれてあった。

右側の謙阿句碑(名月塚)は、寛政5年(1793年)、芭蕉翁の百年忌法要を
記念して建立された句碑である。

句碑には、謙阿の句 「朧よ里(り) 松は二夜の 月丹(に)こ楚(そ)」
と刻まれてあった。
謙阿は古内家の給士で、芭蕉6世とまで言われた俳人とのことだ。





詳細リンク:旧奥州街道210「64岩沼宿」/街道写真紀行
(宮城県岩沼市本町、稲荷町) 1004/1011


2010/11/22

岩沼・五間堀川~聖徳太子堂/旧奥州街道209

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西原橋/五間堀川

槻木宿から旧街道にほぼ並行して流れていた五間堀川の橋・西村橋を
渡ると、岩沼市街となる。

五間堀川はもともとは阿武隈川に流入している川であったが、
岩沼藩時代に阿武隈川から切り離され、貞山堀に流入している。

貞山堀は伊達政宗が始めた工事で、仙台湾に沿って阿武隈川から
名取川の間の堀で、舟運に利用された堀である。

貞山とは、伊達政宗の諡号(おくりごう)よりきている。




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五間堀川、下流側

西村橋より五間堀川の下流側を見た写真である。
前方に見える橋が現在の江戸橋である。

かつては、ここ西村橋が江戸橋であった。
この川は岩沼城の外濠の枠割りも果たしていた。

五間堀川には三ヶ所の橋があり、奥州街道の江戸橋(現西村橋)、
浜街道の天狗橋、そして二の倉街道の三軒橋であった。

この辺の地名は岩沼市桑原となっている。


この桑原の地名は、桑畑のことでは無いようだ。
クワは川沿いの土地の意があり、バラは荒地の意味であったとか。
ここも五間堀川の北側に並行した土地となっている。
そういえば、青森から九州まで、「桑原」の地名が驚くほど多数ある。




41iwanuma09s  聖徳太子堂

さらに進むと、左側に聖徳太子堂がある。
病気が流行した時、聖徳太子像2体を造り、
病気退散の祈願をしたのが始まりとのこと。

その入口鳥居横には、鳥居より高さの高い馬頭観世音があった(写真左部)。
比較的新しい観世音で、大正11年に地元の荷馬車業社の建立である。
その前の松ノ木は、石柱に「清乃松」と彫られてあった。


聖徳太子堂を過ぎると街道は直角に左折となっている。
写真右手には日蓮宗安國寺のあるところだ。




詳細リンク:旧奥州街道209「岩沼市・五間堀川~聖徳太子堂」/街道写真紀行
(宮城県岩沼市桑原) 1004/1011

2010/11/21

映画「SP、野望篇」

平成22年11月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
SP、野望篇

 2010年 日
 
 監督 -
 脚本 金城一紀  
  -

 
井上薫
    岡田 准一

笹本絵里
    真木 よう子

伊達國雄
    香川 照之
 

    山本 圭
    蛍雪 次朗

  六本木でテロ事件発生。立ち向かうSP警視庁警備部警護課第4係員の活躍を描く。
  テレビドラマの劇場版とのことであるが、映画としては主題も伏線も物語の展開も脚本が安直で、演出も粗かった。


詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

岩沼・南長谷~桑原/旧奥州街道208

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常磐線

JR常磐線のガードを潜る。
岩沼駅は常磐線と東北本線の接続駅である。

常磐線は東京の日暮里駅と東北本線の岩沼駅を結ぶ
全長350.4kmの路線だ。
もっとも、実際の運行は上野、仙台間となっている。




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東武神社

街道左に真っ赤に塗られた東武神社。
最初「とうぶじんじゃ」と思ったが、「とうたけじんじゃ」と呼ぶようだ。
かつては「当竹神社」と表記されていたとのこと。

創建は寛政年間(1789~1801年)と伝えられている。
また、この近くに岩沼一里塚があったと資料にあるが、痕跡は無かった。

境内には、天保14年(1844年)、白川九番町碇屋金○郎と刻まれた
馬頭観世音や寛政12年(1801年)と刻まれた庚申供養塔等があった。  




詳細リンク:旧奥州街道208「岩沼・南長谷~桑原」/街道写真紀行
(宮城県岩沼市南長谷、吹上、桑原) 1004/1011

2010/11/18

柴田町四日市場~岩沼市南長谷/旧奥州街道207

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旧街道/四日市場

槻木宿の枡形を抜けると、旧奥州街道は阿武隈川沿いの道となる。
すぐ傍を、国道4号線が走っている。

この手前の信号は四日市場となっており、写真のこの辺が柴田町3番目の
四日市場一里塚があったところであるがその痕跡は無かった。

この辺の地名・四日市場は、阿武隈川水運を利用した市が立っていた名残であろう。





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阿武隈川下流側

阿武隈川の広大な河川敷である。

槻木で白石川と合流して、まさに大河(流路延長239km)となっている。
旧奥州街道は、この阿武隈川沿いを歩いてきたわけであるが、
ここが最後である。

阿武隈川は、岩沼市と亘理町の境界となり、この先で太平洋に流入している。





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古境界石

街道左に古い境界石があった。
「西 柴田郡槻木村、東 名取郡千貫村」と刻まれてあった。

ここで柴田町から岩沼市南長谷と変わる。
正面は阿武隈川を跨ぐ水道橋で、仙南・仙塩広域水道と表記してあった。


さらに進むと、道標と八声の橋記念碑があった。
道標には、「八声の橋跡 南西七十三米、竹駒神社東北2.3Km」とあった。  

八声記念碑によると、第54代仁明天皇の御世の承和9年(842年)、
陸奥守小野篁(おのたかむら)卿が国府鎮護のため都より下る途中、
ここ南長谷村の橋に来た時、狐が八回鳴いたので八声(やごえ)橋と
呼んだのが始まりとか。

そして岩沼に日本三大稲荷の一つ、竹駒神社(後述、)を創建された。

なお、この石碑は八声橋に使用されていた石が使用されている。
また、八声橋は後に転訛して、「弥五郎橋」と呼ばれていた。

詳細リンク:旧奥州街道207「柴田町四日市場~岩沼市南長谷」/街道写真紀行
(宮城県柴田郡柴田町四日市場、岩沼市南長谷) 1004/1011

2010/11/15

オーチャード・ホール/渋谷

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N71102 

近くなので、渋谷にあるオーチャードホールには、良くコンサートにいく。
今回は「ヨーロッパ・クラシック音楽紀行」と銘打ったコンサートであった。

ピアノ 田部京子、メゾ・ソプラノ 林美智子
そして、指揮は梅田俊明で、演奏は新日本フィルハーモニー交響楽団である。

シベリウス、  交響詩フィンランディア
グリーグ    ピアノ協奏曲
シューマン   ピアノ小曲集 子供の情景
         歌曲集 ミルテの花他
ショパン    ノクターン
サン=サーンス 歌劇 サムソンとデリラより
ビゼー     歌劇 カルメンより

と、実に多彩な演奏会で、素晴らしい一時であった。
この後、渋谷で食事をして帰宅。



(東京都渋谷区道玄坂) 0711/1011  

2010/11/14

柴田町・槻木下町/旧奥州街道206

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槻木下町

槻木宿の枡形を抜けると、槻木上町から槻木下町と変わる。

旧奥州街道に面して、不動産の宗庫、佐藤靴店、和菓子の江戸屋本店、
やきとり大吉と続くところだ。




40tukinoki14s  久須志神社

槻木宿出口付近左側にある久須志神社だ。
ここに薬師堂が創建され250年であったが、明治の廃仏毀釈で
久須志神社となった。

富士山頂にある久須志神社を分霊したもので、祭神は大名牟遅命、
少彦名命となっている。

例年4月の祭礼では、槻木木鑓音頭に合わせて山車が町内を練り歩くという。




40tukinoki16s  蛙像と記念碑

須志神社参道脇には、山神、庚申塔、聖山大明神、大神宮等
多数の石塔が
綺麗に並べられてあった。

その中に、子蛙を4匹背負った石造蛙と、
その奥には久須志神社改築記念碑があった。

蛙は古代インドやエジプトや中国の神話に出てくるが、
日本でも蛙神は信仰されており、旧街道歩きの途中で何度か見ている。

蛙神は、普通は水神、疣取り神、多産の神であるが、
福の神や「金蛙(かねかえる)」、「無事蛙(ぶじかえる)」神等もあった。

  



詳細リンク:旧奥州街道206「柴田町・槻木下町」/街道写真紀行
(宮城県柴田郡柴田町槻木下町) 1004/1011

2010/11/13

柴田町・63槻木宿/旧奥州街道205

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JR東北本線、阿武隈急行線ガード

東禅寺を出ると、すぐ前にJR東北本線と阿武隈急行線の高架を潜る。

この先ですぐ左折し、国道4号線(写真左部)の下を潜り、
奥州街道63番目の宿場・槻木宿に向かう。

阿武隈急行線は旧国鉄の丸森線で、
槻木駅と福島駅を結んでいる全長54.9kmの路線だ。
地元では「あぶきゅう」と呼んでいるようだ。





40tukinoki08s  槻木白幡・八幡神社

街道左側に八幡神社がある。前九年の役の時、源義家が氏神の八幡宮を
勧請し創建したと伝えられている。

この八幡神社の東側には、
船迫の松光山大光院の末寺・満蔵院白幡寺があった。
今は廃寺となっているが、寺名が地名(槻木白幡)となって残されている。



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63槻木宿入口枡形

槻木宿入口付近の枡形だ。
この先で、街道は右に曲がっている。

中央の標識には、左:槻木駅と書かれてある。
JR東北本線と阿武隈急行線の槻木駅で、開業は明治24年だ。

槻木宿入口枡形の右側に木造の逢隈旅館がある。
ここが江戸時代は大茶屋と呼ばれた逢隈亭で、
現在は割烹・逢隈旅館として営業している。

現在の主人は18代目とか。昔から鰻が名物であった。





詳細リンク:旧奥州街道205「柴田町・槻木白幡~63槻木宿」/街道写真紀行
(宮城県柴田郡柴田町槻木白幡、槻木上町) 1004/1011

映画「義兄弟」

平成22年11月
109シネマズ川崎

タイトル キャスト コメント
義兄弟

 2010年 韓
 
 監督
  チャン・フン

 
イ・ハンギュ
    ソン・ガンホ

ソン・ジウォン
    カン・ドンウォン


    チョン・グクァン
 
  北朝鮮の工作員として潜入していたジウォンは、影と呼ばれる暗殺者と共に、国家の裏切り者である金正日の身内暗殺を成功させるが、韓国国家情報員ハンギュに計画を嗅ぎつけられ包囲されてしまう。
  何とか逃げ延びた二人と、それを追うハンギョの宿命の対決と共に、ジウォンとの間に芽生える絆をうまく描いている。主役の二人が良かった。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2010/11/12

柴田町・槻木白幡/旧奥州街道204

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旧街道

旧奥州街道は、白石川の自然堤防の上となっている。
車も殆ど通らず、実に快適な道となっている。





40tukinoki03s  古里程標

街道左手に「距仙台元標七里」と彫られた里程標があった。
明治22年に設けられたもので、仙台まで約28km、あと一日のコースとなった。




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東禅寺

柴田町東船迫(ひがしふなばさま)から槻木白幡(つきのきしらはた)地区に
入ると、
街道左側に小さな堂宇があった。
そしてその先には広大な墓地と東禅寺があるところだ。

東禅寺の境内には原田甲斐の母慶月院の供養塔(七回忌供養塔)がある。

秀吉の側室宝泉院(お種の方、香の前)は伊達政宗に引き取られ、
後に伊達家家臣の茂庭綱元のもとに嫁し男子と女子を産んだ。

その女子が慶月院で伊達家重臣である原田家に嫁し、
生まれたのが原田甲斐である。
なお、その時の男子は茂庭家から涌谷伊達家に養子に行き、
亘理家を相続して、仙台藩の家臣として明治を迎えている。




詳細リンク:旧奥州街道204「柴田町・東船迫~槻木白幡」/街道写真紀行
(宮城県柴田郡柴田町東船迫、槻木白幡) 1004/1011

2010/11/11

柴田町・東船迫/旧奥州街道203

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船迫公民館前

東船迫にある船迫公民館の前に奥州街道の標柱と、説明板、
土地区画整理記念碑があった。

それによると、この辺は立派な松並木が残されていたが、
太平洋戦争時の軍用資材(松根油用)として伐採されてしまった。

今は名残の松として、一本だけ残されているという。
背後の丘の上には貴船神社(山王公園)があり、
古い石塔が集められてあった。

また、柴田町は8世紀初めの柴田郡役所に使用された鬼田瓦窯跡や、
250基を越える円墳(上野山)、100基余りの横穴墓のある
森合横穴古墳群など縄文時代以降の遺跡が多数あり、
古代から船迫は多くの人口を抱えた地域であった。





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一里塚跡

白石川の土手の部分に一里塚跡碑があった。

街道の両側の塚の上には杉の木が植えられていたようだ。

なお、柴田町には一里塚が3ヶ所あったとのこと。
船迫字二本杉(前述)、ここの船迫内余川、そして次の四日市場一里塚である。





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白石川下流

白石川の土手に上り、下流側を見た写真である。
正面の山は、阿武隈高地北端手前の三門山(204.9m)である。




詳細リンク:旧奥州街道203「柴田町・東船迫」/街道写真紀行
(宮城県柴田郡柴田町本船迫、東船迫) 1004/1011

2010/11/09

柴田町・本船迫~薬師堂/旧奥州街道202

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船迫宿出口

船迫宿の3番目の枡形を曲がると、正面に薬師堂のある山が見えてきた。

左に「太陽の森」と書かれた標識がある。
柴田町自然休養村で、蔵王連峰はもとより太平洋も望めるところだ。
宿泊施設や研修施設、散策道等が整備されている。





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船迫薬師堂

船迫の薬師堂だ。

手前左端には蠶(蚕)神、
そして階段の右側には供養塔等の石塔が並べてある。

右端の白い石柱には「薬師堂のサクラ」と記されてあった。





39funasako08s  旧街道

薬師堂より先は山沿いをやわらかく蛇行している街道となる。

左側の山の中腹に「櫻井喜吉先生の碑」(右側)と髪塚と刻まれた
頌徳碑があった。

刻まれた文を読むと、船迫地区は無医村で、村の有力者が
次の宿場である槻木宿の医師櫻井喜吉と図り、
無料の日曜診療所を明治26年に開設。

これにより村の衛生状態が改善され、病人が激減した。
その徳に感謝し頌徳碑を建立したとある。
髪塚には櫻井先生の遺髪が祀られていた。

写真右側は白石川の氾濫源で、今は広い田圃となっている。
旧街道は、白石川の北側山沿いを遠く迂回しているが、
現在の国道4号線(陸羽街道)は、この先を当たり前のように
最短距離で横切っている。




詳細リンク:旧奥州街道202「柴田町・本船迫~薬師堂」/街道写真紀行
(宮城県柴田郡柴田町本船迫字下町、館山) 1004/1011

2010/11/08

柴田町・62船迫宿/旧奥州街道201

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船迫宿入口枡形

西船迫交差点を過ぎると、旧奥州街道62番目の宿場である船迫宿の
入口枡形となる。
この先を左折しすぐまた右折となるところだ。

船迫の地名は、奥州合戦の時、船迫長門という武将が
ここで鎌倉軍相手に奮戦したとか、
白石川がここで大きく蛇行して迫ってくる地形からとの説があるようだが、
後者が尤もらしい。

地図をみると良くわかるが、船迫地区は谷戸の奥にあり、
かつては白石川がここまで大きく湾曲していたようだ。

その氾濫源は、今は広い田圃となっている




39funasako03s  船迫阿弥陀堂

入口枡形を過ぎると、左手の小高い丘の上に船迫阿弥陀堂がある。
しかし、ここにあった阿弥陀堂は荒廃したため今は無く、
当時の阿弥陀如来座像は後述の大光院に移されているとのこと。

また、この階段の途中には山神が祀ってあった。



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船迫宿町並

この辺がかつての船迫宿の中心街である。
住所も柴田町本船迫字上町となっている。

右端の店は、塩、酒、食料品を扱っている安藤商店。

宿場はこの先で2番目の枡形となっている。
階段状に枡形が続いているところだ。

なお、写真左手の奥の丘陵上にある松光山大光院(真言宗)は、
江戸時代、柴田郡の真言宗の本寺であった。

寺有の鉄造阿弥陀如来坐像は、文永3年(1266年)に作られたもので、
船迫の鉄仏と呼ばれ、宮城県文化財に指定されている。

鉄仏は、鎌倉時代に関東御家人によって造られた例が多いようだ。




詳細リンク:旧奥州街道201「柴田町・62船迫宿」/街道写真紀行
(宮城県柴田郡柴田町西船迫、本船迫) 1004/1011

2010/11/06

柴田町・船岡/旧奥州街道200

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柴田町境

韮神橋を渡ると、すぐ大河原町と柴田町の町境となる。

柴田町は昭和31年に船岡町と槻木町が合併して柴田町となった。
古くから発達した町で、周囲の丘陵地に点在する貝塚や出土した土器は
縄文時代前期のもの。

室町から戦後時代にかけての城跡や館跡は、町内に10数箇所もある。

なお柴田町は、平成10年、「新世紀の柴田町造り」の一環として、
男女共同参画都市宣言をしている。





38ohgawara43s  北船岡町並

柴田町に入り最初の集落が北船岡である。
文字通り、船岡城跡のあった館山の北側に展開する町だ。

館山は四方山とも呼ばれ、山頂から名取、刈田、伊具、亘理を四方に
一望でき、仙台平野の南を押さえる要害の地であった。




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船岡城跡

白石川に出てみると、目の前に船岡城(船岡要害、四保館、柴田城)跡が
目の前に見えた。
館山(四方山)は標高136mの低い山であるが、
確かに四方から良く目立つ山である。

なお、白石川土手の「一目千本桜」は、隣の大河原町からここ船岡まで続く
桜並木で、約1200本が植えられている。




詳細リンク:旧奥州街道200「大河原・韮神橋~柴田町・船岡」/街道写真紀行
(宮城県柴田郡大河原町字町、柴田町北船岡) 1004/1011

2010/11/01

大河原宿出口~荒川/旧奥州街道199

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一目千本桜/白石川

大河原宿の出口の 枡形を抜けると、旧街道は白石川のすぐ傍を通っている。
丁度土手を見上げる感じとなっている。

桜が見事であった



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旧街道

旧街道は大河原の桜郵便局の前を通り、白石川から少し離れて行く。
この辺は、かつては松並木のあったところだ。

目の前に荒川の土手があり、その先に韮神山(94m)がある。

韮神山は奇岩怪岩の山で、奥州藤原氏と源頼朝軍が戦った
文治の役(文治5年、1189年)の古戦場であったところだ。

山の上に黄韮が自生していたので、これを山の神の霊として崇め、
山名も韮神山と呼ばれるようになった。

旧街道は、この荒川の土手の上となる。
江戸時代は「にらかみ橋」が掛かっていたが、今は少し下流側の
韮神橋を渡ることになる。


この辺は仙台平野の入口にあたり、要衝の地であった。




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韮神橋/荒川

荒川に架かる韮神橋。

荒川は、宮城県柴田郡村田町の川崎町との境界付近を源流とする川で、
この先で白石川に合流している一級河川である。




詳細リンク:旧奥州街道199「大河原宿出口~荒川」/街道写真紀行
(宮城県柴田郡大河原町字町、南桜町) 1004/1010

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