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2009年10月

2009/10/31

赤穂/兵庫

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赤穂城、大手櫓

赤穂城を見学した後、駅まで赤穂の町を歩いてみた。
写真は、赤穂城の大手門を出て、赤穂市街を見た写真である。
写真左は大手櫓だ。

正面の店は「かん川本舗」である。
江戸時代より続く、名物塩味饅頭「志ほ万」等を販売している土産店だ。



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加里屋川

赤穂市の中心部を流れている加里屋川で、かつては能見川と呼ばれ、
明治27年までは千種川の本流であった。
昭和50年頃までは、子供が中に入って遊べるくらい綺麗な川であったようだ。

現在、河川再生プロジェクトが進められ、一斉清掃や浄水作用のある蜆の
放流等を行っているとのこと。



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花岳寺

花岳寺(かがくじ)は正保2年(1645年)、
赤穂藩祖浅野長直によって建てられた寺である。
元禄事変後は、赤穂藩歴代藩主の永井家、森家の菩提寺となっている。

境内には義士の墓や、三十三回忌に刻んだ四十七士の極彩色の
木像がある。

写真右端の松は、大石名残の松二代目である。
もともとは、元禄4年(1691年)に大石内蔵助が母の冥福を祈り
植えた松で、元禄14年(1701年)に、赤穂を離れるとき、
この木の下で名残を惜しんだ為、後に名残の松と言われるようになったとか。



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JR播州赤穂駅

播州赤穂駅は昭和26年に開業した比較的新しい駅である。
開業当時、飯田線(長野)に赤穂駅(現駒ヶ根駅)があったため、
播磨国の別称である播州を冠し、播州赤穂駅となった経緯がある。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:兵庫「赤穂」/日本写真紀行
(兵庫県赤穂市加里屋南、加里屋)  0802/0910

2009/10/29

赤穂・大石神社/兵庫

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四十七義士石像

赤穂城の三の丸に大石神社が建立されている。
その参道の両側に、中国産黒大理石で作られた、
大石内蔵助以下討入り表門隊と、大石主税以下裏門隊の石像が
両側にずらっと並んで建っているのには驚いた。


製作は兵馬傭工芸技術伝承者と記されてあった。
なお、裏門隊の隊長大石主税は、義士の中で最年少の16歳で、
内蔵助の嫡男であった。



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堀部安兵衛(左)と吉田忠佐衛門石像

御馴染みの堀部安兵衛(左)と吉田忠佐衛門の石像である。

吉田忠佐衛門は討入りの時、63歳と言う当時としては高齢であった。
石高は200石で、原聡右衛門(300石)や、片岡源五右衛門(350石)より
少なかったが、武芸に秀でており、又人望もあり、
同士の間では内蔵助に次ぐ人物であったようだ



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大石神社

赤穂城三の丸の一画に大石神社がある。
明治天皇の宣旨を契機として、明治33年に神社創立が公許され、
大正元年に四十七士義士命を祀る神社として鎮座になった。
所謂武将神神社である。



詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:兵庫「赤穂・大石神社」/日本写真紀行

映画「沈まぬ太陽」

平成21年10月
横浜ムービル


タイトル キャスト コメント
沈まぬ太陽

 
2009年 日本
 
 監督
  若松 節郎

 脚本
  西岡 琢也

  
恩地元
    渡辺 謙

行天四郎
    三浦 友和
    

妻・恩地りつ子
    鈴木 京香

国見新会長
    石坂 浩二

     小山田 美沙
    嘉川 照之
    加藤 剛
    宇津井 健

        

  国民航空の労働組合委員長として活躍した恩地は、懲罰人事で海外勤務を命じられ、10年後にやっと本社復帰を許される。
  帰国すると、ジャンボ機墜落事故が起き、救援隊として現地に行き、様々な悲劇を目の当たりにし、組織の建て直しを図るべく就任した国見新会長のもとで、会社の腐敗と戦っていく・・・
  山崎豊子の同名長編小説の初映画化である。内容の濃い原作を、途中休憩を入れて、3時間23分に纏め上げた脚本に先ず敬服する。最後まで、緊張感を持って、社会悪に迫る展開はなかなか見応えがあった。





詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

2009/10/28

赤穂城址/兵庫

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赤穂城・大手隅櫓

赤穂御崎に行った後、バスで赤穂城址に寄った。
赤穂城は正保2年(1645年)、浅野長直(ながなお)が、
5万3千石で、常陸国笠間から入封し築城、城下町、塩田を開発した。

しかし、元禄14年(1701年)、3代長矩の江戸城内での刃傷で改易となり、
その後は永井氏、森氏と続いた。

写真は赤穂城正面の大手隅櫓である。
 


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武家屋敷

元禄15年(1702年)の赤穂城内屋敷図によれば、
家老格の重臣の屋敷は、城の重要な門の近くに配置され、
それぞれの門の警護を受け持たされていた。


ここは赤穂城清水門の押さえとして、坂田式右衛門(800石、准家老格)の
屋敷があったところである。
武家門、築地塀、井戸屋形、杉皮葺あずまやを配し、
江戸時代の武家屋敷の様子を再現している。

濠の外(写真左端)には、蔵屋敷を模した歴史博物館が出来ていた。
平成元年に完成したもので、1階は製塩用具を中心とした赤穂の塩を
解りやすく展示されている。
2階は、赤穂城や城下町、赤穂義士等の絵図や模型、資料等が
展示されいた。
  


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本丸門

復元された真新しい本丸門(枡形門)を通り、本丸跡に入る。
本丸門は明治10年代後半に取り壊しまで、約230年間現存しており、
写真も残されている。

現在の本丸門は、平成4年文化庁の地域中核史蹟等整備特別事業として、
全国で始めて採択され、国・兵庫県の補助を受けて、
総事業費6.7億円をかけて平成8年に完成したものだ。



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本丸跡

天守台跡に上って本丸跡を俯瞰した写真である。
浅野家断絶後赤穂藩主になった永井家の所蔵文書の
「赤穂御城御殿絵図」を元にした、間取りが再現されていた。

本丸の面積は15,114平方mあり、
その2/3は領主屋敷(表御殿、中奥、奥御殿)、番所、倉庫等の建物と、
天守台、池泉等で占められ、残りの1/3はくつろぎ(池泉を発掘調査)と
呼ばれる空き地になっていた。

本丸の建物跡は、床高だけ高くして、コンクリート盤上に部屋の
間仕切りを示し、板間、奥座敷、土間、敷居、廊下、柱、縁などを
解りやすく表現してあった。
なかなか手の込んだ復元であった



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本丸庭園

池泉回遊式庭園で、最近ホタルが生息していることが解った。

上手く繁殖させ、初夏の貴重な観光資源にと保護している由。
この池泉には蛍幼生の餌になるカワニナが生息しているとか。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:兵庫「赤穂城・三の丸」、「赤穂城・本丸」/日本写真紀行
(兵庫県赤穂市上仮屋旧城内) 0802/0910
 

2009/10/26

泉崎~JR泉崎駅/旧奥州街道49

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泉崎集落

西白河郡泉崎村大字太田川で旧奥州街道歩きを中断して、
JR泉崎駅に向かう。

泉崎村の中心部・泉崎の下宿地区の集落に入る。
昭和29年関平村と川崎村の2村が合併し、泉崎村となった。
この泉崎の地名は、中世以来の郷村名による。

泉崎村には、丹朱で騎馬像や男女群像、動物等が描かれた、
8世紀の装飾横穴古墳(国指定史蹟)が有名だ。

又関和久官衙遺跡(国指定史蹟)がある。
古代の東山道の松田駅(泉崎村関和久、配備駅馬数10疋)のあったところだ。
ここは東海道の東山道連絡路との合流点でもあった。

泉崎は、阿武隈川左岸と支流の泉川沿いに広がる沖積部に
集落と耕地が広がり、古くから開けた地域であった。



16ohtagawa20s  JR東北本線、泉崎駅
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JR泉崎駅前

下宿の集落で左折すると、JR東北本線の泉崎駅となる。
開業は古く、明治29年である。

駅前には、泉崎資料館があり、泉崎村の遺跡から発掘された出土品や、
郷土所縁の文化財を常時展示している(入場料100円)。

今回はここで、東北本線の上り黒磯行に乗り、
新白河で東北新幹線に乗換え、帰宅した。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道49「泉崎村・泉崎~JR泉崎駅」/街道写真紀行
(福島県西白河郡泉崎村大字泉崎字下宿、館) 0905/0910

2009/10/25

太田川~二ッ坂/旧奥州街道48

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太田川・枡形

旧奥州街道は、愛宕神社の前を右折して、ここで今度は左折である。

右は旧国道で、真っ直ぐ進むと現在の国道4号線と交差し、
JR東北本線の泉崎駅に通じる道となっている。

予定では、ここで徒歩の旅を中断して、泉崎駅より帰宅する予定であったが、
未だ日が高いので、少し足を伸ばすことにする。



16ohtagawa14s 岩崎・石仏群

左折すると、街道は緩い上り坂となっている。
峠越えで、その麓にあたるここには大きな馬頭観世音や、
旧石仏の他、十八夜塔、湯殿山碑等が多数集めらていた。
新しい白い石造の社には、天王社と彫られてあった。



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旧奥州街道/二ッ坂

峠を越えると、山間に旧街道が続いている。

今回は、この先のT字路で、街道歩きを中断し、
JR東北本線の泉崎駅に向かう。

駅までは、約3kmの道程であった。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道48「泉崎・太田川~二ッ坂」/街道写真紀行
(福島県西白河郡泉崎村大字太田川二ッ坂) 0905/0910

2009/10/24

映画「南極料理人」

平成21年10月
横浜 ムービル

タイトル キャスト コメント
南極料理人

 
2009年 日
 
 監督・脚本
  
沖田 修一

  
調理担当・西村
    堺 雅人

西村妻・みゆき
    西田 尚美
    

タイチョウ・気象学者
    きたろう

本さん、雪氷学者
     生瀬 勝久
        

  海上保安庁勤務の西村は、南極の昭和基地からも遠く離れた陸の孤島、南極ドーム基地に料理人として突然派遣される。
  ドーム基地で、単身赴任生活を送る8人の越冬隊員達の胃袋を満たす為に、限られた条件下で工夫して行くさまを、隊員たちとのエピソードを交え、ユーモラスに描いていく。
  脚本が良く練れており、淡々と笑いを誘いながら、最後まで、楽しく見ることが出来る映画となっている。

詳細リンク:「映画」/日本写真紀行

太田川宿/旧奥州街道47

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太田川・常願寺

奥州街道30番目の宿場・太田川宿に入ると左側に常願寺がある。
嘉暦2年(1327年)、慈伝法印により開山された
天台宗叡山派の寺院である。

樹齢600年の枝垂桜が有名な寺である(上写真右側)。

泉崎村の無形文化財となっている「太田川梅若念仏踊り」が
四半世紀ぶりに復活し、この常願寺境内で披露されたとのこと。

この民族芸能は太田川に古くから伝わる「梅若伝説」に由来するもので、
伝説に登場する梅若丸を供養する不動堂が、
太田川平次山に残されているとのこと。

伝説によると、比叡山の稚児・梅若丸は、
人買いの信夫藤太にかどわかされ、奥州に連れさられる途中、
武蔵国隅田川で病に罹り亡くなった。

その梅若丸をかどわかした信夫藤太は、ここ太田川の住人であり、
村人に災いが及んだので、梅若丸の命日(3/15)に念仏踊りを
行うようになったとのことであった。

この梅若丸は、京都の吉田少将惟房卿の一子で、7歳の時死別し、
比叡山の稚児となったと、謡曲「隅田川」にある。

その梅若丸を追って、母が隅田川まで来たが、その死を知り、
悲しみのあまり発狂して、隅田川の畔をさ迷うという物語となって、
歌舞伎や文楽でも「隅田川物」として取り上げられている。




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30太田川宿

太田川宿の中心部である。
ここも戊辰戦争の兵火で殆ど全焼して、
建物はその後に建てられたものであるが、旧宿場町の面影が残されている。

宿場中央左手に、間口7間の元検断の家がある。
検断とは、当時の警察権、刑事裁判権を持つ大庄屋(おおじょうや)のことである。


太田川宿の出口付近で、道が直角に右に曲がっており、
さらに進むと左に曲がっている、所謂枡形になっているところである。

写真正面の小高い山に愛宕神社ある。
愛宕神社は太田川宿の鎮守である。
鳥居を潜り、階段を181段登ったところにある。

境内からは太田川宿が一望できるところだ。
また、鳥居脇の樹齢120年の枝垂桜が名所となっている。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道47「30太田川宿」/街道写真紀行

2009/10/23

小田川~夫婦坂・太田川宿入口/旧奥州街道46

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小田川・旧街道

泉川に架かる馬橋を渡ると、かつての面影を残す、長閑な旧街道となる。
車も殆ど通らず、実に快適な道である。

この先で、長かった白河市から泉崎村へと入る。
その境界の左側に、武光地蔵と呼ばれる赤い頭巾と涎掛けを付けた
身の丈2m以上の大きな地蔵尊があった。



16ohtagawa03s  武光地蔵尊

居合い抜きの達人として、知られた伊達藩の侍が、
江戸に向かう途中、妖しい女の影が現れ、咄嗟に一刀のもと切り捨てた。
江戸からの帰り、再びここを通ると、
道端に二つに切断された石地蔵が転がっていた。

村人は、首を元のように修復し、この地蔵を切りつけた刀銘が
「武光」であったので、武光地蔵と呼ばれるようになったとか。

江戸時代、この地を訪れた井原西鶴が、
夜毎に火焔を出し恐れられていたのを、飛脚が袈裟懸けに切ると、
何事もなくなったとの伝承を記録しているという。

そのためか、首切り地蔵、化け地蔵とも呼ばれていた様だ。



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夫婦坂・太田川宿入口

武光地蔵の前を通り、夫婦坂を下って行くと、
正面に奥州街道30番目の宿場・太田川宿の家並みが視界に入ってきた。

この坂名は、上り坂と下り坂が峠で向き合っているから、
夫婦坂と言うのであろうか。
調べてみたが、解らなかった。

詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道46「小田川・泉川~泉崎・夫婦坂」/街道写真紀行
(福島県白河市大字泉田字小田川、西白河郡泉崎村大字太田川) 0905/0910
  

2009/10/22

JR塩尻駅前/長野

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塩尻駅前


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城尻駅

JR中央本線の塩尻駅である
塩尻は、太平洋側と日本海側からの塩の運搬路の
終着地の意味の他に、地形からとの説もある

短歌の町の石碑が駅前に設置されていた(写真上)

市北部の広丘に「広丘短歌公園」がある
塩尻出身の太田水穂や島木赤彦等の歌碑と
ゆかりの歌人の遺品などを展示する「塩尻短歌館」が
建てられている



詳細リンク:中部「信州2」/紀行写真集
(長野県塩尻市) 0610/0910

2009/10/21

白河・29小田川宿/旧奥州街道45

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29小田川宿入口

国道4号線(現奥州街道)は右側の切り通しとなっている。
旧街道は左側の細い道である。

旧街道に入ると、すぐ左側に小野薬師堂がある。
この辺が、かつての小田川(こたがわ)宿の入口であった。



15kotagw13s 小野薬師堂

小野薬師堂は、大同年間(806~810年)の創建と伝えられている。

小野小町が、故郷の秋田に帰るときに、小田川宿付近で、
病にかかり床に伏せってしまった。
白山寺の薬師如来に病が治るように祈願したところ、
病が癒え、無地故郷に帰ることが出来た。

その小野小町に因み、いつの頃からか小野薬師堂と
呼ばれるようになったとか。
なお、白山寺は、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となっている。

小野薬師堂の境内には戊辰の役戦死者供養塔、
明和5年(1768年)建立の
二十三夜塔や、
大きな庚申塔等の古碑石仏が集められていた。



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小田川宿町並み

旧奥州街道29番目の宿場・小田川宿の中心付近である。
豊穣な土地柄か、間口が広く、立派な屋敷が並び壮観であった。

この辺は、かつては小田ノ里とも呼ばれていたところだ。
白河藩領であったが、その後榊原領となり、
文政3年(1820年)以降は天領となった。

本陣、脇本陣は無く、宿場中央の庄屋が問屋を務めていた由。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道「白河・29小田川宿」/街道写真紀行

  

2009/10/17

白河・泉田/旧奥州街道44

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泉田集落/旧奥州街道

泉田地区に入る。
右手に旧街道沿いにあった古い石仏が一箇所に集められているところだ。



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小田川小学校、泉田自治会館

前方に小田川(こたがわ)小学校、右手は泉田自治会館だ。
小田川、泉田、萱根、豊池地区が通学区となっている。

旧街道は、その小学校の所で消失している。

小学校を抜け前方の小高い山筋を進んでいた様であるが、
今は、高速道路・東北自動車道が走っている。



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泉田・国道合流点

小学校の校庭で生徒指導をされていた女性の先生に道を伺う。
旧奥州街道の件は知らないようであったが、
小学校の校庭の手前(南側)の細い砂利道が
現国道に抜けることが出来ることのこと。

不安であったが、この峠越えを行う。
峠を越えると眼下に現奥州街道(国道4号線)が見えてきた。

この先で、国道に合流して少し進むと、左側に又、旧街道が残されている。
奥州街道29番目の宿場・小田川(こたがわ)宿のあるところである。





詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道44「白河市・泉田」/街道写真紀行
(福島県白河市泉田池ノ上) 0905/0910

2009/10/12

幼稚園運動会/大阪

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八尾市安中幼稚園

八尾の孫娘より、たどたどしい字で書かれた運動会の招待状が
届いたので、横浜より朝一番の新幹線で出かけた。

孫は初めての運動会で、張り切っていた。

驚いたことに、最近の幼稚園では、父母と一緒の競技は当然であるが、
祖父母との一緒の競技もあるのである。
私も、孫と一緒に紅白の玉入れを行い、楽しい一時を過ごしたが、
祖父母の来ていない人は、園児一人で玉入れとなり、一寸寂しい感じがした。
もっとも、殆どの祖父母が来ていたが・・・

今は、園児の父母の他に、祖父母までが招待されているので、
園児の数より、圧倒的に観客の方が多く、賑やかな運動会であった。
(園児一人に父母とその両方の祖父母で計6人)



(大阪府八尾市) 0910/0910

2009/10/10

白河・南街道端~泉田界/旧奥州街道43

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大字萱根字南街道端、集落

根田宿を出て、桑ヶ作川に架かる岩崎橋を渡ると、南街道端地区に入る。
旧街道は右側の道で、前方が南街道端の集落である。

右手、山沿いに立派な曹洞宗の石雲寺がある(萱根字三本木)。
白河結城氏の一族小萱氏が開基したと伝えられている。




15kotagw04s  白河だるま製造所(渡辺だるま)

街道右手に白河だるま製造所(渡辺だるま)がある。
毎年、建国記念日(2/11)に白河市の天神町から本町までの
旧奥州街道沿い4kmで行われる白河だるま市は
日本一の規模とか。
だるまや縁起物等を売る店が700も並ぶと言うから半端ではない。

特に、「白河鶴亀松竹梅だるま」は福々しいだるまとして有名である。
眉は鶴、口髭げは亀、鬢(びん)は松と梅、顎鬚は竹を表しているだるまだ。



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萱根・泉田界

南街道端、北街道端地区を抜けると、
旧街道は国道4号線(現奥州街道)と交差し、左側に入る。

萱根・泉田界地区の集落である。
文字通り、大字・萱根が大字・泉田に接するところである。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道43「白河・南街道端~泉田界」/街道写真紀行
(福島県白河市大字萱根字南街道端、北街道端、泉田界) 0905/0510

芸術祭十月大歌舞伎

歌舞伎座さよなら公演
芸術祭十月大歌舞伎

平成21年10月 歌舞伎座

演 目 役 者 観 劇 記
歌舞伎18番の内
毛抜
 
(けぬき)

  1幕

       
   
条寺弾正
     三津五郎

小原万兵衛

     錦之助

小野春風
      松 也

腰元巻絹
      
魁 春
  文屋豊秀の家臣条寺弾正は、病の為に豊秀への輿入れが遅れている小野家の息女錦の前の様子を伺いに来る。
  髪の毛が逆立つ奇病を見た、弾正は主の小野春道との対面を求めて、待っていると、手にしていた毛抜きが踊りだし・・・
  と、展開し奇病の仕掛けを見破り、その裏にあった悪事を暴露していくという痛快な物語となっている。
  対面を待つ間の三津五郎が、給仕に来た小姓や腰元に次々と口説いては振られる場面は、軽妙な演技で笑いを誘っていた。
藤間勘十朗振付
蜘蛛の拍子舞
 
(くものひょうしまい)

  花山院空御所の場
  
  長唄囃子連中

       
   
白拍子妻菊
     玉三郎

碓氷貞光

     松 禄

源頼光
      菊之助

坂田金時
      
三津五郎
  物の怪が出るという花山院の御所に、検分のため逗留していた源頼光は、俄かに病にかかる。その憂さ晴らしに碓氷貞光と酒を酌み交わして居る時に現れた蜘蛛を鞘で突くと、怪気が漂い、気を失ってしまう。
  気が付くと、目の前に白拍子妻菊が現れ、病の慰みに共に拍子舞を踊るが・・・
  千筋の糸を繰出す妻菊は葛城山の女郎蜘蛛であった。とスケールの大きい舞踊劇である。
心中天網島
玩辞楼12曲の内

河庄
 
(かわしょう)

  1幕

       
   
紙屋治兵衛
     藤十郎

紀の国小春

     時 蔵

河内屋お庄
      東 蔵

粉屋孫右衛門
      
段四郎
  大坂天満の紙屋治兵衛は、妻子がありながら遊女の小春と深い仲になり、心中の約束をしている。  それを知った兄孫右衛門は侍姿になり、小春より本音を聞きだす。それを聞いて逆上した治兵衛は、小春を刺そうとするが、侍に手を縛られてしまう・・
  治兵衛役の藤十郎の相変わらずの名演技に、ただ拍手のみ。段四郎の偽侍ぶりもなかなかであった。まさに上方和事の代表作である。
音羽嶽だんまり
 
(おとわだけだんまり))

  藤間大河初お目見得
  
  大薩摩連中

       
   
音羽夜叉五郎
     菊五郎

奴伊達平

     松 禄

畠山重忠
      吉右衛門

雲霧袈裟太郎
      
富十郎

稚児音若
(初お目見得)
      
藤間大河
  音羽嶽に現れる音羽夜叉五郎や、着飾った面々が集まり、白旗を手にしながらお互いに探り合う、だんまりである。
  松録の長男藤間大河の初舞台で、「初お目見得口上」が行われた。

詳細リンク:歌舞伎/悠々人の日本写真紀行

2009/10/08

28根田宿/旧奥州街道42

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28根田宿

根田宿に入ると、右側に根田醤油合名会社がある。
江戸時代より味噌、醤油を造っていると言う。

建物も当時のものを修理して使用している由。
醤油では「2年もろみ」、味噌では「田舎味噌」が人気とか。

この「田舎味噌」は、大豆1斗に米1斗の配合で、
大豆と米との配合が同量の物は「十合米麹味噌」と呼ばれ、
米麹から出た自然の甘さが、独特のまろやかさを出しているとか。

なお、当地方では、もともと味噌の自家醸造が盛んなところであった。



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根田宿町並

根田宿の中心街である。
と言っても、かつての宿場らしい雰囲気は全く無かった。

手前が、旧根田村(現白河市大字萱根字根田)で、
奥が旧新小萱村(にこがや、現大字萱根字新小萱)で、
この二つの村で、一つの宿場となっていた。

白河宿を過ぎると、幕府の管轄を離れるため、宿場ごとにあった、
所謂本陣、脇本陣等は無かったようである。

根田宿の入口から出口まで、約380mの町並みである。
なお、江戸時代は、新小萱村の庄屋の家の前に高札場があった様だ。



14neta16s  新小萱、桑ヶ作川

新小萱地区を出て、桑ヶ作川に架かる岩崎橋を渡ると、
旧街道は左(北)に直角に曲がっている。
写真は岩崎橋から下流を撮ったものだ。

この先で根田宿の沿って流れている高橋川に合流している。

次の宿場は、29番目の小田川宿となる。



詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道42「28根田宿~新小萱」/街道写真紀行
(福島県白河市大字萱根字根田、新小萱) 0905/0910

2009/10/06

白河市大字萱根・大清水~鎮守前/旧奥州街道41

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萱根・大清水

「名物・手打ちそば大清水」(大清水食堂)の店の先に、
大清水上水道記念碑があった。
ここが、大清水の地名の謂れの清水跡であろうか。

なお、この店は文字通り手打ちの太目の蕎麦で、地元の人の人気店とか。


店の横には、「庭渡太神宮道十八丁」と刻まれた古道標があった。
1丁は60間(約109m)であるから、約2.0kmの距離である。

崩し字で書かれた道標は、最初「鹿島太神宮」かと思ったが、
近くに庭渡(にわたり)神社があるので、多分「庭渡」であろう。

しかし、「古文書解読事典」や「字体辞典」等で調べてみたが、
どう見ても「庭渡」とは判読できなかった。



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庭渡神社

やがて鎮守前地区に入ると、旧街道右側山麓に庭渡神社があった。

鶏の神、にわたり神社である。
福島県や山形、宮城県を中心に、100社以上あるという。
但し、書き方は様々で、この庭渡の他、二渡、荷渡、二羽渡、
仁和多利、新渡、他とある。

この「にわたり」は鶏(にわとり)から来た様で、いろいろ謂れがあるが、
不吉を予言する神で、村の守り神としている例が多い様である。



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萱根・鎮守前

庭渡神社を過ぎると、右側の視界が広がる。鎮守前地区である。

写真左端に高橋川が手前から前方に流れ、
その流れに沿って町並みが発達している。
これが、旧奥州街道28番目の宿場・根田宿である。

写真前方は高橋川下流方向で、JR東北本線の久田野(くたの)駅方面である。
高橋川はその久田野の先で、阿武隈川に流入している。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道41「白河・萱根・大清水~鎮守前」/街道写真紀行
(福島県白河市大字萱根・大清水、鎮守前) 0905/0910

2009/10/04

白河・西ノ内~大清水/旧奥州街道40

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女石・石仏群、遊女志げ女の碑

女石追分より少し進むと、右側に石仏群があった。
その中の一つが遊女志げ女の碑である。

越後三条生まれの志げ女は、幼少の頃白河の坂田屋に引き取られ、
客を取る様になる。
戊辰戦争の時、客よりこの地が危険であることを知り、白河を抜け出した。

会津藩士がそれを怪しみ殺害した。
それを知った遊女屋の下男が、ここで会津藩士を殺害し、
仇を討ったと石碑に刻まれてあった。



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白河・大清水

旧街道に入ると、目のまえは大きく田圃が広がっていた。大清水地区である。

写真前方の小高い所の東北自動車道のすぐ先に安珍と清姫の安珍の墓があるところだ。
歌舞伎「京鹿子娘道成寺」の僧・安珍は、次の宿場・根田(ねた)で生まれたという。

白河市指定無形文化財となっている根田の安珍念仏踊りは、
蛇と化した清姫に、恨み殺された彼の冥福を祈って、村人が始めたと伝えられている。

国道沿いには安珍像を祀る祭る安珍堂も建てられている。



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大清水・旧奥州街道

ここで、国道4号線を横断して、右斜めに入る。
この狭い道が旧奥州街道である。

大清水の地名は、江戸時代から、ここに大きな清水が湧いていたからという。

大清水地区を抜けると、奥州街道28番目の宿場・根田に入る。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道40「白河・西ノ内~大清水」/街道写真紀行
(福島県白河市女石、大清水) 0905/0910

2009/10/02

白河・向寺~女石追分/旧奥州街道39

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向寺、聯芳寺

向寺地区を進むと、左側山沿いに三社神社、
そして樹齢200年の枝垂れ桜で知られた聯芳寺(れんぽうじ)がある。

聯芳寺は、結城宗弘の伯父広綱が娘の菩提を弔う為に建立した寺と伝えられている。

境内には、福島藩十四人碑がある。
戊辰戦争で戦死した福島藩隊長池田邦知以下13人の慰霊碑である。



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褜姫神社

兵法家鬼一法眼の娘、皆鶴姫を祭る古社、褜(えな)姫神社である。

縁起によると、平治の乱で平清盛に敗れた源氏の棟梁源義朝の
遺臣である吉岡家3兄弟のうち、長兄の鬼一法眼は京都堀川に住み、
兵法家として中国伝来の兵法秘伝書を秘蔵していた。

源義経は鬼一法眼より、その秘伝書を入手したが平家の圧迫が激しく、
金売吉次と共に京都を脱出し、平泉の藤原秀衡のもとに向かった。

その義経を追って、鬼一法眼の娘の皆鶴姫がここまで辿り着いたが、
病となり息を引き取った。
村人はその行動に感激し、手厚く弔い社を建てたという。

褜姫神社の「褜」とは、岩波の新漢語辞典によると、
胎児を包んだ膜と胎盤の意とある。
皆鶴姫は妊娠していたのであろうか。

「えな」というと、中山道の恵那市(大井宿)がある。
こちらは天照大神の胞衣(えな)を納めた地であったと言う。



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女石追分

女石の追分で、幕府の道中奉行管轄の奥州道中の終点である。
ここで、奥州街道は右で、左は会津街道となる。
かつては切り通しでは無く、10m程高い山腹を通っていた様だ。

写真を撮った後、気が付いたが右端の女石バス停の前に、
街道歩きの高年の夫婦がいた。
芦野宿から何度か街道でお会いした甲府のご夫婦で、
無事奥州道中を踏破し、ここからバスで白河駅に戻るとのこと。
幕府管轄の四街道を無事踏破し、次は最後の甲州街道に挑むという。

ここでご夫妻に別れを告げ、右側の仙台・松前道(旧奥州街道)に入る。
ここからは、奥州各藩が管轄する街道となり、次の宿場は根田宿となる。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道39「白河・向寺~女石追分」/街道写真紀行
(福島県白河市向寺、女石)  0905/0910


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