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2010年10月

2010/10/31

映画「雷桜」

平成22年10月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
雷桜

 2010年 日
 
 監督
  廣木隆一

 

清水斉道
    岡田 将生

雷/遊
    蒼井 優

榎戸角之進
    柄本 明 

    坂東 三津五郎
 
   村上 淳
    宮崎 美子

  

  将軍徳川秀斉の17男、清水斉道は心の病で静養のため村へ向かう道中、落雷に撃たれた公孫樹の根元に桜が根をつけた奇妙な巨木の傍で、雷と呼ばれる自由奔放な娘と出会う。
  将軍家の息子と山育ちの娘の身分違いの恋を縦糸に描いた作品だ。脚本が良く練れており、最後まで楽しめる映画となっている。脇役がしっかりしている上に、主役の二人(蒼井優、岡田将生)がなかなか良かった。


詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2010/10/30

大河原駅入口~白石川/旧奥州街道198

38ohgawara28s  大河原駅入口

この交差点を右折して、白石川に架かる屋形橋を渡ると、
JR東北本線の大河原駅がある。
大河原駅は東京から320kmの距離で、創業は明治20年と歴史がある駅だ。

なお、関西本線にも大河原駅があるため、こちらの駅名は
「(北)大河原」と切符には印刷されている。



38ohgawara29

大河原宿町並み

小河原駅入口を過ぎてさらに進む。
元織物、染物屋であったまるきぬ呉服店、こなや金物店、
そして観光堂(本屋)と続いている。右側は衣料デパート大徳だ。

今でこそ、地名はすべて大河原町字町となっているが、
以前は上町、中町、本町、そして新田町であり、この辺は本町と
呼ばれていたようだ。

街道右側に曹洞宗・繁昌院がある。

街道を挟んで東側にあるので、東の寺と呼ばれている。
寺宝である阿弥陀如来座像は平安時代末期のもので、
大河原町の有形文化財に指定されている。

そして、街道左側にあるのが真言宗・最勝院で、
街道を挟んでl西側にあるので西の寺と呼ばれている。

例年夏に行われる聖天祭(おしょうでんさん)は賑やかに
行われているとのこと。
又寺の境内には愛宕神社が鎮座している。



38ohgawara33

一目千本桜/白石川

大河原宿の出口付近にある大河原小学校の前で、
再び白石川の土手に上って見た。
川はここで大きく右にカーブしているところだ。

まさに一目で千本の桜が見えるような光景である。
前方の山は韮神山、その背後は羽山(223m)である。




詳細リンク:旧奥州街道198「大河原・駅入口~白石川」街道写真紀行
(宮城県柴田郡大河原町字町) 1004/1010

2010/10/28

大河原宿・町/旧奥州街道197

38ohgawara22

大河原宿・町並み

翌朝、旅館の女将の好意で、朝食は6時半にしてもらった。
街道歩きの時は、出来るだけ朝早く出発したいので非常にありがたかった。

大河原宿は、旧家がそのまま残されているところが多く、
歩いていて楽しくなるところであった。

この辺は、かつての大河原宿の中心部で、住所は大河原町字町となっている。
普通は「本町」と表記するところが多いが、ここでは字名は「町」であった。

大河原は江戸時代は宿場の他に、米と特産の紅花の集積所としても
賑わっていた。
また明治11年には柴田・刈田郡の郡役所が置かれ、
仙南地方の中心であった。


現在でも国や県の出先機関が設置され、広域行政の中心地となっている。





38ohgawara27s  大河原教会

街道左手に大河原教会がある。

写真は大正14年に建立された木造の旧公会堂だ。
平成17年に新公会堂が完成している。

大河原教会は、明治31年に日本キリスト一致教会・大河原伝道所が
開設されたのが始まりである。



38ohgawara24

大河原宿・旧家

さらに進むと、写真のような旧家が沢山残されていた。

上の写真は「東塾大河原進学教室」となっており、
古い店蔵を今でも利用している。



詳細リンク:旧奥州街道197「大河原宿・町」/街道写真紀行
(宮城県柴田郡大河原町字町) 1004/1010

2010/10/26

大河原町、白石川~61大河原宿/旧奥州街道196

38ohgawara14

一目千本桜、白石川

奥州街道61番目の宿場・大河原宿の入口のところから、
すぐ近くの白石川に出てみる。江戸時代には渡しのあったところだ。

日曜日の今日は、車と人出が凄かった。
ここは宮城県で唯一日本さくら名所百選に選ばれている
一目(ひとめ)千本桜の中心部で、ちょうど満開であった。

蔵王連峰を源流とする白石川沿いに、上流の金ヶ瀬地区から
隣の柴田町船岡地区まで、約8km、1200本の桜並木である。

一目千本桜というから、一目で千本の桜が見えるところと思っていたが、
実際は奈良の吉野山が平安時代より「一目千本」と呼ばれていたことに肖って
名付けられたようだ。

桜の開花期にはJR東北本線は、この並木沿いを徐行運転している。
並木のすぐ傍(写真の土手の裏側)を走っているので、
実に見事な眺めであった。



38ohgawara15

屋形橋、白石川

白石川を下ると、目の前に尾形橋がある。
この橋を渡るとJR東北本線の大河原駅があるところだ。
町の中心部であるかつての大河原宿とは白石川を挟んで反対側となっている。

右の小高い丘は、館山(136m)で船岡城のあったところだ。
山本周五郎の「樅の木は残った」(伊達騒動)の原田甲斐宗輔(むねすけ)の
館のあったところで、麓には山本周五郎の文学碑が建っている。

原田氏改易の後は、原田甲斐宗輔に斬殺された柴田外記の子
宗意(むねとも)が入封し、明治維新まで代々継承した。

二の丸跡にはその原田甲斐と、柴田外記の供養塔が建っている。
頂上の本丸跡には平和観音が建立されている(写真の白い塔のようなもの)。

左の低い山は韮神山(94m)である。
この辺一帯は仙台平野への入口付近の要衝で、奥州合戦で源頼朝軍は
ここを通って仙台平野に攻め込んだという。

激戦地で、韮神山に陣取った藤原方の守将の一人照井太郎が
戦死したと伝えられている。



38ohgawara20

61大河原宿入口

白石川から宿場入口に戻る。

写真右の赤い屋根の建物は、宿場入口にある如意輪観音堂だ。
元禄年間(1688~1704年)、大河原宿の大泉源十郎が
勧請したのが始まりで、その後本尊が盗難にあったので、
隣地で旅籠を営んでいた大庭兵七が新たに本尊を安置したと説明にあった。

また、ここは大河原宿の西の入口にあたり、
白石川の渡しのあるところでもあり、境内は旅人の小休所となっていた。

なお、大河原は多くの川が合流する(逢う)原の意味で、
逢河原が大河原と転訛したとのこと。

如意輪観音堂の裏手には、大きな馬頭観世音や山神、市神等が
多数祀ってあった。

今日はここで旧街道歩きを中断して、今来た街道を戻り、
街道に面したラドン温泉の看板を掲げた旅館(大河原町字南街道下)に
宿泊する。



38ohgawara16s 大河原温泉

宿泊した大河原温泉旅館・ぶんか荘の正面である。
旅装を解いて、熱すぎるくらいのラドン温泉に入った。
身も心も休まる一時である。

そして、熱燗をちびりちびり飲みながらの夕餉であった。
手ごろな値段であるが、料理が旨かった。




詳細リンク:旧奥州街道196「大河原町・白石川~61大河原宿」/街道写真紀行
(宮城県柴田郡大河原町西浦、中河原、南街道下) 1004/1010

2010/10/25

映画「桜田門外ノ変」

平成22年10月
109シネマズ川崎


タイトル キャスト コメント
桜田門外ノ変

 2010年 日
 
 監督
  佐藤 純彌

 
関鉄之介
    大沢 たかお

妻・関ふさ
    長谷川 京子

金子孫二朗
    柄本 明 

    柄本 孝明
    伊武 雅刀
    北大路 欣也
    温水 洋一

      
  桜田門外ノ変の実行部隊の指揮官であった関鉄之介を主人公に描いた本格的時代劇。
  水戸藩士の下級武士の長男として妻子と暮らしていたが、藩主父子が井伊大老により処罰を受けたことから歴史のうねりに翻弄されていく姿を描いている。
  歴史的事件を判りやすく丁寧に作られており、好感がもてる作品となっている。



詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2010/10/20

金ヶ瀬~大河原宿入口/旧奥州街道195

38ohgawara11

金ヶ瀬交差点

金ヶ瀬宿を抜けると、国道4号線と並行した道となる。
この先の交差点が大河原町金ヶ瀬交差点となる。




38ohgawara12

旧国道4号線分岐

国道4号線に並行して走っている旧道(歩道)を進むと、
正面に大きな交通標識がある。

この先300mで、左:蔵王、右:角田、船岡方面の交差点である。

旧街道は、写真の少し先のY字路を
右方向(県道110号、大河原高倉線、旧国道4号線)に入る道である。




38ohgawara13

大河原宿入口

Y字路を右に入り、900m程進むと、
奥州街道61番目の宿場大河原宿入口となる。
旧街道は、ここで左折し宿場に入る。

写真正面にある赤い屋根は宿場入口にある如意輪観音堂だ。
この辺に一里塚があったというが、その痕跡はなかった。

このすぐ右手には仙台地方裁判所大河原支部があり、
その裏は一目千本桜で知られた白石川である。




詳細リンク:旧奥州街道195「大河原町金ヶ瀬~大河原宿入口」/街道写真紀行
(宮城県柴田郡大河原町金ヶ瀬、南海道、中川原) 1004/1010

2010/10/18

大河原町・60金ヶ瀬宿/旧奥州街道194

38ohgawara02

大高山神社

奥州街道60番目の宿場金ヶ瀬宿入口にある延喜式内社である大高山神社。
敏達天皇が即位した敏達元年(571年)の創建という。

祭神は日本武尊、用明天皇(聖徳太子の父)であるが、元
来は蔵王山をご神体としていたようだ。
この地方の白鳥崇拝は同社が発祥といわれている。

江戸期までは柴田郡総鎮守として、柴田町新開の台ノ山にあったが

大正3年に現在地に移転されたとのこと。

本殿は江戸中期の建物で、施設内には国重要文化財の東北最古の
鰐口(永仁1年銘、1293年)や、文治年間(1185~1189年)に
藤原忠衡により寄進された鉄九輪塔(拝殿西側)がある。

また、江戸期の絵馬等が多数残されている。



38ohgawara04

60金ヶ瀬宿町並み

金ヶ瀬宿の静かな町並みである。

元来、この集落は宮村籠石(かごいし、現刈田郡蔵王町)にあり、
白石城主片倉氏の足軽が境界警備に当たると共に、
伝馬役を担当していたが、寛永14年の洪水で流失した為、
隣村である平村に知行を与えられ形成されたのが現在の金ヶ瀬宿の
本町である。

さらに享保6年(1721年)に、片倉氏の加勢要請で、伊達氏直属の
平村の百姓を本町の東側に移住させ出来たのが金ヶ瀬宿の新町である。

写真では判りにくいが、本町の家屋は南西の白石城を、
新町は北東の仙台に正面を向けて建てられていう
変わった町並みとなっている。


また、仙台道中歌(馬子唄)に、

   長町(ながまち)や中田(なかだ)の馬を増田(ますだ)まで 
   もの岩沼(いわぬま)に槻木(つきのき)の土手 
   船迫(ふなばさま)恋しき人に大河原(おおがわら)
   変わらぬ色を契る金ヶ瀬(かながせ)

とある。仙台から順番に宿場が歌いこまれている。



38ohgawara07

金ヶ瀬旧家

金ヶ瀬宿の街道左側にある旧家。

中央の看板に㈱ヤンベと書いてある。当主は山家氏だ。
今は造園工事、建築設計を行っているようだ。

ヤンベが気になり調べてみると、「山家」と書いて「ヤンベ」と読むようだ。
地元では名門の家柄で、山家のルーツは南北朝時代に遡るとか。

足利尊氏の流れをくむ斯波氏が出羽山形に城を築き、最上氏と名乗った。
この最上氏に随従し、氏姓を下賜されたのが山家氏の起原とのこと。

ここの山家氏は、最上山家氏の分家で、
最上義光の妹・義姫が伊達氏に輿入れするとき、姫の付き人として来て、
そのまま伊達氏の家臣となったようだ。




詳細リンク:旧奥州街道「大河原町・60金ヶ瀬宿」/街道写真紀行
(宮城県柴田郡大河原町金ヶ瀬) 1004/1010

2010/10/17

映画「ナイト&デイ」

平成22年10月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
ナイト&ディ

 2010年 米
 
 監督
  ジェームズ・
   マンゴールド

 
ロイ・ミラー
    トム・クルーズ

ジューン・ヘイヴンス
    キャメロン・
     ディアス


フィィッツジェラルド
    ピーター・
     サ-スガード 

    ヴィオラ・
     デイヴィス

    ポール・ダノ

      
  いい男との出会いを夢見るジューンは空港で、ミステイリアスな男性ロイと偶然出会うが、理想の男性どころか、重要任務を負ったスパイであった。そのため、予想外の裏切りや暗殺者による執拗な攻撃を受ける羽目になってしまう。
  スピーディーで軽快なアクションと、キャメロン・ディアスとトム・クルーズの掛け合いが痛快で、最後まで楽しませてくれる映画となっている。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2010/10/16

大河原町・金ヶ瀬/旧奥州街道193

37zaoh18

東北新幹線ガード

蔵王向山交差点で国道4号線に合流して、暫く進むと
東北新幹線のガードを潜る。

写真左端が、新幹線の第2小金井トンネルである。



37zaoh20

大高山入口

蔵王町宮から大河原町金ヶ瀬の区間は、国道4号線に並行して
断続的に旧道が残されている。

写真は大河原町の金ヶ瀬(かながせ)の追分で、
左は大高山入口である。
奥州街道60番目の宿場・金ヶ瀬宿の入口にある大高山神社の
裏参道となっている。

右は現在の国道4号線に合流するところだ。

追分を右に曲がったところに、明治22年に設置された里程標があった。
石柱の上半分に仙台までの距離が刻まれているのであろうが
途中から折れていた。

この石柱の下部には、「不」に似たマークの几号水準点があった。
ここで標高は23.6mである。



38ohgawara01

金ヶ瀬宿入口

再度国道4号線に合流すると、旧街道はこの信号を左折となる。
左折した先に、金ヶ瀬宿があるところだ。

右側の桜並木は白石川の左岸の土手で、
一目千本桜と呼ばれているところである。




詳細リンク:旧奥州街道193「蔵王町宮~大河原町金ヶ瀬」/街道写真紀行
(宮城県柴田郡大河原町字金ヶ瀬神山)
1004/1010

2010/10/14

蔵王町・宮大橋/旧奥州街道192

37zaoh12s  宮大橋/松川

かつて奥州街道59番目の宿場・宮宿を出ると、松川に架かる宮大橋を渡る。

次ぎの宿場は陸奥陸前・金ヶ瀬宿で、刈田郡から柴田郡に変わる。

なお、明治元年、宮宿のある刈田郡までは磐城国に所属し、
明治4年平県となり、明治9年に宮城県に移管されている。



37zaoh13

松川上側

松川に架かる宮大橋より上流を見た写真である。
写真左端の山は青麻山(800m)だ。

松川は蔵王連峰を源流とする川で、白石川に合流している。
この橋から、前方に見える段差堰あたりは、大形のヤマメや
サクラマスが釣れるという。



37zaoh15s 宮城ニコンプレシジョン

松川を越えると左側に、㈱宮城ニコンプレシジョンがある。
ニコンのカメラをF時代(一眼レフカメラ、ニコンF))から何台も
愛用しているので、Nikonの看板を見たときは親しみを覚えた。

ここではカメラではなく、液晶露光装置用ユニットの製造を
行っているとのことであった。




詳細リンク:旧奥州街道192「蔵王町宮大橋~新大除」/街道写真紀行
宮城県刈田郡蔵王町宮) 1004/1010

2010/10/12

蔵王町・宮宿2/旧奥州街道191

37zaoh08

宮宿、笹谷街道追分

写真は蔵王町宮交差点手前の町並みである。
写真の店は伊勢屋で、衣料品や日用雑貨品を扱っている老舗だ。

この先がかつての笹川街道追分であった。
古代からある道で、川崎、笹谷峠を越えて最上へ向かう道である。

旧奥州街道はここ宮町交差点で右折である。




37zaoh09 宮・石塔

笹谷追分を右に曲がると、大きな蔵王大権現と刻まれた石塔と、水神がある。

水神を祀ってあるということは、今は赤い消火栓があるが、
かつてはここに井戸があったのであろうか。



37zaoh11s 三谷寺

その隣にあるのが三谷寺だ。臨済宗妙心寺派(京都)である。

境内に前述の小学校で殉職した小野さつき先生の墓があるところだ。
寺の入口に「殉職小野さつき訓導墓所碑」と書かれた石柱があった。




詳細リンク:旧奥州街道191「蔵王町宮字町~三谷寺」/街道写真紀行
(宮城県刈田郡蔵王町宮字町) 1004/1010

2010/10/09

蔵王町・59宮宿/旧奥州街道190

37zaoh02

宮交差点

旧道と国道4号線が合流し、少し進むと白石市から蔵王町に変わる。
蔵王町は昭和30年に宮(みや)、円田(えんだ)村が合併して出来た町だ。

さらに進むと宮交差点になる。
奥州街道59番目の宿場・宮宿はここで国道4号線より別れ、左折である。

なお、左の道は県道12号線で、この先に蔵王エコーラインがあるところだ。




37zaoh03

宮・石塔群

宮宿の入口の微かに痕跡の残る枡形の所に、石仏、石塔が集められていた。

大きな石塔には蠶供養塔と大きく書かれてあった。
この「蠶」の字は読めなかった。調べてみると「蚕」であった。

その他、五輪塔や、弘化4年(1848年)と刻まれた
蠶影山(こかげさん)大権現(蚕の神様)、馬頭観世音、庚申塔、
そして小さな蠶供養塔等が整然と並べられていた。

その先、街道左手宮小学校の入口に小野訓導殉職記念碑がある。
大正11年、宮城県女子師範学校(現東北大教育学部)を卒業して
宮小学校に赴任した小野さつき先生の殉職記念碑である。
記念碑の篆(てん)額は当時の文部大臣鎌田栄吉である。

小野先生が赴任した年の7月、担任の4年生を連れて白石川の畔の
野外活動に出かけた際、3人の児童が間違って川に入り溺れたので、
2人までは助けた。

もう一人の子を泳いで助けにいったが、激しい流れで力尽きて
流されてしまったという。

先生の年齢はわずか22歳、その行為は日本中に広がり、
文部大臣からの特別表彰となった。

殉職記念資金募集の話が出ると、全国より2萬円(現在だと3300万円)の
寄付が集まったとのこと。


37zaoh05

59宮宿・町並み

奥州街道59番目の宿場、宮宿である。

この先の街道左側にある刈田峰(かったみね)神社が、
地名の由来となっている。
祭神は日本武尊で、神社の北西に聳える青麻(あおそ)山を信仰の
対象とし、白鳥伝説と結びついて白鳥神社とも呼ばれている。




詳細リンク:旧奥州街道190「蔵王町・59宮宿」/街道写真紀行
(宮城県白石市福岡深谷、刈田郡蔵王町宮)
1004/1010

2010/10/08

映画「十三人の刺客」

平成22年10月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
十三人の刺客

 2010年 日
 
 監督
  三池 崇史

 
御目付島田新左衛門
    役所 広司

御徒目付組頭倉永左平太
    松方 弘樹

明石藩御用人千石
    市村 正樹

    伊原 剛志
    岸部 一徳
    平 幹二朗
    松本幸四郎
    稲垣 吾郎

      
  弘化元年(1844年)、明石藩江戸家老が、筆頭老中土井利位邸門前で訴状と共に自決。
  これがきっかけで、明石藩主松平斉韶の異常性格と暴虐ぶりが幕閣の知るところなったが、将軍家慶の弟である斉韶を処分出来ずにいた。
  事情を知らない将軍はこの斉韶を老中に抜擢しようとしたことから老中土井は、暴君斉韶の密かな排除を決意する。
  命を受けた島田は13人の刺客を集め、参勤交代で帰国途中の斉韶一行300人を中山道落合宿で待ち伏せ、襲撃する。
  愉快な設定で、面白い展開である。時代劇エンターテインメントを意識しての、観客への過剰サービスは一寸行き過ぎであった。
  なお、本作品は1963年公開の工藤栄一監督「十三人の刺客」の再映画化である。



詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2010/10/06

白石・児捨川/旧奥州街道189

36siroisi56

児捨川橋

旧道は一度国道4号線に合流し、すぐに右斜めの細い道に入る。
旧道が現国道に並行して残されているの嬉しかった。

旧街道を進むと、橋の両側に青と赤の大きなこけしが乗った橋となる。
児捨(こすて)川に架かる児捨川橋である。

橋の傍らに「白石地方の白鳥伝説」と書かれた説明板があった。
遠い昔からこの地方の人々は、白鳥を神として祀り、祈りや願をこめていた。
そうした思いがいくつかの伝説となった。

  伝説1:日本武尊は、宮の地に王子を残して帰京されたが、
       
村人は王子の偉貌とその能力を恐れ川に捨てたが、
       王子は白鳥と化し、村々に災いをもたらした。
       村人はそれを悔いて、白鳥を神として祀ったという。

  伝説2:武尊は、姫と王子を残して帰京された、姫は尊を慕い、
       白鳥となって都に飛んでいくと王子と共に川に身を投げ、
       二羽の白鳥となったという。

  伝説3:用明天皇の若き日、尊と玉依姫は都への途中王子を出産。
       姫は長旅を想い別離、悲しみのあまり、王子と共に川に身を投げ
       白鳥に化したという。

地方の人は、この川を児捨川と命名した。

なお、余談であるが、宮城県はこけしの郷で、「鳴子(なるこ)こけし」、
「作並(さくなみ)こけし」、「遠刈田(とおがつた)こけし」、
「弥治郎(やじろう)こけし」、「肘折(ひじおり)こけし」と5つの伝統こけしがある。



36siroisi57s  児捨川下流

写真は児捨川の下流側だ。
児捨川は蔵王連峰を源流とする川で、すぐこの先で白石川に合流している。



36siroisi59

白石川

この辺では旧街道は、白石川のすぐ傍を通っている。
河川敷が広く、かなりの暴れ川なのであろう。

やがて、白石川支流の大太郎川に架かる橋を渡る。
この先で、白石市白鳥から蔵王町に変わるところだ。

大太郎川は青麻山(800m)山麓が源流の川で、白石川に合流している。




詳細リンク:旧奥州街道「白石福岡~白鳥」/街道写真紀行
(宮城県白石市福岡長袋、福岡深谷、白鳥) 1004/1010

2010/10/04

白石川~福岡長袋/旧奥州街道188

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白石川河川敷

城北町から白石川河川敷に出る。
この辺一帯は白石川緑地公園として整備されている。

前方の山は鉢森山(561m)で、この背後には小原温泉のあるところだ。
白石川の土手は桜並木となっている。

白石川の桜といえば、この下流の「一目千本桜」(後述)は、宮城県で
唯一「日本さくら名所100選」に選ばれているところだ。




36siroisi51

白石大橋、船渡し場跡

白石川の桜並木を下ると、正面に白石大橋が見えてきた
往時はこの橋の手前に船渡し場があった。

白石川は蔵王連峰を源流とする川で、この先の柴田町にある
旧奥州街道の宿場・槻木宿で、阿武隈川に合流している。

ここからの旧奥州街道は、当分この白石川に沿っての街道歩きとなる。




36siroisi54s  巨大馬頭観世音

今は船渡しがないので、白石大橋を渡り、対岸に出る。
旧渡し場のところから旧道が伸びている。

そして、現在の県道12号線(白石上山線)に合流する。
県道12号線は、山形県上山への途中が「蔵王エコーライン」と
呼ばれる快適な山岳ルートとなっている。

何度か利用したことがある観光ルートだ。

街道左側に家の高さほどの巨大な馬頭観世音があった。
この文字は「菊庵老人書」と刻まれてあった。

詳細リンク:旧奥州街道188「白石・白石川~福岡長袋」/街道写真紀行
(宮城県白石市中河原、福岡長袋) 1004/1010

2010/10/01

白石宿亘理町~城北町/旧奥州街道187

36siroisi45s 旧街道/亘理町

旧街道を北上すると丁字路にぶつかる。
国道113号線で、右は相馬・角田方面、
左は南陽・七ヶ宿(しちがしゅく)方面となっている。

写真はその丁字路を左(西)に曲がたところである。
次の信号を右折すると奥州街道59番目の宮宿方面であるが、
往時は
この道はなかった。

旧街道は、このまま真っ直ぐ行き白石城の北側(現城北町)から
右に曲がり白石川の土手に出る道であった。

写真左端は岡崎旅館である。



36siroisi46

旧街道/城北町

亘理町から城北町に入る。
文字通り白石城の北側で、旧街道は白石城下町の外側を
ぐるっと半周する感じになっている。

左奥の建物は白石人形の蔵だ。
本館1階には懐かしい駄菓子屋があり、2階は「終戦の蔵」フロアで、
太平洋戦争時代の銃後の暮らしぶりを展示紹介している。
別館では適宜企画展が行われているようだ。



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城北町旧家

城北町にある旧家だ。
米屋の鈴藤商店(鈴藤米穀店)である。

この辺が白石城下町の出口付近で、旧街道はこの先で右折(北)し
白石川の土手に出る。





詳細リンク:旧奥州街道187「白石宿亘理町~城北町」/街道写真紀行
(宮城県白石市亘理町、城北町) 1004/1010

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