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2010/01/05

須賀川宿中町~池上町/旧奥州街道65

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中町あきない広場

本町交差点を抜けると、中町に入る。
左側に未だ新しい、中町あきない広場があり、
若者グループのライブ演奏が行われていた

このあきない広場は、中町郵便局跡に出来た建物である
須賀川市市民相互の交流、賑わいの創出、産業の振興を図るために
設置されたとのこと




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十念寺

開山は文禄元年(1592年)、浄土宗名越派の本山である
下野大沢(現益子町)の円通寺の末寺として、
良岌上人により開創された寺である

元禄2年(1689年)に、松尾芭蕉が須賀川に滞在した時に、
この寺を参拝している
それを記念して、安政2年(1855年)に、
須賀川の俳人市原多代女(たよじょ)により、
芭蕉の「風流の はじめや奥の 田植え唄」の句碑が建てられている

なお、市原多代女は、安永5年(1776年)に須賀川で生まれた
造り酒屋に嫁入りしたが、そこの主人が31歳で亡くなり、
後を継いだ多代女は苦労しながら家業を盛り立て、その傍ら俳句に打ち込み、
全国的に有名な女流俳人となった
90歳で亡くなるまで、4千以上の句を残している

境内には、東京オリンピックのマラソンで銅メダルとなった
円谷幸吉の墓がある
また、境内の推定樹齢500年のイチイは、福島県の緑の文化財に
指定されている

十念寺の境内にある市原多代女の句碑には、
辞世の句「終に行く 道はいづくぞ 花の雲」と刻まれてある。

松尾芭蕉の句碑と、この市原多代女の句碑は指定文化財となっている。




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金徳寺

十念寺に隣接した金徳寺(こんとくじ)
こちらは時宗の寺で、神奈川県の藤沢にある時宗の総本山
清浄光寺(通称遊行寺)の末寺である

本山の遊行寺は旧東海道五十三次を歩いた時に立ち寄った寺で、
懐かしかった

十念寺は、伊達正宗に滅ぼされた二階堂城の城主二階堂家、美千代姫の
菩提寺であった
また、歌舞伎の2代目尾上松禄の墓がある

境内に金徳寺の開山塔がある
当寺の開山上人(7代目遊行上人)である托阿上人直筆の名号開山塔である

名号(みょうごう)は、菩薩の名で、石塔には「南無阿弥陀仏」と
見事な書体で、大きく彫られてあった
建武4年(1377年)と説明板に書かれてある
室町幕府が成立した翌年のことである




詳細リンク:旧奥州街道65「須賀川宿中町~池上町」/街道写真紀行
(福島県須賀川市中町、池上町) 0910/1001

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コメント

市原多代女はこの地の人だったのですね。
4千句とは素晴らしいですね。
句に魅せられた人ですね。
円谷幸吉さんのお墓があるという事はご実家はこちらだったのでしょうか。
どうしてあんな事をされたのか 詳しいいきさつは分りませんが凄いプレッシャーがあったのかも知れませんね。

momoさん、今晩は

市原多代女は、須賀川生まれなんですね。
詩集に「浅香市集」と言うのがあるそうです。
弟子も沢山いたようです。

江戸時代に女の身で、芭蕉の句碑を立てたのも、頭が下がります・・

円谷幸吉は、須賀川生まれです。
毎年、円谷幸吉記念マラソンも開催されているようで、
まさに地元のヒーローのようです。

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