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2009年2月

2009/02/22

宇都宮・今泉~稚児坂/旧奥州街道2

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八坂神社

田川に架かる幸橋を渡り左折する
旧街道は現在の奥州街道(国道10号線)と重なっている

街道右手に八坂神社がある
康平6年(1063年)、当時の宇都宮城主藤原宗園(宇都宮氏の祖)が
本丸築城の時、丑寅の方角に当たるここに、鬼門除の鎮護として
神明社を創建した

明治43年に、博労町の八坂神社と合祀し八坂神社と改称された





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海道町より日光連山

左手に日光連山が見え隠れする快適な街道である




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稚児坂

やがて、正面に稚児坂が見えてきた
街道や緩い上りとなっているところだ

稚児坂とは、意味深な名前である

建久7年(1196年)、始めて鎌倉幕府により奥州総奉行が設けられ
初代の奉行である伊沢家景が奥州の任地に向かった
その途次、同行の乳幼児であった我が子を亡くし、ここに葬ったという


緩い稚児坂を越え、下りに入ると分岐になっている
左が氏家宇都宮線(県道125号線)で、右が旧奥州街道(白沢街道)である

此処まで来ると、奥州街道18番目の宿場・白沢宿は、もう直ぐである





詳細リンク:旧奥州街道2「宇都宮・今泉~稚児坂/街道写真紀行 
(栃木県宇都宮市白沢町) 0902/0902

2009/02/16

川崎・扇町/神奈川

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JR鶴見線扇町行に始めて乗った
そして、一つ手前の昭和駅で下車する

昭和駅は昭和6年開業の駅で
工業地帯への通勤客向けの駅である

ここで下車するのは我々だけであった
今回は、ここで写真仲間の撮宴会があった

1,2枚目の写真は、渡田運河に架かる荻橋より西側を見た写真である
運河左側の建物は、昭和電工東京ガス工場とNKK京浜製鉄所である

西日で完全な逆光であった

この運河名の渡田(わたりだ)は、慶安年間(1970年頃)の記録にあるように
古い地名からきている
新田義貞の御家人であった亘(わたり)氏の領地であったので
亘田が渡田と転訛したようだ

4枚目の写真は、新日本石油川崎事業所の敷地内にある
巨大な煙突2基、川崎天然ガス発電所である

LNG(天然ガス)を用いているため、クリーンエネルギー利用の火力発電所




詳細リンク:紀行写真集「川崎市扇町
(神奈川県川崎市川崎区扇町) 0812/0902

2009/02/15

宇都宮~田川/旧奥州街道1

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日光道中追分

JR宇都宮駅よりバスに乗り、伝馬町で下車した
日光道中と奥州街道の追分(分岐点)である

前回の日光道中徒歩の旅の時は
ここで左折して日光に向かったが(左の狭い道)
今回はこの広い道(写真右方向)を直進して
目指すは、遠く津軽の三厩(みんまや)である

約810kmと日本一距離の長い奥州街道の第一歩である
無事踏破出来るかどうか、自信は無いが一歩一歩と
歩を進めて行きたいと思う



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東武宇都宮駅

街道右手に東武宇都宮駅があり
一際大きな駅ビル(東武宇都宮百貨店)である
このビルの3階に駅施設がある

東武宇都宮線は宇都宮と栃木市の新栃木駅を結ぶ線で
昔、栃木に住んでいた時、良く利用した線である
開業は昭和5年で、この駅ビルが出来たのは昭和34年であった

JR宇都宮駅が旧市街の東部(田川の対岸)にあるのに対し
東武宇都宮駅は旧市街の西側にあり、距離は1.5kmも離れている



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田川・幸橋より上流

田川に架かる幸橋を渡る
ここが宇都宮宿の出口であった

写真は、幸橋より上流を見たもので、日光連山が顔を出していた



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旧篠原家

橋を渡ると川沿いに旧篠原家がある
江戸時代から第2次大戦まで、醤油醸造業と肥料商を営んでいた

明治28年に建立された店蔵(写真)がそのまま残され
国の重要文化財に指定されている

ここからいよいよ奥州道中入りである
元気良く出発と言うところであったが
実は、今までの街道歩きで、右の踵の靴擦れが悪化(慢性化)して
痛みが走り、足を引きずるようにしての出発であった

次の宿場は江戸から数えて18番目の白沢宿である




参考リンク:旧奥州街道1「宇都宮宿・追分~田川」/街道写真紀行
(栃木県宇都宮市) 0902/0903    

2009/02/09

岐阜/岐阜

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上写真は岐阜駅の北口で、写真右手が名鉄の岐阜駅前である

下写真は岐阜城天守閣だ
岐阜城は難攻不落の城として知られ、美濃を制するものは
天下を制すと言われていた

関ヶ原の戦いの折、信長の孫織田秀信の時、東軍に攻められ落城
その後、廃城となる

天守閣と櫓は、加納城に移され
現在あるものは復元されたものである

天守閣からの360度の眺望は素晴らしかった

詳細リンク:写真紀行「岐阜
(岐阜県岐阜市) 0702/0902 

2009/02/02

犬山/愛知

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犬山の地名は古いが、由来は諸説あるようだ

曰く、犬を使って狩を行ったところ、平安時代の丹波郡小野郷の
山間部であったことから「おののやま」が転訛した、

大懸神社の戌亥(いぬい)の方角の山から転訛した等の説がある

犬山城は白帝(はくてい)城とも呼ばれていた

文明元年(1469年)、当時の室町幕府の管領であった
斯波義郷の家臣織田広近が築いたのが始まりである

その後、織田信長に攻められ落城

江戸時代には、尾張徳川家の家老格であった
成瀬正成が3万5000石で入封し明治を迎える

当時のままの城で、天守は現存するものの中では最古とのこと
国宝に指定されている



詳細リンク:写真紀行「犬山
(愛知県犬山市) 0702/0902 

2009/02/01

城下町・川越/埼玉

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上の写真は、すっかり川越名物となった「時の鐘」である
  
高さが16m、檜造りの古風な鐘楼だ
承応2年(1653年)、川越城主であった松平信綱により建てられたものだ

下の写真は、店蔵の町並みだ

仲町交差点から幸町、元町、そして北側の「札の辻」辺りまでが
特に蔵造りの建物が多く残されているところで、一番街通りと呼ばれている

川越の蔵は磐城墨を混ぜて黒くし、その上を木賊(とくさ)で磨き上げた
黒壁が特徴となっているので、実に重厚な町並みとなっている
現在でも、30数軒が残されている

なお木賊とは、トクサ科の常緑シダで茎にケイ酸を含み硬く
物を砥ぎ磨くのに古くから用いられていたものだ



詳細リンク:写真紀行「城下町・川越」 
(埼玉県川越市) 0312/0902 

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