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2009年11月

2009/11/30

踏瀬宿/旧奥州街道51

17fumase07s 踏瀬宿・愛宕神社

国道4号線(現奥州街道)の交差点を過ぎると、
奥州街道31番目の宿場・踏瀬(ふませ)宿となる。

太田川宿から二十町(2.2km)である。
この辺は、次の大和久宿までは二十三町(2.5km)と
小刻みに宿場が連なっているところである。

踏瀬宿入口の左側に愛宕神社がある。
この鳥居の右脚に「几号水準点」が彫られてあった。
不に似た記号である。

鳥居の前には、大きな二十三夜塔や、庚申供養塔、飯豊山碑等があった。



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17fumase09s 31踏瀬宿

踏瀬宿の中心部である。
かつての庄屋で問屋を務めた箭内家のあるところだ。
当時の貴重な古文書がそっくり残されていると言う。
明治天皇聖蹟之碑があった。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道51「泉崎村・31踏瀬宿」/街道写真紀行
(福島県泉崎村踏瀬)  0910/0911

泉崎村四ツ屋前/旧奥州街道50

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泉崎村四ツ屋前

東京駅発6:16の新幹線やまびこ201号に乗り、
東北本線の泉崎駅に着いたのは朝の8:28であった。

前回は、太田川宿の二ツ坂の峠道で、街道歩きを中断して、
泉崎駅まで歩いたが、今回は泉崎駅前からタクシーに乗って、
前回の中断地点に向かった。

約3kmの距離であるが、歩くと小一時間かかるため、時間が大分節約できた。

タクシーを降り、少し歩くと四ツ屋前の集落が見えてきた。
この四ツ屋前の地名であるが、
昔この辺に4軒の小屋があったからであろうか。

今日も朝から良い天気で、先が楽しみのスタートであった。
これから須賀川宿まで歩き、須賀川のホテルに宿泊予定である。



17fumase02s 旧奥州街道

四ツ屋の集落の南側に旧奥州街道が残されていた。
昔のままの未舗装の道が凄く新鮮に感じた。



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新池/溜池

峠道を下ると、溜息(新池)の傍に出る。
池畔の数本ある赤松(写真上部)は、樹齢200年とのこと。

新池の前を通ると、旧街道は右にカーブして、
現奥州街道(国道4号線)と交差する。

坂を少し下ると、
奥州街道31番目の宿場・踏瀬(ふませ)宿となるところである。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道50「泉崎村太田川~四ツ屋前」/街道写真紀行
(福島県泉崎村四ツ屋前」 0910-0911

2009/11/28

晩秋の三ツ池公園/横浜

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横浜に遅い秋がやってきた
ここ神奈川県立三ツ池公園は、江戸時代に作られた灌漑用水池で
水源は湧水である

紅葉も見事であるが、桜の名所として有名なところである
また、渡り鳥の種類が多いことでも知られているが、今の所は未だ少なかった



(横浜市鶴見区)  0911/0911

2009/11/27

映画「ゼロの焦点」

平成21年11月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
ゼロの焦点

 
2009年 日本
 
 監督
  犬童 一心

鵜原禎子
    広末 涼子

室田佐知子
    中谷 美紀
    

田沼久子
    木村 多江

室田儀作
    鹿賀 丈史
     

  結婚式から7日後、仕事の引継ぎで金沢に向かった夫・鵜原が予定日に連絡も無く帰ってこなかった。妻の禎子は金沢へ行き、夫の消息を追って行くと、不可解な連続殺人事件が起き、その被害者がすべて夫と関わりのある人物ばかりであった。
  2009年に生誕100周年を迎えた松本清張原作の再映画化である。昭和30年代が舞台であるが、良くその雰囲気を伝えていた。
  今回はシーンの一つ一つが丁寧に作られ、見応えのある映像となっている。また、広末、中谷、木村の三者三様の競演となったが、共に良い味を出していた。



詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2009/11/23

みなとみらい夜景/横浜港

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ライトアップされた初代日本丸


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クィーンズスクエア


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よこはまコスモワールド

久しぶりに夜の桜木町に行った。
ここで写真仲間が集っての恒例の撮宴会が行われた。

今回は長野の写真仲間が横浜の学会に来られたので、
それに併せて、ランドマークタワー5階のレストランでの、
珍しく上品な食事会となった・・・・・



(横浜市西区みなとみらい) 0911/0911

2009/11/20

南烏山~給田・仙川/甲州道中32

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旧甲州街道/南烏山

杉並区上高井戸から、再び世田谷区に入る。南烏山である。
上高井戸を抜けると、背後のマンションがあるのは仕方ないとしても、
如何にも旧街道筋らしい雰囲気が感じられるところである。

左の店はだるま茶屋で、右のうだつのある家も旧茶屋を想起させるような
建物である。



08futa04s  新一里塚

南烏山から給田(きゅうでん)に入ると、右側に新一里塚の石碑があった。
表面には「内藤新宿より三里、品川県」、裏面には
「明治3年武蔵国多摩郡給田村」と刻まれてある。

江戸時代の日本橋とは違い、新宿を基点とした新一里塚である。

品川県とは、明治2年布告された「府県施政順序」により、
荏原郡、豊島郡の半分と多摩郡の一部を含めた地域であったが、
明治5年に品川県はなくなった。

また、給田とは、中世に荘園領主や国衙が、荘官、地頭に対して
給与した田畑を言う。




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仙川・大川橋

給田の外れに仙川が流れている。
千川に架かる大川橋を渡ると、
長かった東京の区部から現在の調布市に入る。

甲州街道3番目の宿場、布田五宿のあった処である。
なお、仙川は多摩川水系の野川の支流である。

仙川上流の三鷹市に、新川丸池と言う遊水池があり、沢山の水が
湧いていたことから千釜と呼ばれていたのが仙川の由来とのことである。




詳細は下記リンクをご覧ください
詳細リンク:甲州道中32「世田谷・南烏山~給田・仙川]/街道写真紀行
(東京都世田谷区南烏山、給田) 0909/0911

高井戸宿上宿・上高井戸/甲州道中31

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上高井戸

京王線八幡山駅口を過ぎると、世田谷区上北沢から杉並区上高井戸となる。

甲州道中2番目の宿場・高井戸宿の上宿・上高井戸である。
前述のように、下高井戸と合宿となっている宿場であった。

都心から離れ、この辺までくると街道筋に古民家が散見されるようになる。
高速道路から離れ、高いビルが少なくなり、空が広くなった感じである。

前方に見える交差点は環状8号線(環八)である。



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上高井戸分岐

環八の交差点を過ぎると、甲州道中はやっと現甲州街道(国道20号線)から
離れ、左側の狭い道となる。

旧街道がそのまま残されているところである。



07takaid59s  長泉寺

街道左側に長泉寺がある。
慶安元年(1648年)、世田谷の鳥山にあった通称「お伊勢の森」に
開創したが、2年後に火災で全焼し、ここに移ったとのこと。

寺の墓地には、上高井戸の本陣であった武蔵屋(並木氏)の墓がある。
また境内では4月に「長泉寺の馬駆」、8月には「長泉寺の相撲」が
行われていたが、いずれも明治の末頃には廃絶となってしまった。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:甲州道中31「上北沢~上高井戸」/街道写真紀行
(東京都杉並区上高井戸) 0909/0911

2009/11/19

鎌倉街道追分/甲州道中30

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古道標群

街道右側に、墓石工事や美術彫刻等を営んでいる広瀬石材店。

仏像、地蔵尊、石塔、石柱、石像等様々な石造品が所狭しと置かれてあった。
その中で、多数の古道標が集められているのには驚いた。




07takaid54s 鎌倉街道追分

鎌倉街道入口と書かれた交差点である。
ここで甲州街道を覆っていた高速道路から開放され、
写真左側の空の見える街道歩きとなる。

杉並区下高井戸から世田谷区上北沢に変わるところである。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:甲州道中30「下高井戸~鎌倉街道追分」/街道写真紀行
(東京都杉並区下高井戸) 0909/0911

2009/11/18

2高井戸宿下宿・下高井戸/甲州道中29

07takaid46s  竹細工店・竹清堂

甲州街道に復帰すると右側に竹細工店竹清堂がある。
昔は甲州街道沿いに30軒ほど竹細工店があったが、
今は此処だけとのことだ。

竹籠と並んで、工芸品が味があり、なかなか粋な感じがした。



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京王線桜上水駅前商店街

桜上水商店街で、この先が京王線の桜上水駅である。

この商店街は杉並区下高井戸と世田谷区桜上水に跨った商店街である。
京王線の駅は世田谷区桜上水にある。
この桜上水の地名は、北側即ち杉並区を流れている玉川上水の堤に
桜並木があったことによる。

この桜上水の駅前付近が甲州道中2番目の宿場・高井戸宿の
下宿・下高井戸の中心であった。

高井戸宿は、この下高井戸と上高井戸が半月交代で
宿場役を勤める合宿であった。




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高井戸宿下宿・下高井戸

京王線の桜上水駅から甲州街道に出たこの辺が高井戸宿の
下宿・下高井戸の中心であったところだ。

遺構は何も無いが、この付近に一里塚があったと言う。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:甲州道中29「2高井戸宿下宿・下高井戸」/街道写真紀行
(東京都杉並区下高井戸) 0909/0911

2009/11/16

杉並・永福~下高井戸/甲州道中28

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永福・寺町

玉川上水に沿って、多くの寺院が並んでいるところだ。
殆どが、明治以降の区画整理や大正12年の関東大震災の後に、
東京からここに移転してきた寺である。

甲州街道に並行した路地で、甲州街道の喧騒さが嘘の様な、
閑静な通りとなっている。




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栖岸院

栖岸院は、元は三河国村高庄(現安城市)にあった長福寺で、
天正19年(1591年)江戸麹町に移転した。
元和7年(1621年)老中の安藤重信が葬られ、以来安藤家の菩提寺となった。
寺名の栖岸院は、安藤重信の法名による。

江戸時代の当寺は、住職が将軍に単独で拝謁出来る
「独礼の寺格」を
許されていた。
関東大震災の後の区画整理で、大正9年当地に移転した。



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龍泉寺

杉並木永福から下高井戸に入ると右側に龍泉寺がある。

写真は境内にある六地蔵と、北向地蔵と呼ばれる
高さ1mの地蔵尊(左端)である。
江戸時代から熱病などの難病に霊験あらたかと信仰を集めていたようだ。

龍泉寺は、慶長8年(1603年)江戸麹町に開創されたが、
その後、明治42年の区画整理に伴い当地に移転した寺である。

移転当時は、門前を流れる玉川上水に、春は咲く桜が清流に映え、
6月の蛍が飛び交う頃は、杉並でも指折りの名勝地であったとか。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:甲州道中28「杉並・永福~下高井戸」/街道写真紀行
(東京都杉並区永福、下高井戸) 0909/0911

2009/11/15

11月、吉例顔見世大歌舞伎

歌舞伎座さよなら公演
11月:吉例顔見世大歌舞伎



演 目 役 者 観 劇 記
並木千柳
三好松洛
竹田出雲作

通し狂言
仮名手本
忠臣蔵
(かなてほん
   ちゅうしんぐら)

大序
 鶴ヶ丘社頭兜改めの場

3段目
 足利館門前進物の場
 足利館松の間刃傷の場

4段目
 扇ヶ谷塩冶判官
   切腹の場
 扇ヶ谷表門
   城明渡しの場

浄瑠璃
 道行旅路の花婿
          
高師直
     富十郎

塩冶判官
     勘三郎

桃井若狭之助
      梅 玉

足利直義
      七之助

大星由良之助
     幸四郎

石堂右馬之丞
     仁左衛門

星野勘平
      菊五郎

腰元お軽
      時 蔵

  御馴染みの通し狂言「仮名手本忠臣蔵」である。今回は、大序から最後の11段目まで、昼夜通しての公演であった。文字通り、さよなら公演の顔見世大歌舞伎に相応しい舞台であった。

大序
  鎌倉鶴ヶ丘八幡宮。幕府の典礼の指導を司る高家筆頭の高師直は、将軍足利尊氏の代参の足利直義を、饗応役の桃井若狭之助と塩冶判官と共に出迎える事件の発端が描かれる。

3段目
  屈辱の余り、ついに刀を抜き、師直に切りつける塩冶判官。

4段目
  殿中で刃傷事件を起こした塩谷判官の切腹。そして、血気にはやる諸士をなだめ、館を明渡す大星由良之助。

浄瑠璃
  戸塚の山中で、塩冶判官の家臣星野勘平と腰元お軽が、故郷の里へ落ち延びる有名な場面

と、舞台は展開し、夜の部の討入りで大団円となる芝居である。今回は残念ながら昼の部の此処までであった。名場面の連続で、ただただ芸達者な役者達の競演を見守るだけであった。
  相変わらずの満員で、切符を取るのには苦労した。


詳細リンク:「歌舞伎」/日本写真紀行

2009/11/14

杉並区・永福/甲州道中27

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築地本願寺・和田堀廟所

明治大学に隣接して、築地本願寺和田堀廟所がある。
大正12年の関東大震災後に、陸軍省火薬庫跡の払い下げを受け、
ここに移転したものだ。

和田堀廟所は、1万2千坪の広大な敷地で、樋口一葉や、九条武子、
中村汀女、海音寺潮五郎、古賀政男、服部良一、水谷八重子等の
著名人の墓があることで知られている。

この地は、甲州街道と玉川上水が側を並行して走り、廟所を挟んで
北側(写真上方)を神田川が流れている。
かつては和田堀と呼ばれていたところである。

神田川は、東京都三鷹市の井の頭公園の井の頭池を源流とする川で、
両国橋脇で隅田川に合流している川だ。

江戸時代は、神田上水として江戸の水道として利用されていた川である。
フォークグループのかぐや姫の「神田川」が大ヒットしたことで、
有名になった川だ。




07takaid37s  玉川上水永泉寺緑地

玉川上水が暗渠化されその上が、緑地となっている。
説明板によると、杉並区立玉川上水永泉寺緑地となっている。

ここから、順番に玉川上水第三公園、玉川上水第二公園と並んでおり、
その全長は2千mもある。

ここにトイレがあるのは有難かった。
なお、永泉寺は、江戸時代永福寺の末寺であったが、明治になって
永昌寺と合併し消滅し、地名のみが残されている。



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善照寺

玉川上水永泉寺緑地の北側の通りは、寺が集中して並んでいるところである。
前述の永昌寺や写真の善照寺を含め手元の地図で9つの寺があるところだ。

写真の善照寺は浄土真宗本願寺派の寺で、
もと築地本願寺の寺中寺であった。
相州小田原で開創し、天正18年(1590年)、秀吉の小田原攻めの時に
罹災し、江戸に移転した。

その後、築地本願寺の子院となったが、大正13年の関東大震災で全焼し、
区画整理の一環として、昭和3年にこの地に移転した寺である。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:甲州道中27「杉並区和泉~永福」/街道写真紀行
(東京都杉並区永福) 0909/0911

2009/11/12

世田谷・井ノ頭通り~明大前駅/甲州道中26

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井ノ頭通り、松原交差点

井ノ頭通りとの交差点である。右へ進むと、吉祥寺である。

境浄水場から和田堀給水所までの間に水道管を敷設するための施設用地を

道路に転用した為、以前は「水道道路」と呼ばれていた。

後に近衛文麿首相によって「井の頭街道」と命名され、
その後東京都によって「井ノ頭通り」と改められた。
最近では、「井の頭通り」と地図などで記されている例もあるが、
正しくは「井ノ頭通り」である。



07takaid31s  明大前駅すずらん通り

街道左側に明大駅前すずらん通りがある。
この先に京王線と井の頭線の明大前駅があるところだ。

ここに学生時代3年間住んでいたので、非常に懐かしいところである。
このすずらん通りにあったビリヤードや卓球場、碁会所等には
何度か行ったことがある。



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京王井の頭線

甲州街道の下を京王井の頭線が交差している。
井の頭線は渋谷と吉祥寺駅を結び、距離は12.7kmと短い線である。
その為か、関東の私鉄の中では、冷房化率100%を最初に達成した路線となっている。

明大前駅は駅名のイメージと違い、どちらかと言うと、閑静な住宅街である。
渋谷と新宿が略同距離で、交通の便が良いので、駅近くのアパート(松原町)を借りて、
学生時代(明大では無い)の3年間を過ごした思い出の地となっている。

当時知り合った家内との初デートは、沿線の井の頭公園であった・・・





詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:甲州道中26「世田谷・井ノ頭通り~明大前駅」/街道写真紀行
(東京都世田谷区松原) 0909/0911

2009/11/09

笹塚~世田谷・代田橋/甲州道中25

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環七通り・大原交差点

渋谷区から世田谷区に入ると、目の前に大渋滞で有名な環状7号線の
大原交差点である。
右が環七の池袋方面で、写真右奥に写っているのは水道道路の
泉南交差点である。

水道道路は、玉川上水の新水路跡で暗渠化され、
都道431号線角筈和泉町線となっている。

大原交差点は、都内の一般道路では最も交通量の
多い交差点として知られている。
甲州街道、環七の合計で、平日昼間12時間で10万台を
越えているというから凄まじい。


07takaid25s  代田・玉川上水

環七を越えると、かつての玉川上水を渡る。
殆どが暗渠化されているので、露出されている珍しい遺構となっている。

この玉川上水に掛かっていた橋が代田橋であった。
伝説の巨人「ダイダラボッチ(大太法師)」の足跡と言われる窪地「代田」に
あった橋から、「代田橋」と命名されたようだ。
一寸法師の反対の意味で、小人に対する大人(おおひと)のことである。
(柳田国男「ダイダラ坊の足跡」)



07takaid26s  沖縄タウン

街道右側(杉並区和泉)に沖縄タウン。
「沖縄タウン和泉明店街」と書かれた横断幕が未だ新しかった。
寂れた商店街を活性化させるために、沖縄タウン化計画を立て、
街を再生させようとの試みとのこと。 

杉並区には、「沖縄学の父」と呼ばれる伊波普猷(いはふゆう)が
住んでいた。
また都内23区内では沖縄関係の在住者が多く、
沖縄料理の店が多いこともあり、町おこしのテーマを沖縄にして、
平成17年より取り組んでいるとのこと。

現在、加盟店は74店舗となっている。
名店街ではなく明店街となっているのが、奥床しい。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:甲州道中25「渋谷・笹塚~世田谷・代田橋」/街道写真紀行
(東京都世田谷区大原、杉並区和泉) 0909/0911

2009/11/08

涸露柿の里/甲州・塩山

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涸露柿の里

農家の軒下に柿が吊るしてある

枯露(ころ)柿とは渋柿の皮を剥き半乾きにして
樽の中で葉と交互に重ねて寝かせ、さらに乾燥させたもの

表面に白い粉が生じた、甘い干し柿である
転柿、白柿とも言う


(山梨県塩山市小屋敷) 0411/0911

2009/11/07

鶴見区・横溝屋敷/横浜

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長屋門


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穀蔵


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主屋


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主屋と蚕子屋

鶴見区獅子ヶ谷に残されている旧横溝家住宅である。
今となっては、屋敷構えが、江戸時代の農村生活原風景を残している
貴重な文化遺産となっている。

この古民家はそっくり横浜市に寄贈され、市の指定文化財1号となっている。


(横浜市鶴見区獅子ヶ谷) 0911/0911

渋谷区・幡ヶ谷/甲州道中24

07takaid17s  幡ヶ谷、子育地蔵

初台から幡ヶ谷地区に入ると、左側に子育地蔵尊があった。
と言っても、イメージが違い、地元の人達の浄財により建てられた
建物の中(中央の赤い提灯)となっている。


説明板によると、子育地蔵は江戸時代貞享3年(1686年)の建立で、
元はこの前方にお堂があったが、甲州街道の拡幅で、
現在の位置に移動しているとのこと。



07takaid19s  京王新線、幡ヶ谷駅入口

左手に京王新線の幡ヶ谷駅入口ある。
駅は甲州街道の地下となっている。

幡ヶ谷は、後三年の役に出征する途中の源義家が源氏の白旗を、
この地にあった池(洗旗池、昭和38年に埋め立てられた)で洗ったという
伝承による。



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牛窪地蔵尊、道供養塔

右から2つ目は全国でも珍しい江戸時代の道供養塔である。
橋供養と同じように、道路自体を供養して、報恩感謝の念を捧げることにより、
交通安全を祈ろうとするものだ。

この少し先が甲州道中と中野通りの追分となっている。
中野通りの延長は鎌倉街道の一部で、この供養碑は鎌倉街道に面して
建てられてあった。

道供養塔の左は享保5年(1720年)と読める庚申塔で、
左端は牛窪地蔵である。

牛窪地蔵は正徳元年(1711年)に建立されたものである。
ここが極悪人の刑場として、牛を使って最も厳しい牛裂きの刑という
両足から股を引き裂く刑場の地であり、
窪地であったことから牛窪となったようだ

疫病が流行った時、これが罪人の祟りだと伝えられ、
子供の安泰を守り、苦難の時の身代わり地蔵として、
この淋しい土地に地蔵尊を祀り、霊を慰める為に建てられた。





詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:甲州道中24「渋谷・初台~幡ヶ谷」/街道写真紀行
(東京都渋谷区初台、幡ヶ谷) 0909/0911

2009/11/06

渋谷・代々木~初台/甲州道中23

07takaid11s 諦聴寺、正春寺/代々木

堀永山真宗大谷派の諦聴寺(写真手前)は、
木造では渋谷区内最古である平安時代以前の聖徳太子像が安置されている。
明治・大正までは、太子講が運営され、縁日が盛んであったという。


正春寺(写真奥)は将軍秀忠の乳母・初台の局の菩提寺として知られる。
初台局の娘で、家光の乳母であった梅園局が母の菩提寺として
建立したものだ。

境内には田村成義の銅像が建っていた。
田村成義は日本橋生まれで、明治・大正期に
千歳座(後の明治座)・市村座を経営し、歌舞伎振興の功労者であった。
この像は、明治44年、田村の還暦を記念して、歌舞伎役者らが中心となって
建てられたものだ。




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新国立劇場

山手通りの交差点を渡ると、右側に大きな新国立劇場の建物が目に入る。
地名は新宿区から渋谷区に変わり、ここは本町である。
元の本村で、幡ヶ谷地区の中心であった。
町名はそのまま本村が本町となっている。

新・国立劇場は1814席のオペラ劇場(愛称オペラパレス)、
1010席の中劇場、そして340~468席の小劇場の三つの劇場が
設けられている。

平成5年、今上天皇・皇后、内閣総理大臣橋本龍太郎のもと、
杮(こけら)落としが行われた。
演目はオペラ、團伊玖磨作曲「建-TAKERU」であった。

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初台駅前

初台駅と言っても、今は駅は地下にあり、
かつての京王線は停車しない駅となった。
現在停車するのは都営新宿線と相互乗り入れしている新京王線のみである。

地名の謂れは、太田道潅が作った8ヶ所の砦の内、
代々木村に1の砦(狼煙台)があったことから、初台になった様だ。

2代目将軍徳川秀忠の乳母であった、土井昌勝の妻が、
天正19年(1591年)に、旧代々木村のこの地に200石を拝領し
隠居地とし、初台の局と呼ばれていた。




詳細は下記リンクをご覧下さい。
詳細リンク:甲州道中23渋谷・代々木~初台/街道写真紀行
(東京都渋谷区代々木、本町、初台)) 0909/0911

2009/11/02

西新宿~代々木/甲州道中22

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西新宿高層ビル

街道右手には、西新宿の高層ビルが続いている。
街道の左側は渋谷区代々木となる。

代々木は、代々木ゼミナール等の予備校や各種学校の多いところである。
代々木の地名は、かつて明治神宮が彦根藩の下屋敷で、
その邸内の名木(モミの木)を「代々木」と呼んでいたことに由来する。




07takaid07s  佐鳴予備校

街道には㈱さなるの東京総本社がる。
小学、中学、高校生を対象とする学習塾や予備校を展開している会社で、
グループ全体で拠点数320校、生徒数44,000名とのこと。
業界2位の規模である。



07takaid08s 文化女子大

街道の左側は渋谷区代々木地区となる。
写真は現在の文化女子大学で、かつての文化服装学園だ。

大正11年創立の文化裁縫女学校が前身である。
その後、文化服装学院に変更し、文化女子大学が出来たのは
昭和39年である。
ファッション分野が中心の珍しい大学である。



07takaid09s_2  バイエルン女神像

文化学園の正面にあるバイエルン女神銅像である。
ドイツのバイエルン地方の理想の女神像として語り継がれている
クニグンデ皇后像である。
左手の本は叡智を、右手で差し出す硬貨は慈愛を象徴しているとか。

同校のドイツの姉妹校の縁で、設置された様だ。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:甲州道中22「西新宿~代々木」/街道写真紀行
(東京都新宿区西新宿、渋谷区代々木) 0909/0911

 

2009/11/01

新宿駅南口~西新宿/甲州道中21

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JR新宿駅南口

新宿駅南口で、その前が甲州街道(国道20号線)である。
今回は此処から、朝の7:20、甲州道中歩きの再開である。

写真の右端には蓑笠を背に、木杖を突いたウォーカーが、
日本橋方向に向かって足早に歩いていた。



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西新宿・超高層ビル群

右手に副都心・西新宿の超高層ビル群である。
と言っても、今は都庁がここに移転し、新都心とも呼ばれている。

西新宿の名の由来は、新宿地区の西に位置することであるが、
この町名は1970年の住居表示からと新しい。
それ以前は、西新宿の大半は角筈(つのはず)であった。
今でも、バス停や陸橋などに残されている。

この副都心のビルが、富士山登山の時、夜明けと共に山頂から見え、
感動したことを思い出した。




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玉川上水跡

左側は街路樹の生い茂る、快適な歩道となっている。
かつての玉川上水のあったところだ。
玉川上水は、江戸時代の承応3年(1654年)に開削された上水路である。
四谷御上水とも言われ、
神田上水、千川上水と共に江戸3大上水の一つであった。

羽村堰(羽村市)で、多摩川より取水し、
武蔵野台地の拝島、砂川、小金井、三鷹、下高井戸を通って四谷大木戸まで
水路が開削され、その先は暗渠となり、江戸城の虎ノ門前まで
導水したもので、全長43kmであった。

明治31年、杉並区和泉町から現西新宿の淀橋浄水場の間に
新水路が開削された為、和泉町から四谷大木戸までの下流部は
導水路としての役目を終えた。

現在は、大部分が暗渠化され、公園や道路となっている。
甲州道中は、途中までは、この玉川上水沿いの道であった。

なお、淀橋浄水場跡が、現在の新都心・高層ビル街となっている。
今でこそ全国展開しているが、「ヨドバシカメラ」(旧淀橋写真商会)は
新宿駅西口の駅前にある小さな店であったが、品揃えが豊富で、
値段が安く、若い頃から良く利用した店であった。





詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:甲州道中21「新宿駅南口~西新宿」/街道写真紀行
(東京都新宿区西新宿、代々木) 0909/0911

映画「さまよう刃」

平成21年11月
横浜ムービル

タイトル キャスト コメント
さまよう刃

 
2009年 日本
 
 監督・脚本
  益子 昌一

被害者の父・長峯
    寺尾 聰

刑事真野
    伊東 四郎
    

刑事織部
    竹野 内豊

  中学生の一人娘が車で拉致され、強姦の上殺害し捨てられる。偶然犯人の住所と名前を知った父親長峯は犯人の少年の一人を殺害。後日もう一人の犯人を追う長峯から、殺害の自供と、現行の少年法への憤りを綴る手紙が警察に届く・・・
  現行の少年法と正義の狭間で、命の意味を問いかける重厚な内容となっている。寺尾總の難しい役どころの演技が光っていたが、脚本にもう一工夫欲しかった。


詳細リンク:映画/日本写真紀行

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