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2010年6月

2010/06/30

福島・清水町宿~伸興寺/旧奥州街道130

28hukusima49s  出雲大明神境内

境内の石塔群。山神や、水神、大神が祀ってあり、
また庚申供養塔や十三夜塔などが整然と並べてあった。


出雲大明神と並んで、境内社が2社並んで建立されている。
資料では、この内の一つが愛宕堂であると思われるが判別できなかった。



28hukusima52

清水町宿町並み

清水町宿の中心部の町並みである。

清水町宿は、町おこしの際、木の根が多く難儀したので、
根子町とも言われていた。
かつては根っ子土人形があり、旅籠仙台屋の高橋吉郎次が
初代製作者とのことであった。

しかし、明治末期から大正にかけ、布製雛人形に押されて衰退してしまった。




28hukusima53

伸興寺

街道左手先に伸興(禅)寺。
境内には石仏石塔が多数集められていた。

大きな馬頭観世音の横には藤原宗興卿の歌碑が建っていた。

  「 とても身の 旅路に消へば 塩釜の
   浦のあたりの 煙ともなれ 」

安永3年3月十日(1774年)、藤原宗興卿がこの宿場で倒れ、
亡くなる時に詠んだ歌である。

享和3年(1803年)に清水町宿の有志によって建立されたものだ。




詳細リンク:旧奥州街道130「福島・清水町宿~伸興寺」/街道写真紀行
(福島県福島市清水町西裏、南裏) 0912/1006

2010/06/29

福島・50清水町宿/旧奥州街道129

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街道/松川町浅川

間宿・浅川新町宿を出ると、道は登り坂となる。
この辺の下は東北新幹線の福島トンネルがあるところである。

先方に国道4号線の交差点が見えてきた。
当然、国道4号線は横断できるものと思い、直進したが間違いであった。
中央分離帯には、フェンスが出来ていて横断できないのである。

仕方無しに、もと来た道を戻り、清水町に抜ける大きくカーブした道を通り、
国道4号線の下を潜り反対側に出た。




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50清水町宿

街道は右にカーブしている。
この辺が、旧奥州街道50番目の宿場・清水町(しみずまち)宿入口である。
赤瓦の古民家が目立った。

清水町宿は旧愛宕堂の参道入口にあった藤清水(水神)が地名の由来とか。
愛宕堂は、今は出雲大神宮の境内に移されている。





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出雲大明神

清水町宿に入ると、すぐ左側に出雲大神宮がある。
清水町宿の産土神である。

もともとは、炭焼藤太(すみやきとうた)が氏神として祀ったと伝えられている。
社伝によれば、炭焼籐太は出雲の神の加護で、京の都の阿姑姫と結ばれ、
有名な金売吉次ら4人の息子をもうけた。

藤太や、吉次兄弟の家である平石の長者屋敷は、
文治5年(1189年)の奥州合戦で焼失。
出雲大神は村人の手で守り続けられていたが、
奥州街道が開かれた慶長年間(1596~1615年)に、ここに移されたという。



詳細リンク:旧奥州街道129「福島・50清水町宿」/街道写真紀行
(福島県福島市松川町浅川、清水町) 0912/1006

2010/06/28

福島・間宿浅川新町宿/旧奥州街道128

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浅川新町宿八幡神社

間宿・浅川新町宿に入ると右手に八幡神社の明神鳥居がある。
この慶長9年(1604年)、浅川村から集落が移転して新しい町を作った時に
造られた神社だ。

それ以来、若宮宿とも呼ばれ、今でもこの辺は字(あざ)名が若宮となっている。

写真は神社への階段の途中の右手にある石塔群。
手前の板碑は出羽三山かと思ってが、どうも頭の字が違う。
風化して判読出来なかったが
梵字のようだ。



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八幡神社拝殿

山の頂上にある八幡神社拝殿である。浅川新町宿の産土神だ。
また、境内には熊野大神、八雲大神と彫られた石柱があった。



28hukusima41s  浅川新町宿古棟門

浅川新町宿の中心部、街道に面した古い棟門が残る旧家があった。
往時の街道筋を思い出させてくれる




詳細リンク:旧奥州街道128「福島・間宿浅川新町宿」/街道写真紀行
(福島県福島市松川町浅川字若宮) 0912/1006









2010/06/27

福島・間宿浅川新町宿入口/旧奥州街道127

28hukusima32s  浅川共同墓地

街道右手の田圃の中に共同墓地があった。
そして背後の高台に金谷川小学校がある。

小学校の字(あざ)名が陣場である。
軍兵の駐屯した高台か、それとも代官の役所跡であったのだろうか。

この地の西側の山部一体が石名坂古戦場跡と伝えられているので、やはり陣を構えたところなのであろう。
なお、石名坂は奥州合戦で藤原方と鎌倉軍が戦端を開いたところである。



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福島大学入口

坂を上っていくと、左手に福島大学の入口があった。
福島大学は、人文社会学群と理工学群があるが、
理工学群は2004年に出来たばかりである。

福島大学のある地名は福島市金谷川となっている。
かつての金谷川村で、松川町と合併の際に消失した地名であるが、
1999年の福島大の町名変更の際に、大学敷地に関してのみ復活された。

したがって、今は大学以外では、駅と小学校、郵便局、交差点名等に
使われているだけとなっている。



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間宿・浅川新町宿入口

峠を越え、道を下って行くと正面に間宿・浅川新町宿(現浅川字若宮)が
見えてきた。

慶長9年(1604年)、浅川村から集落が移転して新しい町を作り、
間宿となったところだ。
その時、若宮八幡を祀った事から、若宮宿とも呼ばれていた。





詳細リンク:旧奥州街道127「福島・松川町浅川前田~若宮」/街道写真紀行
(福島県福島市松川町浅川字前田、陣場、醴(あまざけ)、若宮) 0912/1006

2010/06/26

御神籤/江ノ島神社

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いつの時代でも、御神籤(おみくじ)は人気があるのだろうか

本来は、集団内の決定を神意に委ねるものであった
近世になり、個人の事の成否、吉凶、運不運を知るために
利用されるようになった様だ

暑い日照りの中、若い二人が御神籤を引いていた
どんな結果が出たのだろうか



詳細リンク:関東「三浦半島」/紀行写真集/日本写真紀行
(神奈川県藤沢市 江ノ島神社境内) 0308/1006 

映画「ザ・ウォーカー」

平成22年6月
横浜MOVIX

タイトル キャスト コメント
ザ・ウォーカー
 
 2010年 米
 
 監督
   アレン・
    ヒューズ

 
イーライ、ウォーカー
   デンゼル・
     ワシントン

カーネギー
    ゲイリー・
     オールドマン


ソラーラ
    ミラ・
     クニス

  世界が崩壊した近未来、世界で1冊だけ残る本をひたすら西へ運ぶ男。そこへその本を狙う独裁者カーネギーが現れる。
  その本に何が書かれているのか、何故その本に命を懸けて西に運ぶのかと伏線を巧みに盛り込みながら、最後まで緊張感をもって展開している。
  なお原題は「イーライの本」THE BOOK OF ELIである。着想が良かった。




詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2010/06/24

福島・松川町浅川丸石/旧奥州街道126

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旧街道/浅川丸石

JRの浅川踏切を渡ると、松川町浅川字丸石地区に入る。
この右手は地蔵丘地区となっている。

街道は、この先で現在の県道114号線(福島安達線)に合流している。




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JR東北本線上り線

県道に合流して暫く歩くと、前方にJR東北本線の上り線が見えてきた。
立体交差となっている。



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旧街道/浅川

東北本線のガード手前右側に旧街道が残されていた。

この左手1.3kmのところにJR東北本線の
金谷川(かなやがわ)駅のあるところだ。

福島大学の最寄り駅となっている。
開業は明治42年と古い駅だ。



詳細リンク:旧奥州街道126「福島・松川町浅川~下浅川]/街道写真紀行
(福島県福島市松川町浅川丸石、上幸道、上ノ原) 0912/1006

2010/06/23

倉敷チボリ公園/岡山

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JR倉敷駅北口

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倉敷チボリ公園

ワールドカップはいよいよ運命のデンマーク戦が明日深夜行われる。
勝ちか引分けでも、決勝トーナメント進出だ。
応援に力が入るところである。

デンマークと言えば倉敷駅北口にあった、倉敷チボリ公園を思い出す。
デンマークのコペンハーゲンにある世界最古のテーマパークで、
アンデルセンが頻繁に訪れたことでも知られる「チボリ公園」を
モデルとして作られてたテーマパークで1997年にオープンした。

しかし、2008年末に閉園となり、
わずか11年の短い歴史で幕を閉じてしまった。

県などが出資する第三セクターのチボリ・ジャパん㈱が運営していたが、
オープン時からいろいろと問題を抱えていたようだ。

今後はイトーヨーカ堂を事業主体とした新しい複合商業施設と
なる予定とのこと。


詳細リンク:岡山「倉敷チボリ公園」/日本写真紀行
(岡山県倉敷市)   0802/1006

2010/06/22

福島・松川町浅川辻/旧奥州街道125

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松川町美郷

相馬道の追分を左折すると、北向きの上り坂となる。
八丁目宿に入ってからここまで、なんと6回も角を曲がったことになる。


峠の頂上に出ると、松川町美郷地区に入る。
整然と区画割された新興住宅地の美郷ガーデンシィテイで、
670家族が住んでいるという。
そういえば、ここは、今は県庁所在地である福島市郊外なのだ。

街道左側に舟形浮彫の石造石仏立像があった。

旧街道を思わせるところである。

街道はここから急な下り坂となっている。
住宅地の横を抜けると、前方に松川町浅川の集落が見えてきた。

見晴らしが良く、気持ちの良い街道であった。




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松川町浅川辻

松川町浅川辻の街道筋にある集落である。
地名は松川町浅川辻となっている。

辻は、しんにゅうに十の字で、十字路の意味である。
恐らく、急な坂道を下ってきて、ここで直角に右折して集落に入るので
辻の地名が付いたのであろうか。
なお、現在は丁字路になっているところだ。




28hukusima26s  JR東北本線浅川踏切

前方にJR東北本線の浅川踏切が見えてきた。
松川事件の現場はこの踏切の右方向の線路がカーブしているところであった。
現場には殉職者の碑と松川の塔が設置されている。

当時のままの単線であるが、現在は下り線専用となっており、
上り線はこの北東側(写真奥)に設けられている。


詳細利リンク:旧奥州街道125「福島・松川町美郷~浅川踏切」/街道写真紀行
(福島県福島市松川町石合町、美郷、浅川辻) 0912/1006

2010/06/21

映画「パリより愛をこめて」

平成22年6月
横浜MOVIX


タイトル キャスト コメント
パリより
  愛をこめて

 
 2010年 米
 
 監督
   ピエール・
    トラヴォルタ

 
チャーリー・ワックス
   ジョン・
     トラヴォルタ

ジェームズ・リース
    ジョナサン・
     リス・マイヤー

キャロリン
    カシア・
    スムートニアック

  CIAの諜報員ワックスとコンビを組んだことから地味な諜報活動の日々が一転して、危険は麻薬捜査に乗り出すことになった駐仏アメリカ大使館員リース。
  二人は捜査を続けるうちに、爆弾テロリストによるアメリカ政府要人の暗殺計画を突き止める。
  パリを舞台に、痛快に活躍する二人を追うアクション映画。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2010/06/20

福島・八丁目宿~相馬道追分/旧奥州街道124

28hukusima16s  諏訪神社

街道が右折するところの左側に諏訪神社がある。

ここの枝垂桜は樹齢430年で、県の緑の文化財に登録されている。
天正年間(1573~87年)、伊達政宗が江戸より苗木を大量に購入したとき、
3本をここに植え、その一本が今も残っているとのこと。

この諏訪神社の背後の尾根筋に、八丁目城があったところである。



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八丁目宿・石合町

諏訪神社入口のところで、旧街道は右折し、
本町から石合(いしあい)町に入る。
石合町は、八丁宿の北端の町だ。

この左側に青麻山があり、旧街道はその山を迂回するようになっている。
左手には稲荷神社があり、その先青麻山の頂上には青麻神社がある。


また青麻山は「ふれあいの杜公園」として整備されている。



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相馬道追分

奥州街道、相馬道の分岐点である。
右方向が相馬道で、奥州街道はここで左に曲がっている。

写真の六地蔵が相馬道との追分の道標となっている。
地蔵は6体あるのではなく、石の6角面に一体ずつ浮き彫りにされている。

なお、相馬の野馬追は重要無形文化財に指定されている。



詳細リンク:旧奥州街道124「福島・八丁目宿本町~相馬道追分」/街道写真紀行
(福島県福島市松川町本町、諏訪山、諏訪原、石合町) 0912/1006

2010/06/19

福島・八丁目宿中町~本町/旧奥州街道123

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水原川上流

水原川に架かる天明橋を渡ると、八丁目宿・中町に入る。
写真は、天明橋より上流を見たものだ。

左側の寺院は西光寺である。




28hukusima12s  中町稲荷神社

中町を進むと左側に稲荷神社がある。
前述の天満宮と、この稲荷神社、本町諏訪神社、
そして石合の青麻・粟島神社は、50年程前より合同で
「松川町連合ちょうちん祭り」として盛大に行われているようだ。

稲荷神社の反対側(街道右側)には、「奥州街道八丁目宿場旅人宿、
枡屋銀五郎」と白地に黒く大書された、松川ますや旅館がある。

街道はこの先で右に曲がり、そして左折と中町の枡形になっている。
同時に、この枡形は米沢街道の追分であった。



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八丁目宿本町

中町の枡形から本町に入る。この辺が八丁目宿の中心であったのであろう。
次の信号で、今度は旧街道は右折となっている。

信号左に諏訪神社があり、その先は八丁目城があったところだ。



詳細リンク:旧奥州街道123「福島・八丁目宿中町~本町」/街道写真紀行
(福島県福島市松川町中町、本町) 0912/1006

2010/06/18

藤山寛美歿後二十年喜劇特別公演/演劇

平成22年6月
新橋演舞場

藤山寛美歿後二十年 六月喜劇特別公演


演 目 役 者 観 劇 記
茂林寺文福
館直志 合作
女房のえくぼ

  演出
    浅香 哲哉
 
     藤山直美

     小島秀哉
     小島慶四郎
     大津嶺子
     渋谷天外

  運送業・丸福の主人は、美人ホステスに振られ、その後いやいや結婚したのが今の女房。ところが結婚したとはいえ、不器量の女房には見向きもしない生活であったが、女房は文句一つ言わず懸命に働いている。そんな折り、美人ホステスを奪った男が落ちぶれて現れた。
   相変わらず、達者な直美にただ破顔、拍手喝采であった。

一堺漁人作
藤山寛美二十快笑の内
幸助餅

  演出
    米田 亘

     藤山直美


     西郷輝彦

     小島秀哉
     小島慶四郎
     大津嶺子
     渋谷天外 

  相撲に入れ込む余り身代を潰してしまった大黒屋幸助は、金の切れ目が縁の切れ目、贔屓の力士・雷(いかづち)に裏切られたことから、心を入れ替え、懸命に働き立派な餅屋の店を構えるまでになった。
  するとそこへ、大関となった雷が江戸より戻ってくる。
  藤山寛美没後二十年を記念して、「藤山寛美二十快笑」の内の代表的な人情喜劇の上演であった。
  最後に、藤山直美より舞台挨拶あり。また演舞場ロビーには、亡き藤山寛美の舞台写真が多数掲示されており、改めて素晴らしい役者であったことを思い起こさせてくれた。

詳細リンク:「演劇」/日本写真紀行

2010/06/17

福島・49八丁目宿/旧奥州街道122

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49八丁目宿

八丁目の薬師如来を過ぎると、旧奥州街道49番目の宿場・八丁目宿となる。
八丁目、越ヶ丘、天明根(てめね)の3地区を合わせて八丁目宿と呼んでいた。

八丁目宿はかつては伊達の支城・八丁目城の城下でもあった。
文治5年(1189年)の伊達内紛である「天文の乱」で、
八丁目城主堀越能登守は、伊達種宗側に属し活躍した。
その城跡は、写真正面奥の小山である。

近世は奥州街道と、米沢街道、相馬街道の宿駅として栄え、
本陣、検断、問屋なども置かれていた。

また、酒館、青楼が多くあり、妓娼も多く、歓楽街としても知られていた。
化政期(1804~30年)以降、俳諧、狂歌、鳥羽絵、三味線などの
町人文化を生み出した。これを八丁目文化というようだ。

なお、八丁目は現在は松川町となっている。
昭和24年の青森発上野駅列車が脱線転覆した「松川事件」のあったところだ。




28hukusima09s  めがね橋(松川橋)

松川に架かるめがね橋(松川橋)である。

明治4年、この天明根地区を流れる松川(現水原川)の名をとって
松川村、その後松川町となった。
昭和41年福島市に編入されている。

江戸時代は土橋であったが、このめがね橋は明治18年に完成した
アーチ形の石橋だ。空石積工法の名橋として知られている。
水面に写った影がメガネのように見えることから「めがね橋」と
呼ばれるようになった。



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松川上流、西光寺

写真はめがね橋より松川の上流側である。
松川は現在の水原(みずはら)川のことだ。
この右手に水原川本流があり、ここは河跡湖(三日月湖)のようになっている。

写真右端は真言宗豊山派の西光寺(さいこうじ)だ。
天正年間(1573~1592年)の開山である。
阿弥陀如来坐像は鎌倉前期快慶作とのこと。

天明の飢饉で行倒れた人々の塚がある。




詳細リンク:旧奥州街道122「福島・49八丁目宿~水原川]/街道写真紀行
(福島県福島市松川町) 0912/1006

2010/06/14

映画「RAILWAYS」

平成22年6月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
RAILWAYS
49歳で電車の運転手になった男の物語

 
 2010年 
   日本
 
 監督
   錦織秀司

 
筒井馨
   中井喜一

妻由起子
    高島礼子

娘倖
    本仮屋ユイカ

他  
   奈良岡朋子
   橋爪功
   佐野史郎
   宮崎美子


     

  大手家電メーカーの管理職である馨は、故郷の出雲で一人暮らしの母が倒れ、見舞いに行く。そして、地元のローカル線一畑電車の運転手になるのが子供の頃からの夢であったことを思い出す。
  運転手の採用試験に応募し、年齢のハンディーを乗り越えて試験に無事合格、念願の運転手になる。
  家族の葛藤や、一畑電車の走る島根の風土やそこに住む人々との交流が微笑ましく描かれている。日本最古級の電車(デハニ50系)が登場するのも楽しい。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2010/06/13

福島松川・八丁目宿入口/旧奥州街道121

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境川上流

境川集落を抜け、田圃の中の一本道を行くと、境川に架かる境川橋を渡る。
この川が、かつての安達郡と信夫郡の境界で、
現在の二本松市と福島市の市境となっている。

写真は、境川橋より上流を見た写真である。
境川は正面の黒森山(760m)と笹森山(650m)の山麓を源流とする川だ。

余談であるが、街道を歩いていると、この境川と呼ばれる川をよく目にする。
一寸調べただけでも50以上もあった。

川を渡ると右手に桐生幸蔵翁の頌徳碑がある。
明治31年に信夫郡松川町に生まれた人だ。

資料によると、この頌徳碑と並んで、信夫隠しの碑があったようだが
見当たらない。どこかへ移動したのであろうか。

信夫隠しの碑は、慶応2年(1866年)に建てられたもので、
  「思いやる心の奥の漏らさじと 忍ぶ隠しは袖か袂か」
と刻まれてあった。



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八丁目宿入口

奥州街道49番目の宿場八丁目宿入口の枡形である。
この八丁目の宿名は、前述の郡境の境川から
八丁目のところにあることから名付けられたという。

1丁は60間(約109m)であるから、約872mの距離である。




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奥州八丁目天満宮

八丁目宿入口の枡形の角に、奥州八丁目天満宮がある。

八丁目宿は昔宿地千軒と言われ、文治5年(1189年)、
源頼朝の奥州征伐の際に一度焼き払われたと伝えられている。

拝殿の額には金文字で「天満天神宮」と書かれてあった。
天満宮は菅原道真を祭神とする神社で、天神さんとも呼ばれている。
その天神を祀る事から天神宮とダブルネーミングとなっている。


拝殿手前には「天満天神宮壱千百年御神紀祭」が平成8年に
行われたと書かれた掲示板があった。



詳細リンク:旧奥州街道121「福島松川・八丁目宿入口」/街道写真紀行
(福島県福島市松川町) 0912/1006

2010/06/10

二本松・吉倉境川/旧奥州街道120

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吉倉境川入口

吉倉字境川の入口付近の枡形跡である。
今はゆるいS字型の道路となっている。

この右手石柱の建っているところが諏訪神社の入口だ。



27nihonmt96s  薬師如来堂

境川集落に入ると左側に薬師如来がある。

急な階段を登ると、丘の頂上に薬師如来堂があった。
村人の病気平癒を祈願しての建立であろう。



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薬師堂より北側

薬師如来堂より、北側を見た写真である。

左側が境川集落で、中央前方が旧奥州街道49番目の宿場・八丁目宿の
あったところだ。
現在の地名は福島市松川町となっている。




詳細リンク:旧奥州街道120「二本松・吉倉境川」/街道写真紀行
(福島県二本松市吉倉境川) 0912/1006

2010/06/09

二本松吉倉/旧奥州街道119

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吉倉坂道

取場の峠を越えると、今度は急な下り坂となっている。
二本松市字渋川から吉倉地区となる。

二本柳宿から八丁目宿の間は、登り下りの連続する気持ちよい街道であった。




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吉倉境川集落

坂道をを下って行くと、前方に境川の集落が見えてきた。

この境川の集落は、安達郡(二本松市)最北端の集落である。
この先の境川を渡ると、信夫郡(福島市)となる。




27nihonmt92s  諏訪神社

境川集落の入口付近右側に諏訪神社(吉倉字諏訪越)がある。

諏訪神社は、長野県の諏訪湖の両岸にある諏訪大社より
祭神を勧請した神社である。
全国に広まっているが、特に北条氏の所領に多いようだ。




詳細リンク:旧奥州街道119「二本松渋川~吉倉境川」/街道写真紀行
(福島県二本松市吉倉境川、諏訪越) 0912/1006

2010/06/08

映画「花との旅」

平成22年6月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
春との旅

 
2009年 
   日本
 
 監督
   小林政広  
 
元漁師・忠男
   仲代達矢

孫娘春
    徳永えり


    大滝英治

姉  
    淡島千景

     菅井きん
    田中裕子
    柄本明
    香川照之
 
  足の不自由な北海道の元漁師の忠男と仕事を失った18才の孫娘・春は、祖父の生活の面倒を見てもらおうと、疎遠だった親戚を訪ね歩く旅に出る。
  親族との気まずい再会を経るうちに、忠男はこれまで避けてきた過去と向き合わざるを得なくなる。そんな祖父を間近に見ていた春も次第に考えを変えていく。
  仲代はもとより、徳永えりが周囲の芸達者の俳優に負けずに田舎娘役を好演していた。
  典型的なロードムービー(道行)で、土地土地の映像も見応えがあった。石狩からスタートし、気仙沼の先の鹿折唐桑、鳴子温泉、仙台、苫小牧、新ひだか町とロケ地も多彩であった。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2010/06/07

二本松・渋川日向/旧奥州街道118

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街道/渋川~幸町

二本柳宿の出口にある円東寺の前を右折すると、
街道は山間の急な下り坂となる。
この辺で標高は約200mだ。

払川の先は、部分的に二本松市幸町となっている。
その先はまた、二本松市渋川である。

写真中央は清掃・廃棄物処理業の会社で、朝の出動前の準備で、
作業車が数台道路に停車していた。




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鹿の鳴石

幸町を抜けると今度は登り坂だ。その途中の左側に、鹿の鳴石がある。

昔、二本柳と長谷堂の中間に大きな沼があり、
そこに沼の主(龍神)が住んでいた。
あるとき沼が決壊して、水が無くなり自分の相手とはぐれてしまった。
沼の主は鹿に化身し、この自然石の上で鳴き、相手を呼んだが見つからず、
山を越えて、土湯の女沼に移り住んだといわれる。
この石の周囲を左に3回まわると、鹿の鳴き声が聞こえるという。

峠を越え、下り坂(小取場坂)の途中左側に戊辰戦争の戦死者の墓碑がある。
石碑には「戦士七人之墓」と刻まれてあった。




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日向集落

小取場坂の先に、渋川字日向(ひなた)の集落が見えてきた。
峠の南側にある地域なので「日向」となっているのであろう。
良い地名である。



詳細リンク:旧奥州街道118「二本松幸町~渋川日向」/街道写真紀行
(福島県二本松市幸町、渋川日向) 0912/1006

2010/06/06

演劇「ANJIN、イングリッシュサムライ」

平成22年6月
東京築地 東劇

演 目 役 者 観 劇 記
ANJIN
イングリッシュ・
   サムライ

演出
  グレゴリー・ドーラン

脚本
  マイク・ポウルトン
  河合祥一郎
 
家康
     市村正親

三浦按針
     オーウェン・                          ティール

宣教師ロドリゲス
     藤原竜也




  オランダ船リーフデ号のイギリス航海士ウイリアム・アダムスが日本に漂着。家康の下、活躍し後に旗本となった三浦按針の生涯を描く、感動作。
  舞台展開が見事で、脚本・演出とも小気味好く纏めてあり、184分の長丁場があっという間に過ぎた。
  なお、今回は舞台の映像化されたものを鑑賞した。

詳細リンク:「歌舞伎」/日本写真紀行

2010/06/05

48二本柳宿/旧奥州街道117

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二本柳宿

奥州街道47番目の宿場二本柳宿の中心部である。
昭和51年までは、街道の真ん中を宿場らしい堀があったが、
今は道の両側の側溝となっている。

江戸時代の建物は、明治になってからの大火で殆どが焼失したが、
それ以降の建物が今でも多く残されている。
ただ、茅葺の家はトタン屋根となってしまった。

なお、二本柳の地名由来となった二本の柳が、宿場の北側に石碑と共にある。

街道右側に二本柳宿の問屋跡があった。
その場所には、説明板があるのみで、今は新しい家が建っていた。
なお、二本柳宿には本陣は無かったという。




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円東寺

宿場の西端に真言宗豊山派安達太良山円東寺がある。
二本柳宿の出口の枡形で、旧街道はこの寺の前で直角に右に曲がっている。

円東寺は、大同2年(807年)、徳一大師によって
安達太良山山麓の猿鼻で開山されたのが始まりである。

慶長3年(1597年)、二本柳宿が出来るとともに現在地に移転した。
円東寺境内にある枝垂桜は、推定樹齢400年で樹勢も極めて良く、
春には見事な花をつけるとのこと。
福島県「緑の文化財」に指定されている。



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疱瘡神社

円東寺の左側に隣接するように建立されている疱瘡神社。

創建は不明であるが、昔は疱瘡(天然痘)は恐ろしい伝染病で、
この疱瘡の治療を祈る神社が各地に出来ている。

そういえば、伊達政宗も幼い時に疱瘡に罹り、右目を失明している。



詳細リンク:旧奥州街道117「48二本柳宿」/街道写真紀行
(福島県二本松市渋川、二本柳) 0912/1006

2010/06/04

二本松・渋川~二本柳宿入口/旧奥州街道116

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吾妻連峰/渋川

油井町を抜け、轟川を渡ると、二本松市渋川に入る。

前方に、旧奥州街道48番目の宿場であった二本柳が見えてきた。
そして、街道左前方に雪を被った吾妻連峰が見える。

西吾妻山(2035m)を最高峰に西大顛(だいてん)、東大顛、一切経山、
家形山、中吾妻山、東吾妻山、高山など2000m級の峰々を
吾妻連峰と呼んでいる。

山名の謂れは、一切経山や家形山の山容が、四阿(あずまや)造りに
似ているからのようだ。




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二本柳宿入口(枡形)

二本柳宿の入口付近である。

この先で、街道は左に直角に曲がっている。
二本松市渋川字二本柳地区で、かつての二本柳宿のあったところだ。
何軒かの家の軒先には「奥の細道二本柳宿」と書かれた標識がたっており、
そのおのおのにはかつての屋号と説明が書かれてあった。




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馬下ろし観音、守地蔵尊

二本柳宿の枡形を抜けると、右側に馬下し観音がある。
説明によると、戦国時代初期、修験者がこの世の平穏と、
この地の安泰を祈願し十一面観音菩薩を安置した。

あるとき、この前を馬に乗ったまま通ろうとした武将が、
不意に馬から下ろされたという。
それから武将はもとより、大名に到るまで、必ず馬から下りて
平安無事を祈願してから通るようになったとのこと。

右側の大浄地蔵菩薩はこの世を清め、人々の幸せを守る守地蔵尊とのこと。
約700年前のもので蓮華座地蔵尊は珍しいようだ。





詳細リンク:旧奥州街道116「二本松渋川~二本柳宿入口」/街道写真紀行
(福島県二本松市渋川、二本柳)   0912/1006

2010/06/01

二本松・油井福岡~油井/旧奥州街道115

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油井・福岡

油井川を渡ると、油井字福岡の集落に入る。
ここから右の方、約500mの所にJR東北本線の安達駅がある。

旧街道はここで左に曲がりすぐに右折、そして左折と完全なクランク形と

なっている。

クランク形の道より左(西)に入った桑原館山に長谷観音がある。
鎌倉時代初期に創建されたものだ。
境内の根回り3mの笠松は、市の天然記念物に指定されている。
参道の大きな常夜灯が見事であった。



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安達太良山

福岡の集落を抜けると、左が大きく開け、
前方には雄大な安達太良山山塊が見える。

「カシミール3D」で確認すると、中央のピークが安達太良山(1700m)で
左のピークが和尚山(1602m)、そして右側が鉄山(1709m)、
箕輪山(1728m)となっている。

山名の起原は、鉄を産出したので「タタラ」からと、
坂東太郎と同じで安達の太郎から転じた説の両方があるようだ。




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油井町

やがて、油井字油井町に入る。油井の中心にある集落だ。

油井は二本松城下と次の宿場である二本柳宿との間にあり、
文化7年(1810年)の記録では宿場に数えられている。
次の二本柳宿が小さかったので、
この油井と一緒で一つの宿場(合宿)とされていたことがあったようだ。

また、油井は古代の東山道の湯日駅(駅馬数10疋)のあったところで、
古くから栄えた町であった。

なお、油井川のすこし上流に油井字油井宿の字名が残っている。
そのものずばりの油井宿であるから、この辺に湯日駅が
あったのかもしれない。



詳細リンク:旧奥州街道115「二本松・油井福岡~油井町」/街道写真紀行
(福島県二本松市油井字福岡、油井町)  0912/1005



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