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2009/09/16

益田/島根、旧山陰道

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益田市木部長海岸

浜田市を抜けると、益田市に入る
益田市最初のJRの駅は鎌手である

写真は鎌手を過ぎてすぐの益田市木部(きべちょう)である
石州瓦の甍が見事であった



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益田・萬福寺

益田川の右岸にある益田萬福寺

応安7年(1374年)に領主の益田兼見によって、

ここに移された時宗の道場である
元は中州にあった安福寺をここに移築し、萬福寺と改めた

写真は、萬福寺の雪舟庭園

雪舟が益田に滞在時に作庭したもの
見事な池泉式回遊兼鑑賞式築山泉庭となっている

本堂は、改修はされているが当時のままという
この本堂と、庭園、絹本著色二河白道図(鎌倉時代末期)が
国の指定文化財となっている



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七尾山・七尾城址

七尾山(標高120m)である
この山全体が益田七尾城であった

増田氏の先祖、藤原定通(国兼)は藤原鎌足の子孫と云われ
国司として石見上府に赴任し、任期を終えた後も都に帰らず土着した

曾孫の兼高(益田氏を名乗った最初の人)が源平の戦いで
武功を立て、石見の押領使に任じられた

建久3年(1192年)に上府からここに本拠を移し
翌年七尾城を建てたという

その後、陶氏、毛利氏に与し
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後
西軍の毛利氏は大幅な減封となった

益田氏の当主益田元祥は毛利氏に従い
長門須佐へ移ることになり、約400年続いたこの七尾城は廃城となった

なお、当時の大手門が、益田川を挟んで反対側の
医行寺の総門として残されている



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JR益田駅

さらに進むと、右手にJR益田駅がある
山陰本線の駅で、また山口線の終着駅である


山陰道は、ここで日本海から離れ
JR山口線に沿って34番目の宿場・津和野
そして、35番目の山口を経て山陽道の小郡に合流する

長かった山陰道も、やっと先が見えてきた感じであった




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧山陰道41「33益田宿」/街道写真紀行
(島根県益田市) 0804/0909

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コメント

益田市は遠い昔に、出雲から萩へ向かうときに通ったと記憶しています。
ご挨拶が遅くなりましたが、勝手にリンクを貼らせて頂き、ブログを拝読させて頂いていますが、
中身が高尚すぎてなかなかコメントを書く勇気がなく今日に至ってしまいました。
ブログを拝読するのを楽しみに毎日訪問させて頂いております。
知らない土地のことが色々と知りえることって、とても楽しいものですね。
これからも色々な情報を掲載してください。 楽しみにしております。
ホームページも色々と拝見させて頂いています。

追伸:リンクがご迷惑でしたらおっしゃって下さい。はずしますので・・・。

OZIOさん、はじめまして
ブログ、見ていただきありがとうございます。
又、リンクを貼っていただき恐縮です。

貴サイト、拝見させていただきました。
写真が綺麗ですね。それに焼酎の話も良いです(^_^)
私も、嫌いなほうではありませんので・・

さて、私の方も、貴サイトのリンクを貼らさせていただきますので、
よろしくお願い致します。

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