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2009年5月

2009/05/31

映画「グラン・トリノ」

平成21年5月 横浜ムービル


タイトル キャスト コメント
グラン・トリノ

 
2008年 米
 
 監督
  クリント・
   イーストウッド

  
ウォルト・コワルスキー
   クリント・
    イーストウッド

タオ・ロー
   ビー・ヴァン
    

スー・ロー
    アーニー・ハー

ヤノビッチ神父
   クリストファー・
    カーリー

        

  クリント・イーストウッド主演・監督作品。妻に先立たれた元軍人のウォルトは、車メーカーの仕事を引退し単調な年金生活を送っている。そんなある日、大事にしている愛車グラントリノが盗まれそうになる。犯人は、アジア系移民である隣の家の少年タオであった。理由が解り、やがて二人の間に奇妙な友情が芽生え、それをきっかけに運命が大きく変わっていくことになる。
  と、一見平凡な展開であるが、実に良く練れたシナリオで、ぐいぐいと引き込まれ、胸を打つ映画となっている。秀作。




2009/05/29

大田原・箒川~間宿・八木沢(親園)/旧奥州街道12

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大田原・箒川

大田原のホテルの近くの市営バス停(忍精寺前)より7:00発のバスに乗り
約10分、昨日乗車したバス停(佐久山郵便局前)で下車した

旧奥州街道への復帰である

箒川に架かる岩井橋より下流(東側)を見た写真である
朝日が眩しかった。今日も、天気は良さそうである




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滝沢・峠道

岩井橋を渡ると、街道は緩い上り坂であった
街道左側に遠く、那須連山が見える

坂の頂上付近に多数の馬頭観音があった
信州ほどではないが、奥州街道も坂道が多くなると結構目立った

江戸時代は特に馬の保護神として広く信仰されていた

建立年月を読もうとしたが風化して読めなかった


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イトヨ生息地/吉沢

吉沢には天然記念物に指定されているイトヨ(糸魚)の生息地がある
地元ではトゲウオとも呼んでいる様だ

この辺一帯は那珂川、箒川、蛇尾川等で形成された扇状地の扇端で
豊富な伏流水が湧出しているところだ

綺麗な水に群生した長い水草が揺れていた

そう言えば、中山道六十九次を歩いていた時の
近江、
醒ヶ井(さめがい)宿の清流を思い出した
此方もイトヨの生息地であった



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間宿・八木沢(親園)

大田原市親園(ちかぞの)に入る
かつての間宿(あいのしゅく)八木沢である

享和3年(1803年)に、此の辺一帯は幕府の直轄領となり
八木沢に陣屋が設けられた
那須郡58ヶ村と塩谷郡4ヶ村を統治したという

今は、その場所は民家となっているが
小川に架かる陣屋橋が残されている

この八木沢を中心に、明治になってから近隣の村を集めて
親園と呼ばれるようになった

間宿、陣屋町としての面影を感じさせる家並みで
立派な門構えに、如何にも裕福そうな大きな屋敷が多い集落であった



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与一の里名木

一際大きな松の木

与一の里名木に指定されている国井宅の赤マツである
推定樹齢200年、樹高7m、目通り周囲1.7mと市設置の説明版に記されてあった

また、町初碑が国井宅の門の中にある
「まちはじめのひ」で、寛永4年(1627年)
奥州街道の整備に伴って開かれたことを記念する碑とのこと


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湯殿神社、蒲蘆の碑

親園の外れに湯殿神社
この境内の小さなお堂に蒲蘆(ほろ)の碑が納められていた
蒲蘆とは、此方では蜃気楼のことを言うそうだ

蜃気楼と善政を結びつけた珍しい碑である

文化9年(1812年)、この地に滞在した僧の高津義克が
善政を行っていた幕府代官山口鉄太郎のことを耳にして文に書き残した

数年後、八木沢陣屋の代官の手代飯岡直蔵がその文を刻んだ碑にしたという

優れた為政者が徳政をすれば、湿地に蒲や蘆(葦)が生えるように
治績があがるといった内容のようだ

善政の誉れ高い代官と湛えられた山口鉄太郎の支配地は
武蔵国、下野国の6万石であった
陣屋は吹上(栃木市)で、八木沢は当初その出張陣屋であった様だ

悪いしきたり(間引き等)を廃止し、ばくちの厳しい取締り、風俗の矯正、
農村の荒廃を救うため農家ごとに漆の栽培促進、
用水堀の整備、新田開発等々で実績を挙げていたようだ

なお、山口鉄太郎は、幕府の北方防備のための北海道、樺太探検隊にも参加し
佐藤行信と共に「蝦夷拾遺」全5巻を書き上げた人物でもある


百村川(もむらがわ)を渡り、広い田圃の中の一本道を北に向かう
次は旧奥州街道22番目の宿場・大田原である


詳細リンク:旧奥州街道12「大田原・箒川~間宿・八木沢」/街道写真紀行
(栃木県大田原市滝沢、親園) 0904/0905

2009/05/26

余呉湖/滋賀

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JR北陸本線 余呉駅

東海道新幹線の米原でJR北陸本線に乗換え、、約30分で余呉(よご)駅に着く
昭和32年開業の新しい駅で、簡易委託駅となっている
幅広のプラットホームから余呉湖や賎ヶ岳(しずがたけ)が望める好位置にある駅だ



N71008

余呉湖方面

駅を下り、余呉湖に向かう
途中、余呉湖、賎ヶ岳
方面を見た写真である。広い田圃が印象的であった

余呉は古代、中世の郷名、荘園名である
平地は余呉川と高津川の谷底平野のあるこの辺一帯だけで
北部は山地となっており、日本最南端、かつ近畿以西唯一の
特別豪雪地帯に指定されている




N71006

余呉湖湖畔

余呉湖を挟んで対岸の山が賎ヶ岳(422m)で、
この東麓(左側)に越前に通じる北国街道が走り、戦略的にも重要地点であった
ここで、信長の跡目を巡る秀吉と勝家軍の激突したのが
賎ヶ岳の戦い(天正11年、1583年)である

生憎、賎ヶ岳の頂上は雲に隠れていた。頂上には賎ヶ岳戦跡碑が建っている
登山道も整備され、また大音の登山口からはリフトも出来ている

余呉湖には日本三大羽衣伝説の一つが伝えられている
今でも余呉湖の北岸(写真右方向)には衣掛けの柳の大木が残されている
他の羽衣伝説の多くは松の木であるが、此処だけは柳の木であった

また、最近では水上勉の「湖の琴」もこの余呉湖が舞台である
薄幸の娘栂尾さくと、松宮宇吉の切ない出会いとその結末の物語である




詳細リンク:滋賀「余呉湖」/日本写真紀行
(滋賀県伊香郡余呉町) 0710/0905

2009/05/24

秋葉原/東京

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秋葉原駅前

電気の街、秋葉原である
久しぶりに行ったが、相変わらず活気が感じられた

秋葉原付近は駿河台の下に位置し
海からの風の吹き溜まりとなるところであった
かつては木製の小さな家が多く、江戸で一番の火災発生場所であった

また、この辺りで火災が起こると、神田から日本橋、京橋まで
燃え広がることが多かったため、悪魔町とも呼ばれていた

そこで明治2年に、この地に約9000坪の火除け地を作り
遠州(静岡)から、火除けの秋葉大権現を勧請したのが
秋葉原(当時はあきばがはら)の始まりとか

その後、秋葉神社が移転し、鉄道が出来てからは
秋葉原(あきはばら)と呼ばれるようになった



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万世橋

明治5年、東京市で始めての石の橋で、
永世不朽の橋とのことで万代(よろずよ)橋と命名されたが
鉄橋に架け替えられた時、万世(よろずよ)橋とした

しかし、いつのころからか「まんせいはし」が一般化した



(東京都千代田区外神田) 0507/0905

2009/05/23

映画「天使と悪魔」

平成21年5月 横浜ムービル


タイトル キャスト コメント
天使と悪魔

 
2009年
 監督
  ロン・ハワード

  

宗教学者ラングドン
   トム・ハンクス

科学者ヴィットリア
   アイェレット・
    ゾラー


カメルレンゴ
    ユアン・
     マクレガー
    

リヒター隊長
   ステラン・
    スカルスガル


        


  映画「ダ・ヴィンチコード」の続編。ローマで400年の時を越えて蘇った秘密結社イルミナティによるヴァチカンへの復讐と、それを阻止しようとする宗教象徴学の教授ラングドンと科学者ヴィットリアの活躍をスリリングに描いている。
  17世紀、ヴァチカンで科学者の粛清という名目で、胸に十字の焼印を押し、4人の科学者を惨殺する。イルミナティはカトリック教会の教義や見解に異を唱える科学者で組織された秘密結社であった。
  歴史を背景に、ヴァチカンを舞台にした宗教対科学の問題を絡めて、スピード感あるミステリー作品となっており、充分楽しめる映画となっている。




2009/05/22

大田原市・若林追分~佐久山宿/旧奥州街道11

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大田原市若林追分

さくら市から大田原市に入ると、すぐ若林の追分となる

左は氏家方面(県道48号線)だ
標識には「宇都宮・さくら」方面と書いてある



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佐久山宿入口

県道48号線の前坂交差点を越えると、下り坂となる
いよいよ、奥州街道21番目の宿場・佐久山宿に入る



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佐久山宿、町並み

佐久山宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠27であった

平安末期、那須資賢(すけたか)より、この地を分封された那須次郎泰隆が
佐久山氏を名乗り、その城下町として発達したのが始まりである
なお、泰隆は、あの那須与一の兄である

江戸時代は旗本福原氏5000石の領地であった
福原氏は那須与一の末裔とされる那須七騎の子孫とのこと

2枚目写真は、門に「運用膏」と描かれた古い看板が架かっていた
戊辰戦争の時、良く効く傷薬と評判になった様だ


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佐久山城址(御殿山)

この辺一帯は那須氏発祥の地であり、与一の兄泰隆が佐久山城を築き、
家臣団を城下に配置したのが佐久山の始まりである

永禄6年(1563年)に同族の福原資孝に攻められて滅亡、廃城となった
江戸時代の元禄15年(1702年)に、旗本の福原資倍が陣屋を築き
明治まで続いた

写真右部は実相院である
赤い山門は、正徳年間(1711~1716)に建立されものだ
本堂奥に福原氏代々(28代)の墓所がある

なお、写真左部に与一温泉へ1kmと書かれた案内板が見える
この道を進むと、与一温泉ホテルがあり、日帰り入浴も可とのことであった



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正浄寺

佐久山宿の出口付近で、ここで街道は大きく右に曲がっている
その左側にあるのが、正浄寺である

文明元年(1469年)、本願寺役僧の西山源慶が開基

境内の本堂左側に芭蕉の句碑がある
「石の陰 謡いに似たる 旅寝かな」
那須野ヶ原に立ち寄ったときの句とのこと



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箒川上流

箒(ほうき)川に架かる岩井橋を渡り、次の宿場大田原に向かう

川の上流には高原山(1795m)が見える
箒川はこの高原山の北斜面を源流とする川で、
那珂川町で那珂川に合流している

今回は、此処で徒歩の旅を中断して、バスで大田原に向かう
一日3本しか無い、貴重なバス(市営、佐久山・親園方面循環バス)である




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ホテルより高原山

この日は、大田原の那須プラザホテルに宿泊する

写真はホテルの部屋より撮影した高原山である
未だ雪が残っていた



詳細リンク:旧奥州街道11「若林追分~佐久山宿~箒川」/街道写真紀行
(栃木県大田原市若林、佐久山)  0904/0905

2009/05/20

四季の森公園/横浜

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展望台


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写生


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散歩/菖蒲園


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談笑/野外ステージ

神奈川県立の四季の森公園は、横浜市の緑区にある里山と谷戸を
利用した広大な自然公園である

隣接して、横浜動物園「ズーラシア」のあるところだ
今、ここが横浜開港150周年記念の開国博Y150(4/28~9/27)の
会場となっている

前回紹介のベイサイドエリアに対して、こちらはヒルサイドエリアと呼ばれている



(横浜市緑区寺山町) 0905/0905

2009/05/17

赤レンガパーク/横浜

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赤レンガ倉庫1号館


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赤レンガ倉庫2号館

明治32年横浜新港埠頭が着工された時に、その付属施設として
赤レンガ倉庫が計画された
設計は、当時の大蔵省臨時建築部(部長妻木頼黄)で
完成したのは明治44年に2号館、大正2年に1号館であった

関東大震災で被害を被ったが、直ぐに復旧され
平成元年までは使用されていた
その後、横浜市が赤レンガ倉庫を取得し、

周辺は赤レンガパークとして整備された

特に今年は、横浜開港150周年記念事業の一環として
この新港地区周辺は、開国博Y150(4/28~9/27)の
ベイサイドエリアのメイン会場となっている

曰く、「Y150トゥモローパーク」、「Y150はじまりの森」、「Y150ドリームフロント」
「Y150スーパーハイビジョンシアター」等々・・・

巨大スペタクルアート、ラ・マシン(巨大蜘蛛)が登場し評判になっている
大勢の人で、凄い込み合いであった




(横浜市中区みなとみらい21新港地区) 0905/0905

2009/05/13

五月大歌舞伎

五月 新橋演舞場
平成21年5月

演 目 役 者 観 劇 記
祇園祭礼信仰記
金閣寺
(きんかくじ)

  1幕

          
松永大善
      吉右衛門

雪姫
      芝 雀

此下東吉
      染五郎

狩野之介直信
      福 助

松永鬼藤太
      錦之助

  謀反を企む松永大善は、将軍足利義輝を殺害し、その母を金閣寺の2階に軟禁する。
  一方、金閣の天井に墨絵の龍を描かせるため、狩野之介直信と画家雪舟の孫である雪姫を連れてくるが、雪姫の親の仇が大善であることを知り、仇を討とうと切りかかる。しかし、取り押さえられ縛られてしまう。
  雪姫は祖父雪舟の故事を思い出し、縛られたまま降りしきる桜の花びらをかき集め、足で鼠を描くとその鼠が・・・
  舞台一杯に背景が見えなくなるほどの大量の桜吹雪、そして滝に登場する龍、足元の鼠と見せ場の多い舞台である。
  その中で、父雀右衛門が演じた雪姫を、芝雀(しばじゃく)が初役ながら見事に演じ切った。
心猿
近江のお兼


(しんえん、おうみのおかね)

  長唄囃子連中

          
心猿、近江のお兼
      福 助

  大津坂本の日吉神社が舞台。山王様の使いの猿が紳馬を連れて登場、賑やかな踊りを披露。
  続いて琵琶湖を望む堅田の伝説で知られた、怪力娘お兼が暴れ馬を静めたり、布晒しを使い、襲ってくる男を手玉に取る舞踊。
  文化10年(1813年)初演の近江八景を見立てた八変化舞踊の秋の部である。相変わらず魅せてくれる福助であった。
岡鬼太郎作
眠駱駝物語
らくだ

  3場

          
紙屑買久六
      吉右衛門

手斧半次
      歌 昇

妹おやす
      高麗蔵

馬吉
      由次郎

  駱駝と渾名された遊び人の馬吉が河豚に当たって死亡。
  遊び仲間の手斧半次が葬式を出そうとするが、金が無い。通りかかった紙屑買いの久六を手伝わせ、金を出し渋る家主より金をせしめ様とする・・・
  死んだ馬吉の手足を取り、踊りを踊らせたり、手に入れた酒での宴会の盛り上がりと、落語を元にした、おかしみ溢れる展開だ。観客はもう爆笑の渦、文句なしの面白い舞台である。



(東京都中央区銀座) 0905/0905

新橋演舞場

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新橋演舞場、正面


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新橋演舞場、緞帳(どんちょう)

今月は、ここで「五月大歌舞伎」が行われた
演目は「金閣寺」、「心猿」、「近江のお兼」、そして「駱駝」である

緞帳の上がるのが待ち遠しい一時である

歌舞伎座が、後1年で解体となり、再建されるまでは
この新橋演舞場や日生劇場、三越劇場等が利用されるとのこと

なお、新橋演舞場は、大正14年に建てられ、
昭和57年に建て替えられたものだ
歌舞伎座と違い、こちらは現代的な外観となっている

席がゆったりしており、舞台も見易くなっている
新しい歌舞伎座竣工が待ち遠しいところである




(東京都中央区銀座6丁目) 0905/0905

2009/05/11

さくら市・田町~大田原市・若林/旧奥州街道10

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喜連川宿・内川

内川に架かる金竜橋を渡り、次の宿場・佐久山に向かう
写真は、内川の金竜橋を渡って、後ろを振り返ったものだ

喜連川の町と背後に喜連川城址(お丸山公園)のスカイタワーが見える



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田町・道祖神

内川を渡ると、田町の集落に入る

路傍の大きな双体道祖神
本来は境を守り悪霊の進入を防ぐ神であるが
村境や辻に祀られることから
道路の悪霊を防いで行人を守護する神ともなった

これだけ大きい道祖神は珍しい
この先、陸奥に向かっての長い道程の無事を祈って合掌



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曽根田集落

鶴ヶ坂を登り、峠を越えると曾根田の集落に入る

周辺は広い田圃となっている
そして農家の立派な長屋門
民家の庭の鯉幟が歩き疲れた旅人を癒してくれた



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江川・道祖神

曾根田集落を抜け下河戸(しもこうど)の追分を右折する

直進すると矢板方面(県道25号線)で、
旧街道はクランク型に右に曲がっているところだ

江川の手前右手には、これまた大きな双体道祖神と
天皇御小休際御膳水と刻まれた石碑があった

この辺の道祖神は、実に大きい
信州の中山道を歩いている時は道祖神が多かったが
総て、路傍にある小さなものであった



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さくら市引田

さくら市最後(北端)の集落、引田に入る

右手に「明治天皇御休輦之處」碑がある
その前は、ゲートボール場になっていた

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さくら市・大田原市境界

さくら市と大和田原市の境界だ

この手前左の民家の庭に一里塚が残されていると
手元の資料に書いてあったが、わからなかった

長かったさくら市を過ぎ、大田原市若林に入る
次の宿場・佐久山までは、あと1里である




詳細リンク:旧奥州街道10「さくら市・田町~大田原市・若林」/街道写真紀行
(栃木県さくら市田町、大田原市若林) 0904/0905

2009/05/09

喜連川宿~内川/旧奥州街道9

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喜連川宿

荒川に架かる連城橋を渡ると、旧奥州街道20番目の宿場、喜連川である
喜連川は那珂川支流の荒川と内川の合流点の塩那丘陵にある城下町、宿場町だ

本陣1、脇本陣1、旅籠29軒であった

地名は荒川を狐川と称した事による
鎌倉時代から木連川、そして喜連川と書かれるようになったようだ

最近では喜連川温泉の町として知られている
町おこしの一環として掘削を行い、昭和56年に温泉が湧水した
未だ新しい温泉である

荒川の北岸にある町営の温泉となっており
保養センターや国民宿舎、かんぽの宿も出来ている

写真左側の店は創業300年の和菓子屋「たなかや」だ
名物「喜連川温泉まんじゅう」に「きつねもなか」と看板に書いてあった

「温泉」に「きつね」と、新旧極端なネーミングが面白かった




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喜連川城址、大手門

喜連川城は、 義経に従い屋島や壇ノ浦で活躍した塩谷五郎惟広(これひろ)が
源頼朝からこの地を与えられ、蔵ヶ崎城を築いたのが始まりである
以後塩谷氏は17代まで続いた

安土桃山時代、秀吉により、古河公方の子孫、足利国朝がここに配置された
江戸時代には5000石の喜連川藩となったが
名家足利家として、10万石の格式の大名として遇された


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街の駅・本陣

大正15年に建てられた元喜連川警察署だ
大正期の警察庁舎で、現存するのは全国でも数箇所しかないとのこと

今は、店舗とコミュニティルームとして利用されている
1階では、喜連川商工会(まちづくり委員)の有志が
軽食喫茶店「蔵ヶ崎」を営んでいる

写真中央(玄関前の黒い部分)に、喜連川独特の自噴井戸がある
喜連川が塩那丘陵(喜連川丘陵とも)の先端にあり
被圧地下水の層があり、そこから自噴しているものだ

「街の駅本陣」とあるので、調べてみると
江戸時代、ここに喜連川宿の小野本陣があった処であった
喫茶店名の「蔵ヶ崎」は、旧城名からきている



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旧奥州街道

台町の追分を右折し、すぐ左折となる
クランク型になっている、典型的な旧街道の枡形である

街道は緩い下り坂となっている



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金竜橋より内川

やがて、内川に架かる金竜橋を渡る

下の写真は、下流を見た写真だ
矢板市の高原山を源流とする川で、この先で荒川に合流している

喜連川宿を後にして、次の21番目の宿場・佐久山に向かう




詳細リンク:旧奥州街道9「喜連川宿~内川」/街道写真紀行
(栃木県さくら市喜連川) 0904/0905

2009/05/06

マーチング・バンド/ザよこはまパレード

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ザよこはまパレード(国際仮装行列)での写真

最近は「ザよこはまパレード」の呼び方が一般的となって
歴史のある「国際仮装行列」の方は括弧付となってしまった

パレードの中で一番、数の多いのが、
このマーチングバンドとなっている
参加65チームの内、35チームがマーチング・バンド系である

年々腕を上げ、演奏も、衣装、バトン・トワリング、カラー・ガードも
レベルが高く、
楽しませてくれる



(神奈川県横浜市中区) 0905/0905

2009/05/05

ザよこはまパレード(国際仮装行列)

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アンデス村祭り


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中国獅龍


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横浜・都筑太鼓


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横浜・崎陽軒フロート

横浜恒例のみなと祭、ザよこはまパレード(国際仮想行列)だ
今回で、57回目とのこと。早いものだ・・・・

今年は、横浜開港150周年記念してのイベントが、市内各所で開かれている
このパレードも例年とは違い、歴史を振り返り、

新しい横浜への出航(たびだち)をコンセプトとしている

1.開港から黒船来航
2.文明開化 
3.成長発展 -懐かしのヨコハマー
4.未来・出航

の4つのパートに編成してのパレードであった

参加チームは、キッズパレード 14、スーパーパレード 42、
フロート(山車)は9基であった




(神奈川県横浜市中区) 0905/0905

2009/05/02

さくら市早乙女~荒川/旧奥州街道8

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弥五郎坂

今での旧氏家町から旧喜連川町早乙女に入る

江戸を出て、初めての本格的な坂である
これから陸奥に向かう実感の湧いてくるところだ



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早乙女坂古戦場

弥五郎坂の頂上付近に、松尾弥五郎博恒墳墓と刻まれた碑がある
この階段を上がったところに早乙女坂古戦場の碑と五輪塔を納めた小さな祠がある

3枚目の写真は氏家方面、古戦場跡を俯瞰したものだ

現在は弥五郎坂となっているが、もとは早乙女坂(五月女坂とも)と呼ばれていた
戦国期の天文18年(1549年)、宇都宮氏2000余騎と那須氏500余騎との間で
激戦・早乙女坂の戦いが展開されたところである

この戦いで宇都宮氏側の総大将であった宇都宮尚綱が戦死し
宇都宮氏側が敗退した

この尚綱を討ったのが、那須氏側の鮎瀬弥五郎で
その時の恩賞10貫文で、敵将である尚綱の菩提を弔う為に
ここに五輪塔を建てたという

それ以降、この坂を弥五郎坂と呼ばれるようになった




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河東碧梧桐句碑

坂を下ると左側に、河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)の
雄渾(ゆうこん)な句碑(右側)がある

「坂を下りて 左右に藪あり 栗落つる」
と独特な書体で彫られてあった
この坂で詠まれた詩とのことだ

碧梧桐は正岡子規の門下の詩人である
子規歿後は、虚子と共に俳壇の双璧と言われた人だ

他に、「春風や 道標 元禄四年なり」
「春寒し 水田の上の 根なし草」 等々





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荒川

旧奥州街道が荒川の手前に見事な枝垂れ桜の木
樹齢130年とのこと

その下には勝善神と彫られた大きな石碑がある
厩を守る神とのことだ

東北地方や栃木、茨木で江戸時代後期から信仰された神のようだ

旧街道は荒川の土手の上を歩く

この荒川は、今まで左手に見えていた高原山釈迦岳(1795m)の
南斜面の水を集めた川で、ここ喜連川で内川と合流し
那須烏山市向田で那珂川に流入している

この荒川を渡ると、いよいよ奥州街道20番目の宿場
喜連川宿(写真左手)に入る

下の写真は、荒川に架かる連城橋から下流をみたものだ
前方の橋は国道293号線の新連城橋である



詳細リンク:旧奥州街道8「さくら市・早乙女~荒川」/街道写真紀行
(栃木県さくら市早乙女~喜連川)  0904/0905

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