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2010年4月

2010/04/30

大玉村/旧奥州街道102

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本宮・百日川

本宮宿の北の木戸跡を抜けて、この百日川に架かる「えだのさわはし」を渡る。

百日川は本宮市の北端の川で、
大玉村の小高倉山(615m)山麓を源流として、この先で阿武隈川に
合流している川である。




26motomy43

大玉村

ここで、本宮市から大玉村に入る。
昭和30年に大山村と玉井村が合併して出来た村だ。

二本松市、郡山市と本宮市に囲まれた村で、
安達太良山の裾野に広がる開折扇状地に集落と耕地が広がっている。

大玉村は、平成の大合併が進み、
現在では安達郡で唯一の自治体(村)となってしまった。

しかし、この大玉村は、旧石器時代や縄文、弥生などの遺跡や古墳が
確認されただけでも約120ヶ所もあり、
県下で有数の遺跡密集地帯となっているのだ。

それこそ、原始・古代から開けた地域なのである。





26motomy44s  頌徳碑

小川利兵衛翁の頌徳碑で、昭和14年に建立されたものだ。
碑文によると、大山村字南小屋の山中に住み、
巡歴しては難病者に施術し、全快したものが十余名に及んだが、
料金を一切受け取らなかった。

59歳で亡くなったとき、この慈善的功績に対し、
施術を受けた者達で碑を建て、その徳を頌したとある。




詳細リンク:旧奥州街道102「本宮・百日川~大玉村」/街道写真紀行
(福島県本宮市、安達郡大玉村) 0912/1004

2010/04/29

本宮宿・北町/旧奥州街道101

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本宮宿・北町旧家

本宮宿北町の町並みである。かつての旧家が何軒か残されていた。

本宮宿は奥州街道と会津街道、三春街道、相馬街道の追分があり、
交通の要所として発展してきた。
また、奥州街道沿いでは屈指の規模の遊郭があり、人形浄瑠璃で
「奥州街道の本宮なくば何をたよりに奥がよい・・・」と謡われるほどであった。
井原西鶴の「好色一代男」や「一目玉鉾」にも登場してくる。

本宮の北町(字立石)には東山道の安達駅(あだちのうまや)があり、
軍馬の産地としても知られていた。





26motomy33s  北町本陣跡

北町の本陣・検断・問屋はここの鴫原(しぎはら)家が代々務めていたが、
屋敷は1950年に取り壊され、今は樹齢200年の
「本陣のクロマツ」(本宮市指定天然記念物)が残されているのみであった。

写真中央の石柱は、明治天皇行在所跡碑である




26motomy36s  安達太良神社

街道左手に本宮の地名の由来となった安達太良神社がある。
安達太良山の三所明神の里宮として久安2年(1146年)に、
この管森(すがもり)山山腹に創建された。

文化3年(1806年)の火災後は、
戦国時代の管森館(すがもりだて)跡である頂上の現在地に移されている。

また、この神社の登り口の右(北)側には、旧二本松藩の糠沢組代官所と
本宮組代官所があったようだ。



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百日川、石雲寺

本宮宿北町の出口付近である。
百日川があり、対岸に曹洞宗石雲寺(せきうんじ)がある。

ここのイチョウは福島県の緑の文化財に登録されている。
また石雲寺は東北5県に跨る陸奥路の芭蕉の跡地を辿る、
奥の細道陸奥路三十三観音零場の32番札所となっている。

この寺の右手の字名が立石で、東山道の安達駅のあったところと
比定されているところだ。

この百日川はこの右手で阿武隈川に合流している。
立石は、この百日川と阿武隈川の交わる地点の北側の台地の上となっている。

旧街道は、この川の手前で直角に左に曲がっている。





詳細リンク:旧奥州街道101「本宮宿・北町~北の木戸」/街道写真紀行
(福島県本宮市本宮) 0912/1004

2010/04/28

映画「シャッターアイランド」

平成22年4月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
シャッター
  アイランド

 
2009年 米
 
 監督
  マーティン・
    スコッセン
 
テディ・ダニエルズ
   レオナルド・
     ディカプリオ


チャック・オール
    マーク・
     ラファロ


ジョン・コリー医師
    ベン・
     キングズレー

  精神を病んだ犯罪者の収容施設がある孤島、シャッターアイランド。厳重に管理された施設から一人の女性患者が謎のメッセージを残して失踪する。
  孤島で起きた不可解な失踪事件を担当することになった連邦保安官のテディは、相棒のチャックと船で合流し島に行く。
  と、展開して行く物語であるが、大団円に到るプロセスが、ミステリー仕立てで興味深く描かれている。ほぼ、ディカプリオの独演(熱演)であるが、面白い設定で楽しめる映画となっていた。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2010/04/26

本宮・安達太良川/旧奥州街道100

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安達太良川、本宮橋

旧奥州街道の45番目の宿場本宮宿の南町と北町の間に
横たわっているのが安達太良川である。

写真は、その安達太良川に架かっている本宮橋だ。
川の向こうは、旧本宮宿・北町(荒町、中町、大町)である。




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安達太良川上流

安達太良川に架かっている本宮橋から上流を見た写真である。
前方の山は左が和尚岳(1602m)と
右のピークが安達太良山(1700m)である。

安達太良川は、この山裾が源流となっている川だ。

左手前の石碑は安達太良川改修記念碑である。
説明板によると、昭和61年の台風で大洪水となり、
本宮町の中心部で679戸が床上、床下浸水した。

洪水が起きないように大規模な護岸工事を行った、その記念碑である。


26motomy31s 本宮宿・北町入口

橋を渡ると荒町となる。本宮宿の北町の入口である。
宿場としては、こちらの北町の方が南町よりも古く、
戦国時代にはすでに北町を中心とした宿場町が形成されていた。

さらに古代には、もう少し北側の本宮字立石に、
古代の東山道安達(あだち)駅(駅馬数10疋)があったと比定されている。

この立石とは、古代路特有の道しるべとして立ててある石の意である。





詳細リンク:旧奥州街道100「安達太良川~本宮宿・北町入口」街道写真紀行
(福島県本宮市本宮) 0912/1004








横浜スタジアム

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久しぶりに天気が良かったので、横浜スタジアムに行った
横浜、ヤクルト戦である。

今年の横浜は戦力を大幅にアップし、昨年より見応えのある試合が増えたが、
それでも、成績は指定席の最下位となっている。

今日の投手は、横浜はエースの三浦で、ヤクルトは由規であった
初回に1点を取られたが、3回に3点を入れ横浜の逆転勝ちとなった。
三浦が勝利投手となり、山口がセーブ、内川が3安打の猛打賞であった。

今年は、先発の後は江尻、牛田、そして押さえは山口と、
一応勝利の方程式が機能してきている。
昨年よりは、ましな展開になりそうだ。



(横浜市中区) 1004/1004

2010/04/22

大河原、一目千本桜/宮城

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白石川・一目千本桜

宮城県で唯一日本さくら名所百選に選ばれている
一目(ひとめ)千本桜が満開であった。

蔵王連峰を源流とする白石川沿いに、上流の金ヶ瀬地区から
隣の柴田町船岡地区まで、約8km、1200本
の桜並木である。

一目千本桜というから、一目で千本の桜が見えるところと思っていたが、
実際は奈良の吉野山が平安時代より「一目千本」とよばれていたことに
肖って
名付けられたようだ。

桜の開花期にはJR東北本線は、この並木沿いを徐行運転している。
並木のすぐ傍を走っているので、実に見事な眺めであった。

(宮城県柴田郡大河原町) 1004/1004

2010/04/21

白石城跡/宮城

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白石城(益岡城)

久しぶりに、白石城に訪れた。
今は益岡公園として整備され、三階櫓と大手門が復元されている。

白石城は、後三年の役(1083~87年)の際、
源義家に従った刈田経元(かったつねもと)がここに
白石城を築いたのが始まりと言う。

現在の城郭となったのは、秀吉の奥州仕置で、蒲生氏郷の所領となり、
蒲生郷成が城主となり、近世城郭として整備し益岡城と改称した時である。

関ヶ原の戦いの後、伊達領となり政宗の重臣である片倉小十郎景綱が
1万8千石の城主となり、明治維新まで11代260年にわたり続いた。

江戸時代は一国一城であったが、
例外として仙台城の支城として認められていた。



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三階櫓と大手門

昭和62年のNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の放送により、
白石城復元運動が起こり、平成7年に幕末の三階櫓と大手門が復元された。


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本丸跡、片倉小十郎頌徳碑

白石城本丸跡にある、城主片倉小十郎景綱頌徳碑である。
伊達政宗の傳役を務めた腹心の部下であった。

丁度、桜が満開であった(撮影日4/18)。



(宮城県白石市益岡町) 1004/1004 

2010/04/17

45本宮宿/旧奥州街道99

26motomy22s  本宮・薬師堂

本宮宿入口にある薬師堂である。
上の木戸(南枡形)が、文政7年(1824年)に、
この薬師堂の前に設けられたが、枡形跡も消え、今はその面影は無かった。

このお堂は、誓伝寺薬師堂で、額には薬師如来の詳名である
薬師瑠璃光如来から、瑠璃光山と金文字で書かれてあった



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45本宮宿

本宮宿は、この先の阿武隈川支流である安達太良川を挟んで、
江戸側(南側)の上町、中条、下町を南町、
そして川の北側の荒町、中町、大町を北町と呼んでいた。

本宮宿は須賀川宿とともに、現福島県内では屈指の賑わいを
見せた宿場であった。
天保9年(1838年9で、旅籠30、茶屋12、銭湯6、酒屋12軒もあった。
また、飯盛り女の多い宿場としても知られていた。

写真は、本宮宿南町の中心部(本宮中条)である。

南町の本陣・検断、問屋は、天保2年(1645年)以降は、
ほぼ原瀬家が務めていた。
寛永6年(1629年)で南町の家数は99戸であった。

なお、北町は112戸であるから、安達太良川を挟んで、
本宮宿は真に2分されていたようだ。

享保年間(1716~36年)で、南町162戸、北町155戸と
両町は競うように発展している。

写真の本宮郵便局の開設は古く、明治5年とのことであった。



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JR本宮駅前通り

旧街道より、JR本宮駅前通りを見た写真である。
この先に本宮駅がある。開業は明治20年とあるから、歴史のある駅だ。

歩道が洒落たレンガ敷きとなり、電柱に駅前ふれあい通りと書かれてあった。




詳細リンク:旧奥州街道99「45本宮宿~JR本宮駅前通り」/街道写真紀行
(福島県本宮市本宮) 0912/1004




2010/04/15

歌舞伎座/東京

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東京銀座の歌舞伎座は、この4月でいよいよ閉館である。

現在の建物は大正14年竣工で、昭和26年に改修しているが、
老朽化が進み、とうとう解体し、新築することになった。
完成するのは、2013年春予定とのこと。

今回は、その最後の「歌舞伎座さよなら公演」の切符が取れたので、
妻と名残を惜しんでの観劇であった。

毎月のように通い始めて、早10年であるが、
振り返ってみるとあっと言うまであった



詳細リンク:「歌舞伎」/日本写真紀行

2010/04/14

御名残四月大歌舞伎

平成22年4月
歌舞伎座さよなら公演 

演 目 役 者 観 劇 記
菅原伝授手習鑑

寺子屋
(てらこや)

 一幕
 
松王丸
     幸四郎

千代
     玉三郎

武部源蔵
      仁左衛門

戸浪
      勘三郎

園生の前
      時蔵

  寺子屋を開く武部源蔵は、匿っている管丞相の嫡子を救うため、寺子を身代わりにすることを思いつくが、どの子も田舎育ちばかり。
  そんな中、母親千代に連れられて寺入りしてきた小太郎は、品もあり身代わりに相応しく、源蔵は妻の戸浪に、その決意を明かす。
  まもなく、首実験の為松王丸と武士が現れ、身代わりの子・小太郎の首を差し出し、首実検を無事終える。
  が、後で身代わりの子は、松王丸の実子であることがわかり・・・
  何度も上演される名場面である。幸四郎の苦渋に満ちた演技が重厚で見応えある芝居となっている。
河竹黙阿弥作

三人吉三
  巴白浪

(さんにんきちざともえのしらなみ)

大川端庚申塚の場

 一幕
 
お嬢吉三
     菊五郎

お坊吉三
     吉右衛門

和尚吉三
      團十郎

夜鷹おとせ
      梅枝

  節分の夜更け、大川端庚申塚でのこと。夜鷹のおとせに娘姿の盗賊、お嬢吉三が近づき、懐から百両を奪い取ってしまう。それを見ていたお坊吉三がそれを巻き上げようとして、二人は刀を抜いて切りあいになるが、そこへ和尚吉三が通りかかり、仲裁に入る。
  二人は金を和尚吉三に預けることにし、今日の出会いをきっかけに三人は義兄弟の契りを結ぶ。
  七五調の御馴染みの名台詞と芸達者の菊五郎、吉右衛門、團十郎の演じるそれぞれの吉三が、これぞ歌舞伎となっていた。
藤娘
(ふじむすめ)

 長唄囃子連中

 
藤の精
     藤十郎

  松の大木のもとに、塗り笠を被り、藤の枝を手にした娘姿の藤の精が現れ、男心のつれなさや、娘の恋を艶やかに踊り、松を好きな男に見立てて、差しつ差されつ杯を交わすうちにほろ酔いとなる。
  藤十郎の華やかで、可憐な舞踊である。

詳細リンク:「歌舞伎」/日本写真紀行

2010/04/12

本宮・阿武隈川~観音堂/旧奥州街道98

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本宮・阿武隈川

旧街道は阿武隈川沿いの道となる。
写真は上の橋下流より撮影したものだ。

川岸に、
「ゆくすゑに あふくま川の なかりせば いかにかせまし けふの別れを」
新古今和歌集。高階経重朝臣(たかしな つねしげ あそん)と書かれた

大きな説明板があった。
本宮町教育委員会、本宮観光協会、建設省が建てたものだ。

正面の町並みが旧奥州街道45番目の宿場・本宮宿で、
現在の本宮市の中心部である。




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本宮・観音堂

街道右手にある本宮観音堂。
かつての奥州街道は、この観音堂の裏手側で、
観音堂も後ろ(東側)を向いていたが、明治になり境内の一部を削り、
国道(現県道須賀川二本松線)が反対側に作られたので、
それに伴い、こちら側(西向き)に向きを変えられたとのこと。

このお堂は、江戸時代の元禄12年(1699年)に建て替えられたものである。
右端の石柱には、安達三十三観音第三十番札所、
仙道三十三観音第四番札所と刻まれてあった。




26motomy18s  小沼貞長公霊碑

船引城主であったが、田村氏が没落したのち浪人となり、
慶長5年(1600年)57歳の年に本宮に移住。

若松城主上杉景勝から荒地250石を与えられ、
この地に新しい町の建設を計画した。
伊達政宗が本宮通過の際、新しい町建設の話をしたら、
賛同し永楽銭200貫を与えたという。

これをもとに町づくりを行い、慶長13年(1608年)に新しい町(南町)を
完成させた。まさに、本宮宿・南町の産みの親であったようだ。

また、境内にある太郎丸観音堂供養塔は、
鎌倉時代中期ころのもので、本宮市指定有形文化財に指定されている。




詳細リンク:旧奥州街道98「本宮・阿武隈川~本宮観音堂」/街道写真紀行
(福島県本宮市本宮) 0912/1004

2010/04/11

映画「NINE」

平成22年4月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
NINE

 
2009年 米
 
 監督
  ロブ・
    マーシャル
 
グイド・コンティーニ
   ダニエル・
     デイ=ルイス

妻・ルイザ
    マリオン・
     コティヤール

母親(ママ)
    ソフィア・
     ローレン
  
   
クラウディア
    ニコール・
     キッドマン

  1964年イタリア。スランプ中の映画監督グイドは、映画の脚本が1行も書けず悶々としている。唯一、妻のルイザだけが心のよりどころであったが、妻以外の愛人や主演女優や多くのダンサーに囲まれているグイドは、プレッシャーのなかで、次々と幻想の世界へと陥っていく。
  オリジナルは、フェデリコ・フェリーニの自伝的映画、「8 1/2」である。映画作家の創作の苦悩を描いたもののミュージカル映画版という触れ込みであったが、総てが物足りない映画であった。



詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2010/04/07

本宮・瀬戸川~村山/旧奥州街道97

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瀬戸川上流/山田橋(人取橋)

仁井田の集落を抜けると、街道は下り坂となり、
正面に瀬戸川に架かる山田橋が見えてくる。

写真は山田橋より上流を見たものだ。瀬戸川は阿武隈川支流の河川である。

諸説があり確かではないが、この山田橋近辺が、
人取橋の古戦場であったようだ。
天正13年(1586年)、伊達軍と反伊達である佐竹氏、葦名氏らの
連合軍との激戦が繰り広げられたところである。



26motomy12s  積達騒動鎮定之遺跡

街道左手に、積達騒動鎮定之遺跡碑が建てられている。
碑文によると、寛延2年(1749年)の稲作は平年の四分作という
不作であったが、年貢割付は例年通りのため、農民達は作況を調査して
年貢を軽減するよう嘆願したが聞き入れられず
、大槻村から始まり、約1万8千人の農民がここ仁井田下の原に結集して
気勢をあげた。

そのとき、冬室彦兵衛が間に入り、調停し、流血の事態を回避して、
年貢軽減を実現させたとある。



26motomy14

旧街道/仁井田村山

街道右手に、旧街道が一部であるが残されてあった。

この写真の奥は阿武隈川である。
この辺から次の宿場・本宮宿にかけての旧街道は
阿武隈川のすぐ傍を通っている。





詳細リンク:旧奥州街道97「本宮・瀬戸川~村山」/街道写真紀行
(福島県本宮市仁井田村山) 0912/1004

2010/04/05

本宮市・五百川~仁井田/旧奥州街道96

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五百川

五百川に架かる橋の手前から、長かった郡山市が終り、本宮市に変わる。

本宮市は平成の大合併で、白沢村と合併して
平成19年に誕生したばかりの新しい市である。
福島県で一番小さい市とのことであった。


中心の本宮は旧奥州街道45番目の宿場として発展したところである。 

写真は五百川に架かる五百川橋の上から、上流を見たものだ。
旧奥州街道は、現在の橋の位置より100mほど上流側であり、
その橋に旧街道も繫がっていたが、今はその痕跡は残されていなかった。

五百川は高津山(816m)北麓付近を源流として、磐梯熱海温泉を通り、
本宮市と郡山市の境界を流れ、阿武隈川に合流している。

萩姫伝説によると、鎌倉時代、京都の公家の娘・萩姫が不治の病に罹った時、
不動明王のお告げがあり、京から北に500番目のこの川岸に霊泉があり、
それに浸かると病が治るといわれた。

萩姫は侍女とここまでやって来て、この川の上流の磐梯熱海温泉を発見。
その湯に入ると病が癒えたとのこと。

この伝説に肖り、磐梯熱海温泉のある郡山市では、
毎年「萩姫祭り」が行われている。

写真前方に見える山は、五百川の源流付近である奥羽山脈で、
その山麓に磐梯熱海温泉がある。

仕事で何度か泊まったことがあるところである。




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仁井田・新昌寺

旧街道右手にある新昌寺で、写真左手の石造供養塔(板碑)は、
本宮市指定の文化財となっている。

鎌倉時代の正安4年(1302年)に建立された板碑である。
この供養塔は、奥州街道沿いに良くあるもので、
上面の種子キリーク(阿弥陀如来)と、紀年銘(正安四年)が判読できる。




26motomy09s  本宮市・仁井田集落

旧街道沿いの仁井田集落で、街道を挟んで右手が東町、
左手が西町となっている。かつての仁井田村だ。
写真右端の金属の塔は火の見櫓である。

仁井田の集落を抜けると、次は旧奥州街道45番目の宿場・本宮となる。




詳細リンク:旧奥州街道96「本宮・五百川~仁井田」/街道写真紀行
(福島県本宮市仁井田)  0912/1004

2010/04/04

映画「噂のモーガン夫妻」

平成22年4月
横浜ムービル


タイトル キャスト コメント
噂の
モーガン夫妻

 
2009年 米
 
 監督
  マーク・
    ローレンス

 
モーガン夫、弁護士
   ヒュー・
     グラント

モーガン妻、不動産社長
    サラ・ジェシカ・
     パーカー


保安官夫妻
    サム・エリオット
   メアリー・
  スティーンバージェン

    
  ニューヨークの弁護士は、一度の浮気に怒った不動産業を営んでいる妻に追い出され、3ヶ月もホテル住まいをしている。
  何とかよりを戻そうとしてプレゼント攻撃等を行うが効き目なし。しかし二人で歩いている前で、殺人事件を目撃してしまう。犯人の顔を見た二人は命を狙われ、FBIの証人保護プログラムにより、隔離され、ワイオミング州の田舎町レイで一緒に暮らす羽目になってしまう。
  実に微笑ましい展開で、楽しく見ることが出来る映画となっている。モーガン夫妻に保安官夫妻の4人が、それぞれ良い味を出していた。


詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2010/04/02

日和田町・44高倉宿/旧奥州街道95

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44高倉宿

旧奥州街道44番目の宿場・高倉宿に入る。
写真は高倉宿の中心部である。

茅葺屋根を覆う新しいトタン屋根が未だ新しかった。
高倉宿は中世の高倉城の郭内に作られた宿場であった。




25takakura05s 山清寺、高倉城跡

街道右手に山清(さんせいじ)寺がある。
この横から背後の小山に、中世の二本松畠山氏の支城である
高倉城(松峯城)があった。

天正年間(1573~92年)の郡山合戦のおり、
城主の高倉近江は伊達政宗側につき、その後は政宗の支城となった。


今でも土塁跡が残されている。



25takakura06

鹿島神社

高倉宿の出口にある、村社・鹿島神社である。
写真中央の注連縄をつけた対の杉は、夫婦杉と書かれてあった。

さらに、この上に豊富稲荷神社がある。
前述の高倉城跡の北端に位置する古社である。





詳細リンク:旧奥州街道95「日和田町高倉濁池~44高倉宿」/街道写真紀行
(福島県郡山市日和田町高倉・濁池、高倉)  0912/1004

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