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2010年5月

2010/05/30

二本松・油井漆原/旧奥州街道114

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旧街道/油井・漆原

油井に入ると、道の両側に高村智恵子に因んだ店が多くなった。
智恵子の生誕地である。
街道の右側には智恵子の森団地が出来、左手の鞍石山には
智恵子の杜公園が出来ている。

高村光太郎の「樹下の二人」の舞台となったところだ。
   あれが阿多多羅山、
   あの光るのが阿武隈川

   ここはあなたの生れたふるさと
   あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫

   それでは足をのびのびと投げ出して、
   このがらんと晴れ渡つた北国の木の香に満ちた空気を吸はう・・・


写真の智恵子物産店戸田屋の看板には、

ありし日の智恵子が描かれてあった。



27nihonmt63s 高村智恵子写真

写真は、街道右側の看板を写したもので、
智恵子がなかなか魅力的な女性であったことが伝わってくる。


明治19年生まれで、福島高等女学校を卒業して日本女子大に進学。
卒業後、当時としては珍しい洋画家の道を選んで東京に残り、
太平洋画会研究所で学び、雑誌「青鞜」の表紙絵などを描いていた。

その時、高村光太郎と知り合ったようだ。
44歳の時、実家の長沼家が破産し一家離散となる。
46歳の時、統合失調症の最初の兆候が現れ、
53歳で肺結核で亡くなっている。

遺作として紙絵千数百点が残されている。 
  


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智恵子生家

智恵子の生家である。
油井で酒造業を営んでいた長沼家で、屋号は「米屋」、酒銘は「花霞」である。

新酒の醸成具合を示す大きな杉玉が軒下に吊るしてあった。

生家の裏庭には、当時の酒蔵をイメージした智恵子記念館ができている。
生憎の休館日で門が閉まり、中には入れなかったが、
智恵子の紙絵や油絵などが展示されているようだ。 




詳細リンク:旧奥州街道114「二本松・油井漆原~油井川」/街道写真紀行
(二本松市油井字漆原町、福岡) 0912/1005

2010/05/29

映画「グリーン・ゾーン」

平成22年5月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
グリーン・
   ゾーン

 
2010年 
 仏、米、英、西
 
 監督
  ポール・
   グリーングラス  
 
米国陸軍准尉ロイ・ミラー
   マット・
     デイモン

国防総省情報局クラーク
    グレッグ・
     キニア

CIAマーティン
    ブレンダン・
     グリーソン

記者ローリー
    エイミー・
     ライアン

  イラク中心部のアメリカ軍駐留地域グリーン・ゾーンが舞台。大量破壊兵器の所在を探る極秘任務に就いたロイと彼の部隊は、砂漠地帯に行くが総て空ぶりとなり、入手した手がかりも国防総省の要人に奪われてしまう。
  大量破壊兵器の存在に、不審に思ったロイは、同じく不審に思ったCIAのマーティンと共に調査を開始する。
  イラク戦争の核心に迫る展開で、なかなか良く出来ており、また考えさせる映画となっている。臨場感を出す為、手持ちでのカメラワークは画面がちらつき過ぎ、一寸やりすぎであった。



詳細リンク:映画/日本写真紀行

2010/05/28

二本松・根崎~安達/旧奥州街道113

27nihonmt55s  二本松顕法寺

竹田見附を右折して、すぐ右にあるのがこの浄土真宗本願寺派の
顕法寺である。
二本松城の前藩主加藤明利の菩提寺で、墓と位牌が残されている。

加藤明利は嘉明の3男で、三春藩主から二本松藩主となったが、
本家である加藤明成が改易となり会津領を没収された。

その直後に、明利は病のため亡くなったが、死因に不審な点があり、
改易となってしまう。
子供3人はそれぞれ旗本となり、家名は存続した。

この加藤明利の後に入封したのが丹羽氏である。



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鯉川

鯉川橋より上流を見た写真である。正面の小高い山は二本松城である。

前述の二本松藩御用商人であった大内家の蔵の裏手にあたり、
舟運に都合の良い造りとなっていたが、河川改修が進み、
水量も少なくその面影は感じられない。

川に沿って、江戸期から大正期には30数棟の白壁土蔵が
建ち並んでいたところである。




27nihonmt59s  小六稲荷神社

旧街道は鯉川の左岸となっている。
根崎地区から旧安達町に入ると、左側に小六稲荷神社があった。

安達郡安達町は平成17年に合併して、現在は二本松市となっている。
安達は、鬼の住む黒塚で有名な謡曲「安達ヶ原」の舞台となったところだ。




詳細リンク:旧奥州街道113「二本松・根崎~安達」/街道写真紀行
(福島県二本松市竹田、根崎、油井) 0912/1005

2010/05/24

二本松・竹田見附/旧奥州街道112

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竹田見附跡

竹田坂を下ったところが、かつての竹田見附跡である。
道の両側には、往年ほどではないが今でも家具屋が軒を並べていた。
伝統ある二本松箪笥の里である。

この先の交差点の左手は二本松城の郭内で、
堀があり「御堀端」と呼ばれていたところだ。
正面は御徒町であった。

旧奥州街道はここで右に直角に曲がっている。




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竹田見附ポケットパーク

交差点の角に竹田見附ポケットパークが出来ている。
トイレと水飲み場にベンチがあり、街道歩きの旅人には、
嬉しい休憩所であった。

説明板によると、慶安年間(1648~1651年)の町割りにより、
旧奥州街道と二本松城の竹田門へ続く三叉路で城の
最も外郭に当たる為、番所が設けられていたとのことだ。




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大内家蔵尚古館/二本松城御用蔵

竹田の交差点を右に曲がると左側に、
大中小の三つの蔵が段々に並んでいた。二本松藩御用蔵である。

御用商人であった「大内家天明天保蔵尚古館」として公開されている。

左側は天明年間(1781~1789年)に建てられた「蔵品館」で、
右が天保年間(1830~1844年)に建てられた「茶舗伝承館」となっており、
それぞれに当時の美術品や資料が展示されている。





詳細リンク:旧奥州街道112「二本松・竹田坂~竹田見附」/街道写真紀行
(福島県二本松市竹田)  0912/1005

2010/05/23

二本松・亀谷観音堂~竹田坂/旧奥州街道111

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亀谷観音堂

亀谷坂の頂上に亀谷観音堂がある。

江戸時代、鏡石寺の坂の上にあり、寺を引退した僧の隠居所だったようだ。
お堂の名前も、何度か変わり、今は千手院と呼ばれている。
安達三十三観音の18番札所となっている。

大正年間の火災で焼ける前のお堂は、朱塗りの立派なものであったが、
現在のものは一回り小さいとのことであった。



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観音堂石仏、石塔群

境内にある石仏、石塔群。
天保15年(弘化元年、1844年)に二本松城下の総駅馬ひきたちが
建立した大きな馬頭尊や、不動明王の石像、庚申塔等が集められている。

右端は芭蕉句碑である。
かなり風化しており判読は難しいが、春鏡塚と題し、
「人も見ぬ 春や鏡の うらの梅」の句が刻まれている。

裏面には芭蕉の略歴と、蔵六坊虚来が
安永丙申之春(安永5年、1776年)に建立したとある。
二本松市で現存する最も古い歌碑・句碑である。

そして、ここは幸田露伴(本名・成行)のペンネームゆかりの地でもある。
20歳になって文学を志し、電信技士として赴任していた北海道余市から
上京の旅に出て、その途中(明治20年9月)で路銀の余裕が無くなり、
この亀谷坂でこうもり傘を立て野宿をしたという。

その時の句
「里通し いざ露と寝ん 草まくら」
より、雅号を「露伴」としたとのことであった。



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竹田坂

そして、こちらは亀谷坂の頂上から、反対側(北側)を見た写真である。
この後、この急坂を下って二本松の竹田地区に向かう。

なお、この坂を竹田坂といい、かつては、この坂の両側は
家具屋が軒を並べていたところである。




詳細リンク:旧奥州街道111「二本松・亀谷観音堂~竹田坂」/街道写真紀行
(福島県二本松市亀谷、竹田)  0912/1005

2010/05/22

二本松・亀谷坂/旧奥州街道110

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二本松・亀谷坂

本町の枡形を出ると、街道は真っ直ぐ北に向かう。
亀谷(かめがい)坂と呼ばれる登り坂である。

標識には「亀谷まつり坂」と大きく書かれてあった。
二本松提灯まつりの最大の難所で、見せ場でもある。




27nihonmt42s  鏡石寺

亀谷坂の左手にある、天台宗玉壷山医王院鏡石寺。
縁起によると、開山は貞観6年(864年)とのこと。

江戸時代は、寺内に3代将軍家光の御廟が設けられ、
門扉には三葉葵の紋が用いられていた。
そのため、参勤交代途次の行列は下馬して、この前を通ったようだ。

この本堂後ろにある枝垂桜は樹齢400年で、二本松市の天然記念物に
指定されている




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亀谷坂頂上部、亀谷切通し

中央奥の杜は、亀谷観音堂のあるところである。
初冬の朝日を浴び、樹木が赤く染まっていた。





詳細リンク:旧奥州街道101「二本松・本町枡形~亀谷坂」/街道写真紀行
(福島県二本松市亀谷)  0912/1005

2010/05/20

五月花形歌舞伎

平成22年5月
新橋演舞場

歌舞伎座新築工事のため、今月より完成までは新橋演舞場がメインとなります

演 目 役 者 観 劇 記
菅原伝授手習鑑

寺子屋
(てらこや)

 一幕
 
松王丸
     海老蔵

千代
     勘太郎

武部源蔵
     染五郎

戸浪
     七之助

園生の前
     松 也

  寺子屋を開く武部源蔵は、匿っている管丞相の嫡子を救うため、寺子を身代わりにすることを思いつくが、どの子も田舎育ちばかり。
  そんな中、母親千代に連れられて寺入りしてきた小太郎は、品もあり身代わりに相応しく、源蔵は妻の戸浪に、その決意を明かす。
  まもなく、首実験の為松王丸と武士が現れ、身代わりの子・小太郎の首を差し出し、首実検を無事終える。
  が、後で身代わりの子は、松王丸の実子であることがわかり・・・
  先月も見たが、何度も上演される名場面である。今回は若手が張り切っての上演であった。海老蔵が良い味を出していた。

義経千本桜
吉野山
(よしのやま)

 竹本連中
 清元連中
佐藤忠信、源九郎狐
     勘太郎

静御前
      福 助

  兄源頼朝との不和により都を離れた義経を追って静御前は、家来の佐藤忠信と桜が満開の吉野山に分け入っていくが、忠信の姿を見失ってしまう。
  初音の鼓を打ち鳴らすとどこからともなく忠信が姿を表し、旅の憂さを晴らすために壇ノ浦の戦いの様子を語り始める。
  ところがこの忠信は、狐の化身であった、と展開する。
  勘太郎の時折り狐を思わせる仕草がなかなかであった。

河竹黙阿弥作
新皿屋舗月雨暈
魚屋宋五郎
(さかなやそうごろう)

  二幕
魚屋宋五郎
     松 禄

女房おはま
     芝 雀


磯部主計之助
     海老蔵

浦戸十左衛門
     左團次


  魚屋宋五郎は、磯部邸へ妾奉公で出した娘が、不義の咎により手打ちにあったとしる。そこへ、娘の崩輩が弔問に来て、濡れ衣により手打ちに合ったことを知る。
  禁酒していた酒を呑んで気を晴らそうとするが、酒の勢いでお屋敷に直談判に行き、とぐろを巻くという痛快な舞台である。
  松禄の酩酊振りや、お屋敷の家老役の海老蔵とのやりとりは、歌舞伎の名場面に相応しい見応えのあるものであった。

お祭り
(おまつり)

 清元連中

 
鳶頭
     染五郎


  年に一度の祭礼で、賑やかな雰囲気の中、ほろ酔い機嫌の鳶頭が子役や喧嘩相手までも登場して踊る様は楽しく、そして粋で華やかであった。

  今回は歌舞伎名作4作品を、今売り出し中の若手中心の公演であった。

詳細リンク:「歌舞伎]/日本写真紀行

2010/05/15

二本松・本町~JR二本松駅/旧奥州街道109

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二本松神社前

二本松神社での参拝を済ますと、再び旧奥州街道に復帰する。

神社前は、宿場の中心であり、かつ門前町としても栄えていたことであろう。
今は二本松の中心商店街となっている。



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JR二本松駅

二本松神社を出て、右折しすぐ左折すると、正面に二本松駅が見える。

今日は、この駅前通りにある、アーバンホテル二本松に宿泊する。
二本松で唯一のホテルであった。


写真はJR東北本線の二本松駅である。
開業は明治20年で、現在の駅舎は昭和51年に、丹羽10万石の城下町に
相応しく、二本松城をイメージした建物で、東北の駅百選に選ばれている。

ホテルにレストランが無く、駅前の食堂で熱燗をやりながら夕食を取った。
駅前にコンビニがあり重宝した。



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本町商店街

翌朝6時30分にホテルを出発。まだ殆ど車も人も通っていなかった。

写真は、弘化2年(1845年)創業の老舗の菓子屋・玉嶋屋である。
玉嶋屋の本練羊羹、志保閑満(しおがま)と書かれた大看板が
誇らしげであった。

この羊羹は丹羽氏によって、徳川将軍家への献上品であった。
また、志保閑満は、しその葉を混ぜ込んだ干菓子で、
伊達藩の銘菓しおがまに勝るものを作れという丹羽氏の命で
作られたものであった。
出来栄えがよかったので、丹羽氏が菓子名を志保閑満とした由。

老舗が軒を並べ、往時を偲ばせてくれる一画である。

写真右側は、立派な店倉の御菓子処日夏(ひなつ)で、
明治21年創業とのこと。
こちらは日洗心亭、二本松羊羹のを大きな看板を出している。

日洗心亭は、二本松城にあった茶室で、墨絵の御茶屋と呼ばれていた。
その名を冠した菓子名(最中)である。

また、二本松銘菓となっている玉羊羹は、前述の玉嶋屋や、
この日夏でも製造販売していた




詳細リンク:旧奥州街道109「二本松・本町~JR二本松駅」/街道写真紀行
(福島県二本松市本町)  0912/1005

2010/05/09

二本松・本町~二本松神社/旧奥州街道108

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二本松・本町

松岡の枡形を抜けると、本町に入る。
文字通り、二本松の中心部である。

二本松は足利時代からの城下町で、幕末では中通り第一の大藩であった。
この二本松の地名の由来は、鶴松、亀松の2本の霊松が
旅人の目安になっていたからとの伝承があるようだ。

この先の右側にはJR東北本線の二本松駅、
そして左側には二本松神社がある。




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二本松神社

二本松神社は、1150年(久安6年)頃、地頭安達盛長が守護神として、
田地(でんち)ヶ岡に勧請したのが始まりと伝えられている。

その後、奥州探題畠山満泰が白旗(しらはた)ヶ峰の霧ヶ城に遷宮し、
寛永20年(1643年)丹羽氏が二本松に10万石で入部、同じ場所に
二本松城(霞ヶ城)築城した時に、神社はここに移された。

10月4,5,6日に行われる例大祭の提灯祭りは日本三大提灯祭りの一つ。
1台に300余の提灯をつけた7台の太鼓台が町内を練り歩くとのことだ。




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二本松神社拝殿

街道に面した大鳥居を潜り、長い階段を登ると正面に拝殿がある。

藩主として入部した丹羽光重の敬神愛民の精神から
丹羽家の守護神である八幡宮を左に、
領民の守護神である熊野宮を右に二つの神様を祀る御両社となっている。

江戸時代は御両社と呼ばれていた。
なお、現在の社殿は文化2年(1805年)に築造されたものだ。




詳細リンク:旧奥州街道108「二本松・本町~二本松神社」/街道写真紀行
(福島県二本松市本町)  0912/1005

2010/05/08

47二本松宿・旧桜谷~松岡/旧奥州街道107

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二本松・旧桜谷

旧街道を真っ直ぐ、二本松城に向かって北上する。

ここが旧桜谷で松阪門があった。
そして、丹羽氏の町割りにより、足軽長屋や御先手長屋が設けられていた。

桜谷は、鎌倉の谷七郷の例に似せて名付けられたという。
残りの谷は、西谷、北谷、本町谷、道場谷、北条(放生)谷、
そして亀谷となっている。

旧街道は旧桜谷の橋を渡り、最初の交差点(若宮一丁目、写真)を
直角に右に曲がる。

この交差点を真っ直ぐ進むと霞ヶ城跡で、左に曲がると、
城主であった丹羽氏の菩提寺である大隣寺のあるところである。 



27nihonmt25s  二本松宿、松岡町並み

若宮一丁目の交差点を右に曲がると、かつての宿場は商店街となっている。

江戸時代以前の建物は、戊辰戦争で二本松宿は一夜にして灰燼に
帰したので、今残されている家は明治以降のものだ。




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松岡枡形

松岡の枡形となっているところだ。
街道は右に曲がり、そしてすぐ左に曲がっている。

写真はその角にある檜物屋(ひものや)酒造店で、
明治7年に酒造業を創業した。
銘柄の「千功成」は、秀吉の千成瓢箪に因んで「千成」と名付けたのが
始まりで、のちに千の功績をという意味から「千功成」に改められた。

屋号が檜物屋とあるから、酒造店を開く前は檜を薄く削って作る
棺物(わげもの)屋であったのであろう。




詳細リンク:旧奥州街道107「47二本松宿・若宮~松岡枡形」/写真紀行
(福島県二本松市若宮、若松)  0912/1005

2010/05/07

二本松・大檀口~二本松城/奥州街道106

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大檀

正面に、東北自動車道の二本松インターと国道4号線を結ぶ道路が
見えてきた。

この辺から右手一帯が大檀(おおだん)口の古戦場だ。
戊辰戦争で木村銃太郎を隊長とする二本松少年隊が
新政府軍を迎え撃って戦ったところである。




27nihonmt18

大檀口古戦場

陸橋の手前に大檀口古戦場跡の丘へ通じる道で、
二勇士の碑と書かれた道標が立っている。

戊辰戦役に砲術師範である木村銃太郎を隊長とする二本松少年隊の
奮戦の地で、隊長はここで戦死した。
また少年隊を援護して壮烈な戦死をとげた二本松藩士青山助之丞、
山岡栄治の2勇士の奮戦の地である。

丘の上には、少年隊奮戦記念碑と二勇士戦死之碑が建っている。




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二本松・若宮

峠を越えると、正面に二本松城(霞ヶ城)跡が見えてきた。

古名は白旗ヶ峰。
もとは安達氏の居城であったが、南北朝時代に奥州探題の畠山氏の
入国に伴い霞ヶ城と称した。

天正14年(1586年)、12代畠山吉継が伊達政宗に滅ばされた後は
伊達の出城となった。
江戸時代は、丹羽光重が二本松に10万石で入封し、
幕末まで続くが戊辰戦争で落城した。

丹羽家は織田家譜代の家臣で、幕末までお家を保持したのは立派である。

なお、秀吉が名乗った羽柴という姓は、
この丹羽氏と柴田氏の苗字から取ったものである。





詳細リンク:旧奥州街道106「二本松・大檀~若宮」/街道写真紀行
(福島県二本松市大檀、若宮) 0912/1005

2010/05/06

二本松・北杉田宿/旧奥州街道105

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北杉田宿

北杉田宿の入口付近である。かつての枡形の痕跡が残っている感じである。
南杉田宿は慶長15年(1610年)までには成立していたが、北杉田宿は記録が無く、何時ごろ出来たかは判然としない。

街道左側には旧問屋であった熊耳家や、旧名主の市川家があり、
宿場らしい雰囲気を残している

北杉田宿の左側の山は、二本松城の出城だった杉田館があった処だ。

杉田氏は奥州合戦の後に、畠山氏の家臣としてこの地に入部。
戦国時代末期の伊達氏と畠山氏の抗争の際、伊達政宗の父、輝政を拉致して殺し、伊達勢によって粟の須の戦いで全滅させられた。

一説には、畠山氏側が輝宗を盾にしたのに対し、

政宗は父を犠牲にして攻撃に転じたといわれる。



27nihonmt13

七夜坂

街道は、この先で現在の国道4号線に寸断されている。

北杉田を出た街道は、七夜坂と呼ばれた坂を上り西側の山裾となっていたが、
今はその道は失われている。

藤原実方の

「七夜桜 はるばるここにきたすぎた(北杉田) やがて都へ かへる身なれば」
と刻まれた文政9年(1826年)に建てられた歌碑があるとのことであったが、
わからなかった。

また、七夜坂は桜の名所だったというが、今は肝心の坂道の面影も、
桜も無かった。




27nihonmt15

木登り地蔵尊

街道左側に、木登り地蔵がある。
木の枝別れの股に石造の小さな地蔵が乗っている。

今から600年前、畠山氏がこの地を治めていたころ、
畠山一族には病気などの不幸が続いていた。

3代目畠山国詮は那須野ヶ原の金毛九尾の狐が
娘に化けて人々を苦しめていた。
一休和尚と会津熱塩の源翁和尚の合作による地蔵尊を造り
祈祷したところ狐を退治できたことを知って、
その地蔵尊を竜泉寺の全忠和尚に頼んで譲りうけ、この地まで背負って来た。

少し休んで歩き出そうとしたところ、何故か再び背負うことが出来なかった。
同じ畠山領地内であり、また霧ヶ城(二本松城)の病門にあたるところから、
この地に病気除けとして祀ることにした。

それから十有余年過ぎてのこと。
地蔵尊は木造りのためか、時折木の根の穴に首を突っ込むので、
竜泉寺3代淳学和尚が石の地蔵尊を造り、そこに納めたところ、
悪病の流行や天災の時には赤頭巾を飛ばしたり、
和尚に夢知らせをした。

そこで、村人を集め祈祷し災厄から救うことが出来たとのこと。
木の生長とともに、穴に治められた地蔵も、
根の部分から木の上の方に移動したようだ。




詳細リンク:旧奥州街道105「二本松・北杉田宿~正法寺町」/街道写真紀行
(福島県二本松市杉田町、正法寺町) 0912/1005

2010/05/04

46杉田宿・南杉田宿/旧奥州街道104

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南杉田宿

二本松市の薬師を抜け、坂を下り西町に入る。
この辺が、奥州街道46番目の宿場・南杉田宿の入口であろうか。
街道が枡形になっているところだ。

杉田宿は、この南杉田宿と北側の北杉田宿に分かれて、
半月ごとに交代していた。
この様な例は、幕府管轄の五街道では甲州道中に多く見られる。
住民の負担の軽減を図ったものだ。

資料によると、西町の北端から現在の杉田小あたりまでが
南杉田宿であったようだ。
道路の付替えや拡幅工事等で、今は様子が大分変わっている。
それでも、旧宿場らしい家並が残されている




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杉田川・下流側

杉田橋より杉田川の下流側を見た写真である。
この先で阿武隈川に合流している。

杉田川は、安達太良山(1700m)と和尚山(1602m)の間の谷が
源流である。
数え切れないほどの小滝やナメ滝があり、
それぞれに立派な釜がついており、沢登りコースとして知られている。

日本百名渓谷の一つにも選ばれている。

杉田川に架かる杉田橋は、江戸時代は、少し上流側に架かっていた。
この橋を渡り少し進むと北杉田宿となる。





詳細リンク:旧奥州街道104「46杉田宿・南杉田宿~杉田川」/街道写真紀行
(福島県二本松市西町、杉田町)  0912/1005

2010/05/03

二本松市薬師/旧奥州街道103

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二本松市境界

大玉村から二本松市薬師に入る。ちょうど此処がその境界である。

車の殆ど通らない静かな街道であった。



27nihonmt02s 薬師堂

街道右手の小高い山の上にに薬師堂がある。
説明によると、現二本松市西町の農夫太郎左エ門が、
延宝5年(1677年)正月2日に霊夢を見て、村人と山に入り尊体を掘り出した。

その穴から泉が湧き出し、これを温め浴したところ病気が治り、
「薬師の湯」と呼ばれるようになった。

太郎左エ門は、この山頂にお堂を建立、薬師堂を開山創立した。
そして法名を天心とし、堂守りに生涯を捧げたとのこと。



27nihonmt04

薬師・集落

薬師の集落である。
この道が旧街道であるが、
この先で現県道355号線(須賀川二本松線)に合流している。

旧道から県道に合流し、坂を下っていくと、
右前方に奥州街道46番目の宿場杉田宿の集落が見えてきた。




詳細リンク:旧奥州街道103「二本松・薬師」/街道写真紀行
(福島県二本松市薬師) 0912/1005

2010/05/02

映画「タイタンの戦い」

平成22年5月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
タイタンの戦い

 
2010年 米
 
 監督
  ルイ・レテリエ  
 
ベルセウス
   サム・
     ワーシントン

イオ
    ジェマ・
     アータートン

ドラコ
    マッシ・
     ミケルセン

  神々の王ゼウスの息子として生まれながらも人間として育った青年ベルセウスが、世界の滅亡の危機を救うため、冥界の王ハデスを倒す旅に出る。と御馴染みのギリシャ神話の映画化である。
  何度か映画化されているが、今回は3Dで大胆にリメイクしたもので、映像も良く、迫力もあり、それなりに楽しめる映画となっていた。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

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