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2009/12/30

須賀川宿南口/旧奥州街道62

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須賀川宿、枡形跡

千日堂を抜けると、かつての枡形があった処である。
今はほぼ直線道路となっているが、良く見ると道はやや右にカーブし、
その先で左にカーブしている。
かつての枡形の痕跡が残っているようだ。

旧街道に掛かっている横断幕には
「TSUBURAYA MEMORIARU MARATHON」と書かれてあった。
東京オリンピックで銅メダルとなった円谷幸吉は須賀川の出身で、
毎年10月に、円谷幸吉メモリアルマラソンが開催されているという。




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37須賀川宿南口、黒門跡

枡形を抜けると、東北電力の敷地に須賀川宿南の黒門跡の標識があった。
ここが奥州街道37番目の宿場・須賀川の南の入口であった。
黒塗りの木戸があり、番小屋も置かれていた。
朝の七ツ時(朝4時)に開門され、四ツ時(夜10時)に閉門されたという。

須賀川最大の夏祭りである「きゅうり天王祭」は、
朝日稲荷に祀られている牛頭天王が、7月14、15日に
ここ黒門跡に仮殿を設けて出開帳される。

江戸時代は、お諏訪様の祭礼と隔年交代であったが、
今は毎年行われている。
近郷在住の善男善女がきゅうりを2本持ってきて参拝し、1本を頂いて帰る。
「きゅうり天王祭」は厄除けの神様と言われ、

古くから多くの人の信仰を集めていた。

なお、須賀川は日本一のきゅうりの生産地である。



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須賀川・町並み

街道右手の由緒ある建物は、明治牛乳良生舎販売所である。
ここの主人は須賀川商工会議所の会長をされているとのこと。


この辺は、街道に沿って、木造の家が多数残されているところである。

須賀川宿は現在の南町、本町、中町、道場町、北町と、
南北に長く続く宿場で、岩城(磐城)街道、棚倉街道、三春街道、会津街道の
追分があり、交通の要衝であった。

また、米問屋、塩問屋等があり、
近在の煙草を集荷する煙草商人等も大勢集まり、毎月3と8の付く日には
六斎市が開催され、宿場としてはもとより、市場町としても
大層の賑わいであったようだ。




詳細リンク:旧奥州街道62「37須賀川宿南口」/街道写真紀行
(福島県須賀川市南町、本町) 0910/0912

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