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2009/08/31

円通寺坂~内藤新宿/甲州道中17

06sinjuku05s  四谷・円通寺坂

四谷見附を抜けると千代田区から新宿区と変わる。

四谷2丁目と3丁目の境界の坂道が円通寺坂で、坂の途中右側に
円通寺がある。

この坂道の先は、寺が集中して寺町となっているところだ。
手元の地図でも20以上あり、四谷18ヶ町の鎮守である須賀神社や、
於岩(おいわ)稲荷のあるところだ。

於岩稲荷は、東海道四谷怪談で御馴染みのお岩さんでは無く
実在の武家(田宮家)の娘於岩のことだ。
家計の苦しい家を支える為に商家に働きに出て、田宮家を再興させたという。
その於岩が熱心に信仰していた社が評判になり、
何時の頃か於岩稲荷と呼ばれるようになったようだ。

歌舞伎の四谷怪談の方は、作者の鶴屋南北がこの知名度の高い
於岩の名前を借用した様だ。


06sinjuku06

四谷4丁目交差点、四谷大木戸

四谷4丁目の交差点である。左側の道は、現在の国道20号線(甲州街道)で、右側のビルとビルの間の道が甲州道中(新宿通り)である。
この少し先に四谷大木戸があり、江戸の出口であった。

左の木立は、新宿御苑で、江戸時代の信州高遠藩内藤家の
下屋敷があったところである。



06sinjuku10s  新宿1丁目交差点、内藤新宿入口

新宿一丁目の交差点で、此処が甲州道中最初の宿場・内藤新宿であった。
内藤家の甲州道中沿いの一部が用地として割かれ、
宿場が造られた為に、内藤新宿と呼ばれるようになった。

この写真の左手先が元内藤家のあった新宿御苑である。
説明によると、元禄11年(1698年)、浅草阿部川町の
名主・高松喜兵衛らの願により、ここから新宿3丁目交差点付近までの
約1kmに新たな宿場として「内藤新宿」が開設された。

この宿場は享保3年(1718年)に風紀紊乱の廉(かど)で一度廃止されたが、
54年後の明和9年(1772年)に再び再興されている。

以降、甲州・青梅両街道が交差する交通の要衝として、
また文化と娯楽の町として繁栄を続け、現在に到っている。




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:甲州道中17「四谷・円通寺坂~内藤新宿」/街道写真紀行
(東京都新宿四谷、新宿) 0906/0908

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