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2009年12月

2009/12/30

須賀川宿南口/旧奥州街道62

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須賀川宿、枡形跡

千日堂を抜けると、かつての枡形があった処である。
今はほぼ直線道路となっているが、良く見ると道はやや右にカーブし、
その先で左にカーブしている。
かつての枡形の痕跡が残っているようだ。

旧街道に掛かっている横断幕には
「TSUBURAYA MEMORIARU MARATHON」と書かれてあった。
東京オリンピックで銅メダルとなった円谷幸吉は須賀川の出身で、
毎年10月に、円谷幸吉メモリアルマラソンが開催されているという。




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37須賀川宿南口、黒門跡

枡形を抜けると、東北電力の敷地に須賀川宿南の黒門跡の標識があった。
ここが奥州街道37番目の宿場・須賀川の南の入口であった。
黒塗りの木戸があり、番小屋も置かれていた。
朝の七ツ時(朝4時)に開門され、四ツ時(夜10時)に閉門されたという。

須賀川最大の夏祭りである「きゅうり天王祭」は、
朝日稲荷に祀られている牛頭天王が、7月14、15日に
ここ黒門跡に仮殿を設けて出開帳される。

江戸時代は、お諏訪様の祭礼と隔年交代であったが、
今は毎年行われている。
近郷在住の善男善女がきゅうりを2本持ってきて参拝し、1本を頂いて帰る。
「きゅうり天王祭」は厄除けの神様と言われ、

古くから多くの人の信仰を集めていた。

なお、須賀川は日本一のきゅうりの生産地である。



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須賀川・町並み

街道右手の由緒ある建物は、明治牛乳良生舎販売所である。
ここの主人は須賀川商工会議所の会長をされているとのこと。


この辺は、街道に沿って、木造の家が多数残されているところである。

須賀川宿は現在の南町、本町、中町、道場町、北町と、
南北に長く続く宿場で、岩城(磐城)街道、棚倉街道、三春街道、会津街道の
追分があり、交通の要衝であった。

また、米問屋、塩問屋等があり、
近在の煙草を集荷する煙草商人等も大勢集まり、毎月3と8の付く日には
六斎市が開催され、宿場としてはもとより、市場町としても
大層の賑わいであったようだ。




詳細リンク:旧奥州街道62「37須賀川宿南口」/街道写真紀行
(福島県須賀川市南町、本町) 0910/0912

2009/12/29

須賀川・一里坦~千日堂/旧奥州街道61

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須賀川・一里坦

須賀川一里塚を抜けると、旧街道は国道118号線の中央分離帯に遮られ、
先に進むことが出来ない。
仕方無しに、左の国道4号線の一里坦信号まで迂回して、
国道118号線を横断する。
そして、旧奥州街道に戻ったのが上の写真である。

しかし、この旧奥州街道も写真右手のJR東北本線に遮られて、
先に進むことが出来ない。

ここには、須賀川駅管内の南側の最初の旧奥州街道の踏切があり、
「第一奥州踏切」と呼ばれていたが、今は廃止されているためである。




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濁り池(並木児童公園)

旧奥州街道に復帰して、暫く進むと、左側に須賀川濁り池跡がある。
江戸時代より続く溜め池であったが、現在は埋め立てられて、
並木児童公園となっている。

この公園の端に、3基の石碑が建っている。
一つは「須賀川濁り池」、そして「並木児童公園」、さらにもう一つは
古稀を記念した漢詩で、「人生七十古稀塞翁一条未覚」云々と彫られてあった。



20sukagw05s  千日堂

並木町を抜け、千日堂地区に入ると、右側の集会所の奥に、千日堂がある。
説明によると、正しくは千日堂子育延命地蔵尊というようだ。

人間の苦悩や悲哀を救ってくれる御仏が地蔵菩薩である。
この地蔵尊信仰は奈良時代に始まり、鎌倉時代に、
各地で地蔵菩薩の像を造り、安置されるようになった。

この千日堂の先で、旧街道は枡形となっていたが、
今は直線道路となっている。
旧奥州街道37番目の宿場・須賀川宿の入口である。




詳細リンク:旧奥州街道61「須賀川・一里坦~千日堂]/街道写真紀行
(福島県須賀川市一里坦、並木町、千日堂」 0910/0912

2009/12/27

映画「パブリック・エネミーズ」

平成21年12月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
パブリック・
 エネミーズ

 
2009年 
 
 監督
 マイケル・マン

ジョン・デリンジャー
  ジョニー・デップ

メルヴィン・パーヴィス
  クリスチャン・ベイル

ビリー・フレシェット
  マリオン・
    コティヤール
  1933年、大恐慌時代のアメリカで、ジョンは紳士的な態度と爽やかな手腕の銀行強盗として注目を集めていた。ある日、クラブのクローク係りのビリーを知り、FBIに追われながらの逃亡生活に入る。
  当時、実在した伝説のアウトロー、ジョン・デリンジャーの逃亡劇を描いたもの。
  当時のアメリカを丁寧に再現し、見事な構成で最後まで楽しませてくれる映画であった。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2009/12/25

鏡石~須賀川一里塚/旧奥州街道60

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鏡石・西光寺

鏡石本町を抜け、広大な行方野の一本道を進むと、鏡沼地区に入る。

写真は鏡沼集落にある西光寺である。
正しくは、真言宗智山派若宮山無量院西光寺という。
江戸時代の白河風土記によると、永禄年間(1558~1569年)、
須賀川の城主二階堂氏の属臣鏡沼藤内の菩提のために開山されたとある。

また、墓所には郷士の常松次郎右エ門夫妻と、
常松家十代の墓が残されている。

境内にある「たらよう」(写真中央右)は、
鏡石町の天然記念物に指定されている。
樹齢250年、樹高12mの常緑高木で、モチノキ、イヌツゲと同じ
モチノキ科に属している。

葉の裏に棒で文字を書くと字が黒く浮き出るため、
インドではヤシ科の多羅樹の葉に経文を書いたというが、
これになぞらえて「多羅葉(たらよう)」と名付けられたようだ。



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須賀川一里塚

19kagamiisi21s 左側一里塚 19kagamiisi22s 右側一里塚

鏡石町から須賀川市一里坦(いちりだん)に入ると、
旧街道の両側に一里塚が残されている。
日本橋から59番目の一里塚で、
往時は「江戸から須賀川六十里」といわれてきた。

街道の両側に残されているのは珍しく、昭和11年に国史跡に指定されている。
この辺は立派な松並木が続いていたが、第2次大戦中に伐採され、
今は数本を残すのみとなっている。




詳細リンク:旧奥州街道60「鏡石町鏡沼~須賀川一里塚」/街道写真紀行
(福島県鏡石町鏡沼、須賀川市一里坦)  0910/0912

JR小山駅前/栃木

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JR小山駅前

久しぶりに小山に電車で行った
車では良く行っていたが、電車は何十年ぶりである

駅と駅前の、あまりの変わりように驚いた
写真は西口であるが、東口はさらに大変貌していた

小山と言えば、中世以来小山氏の城下町で
江戸時代は、日光道中の宿駅として栄えたところである

慶長5年(1600)、会津の上杉征伐に向かう途中
徳川家康は、ここで石田三成の挙兵を知り
急遽軍議(=小山評定)を開いて、豊臣の家臣を味方にし
関ヶ原の戦いを勝利へと結びつけた処としても知られている


なお、JR小山駅は明治18年に開業した古い駅で、
現在では東北新幹線の停車駅でもあり、
東北本線、両毛線、水戸線と交通の要衝ともなっている。


2009/12/24

鏡石町/旧奥州街道59

19kagamiisi11s  明治天皇御駐輦之所碑

左手の江戸時代の庄屋宅庭先に「明治天皇御駐輦(ちゅうれん)之所」碑があった。
明治9年6月14日と彫られてあるので、第一回目の東北巡幸の時に、
ここで休憩されたようだ。

石碑の書体は「元帥伯爵東郷平八郎謹書」と彫られてあった。



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笠地蔵尊

笠石宿を抜けると、旧街道左側に笠地蔵尊(板碑)がある。
笠石宿の地名の由来となった地蔵尊である。

白河風土記に「笠石の碑」と記録されているという。
現存の板碑は明暦2年(1656年)に建立されたもので、
笠があることから笠地蔵尊と呼ばれるようになったようだ。

境内の枝垂桜は、樹齢180年とのこと。
この地蔵尊の隣家の飼い犬のけたたましい吼え声は常軌を逸していた。




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JR鏡石駅口

JR東北本線鏡石駅の入口である。
鏡石駅は明治44年に開業している古い駅だ。

写真左端は、鏡石第一小学校である。
創立135年(明治7年創立)と言うから歴史がある。

また、右端の店は「寄せがため、小貫のこだわりもめん」と
書かれた看板を掲げていた。
寄せ豆腐(おぼろ豆腐)、木綿豆腐を扱う豆腐屋であろうか。




詳細リンク:旧奥州街道59「鏡石町笠石~JR鏡石駅」/街道写真紀行
(福島県鏡石町笠石、中町、中央)   0910/0912

2009/12/23

映画「マイケル・ジャクソン/THIS IS IT」

平成21年12月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
マイケル・
 ジャクソン/
 THIS IS IT

 
2009年 
 
 監督
 ケニー・オルテガ

 マイケル・ジャクソン


  2009年6月に急逝したマイケル・ジャクソンによって、死の数日前まで行われていた何百時間にも及ぶコンサート・リハーサルを、一本の映画として纏めたもの。
  1ヶ月後のロンドンでのコンサートを前にして、照明、美術、ステージ上で流れるビデオ画像の細部までにこだわり、スタッフと演奏や歌、踊りの猛特訓は迫力満点であった。さすがマイケル・ジャクソンである。
  アンコール上映にも関わらず、大勢の観客が押し寄せていた。観客の層も若い人から老人までと幅広い年齢層であった。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2009/12/22

久来石~笠石宿/旧奥州街道58

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久来石溜池

旧来石宿を抜け、旧街道を進むと、右手が開け、大きな溜池があった。
鏡石町は溜池が多いところだ。

此の辺は、江戸時代は行方野(ゆきかたの))と呼ばれた広大な原野であった。
阿武隈川とその支流の釈迦川の間に広がる、
標高270~300mの洪積台地で南北15km、東西8kmに及んでいる。

古くから開拓は進んでいたが、昭和31年に阿賀野川水系の鶴沼川の谷を
堰き止めた重力式アーチダムの羽鳥湖が天栄村に造られた。
そこから羽鳥用水により、須賀川市、鏡石町、矢吹町、
そして泉崎、大信の2村の開田が実現し、今は広大な田園地帯となっている。




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笠石原町

旧街道右側の広大な田圃である。豊作を思わせるような稲穂の波であった。
かつての原野が嘘のような光景である。

なお、この行方野は、前九年の役(天喜年間、1053~1558年)で、
源頼義と安倍貞任、宗任兄弟が戦った古戦場であったと伝えられている。




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36笠石宿入口

右手の広大な田圃を見て進むと、奥州街道36番目の宿場・笠石宿に入る。

その入口に熊野神社があり、
毎年10月の秋の祭りで行われる太々神楽は、
鏡石町の無形文化財に指定されている。

写真は笠石宿の入口付近である。
往時の面影は殆ど残されていないが、
街道沿いに旧宿場らしく、整然とした家並みが続いていた。

笠石地区の現在の世帯数は54で、人口は240人とのことであった。




詳細リンク:旧奥州街道58「鏡石町久来石~36笠石宿」/街道写真紀行
(福島県鏡石町久来石、笠石原町、笠石) 0910/0912

2009/12/21

久来石宿/旧奥州街道57

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35久来石宿町並み

国道4号線から、左に逸れると、奥州街道35番目の
宿場・久来石(きゅうらいし)宿がある。

写真は久来石宿の中心部である。立派な屋敷が街道に沿って連なっている。

久来石宿は、慶長年間(1596~1615年)、左側(西側)に隣接した
小栗山地区の民家を、ここに移して作られた宿場である。

街道の右側を「東側」、左側が「西側」という字名であったそうだ。
現在は118世帯で、471人が住んでいるという。



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旧街道/久来石

久来石宿を出ると、またかつては原野であった広大な
行方野(ゆきかたの、現矢吹原)の中の一本道を北上する。

次は奥州街道36番目の宿場笠石宿である。



詳細リンク:旧奥州街道57「鏡石町・35久来石宿」/街道写真紀行
(福島県岩瀬郡鏡石町久来石) 0910/0912

2009/12/19

12月大歌舞伎

平成21年12月、歌舞伎座さよなら公演
歌舞伎座

演 目 役 者 観 劇 記
双蝶々曲輪日記
引窓
(ひきまど)

 一幕
 
南与兵衛
     三津五郎

濡髪長五郎
     橋之助

母お幸
      右之助

お早
      扇 雀

  南与兵衛の妻お早と姑のお幸の所に、お幸の実の子である力士の濡髪長五郎が訪ねて来る。そこへ代官となったばかりの婿の与兵衛が帰宅する。代官としての初仕事が、何んと殺人を犯した長五郎を捕縛することであった。
  お早とお幸の様子から、長五郎が2階にいることを悟るが、長五郎が姑お幸の実の子であることを知り、落ち延びさせようとする。
  御馴染みの名場面である。前回(平成18年)は、吉右衛門(与平)と富十郎(長五郎)であったが、今回は三津五郎と橋之助である。共に、見せ場の多い、迫力のある舞台であった。

御名残押絵交張
(おなごりおしえの
   はりませ)

雪傾城
(ゆきけいせい)

 長唄囃子連中
 中村光江振付
 
          
傾城 魁
     芝 翫

役者 栄之丞
     勘太郎

芝居茶屋娘お久
      七之助

  一面雪景色の浅草寺。一陣の風とともに、傾城魁が供を連れて現れる。そこへ初芝居の願掛けにやってきた栄之丞とお久に気づくと郭の情景を踊ってみせる。すると雪の精達が現れ、初芝居の成功を祈って共に賑やかに踊りだす。
  芝翫が、6人の実の孫達と踊る情緒溢れる長唄舞踊である。

野田秀樹作・演出
野田版・鼠小僧
(ねずみこぞう)

 一幕
 
          
棺桶屋三太
     勘三郎

お高
     福 助

興吉
      橋之助

稲葉幸蔵
      染五郎

目明しの清吉
     勘太郎

大岡忠相
     三津五郎

大岡妻りよ
      孝太郎

  正月、芝居子屋では稲葉幸蔵が演じる鼠小僧が大評判であった。そんな中、金にしか興味の無い棺桶屋の三太は、ずる賢く金稼ぎに励んでいる。
  そこへ三太の兄の死体が運ばれてきて、兄嫁より無料で棺桶を作ってくれと依頼される。兄に莫大の遺産があることを聞き、喜んで作るが、遺言状には三太と違う名前が書かれてあった。
  諦めきれない三太は、兄用に作った棺桶に忍び込み、遺産を盗み出そうとするが失敗。その後、鼠小僧となった三太は忍び込んだ先で名奉行と誉れ高い大岡忠相に出くわす・・・・
  話が急テンポで展開し、抱腹しながら最後まで楽しめる芝居である。勘三郎の最初から最後までの熱演に拍手、拍手であった。

詳細リンク:「歌舞伎」/悠々人の日本写真紀行

2009/12/18

鏡石町・久来石南/旧奥州街道56

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矢吹町北町交差点

矢吹宿を抜けると、現国道4号線に合流する。

これからは、かつての行方野(ゆきかたの)の中を北上する。
この行方野は、阿武隈川とその支流釈迦堂川の間の洪積台地で、
広大な原野であったところだ。

明治になってからは矢吹原と呼ばれるようになったところである。




18yabuki24s  鏡石町入口

やがて、街道は今までの矢吹町と別れて、岩瀬郡鏡石町に入る。
鏡石町は矢吹町と須賀川市に挟まれた町で、町名は明治期に
笠石、鏡田、久来石、成田の4村が合併し、出来た村名であった。

鏡石町にある岩瀬牧場は、童謡「牧場の朝」で知られたところだ。
明治時代の御料牧場が民間に払い下げられた牧場である。



18yabuki25s  新菊島温泉

街道左に新菊島温泉がある。
黄褐色のぬるぬるしたアルカリ性単純温泉とのこと。

日帰り入浴(300円)もあり、時間があればゆっくりしたいところであった




詳細リンク:旧奥州街道56「矢吹町北町~鏡石町久来石南」/街道写真紀行
(福島県矢吹町北町~鏡石町久来石南) 0910/0912

2009/12/15

矢吹宿/旧奥州街道55

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幸福寺

街道左に幸福寺がある。樹齢150年の枝垂桜が見事であった。
この境内は戊辰戦争の時、野戦病院となったようだ。
戊辰戦争時の幕府軍の戦死者の墓がある。
また本堂前には、加波山事件の小針重雄の碑と遺髪碑があった。
この小針氏は、中畑新田の庄屋の名前と同じである。
恐らく一族なのであろう。

写真の左手には「しあわせ観音」があった。
嬉しくなるような名前のついた観音様である。



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34矢吹宿(中町)

矢吹町の中町に入る。奥州街道34番目の宿場矢吹宿の入口である。
矢吹宿は天正6年(1578年)に宿駅として開かれ、
天正18年(1590年)に町割が行われたという。

この天正18年は、秀吉が小田原城征伐を行い、
奥州制圧も終り全国統一の成った年である。

矢吹町の由来は、源義家が奥州征伐の時、
八幡社を造営し屋根を矢柄で葺いたことから、「矢葺」が転訛して
「矢吹」になったという。



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矢吹宿中心部(本町)

此の辺が本町で、矢吹宿の中心部であった。

写真は、「伊吹駅前」のバス停の前にある、なめこ壁の蔵で、
店の看板(写真左端)には「あいだ呉服店」と書かれてあった。




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大木代吉本店

木製の古い看板を掲げた大木代吉本店である。
自然郷蔵元と染め抜かれた大きな暖簾が掛かっていた。

慶応元年(1865年)、初代大木代吉により酒造業を創業。
現在も続いている造り酒屋である。
その代表銘柄の純米酒「自然郷」は、
原料の米(有機農法産米)に拘った銘酒とか。




詳細リンク:旧奥州街道55「矢吹町新町~34矢吹宿」/街道写真紀行
(福島県矢吹町新町、中町、本町) 0910/0912

2009/12/14

中畑新田宿/旧奥州街道54

18yabuki10s  古石柱

大和久宿から奥州街道33番目の宿場・中畑新田宿の入口付近に
古石柱があった。記入された文字は風化されて判読できなかった。

中畑新田宿には常陸街道の追分があり、
そこにあった文化8年(1811年)建立の常夜灯は
矢吹町八幡町の八幡神社に移設されて、保存されている。

この辺がかつての追分であったのだろうか。
常陸街道は、現在は、この少し先の県道42号線(矢吹小野線)となっている。 




18yabuki11

33中畑新田宿入口

中畑新田は慶長年間(1596~1615年)、
蒲生氏の命で中畑村(矢吹町)の民家が、
大和久村内の赤坂に移り宿駅となったのが始まりである。

脇街道である常陸街道の起点として栄えたこともあったが、
何度かの大火で衰退し、宿駅の中心は次の宿場・矢吹宿に移っていたようだ。



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大山祇神社

旧街道を挟んで反対側(東側)に大山祇(おおやまつみ)神社がある。
高床式の小さな社があった。

大山祇神は山を司る神である。
山の樹木が雨水を涵養することから水源、水利の神として
崇められている様だ。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道54「矢吹町新町・33中畑新田宿」/街道写真紀行
(福島県矢吹町新田) 0910/0912

2009/12/13

白河市大清水~鎮守前/旧奥州街道41(番外編)

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白河市大字萱根の大清水~鎮守前の写真の追加です。
3枚目の写真は高橋川で、左の建物は旧根田宿の根田醤油です。

(この写真は、赤とんぼさんのリクエストにより掲載しました)

2009/12/12

映画「2012」

平成21年12月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
2012

 
2009年 
 
 監督
  ローランド・
   エメリッヒ

リムジン運転手
    ジョン・
     キューザック



    キウェテル・
     イジョフォー
    


    アマンダ・
      ビート



    ダニー・
      グローヴァー
     

  マヤ暦による2012年12月の地球滅亡を目の前にして、なすすべの無い人々が逃げ惑う姿を描くSF。
  2009年、リムジン運転手が、子供達と旅行を楽しんでいる時、偶然、湖底に沈む巨大研究施設を知り、地球が滅亡に向かっていることを知る。
  家族を守る為に多くの人は奔走する。他方、地球滅亡を知り、極秘に対策を練る大統領とその側近や各国の首脳の活躍を効果的に入れ、厚みのある作品としている。
  大地震、地割れ、火山大噴火、大津波と、最新CGによる迫力満点の映像の連続で、最後まで楽しめる作品となっている。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

大和久宿/旧奥州街道53

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32大和久宿入口

五本松の松並木を通り、七曲り坂を下ると、
旧奥州街道32番目の宿場・大和久宿に入る。

踏瀬宿からこの大和久宿までは、23町(2.5km)である。
起伏の多い山道のためか、宿間の距離が極端に短めとなっている

大和久宿の入口付近左手に大きな「馬頭尊」と「二十三夜」と
彫られた石柱がある。
馬頭観世音が馬頭尊となっているのは、珍しかった。



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山王寺

宿場の中ほどに山王寺がある。承応元年(1652年)の創建とのこと。
写真左手のクロマツは、枝や幹が地面を這うよう姿から「臥竜の松」と
呼ばれ、樹齢約200年とのこと。
福島県の中通りは殆どがアカマツで、海岸線に多いクロマツが、
ここに植栽されているのは珍しい例である。

右の枝垂れ桜は樹齢120年とのこと。

この寺の裏手にある日吉神社で毎年6月に行われる「天道念仏踊り」は、
矢吹町の無形文化財に指定されている。
太鼓、笛の囃子に合わせ、青年男子が輪になって踊るもので、
「きみょうちょうらい」、「かみがたくだり」、「さよのなかやま」の
3曲を素手または手拭いを用いて踊る様だ。



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執心地蔵尊

街道左側に執心地蔵尊12体が保存されている。

写真左端の未だ新しい黒い御影石の石柱には
「大和久宿跡 執心地蔵尊」と大きく彫られてあった。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道53「矢吹町・大和内~32大和久宿」/街道写真紀行
(福島県矢吹町大和内) 0910/0912

2009/12/08

泉崎村・踏瀬~矢吹町・五本松/旧奥州街道52

17fumase13s  踏瀬・松並木

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踏瀬宿を抜けると松並木となる
日除け、風除けとして、白河藩主松平定信が自領内の街道沿いに
2300本の松苗を植えたのが始まりである。




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あぶくま高原道路

踏瀬の松並木を抜けると、あぶくま高原道路の上の陸橋渡る。
この高原道路は切通しとなって、旧街道の下を通っている。
従って、旧街道には陸橋が架けられ、この高原道路を横断している。

あぶくま高原道路は、東北自動車道矢吹ICから
田村郡の小野町の小野ICを結ぶ高速道路(自動車専用道路)で、
平成13年に開通したばかりの未だ新しい道路である。

高原道路を渡ると、旧街道は下り道となる。
この先の旧街道は、林間の快適な道となっている。
この道を下ったところが、
奥州街道32番目の宿場・大和久(おおわく)宿である。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道52「泉崎村・踏瀬~矢吹町・五本松」/街道写真紀行
(福島県泉崎村踏瀬、矢吹町五本松) 0910/0912

2009/12/05

新白河駅西口(高原口)

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東北本線の新白河駅で、在来線乗り継ぎの合間に途中下車した
前回訪れた時は、反対側の東口で、駅前のホテルに宿泊したが、
今回は、待ち時間を利用しての駅西口(高原口)散歩であった

新白河駅は、白河市にあるのではなく、西郷(にしごう)村にある
駅舎は、白河市と西郷村の境界付近にあり、
ホームの一部は白河市に掛かっているが
新幹線停車駅では唯一、村にある駅である

昭和19年の開業当時の駅名は「岩城西郷」であったが、
昭和57年の新幹線開業と同時に、現在の「新白河駅」となった

駅の東口が白河市側で、西口が西郷村への玄関口となっている

村名は、江戸時代の山根13ヶ村の別称であった「西郷の村々」による
西郷村は那須火山群の三本槍岳(1917m)、旭岳(1835m)の
東斜面と阿武隈川の最上流域に広がる村である


(福島県西郷村) 0910/0912

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