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2009/08/06

陸奥・白坂宿~JR新白河駅/旧奥州街道26

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26白坂宿入口

境の明神峠を越え、峠道を下って行くと、左側に馬頭観音等の石仏群があった
やがて、陸奥国最初の宿場で、奥州街道26番目の宿場・白坂宿が見えてきた。
白坂宿は幕府管轄である奥州道中の最後の宿場でもあった。



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白坂宿中心部

白坂宿の中心部(現泉岡)である。右の家の表札は「かめや」となっている。
かつての旅籠「かめや」である。
この家の街道を挟んで反対側に白坂宿の本陣、問屋を務めた白坂周右衛門の
家があったというが、今はその面影は無かった。

  天正18年(1590年)、秀吉が伊達政宗に小田原から会津への街道の
整備をさせた時に、芦野宿と白河宿の間が長すぎるので、
ここ白坂(泉岡)を宿駅としたのが始まりである。
天正18年は、秀吉が小田原を攻略した年であった。

  江戸時代も宿場として整備され、文化年間(1804~1818年)には
家屋数は66軒であった。



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白坂峠道

白坂宿を抜けると峠道となる。林間の実に快適な道であった。
途中右手に古い馬頭観世音と新しい牛頭観世音があった。
馬の保護神が馬頭観世音なら、牛の保護神だから牛頭観世音が
あっても良いだろうと作られたようだ



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白坂・皮籠

皮籠(かわご)の集落が見えてきた(上写真)。集落の手前が皮籠の交差点だ。
この交差点の右がNHKテレビのドラマ「天地人」で知られた幻の白河決戦の地である。

  交差点の側に、「革籠原(かわごはら)の防塁跡」と書かれた、
未だ新しい看板があった。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦の前、会津討伐で北上してきた家康との
決戦の地として、上杉軍が陣を築いたところだ。

  大規模な防塁で、その一部が今も残っているという。
しかし、家康軍は石田三成挙兵との知らせを受け、小山でUターンして
関ヶ原の戦となり、此処での戦は幻の決戦の地となった。

  今回は、此処で旧街道歩き中断して、この交差点を左折しJR白坂駅に向かう。



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JR白坂駅

JR白坂駅である。白坂駅は東北本線の駅で、大正6年に開業している。
現在は無人駅となっている。ここから、東京支社から仙台支社の管轄となっている。

  今回は、ここで東北本線に乗り、新白河駅に向かった



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JR新白河駅

白坂から一駅で、新白河駅に着く。新幹線の停車駅である。


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新白河駅前、芭蕉立像

駅前には芭蕉立像があった。

  「心もとなき日数重なるまゝに 白河の関にかゝりて旅心定りぬ
   ~芭蕉 奥の細道」と台座に刻まれてあった。

  旧奥州街道徒歩の旅も、下野から陸奥に入り、いよいよ本番と言う感じである。
目的地は奥州街道終点の津軽三厩だ。まだまだ遙か彼方である・・・・



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那須連峰

ホテル部屋より見た、夕焼けの那須連山である。明日の天気も良さそうである。
明日は中断した白坂に戻り、白河宿、白河城、根田宿、小田川宿から
太田川宿までを歩く予定である。

では、今夜はこれにて、Good Night!




詳細は下記リンクをご覧下さい
詳細リンク:旧奥州街道26「陸奥白坂宿~泉岡交差点」、27「白坂峠~皮籠
       28「JR白坂駅~新白河駅」/街道写真紀行
(福島県白河市白坂)  0905/0908

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