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2010/01/11

須賀川城跡~神炊館神社/旧奥州街道68

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須賀川城跡/二階堂神社

ホテルを朝の6:40に出発し、
先ず訪れたのが諏訪町にある須賀川城跡である。

須賀川城の本丸跡は、現在二階堂神社となっている。
須賀川城主の二階堂氏は、鎌倉幕府政所執事 二階堂氏の一族で、
南北町動乱の時、領地のあった須賀川に下向し、土着した名族である。

戦国時代になると、米沢の伊達氏、会津の芦名氏の強敵に囲まれており、
家名の存続が厳しい状況であったため、
二階堂盛義は一子盛隆を芦名の養子に出した。
しかし本人が天正9年(1581年)に死去し、嫡子がいなくなった。

その為、二階堂氏は、伊達政宗の伯母である盛義の妻、大乗院が
城主の座についていた。
そこへ、奥州の伊達政宗が攻め込み、
天正17年(1589年)、須賀川城を陥落させた。

負けた天乗院は、正宗の庇護を受けず、
岩城家に養子に行っている兄親隆を頼っている



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神炊館神社

神炊館(おたきや)神社、主祭神は建美依米命で、成務天皇の御代、
初代岩背国国造として当地に赴任した。

着任すると、社檀を築き、収穫された新穀を炊いて、天神地祇を捧げて、
政治の成功を祈願した。
この故事にちなんで、社檀様(しゃだんさま)と呼ばれたが、
その後社殿が築かれ、神炊館神社と名付けられた由。

室町時代に、須賀川城主であった二階堂為氏が、
信州諏訪神を合祀したことから、「お諏訪様」とも呼ばれていた。

江戸時代に朝廷より「諏訪大明神」として、正一位の位を授かり、
諏訪大明神が神号として用いられたが、明治11年に、
現在の社名である神炊館神社に戻っている。

須賀川の総鎮守で、松尾芭蕉も訪れている古社である。
なお、この辺の地名は今も諏訪町となっている。




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神炊館神社参道

神炊館神社参道にある商家である。

富士防災資材株式会社の看板が架かっていた。
消防設備、用品、保守点検を行っているようだ。

須賀川には、今でも古くからの建物が何軒か残されている




詳細リンク:旧奥州街道68「須賀川城跡~神炊館神社」/街道写真紀行
(福島県須賀川市諏訪町) 0910/1001

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コメント

上記民家は旧造酒屋の家です。
現在は酒の製造していませんが須賀川市では一番の木造の家です。
現在も生活しておられるようです。
我々の誇りです。

年金爺さん、コメントありがとうございます。

立派な家と蔵ですので、気になっておりましたが
やはりそうでしたか。
須賀川は江戸時代より酒造業が盛んとのことでしたので、
もしやとは思っておりましたが・・・

教えていただきありがとうございました。

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